「人」(ひと)が出てくる聖書の箇所
「人」(ひと)は口語訳の4355か所(旧約3187・新約1168)に出てきます。日常訳第1版では5114か所。
4355か所を200か所ずつ22ページに分けています(21ページ目)。
ローマ人への手紙(56か所)
ローマ4:5 しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
ローマ4:6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、
ローマ4:7 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。
ローマ4:8 罪を主に認められない人は、さいわいである」。
ローマ4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、
ローマ5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
ローマ5:12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
ローマ5:15 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
ローマ5:16 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
ローマ5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
ローマ5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
ローマ6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
ローマ7:1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
ローマ7:4 わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
ローマ7:22 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、
ローマ8:9 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
ローマ8:24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
ローマ8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。
ローマ9:10 そればかりではなく、ひとりの人、すなわち、わたしたちの父祖イサクによって受胎したリベカの場合も、また同様である。
ローマ9:19 そこで、あなたは言うであろう、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」。
ローマ9:20 ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
ローマ10:5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。
ローマ10:10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
ローマ10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
ローマ10:16 しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っている。
ローマ11:32 すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。
ローマ12:17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
ローマ12:18 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。
ローマ13:1 すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。
ローマ13:8 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。
ローマ14:2 ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。
ローマ14:5 また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。
ローマ14:14 わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
ローマ14:18 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。
ローマ14:20 食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。
ローマ14:22 あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。
ローマ16:2 どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。
ローマ16:10 キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。
ローマ16:11 同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。
コリント人への第一の手紙(66か所)
コリント第一1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
コリント第一2:5 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
コリント第一2:9 しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
コリント第一2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
コリント第一2:15 しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
コリント第一3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
コリント第一3:3 あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。
コリント第一3:4 すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。
コリント第一3:5 アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。
コリント第一3:10 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
コリント第一3:14 もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
コリント第一3:17 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。
コリント第一3:18 だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
コリント第一4:1 このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。
コリント第一4:6 兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。
コリント第一5:1 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
コリント第一5:11 しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
コリント第一5:12 外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
コリント第一6:4 それだのに、この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか。
コリント第一6:11 あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。
コリント第一6:18 不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
コリント第一7:7 わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。
コリント第一7:23 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。
コリント第一7:26 わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。
コリント第一7:36 もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。
コリント第一7:39 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。
コリント第一8:1 偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
コリント第一8:2 もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。
コリント第一8:3 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
コリント第一8:7 しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
コリント第一8:10 なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
コリント第一8:11 するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
コリント第一9:2 わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なのである。
コリント第一9:13 あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを、知らないのか。
コリント第一9:19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
コリント第一9:20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
コリント第一9:21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
コリント第一9:22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
コリント第一9:27 すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。
コリント第一10:18 肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。
コリント第一10:23 すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
コリント第一10:24 だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。
コリント第一10:28 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。
コリント第一10:30 もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。
コリント第一10:33 わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。
コリント第一11:21 というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。
コリント第一12:8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
コリント第一12:9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
コリント第一12:10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
コリント第一13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
コリント第一14:2 異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
コリント第一14:3 しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
コリント第一14:11 もしその言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。
コリント第一14:17 感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。
コリント第一14:19 しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。
コリント第一14:37 もしある人が、自分は預言者か霊の人であると思っているなら、わたしがあなたがたに書いていることは、主の命令だと認めるべきである。
コリント第一14:38 もしそれを無視する者があれば、その人もまた無視される。
コリント第一15:19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。
コリント第一15:21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
コリント第一15:22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
コリント第一15:35 しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。
コリント第一15:36 おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。
コリント第一15:39 すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
コリント第一15:45 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
コリント第一15:47 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。
コリント第一15:48 この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。
コリント人への第二の手紙(48か所)
コリント第二1:11 そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう。これは多くの人々の願いによりわたしたちに賜わった恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためである。
コリント第二2:2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませているその人以外に、だれがわたしを喜ばせてくれるのか。
コリント第二2:5 しかし、もしだれかが人を悲しませたとすれば、それはわたしを悲しませたのではなく、控え目に言うが、ある程度、あなたがた一同を悲しませたのである。
コリント第二2:6 その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、
コリント第二2:7 あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。
コリント第二2:10 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。
コリント第二2:17 しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。
コリント第二3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。
コリント第二3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。
コリント第二3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
コリント第二4:2 恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。
コリント第二4:15 すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。
コリント第二4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
コリント第二5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
コリント第二5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。
コリント第二5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
コリント第二5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
コリント第二6:3 この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、
コリント第二6:8 ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、
コリント第二6:9 人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、
コリント第二6:10 悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。
コリント第二7:12 だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
コリント第二8:8 こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
コリント第二8:14 すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。
コリント第二8:20 そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである。
コリント第二8:21 わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。
コリント第二9:2 わたしは、あなたがたの好意を知っており、そのために、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年以来、すでに準備をしているのだと言った。そして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させたのである。
コリント第二9:4 そうでないと、万一マケドニヤ人がわたしと一緒に行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、かように信じきっていただけに、恥をかくことになろう。
コリント第二9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。
コリント第二9:9 「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」と書いてあるとおりである。
コリント第二9:13 すなわち、この援助を行った結果として、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であることや、彼らにも、すべての人にも、惜しみなく施しをしていることがわかってきて、彼らは神に栄光を帰し、
コリント第二10:7 あなたがたは、うわべの事だけを見ている。もしある人が、キリストに属する者だと自任しているなら、その人はもう一度よく反省すべきである。その人がキリストに属する者であるように、わたしたちもそうである。
コリント第二10:10 人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。
コリント第二10:11 そういう人は心得ているがよい。わたしたちは、離れていて書きおくる手紙の言葉どおりに、一緒にいる時でも同じようにふるまうのである。
コリント第二10:16 こうして、わたしたちはほかの人の地域ですでになされていることを誇ることはせずに、あなたがたを越えたさきざきにまで、福音を宣べ伝えたい。
コリント第二10:18 自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである。
コリント第二11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
コリント第二11:13 こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
コリント第二11:18 多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
コリント第二11:19 あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
コリント第二11:21 言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
コリント第二12:2 わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
コリント第二12:3 この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――
コリント第二12:5 わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。
コリント第二12:6 もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
コリント第二12:16 わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。
コリント第二12:17 わたしは、あなたがたにつかわした人たちのうちのだれかをとおして、あなたがたからむさぼり取っただろうか。
コリント第二12:21 わたしが再びそちらに行った場合、わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはすまいか。
ガラテヤ人への手紙(18か所)
ガラテヤ1:1 人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、
ガラテヤ1:8 しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
ガラテヤ1:9 わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。
ガラテヤ1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。
ガラテヤ2:2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。
ガラテヤ2:6 そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。
ガラテヤ2:16 人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
ガラテヤ3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
ガラテヤ3:21 では、律法は神の約束と相いれないものか。断じてそうではない。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに律法によって実現されたであろう。
ガラテヤ3:22 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのである。
ガラテヤ4:21 律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。わたしに答えなさい。あなたがたは律法の言うところを聞かないのか。
ガラテヤ5:3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。
ガラテヤ6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
ガラテヤ6:3 もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。
ガラテヤ6:4 ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。
ガラテヤ6:5 人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。
ガラテヤ6:6 御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。
ガラテヤ6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
エペソ人への手紙(12か所)
エペソ2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、
エペソ2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
エペソ3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。
エペソ3:16 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、
エペソ4:11 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
エペソ4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
エペソ4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。
エペソ4:29 悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。
エペソ5:31 「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
エペソ6:6 人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
エペソ6:7 人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。
エペソ6:9 主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。
ピリピ人への手紙(9か所)
ピリピ2:3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。
ピリピ2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
ピリピ2:21 人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。
ピリピ2:23 そこで、この人を、わたしの成行きがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送りたいと願っている。
ピリピ3:2 あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。
ピリピ3:4 もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。
ピリピ3:17 兄弟たちよ。どうか、わたしにならう者となってほしい。また、あなたがたの模範にされているわたしたちにならって歩く人たちに、目をとめなさい。
ピリピ4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。
ピリピ4:15 ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった。
コロサイ人への手紙(9か所)
コロサイ1:28 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。
コロサイ2:1 わたしが、あなたがたとラオデキヤにいる人たちのため、また、直接にはまだ会ったことのない人々のために、どんなに苦闘しているか、わかってもらいたい。
コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
コロサイ3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
コロサイ3:10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。
コロサイ3:11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。
コロサイ3:22 僕たる者よ、何事についても、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、目先だけの勤めをするのではなく、真心をこめて主を恐れつつ、従いなさい。
コロサイ3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。