「姿」(すがた)が出てくる聖書の箇所

「姿」(すがた)は口語訳の48か所(旧約26・新約22)に出てきます。日常訳第1版では166か所。

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創世記(1か所)

創世記39:6 そこで彼かれは持もち物ものをみなヨセフの手てにゆだねて、自分じぶんが食たべる物もののほかは、何なんをも顧かえりみなかった。さてヨセフは姿すがたがよく、顔かおが美うつくしかった。

サムエル記上(4か所)

サムエル第一16:12 そこで人ひとをやって彼かれをつれてきた。彼かれは血色けっしょくのよい、目めのきれいな、姿すがたの美うつくしい人ひとであった。主しゅは言いわれた、「立たってこれに油あぶらをそそげ。これがその人ひとである」。

サムエル第一16:18 その時とき、ひとりの若者わかものがこたえた、「わたしはベツレヘムびとエッサイの子こを見みましたが、琴ことがじょうずで、勇気ゆうきもあり、いくさびとで、弁舌べんぜつにひいで、姿すがたの美うつくしい人ひとです。また主しゅが彼かれと共ともにおられます」。

サムエル第一17:42 ペリシテびとは見みまわしてダビデを見み、これを侮あなどった。まだ若わかくて血色けっしょくがよく、姿すがたが美うつくしかったからである。

サムエル第一28:8 サウルは姿すがたを変かえてほかの着物きものをまとい、ふたりの従者じゅうしゃを伴ともなって行いき、夜よるの間あいだに、その女おんなの所ところにきた。そしてサウルは言いった、「わたしのために口寄くちよせの術じゅつを行おこなって、わたしがあなたに告つげる人ひとを呼よび起おこしてください」。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二23:21 彼かれはまた姿すがたのうるわしいエジプトびとを撃うち殺ころした。そのエジプトびとは手てにやりを持もっていたが、ベナヤはつえをとってその所ところに下くだっていき、エジプトびとの手てからやりをもぎとって、そのやりをもって殺ころした。

列王紀上(4か所)

列王紀上1:6 彼かれの父ちちは彼かれが生うまれてこのかた一いち度ども「なぜ、そのような事ことをするのか」と言いって彼かれをたしなめたことがなかった。アドニヤもまた非常ひじょうに姿すがたの良よい人ひとであって、アブサロムの次つぎに生うまれた者ものである。

列王紀上14:2 ヤラベアムは妻つまに言いった、「立たって姿すがたを変かえ、ヤラベアムの妻つまであることの知しられないようにしてシロへ行いきなさい。わたしがこの民たみの王おうとなることを、わたしに告つげた預言よげん者しゃアヒヤがそこにいます。

列王紀上20:38 こうしてその預言よげん者しゃは行いって、道みちのかたわらで王おうを待まち、目めにほうたいを当あてて姿すがたを変かえていた。

列王紀上22:30 イスラエルの王おうはヨシャパテに言いった、「わたしは姿すがたを変かえて、戦たたかいに行いきます。あなたは王おうの服ふくを着つけなさい」。イスラエルの王おうは姿すがたを変かえて戦たたかいに行いった。

列王紀下(1か所)

列王紀下7:10 そこで彼かれらは来きて、町まちの門もんを守まもる者ものを呼よんで言いった、「わたしたちがスリヤびとの陣営じんえいに行いって見みると、そこにはだれの姿すがたも見みえず、また人声ひとごえもなく、ただ、馬うまとろばがつないであり、天幕てんまくはそのままでした」。

歴代志下(2か所)

歴代志下18:29 イスラエルの王おうはヨシャパテに言いった、「わたしは姿すがたを変かえて戦たたかいに行いきましょう。しかしあなたは王おうの衣ころもを着つけなさい」。イスラエルの王おうは姿すがたを変かえて戦たたかいに行いった。

歴代志下35:22 しかしヨシヤは引ひき返かえすことを好このまず、かえって彼かれと戦たたかうために、姿すがたを変かえ、神かみの口くちから出でたネコの言葉ことばを聞ききいれず、行いってメギドの谷たにで戦たたかったが、

ヨブ記(2か所)

ヨブ記4:16 そのものは立たちどまったが、わたしはその姿すがたを見みわけることができなかった。一ひとつのかたちが、わたしの目めの前まえにあった。わたしは静しずかな声こえを聞きいた、

ヨブ記16:8 彼かれはわたしを、しわ寄よらせた。これがわたしに対たいする証拠しょうこである。またわたしのやせ衰おとろえた姿すがたが立たって、わたしを攻せめ、わたしの顔かおにむかって証明しょうめいする。

雅歌(1か所)

雅歌5:15 その足あしのすねは金かねの台だいの上うえにすえた大理だいり石せきの柱はしらのごとく、その姿すがたはレバノンのごとく、香こう柏かしわのようで、美うつくしい。

イザヤ書(4か所)

イザヤ書17:1 ダマスコについての託宣たくせん。見みよ、ダマスコは町まちの姿すがたを失うしなって、荒あら塚つかとなる。

イザヤ書44:13 木きの細工さいく人にんは線せんを引ひき、鉛筆えんぴつでえがき、かんなで削けずり、コンパスでえがき、それを人ひとの美うつくしい姿すがたにしたがって人ひとの形かたちに造つくり、家いえの中なかに安置あんちする。

イザヤ書52:14 多おおくの人ひとが彼かれに驚おどろいたように――彼かれの顔かおだちは、そこなわれて人ひとと異ことなり、その姿すがたは人ひとの子こと異ことなっていたからである――

イザヤ書53:2 彼かれは主しゅの前まえに若木わかぎのように、かわいた土つちから出でる根ねのように育そだった。彼かれにはわれわれの見みるべき姿すがたがなく、威厳いげんもなく、われわれの慕したうべき美うつくしさもない。

哀歌(1か所)

哀歌4:7 わが民たみの君きみたちは雪ゆきよりも清きよらかに、乳ちちよりも白しろく、そのからだは、さんごよりも赤あかく、その姿すがたの美うつくしさはサファイヤのようであった。

エゼキエル書(4か所)

エゼキエル書1:5 またその中なかから四よんつの生いきものの形かたちが出でてきた。その様子ようすはこうである。彼かれらは人ひとの姿すがたをもっていた。

エゼキエル書1:26 彼かれらの頭あたまの上うえの大空おおぞらの上うえに、サファイヤのような位くらいの形かたちがあった。またその位くらいの形かたちの上うえに、人ひとの姿すがたのような形かたちがあった。

エゼキエル書23:15 腰こしには帯おびを結むすび、頭あたまにはたれさがったずきんをいただいていた。これらはみな官吏かんりのような姿すがたで、その生うまれた国くにカルデヤのバビロン人にんに似にていた。

エゼキエル書40:3 神かみがわたしをそこに携たずさえて行いかれると、見みよ、ひとりの人ひとがいた。その姿すがたは青銅せいどうの形かたちのようで、手てに麻あさのなわと、測はかりざおとを持もって門もんに立たっていた。

ゼパニヤ書(1か所)

ゼパニヤ書3:6 「わたしは諸しょ国民こくみんを滅ほろぼした。そのやぐらは荒あれはてた。わたしはそのちまたを荒あらしたので、ちまたを行いき来きする者ものもない。その町々まちまちは荒あれすたれて、人ひとの姿すがたもなく、住すむ者ものもない。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ17:2 ところが、彼かれらの目めの前まえでイエスの姿すがたが変かわり、その顔かおは日ひのように輝かがやき、その衣ころもは光ひかりのように白しろくなった。

マタイ28:3 その姿すがたはいなずまのように輝かがやき、その衣ころもは雪ゆきのように真白まっしろであった。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ9:2 六むい日かの後あと、イエスは、ただペテロ、ヤコブ、ヨハネだけを連つれて、高たかい山やまに登のぼられた。ところが、彼かれらの目めの前まえでイエスの姿すがたが変かわり、

マルコ16:12 この後ご、そのうちのふたりが、いなかの方ほうへ歩あるいていると、イエスはちがった姿すがたで御ご自身じしんをあらわされた。

ルカによる福音書(3か所)

ルカ3:22 聖霊せいれいがはとのような姿すがたをとってイエスの上うえに下くだり、そして天てんから声こえがした、「あなたはわたしの愛あいする子こ、わたしの心こころにかなう者ものである」。

ルカ9:32 ペテロとその仲間なかまの者ものたちとは熟睡じゅくすいしていたが、目めをさますと、イエスの栄光えいこうの姿すがたと、共ともに立たっているふたりの人ひととを見みた。

ルカ24:31 彼かれらの目めが開あけて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿すがたが見みえなくなった。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。

使徒行伝(5か所)

使徒1:9 こう言いいい終おわると、イエスは彼かれらの見みている前まえで天てんに上あげられ、雲くもに迎むかえられて、その姿すがたが見みえなくなった。

使徒8:40 その後ご、ピリポはアゾトに姿すがたをあらわして、町々まちまちをめぐり歩あるき、いたるところで福音ふくいんを宣のべ伝つたえて、ついにカイザリヤに着ついた。

使徒14:11 群衆ぐんしゅうはパウロのしたことを見みて、声こえを張はりあげ、ルカオニヤの地方ちほう語ごで、「神々かみがみが人間にんげんの姿すがたをとって、わたしたちのところにお下くだりになったのだ」と叫さけんだ。

使徒22:13 わたしのところにきて、そばに立たち、『兄弟きょうだいサウロよ、見みえるようになりなさい』と言いった。するとその瞬間しゅんかんに、わたしの目めが開ひらいて、彼かれの姿すがたが見みえた。

使徒25:7 パウロが姿すがたをあらわすと、エルサレムから下くだってきたユダヤ人にんたちが、彼かれを取とりかこみ、彼かれに対たいしてさまざまの重おもい罪状ざいじょうを申もうし立たてたが、いずれもその証拠しょうこをあげることはできなかった。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二3:18 わたしたちはみな、顔かおおおいなしに、主しゅの栄光えいこうを鏡かがみに映うつすように見みつつ、栄光えいこうから栄光えいこうへと、主しゅと同おなじ姿すがたに変かえられていく。これは霊れいなる主しゅの働はたらきによるのである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ5:27 また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清きよくて傷きずのない栄光えいこうの姿すがたの教会きょうかいを、ご自分じぶんに迎むかえるためである。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ2:7 かえって、おのれをむなしうして僕ぼくのかたちをとり、人間にんげんの姿すがたになられた。その有様ありさまは人ひとと異ことならず、

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル1:3 御子みこは神かみの栄光えいこうの輝かがやきであり、神かみの本質ほんしつの真しんの姿すがたであって、その力ちからある言葉ことばをもって万物ばんぶつを保たもっておられる。そして罪つみのきよめのわざをなし終おえてから、いと高たかき所ところにいます大だい能のう者しゃの右みぎに、座ざにつかれたのである。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ1:11 たとえば、太陽たいようが上のぼって熱風ねっぷうをおくると、草くさを枯からす。そしてその花はなは落おち、その美うつくしい姿すがたは消きえうせてしまう。それと同おなじように、富とんでいる者ものも、その一生いっしょうの旅たびなかばで没落ぼつらくするであろう。

ヤコブ1:24 彼かれは自分じぶんを映うつして見みてそこから立たち去さると、そのとたんに、自分じぶんの姿すがたがどんなであったかを忘わすれてしまう。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一3:2 愛あいする者ものたちよ。わたしたちは今いまや神かみの子こである。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明あきらかではない。彼かれが現あらわれる時とき、わたしたちは、自分じぶんたちが彼かれに似にるものとなることを知しっている。そのまことの御お姿すがたを見みるからである。

ヨハネの黙示録(2か所)

黙示録18:21 すると、ひとりの力強ちからづよい御ご使しが、大おおきなひきうすのような石いしを持もちあげ、それを海うみに投なげ込こんで言いった、「大おおいなる都とバビロンは、このように激はげしく打うち倒たおされ、そして、全まったく姿すがたを消けしてしまう。

黙示録18:22 また、おまえの中なかでは、立琴たてごとをひく者もの、歌うたを歌ううたう者もの、笛ふえを吹ふく者もの、ラッパを吹ふき鳴ならす者ものの楽らくの音おとは全まったく聞きかれず、あらゆる仕事しごとの職人しょくにんたちも全まったく姿すがたを消けし、また、ひきうすの音おとも、全まったく聞きかれない。

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