「人」(ひと)が出てくる聖書の箇所

「人」(ひと)は口語訳の4355か所(旧約3187・新約1168)に出てきます。日常訳第1版では5114か所。

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4355か所を200か所ずつ22ページに分けています(21ページ目)。

ローマ人への手紙(56か所)

ローマ4:5 しかし、働はたらきはなくても、不ふ信心しんじんな者ものを義ぎとするかたを信しんじる人ひとは、その信仰しんこうが義ぎと認みとめられるのである。

ローマ4:6 ダビデもまた、行おこないがなくても神かみに義ぎと認みとめられた人ひとの幸福こうふくについて、次つぎのように言いっている、

ローマ4:7 「不法ふほうをゆるされ、罪つみをおおわれた人ひとたちは、さいわいである。

ローマ4:8 罪つみを主しゅに認みとめられない人ひとは、さいわいである」。

ローマ4:11 そして、アブラハムは割礼かつれいというしるしを受うけたが、それは、無む割礼かつれいのままで信仰しんこうによって受うけた義ぎの証印しょういんであって、彼かれが、無む割礼かつれいのままで信しんじて義ぎとされるに至いたるすべての人ひとの父ちちとなり、

ローマ5:7 正ただしい人ひとのために死しぬ者ものは、ほとんどいないであろう。善人ぜんにんのためには、進すすんで死しぬ者ものもあるいはいるであろう。

ローマ5:12 このようなわけで、ひとりの人ひとによって、罪つみがこの世よにはいり、また罪つみによって死しがはいってきたように、こうして、すべての人ひとが罪つみを犯おかしたので、死しが全ぜん人類じんるいにはいり込こんだのである。

ローマ5:15 しかし、恵めぐみの賜物たまものは罪過ざいかの場合ばあいとは異ことなっている。すなわち、もしひとりの罪過ざいかのために多おおくの人ひとが死しんだとすれば、まして、神かみの恵めぐみと、ひとりの人ひとイエス・キリストの恵めぐみによる賜物たまものとは、さらに豊ゆたかに多おおくの人々ひとびとに満みちあふれたはずではないか。

ローマ5:16 かつ、この賜物たまものは、ひとりの犯おかした罪つみの結果けっかとは異ことなっている。なぜなら、さばきの場合ばあいは、ひとりの罪過ざいかから、罪つみに定さだめることになったが、恵めぐみの場合ばあいには、多おおくの人ひとの罪過ざいかから、義ぎとする結果けっかになるからである。

ローマ5:18 このようなわけで、ひとりの罪過ざいかによってすべての人ひとが罪つみに定さだめられたように、ひとりの義ぎなる行為こういによって、いのちを得えさせる義ぎがすべての人ひとに及およぶのである。

ローマ5:19 すなわち、ひとりの人ひとの不ふ従順じゅうじゅんによって、多おおくの人ひとが罪人ざいにんとされたと同おなじように、ひとりの従順じゅうじゅんによって、多おおくの人ひとが義人ぎじんとされるのである。

ローマ6:6 わたしたちは、この事ことを知しっている。わたしたちの内うちの古ふるき人ひとはキリストと共ともに十字じゅうじ架かにつけられた。それは、この罪つみのからだが滅ほろび、わたしたちがもはや、罪つみの奴隷どれいとなることがないためである。

ローマ7:1 それとも、兄弟きょうだいたちよ。あなたがたは知しらないのか。わたしは律法りっぽうを知しっている人々ひとびとに語かたるのであるが、律法りっぽうは人ひとをその生いきている期間きかんだけ支配しはいするものである。

ローマ7:4 わたしの兄弟きょうだいたちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法りっぽうに対たいして死しんだのである。それは、あなたがたが他ほかの人ひと、すなわち、死人しにんの中なかからよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神かみのために実じつを結むすぶに至いたるためなのである。

ローマ7:22 すなわち、わたしは、内うちなる人ひととしては神かみの律法りっぽうを喜よろこんでいるが、

ローマ8:9 しかし、神かみの御ご霊れいがあなたがたの内うちに宿やどっているなら、あなたがたは肉にくにおるのではなく、霊れいにおるのである。もし、キリストの霊れいを持もたない人ひとがいるなら、その人ひとはキリストのものではない。

ローマ8:24 わたしたちは、この望のぞみによって救すくわれているのである。しかし、目めに見みえる望のぞみは望のぞみではない。なぜなら、現げんに見みている事ことを、どうして、なお望のぞむ人ひとがあろうか。

ローマ8:27 そして、人ひとの心こころを探さぐり知しるかたは、御ご霊れいの思おもうところがなんであるかを知しっておられる。なぜなら、御ご霊れいは、聖徒せいとのために、神かみの御お旨むねにかなうとりなしをして下くださるからである。

ローマ9:10 そればかりではなく、ひとりの人ひと、すなわち、わたしたちの父祖ふそイサクによって受胎じゅたいしたリベカの場合ばあいも、また同様どうようである。

ローマ9:19 そこで、あなたは言ゆうであろう、「なぜ神かみは、なおも人ひとを責せめられるのか。だれが、神かみの意図いとに逆さからい得えようか」。

ローマ9:20 ああ人ひとよ。あなたは、神かみに言いいい逆さからうとは、いったい、何者なにものなのか。造つくられたものが造つくった者ものに向むかって、「なぜ、わたしをこのように造つくったのか」と言いうことがあろうか。

ローマ10:5 モーセは、律法りっぽうによる義ぎを行おこなう人ひとは、その義ぎによって生いきる、と書かいている。

ローマ10:10 なぜなら、人ひとは心こころに信しんじて義ぎとされ、口くちで告白こくはくして救すくわれるからである。

ローマ10:12 ユダヤ人にんとギリシヤ人にんとの差別さべつはない。同一どういつの主しゅが万民ばんみんの主しゅであって、彼かれを呼よび求もとめるすべての人ひとを豊ゆたかに恵めぐんで下くださるからである。

ローマ10:16 しかし、すべての人ひとが福音ふくいんに聞き従っききしたがったのではない。イザヤは、「主しゅよ、だれがわたしたちから聞きいたことを信しんじましたか」と言いっている。

ローマ11:32 すなわち、神かみはすべての人ひとをあわれむために、すべての人ひとを不ふ従順じゅうじゅんのなかに閉とじ込こめたのである。

ローマ12:17 だれに対たいしても悪あくをもって悪わるに報むくいず、すべての人ひとに対たいして善ぜんを図はかりなさい。

ローマ12:18 あなたがたは、できる限かぎりすべての人ひとと平和へいわに過すごしなさい。

ローマ13:1 すべての人ひとは、上うえに立たつ権威けんいに従したがうべきである。なぜなら、神かみによらない権威けんいはなく、おおよそ存在そんざいしている権威けんいは、すべて神かみによって立たてられたものだからである。

ローマ13:8 互たがいに愛あいし合あうことの外そとは、何なん人にんにも借かりがあってはならない。人ひとを愛あいする者ものは、律法りっぽうを全まっとうするのである。

ローマ14:2 ある人ひとは、何なんを食たべてもさしつかえないと信しんじているが、弱よわい人ひとは野菜やさいだけを食たべる。

ローマ14:5 また、ある人ひとは、この日ひがかの日ひよりも大事だいじであると考かんがえ、ほかの人ひとはどの日ひも同おなじだと考かんがえる。各自かくじはそれぞれ心こころの中なかで、確信かくしんを持もっておるべきである。

ローマ14:14 わたしは、主しゅイエスにあって知しりかつ確信かくしんしている。それ自体じたい、汚よごれているものは一ひとつもない。ただ、それが汚よごれていると考かんがえる人ひとにだけ、汚よごれているのである。

ローマ14:18 こうしてキリストに仕つかえる者ものは、神かみに喜よろこばれ、かつ、人ひとにも受うけいれられるのである。

ローマ14:20 食物しょくもつのことで、神かみのみわざを破壊はかいしてはならない。すべての物ものはきよい。ただ、それを食たべて人ひとをつまずかせる者ものには、悪あくとなる。

ローマ14:22 あなたの持もっている信仰しんこうを、神かみのみまえに、自分じぶん自身じしんに持もっていなさい。自みずから良よいと定さだめたことについて、やましいと思おもわない人ひとは、さいわいである。

ローマ16:2 どうか、聖徒せいとたるにふさわしく、主しゅにあって彼女かのじょを迎むかえ、そして、彼女かのじょがあなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事なにごとでも、助たすけてあげてほしい。彼女かのじょは多おおくの人ひとの援助えんじょ者しゃであり、またわたし自身じしんの援助えんじょ者しゃでもあった。

ローマ16:10 キリストにあって錬れん達たちなアペレに、よろしく。アリストブロの家いえの人ひとたちに、よろしく。

ローマ16:11 同族どうぞくのヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家いえの、主しゅにある人ひとたちに、よろしく。

コリント人への第一の手紙(66か所)

コリント第一1:25 神かみの愚おろかさは人ひとよりも賢かしこく、神かみの弱よわさは人ひとよりも強つよいからである。

コリント第一2:5 それは、あなたがたの信仰しんこうが人ひとの知恵ちえによらないで、神かみの力ちからによるものとなるためであった。

コリント第一2:9 しかし、聖書せいしょに書かいてあるとおり、「目めがまだ見みず、耳みみがまだ聞きかず、人ひとの心こころに思おもい浮うかびもしなかったことを、神かみは、ご自分じぶんを愛あいする者ものたちのために備そなえられた」のである。

コリント第一2:14 生うまれながらの人ひとは、神かみの御ご霊れいの賜物たまものを受うけいれない。それは彼かれには愚おろかなものだからである。また、御ご霊れいによって判断はんだんされるべきであるから、彼かれはそれを理解りかいすることができない。

コリント第一2:15 しかし、霊れいの人ひとは、すべてのものを判断はんだんするが、自分じぶん自身じしんはだれからも判断はんだんされることはない。

コリント第一3:1 兄弟きょうだいたちよ。わたしはあなたがたには、霊れいの人ひとに対たいするように話はなすことができず、むしろ、肉にくに属ぞくする者もの、すなわち、キリストにある幼おさな子ごに話はなすように話はなした。

コリント第一3:3 あなたがたはまだ、肉にくの人ひとだからである。あなたがたの間あいだに、ねたみや争あらそいがあるのは、あなたがたが肉にくの人ひとであって、普通ふつうの人間にんげんのように歩あるいているためではないか。

コリント第一3:4 すなわち、ある人ひとは「わたしはパウロに」と言いいい、ほかの人ひとは「わたしはアポロに」と言いっているようでは、あなたがたは普通ふつうの人間にんげんではないか。

コリント第一3:5 アポロは、いったい、何者なにものか。また、パウロは何者なにものか。あなたがたを信仰しんこうに導みちびいた人ひとにすぎない。しかもそれぞれ、主しゅから与あたえられた分ぶんに応おうじて仕つかえているのである。

コリント第一3:10 神かみから賜たまわった恵めぐみによって、わたしは熟練じゅくれんした建築けんちく師しのように、土台どだいをすえた。そして他ほかの人ひとがその上うえに家いえを建たてるのである。しかし、どういうふうに建たてるか、それぞれ気きをつけるがよい。

コリント第一3:14 もしある人ひとの建たてた仕事しごとがそのまま残のこれば、その人ひとは報酬ほうしゅうを受うけるが、

コリント第一3:17 もし人ひとが、神かみの宮みやを破壊はかいするなら、神かみはその人ひとを滅ほろぼすであろう。なぜなら、神かみの宮みやは聖せいなるものであり、そして、あなたがたはその宮みやなのだからである。

コリント第一3:18 だれも自分じぶんを欺あざむいてはならない。もしあなたがたのうちに、自分じぶんがこの世よの知者ちしゃだと思おもう人ひとがいるなら、その人ひとは知者ちしゃになるために愚おろかになるがよい。

コリント第一4:1 このようなわけだから、人ひとはわたしたちを、キリストに仕つかえる者もの、神かみの奥義おうぎを管理かんりしている者ものと見みるがよい。

コリント第一4:6 兄弟きょうだいたちよ。これらのことをわたし自身じしんとアポロとに当あてはめて言いって聞きかせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例れいにとって、「しるされている定さだめを越こえない」ことを学まなび、ひとりの人ひとをあがめ、ほかの人ひとを見みさげて高たかぶることのないためである。

コリント第一5:1 現げんに聞きくところによると、あなたがたの間あいだに不ふ品行ひんこうな者ものがあり、しかもその不ふ品行ひんこうは、異邦いほう人にんの間あいだにもないほどのもので、ある人ひとがその父ちちの妻つまと一緒いっしょに住すんでいるということである。

コリント第一5:11 しかし、わたしが実際じっさいに書かいたのは、兄弟きょうだいと呼よばれる人ひとで、不ふ品行ひんこうな者もの、貪欲どんよくな者もの、偶像ぐうぞう礼拝れいはいをする者もの、人ひとをそしる者もの、酒さけに酔よう者もの、略奪りゃくだつをする者ものがあれば、そんな人ひとと交際こうさいをしてはいけない、食事しょくじを共ともにしてもいけない、ということであった。

コリント第一5:12 外そとの人ひとたちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者ものは、内うちの人ひとたちではないか。外そとの人ひとたちは、神かみがさばくのである。

コリント第一6:4 それだのに、この世よの事件じけんが起おこると、教会きょうかいで軽かろんじられている人ひとたちを、裁判さいばんの席せきにつかせるのか。

コリント第一6:11 あなたがたの中なかには、以前いぜんはそんな人ひともいた。しかし、あなたがたは、主しゅイエス・キリストの名なによって、またわたしたちの神かみの霊れいによって、洗あらわれ、きよめられ、義ぎとされたのである。

コリント第一6:18 不ふ品行ひんこうを避さけなさい。人ひとの犯おかすすべての罪つみは、からだの外そとにある。しかし不ふ品行ひんこうをする者ものは、自分じぶんのからだに対たいして罪つみを犯おかすのである。

コリント第一7:7 わたしとしては、みんなの者ものがわたし自身じしんのようになってほしい。しかし、ひとりびとり神かみからそれぞれの賜物たまものをいただいていて、ある人ひとはこうしており、他たの人ひとはそうしている。

コリント第一7:23 あなたがたは、代価だいかを払はらって買かいとられたのだ。人ひとの奴隷どれいとなってはいけない。

コリント第一7:26 わたしはこう考かんがえる。現在げんざい迫せまっている危機ききのゆえに、人ひとは現状げんじょうにとどまっているがよい。

コリント第一7:36 もしある人ひとが、相手あいてのおとめに対たいして、情熱じょうねつをいだくようになった場合ばあい、それは適当てきとうでないと思おもいつつも、やむを得えなければ、望のぞみどおりにしてもよい。それは罪つみを犯おかすことではない。ふたりは結婚けっこんするがよい。

コリント第一7:39 妻つまは夫おっとが生いきている間あいだは、その夫おっとにつながれている。夫おっとが死しねば、望のぞむ人ひとと結婚けっこんしてもさしつかえないが、それは主しゅにある者ものとに限かぎる。

コリント第一8:1 偶像ぐうぞうへの供そなえ物ものについて答こたえると、「わたしたちはみな知識ちしきを持もっている」ことは、わかっている。しかし、知識ちしきは人ひとを誇ほこらせ、愛あいは人ひとの徳とくを高たかめる。

コリント第一8:2 もし人ひとが、自分じぶんは何なんか知しっていると思おもうなら、その人ひとは、知しらなければならないほどの事ことすら、まだ知しっていない。

コリント第一8:3 しかし、人ひとが神かみを愛あいするなら、その人ひとは神かみに知しられているのである。

コリント第一8:7 しかし、この知識ちしきをすべての人ひとが持もっているのではない。ある人々ひとびとは、偶像ぐうぞうについての、これまでの習慣しゅうかん上じょう、偶像ぐうぞうへの供そなえ物ものとして、それを食たべるが、彼かれらの良心りょうしんが、弱よわいために汚よごされるのである。

コリント第一8:10 なぜなら、ある人ひとが、知識ちしきのあるあなたが偶像ぐうぞうの宮みやで食事しょくじをしているのを見みた場合ばあい、その人ひとの良心りょうしんが弱よわいため、それに「教育きょういくされて」、偶像ぐうぞうへの供そなえ物ものを食たべるようにならないだろうか。

コリント第一8:11 するとその弱よわい人ひとは、あなたの知識ちしきによって滅ほろびることになる。この弱よわい兄弟きょうだいのためにも、キリストは死しなれたのである。

コリント第一9:2 わたしは、ほかの人ひとに対たいしては使徒しとでないとしても、あなたがたには使徒しとである。あなたがたが主しゅにあることは、わたしの使徒しと職しょくの印しるしなのである。

コリント第一9:13 あなたがたは、宮仕みやづかえをしている人ひとたちは宮みやから下さがる物ものを食たべ、祭壇さいだんに奉仕ほうししている人ひとたちは祭壇さいだんの供そなえ物ものの分わけ前まえにあずかることを、知しらないのか。

コリント第一9:19 わたしは、すべての人ひとに対たいして自由じゆうであるが、できるだけ多おおくの人ひとを得えるために、自みずから進すすんですべての人ひとの奴隷どれいになった。

コリント第一9:20 ユダヤ人にんには、ユダヤ人にんのようになった。ユダヤ人にんを得えるためである。律法りっぽうの下したにある人ひとには、わたし自身じしんは律法りっぽうの下したにはないが、律法りっぽうの下したにある者もののようになった。律法りっぽうの下したにある人ひとを得えるためである。

コリント第一9:21 律法りっぽうのない人ひとには――わたしは神かみの律法りっぽうの外そとにあるのではなく、キリストの律法りっぽうの中なかにあるのだが――律法りっぽうのない人ひとのようになった。律法りっぽうのない人ひとを得えるためである。

コリント第一9:22 弱よわい人ひとには弱よわい者ものになった。弱よわい人ひとを得えるためである。すべての人ひとに対たいしては、すべての人ひとのようになった。なんとかして幾いく人にんかを救すくうためである。

コリント第一9:27 すなわち、自分じぶんのからだを打うちたたいて服従ふくじゅうさせるのである。そうしないと、ほかの人ひとに宣のべ伝つたえておきながら、自分じぶんは失格しっかく者しゃになるかも知しれない。

コリント第一10:18 肉にくによるイスラエルを見みるがよい。供そなえ物ものを食たべる人ひとたちは、祭壇さいだんにあずかるのではないか。

コリント第一10:23 すべてのことは許ゆるされている。しかし、すべてのことが益えきになるわけではない。すべてのことは許ゆるされている。しかし、すべてのことが人ひとの徳とくを高たかめるのではない。

コリント第一10:24 だれでも、自分じぶんの益えきを求もとめないで、ほかの人ひとの益えきを求もとめるべきである。

コリント第一10:28 しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物ものの肉にくだと言いったなら、それを知しらせてくれた人ひとのために、また良心りょうしんのために、食たべないがよい。

コリント第一10:30 もしわたしが感謝かんしゃして食たべる場合ばあい、その感謝かんしゃする物ものについて、どうして人ひとのそしりを受うけるわけがあろうか。

コリント第一10:33 わたしもまた、何事なにごとにもすべての人ひとに喜よろこばれるように努つとめ、多おおくの人ひとが救すくわれるために、自分じぶんの益えきではなく彼かれらの益えきを求もとめている。

コリント第一11:21 というのは、食事しょくじの際さい、各自かくじが自分じぶんの晩餐ばんさんをかってに先さきに食たべるので、飢うえている人ひとがあるかと思おもえば、酔よっている人ひとがある始末しまつである。

コリント第一12:8 すなわち、ある人ひとには御ご霊れいによって知恵ちえの言葉ことばが与あたえられ、ほかの人ひとには、同おなじ御霊みたまによって知識ちしきの言げん、

コリント第一12:9 またほかの人ひとには、同おなじ御霊みたまによって信仰しんこう、またほかの人ひとには、一ひとつの御ご霊れいによっていやしの賜物たまもの、

コリント第一12:10 またほかの人ひとには力ちからあるわざ、またほかの人ひとには預言よげん、またほかの人ひとには霊れいを見みわける力ちから、またほかの人ひとには種々しゅじゅの異言いげん、またほかの人ひとには異言いげんを解とく力ちからが、与あたえられている。

コリント第一13:3 たといまた、わたしが自分じぶんの全ぜん財産ざいさんを人ひとに施ほどこしても、また、自分じぶんのからだを焼やかれるために渡わたしても、もし愛あいがなければ、いっさいは無益むえきである。

コリント第一14:2 異言いげんを語かたる者ものは、人ひとにむかって語かたるのではなく、神かみにむかって語かたるのである。それはだれにもわからない。彼かれはただ、霊れいによって奥義おうぎを語かたっているだけである。

コリント第一14:3 しかし預言よげんをする者ものは、人ひとに語かたってその徳とくを高たかめ、彼かれを励はげまし、慰なぐさめるのである。

コリント第一14:11 もしその言葉ことばの意味いみがわからないなら、語かたっている人ひとにとっては、わたしは異国いこく人にんであり、語かたっている人ひとも、わたしにとっては異国いこく人にんである。

コリント第一14:17 感謝かんしゃするのは結構けっこうだが、それで、ほかの人ひとの徳とくを高たかめることにはならない。

コリント第一14:19 しかし教会きょうかいでは、一いち万まんの言葉ことばを異言いげんで語かたるよりも、ほかの人ひとたちをも教おしえるために、むしろ五いつつの言葉ことばを知性ちせいによって語かたる方ほうが願ねがわしい。

コリント第一14:37 もしある人ひとが、自分じぶんは預言よげん者しゃか霊れいの人ひとであると思おもっているなら、わたしがあなたがたに書かいていることは、主しゅの命令めいれいだと認みとめるべきである。

コリント第一14:38 もしそれを無視むしする者ものがあれば、その人ひともまた無視むしされる。

コリント第一15:19 もしわたしたちが、この世よの生活せいかつでキリストにあって単たんなる望のぞみをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人ひとの中なかで最ももっともあわれむべき存在そんざいとなる。

コリント第一15:21 それは、死しがひとりの人ひとによってきたのだから、死人しにんの復活ふっかつもまた、ひとりの人ひとによってこなければならない。

コリント第一15:22 アダムにあってすべての人ひとが死しんでいるのと同おなじように、キリストにあってすべての人ひとが生いかされるのである。

コリント第一15:35 しかし、ある人ひとは言ゆうだろう。「どんなふうにして、死人しにんがよみがえるのか。どんなからだをして来くるのか」。

コリント第一15:36 おろかな人ひとである。あなたのまくものは、死しななければ、生いかされないではないか。

コリント第一15:39 すべての肉にくが、同おなじ肉にくなのではない。人ひとの肉にくがあり、獣けものの肉にくがあり、鳥とりの肉にくがあり、魚さかなの肉にくがある。

コリント第一15:45 聖書せいしょに「最初さいしょの人ひとアダムは生いきたものとなった」と書かいてあるとおりである。しかし最後さいごのアダムは命いのちを与あたえる霊れいとなった。

コリント第一15:47 第だい一いちの人ひとは地ちから出でて土つちに属ぞくし、第だい二にの人ひとは天てんから来くる。

コリント第一15:48 この土つちに属ぞくする人ひとに、土つちに属ぞくしている人々ひとびとは等ひとしく、この天てんに属ぞくする人ひとに、天てんに属ぞくしている人々ひとびとは等ひとしいのである。

コリント人への第二の手紙(48か所)

コリント第二1:11 そして、あなたがたもまた祈いのりをもって、ともどもに、わたしたちを助たすけてくれるであろう。これは多おおくの人々ひとびとの願ねがいによりわたしたちに賜たまわった恵めぐみについて、多おおくの人ひとが感謝かんしゃをささげるようになるためである。

コリント第二2:2 もしあなたがたを悲かなしませるとすれば、わたしが悲かなしませているその人ひと以外いがいに、だれがわたしを喜よろこばせてくれるのか。

コリント第二2:5 しかし、もしだれかが人ひとを悲かなしませたとすれば、それはわたしを悲かなしませたのではなく、控ひかえ目めに言ゆうが、ある程度ていど、あなたがた一同いちどうを悲かなしませたのである。

コリント第二2:6 その人ひとにとっては、多数たすうの者ものから受うけたあの処罰しょばつでもう十分じゅうぶんなのだから、

コリント第二2:7 あなたがたはむしろ彼かれをゆるし、また慰なぐさめてやるべきである。そうしないと、その人ひとはますます深ふかい悲かなしみに沈しずむかも知しれない。

コリント第二2:10 もしあなたがたが、何なんかのことについて人ひとをゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何なんかのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。

コリント第二2:17 しかし、わたしたちは、多おおくの人ひとのように神かみの言げんを売物うりものにせず、真心まごころをこめて、神かみにつかわされた者ものとして神かみのみまえで、キリストにあって語かたるのである。

コリント第二3:2 わたしたちの推薦すいせん状じょうは、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心こころにしるされていて、すべての人ひとに知しられ、かつ読よまれている。

コリント第二3:3 そして、あなたがたは自分じぶん自身じしんが、わたしたちから送おくられたキリストの手紙てがみであって、墨すみによらず生いける神かみの霊れいによって書かかかれ、石いしの板いたにではなく人ひとの心こころの板いたに書かかかれたものであることを、はっきりとあらわしている。

コリント第二3:6 神かみはわたしたちに力ちからを与あたえて、新あたらしい契約けいやくに仕つかえる者ものとされたのである。それは、文字もじに仕つかえる者ものではなく、霊れいに仕つかえる者ものである。文字もじは人ひとを殺ころし、霊れいは人ひとを生いかす。

コリント第二4:2 恥はずべき隠かくれたことを捨すて去さり、悪巧わるだくみによって歩あるかず、神かみの言げんを曲まげず、真理しんりを明あきらかにし、神かみのみまえに、すべての人ひとの良心りょうしんに自分じぶんを推薦すいせんするのである。

コリント第二4:15 すべてのことは、あなたがたの益えきであって、恵めぐみがますます多おおくの人ひとに増まし加くわわるにつれ、感謝かんしゃが満みちあふれて、神かみの栄光えいこうとなるのである。

コリント第二4:16 だから、わたしたちは落胆らくたんしない。たといわたしたちの外そとなる人ひとは滅ほろびても、内うちなる人ひとは日ひごとに新あたらしくされていく。

コリント第二5:1 わたしたちの住すんでいる地上ちじょうの幕屋まくやがこわれると、神かみからいただく建物たてもの、すなわち天てんにある、人ひとの手てによらない永遠えいえんの家いえが備そなえてあることを、わたしたちは知しっている。

コリント第二5:14 なぜなら、キリストの愛あいがわたしたちに強つよく迫せまっているからである。わたしたちはこう考かんがえている。ひとりの人ひとがすべての人ひとのために死しんだ以上いじょう、すべての人ひとが死しんだのである。

コリント第二5:15 そして、彼かれがすべての人ひとのために死しんだのは、生いきている者ものがもはや自分じぶんのためにではなく、自分じぶんのために死しんでよみがえったかたのために、生いきるためである。

コリント第二5:17 だれでもキリストにあるならば、その人ひとは新あたらしく造つくられた者ものである。古ふるいものは過すぎ去さった、見みよ、すべてが新あたらしくなったのである。

コリント第二6:3 この務つとむがそしりを招まねかないために、わたしたちはどんな事ことにも、人ひとにつまずきを与あたえないようにし、

コリント第二6:8 ほめられても、そしられても、悪評あくひょうを受うけても、好評こうひょうを博はくしても、神かみの僕ぼくとして自分じぶんをあらわしている。わたしたちは、人ひとを惑まどわしているようであるが、しかも真実しんじつであり、

コリント第二6:9 人ひとに知しられていないようであるが、認みとめられ、死しにかかっているようであるが、見みよ、生いきており、懲こらしめられているようであるが、殺ころされず、

コリント第二6:10 悲かなしんでいるようであるが、常つねに喜よろこんでおり、貧まずしいようであるが、多おおくの人ひとを富とませ、何なんも持もたないようであるが、すべての物ものを持もっている。

コリント第二7:12 だから、わたしがあなたがたに書かきおくったのは、不義ふぎをした人ひとのためでも、不義ふぎを受うけた人ひとのためでもなく、わたしたちに対たいするあなたがたの熱情ねつじょうが、神かみの前まえにあなたがたの間あいだで明あきらかになるためである。

コリント第二8:8 こう言いっても、わたしは命令めいれいするのではない。ただ、他たの人ひとたちの熱情ねつじょうによって、あなたがたの愛あいの純真じゅんしんさをためそうとするのである。

コリント第二8:14 すなわち、今いまの場合ばあいは、あなたがたの余裕よゆうがあの人ひとたちの欠乏けつぼうを補おぎない、後あとには、彼かれらの余裕よゆうがあなたがたの欠乏けつぼうを補おぎない、こうして等ひとしくなるようにするのである。

コリント第二8:20 そうしたのは、わたしたちが集あつめているこの寄附きふ金きんのことについて、人ひとにかれこれ言いわれるのを避さけるためである。

コリント第二8:21 わたしたちは、主しゅのみまえばかりではなく、人ひとの前まえでも公正こうせいであるように、気きを配くばっているのである。

コリント第二9:2 わたしは、あなたがたの好意こういを知しっており、そのために、あなたがたのことをマケドニヤの人々ひとびとに誇ほこって、アカヤでは昨年さくねん以来いらい、すでに準備じゅんびをしているのだと言いった。そして、あなたがたの熱心ねっしんは、多おおくの人ひとを奮起ふんきさせたのである。

コリント第二9:4 そうでないと、万一まんいちマケドニヤ人ひとがわたしと一緒いっしょに行いって、準備じゅんびができていないのを見みたら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、かように信しんじきっていただけに、恥はじをかくことになろう。

コリント第二9:7 各自かくじは惜おしむ心こころからでなく、また、しいられてでもなく、自みずから心こころで決きめたとおりにすべきである。神かみは喜よろこんで施ほどこす人ひとを愛あいして下くださるのである。

コリント第二9:9 「彼かれは貧まずしい人ひとたちに散ちらして与あたえた。その義ぎは永遠えいえんに続つづくであろう」と書かいてあるとおりである。

コリント第二9:13 すなわち、この援助えんじょを行おこなった結果けっかとして、あなたがたがキリストの福音ふくいんの告白こくはくに対たいして従順じゅうじゅんであることや、彼かれらにも、すべての人ひとにも、惜おしみなく施ほどこしをしていることがわかってきて、彼かれらは神かみに栄光えいこうを帰かえし、

コリント第二10:7 あなたがたは、うわべの事ことだけを見みている。もしある人ひとが、キリストに属ぞくする者ものだと自任じにんしているなら、その人ひとはもう一いち度どよく反省はんせいすべきである。その人ひとがキリストに属ぞくする者ものであるように、わたしたちもそうである。

コリント第二10:10 人ひとは言いう、「彼かれの手紙てがみは重味おもみがあって力強ちからづよいが、会あって見みると外見がいけんは弱々よわよわしく、話はなしはつまらない」。

コリント第二10:11 そういう人ひとは心得こころえているがよい。わたしたちは、離はなれていて書かきおくる手紙てがみの言葉ことばどおりに、一緒いっしょにいる時ときでも同おなじようにふるまうのである。

コリント第二10:16 こうして、わたしたちはほかの人ひとの地域ちいきですでになされていることを誇ほこることはせずに、あなたがたを越こえたさきざきにまで、福音ふくいんを宣のべ伝つたえたい。

コリント第二10:18 自分じぶんで自分じぶんを推薦すいせんする人ひとではなく、主しゅに推薦すいせんされる人ひとこそ、確たしかな人ひとなのである。

コリント第二11:4 というのは、もしある人ひとがきて、わたしたちが宣のべ伝つたえもしなかったような異ことなるイエスを宣のべ伝つたえ、あるいは、あなたがたが受うけたことのない違ちがった霊れいを受うけ、あるいは、受うけいれたことのない違ちがった福音ふくいんを聞きく場合ばあいに、あなたがたはよくもそれを忍しのんでいる。

コリント第二11:13 こういう人々ひとびとはにせ使徒しと、人ひとをだます働はたらき人にんであって、キリストの使徒しとに擬装ぎそうしているにすぎないからである。

コリント第二11:18 多おおくの人ひとが肉にくによって誇ほこっているから、わたしも誇ほころう。

コリント第二11:19 あなたがたは賢かしこい人ひとたちなのだから、喜よろこんで愚おろか者ものを忍しのんでくれるだろう。

コリント第二11:21 言いうのも恥はずかしいことだが、わたしたちは弱よわすぎたのだ。もしある人ひとがあえて誇ほこるなら、わたしは愚おろか者ものになって言ゆうが、わたしもあえて誇ほころう。

コリント第二12:2 わたしはキリストにあるひとりの人ひとを知しっている。この人ひとは十じゅう四よん年ねん前まえに第だい三さんの天てんにまで引ひき上あげられた――それが、からだのままであったか、わたしは知しらない。からだを離はなれてであったか、それも知しらない。神かみがご存ぞんじである。

コリント第二12:3 この人ひとが――それが、からだのままであったか、からだを離はなれてであったか、わたしは知しらない。神かみがご存ぞんじである――

コリント第二12:5 わたしはこういう人ひとについて誇ほころう。しかし、わたし自身じしんについては、自分じぶんの弱よわさ以外いがいには誇ほこることをすまい。

コリント第二12:6 もっとも、わたしが誇ほころうとすれば、ほんとうの事ことを言いうのだから、愚おろか者ものにはならないだろう。しかし、それはさし控ひかえよう。わたしがすぐれた啓示けいじを受うけているので、わたしについて見みたり聞きいたりしている以上いじょうに、人ひとに買かいかぶられるかも知しれないから。

コリント第二12:16 わたしは、あなたがたに重荷おもにを負おわせなかったとしても、悪わるがしこくて、あなたがたからだまし取とったのだと、人ひとは言ゆう。

コリント第二12:17 わたしは、あなたがたにつかわした人ひとたちのうちのだれかをとおして、あなたがたからむさぼり取とっただろうか。

コリント第二12:21 わたしが再ふたたびそちらに行いった場合ばあい、わたしの神かみが、あなたがたの前まえでわたしに恥はじをかかせ、その上うえ、多おおくの人ひとが前まえに罪つみを犯おかしていながら、その汚よごれと不ふ品行ひんこうと好色こうしょくとを悔くい改あらためていないので、わたしを悲かなしませることになりはすまいか。

ガラテヤ人への手紙(18か所)

ガラテヤ1:1 人々ひとびとからでもなく、人ひとによってでもなく、イエス・キリストと彼かれを死人しにんの中なかからよみがえらせた父ちちなる神かみとによって立たてられた使徒しとパウロ、

ガラテヤ1:8 しかし、たといわたしたちであろうと、天てんからの御お使つかいであろうと、わたしたちが宣のべ伝つたえた福音ふくいんに反はんすることをあなたがたに宣のべ伝つたえるなら、その人ひとはのろわるべきである。

ガラテヤ1:9 わたしたちが前まえに言いっておいたように、今いまわたしは重かさねて言ゆう。もしある人ひとが、あなたがたの受うけいれた福音ふくいんに反はんすることを宣のべ伝つたえているなら、その人ひとはのろわるべきである。

ガラテヤ1:10 今いまわたしは、人ひとに喜よろこばれようとしているのか、それとも、神かみに喜よろこばれようとしているのか。あるいは、人ひとの歓心かんしんを買かおうと努つとめているのか。もし、今いまもなお人ひとの歓心かんしんを買かおうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ぼくではあるまい。

ガラテヤ2:2 そこに上のぼったのは、啓示けいじによってである。そして、わたしが異邦いほう人にんの間あいだに宣のべ伝つたえている福音ふくいんを、人々ひとびとに示ししめし、「重じゅうだった人ひとたち」には個人こじん的てきに示ししめした。それは、わたしが現げんに走はしっており、またすでに走はしってきたことが、むだにならないためである。

ガラテヤ2:6 そして、かの「重じゅうだった人ひとたち」からは――彼かれらがどんな人ひとであったにしても、それは、わたしには全まったく問題もんだいではない。神かみは人ひとを分わけ隔へだてなさらないのだから――事実じじつ、かの「重じゅうだった人ひとたち」は、わたしに何なんも加くわえることをしなかった。

ガラテヤ2:16 人ひとの義ぎとされるのは律法りっぽうの行おこないによるのではなく、ただキリスト・イエスを信しんじる信仰しんこうによることを認みとめて、わたしたちもキリスト・イエスを信しんじたのである。それは、律法りっぽうの行おこないによるのではなく、キリストを信しんじる信仰しんこうによって義ぎとされるためである。なぜなら、律法りっぽうの行おこないによっては、だれひとり義よしとされることがないからである。

ガラテヤ3:9 このように、信仰しんこうによる者ものは、信仰しんこうの人ひとアブラハムと共ともに、祝福しゅくふくを受うけるのである。

ガラテヤ3:21 では、律法りっぽうは神かみの約束やくそくと相あいいれないものか。断だんじてそうではない。もし人ひとを生いかす力ちからのある律法りっぽうが与あたえられていたとすれば、義ぎはたしかに律法りっぽうによって実現じつげんされたであろう。

ガラテヤ3:22 しかし、約束やくそくが、信しんじる人々ひとびとにイエス・キリストに対たいする信仰しんこうによって与あたえられるために、聖書せいしょはすべての人ひとを罪つみの下したに閉とじ込こめたのである。

ガラテヤ4:21 律法りっぽうの下したにとどまっていたいと思おもう人ひとたちよ。わたしに答こたえなさい。あなたがたは律法りっぽうの言いうところを聞きかないのか。

ガラテヤ5:3 割礼かつれいを受うけようとするすべての人ひとたちに、もう一いち度ど言いっておく。そういう人ひとたちは、律法りっぽうの全部ぜんぶを行おこなう義務ぎむがある。

ガラテヤ6:1 兄弟きょうだいたちよ。もしもある人ひとが罪過ざいかに陥おちいっていることがわかったなら、霊れいの人ひとであるあなたがたは、柔和にゅうわな心こころをもって、その人ひとを正ただしなさい。それと同時どうじに、もしか自分じぶん自身じしんも誘惑ゆうわくに陥おちいることがありはしないかと、反省はんせいしなさい。

ガラテヤ6:3 もしある人ひとが、事実じじつそうでないのに、自分じぶんが何なんか偉えらい者ものであるように思おもっているとすれば、その人ひとは自分じぶんを欺あざむいているのである。

ガラテヤ6:4 ひとりびとり、自分じぶんの行おこないを検討けんとうしてみるがよい。そうすれば、自分じぶんだけには誇ほこることができても、ほかの人ひとには誇ほこれなくなるであろう。

ガラテヤ6:5 人ひとはそれぞれ、自分じぶん自身じしんの重荷おもにを負おうべきである。

ガラテヤ6:6 御言みことを教おしえてもらう人ひとは、教おしえる人ひとと、すべて良よいものを分わけ合あいなさい。

ガラテヤ6:7 まちがってはいけない、神かみは侮あなどられるようなかたではない。人ひとは自分じぶんのまいたものを、刈かり取とることになる。

エペソ人への手紙(12か所)

エペソ2:15 数々かずかずの規定きていから成なっている戒いましめの律法りっぽうを廃棄はいきしたのである。それは、彼かれにあって、二ふたつのものをひとりの新あたらしい人ひとに造つくりかえて平和へいわをきたらせ、

エペソ2:19 そこであなたがたは、もはや異国いこく人にんでも宿やどり人ひとでもなく、聖徒せいとたちと同おなじ国籍こくせきの者ものであり、神かみの家族かぞくなのである。

エペソ3:5 この奥義おうぎは、いまは、御ご霊れいによって彼かれの聖せいなる使徒しとたちと預言よげん者しゃたちとに啓示けいじされているが、前まえの時代じだいには、人ひとの子こらに対たいして、そのように知しらされてはいなかったのである。

エペソ3:16 どうか父ちちが、その栄光えいこうの富とみにしたがい、御ご霊れいにより、力ちからをもってあなたがたの内うちなる人ひとを強つよくして下くださるように、

エペソ4:11 そして彼かれは、ある人ひとを使徒しととし、ある人ひとを預言よげん者しゃとし、ある人ひとを伝道でんどう者しゃとし、ある人ひとを牧師ぼくし、教師きょうしとして、お立たてになった。

エペソ4:22 すなわち、あなたがたは、以前いぜんの生活せいかつに属ぞくする、情欲じょうよくに迷まよって滅ほろび行いく古ふるき人ひとを脱ぬぎ捨すて、

エペソ4:24 真しんの義ぎと聖せいとをそなえた神かみにかたどって造つくられた新あたらしき人ひとを着きるべきである。

エペソ4:29 悪わるい言葉ことばをいっさい、あなたがたの口くちから出だしてはいけない。必要ひつようがあれば、人ひとの徳とくを高たかめるのに役立やくだつような言葉ことばを語かたって、聞きいている者ものの益えきになるようにしなさい。

エペソ5:31 「それゆえに、人ひとは父母ふぼを離はなれてその妻つまと結むすばれ、ふたりの者ものは一体いったいとなるべきである」。

エペソ6:6 人ひとにへつらおうとして目先めさきだけの勤つとめをするのでなく、キリストの僕ぼくとして心こころから神かみの御お旨むねを行おこない、

エペソ6:7 人ひとにではなく主しゅに仕つかえるように、快こころよく仕つかえなさい。

エペソ6:9 主人しゅじんたる者ものよ。僕ぼくたちに対たいして、同様どうようにしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知しっているとおり、彼かれらとあなたがたとの主しゅは天てんにいますのであり、かつ人ひとをかたより見みることをなさらないのである。

ピリピ人への手紙(9か所)

ピリピ2:3 何事なにごとも党派とうは心しんや虚栄きょえいからするのでなく、へりくだった心こころをもって互たがいに人ひとを自分じぶんよりすぐれた者ものとしなさい。

ピリピ2:7 かえって、おのれをむなしうして僕ぼくのかたちをとり、人間にんげんの姿すがたになられた。その有様ありさまは人ひとと異ことならず、

ピリピ2:21 人ひとはみな、自分じぶんのことを求もとめるだけで、キリスト・イエスのことは求もとめていない。

ピリピ2:23 そこで、この人ひとを、わたしの成行なりゆきがわかりしだい、すぐにでも、そちらへ送おくりたいと願ねがっている。

ピリピ3:2 あの犬いぬどもを警戒けいかいしなさい。悪わるい働はたらき人にんたちを警戒けいかいしなさい。肉にくに割礼かつれいの傷きずをつけている人ひとたちを警戒けいかいしなさい。

ピリピ3:4 もとより、肉にくの頼たのみなら、わたしにも無なくはない。もし、だれかほかの人ひとが肉にくを頼たのみとしていると言ゆうなら、わたしはそれをもっと頼たのみとしている。

ピリピ3:17 兄弟きょうだいたちよ。どうか、わたしにならう者ものとなってほしい。また、あなたがたの模範もはんにされているわたしたちにならって歩あるく人ひとたちに、目めをとめなさい。

ピリピ4:5 あなたがたの寛容かんようを、みんなの人ひとに示ししめしなさい。主しゅは近ちかい。

ピリピ4:15 ピリピの人ひとたちよ。あなたがたも知しっているとおり、わたしが福音ふくいんを宣伝せんでんし始はじめたころ、マケドニヤから出でかけて行いった時とき、物もののやりとりをしてわたしの働はたらきに参加さんかした教会きょうかいは、あなたがたのほかには全まったく無なかった。

コロサイ人への手紙(9か所)

コロサイ1:28 わたしたちはこのキリストを宣のべ伝つたえ、知恵ちえをつくしてすべての人ひとを訓戒くんかいし、また、すべての人ひとを教おしえている。それは、彼かれらがキリストにあって全ぜんき者はとして立たつようになるためである。

コロサイ2:1 わたしが、あなたがたとラオデキヤにいる人ひとたちのため、また、直接ちょくせつにはまだ会あったことのない人々ひとびとのために、どんなに苦闘くとうしているか、わかってもらいたい。

コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学てつがくで、人ひとのとりこにされないように、気きをつけなさい。それはキリストに従したがわず、世よのもろもろの霊力れいりょくに従したがう人間にんげんの言伝いいつたえに基もとづくものにすぎない。

コロサイ3:9 互たがいにうそを言いってはならない。あなたがたは、古ふるき人ひとをその行おこないと一緒いっしょに脱ぬぎ捨すて、

コロサイ3:10 造つくり主ぬしのかたちに従したがって新あたらしくされ、真しんの知識ちしきに至いたる新あたらしき人ひとを着きたのである。

コロサイ3:11 そこには、もはやギリシヤ人にんとユダヤ人にん、割礼かつれいと無む割礼かつれい、未開みかいの人ひと、スクテヤ人にん、奴隷どれい、自由じゆう人にんの差別さべつはない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

コロサイ3:22 僕ぼくたる者ものよ、何事なにごとについても、肉にくによる主人しゅじんに従したがいなさい。人ひとにへつらおうとして、目先めさきだけの勤つとめをするのではなく、真心まごころをこめて主しゅを恐おそれつつ、従したがいなさい。

コロサイ3:23 何なんをするにも、人ひとに対たいしてではなく、主しゅに対たいしてするように、心こころから働はたらきなさい。

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