ガラテヤ人への手紙 2章17節(ガラテヤ2:17)

17 では、キリストにあって義ぎと認みとめられようとした結果けっか、わたしたち自身じしんも「罪人ざいにん」だと分わかったとしたら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものだということになるのだろうか。決けっしてそんなことはない。

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この節を含む箇所ケパを非難するパウロガラテヤ2:11-21

前後の聖句(2章15–19節)

15 わたしたちは生うまれながらのユダヤ人じんで、外国がいこく人にんのような「罪人ざいにん」ではない。

16 でも、人ひとが義ぎと認みとめられるのは律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、ただイエス・キリストへの信仰しんこうによるのだと、わたしたちは知しっている。だからこそ、わたしたち自身じしんもキリスト・イエスを信しんじた。律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、キリストへの信仰しんこうによって義ぎと認みとめられるためだ。律法りっぽうを行おこなうことによって義ぎと認みとめられる人ひとは、だれ一人ひとりいないのだから。

17 では、キリストにあって義ぎと認みとめられようとした結果けっか、わたしたち自身じしんも「罪人ざいにん」だと分わかったとしたら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものだということになるのだろうか。決けっしてそんなことはない。

18 もしわたしが、いったん壊こわしたものをもう一いち度ど建たて直なおすなら、自分じぶんこそ律法りっぽうを破やぶる者ものだと証明しょうめいすることになる。

19 というのは、わたしは律法りっぽうによって律法りっぽうに対たいして死しんだからだ。それは、神かみに対たいして生いきるためだった。わたしはキリストとともに十字じゅうじ架かにつけられた。

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