「姿」(すがた)が出てくる聖書の箇所

「姿」(すがた)は日常訳第1版の166か所(旧約105・新約61)に出てきます。口語訳では48か所。

口語訳で読む · 語句検索で探す

創世記(6か所)

創世記5:3 アダムは百ひゃく三十さんじゅう歳さいになったとき、自分じぶんに似にた、自分じぶんと同おなじ姿すがたの男おとこの子こをもうけ、その子こをセツと名なづけた。

創世記16:13 そこでハガルは、自分じぶんに語かたりかけた主しゅのことを、こう呼よんだ。「あなたは、わたしを見みていてくださる神かみです。」ハガルはこう言いった。「わたしは、わたしを見みていてくださる方かたの姿すがたを、ここで見みたのだ。」

創世記18:1 主しゅはマムレの木立こだちのそばで、アブラハムの前まえに姿すがたを現あらわした。日ひざかりのころ、アブラハムはテントの入いり口ぐちにすわっていた。

創世記29:17 レアは目めがやさしく、ラケルは姿すがたも顔立かおだちも美うつくしかった。

創世記44:28 兄弟きょうだいのひとりは出でかけたきり、わたしのところに戻もどらなかった。きっと獣けものに引ひき裂さかれてしまったのだと思おもった。今いまもまだ、その子この姿すがたを見みていない。

創世記44:34 この子こを連つれずに、どうしてわたしは父ちちのもとへ帰かえれるだろう。父ちちが打うちのめされる姿すがたを、わたしは見みたくない。

出エジプト記(3か所)

出エジプト20:4 自分じぶんのために偶像ぐうぞうを造つくってはならない。上うえの天てんにあるもの、下したの地ちにあるもの、地ちの下したの水みずの中なかにあるもの、その姿すがたに似にせたものは、どんなものも造つくってはならない。

出エジプト34:3 だれもあなたと一緒いっしょに登のぼってはならない。山やまのどこにも人ひとの姿すがたがあってはならない。羊ひつじや牛うしも、その山やまのふもとで草くさを食たべてはならない。」

出エジプト36:8 仕事しごとをする者ものたちの中なかで、心こころに知恵ちえのある職人しょくにんたちはみな、幕屋まくやを作つくった。撚より糸いとで織おった亜あ麻布あざぶと、青あお、紫むらさき、緋色ひいろの糸いとを使つかい、ケルビムの姿すがたを織おり込こんで、十じゅう枚まいの幕まくを作つくった。

レビ記(1か所)

レビ記9:4 さらに雄牛おうしと雄羊おひつじを、和解わかいの供そなえ物ものとして主しゅの前まえにささげなさい。そして油あぶらを混まぜた穀物こくもつの供そなえ物ものも。今日きょう、主しゅがあなたたちに姿すがたを現あらわされるからだ。』」

民数記(1か所)

民数記12:8 わたしは彼かれとは口くちと口くちで、はっきりと語かたる。なぞめいた言いいい方かたはしない。彼かれは主しゅであるわたしの姿すがたを見みるのだ。それなのに、なぜあなたたちは、わたしのしもべモーセを悪わるく言いうのを恐おそれなかったのか。」

申命記(6か所)

申命記4:12 主しゅは火ひの中なかからあなたたちに語かたりかけられた。あなたたちは語かたる声こえを聞きいたが、姿すがたは何なんも見みえなかった。ただ声こえだけがあった。

申命記4:15 だから、自分じぶんの魂たましいをよくよく守まもりなさい。主しゅがホレブで火ひの中なかからあなたたちに語かたりかけられた日ひ、あなたたちはどんな姿すがたも見みなかったのだから。

申命記4:16 堕落だらくして、自分じぶんのために偶像ぐうぞうを造つくることのないようにするためだ。どんな形かたちの像ぞうであれ、男おとこや女おんなの姿すがたであれ、

申命記4:17 地上ちじょうのどんな獣けものの姿すがたであれ、空そらを飛とぶどんな翼つばさのある鳥とりの姿すがたであれ、

申命記4:18 地ちを這はうどんなものの姿すがたであれ、地ちの下したの水みずにいるどんな魚さかなの姿すがたであれ、それをまねて造つくってはならない。

申命記28:32 あなたの息子むすこや娘むすめは、別べつの民族みんぞくに引ひき渡わたされる。あなたは一いち日にち中じゅう、その姿すがたを目めで追おい、会あいたくてたまらなくなる。でも、あなたには何なんもできない。

士師記(2か所)

士師記8:18 それからギデオンはゼバとツァルムナに言いった。「あなたたちがタボルで殺ころしたのは、どんな男おとこたちだったのか。」二人ふたりは答こたえた。「あなたにそっくりだった。みな、王おうの子このような姿すがたをしていた。」

士師記13:6 女おんなは家いえに戻もどり、夫おっとにこう伝つたえた。「神かみの人ひとがわたしのところに来きました。その姿すがたは神かみの使つかいのようで、とても恐おそろしいほどでした。わたしは、その人ひとがどこから来きたのか聞きききませんでしたし、その人ひとも自分じぶんの名前なまえを教おしえてくれませんでした。

サムエル記上(7か所)

サムエル第一2:27 一人ひとりの神かみの人ひとがエリのところに来きて、こう言いった。「主しゅはこう言いわれる。『あなたの先祖せんぞの家いえがエジプトでファラオの家いえにいたとき、わたしは彼かれらにはっきりと姿すがたを現あらわしたではないか。

サムエル第一3:21 その後あとも主しゅはシロで姿すがたを現あらわし続つづけた。主しゅがシロで、御み言葉ことばによってサムエルにご自分じぶんを示しめされたからだ。

サムエル第一14:8 ヨナタンは言いった。「よし、あの者ものたちのところへ渡わたって行いって、こちらの姿すがたを見みせよう。

サムエル第一14:11 二人ふたりがペリシテ人びとの陣地じんちに姿すがたを現あらわすと、ペリシテ人びとは言いった。「見みろ、ヘブライ人じんが、隠かくれていた穴あなから出でて来きたぞ。」

サムエル第一16:12 エッサイは人ひとをやって、その子こを連つれて来きさせた。その子こは血色けっしょくがよく、目めが美うつくしく、姿すがたの良よい少年しょうねんだった。主しゅは言いった。「立たって、この子こに油あぶらを注そそぎなさい。この子こがその人ひとだ。」

サムエル第一16:18 すると、若者わかものの一人ひとりが答こたえた。「ベツレヘムのエッサイに、竪琴たてごとの上手じょうずな息子むすこがいます。その人ひとは勇敢ゆうかんな戦士せんしで、話はなしも的確てきかくです。姿すがたもよく、しかも主しゅが共ともにおられます。」

サムエル第一28:14 サウルが「どんな姿すがただ」と尋たずねると、女おんなは答こたえた。「年ねんをとった人ひとが上あがってきます。上着うわぎをまとっています。」サウルはそれがサムエルだと分わかり、顔かおを地ちにつけて深ふかくひれ伏ふした。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二17:17 ヨナタンとアヒマアツはエン・ロゲルで待まっていた。町まちに入はいる姿すがたを見みられるわけにはいかなかったからだ。そこで一人ひとりの女中じょちゅうが出でて行いって知しらせを伝つたえ、二人ふたりはそれを持もってダビデ王おうのもとへ向むかうことになっていた。

列王紀上(4か所)

列王紀上11:9 主しゅはソロモンに怒おこった。ソロモンの心こころが、イスラエルの神かみである主しゅから離はなれてしまったからだ。主しゅは二に度ども彼かれの前まえに姿すがたを現あらわしていた。

列王紀上18:1 それから長ながい月日つきひがたった。三さん年ねん目めに、主しゅの言葉ことばがエリヤに臨のぞんで言いった。「行いって、アハブの前まえに姿すがたを見みせなさい。わたしは地ちに雨あめを降ふらせる。」

列王紀上18:2 そこでエリヤは、アハブに姿すがたを見みせるために出でかけて行いった。そのころ、サマリアではききんがひどくなっていた。

列王紀上18:15 エリヤは言いった。「わたしが仕つかえている万まん軍ぐんの主しゅは生いきておられる。その主しゅに誓ちかう。わたしは今日きょう、必かならずアハブの前まえに姿すがたを現あらわす。」

列王紀下(2か所)

列王紀下2:12 エリシャはそれを見みて叫さけんだ。「わたしの父ちちよ、わたしの父ちちよ。イスラエルの戦車せんしゃよ、その騎兵きへいよ。」そして、もうエリヤの姿すがたは見みえなくなった。エリシャは自分じぶんの服ふくをつかんで、二ふたつに引ひき裂さいた。

列王紀下4:25 こうして彼女かのじょは出発しゅっぱつし、カルメル山やまの神かみの人ひとのところへ着ついた。神かみの人ひとは遠とおくに彼女かのじょの姿すがたを見みつけると、召使めしつかいのゲハジに言いった。「見みろ、あのシュネムの女おんなだ。

歴代志下(2か所)

歴代志下18:29 イスラエルの王おうはヨシャファトに言いった。「わたしは姿すがたを変かえて戦たたかいに出でる。でも、あなたは自分じぶんの王おう服ふくを着きていてください。」そう言いって、イスラエルの王おうは姿すがたを変かえ、二人ふたりは戦たたかいに出でた。

歴代志下30:7 あなたがたの先祖せんぞや兄弟きょうだいたちのようになってはいけない。彼かれらは先祖せんぞの神かみである主しゅに背そむいた。だから主しゅは彼かれらを、あなたがたも今いま見みているとおりの荒あれ果はてた姿すがたにされたのだ。

エステル記(1か所)

エステル記2:7 モルデカイは、おじの娘むすめハダサ、つまりエステルを育そだてていた。彼女かのじょには父ちちも母ははもいなかったからだ。この娘むすめは姿すがたも顔立かおだちもとても美うつくしかった。エステルの父ちちと母ははが亡なくなったとき、モルデカイは彼女かのじょを自分じぶんの娘むすめとして引ひき取とったのだった。

ヨブ記(6か所)

ヨブ記4:16 そのものは立たち止どまったが、姿すがたをはっきり見分みわけることはできなかった。ただ、一ひとつの形かたちがわたしの目めの前まえにあった。あたりは静しずまりかえり、わたしは一ひとつの声こえを聞きいた。

ヨブ記16:8 あなたはわたしをやせ細ほそらせた。それがわたしを責せめる証拠しょうこになっている。やつれ果はてたこの姿すがたが立たち上あがり、面めんと向むかってわたしを訴うったえるのだ。

ヨブ記23:8 見みよ、前まえに進すすんでも、神かみはそこにいない。後うしろに下さがっても、その姿すがたを見みつけられない。

ヨブ記30:28 わたしは日ひの光ひかりもないのに、黒くろずんだ姿すがたで歩あるき回まわった。集あつまりの中なかに立たち上あがって、助たすけを求もとめて叫さけぶ。

ヨブ記38:14 地ちは粘土ねんどに印章いんしょうが押おされて形かたちが浮うかび上あがるように姿すがたを変かえ、すべてが衣ころものようにくっきりと現あらわれる。

ヨブ記41:9 見みよ、それを捕とらえようという望のぞみは裏切らうらぎられる。その姿すがたを見みただけで、人ひとは打うちのめされる。

詩篇(8か所)

詩篇17:15 わたしは正ただしさのうちに、あなたの顔かおを見みる。目めが覚さめるとき、あなたの姿すがたを見みて、満みち足たりる。

詩篇21:9 主しゅよ、あなたが姿すがたを現あらわすとき、あなたは彼かれらを燃もえさかる炉ろのようにする。主しゅは怒いかりに燃もえて彼かれらを飲のみ込こみ、火ひが彼かれらを焼やき尽つくす。

詩篇44:24 どうして顔かおを背そむけるのですか。わたしたちの苦くるしみと、しいたげられている姿すがたを忘わすれてしまうのですか。

詩篇49:14 羊ひつじのように、彼かれらは死しの世界せかいへと追おいやられ、死しが彼かれらを飼かう羊飼ひつじかいとなる。だが朝あさが来くれば、正ただしい人ひとたちが彼かれらを支配しはいする。彼かれらの姿すがたは朽くち果はて、立派りっぱな住すまいを遠とおく離はなれて、死しの世界せかいへと消きえていく。

詩篇73:12 見みよ、これが悪わるい者ものたちの姿すがただ。いつも安やすらかで、どんどん豊ゆたかになっていく。

詩篇84:7 彼かれらは力ちからから力ちからへと進すすみ、シオンで神かみの前まえに姿すがたを現あらわす。

詩篇102:16 主しゅがシオンを建たて直なおし、その栄光えいこうの姿すがたを現あらわされるからだ。

詩篇139:3 あなたはわたしの歩あゆみも横よこになる姿すがたも見抜みぬき、わたしのすべての道みちを知しり尽つくしておられる。

伝道の書(1か所)

伝道の書5:16 これもまた、ひどく辛つらい現実げんじつだ。来きたときとそっくり同おなじ姿すがたで去さっていく。風かぜのために働はたらいて、いったい何なんの得とくがあるだろう。

雅歌(3か所)

雅歌2:14 岩いわの裂さけ目め、崖がけの隠かくれ場所ばしょにいるわたしの鳩はとよ。あなたの姿すがたを見みせて。あなたの声こえを聞きかせて。あなたの声こえは心地ここちよく、あなたの姿すがたは愛あいらしいから。

雅歌5:15 その足あしは、純金じゅんきんの台だいの上うえに立たてられた大理だいり石せきの柱はしらのよう。その姿すがたはレバノンの山やまのようで、杉すぎの木きのように堂々どうどうとしている。

雅歌7:7 すらりとしたあなたの姿すがたはナツメヤシの木きのよう。あなたの胸むねは、その実みの房ふさのよう。

イザヤ書(10か所)

イザヤ書20:6 その日ひ、この海辺うみべに住すむ人々ひとびとは言ゆう。「見みろ、これがわたしたちの頼たのみの姿すがただ。アッシリアの王おうから助たすかろうとして、助たすけを求もとめて逃にげ込こんだ相手あいてがこれだ。わたしたちは、どうやって逃にげ延のびられるだろうか。」

イザヤ書24:12 町まちに残のこされたのは荒あれ果はてた姿すがただけ。門もんは打うち砕くだかれ、がれきとなった。

イザヤ書33:17 あなたの目めは、美うつくしい姿すがたの王おうを見みる。はるか遠とおくまで広ひろがる地ちを見渡みわたすのだ。

イザヤ書37:2 そして、宮廷きゅうていをあずかるエルヤキム、書記しょき官かんシェブナ、それに祭司さいしたちの長老ちょうろうを、みな粗布あらぬのをまとった姿すがたで、アモツの子こである預言よげん者しゃイザヤのもとへ送おくった。

イザヤ書40:18 それなら、あなたたちは神かみをだれになぞらえるのか。どんな姿すがたと比くらべられるというのか。

イザヤ書44:13 木きを削けずる職人しょくにんは、ものさしを当あてて線せんを引ひき、とがった道具どうぐで形かたちをしるし、かんなで削けずり、コンパスで印しるしをつける。そうして人ひとの姿すがたに、美うつくしい人間にんげんの形かたちに彫ほり上あげ、家いえに置おくために造つくる。

イザヤ書49:9 そして、捕とらわれ人ひとには『出でて来こい』と言いいい、闇やみの中なかにいる者ものには『姿すがたを現あらわせ』と言ゆう。彼かれらは道みちばたでも草くさを食はみ、どの裸はだかの丘おかも彼かれらの牧草ぼくそう地ちになる。

イザヤ書52:14 多おおくの人ひとが彼かれを見みて、ぞっとしたように、彼かれの姿すがたは、人ひととは思おもえないほど損そこなわれ、その顔かおかたちは、人ひとの子ことは見みえないほどだった。

イザヤ書53:2 彼かれは主しゅの前まえで、若わかい芽めのように、乾かわいた地ちに張はった根ねのように育そだった。目めを引ひくような姿すがたも、輝かがやきもなく、わたしたちが心こころ引ひかれるような見みた目めでもなかった。

イザヤ書66:5 主しゅの言葉ことばにおののく者ものたちよ、主しゅの言葉ことばを聞きけ。あなたたちを憎にくみ、わたしの名なのためにあなたたちを追おい出だした兄弟きょうだいたちは、こう言いっている。「主しゅが栄光えいこうを現あらわされるがいい。そうすれば、あなたたちの喜よろこぶ姿すがたを見みてやろう。」だが、恥はじを見みるのは彼かれらのほうだ。

エレミヤ書(5か所)

エレミヤ書13:27 あなたの姦淫かんいん、欲望よくぼうに燃もえるいななき、恥はじ知しらずな淫みだらな行おこない。野のの丘おかの上うえで、わたしはあなたの忌いまわしい姿すがたを見みた。ああ、エルサレムよ、あなたはわざわいだ。あなたは清きよくならない。いったい、いつまでこのままなのか。

エレミヤ書48:47 しかし終おわりの日ひに、わたしはモアブを元もとの姿すがたに戻もどす、と主しゅは言いわれる。ここまでがモアブへのさばきである。

エレミヤ書49:6 だがその後ご、わたしはアンモン人にんを元もとの姿すがたに戻もどす、と主しゅは言いわれる。

エレミヤ書49:17 エドムは恐怖きょうふの的まととなる。そばを通とおる者ものはみな、その痛いたましい姿すがたに驚おどろき、あざけって口笛くちぶえを吹ふく。

エレミヤ書51:41 ああ、シェシャクは攻せめ取とられてしまった。全地ぜんちの誇ほこりが捕とらえられてしまった。ああ、バビロンは国々くにぐにの間あいだで、あきれ果はてる姿すがたになってしまった。

哀歌(4か所)

哀歌1:7 エルサレムは、苦くるしみとさすらいの日々ひびの中なかで思おもい出だす。昔むかし、自分じぶんが持もっていたすばらしいものすべてを。民たみが敵てきの手てに落おち、助たすけてくれる者ものが誰だれもいなかったとき、敵てきは彼女かのじょを見みて、その崩くずれ落おちた姿すがたをあざ笑わらった。

哀歌1:8 エルサレムは重おもい罪つみを犯おかした。だから、汚よごれた者もののように扱あつかわれるようになった。彼女かのじょを大切たいせつにしていた者ものたちも、今いまはみな見下みくだしている。彼女かのじょの恥はずかしい姿すがたを見みてしまったからだ。彼女かのじょ自身じしんもうめき声ごえをあげ、顔かおをそむける。

哀歌4:7 この都みやこの貴とうとい人々ひとびとは、雪ゆきよりも清きよらかで、乳ちちよりも白しろかった。その体からだは珊瑚さんごよりも赤あかく、その姿すがたはサファイアのように輝かがやいていた。

哀歌5:14 長老ちょうろうたちは町まちの門もんから姿すがたを消けし、若者わかものたちは音楽おんがくを奏かなでなくなった。

エゼキエル書(15か所)

エゼキエル書1:5 その火ひの中なかに、四よんつの生いき物もののようなものがいた。その姿すがたは人間にんげんに似にていた。

エゼキエル書1:13 その生いき物ものの姿すがたは、燃もえる炭火すみびのようだった。あるいは、たいまつのようにも見みえた。その火ひは生いき物ものたちの間あいだを行いき来きしていた。火ひは明あかるく輝かがやき、その火ひから稲妻いなずまがほとばしり出でていた。

エゼキエル書1:26 彼かれらの頭あたまの上うえに広ひろがる大空おおぞらの上うえには、サファイアのような青あおい石いしでできた、王座おうざのようなものがあった。そしてその王座おうざのようなものの上うえのほうには、人ひとのような姿すがたのものがいた。

エゼキエル書1:28 その周まわりの輝かがやきは、雨あめの日ひに雲くもにかかる虹にじのようだった。これこそ、主しゅの栄光えいこうの姿すがただった。わたしはそれを見みて、顔かおを伏ふせて倒たおれた。すると、語かたりかける声こえが聞きこえた。

エゼキエル書8:2 わたしが見みると、火ひのように見みえる姿すがたがあった。その腰こしと見みえるあたりから下したは火ひで、腰こしから上うえは輝かがやきのようで、光ひかり輝かがやく金属きんぞくのように見みえた。

エゼキエル書8:3 その姿すがたは手てのようなものを伸のばして、わたしの髪かみの毛けをつかんだ。すると霊れいがわたしを地ちと天てんの間あいだに持もち上あげ、神かみの幻まぼろしの中なかでわたしをエルサレムへと運はこんで行いった。そして、内側うちがわの門もんの入いり口ぐち、北きたに向むいた所ところに連つれて行いった。そこには、神かみのねたみを引ひき起おこす、あの偶像ぐうぞうが立たっていた。

エゼキエル書8:4 見みると、そこにはイスラエルの神かみの栄光えいこうがあった。それは、わたしが平地へいちで見みた幻まぼろしと同おなじ姿すがただった。

エゼキエル書10:22 その顔かおかたちは、わたしがケバル川かわのほとりで見みた、あの顔かおと同おなじだった。姿すがたもそのものだった。それぞれ、まっすぐ前まえに進すすんでいった。

エゼキエル書11:1 そのとき、霊れいがわたしを持もち上あげ、主しゅの神殿しんでんの東ひがしの門もん、東ひがしを向むいた門もんへと連つれていった。すると門もんの入いり口ぐちに、二十にじゅう五ご人にんの男おとこたちがいた。その中なかに、民たみの指導しどう者しゃであるアズルの子こヤアザンヤと、ベナヤの子こペラテヤの姿すがたが見みえた。

エゼキエル書16:17 あなたは、わたしが与あたえた金かねや銀ぎんで作つくった美うつくしい飾かざりを持もち出だし、男おとこの姿すがたをした像ぞうを作つくって、それと淫みだらなことをした。

エゼキエル書23:14 オホリバは、さらに淫みだらな行おこないを重かさねた。壁かべに描えがかれた男おとこたちを見みたのだ。朱色しゅいろで描えがかれたカルデア人にんの姿すがただった。

エゼキエル書23:15 彼かれらは腰こしに帯おびを締しめ、頭あたまにはゆったりとしたターバンを巻まいていた。みな将校しょうこうのような姿すがたで、生うまれ故郷こきょうカルデアのバビロニア人にんそっくりだった。

エゼキエル書26:16 そのとき、海うみの君主くんしゅたちは皆みな、王座おうざから降ふり、上着うわぎを脱ぬぎ、刺繍ししゅうの衣ころもを脱ぬぎ捨すてる。彼かれらは恐おそれに包つつまれ、地ちに座すわり込こみ、絶たえ間まなく震ふるえて、お前まえの姿すがたにぼう然ぜんとする。

エゼキエル書29:14 わたしはエジプトを元もとの姿すがたに戻もどし、彼かれらを故郷こきょうであるパトロスの地ちに連つれ帰かえる。そこで彼かれらは、小ちいさく弱よわい国くにとなる。

エゼキエル書40:3 主しゅがわたしをそこへ連つれて行いくと、ひとりの人ひとがいた。その姿すがたは青銅せいどうのように輝かがやいていて、手てには麻あさのひもと測はかるための竿さおを持もち、門もんのところに立たっていた。

ダニエル書(10か所)

ダニエル書2:31 王おうさま、あなたは幻まぼろしを見みていました。目めの前まえに、一ひとつの大おおきな像ぞうが立たっていたのです。その像ぞうはとても大おおきく、まばゆく輝かがやいていて、その姿すがたは見みる者ものを恐おそれさせるものでした。

ダニエル書3:25 王おうは言いった。「見みろ。縄なわを解とかれた四よん人にんの男おとこが、火ひの中なかを歩あるいているではないか。しかも、少すこしも傷きずついていない。その四よん人にん目めの姿すがたは、神々かみがみの子このようだ。」

ダニエル書7:3 そして、四よん頭とうの大おおきな獣けものが海うみから上あがってきた。どれも姿すがたがそれぞれ違ちがっていた。

ダニエル書7:5 見みると、もう一いち頭とう、二に番ばん目めの獣けものがいた。熊くまのような姿すがたで、体からだの片側かたがわを持もち上あげていた。口くちの中なかの歯はの間あいだには、三さん本ぽんの肋骨あばらぼねをくわえていた。その獣けものに、こう告つげる声こえがした。「立たち上あがれ。肉にくをたらふく食くらえ。」

ダニエル書7:6 その後ご、さらに見みていると、もう一いち頭とうの獣けものがいた。ヒョウのような姿すがたで、背中せなかには鳥とりの翼つばさが四よんつあった。その獣けものには頭あたまが四よんつあり、支配しはいする力ちからが与あたえられた。

ダニエル書7:20 また、その頭あたまにあった十じゅう本ぽんの角つのについても知しりたかった。さらに、あとから生はえてきた一いち本ぽんの角つののことも。その角つのが出でてくると、前まえにあった三本みもとが抜ぬけ落おちた。その角つのには目めがあり、大おおきなことを語かたる口くちがあって、その姿すがたはほかの角つのよりも大おおきく見みえた。

ダニエル書8:15 わたしダニエルがこの幻まぼろしを見みて、その意味いみを知しろうとしていたとき、見みよ、人ひとのような姿すがたのものが、わたしの前まえに立たっていた。

ダニエル書10:16 すると、人ひとの姿すがたをしたものが、わたしの唇くちびるに触ふれた。わたしは口くちを開ひらいて話はなし始はじめ、目めの前まえに立たつ方かたに言いった。「わたしの主しゅよ、この幻まぼろしのために激はげしい苦くるしみに襲おそわれ、力ちからが残のこっていません。

ダニエル書10:18 すると、人ひとの姿すがたをしたものが再ふたたびわたしに触ふれ、わたしを力ちからづけてくれた。

ダニエル書11:19 それから彼かれは自分じぶんの国くにの砦とりでに目めを向むける。しかし、つまずいて倒たおれ、そのまま姿すがたを消けしてしまう。

ホセア書(1か所)

ホセア書2:3 そうしないと、わたしは彼女かのじょを裸はだかにはぎ取とり、生うまれた日ひのような姿すがたにさらす。彼女かのじょを荒あれ野ののようにし、乾かわいた地ちのようにして、渇かわきで死しなせる。

ヨエル書(2か所)

ヨエル書2:4 その姿すがたは馬うまのよう。まるで騎兵きへいのように駆かけてくる。

ヨエル書3:1 見みよ、その日ひ、その時とき、わたしはユダとエルサレムをもとの姿すがたに取とり戻もどす。

ナホム書(1か所)

ナホム書2:4 戦車せんしゃは通とおりを狂くるったように走はしり回まわり、広場ひろばを行いき交かう。その姿すがたはたいまつのようで、稲妻いなずまのように駆かけめぐる。

ハガイ書(1か所)

ハガイ書2:3 『あなたがたの中なかで、この神殿しんでんがかつて栄光えいこうに満みちていたころの姿すがたを見みた者ものが、まだ残のこっているだろうか。今いま、あなたがたの目めには、これがどう映うつっているか。まるで無ないも同然どうぜんに見みえるのではないか。

ゼカリヤ書(2か所)

ゼカリヤ書3:1 主しゅはわたしに、大だい祭司さいしヨシュアの姿すがたを見みせた。ヨシュアは主しゅの使つかいの前まえに立たっていた。そしてサタンがその右みぎに立たち、ヨシュアを訴うったえようとしていた。

ゼカリヤ書5:6 わたしは聞きいた。「これは何なんですか。」すると彼かれは言いった。「出でて来くるこれは一ひとつのエファ升ますだ。」そして言いった。「これは、全地ぜんちにおける彼かれらの罪つみの姿すがただ。」

マタイによる福音書(3か所)

マタイ17:2 すると、彼かれらの目めの前まえでイエスの姿すがたが変かわった。顔かおは太陽たいようのように輝かがやき、服ふくは光ひかりのように白しろくなった。

マタイ27:53 そしてイエスが生いき返かえったあと、彼かれらは墓はかから出でて聖せいなる都みやこに入はいり、多おおくの人ひとの前まえに姿すがたを現あらわした。

マタイ28:3 その姿すがたはいなずまのように輝かがやき、着きている服ふくは雪ゆきのように真まっ白しろだった。

マルコによる福音書(4か所)

マルコ9:2 それから六むい日か後ご、イエスはペトロとヤコブとヨハネだけを連つれて、高たかい山やまに登のぼった。ほかにはだれもいなかった。すると、彼かれらの目めの前まえでイエスの姿すがたが変かわった。

マルコ16:9 イエスは週しゅうの初はじめの日ひの朝あさ早はやく、よみがえった。そしてまず、マグダラのマリアの前まえに姿すがたを現あらわした。かつてイエスが七ななつの悪霊あくれいを追おい出だしてあげた女性じょせいだ。

マルコ16:11 でも彼かれらは、イエスが生いきていて、マリアがその姿すがたを見みたと聞きいても、信しんじなかった。

マルコ16:12 その後ご、イエスは彼かれらのうちの二人ふたりに、別べつの姿すがたで現あらわれた。二人ふたりは歩あるいて田舎いなかへ向むかっているところだった。

ルカによる福音書(8か所)

ルカ3:22 聖霊せいれいが鳩はとのような姿すがたをとって、イエスの上うえに降おりてきた。すると天てんから声こえがした。「あなたはわたしの愛あいする子こ。わたしはあなたを心こころから喜よろこぶ。」

ルカ10:33 ところが、旅たびをしていた一人ひとりのサマリア人にんは、その人ひとのところに来きて、その姿すがたを見みると、かわいそうでたまらなくなった。

ルカ17:30 人ひとの子こが姿すがたを現あらわす日ひも、それと同おなじだ。

ルカ18:24 その姿すがたを見みてイエスは言いった。「財産ざいさんを持もっている人ひとが神かみの国くにに入はいるのは、なんと難むずかしいことか。

ルカ19:41 イエスはエルサレムに近ちかづき、都みやこを見みると、その姿すがたを見みて泣ないた。

ルカ24:23 イエスの遺体いたいが見みつからなかった、と言いって帰かえってきました。そのうえ、天使てんしたちの姿すがたを見みた、その天使てんしたちがイエスは生いきていると告つげた、と言いうんです。

ルカ24:24 それで、仲間なかまの何なん人にんかがお墓はかに行いってみると、確たしかに女性じょせいたちの言いったとおりでした。でも、イエスの姿すがたは見当みあたりませんでした。」

ルカ24:31 すると二人ふたりの目めが開ひらかれて、それがイエスだと分わかった。しかしイエスは、その姿すがたが見みえなくなった。

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ5:37 またわたしを送おくってくださった父ちちご自身じしんが、わたしについて証あかししてくださった。あなたたちはこれまで、その声こえを聞きいたことも、その姿すがたを見みたこともない。

ヨハネ12:36 光ひかりがある間あいだに、その光ひかりを信しんじなさい。そうすれば、あなたたちは光ひかりの子こになれる。」イエスはこう話はなすと、その場ばを去さって、人々ひとびとの前まえから姿すがたを隠かくした。

使徒行伝(8か所)

使徒1:3 イエスは苦くるしみを受うけて死しんだ後あと、使徒しとたちの前まえに生いきた姿すがたで現あらわれ、自分じぶんが生いきていることを数多かずおおくの確たしかなしるしで示ししめしました。四十よんじゅう日にちにわたって彼かれらに姿すがたを見みせ、神かみの国くにについて語かたりました。

使徒8:39 二人ふたりが水みずから上あがると、主しゅの霊れいがフィリポを連つれ去さった。宦官かんがんはもう二に度どと彼かれの姿すがたを見みることはなかった。でも宦官かんがんは喜よろこびながら旅たびを続つづけた。

使徒8:40 一方いっぽうフィリポは、アゾトの町まちに姿すがたを現あらわした。そして各地かくちを巡めぐり、すべての町まちで良よい知しらせを伝つたえながら、カイサリアまでやって来きた。

使徒9:7 サウロと一緒いっしょに旅たびをしていた人ひとたちは、言葉ことばを失うしなって立たち尽つくしていた。声こえは聞きこえるのに、だれの姿すがたも見みえなかったのだ。

使徒9:35 リダとシャロンに住すむ人ひとたちはみな、その姿すがたを見みて、主しゅに立たち返かえった。

使徒13:31 そのイエスは、ガリラヤからエルサレムまで一緒いっしょに上のぼってきた人ひとたちの前まえに、何なん日にちにもわたって姿すがたを現あらわした。その人ひとたちは今いま、人々ひとびとに対たいしてイエスの証人しょうにんとなっている。

使徒14:11 群衆ぐんしゅうは、パウロがしたことを見みて、リカオニアの言葉ことばで声こえを張はり上あげた。「神々かみがみが人間にんげんの姿すがたになって、わたしたちのところに降おりて来きたんだ。」

使徒25:7 パウロが姿すがたを現あらわすと、エルサレムから下くだって来きたユダヤ人じんたちが彼かれを取とり囲かこみ、いくつもの重おもい罪つみをぶつけて訴うったえた。しかし、それを証明しょうめいすることはできなかった。

ローマ人への手紙(5か所)

ローマ6:5 もしわたしたちが、キリストと結むすびついてその死しと同おなじ姿すがたになったのなら、必かならず復活ふっかつとも同おなじ姿すがたになる。

ローマ8:3 神かみは、律法りっぽうにできなかったことをしてくださった。律法りっぽうは、わたしたちの弱よわい肉にくのせいで、それができなかった。神かみは、罪つみの肉にくと同おなじ姿すがたをとらせて、罪つみを扱あつかうために、自分じぶんの子こを送おくった。そして、その肉にくにおいて罪つみをさばいたのだ。

ローマ8:19 被ひ造物ぞうぶつは、神かみの子こどもたちが姿すがたを現あらわすその時ときを、今いまか今いまかと待まちわびている。

ローマ8:29 神かみは、あらかじめ知しっていた人ひとたちを、御子みこと同おなじ姿すがたになるようにと、前まえもって選えらんでおいた。それは、御子みこが多おおくの兄弟きょうだい姉妹しまいの中なかで長男ちょうなんとなるためだ。

ローマ9:29 そして、イザヤは前まえにこう言いっていた。「もし、天てんの軍勢ぐんぜいを率ひきいる主しゅが、わたしたちに子孫しそんを残のこしてくださらなかったら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラと同おなじ姿すがたになっていただろう。」

コリント人への第一の手紙(4か所)

コリント第一7:17 ともかく、主しゅが一人ひとりひとりひとりに分わけ与あたえてくださったとおりに、そして神かみが招まねいてくださったときの姿すがたのままに、それぞれ生いきていきなさい。わたしはどの教会きょうかいでも、こう指示しじしている。

コリント第一13:12 今いま、わたしたちが見みているのは、鏡かがみに映うつるぼんやりした姿すがたのようなものだ。でもそのときには、顔かおと顔かおを合あわせて見みることになる。今いまわたしが知しっているのは一部いちぶだけだが、そのときには、わたしが完全かんぜんに知しられているのと同おなじように、わたしも完全かんぜんに知しるようになる。

コリント第一15:5 キリストはケファに姿すがたを現あらわし、それから十じゅう二に人にんの弟子でしたちに現あらわれた。

コリント第一15:49 わたしたちは土つちからできた者ものの姿すがたを身みにつけてきた。だから同おなじように、天てんから来きた者ものの姿すがたも身みにつけることになる。

コリント人への第二の手紙(4か所)

コリント第二3:18 わたしたちはみな、覆おおいを取とり除のぞかれた顔かおで、鏡かがみのように主しゅの栄光えいこうを映うつし出だしている。そして、栄光えいこうから栄光えいこうへと、主しゅと同おなじ姿すがたへ造つくり変かえられていく。これは、霊れいである主しゅの働はたらきによるのだ。

コリント第二4:4 この世よを支配しはいする神かみが、信しんじない人ひとたちの心こころを見みえなくしてしまった。だから彼かれらは、キリストの栄光えいこうを伝つたえる良よい知しらせの光ひかりを、見みることができない。そのキリストこそ、神かみの姿すがたそのものなのだ。

コリント第二10:11 そういう人ひとは、こう考かんがえるべきだ。離はなれているとき手紙てがみの言葉ことばで示しめすわたしたちの姿すがたと、そちらに行いったときの行動こうどうとは、まったく同おなじなのだ。

コリント第二12:20 というのも、わたしは心配しんぱいしているのだ。そちらに行いったとき、あなたたちが期待きたいどおりの姿すがたでなく、わたしのほうもあなたたちの望のぞまない者ものだと思おもわれるのではないか、と。そこには争あらそいやねたみ、怒いかりや自分じぶん勝手かってな対立たいりつ、悪口わるぐちやかげ口ぐち、思おもい上あがりや混乱こんらんがあるのではないか。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ4:19 わたしの子こどもたちよ。あなたたちの中なかにキリストの姿すがたができあがるまで、わたしはもう一いち度ど、産うみの苦くるしみを味あじわっている。

ピリピ人への手紙(3か所)

ピリピ2:7 それどころか、自分じぶんを空からっぽにして、奴隷どれいの姿すがたを取とり、人間にんげんと同おなじ者ものになりました。人ひととしての姿すがたをもって現あらわれ、

ピリピ3:10 こうしてわたしは、キリストご自身じしんを知しり、その復活ふっかつの力ちからを知しり、その苦くるしみを分わかち合あいたい。キリストの死しと同おなじ姿すがたにされることで、

ピリピ3:21 キリストは、わたしたちの弱よわく卑いやしい体からだを、ご自分じぶんの栄光えいこうの体からだと同おなじ姿すがたに造つくり変かえてくださる。すべてのものを従したがわせることさえできる、その力ちからによって。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ1:15 御子みこは、目めに見みえない神かみの姿すがたそのものだ。すべての造つくられたものより先さきに生うまれた方かたであり、そのすべての上うえに立たつ方かただ。

テサロニケ人への第一の手紙(2か所)

テサロニケ第一1:3 わたしたちの父ちちである神かみの前まえで、あなたがたのことを思おもい起おこしているのだ。信仰しんこうから生うまれる行おこない、愛あいから生うまれる労苦ろうく、そしてわたしたちの主しゅイエス・キリストに望のぞみを置おいて耐たえ忍しのぶ姿すがたを。

テサロニケ第一2:17 兄弟きょうだい姉妹しまいよ、わたしたちは少すこしの間あいだあなたたちと引ひき離はなされた。離はなれていたのは姿すがただけで、心こころは離はなれていない。それでいっそう、強つよく望のぞんで、あなたたちの顔かおをひと目め見みたいと願ねがってきた。

テサロニケ人への第二の手紙(4か所)

テサロニケ第二1:7 苦くるしめられているあなたがたには、わたしたちとともに安やすらぎを与あたえてくださいます。それは、主しゅイエスが力ちからある天使てんしたちを従したがえて、天てんから姿すがたを現あらわすときのことです。

テサロニケ第二2:3 どんな形かたちであれ、だれにもだまされないように。その日ひが来くる前まえに、まず神かみに背そむく動うごきが起おこり、あの滅ほろびの子こ、無法むほう者しゃが姿すがたを現あらわすからだ。

テサロニケ第二2:6 そして今いま、彼かれを押おしとどめているものが何なんかを、あなたがたは知しっている。定さだめられた時ときに、彼かれが姿すがたを現あらわすためだ。

テサロニケ第二2:8 その時とき、あの無法むほう者しゃが姿すがたを現あらわす。しかし主しゅイエスは、その口くちから出でる息いきでこの者ものを滅ほろぼし、来こられるときの輝かがやきで、跡形あとかたもなく消けし去さってしまう。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二3:10 けれども、あなたはわたしの教おしえにも、生いき方かたにも、目指めざすものにも、信仰しんこうにも、忍耐にんたいにも、愛あいにも、耐たえ抜ぬく姿すがたにも、ずっとついてきてくれた。

ヘブル人への手紙(6か所)

ヘブル1:3 御子みこは神かみの栄光えいこうの輝かがやきであり、神かみという存在そんざいそのものを写うつし出だす姿すがたである。そして力ちからに満みちた言葉ことばによって、すべてのものを支ささえている。御子みこはわたしたちの罪つみをきよめる働はたらきを成なしとげたあと、天てんの高たかいところで、偉大いだいな神かみの右みぎの座ざに着ついた。

ヘブル9:24 というのも、キリストが入はいられたのは、人ひとの手てで造つくられた聖せいなる場所ばしょではないからだ。それは本物ほんものの写うつしにすぎない。キリストは天てんそのものに入はいられた。そして今いま、わたしたちのために、神かみの前まえに姿すがたを現あらわしてくださっているのだ。

ヘブル9:26 もしそうなら、世界せかいが造つくられたときから何なん度ども苦くるしまなければならなかったはずだ。しかし実際じっさいには、キリストは今いま、時代じだいの終おわりに、ただ一いち度どだけ姿すがたを現あらわされた。ご自分じぶんをささげることで、罪つみを取とり除のぞくためだ。

ヘブル9:28 それと同おなじように、キリストも多おおくの人ひとの罪つみを背負せおうために、ただ一いち度どだけささげられた。そしてもう一いち度ど、今度こんどは罪つみとは関係かんけいなく、ご自分じぶんを待まち望のぞんでいる人ひとたちを救すくうために姿すがたを現あらわされる。

ヘブル10:1 律法りっぽうには、これから来くるすばらしいものの影かげがあるだけで、その実物じつぶつの姿すがたはない。だから、年ねんごとに絶たえず同おなじささげ物ものをくり返かえしても、神かみに近ちかづこうとする人ひとたちを完全かんぜんにすることは決けっしてできない。

ヘブル11:5 信仰しんこうによって、エノクは死しを経験けいけんすることなく天てんに移うつされた。神かみが彼かれを移うつされたので、その姿すがたは見みあたらなくなった。移うつされる前まえから、彼かれは神かみに喜よろこばれていたと認みとめられていた。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ1:11 太陽たいようが昇のぼって照てりつけると、草くさは枯かれ、その花はなは散ちり、美うつくしい姿すがたは失うしなわれてしまう。それと同おなじように、豊ゆたかな人ひとも、あれこれ動うごきまわっているうちにしぼんでいくのだ。

ヤコブ1:24 自分じぶんの姿すがたをよく見みても、立たち去さったとたん、自分じぶんがどんな姿すがただったかをすぐに忘わすれてしまうのだ。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一1:20 キリストは、世界せかいが造つくられる前まえから選えらばれていた。そして今いま、この終おわりの時代じだいに、あなたたちのために姿すがたを現あらわされた。

ヨハネの黙示録(2か所)

黙示録5:6 そして、わたしは見みた。王座おうざと四よんつの生いき物ものの中央ちゅうおう、そして長老ちょうろうたちの真まん中なかに、一いち頭とうの子羊こひつじが立たっていた。それはほふられたような姿すがたをしていた。子羊こひつじには七ななつの角つのと七ななつの目めがあった。この目めは、全ぜん世界せかいに送おくり出だされた神かみの七ななつの霊れいである。

黙示録9:7 そのいなごの姿すがたは、戦たたかいのために備そなえられた馬うまに似にていた。頭あたまには金かねの冠かんむりのようなものをつけ、顔かおは人間にんげんの顔かおのようだった。

語句索引に戻る