ガラテヤ人への手紙 2章18節(ガラテヤ2:18)

18 もしわたしが、いったん壊こわしたものをもう一いち度ど建たて直なおすなら、自分じぶんこそ律法りっぽうを破やぶる者ものだと証明しょうめいすることになる。

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この節を含む箇所ケパを非難するパウロガラテヤ2:11-21

前後の聖句(2章16–20節)

16 でも、人ひとが義ぎと認みとめられるのは律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、ただイエス・キリストへの信仰しんこうによるのだと、わたしたちは知しっている。だからこそ、わたしたち自身じしんもキリスト・イエスを信しんじた。律法りっぽうを行おこなうことによってではなく、キリストへの信仰しんこうによって義ぎと認みとめられるためだ。律法りっぽうを行おこなうことによって義ぎと認みとめられる人ひとは、だれ一人ひとりいないのだから。

17 では、キリストにあって義ぎと認みとめられようとした結果けっか、わたしたち自身じしんも「罪人ざいにん」だと分わかったとしたら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものだということになるのだろうか。決けっしてそんなことはない。

18 もしわたしが、いったん壊こわしたものをもう一いち度ど建たて直なおすなら、自分じぶんこそ律法りっぽうを破やぶる者ものだと証明しょうめいすることになる。

19 というのは、わたしは律法りっぽうによって律法りっぽうに対たいして死しんだからだ。それは、神かみに対たいして生いきるためだった。わたしはキリストとともに十字じゅうじ架かにつけられた。

20 生いきているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内うちに生いきておられるのだ。今いまわたしが肉にくにおいて生いきているこの命いのちは、わたしを愛あいし、わたしのために自分じぶんを差さし出だしてくださった神かみの子こを信しんじる信仰しんこうによって生いきているのだ。

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