「認める」(みとめる)が出てくる聖書の箇所

「認める」(みとめる)は口語訳の84か所(旧約31・新約53)に出てきます。「したためる」「みとめる」も含みます。日常訳第1版では132か所。

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創世記(3か所)

創世記7:1 主しゅはノアに言いわれた、「あなたと家族かぞくとはみな箱舟はこぶねにはいりなさい。あなたがこの時代じだいの人々ひとびとの中なかで、わたしの前まえに正ただしい人ひとであるとわたしは認みとめたからである。

創世記15:6 アブラムは主しゅを信しんじた。主しゅはこれを彼かれの義ぎと認みとめられた。

創世記20:16 またサラに言いった、「わたしはあなたの兄あにに銀ぎん千せんシケルを与あたえました。これはあなたの身みに起おこったすべての事ことについて、あなたに償つぐないをするものです。こうしてすべての人ひとにあなたは正ただしいと認みとめられます」。

出エジプト記(1か所)

出エジプト4:8 主しゅは言いわれた、「彼かれらがもしあなたを信しんぜず、また初はじめのしるしを認みとめないならば、後あとのしるしは信しんじるであろう。

民数記(3か所)

民数記30:12 しかし、もし夫おっとがそれを聞きいた日ひにそれを認みとめないならば、彼女かのじょの誓願せいがん、または身みの物もの断たちについて、彼女かのじょが口くちで言いった事ことは、すべてやめることができる。夫おっとがそれを認みとめなかったのだから、主しゅはその女おんなをゆるされるであろう。

民数記30:14 もし夫おっとが彼女かのじょに何なんも言いわずに日ひを送おくるならば、彼かれは妻つまがした誓願せいがん、または物もの断たちをすべて認みとめたのである。彼かれはそれを聞きいた日ひに妻つまに何なんも言いわなかったのだから、それを認みとめたのである。

民数記30:15 しかし、もし夫おっとがそれを聞ききき、あとになって、それを認みとめないならば、彼かれは妻つまの罪つみを負おわなければならない」。

申命記(3か所)

申命記21:17 必かならずその気きにいらない者ものの産うんだ子こが長子ちょうしであることを認みとめ、自分じぶんの財産ざいさんを分わける時ときには、これに二に倍ばいの分わけ前まえを与あたえなければならない。これは自分じぶんの力ちからの初はじめであって、長子ちょうしの特権とっけんを持もっているからである。

申命記32:31 彼かれらの岩いわはわれらの岩いわに及およばない。われらの敵てきもこれを認みとめている。

申命記33:9 彼かれはその父ちち、その母ははについて言いった、『わたしは彼かれらを顧かえりみない』。彼かれは自分じぶんの兄弟きょうだいをも認みとめず、自分じぶんの子供こどもをも顧かえりみなかった。彼かれらはあなたの言葉ことばにしたがい、あなたの契約けいやくを守まもったからである。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一8:7 主しゅはサムエルに言いわれた、「民みんが、すべてあなたに言いう所ところの声こえに聞き従いききしたがいなさい。彼かれらが捨すてるのはあなたではなく、わたしを捨すてて、彼かれらの上うえにわたしが王おうであることを認みとめないのである。

列王紀上(1か所)

列王紀上18:7 オバデヤが道みちを進すすんでいた時とき、エリヤが彼かれに会あった。彼かれはエリヤを認みとめて伏ふして言いった、「わが主しゅエリヤよ、あなたはここにおられるのですか」。

列王紀下(1か所)

列王紀下10:1 アハブはサマリヤに七十ななじゅう人にんの子供こどもがあった。エヒウは手紙てがみをしたためてサマリヤに送おくり、町まちのつかさたちと、長老ちょうろうたちと、アハブの子供こどもの守役もりやくたちとに伝つたえて言いった、

エズラ記(1か所)

エズラ記4:8 長官ちょうかんレホムと書記しょき官かんシムシャイはアルタシャスタ王おうにエルサレムを訴うったえて次つぎのような手紙てがみをしたためた。

ヨブ記(5か所)

ヨブ記2:12 彼かれらは目めをあげて遠方えんぽうから見みたが、彼かれのヨブであることを認みとめがたいほどであったので、声こえをあげて泣なき、めいめい自分じぶんの上着うわぎを裂さき、天てんに向むかって、ちりをうちあげ、自分じぶんたちの頭あたまの上うえにまき散ちらした。

ヨブ記7:10 彼かれは再ふたたびその家いえに帰かえらず、彼かれの所ところも、もはや彼かれを認みとめない。

ヨブ記9:11 見みよ、彼かれがわたしのかたわらを通とおられても、わたしは彼かれを見みない。彼かれは進すすみ行いかれるが、わたしは彼かれを認みとめない。

ヨブ記23:8 見みよ、わたしが進すすんでも、彼かれを見みない。退しりぞいても、彼かれを認みとめることができない。

ヨブ記27:5 わたしは断だんじて、あなたがたを正ただしいとは認みとめない。わたしは死しぬまで、潔白けっぱくを主張しゅちょうしてやめない。

詩篇(2か所)

詩篇73:10 それゆえ民みんは心こころを変かえて彼かれらをほめたたえ、彼かれらのうちにあやまちを認みとめない。

詩篇132:6 見みよ、われらはエフラタでそれを聞ききき、ヤアルの野のでそれを見みとめた。

箴言(2か所)

箴言3:6 すべての道みちで主しゅを認みとめよ、そうすれば、主しゅはあなたの道みちをまっすぐにされる。

箴言21:12 正ただしい神かみは、悪あしき者ものの家いえをみとめて、悪あしき者ものを滅ほろびに投なげいれられる。 正ただしい神かみは、悪あしき者ものの家いえをみとめて、悪あしき者ものを滅ほろびに投なげいれられる。

イザヤ書(3か所)

イザヤ書42:20 彼かれは多おおくの事ことを見みても認みとめず、耳みみを開ひらいても聞きかない。

イザヤ書61:9 彼かれらの子孫しそんは、もろもろの国くにの中なかで知しられ、彼かれらの子こらは、もろもろの民たみの中なかに知しられる。すべてこれを見みる者ものはこれが主しゅの祝福しゅくふくされた民たみであることを認みとめる。

イザヤ書63:16 たといアブラハムがわれわれを知しらず、イスラエルがわれわれを認みとめなくても、あなたはわれわれの父ちちです。主しゅよ、あなたはわれわれの父ちち、いにしえからあなたの名なはわれわれのあながい主ぬしです。

エレミヤ書(2か所)

エレミヤ書3:13 ただあなたは自分じぶんの罪つみを認みとめ、あなたの神かみ、主しゅにそむいてすべての青木あおきの下もとで異ことなる神々かみがみにあなたの愛あいを惜おしまず与あたえたこと、わたしの声こえに聞き従わききしたがわなかったことを言いいあらわせと、主しゅは言いわれる。

エレミヤ書14:20 主しゅよ、われわれは自分じぶんの悪あくと、先祖せんぞのとがとを認みとめています。われわれはあなたに罪つみを犯おかしました。

ダニエル書(2か所)

ダニエル書6:22 わたしの神かみはその使つかいをおくって、ししの口くちを閉とざされたので、ししはわたしを害がいしませんでした。これはわたしに罪つみのないことが、神かみの前まえに認みとめられたからです。王おうよ、わたしはあなたの前まえにも、何なんも悪わるい事ことをしなかったのです」。

ダニエル書11:39 異邦いほうの神かみの助たすけによって、最ももっとも強固きょうこな城しろにむかって、事ことをなすでしょう。そして彼かれを認みとめる者ものには、栄誉えいよを増まし与あたえ、これに多おおくの人ひとを治おさめさせ、賞与しょうよとして土地とちを分わけ与あたえるでしょう。

ホセア書(1か所)

ホセア書5:15 わたしは彼かれらがその罪つみを認みとめて、わが顔かおをたずね求もとめるまで、わたしの所ところに帰かえっていよう。彼かれらは悩なやみによって、わたしを尋たずね求もとめて言ゆう、

マタイによる福音書(4か所)

マタイ7:3 なぜ、兄弟きょうだいの目めにあるちりを見みながら、自分じぶんの目めにある梁はりを認みとめないのか。

マタイ13:14 こうしてイザヤの言いった預言よげんが、彼かれらの上うえに成就じょうじゅしたのである。『あなたがたは聞きくには聞きくが、決けっして悟さとらない。見みるには見みるが、決けっして認みとめない。

マタイ14:5 そこでヘロデはヨハネを殺ころそうと思おもったが、群衆ぐんしゅうを恐おそれた。彼かれらがヨハネを預言よげん者しゃと認みとめていたからである。

マタイ17:12 しかし、あなたがたに言いっておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々ひとびとは彼かれを認みとめず、自分じぶんかってに彼かれをあしらった。人ひとの子こもまた、そのように彼かれらから苦くるしみを受うけることになろう」。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ4:12 それは『彼かれらは見みるには見みるが、認みとめず、聞きくには聞きくが、悟さとらず、悔くい改あらためてゆるされることがない』ためである」。

マルコ12:28 ひとりの律法りっぽう学がく者しゃがきて、彼かれらが互たがいに論ろんじ合あっているのを聞ききき、またイエスが巧たくみに答こたえられたのを認みとめて、イエスに質問しつもんした、「すべてのいましめの中なかで、どれが第だい一いちのものですか」。

ルカによる福音書(8か所)

ルカ6:41 なぜ、兄弟きょうだいの目めにあるちりを見みながら、自分じぶんの目めにある梁はりを認みとめないのか。

ルカ7:29 (これを聞きいた民衆みんしゅうは皆みな、また取とり税ぜい人にんたちも、ヨハネのバプテスマを受うけて神かみの正ただしいことを認みとめた。

ルカ15:20 そこで立たって、父ちちのところへ出でかけた。まだ遠とおく離はなれていたのに、父ちちは彼かれをみとめ、哀あわれに思おもって走はしり寄より、その首くびをだいて接吻せっぷんした。

ルカ23:4 そこでピラトは祭司さいし長ちょうたちと群衆ぐんしゅうとにむかって言いった、「わたしはこの人ひとになんの罪つみもみとめない」。

ルカ23:14 「おまえたちは、この人ひとを民衆みんしゅうを惑まどわすものとしてわたしのところに連つれてきたので、おまえたちの面前めんぜんでしらべたが、訴うったえ出でているような罪つみは、この人ひとに少すこしもみとめられなかった。

ルカ23:15 ヘロデもまたみとめなかった。現げんに彼かれはイエスをわれわれに送おくりかえしてきた。この人ひとはなんら死しに当あたるようなことはしていないのである。

ルカ23:22 ピラトは三さん度ど目めに彼かれらにむかって言いった、「では、この人ひとは、いったい、どんな悪事あくじをしたのか。彼かれには死しに当あたる罪つみは全まったくみとめられなかった。だから、むち打うってから彼かれをゆるしてやることにしよう」。

ルカ24:16 しかし、彼かれらの目めがさえぎられて、イエスを認みとめることができなかった。

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ3:33 しかし、そのあかしを受うけいれる者ものは、神かみがまことであることを、たしかに認みとめたのである。

ヨハネ13:35 互たがいに愛あいし合あうならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子でしであることを、すべての者ものが認みとめるであろう」。

使徒行伝(6か所)

使徒2:30 彼かれは預言よげん者しゃであって、『その子孫しそんのひとりを王位おういにつかせよう』と、神かみが堅かたく彼かれに誓ちかわれたことを認みとめていたので、

使徒4:13 人々ひとびとはペテロとヨハネとの大胆だいたんな話はなしぶりを見み、また同時どうじに、ふたりが無学むがくな、ただの人ひとたちであることを知しって、不思議ふしぎに思おもった。そして彼かれらがイエスと共ともにいた者ものであることを認みとめ、

使徒13:27 エルサレムに住すむ人々ひとびとやその指導しどう者しゃたちは、イエスを認みとめずに刑けいに処ししょし、それによって、安息あんそく日にちごとに読よむ預言よげん者しゃの言葉ことばが成就じょうじゅした。

使徒14:9 この人ひとがパウロの語かたるのを聞きいていたが、パウロは彼かれをじっと見みて、いやされるほどの信仰しんこうが彼かれにあるのを認みとめ、

使徒24:14 ただ、わたしはこの事ことは認みとめます。わたしは、彼かれらが異端いたんだとしている道みちにしたがって、わたしたちの先祖せんぞの神かみに仕つかえ、律法りっぽうの教おしえるところ、また預言よげん者しゃの書しょに書かいてあることを、ことごとく信しんじ、

使徒28:26 『この民たみに行いって言いえ、あなたがたは聞きくには聞きくが、決けっして悟さとらない。見みるには見みるが、決けっして認みとめない。

ローマ人への手紙(15か所)

ローマ1:20 神かみの見みえない性質せいしつ、すなわち、神かみの永遠えいえんの力ちからと神性しんせいとは、天地てんち創造そうぞうこのかた、被ひ造物ぞうぶつにおいて知しられていて、明あきらかに認みとめられるからである。したがって、彼かれらには弁解べんかいの余地よちがない。

ローマ1:28 そして、彼かれらは神かみを認みとめることを正ただしいとしなかったので、神かみは彼かれらを正まさしからぬ思おもいにわたし、なすべからざる事ことをなすに任まかせられた。

ローマ4:3 なぜなら、聖書せいしょはなんと言いっているか、「アブラハムは神かみを信しんじた。それによって、彼かれは義ぎと認みとめられた」とある。

ローマ4:4 いったい、働はたらく人ひとに対たいする報酬ほうしゅうは、恩恵おんけいとしてではなく、当然とうぜんの支払しはらいとして認みとめられる。

ローマ4:5 しかし、働はたらきはなくても、不ふ信心しんじんな者ものを義ぎとするかたを信しんじる人ひとは、その信仰しんこうが義ぎと認みとめられるのである。

ローマ4:6 ダビデもまた、行おこないがなくても神かみに義ぎと認みとめられた人ひとの幸福こうふくについて、次つぎのように言いっている、

ローマ4:8 罪つみを主しゅに認みとめられない人ひとは、さいわいである」。

ローマ4:9 さて、この幸福こうふくは、割礼かつれいの者ものだけが受うけるのか。それとも、無む割礼かつれいの者ものにも及およぶのか。わたしたちは言いう、「アブラハムには、その信仰しんこうが義ぎと認みとめられた」のである。

ローマ4:10 それでは、どういう場合ばあいにそう認みとめられたのか。割礼かつれいを受うけてからか、それとも受うける前まえか。割礼かつれいを受うけてからではなく、無む割礼かつれいの時ときであった。

ローマ4:19 すなわち、およそ百ひゃく歳さいとなって、彼かれ自身じしんのからだが死しんだ状態じょうたいであり、また、サラの胎はらが不妊ふにんであるのを認みとめながらも、なお彼かれの信仰しんこうは弱よわらなかった。

ローマ4:22 だから、彼かれは義ぎと認みとめられたのである。

ローマ4:23 しかし「義ぎと認みとめられた」と書かいてあるのは、アブラハムのためだけではなく、

ローマ4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主しゅイエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたを信しんじるわたしたちも、義ぎと認みとめられるのである。

ローマ5:13 というのは、律法りっぽう以前いぜんにも罪つみは世よにあったが、律法りっぽうがなければ、罪つみは罪つみとして認みとめられないのである。

ローマ9:8 すなわち、肉にくの子こがそのまま神かみの子こなのではなく、むしろ約束やくそくの子こが子孫しそんとして認みとめられるのである。

コリント人への第一の手紙(2か所)

コリント第一1:21 この世よは、自分じぶんの知恵ちえによって神かみを認みとめるに至いたらなかった。それは、神かみの知恵ちえにかなっている。そこで神かみは、宣教せんきょうの愚おろかさによって、信しんじる者ものを救すくうこととされたのである。

コリント第一14:37 もしある人ひとが、自分じぶんは預言よげん者しゃか霊れいの人ひとであると思おもっているなら、わたしがあなたがたに書かいていることは、主しゅの命令めいれいだと認みとめるべきである。

コリント人への第二の手紙(2か所)

コリント第二6:9 人ひとに知しられていないようであるが、認みとめられ、死しにかかっているようであるが、見みよ、生いきており、懲こらしめられているようであるが、殺ころされず、

コリント第二8:22 また、もうひとりの兄弟きょうだいを彼かれらと一緒いっしょに送おくる。わたしたちは、多おおくの事ことについて彼かれが熱心ねっしんであったことを、たびたび認みとめた。彼かれは今いま、あなたがたを非常ひじょうに信頼しんらいして、ますます熱心ねっしんになっている。

ガラテヤ人への手紙(3か所)

ガラテヤ2:7 それどころか、彼かれらは、ペテロが割礼かつれいの者ものへの福音ふくいんをゆだねられているように、わたしには無む割礼かつれいの者ものへの福音ふくいんがゆだねられていることを認みとめ、

ガラテヤ2:16 人ひとの義ぎとされるのは律法りっぽうの行おこないによるのではなく、ただキリスト・イエスを信しんじる信仰しんこうによることを認みとめて、わたしたちもキリスト・イエスを信しんじたのである。それは、律法りっぽうの行おこないによるのではなく、キリストを信しんじる信仰しんこうによって義ぎとされるためである。なぜなら、律法りっぽうの行おこないによっては、だれひとり義よしとされることがないからである。

ガラテヤ3:6 このように、アブラハムは「神かみを信しんじた。それによって、彼かれは義ぎと認みとめられた」のである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ1:17 どうか、わたしたちの主しゅイエス・キリストの神かみ、栄光えいこうの父ちちが、知恵ちえと啓示けいじとの霊れいをあなたがたに賜たまわって神かみを認みとめさせ、

テサロニケ人への第二の手紙(1か所)

テサロニケ第二1:8 その時とき、主しゅは神かみを認みとめない者ものたちや、わたしたちの主しゅイエスの福音ふくいんに聞き従わききしたがわない者ものたちに報復ほうふくし、

テモテへの第一の手紙(2か所)

テモテ第一4:3 これらの偽いつわり者しゃどもは、結婚けっこんを禁きんじたり、食物しょくもつを断たつことを命めいじたりする。しかし食物しょくもつは、信仰しんこうがあり真理しんりを認みとめる者ものが、感謝かんしゃして受うけるようにと、神かみの造つくられたものである。

テモテ第一5:10 また子女しじょをよく養育よういくし、旅人たびびとをもてなし、聖徒せいとの足あしを洗あらい、困こまっている人ひとを助たすけ、種々しゅじゅの善行ぜんこうに努つとめるなど、そのよいわざでひろく認みとめられている者ものでなければならない。

ヘブル人への手紙(2か所)

ヘブル3:10 しかも、四十よんじゅう年ねんの間あいだわたしのわざを見みたのである。だから、わたしはその時代じだいの人々ひとびとに対たいして、いきどおって言いった、彼かれらの心こころは、いつも迷まよっており、彼かれらは、わたしの道みちを認みとめなかった。

ヘブル11:4 信仰しんこうによって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神かみにささげ、信仰しんこうによって義ぎなる者ものと認みとめられた。神かみが、彼かれの供そなえ物ものをよしとされたからである。彼かれは死しんだが、信仰しんこうによって今いまもなお語かたっている。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ2:23 こうして、「アブラハムは神かみを信しんじた。それによって、彼かれは義ぎと認みとめられた」という聖書せいしょの言葉ことばが成就じょうじゅし、そして、彼かれは「神かみの友とも」と唱となえられたのである。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一3:7 夫おっとたる者ものよ。あなたがたも同おなじように、女おんなは自分じぶんよりも弱よわい器うつわであることを認みとめて、知識ちしきに従したがって妻つまと共ともに住すみ、いのちの恵めぐみを共ともどもに受うけ継つぐ者ものとして、尊とうとびなさい。それは、あなたがたの祈いのりが妨さまたげられないためである。

ペテロの第二の手紙(1か所)

ペテロ第二3:5 すなわち、彼かれらはこのことを認みとめようとはしない。古ふるい昔むかしに天てんが存在そんざいし、地ちは神かみの言げんによって、水みずがもとになり、また、水みずによって成なったのであるが、

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