「認める」(みとめる)が出てくる聖書の箇所

「認める」(みとめる)は日常訳第1版の132か所(旧約48・新約84)に出てきます。「したためる」「みとめる」も含みます。口語訳では84か所。

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創世記(3か所)

創世記7:1 主しゅはノアに言いわれた。「あなたも家族かぞくもみんな、箱舟はこぶねに入はいりなさい。今いまの時代じだいの人々ひとびとの中なかで、わたしの前まえに正ただしく生いきているのはあなただと、わたしは認みとめたからだ。

創世記15:6 アブラムは主しゅを信しんじた。主しゅはそれを彼かれの義ぎと認みとめた。

創世記20:16 またサラにこう言いった。「あなたのお兄あにさんに、銀ぎんを千せん枚まい渡わたしました。これで、あなたと一緒いっしょにいるすべての人ひとの前まえで、あなたに起おきたことは償つぐなわれ、あなたが正ただしかったと認みとめられる。」

出エジプト記(1か所)

出エジプト23:7 うその訴うったえには関かかわってはいけない。罪つみのない正ただしい人ひとを殺ころしてはいけない。わたしは、悪わるい者ものを正ただしいとは認みとめないからだ。

レビ記(3か所)

レビ記7:18 もし交まじわりのささげ物ものの肉にくを三みっ日か目めに食たべたなら、そのささげ物ものは受うけ入いれられず、ささげた人ひとのために認みとめられることもない。それは汚よごれたものとなり、それを食たべた人ひとは自分じぶんの罪つみを負おう。

レビ記14:48 しかし、家いえを塗ぬり直なおした後あとで祭司さいしが来きて調しらべ、症状しょうじょうが家いえに広ひろがっていなかったら、症状しょうじょうは治おさまったのだから、祭司さいしはその家いえを清きよいと認みとめる。

レビ記26:40 しかし彼かれらが、自分じぶんの罪つみと先祖せんぞの罪つみを告白こくはくするなら――わたしに対たいして裏切うらぎりを重かさね、わたしに逆さからって歩あゆんだことを認みとめるなら、

民数記(4か所)

民数記11:16 すると主しゅはモーセに言いわれた。「イスラエルの長老ちょうろうたちの中なかから、民たみの長老ちょうろう、まとめ役やくだと、あなたが認みとめる者ものを七十ななじゅう人にん集あつめなさい。彼かれらを会見かいけんの天幕てんまくに連つれて来きて、あなたと一緒いっしょにそこに立たたたせなさい。

民数記18:27 そうすれば、あなたがたのそのささげ物ものは、脱穀だっこく場じょうから取とれた穀物こくもつや、酒さけぶねから取とれたぶどう酒しゅと同おなじように認みとめられる。

民数記18:30 また、彼かれらにこう言いいいなさい。あなたがたがその中なかからいちばん良よい部分ぶぶんを差さし出だすなら、それはレビ人びとにとって、脱穀だっこく場じょうや酒さけぶねから取とれた収穫しゅうかくと同おなじように認みとめられる。」

民数記30:14 でも、夫おっとが来くる日ひも来くる日ひも何なんも言いわずにいたなら、彼女かのじょの誓ちかいも、彼女かのじょが負おっている義務ぎむも、すべてそのまま有効ゆうこうになる。夫おっとは聞きいた日ひに何なんも言いわなかったのだから、それらを認みとめたことになるのだ。

申命記(7か所)

申命記1:13 あなたたちの部族ぶぞくから、知恵ちえがあり、思慮しりょ深ふかく、人ひとに認みとめられている人ひとたちを選えらびなさい。わたしがその人ひとたちを、あなたたちのかしらに立たてよう。」

申命記1:15 そこでわたしは、あなたたちの部族ぶぞくのかしらである、知恵ちえがあり人ひとに認みとめられている人ひとたちを選えらび、あなたたちのかしらに任命にんめいした。千せん人にん隊長たいちょう、百ひゃく人にん隊長たいちょう、五十ごじゅう人にん隊長たいちょう、十じゅう人にん隊長たいちょう、そして部族ぶぞくごとの役人やくにんにした。

申命記21:17 彼かれは疎うとまれている妻つまの子こを長男ちょうなんとして認みとめ、自分じぶんの持もち物ものすべての中なかから二に倍ばいの分ぶんをその子こに与あたえなければならない。その子こは父ちちの力ちからの初はじめであり、長男ちょうなんとしての権利けんりを持もっているからだ。

申命記25:1 人ひとと人ひとの間あいだで争あらそいが起おきて、裁判さいばんに持もち込こまれたとき、裁判さいばん官かんはその争あらそいを裁さばく。正ただしい方ほうを正ただしいと認みとめ、悪わるい方ほうを有罪ゆうざいとする。

申命記26:17 あなたは今日きょう、主しゅがあなたの神かみであることを認みとめ、主しゅの道みちを歩あゆみ、主しゅの掟おきてと命令めいれいと定さだめを守まもり、主しゅの声こえに従したがうと宣言せんげんした。

申命記32:31 彼かれらの岩いわは、わたしたちの岩いわとは違ちがう。敵てきたちでさえ、それを認みとめている。

申命記33:9 レビは自分じぶんの父ちちにも母ははにも『わたしは知しらない』と言いいい、兄弟きょうだいたちを親したしい者ものと認みとめず、自分じぶんの子こどもたちも気きにかけなかった。あなたの言葉ことばを守まもり、あなたとの契約けいやくを大切たいせつに守まもったからだ。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一8:7 すると主しゅはサムエルに言いわれた。「民たみが言いうことすべてに耳みみを貸かしなさい。彼かれらが退しりぞけたのはあなたではない。王おうとして認みとめようとしないのは、このわたしなのだ。

列王紀下(2か所)

列王紀下18:3 彼かれは、先祖せんぞダビデが行おこなったことにすべてならい、主しゅが見みて正ただしいと認みとめることを行おこなった。

列王紀下22:2 ヨシヤは主しゅが見みて正ただしいと認みとめることを行おこない、父祖ふそダビデの歩あゆんだ道みちをそのまま歩あゆみ、右みぎにも左ひだりにもそれなかった。

歴代志下(1か所)

歴代志下32:26 だがヒゼキヤは、自分じぶんの心こころの高たかぶりを認みとめてへりくだり、エルサレムの人々ひとびとも同おなじようにした。そのため、ヒゼキヤの生いきている間あいだは、主しゅの怒いかりが彼かれらに下くだることはなかった。

ネヘミヤ記(1か所)

ネヘミヤ記9:8 あなたは、彼かれの心こころがあなたの前まえで真実しんじつであることを認みとめ、彼かれと契約けいやくを結むすびました。それは、カナン人にん、ヒッタイト人にん、アモリ人にん、ペリジ人にん、エブス人にん、ギルガシ人にんの土地とちを、彼かれの子孫しそんに与あたえるという契約けいやくでした。そしてあなたは、その約束やくそくを果はたしました。あなたは正ただしい方かただからです。

エステル記(1か所)

エステル記8:11 手紙てがみには、こう書かかかれていた。王おうは、どの町まちにいるユダヤ人じんにも、こう認みとめる。集あつまって、自分じぶんたちの命いのちを守まもれ。もし、どの民族みんぞくであれどの州しゅうであれ、彼かれらを襲おそう武装ぶそうした者ものがいれば、その者ものたちを、子こどもも女おんなも含ふくめて滅ほろぼし、殺ころし、絶たやしてよい。そして、その財産ざいさんを奪うばってよい。

ヨブ記(7か所)

ヨブ記11:2 言葉ことばが多おおければ、それだけで正ただしいと認みとめられるのか。口くちの達者たっしゃな人ひとが、それで正ただしいとされるのか。

ヨブ記13:18 見みよ、わたしはすでに自分じぶんの言い分いいぶんを並ならべ終おえた。わたしは自分じぶんが正ただしいと認みとめられると分わかっている。

ヨブ記25:4 わたしたち人間にんげんが、どうして神かみの前まえで正ただしいと認みとめられるだろうか。女おんなから生うまれた者ものが、どうして清きよくいられるだろうか。

ヨブ記27:2 神かみは生いきておられる。でも、その神かみがわたしの正ただしさを認みとめず、全能ぜんのう者しゃがわたしの心こころを苦くるしめている。

ヨブ記27:5 わたしは決けっして、あなたたちを正ただしいとは認みとめない。死しぬまで、自分じぶんにやましいところはないと言い張りいいはり続つづける。

ヨブ記33:32 あなたがもし言ゆうべきことがあるなら、答こたえてほしい。話はなしてくれ。わたしはあなたを正ただしいと認みとめたいのだから。

ヨブ記34:5 ヨブはこう言いった。「わたしは正ただしい。それなのに神かみはわたしの正ただしさを認みとめてくれない」と。

詩篇(4か所)

詩篇9:4 あなたはわたしの正ただしさを認みとめ、わたしの訴うったえを聞き入れききいれてくださった。正ただしく裁さばく方かたとして、王座おうざに着つかれたのだ。

詩篇69:27 彼かれらの罪つみの上うえに、さらに罪つみを加くわえてください。あなたに正ただしいと認みとめられることが、彼かれらにありませんように。

詩篇106:31 それは彼かれの正ただしい行おこないとして認みとめられた。代々だいだい、いつまでも。

詩篇143:2 あなたのしもべを裁さばきにかけないでください。生いきている者ものは、だれ一人ひとりあなたの前まえで正ただしいと認みとめられないからです。

箴言(1か所)

箴言28:13 自分じぶんの罪つみを隠かくす人ひとは、うまくいかない。でも罪つみを認みとめて、そこから離はなれる人ひとは、あわれみを受うける。

イザヤ書(4か所)

イザヤ書48:6 あなたはそれを聞きいた。さあ、すべてをよく見みよ。あなたたちは、それを認みとめないのか。今いまからわたしは、新あたらしいことをあなたに聞きかせる。あなたの知しらない、隠かくされていたことだ。

イザヤ書50:8 わたしの正ただしさを認みとめてくださる方かたが、すぐそばにいる。だれがわたしと争あらそえるのか。さあ、いっしょに立たとう。わたしを訴うったえる者ものがいるなら、近ちかづいてくればいい。

イザヤ書61:9 彼かれらの子孫しそんは国々くにぐにの間あいだで知しられ、その末すえは多おおくの民たみの中なかで知しられるようになる。彼かれらを見みる人ひとはみな、この人ひとたちは主しゅに祝福しゅくふくされた民たみだと認みとめる。

イザヤ書63:16 あなたこそ、わたしたちの父ちちです。アブラハムがわたしたちを知しらず、イスラエルがわたしたちを認みとめなくても、主しゅよ、あなたがわたしたちの父ちちです。「わたしたちを救すくい出だす方かた」、それが昔むかしからのあなたの名なです。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書3:13 ただ、自分じぶんの罪つみを認みとめなさい。あなたは自分じぶんの神かみである主しゅに背そむき、すべての茂しげった木きの下もとで異国いこくの神々かみがみに身みを任まかせ、わたしの声こえに聞き従わききしたがわなかった、と主しゅは言いわれる。

ダニエル書(4か所)

ダニエル書5:12 この人ひとダニエルには、すぐれた霊れいと知識ちしきと洞察どうさつ力りょくがあり、夢ゆめを解とき明あかし、なぞを説とき、難むずかしい問題もんだいを解とくことができると認みとめられていました。王おうは彼かれにベルテシャツァルという名なをつけられました。今いますぐダニエルをお呼よびください。きっと、その意味いみを解とき明あかしてくれるでしょう。」

ダニエル書6:22 わたしの神かみが天使てんしを送おくって、ライオンたちの口くちをふさいでくださったのです。だからライオンはわたしを傷きずつけませんでした。神かみの前まえで、わたしに罪つみがないと認みとめられたからです。それに王おうよ、あなたに対たいしても、わたしは何なんも悪わるいことをしていません。」

ダニエル書11:21 その跡あとには、卑いやしい者ものが立たつ。人々ひとびとは彼かれに王おうとしての栄誉えいよを認みとめていなかった。しかし彼かれは不意ふいにやって来きて、甘あまい言葉ことばで王国おうこくを手てに入いれる。

ダニエル書11:39 彼かれは、その異国いこくの神かみの力ちからを借かりて、堅固けんごな要塞ようさいに攻せめかかる。彼かれを認みとめる者ものには大おおきな栄誉えいよを与あたえ、多おおくの人ひとを治おさめさせ、代償だいしょうとして土地とちを分わけ与あたえる。

ホセア書(1か所)

ホセア書5:15 わたしは自分じぶんのところへ帰かえり、そこにとどまろう。彼かれらが自分じぶんの罪つみを認みとめ、わたしを求もとめるようになるまで。彼かれらは苦くるしみの中なかで、わたしを必死ひっしに探さがし求もとめる。

ヨナ書(1か所)

ヨナ書3:10 神かみは彼かれらの行おこないを見みて、彼かれらが悪わるい道みちから立たち返かえったのを認みとめた。それで神かみは、彼かれらに下くだすと言いっていた災わざわいを思おもい直なおし、それを実行じっこうしなかった。

ミカ書(1か所)

ミカ書6:11 ごまかしのはかりや、重おもさをいつわる分銅ふんどうを袋ふくろに入いれて使つかう者ものを、わたしはどうしてきよいと認みとめられるだろうか。

マタイによる福音書(3か所)

マタイ14:5 ヘロデはヨハネを殺ころしたかったが、群衆ぐんしゅうをこわがった。人々ひとびとがヨハネを預言よげん者しゃと認みとめていたからだ。

マタイ19:3 パリサイ派はの人ひとたちがイエスのところに来きた。イエスをわなにかけようとして、こう質問しつもんした。「どんな理由りゆうであっても、夫おっとが妻つまを離縁りえんするのは律法りっぽうで認みとめられているのでしょうか」

マタイ23:31 だから、あなたたちは預言よげん者しゃを殺ころした者ものの子孫しそんだと、自分じぶんで認みとめているようなものだ。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ10:4 彼かれらは言いった。「モーセは、離婚りこん状じょうを書かいて妻つまを離婚りこんさせることを認みとめました。」

ルカによる福音書(3か所)

ルカ7:29 これを聞きいた民衆みんしゅうはみな、徴税ちょうぜい人にんたちも含ふくめて、ヨハネのバプテスマを受うけていたので、神かみは正ただしいと認みとめた。

ルカ12:8 言いっておく。人々ひとびとの前まえでわたしを認みとめる者ものはみな、人ひとの子こも、神かみの天使てんしたちの前まえでその人ひとを認みとめる。

ルカ18:14 言いっておく。神かみに正ただしいと認みとめられて家いえに帰かえったのは、この人ひとのほうで、あのファリサイ派はの人ひとではない。自分じぶんを高たかくする人ひとはみな低くひくくされ、自分じぶんを低くひくくする人ひとは高たかくされるのだ。」

ヨハネによる福音書(5か所)

ヨハネ1:20 ヨハネは包つつみ隠かくさず、はっきりと認みとめた。「わたしはキリストではない」と言い切っいいきった。

ヨハネ3:33 しかし、その証あかしを受うけ入いれた者ものは、神かみが真実しんじつであるということを、はっきりと認みとめたのだ。

ヨハネ6:27 朽くちてなくなる食たべ物もののためではなく、いつまでも残のこる食たべ物もののために働はたらきなさい。それは永遠えいえんの命いのちにつながる食たべ物もので、人ひとの子こがあなたたちに与あたえるものだ。父ちちである神かみが、人ひとの子こにそのことを認みとめる印しるしを押おされたのだから。」

ヨハネ7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、だれも何なんも言いわない。もしかすると議員ぎいんたちは、この人ひとが本当ほんとうにキリストだと認みとめたのだろうか。

ヨハネ9:22 両親りょうしんがこう答こたえたのは、ユダヤ人じんたちを恐おそれていたからだ。イエスをキリストだと認みとめる者ものがいれば、その人ひとを会堂かいどうから追おい出だす。ユダヤ人じんたちはすでにそう決きめていたのだ。

使徒行伝(4か所)

使徒13:39 モーセの律法りっぽうによっては義ぎと認みとめられなかったすべてのことについても、信しんじる者ものはみな、このイエスによって義ぎと認みとめられる。

使徒16:15 そして彼女かのじょは、家族かぞくといっしょに洗礼せんれいを受うけた。それから、こう言いってわたしたちに頼たのんだ。「わたしを主しゅを信しんじる者ものだと認みとめてくださるなら、どうかわたしの家いえに来きて泊とまってください。」こうして、わたしたちに強つよく願ねがい込こんだ。

使徒23:8 サドカイ派はは、復活ふっかつも天使てんしも霊れいもないと言いいい、ファリサイ派ははそのどれもあると認みとめているからだ。

使徒24:14 ただ、これだけは認みとめます。わたしは、彼かれらが「分派ぶんぱ」と呼よんでいるこの道みちに従したがって、先祖せんぞの神かみに仕つかえています。そして、律法りっぽうに書かかかれていることも、預言よげん者しゃたちが書き記しかきしるしたことも、すべて信しんじています。

ローマ人への手紙(28か所)

ローマ1:28 そこで、彼かれらが神かみを認みとめようとしなかったので、神かみは彼かれらを、してはならないことをする、ゆがんだ心こころのままにされた。

ローマ1:32 そういう者ものたちは、こうしたことをする人ひとには死しがふさわしいという神かみの定さだめを知しっている。それでも、自分じぶんでそれをするだけでなく、それをする人ひとたちを認みとめて応援おうえんさえするのだ。

ローマ2:13 律法りっぽうを聞きくだけの人ひとが神かみの前まえで正ただしいとされるのではない。律法りっぽうを実行じっこうする人ひとこそ、正ただしいと認みとめられるのだ。

ローマ3:4 断だんじてそうではない。むしろ、たとえすべての人ひとが偽いつわり者しゃであっても、神かみは真実しんじつな方かたであるべきだ。聖書せいしょにこう書かいてあるとおりだ。「あなたが語かたるとき、あなたは正ただしいと認みとめられ、裁さばきを受うけるとき、あなたは勝利しょうりする。」

ローマ3:20 律法りっぽうを守まもることによって神かみの前まえで正ただしいと認みとめられる人ひとは、一人ひとりもいないからだ。律法りっぽうによって明あきらかになるのは、自分じぶんが罪つみを犯おかしているという自覚じかくだけである。

ローマ3:24 そして、キリスト・イエスによる贖あがないを通とおして、神かみの恵めぐみにより、ただで義ぎと認みとめられる。

ローマ3:26 神かみはこれまで忍耐にんたいして罪つみを見逃みのがしてこられた。そして今いまこの時ときに、ご自分じぶんの義ぎを示しめされた。それは、神かみご自身じしんが正ただしくあり、同時どうじにイエスを信しんじる者ものを義ぎと認みとめる方かたであるためだ。

ローマ3:28 わたしたちは、こう考かんがえている。人ひとが神かみに正ただしいと認みとめられるのは、律法りっぽうを守まもる行おこないによるのではなく、信仰しんこうによるのだ。

ローマ3:30 神かみは唯一ゆいいつだ。その神かみが、割礼かつれいを受うけた人ひとも信仰しんこうによって、割礼かつれいを受うけていない人ひとも同おなじ信仰しんこうによって、正ただしい者ものと認みとめてくださる。

ローマ4:2 アブラハムが自分じぶんの行おこないによって義ぎと認みとめられたのなら、彼かれには誇ほこるものがある。でも、神かみの前まえでは誇ほこれない。

ローマ4:3 聖書せいしょは何なんと言いっているだろうか。「アブラハムは神かみを信しんじた。それが彼かれの義ぎと認みとめられた」とあるとおりだ。

ローマ4:5 しかし、働はたらきがなくても、神かみを信しんじる人ひとがいる。罪深つみぶかい者ものを正ただしいと認みとめてくださる神かみを信しんじる人ひとだ。その信仰しんこうこそが、義ぎと認みとめられる。

ローマ4:6 ダビデもまた、行おこないとは関係かんけいなく神かみから義ぎと認みとめられる人ひとの幸いさいわいについて、こう語かたっている。

ローマ4:9 アブラハムの信仰しんこうが義ぎと認みとめられた、とわたしたちは言ゆう。では、この幸しあわせは割礼かつれいを受うけた者ものだけのものなのか。それとも、割礼かつれいを受うけていない者ものにも及およぶのか。

ローマ4:10 では、どういう時ときにそう認みとめられたのだろうか。割礼かつれいを受うけてからだろうか、それともまだ受うけていない時ときだろうか。受うけてからではなく、まだ受うけていない時ときのことだった。

ローマ4:11 そしてアブラハムは、割礼かつれいというしるしを受うけた。それは、まだ割礼かつれいを受うけていないときに、信仰しんこうによって義ぎと認みとめられていたことを証明しょうめいする印しるしだった。こうして彼かれは、割礼かつれいを受うけていなくても信しんじるすべての人ひとの父ちちとなった。その人ひとたちも義ぎと認みとめられるためである。

ローマ4:22 だから、彼かれは義ぎと認みとめられた。

ローマ4:23 アブラハムのためだけに「彼かれは義ぎと認みとめられた」と書かかかれたのではない。

ローマ4:24 わたしたちのためでもある。わたしたちの主しゅイエスを死者ししゃの中なかからよみがえらせた方かたを信しんじるわたしたちも、義ぎと認みとめられるのだ。

ローマ5:1 わたしたちは、こうして信仰しんこうによって義ぎと認みとめられた。だから、わたしたちの主しゅイエス・キリストによって、神かみとの間あいだに平和へいわを得えている。

ローマ5:9 わたしたちは、今いま、キリストの血ちによって義ぎと認みとめられた。だから、キリストによって神かみの怒いかりから救すくわれる。これは、いっそう確たしかなことだ。

ローマ7:16 もし自分じぶんが望のぞまないことをしているなら、律法りっぽうは正ただしいと、わたし自身じしんも認みとめていることになる。

ローマ8:30 あらかじめ定さだめた人ひとたちを、神かみは召めし出だした。召めし出だした人ひとたちを、神かみは正ただしい者ものと認みとめた。そして正ただしい者ものと認みとめた人ひとたちに、神かみは栄光えいこうを与あたえた。

ローマ9:8 つまり、肉にくから生うまれた子こがそのまま神かみの子こになるわけではない。神かみが約束やくそくして生うまれた子ここそが、アブラハムの子孫しそんとして認みとめられるのだ。

ローマ10:2 わたしは、彼かれらが神かみに対たいして熱心ねっしんであることは認みとめる。でも、その熱心ねっしんは正ただしい知識ちしきに基もとづいたものではない。

ローマ12:17 だれに対たいしても、悪わるに悪わるで仕返ししかえしをしてはいけない。すべての人ひとの前まえで、良よいと認みとめられることを心こころがけなさい。

ローマ14:18 こうしてキリストに仕つかえる人ひとは、神かみに喜よろこばれ、人ひとにも認みとめられる。

ローマ16:10 キリストにあって本物ほんものだと認みとめられたアペレに、よろしく。アリストブロの家いえの人ひとたちに、よろしく。

コリント人への第一の手紙(7か所)

コリント第一4:4 やましいことは何なんも思おもい当あたらない。でも、だからといって正ただしいと認みとめられるわけではない。わたしをさばくのは主しゅだ。

コリント第一4:7 いったい、だれがあなたを他ほかの人ひとより優すぐれていると認みとめたのか。あなたが持もっているもので、もらったのではないものが何なんかあるだろうか。もらったのなら、なぜもらっていないかのように自慢じまんするのか。

コリント第一6:11 あなたがたの中なかにも、以前いぜんはそういう者ものがいた。でも、あなたがたは洗あらいきよめられ、聖せいなる者ものとされ、そして主しゅイエスの名なと、わたしたちの神かみの霊れいによって、義ぎと認みとめられたのだ。

コリント第一11:19 あなたがたの間あいだには、派閥はばつのようなものもきっと出でてくるだろう。それは、本物ほんものと認みとめられる人ひとたちが、あなたがたの中なかではっきりと分わかるようになるためだ。

コリント第一14:37 自分じぶんは預言よげん者しゃだ、あるいは霊れいの人ひとだと思おもう人ひとがいるなら、わたしがあなたがたに書かいていることは主しゅの命令めいれいだと、はっきり認みとめなさい。

コリント第一14:38 もしそれを認みとめない人ひとがいるなら、その人ひと自身じしんも認みとめられない。

コリント第一16:3 わたしがそちらに着ついたら、あなたたちが認みとめた人ひとたちに紹介しょうかい状じょうを持もたせ、あなたたちの贈おくり物ものをエルサレムに届とどけさせよう。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二10:18 自分じぶんで自分じぶんを推薦すいせんする人ひとが認みとめられるのではない。主しゅが認みとめてくださる人ひとこそ、本物ほんものなのだ。

コリント第二11:12 でも、わたしは今いましていることをこれからも続つづける。わたしたちと同おなじ土俵どひょうに立たちたいと機会きかいをねらっている者ものたちから、その機会きかいを奪うばってしまうためだ。彼かれらは自分じぶんの誇ほこるところで、わたしたちと同おなじだと認みとめられたがっているのだから。

コリント第二11:21 言いうのも恥はずかしいが、その点てんではわたしたちは弱よわかったと認みとめよう。でも、だれかが何なんかを堂々どうどうと誇ほこるなら――愚おろか者ものになったつもりで言ゆうが――わたしも堂々どうどうと誇ほころう。

ガラテヤ人への手紙(7か所)

ガラテヤ1:10 では、わたしは今いま、人ひとに認みとめられようとしているのだろうか。それとも神かみにだろうか。人ひとに気きに入はいられようとしているのだろうか。もし今いまもまだ人ひとに気きに入はいられようとしているなら、わたしはキリストに仕つかえる者ものではない。

ガラテヤ2:16 でも、人ひとが義ぎと認みとめられるのは律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、ただイエス・キリストへの信仰しんこうによるのだと、わたしたちは知しっている。だからこそ、わたしたち自身じしんもキリスト・イエスを信しんじた。律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、キリストへの信仰しんこうによって義ぎと認みとめられるためだ。律法りっぽうを行おこなうことによって義ぎと認みとめられる人ひとは、だれ一人ひとりいないのだから。

ガラテヤ2:17 では、キリストにあって義ぎと認みとめられようとした結果けっか、わたしたち自身じしんも「罪人ざいにん」だと分わかったとしたら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものだということになるのだろうか。決けっしてそんなことはない。

ガラテヤ3:6 アブラハムのことを考かんがえてみてほしい。彼かれは神かみを信しんじた。それで、その信仰しんこうが義ぎと認みとめられたのだ。

ガラテヤ3:8 聖書せいしょは、神かみが信仰しんこうによって異邦いほうの人ひとたちを義ぎと認みとめると前まえもって知しって、アブラハムにこの良よい知しらせを先さきに告つげていた。「あなたによって、すべての民族みんぞくが祝福しゅくふくされる。」

ガラテヤ3:11 律法りっぽうによって神かみの前まえで義ぎと認みとめられる人ひとはだれもいない。それははっきりしている。「義ぎとされた人ひとは信仰しんこうによって生いきる」からだ。

ガラテヤ3:24 こうして律法りっぽうは、わたしたちをキリストへと導みちびく付つき添そい役やくとなった。それは、わたしたちが信仰しんこうによって義ぎと認みとめられるためだ。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ3:9 そして、キリストの中なかにいる者ものと認みとめられたい。自分じぶん自身じしんの義ぎ、つまり律法りっぽうから来くる義ぎではなく、キリストを信しんじる信仰しんこうによって与あたえられる義ぎ、信仰しんこうにもとづいて神かみから来くる義ぎを持もつ者ものとして。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一2:4 むしろ、わたしたちは神かみに認みとめられ、福音ふくいんを任まかせてもらった者ものとして語かたっている。人ひとに気きに入はいられようとするのではなく、わたしたちの心こころを見抜みぬく神かみに喜よろこばれようとして語かたっているのだ。

テサロニケ人への第二の手紙(1か所)

テサロニケ第二1:5 それは、神かみのさばきが正ただしいことのあらわれです。あなたがたはこの神かみの御み国くにのために苦くるしんでいるのであり、その御み国くににふさわしい者ものと認みとめられるのです。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一3:16 だれもが認みとめるように、わたしたちの信仰しんこうが明あかす真理しんりは本当ほんとうに偉大いだいだ。キリストは肉体にくたいをもって現あらわれ、霊れいによって義ぎと認みとめられ、天使てんしたちに見みられ、いろいろな国くにの人々ひとびとに宣のべ伝つたえられ、世界せかい中じゅうで信しんじられ、栄光えいこうのうちに天てんに上あげられた。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二2:15 あなたは、神かみに認みとめられる者ものとなるよう努つとめなさい。恥はじることのない働はたらき手てとして、真理しんりの言葉ことばをまっすぐに扱あつかいなさい。

テトスへの手紙(1か所)

テトス3:7 こうしてわたしたちは、神かみの恵めぐみによって義ぎと認みとめられ、永遠えいえんの命いのちを望のぞみながら、それを受うけ継つぐ者ものとなったのだ。

ヘブル人への手紙(5か所)

ヘブル7:7 だれもが認みとめるとおり、より低ひくい者ものが、より高たかい者ものから祝福しゅくふくを受うける。

ヘブル11:2 昔むかしの人ひとたちは、この信仰しんこうによって神かみに認みとめられた。

ヘブル11:4 信仰しんこうによって、アベルはカインよりもすぐれたささげ物ものを神かみにささげた。その信仰しんこうによって、彼かれは正ただしい人ひとだと認みとめられた。神かみが彼かれのささげ物ものを良よしとされたからだ。アベルは死しんでしまったが、今いまもその信仰しんこうを通とおして語かたりかけている。

ヘブル11:5 信仰しんこうによって、エノクは死しを経験けいけんすることなく天てんに移うつされた。神かみが彼かれを移うつされたので、その姿すがたは見みあたらなくなった。移うつされる前まえから、彼かれは神かみに喜よろこばれていたと認みとめられていた。

ヘブル11:13 この人ひとたちはみな、信仰しんこうを持もったまま死しんでいった。約束やくそくされたものを手てに入いれることはなかったが、はるか遠とおくにそれを見みて、喜よろこんで迎むかえ、自分じぶんたちは地上ちじょうではよそ者ものであり、旅人たびびとなのだと、はっきり認みとめていた。

ヤコブの手紙(5か所)

ヤコブ1:12 試練しれんにじっと耐たえる人ひとは、幸いさいわいである。そういう人ひとはためされて本物ほんものと認みとめられ、いのちの冠かんむりを受うけ取とるからだ。それは、神かみが、ご自分じぶんを愛あいする人ひとたちに約束やくそくされたものだ。

ヤコブ2:21 わたしたちの父祖ふそアブラハムは、息子むすこイサクを祭壇さいだんにささげたとき、その行おこないによって義ぎと認みとめられたのではないか。

ヤコブ2:23 そして、「アブラハムは神かみを信しんじた。それが彼かれの義ぎと認みとめられた」という聖書せいしょのことばが実現じつげんし、彼かれは神かみの友ともと呼よばれた。

ヤコブ2:24 このように、人ひとが義ぎと認みとめられるのは行おこないによるのであって、信仰しんこうだけによるのではない。

ヤコブ2:25 同おなじように、遊女ゆうじょラハブも、使つかいの者ものたちを迎むかえ入いれ、別べつの道みちから逃にがしてやったとき、その行おこないによって義ぎと認みとめられたのではないか。

ヨハネの第一の手紙(4か所)

ヨハネ第一1:9 もし、自分じぶんの罪つみを認みとめるなら、神かみは真実しんじつで正ただしい方かただから、わたしたちの罪つみを赦ゆるし、すべての悪あくからわたしたちを清きよめてくださる。

ヨハネ第一2:23 子こを否定ひていする人ひとは、だれも父ちちを持もっていない。子こを認みとめる人ひとは、父ちちも持もっている。

ヨハネ第一4:2 神かみの霊れいはこうして見分みわけられる。イエス・キリストが人ひととなってこの世よに来こられたと認みとめる霊れいは、みな神かみから出でたものだ。

ヨハネ第一4:3 だが、イエスを認みとめない霊れいは、どれも神かみから出でたものではない。それは反はんキリストの霊れいだ。それが来くると聞きいていただろう。その霊れいは、もう今いま、世よに来きているのだ。

ヨハネの第二の手紙(1か所)

ヨハネ第二1:7 なぜなら、人ひとをだます者ものが大勢おおぜい、世よに出でてきたからです。彼かれらは、イエス・キリストが人ひととなって来こられたことを認みとめません。こういう者ものこそ、人ひとをだます者ものであり、反はんキリストです。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:8 それなのに、この者ものたちも同おなじことをしている。彼かれらは夢ゆめに酔よいしれ、自分じぶんの体からだを汚よごし、権威けんいを認みとめず、栄光えいこうある者ものたちをののしっている。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録3:2 目めを覚さましなさい。そして、死しにかけている残のこりのものを力ちからづけなさい。わたしは、あなたの行おこないが、わたしの神かみの前まえで完全かんぜんなものだとは認みとめていないからだ。

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