「死ぬ」(しぬ)が出てくる聖書の箇所
「死ぬ」(しぬ)は日常訳第1版の812か所(旧約599・新約213)に出てきます。「死ねる」も含みます。口語訳では667か所。
812か所を200か所ずつ5ページに分けています(4ページ目)。
マタイによる福音書(18か所)
マタイ2:19 へロデが死んだ後、ヨセフがエジプトにいたとき、主の使いが夢の中に現れた。
マタイ2:20 「起きなさい。子どもとその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。子どもの命をねらっていた人たちは、もう死んだのだから」
マタイ8:22 「わたしについてきなさい。死んだ人を葬るのは、死んだ人たちに任せておきなさい」とイエスは言った。
マタイ9:18 これらのことを話していると、一人の会堂の管理者が来て、イエスの前にひざまずいて言った。「わたしの娘がたった今死んでしまいました。でも、来て娘に手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります。」
マタイ9:24 「あちらへ行っていなさい。この子は死んだんじゃない。ただ眠っているだけだ。」すると人々はイエスをあざ笑った。
マタイ10:8 病人を治し、死んだ人を生き返らせ、重い皮膚病の人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたたちはただで受けたのだから、ただで与えなさい。
マタイ11:5 目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩き、重い皮膚病の人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえるようになる。死んだ人が生き返り、貧しい人には良い知らせが伝えられている。
マタイ14:2 家来たちにこう言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。死んだのに生き返ったんだ。だから、あんな力が彼の中で働いているんだ」
マタイ15:4 神はこう言われた。「父と母を敬いなさい。」また「父や母をののしる者は、必ず死ななければならない。」
マタイ16:28 よく聞いてほしい。ここに立っている人の中には、人の子が王として来るのを見るまで、決して死なない人がいる。」
マタイ22:24 「先生、モーセはこう言いました。『もし、ある人が子どものないまま死んだら、その弟は兄の妻と結婚して、兄のために子孫を残さなければならない』。
マタイ22:27 最後に、その女も死んだ。
マタイ22:32 わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」
マタイ23:27 偽善者の律法学者、ファリサイ派の人たち、あなたたちはひどい目にあう。あなたたちは白く塗った墓みたいだ。外側はきれいに見えるけど、中は死んだ人の骨や、あらゆる汚れたものでいっぱいだ。
マタイ26:35 ペテロは言った。「たとえあなたと一緒に死ぬことになっても、あなたなんて知らないなんて、決して言いません。」ほかの弟子たちもみな、同じように言った。
マタイ26:38 そのとき、イエスは彼らに言った。「わたしは、死ぬほど深く悲しんでいる。ここにいて、わたしといっしょに目を覚ましていてほしい」
マタイ27:5 それで、彼はその銀貨を聖所に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
マルコによる福音書(19か所)
マルコ5:23 しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にかけています。どうか来て、娘に手を置いてやってください。そうすれば娘は助かって、生きられます。」
マルコ5:39 イエスは中に入って、人々に言った。「なぜ取り乱して泣いているのか。子どもは死んだのではない。眠っているだけだ。」
マルコ7:10 モーセはこう言った。『父と母を敬いなさい。』また、『父や母をののしる者は、必ず死ななければならない。』
マルコ9:1 そしてイエスは彼らにこう言った。「本当のことを言う。ここに立っている人の中には、神の国が力とともに実現するのを見るまで、決して死なない者がいる。」
マルコ9:26 すると霊は叫び声をあげ、その子を激しくけいれんさせてから出て行った。子どもはまるで死んだようになり、多くの人が「死んでしまった」と言うほどだった。
マルコ9:44 〔地獄では、彼らを食らううじは死なず、火も消えることがない。〕
マルコ9:48 そこでは、彼らを食う虫は死なず、火も消えることがない。
マルコ12:19 「先生、モーセはわたしたちにこう書き残しました。ある人の兄が死んで、妻を残し、子どもがいなかった場合、その弟が兄の妻をめとって、兄のために子孫を残さなければならない、と。
マルコ12:20 さて、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとりましたが、子どもを残さずに死にました。
マルコ12:21 次男がその女性をめとりましたが、やはり子どもを残さずに死にました。三男も同じでした。
マルコ12:22 こうして七人とも子どもを残しませんでした。最後にその女性も死にました。
マルコ12:25 死んだ人が生き返るときには、結婚することも、めとられることもない。天にいる天使のようになるのだ。
マルコ12:26 死んだ人が生き返ることについては、モーセの書の、燃える柴のくだりを読んだことがないのか。神はモーセにこう言われた。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』
マルコ12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大きく間違っている。」
マルコ13:12 兄弟は兄弟を、父は子を裏切って死に追いやる。子は親に逆らって立ち上がり、親を死なせる。
マルコ14:31 でも、ペトロは強く言い張った。「たとえあなたと一緒に死ぬことになっても、あなたを知らないなんて絶対に言いません。」ほかのみんなも同じように言った。
マルコ14:34 そして彼らに言った。「わたしの心は、死にそうなほど深く悲しんでいる。ここにいて、目を覚ましていなさい。」
マルコ15:44 ピラトは、イエスがもう死んだと聞いておどろいた。そこで百人隊長を呼び寄せて、イエスが死んでからどれくらいたつのかとたずねた。
マルコ16:18 蛇を手でつかんでも、死ぬような毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手を置けば、その人は元気になる。」
ルカによる福音書(26か所)
ルカ2:26 聖なる霊は、彼にこう告げていた。あなたは、主が遣わすキリストを見るまでは決して死なない、と。
ルカ7:12 町の門に近づくと、ちょうど死んだ人が運び出されるところだった。それは、ある母親のひとり息子だった。しかも彼女はやもめで、その母親のそばには町の大勢の人たちがついていた。
ルカ7:15 すると、死んでいた人が起き上がって、話し始めた。イエスは彼を母親に返した。
ルカ7:22 そしてイエスは二人にこう答えた。「行って、自分たちが見たこと、聞いたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩き、重い皮膚病の人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえるようになっている。死んだ人が生き返り、貧しい人には良い知らせが伝えられている。
ルカ8:42 十二歳ほどのひとり娘がいて、その子が死にかけていたのだ。イエスが向かう途中も、群衆が押し寄せてもみくちゃにした。
ルカ8:52 みんなは泣いて、その子のために嘆き悲しんでいた。でもイエスは言った。「泣かなくていい。この子は死んだのではない。眠っているのだ。」
ルカ8:53 人々は、その子が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。
ルカ9:27 はっきり言っておく。ここに立っている人の中には、神の御国を見るまでは決して死なない人たちがいる。」
ルカ9:60 でも、イエスは言った。「死んだ人を葬ることは、死んだ人たちに任せておきなさい。あなたは行って、神の御国を伝えなさい。」
ルカ13:4 それとも、シロアムの塔が倒れて下敷きになって死んだ、あの十八人はどうか。彼らが、エルサレムに住むほかのどの人よりも罪深かったと思うのか。
ルカ13:33 とにかく、わたしは今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレムの外で死ぬことなど、あってはならないからだ。
ルカ15:24 このわたしの子は死んでいたのに、生き返ったのだ。いなくなっていたのに、見つかったのだ。』こうして、みんなでお祝いを始めた。
ルカ15:32 でも、喜んで祝うのは当然じゃないか。おまえのこの弟は、死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに、見つかったんだから。』」
ルカ16:22 やがて、この貧しい男は死に、天使たちに運ばれてアブラハムのそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
ルカ16:30 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。でも、だれかが死んだ者の中から彼らのところへ行けば、きっと悔い改めるはずです。』
ルカ16:31 アブラハムは言った。『モーセと預言者たちの言葉に耳を傾けないのなら、たとえだれかが死んだ者の中から生き返っても、彼らは聞き入れないだろう。』
ルカ20:28 「先生、モーセはわたしたちにこう書き残しました。『ある人の兄弟が、妻がいるのに子どもを残さずに死んだら、残された兄弟がその妻をめとり、死んだ兄弟のために子孫を残さなければならない。』
ルカ20:29 ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子どもがないまま死にました。
ルカ20:31 三男もその人をめとりましたが、同じでした。こうして七人みんなが、子どもを残さずに死んでいったのです。
ルカ20:32 最後に、その女の人も死にました。
ルカ20:35 でも、次の世に入るのにふさわしいとされ、死んだ人の中から生き返らせてもらえる人たちは、結婚することも、めとったり嫁いだりすることもない。
ルカ20:36 その人たちはもう死ぬこともない。天使のような存在であり、生き返った者として、神の子どもだからだ。
ルカ20:37 死んだ人が生き返ることは、モーセも柴のところで示している。そこで彼は、主のことを『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んでいる。
ルカ20:38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神だ。神にとっては、すべての人が生きているのだから。」
ルカ22:33 すると彼は言った。「主よ、わたしはあなたと一緒なら、牢屋にでも、死にでも行く覚悟ができています。」
ルカ24:5 女たちは恐ろしくなって、顔を地面に伏せた。すると二人は言った。「どうして、生きている方を死んだ者の中に探すのですか。
ヨハネによる福音書(35か所)
ヨハネ4:49 「主よ、どうか子どもが死んでしまう前に来てください」と、その役人はイエスに言った。
ヨハネ5:21 父が死んだ人たちをよみがえらせて命を与えるように、子もまた、与えたいと思う人に命を与える。
ヨハネ5:25 よくよく言っておく。死んだ者たちが神の子の声を聞く時が来る。今もう来ている。そして聞いた者は生きる。
ヨハネ6:49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたけれど、死んでしまった。
ヨハネ6:50 これは、天から下ってくるパンだ。これを食べる人は、決して死なない。
ヨハネ6:58 このパンは、天から下ってきたパンだ。先祖たちはマナを食べたが、それでも死んでしまった。でも、このパンを食べる人は、いつまでも生きる。
ヨハネ8:21 わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜すだろう。でも、自分の罪を抱えたまま死ぬことになる。わたしが行く所に、あなたがたは来ることができない。
ヨハネ8:24 わたしはあなたたちに、あなたたちは自分の罪のまま死ぬことになると言った。もしわたしがその者であることを信じないなら、あなたたちは自分の罪のまま死ぬことになるからだ。」
ヨハネ8:51 よくよく言っておく。わたしの言葉を守る人は、いつまでも決して死ぬことがない。」
ヨハネ8:52 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。それなのにあなたは、『わたしの言葉を守る人は、決して死を味わうことがない』と言う。
ヨハネ8:53 あなたは、わたしたちの父アブラハムより偉いというのか。アブラハムは死に、預言者たちも死んだ。あなたは自分をいったい何者だと思っているのか。」
ヨハネ11:4 この病気は死んで終わるものじゃない。神の栄光のためのものだ。それによって、神の子が栄光を受けるためなんだ。
ヨハネ11:13 イエスはラザロが死んだことを言っていた。でも弟子たちは、ただ眠って休んでいることを言っているのだと思った。
ヨハネ11:14 それでイエスは、はっきりと言った。「ラザロは死んだ。
ヨハネ11:16 するとデドモ、つまり「双子」と呼ばれるトマスが、ほかの弟子たちにこう言った。「わたしたちも行こう。そして先生と一緒に死のうじゃないか」
ヨハネ11:21 主よ、もしここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったはずです。
ヨハネ11:25 イエスはマルタに言った。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる人は、死んでも生きる。
ヨハネ11:26 そして、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがない。あなたは、これを信じるか。」
ヨハネ11:32 マリアは、イエスのいる所まで来た。そしてイエスを見るなり、その足もとにひれ伏して言った。「主よ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったのに」
ヨハネ11:37 しかし、彼らの中には、「盲人の目を開けたこの人が、ラザロを死なせないようにはできなかったのか」と言う者もいた。
ヨハネ11:39 イエスは言った。「その石を取りのけなさい。」すると、死んだラザロの姉妹マルタが言った。「主よ、もう臭っています。亡くなって四日も経っていますから。」
ヨハネ11:44 死んでいた人が、手も足も布で巻かれたまま出てきた。顔も布で包まれていた。イエスは人々に言った。「ほどいてやりなさい。そして帰らせてあげなさい。」
ヨハネ11:50 ひとりの人が国民の代わりに死ぬほうが、国民全体が滅びるよりも、あなたたちにとっていいはずだ。それが分かっていない」
ヨハネ11:51 これは彼が自分の考えで言ったのではない。彼はその年の大祭司だったので、イエスがこの国民のために死ぬことになると預言したのだ。
ヨハネ12:1 過越の祭りの六日前、イエスはベタニアに来た。そこは、イエスが死んだ人の中から生き返らせたラザロが住んでいる村だった。
ヨハネ12:9 そこで、大勢のユダヤ人がイエスはそこにいると知って、集まってきた。イエスに会うためだけではなく、イエスが死んだ人の中から生き返らせたラザロも見るためだった。
ヨハネ12:17 イエスがラザロを墓から呼び出して、死んだラザロを生き返らせたとき、その場に一緒にいた群衆は、この出来事を人々に語り伝えた。
ヨハネ12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、たった一粒のままだ。でも、死ねば、たくさんの実を結ぶ。
ヨハネ12:33 これは、自分がどんな死に方で死ぬことになるかを示して、言った言葉だった。
ヨハネ18:14 カヤパは、ひとりの人が民全体のために死ぬほうがいいと、ユダヤ人たちに助言した人物だった。
ヨハネ18:32 それは、イエスが自分がどんな死に方をするのかを示して語った言葉が、そのとおりになるためだった。
ヨハネ19:33 しかし兵士たちは、イエスのところに来て、すでに死んでいるのを見た。だから、その足は折らなかった。
ヨハネ21:14 イエスが死んでよみがえったあと、弟子たちの前に現れたのは、これで三度目だった。
ヨハネ21:19 これは、ペテロがどんな死に方で神の栄光をあらわすことになるかを示すために言われた言葉だ。そしてこう言ってから、「わたしについてきなさい」と言われた。
ヨハネ21:23 それで、この弟子は死なないといううわさが、仲間たちの間に広まった。でもイエスは、彼が死なないと言ったのではない。「わたしが戻るまで彼に生きていてほしいと、わたしが望んだとしても、あなたには関係ないことだ」と言っただけだった。
使徒行伝(14か所)
使徒1:3 イエスは苦しみを受けて死んだ後、使徒たちの前に生きた姿で現れ、自分が生きていることを数多くの確かなしるしで示しました。四十日にわたって彼らに姿を見せ、神の国について語りました。
使徒2:29 兄弟のみなさん、わたしたちの先祖ダビデについて、はっきり言わせてください。ダビデは死んで葬られ、その墓は今日まで、わたしたちのところに残っています。
使徒4:2 二人が人々に教え、イエスのことを通して、死んだ人がよみがえるのだと語っていたので、彼らはひどく腹を立てていた。
使徒5:10 すると、彼女はすぐにペテロの足もとに倒れて、息絶えた。若者たちが入ってきて、彼女が死んでいるのを見つけ、運び出して夫のそばに葬った。
使徒7:15 こうしてヤコブはエジプトへ下って行った。そしてヤコブも、わたしたちの先祖も、そこで死んだ。
使徒10:42 そしてイエスは、わたしたちにこう命じました。生きている人にも死んだ人にも、神が裁く者としてお立てになったのはこのイエスだと、人々に宣べ伝え、しっかり証しするように、と。
使徒14:19 ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人たちがやって来た。彼らは群衆を説き伏せ、パウロに石を投げつけた。そして、死んだと思って、町の外へ引きずり出した。
使徒17:3 そして聖書を解き明かしながら、こう説明した。「キリストは必ず苦しみを受け、死んでよみがえるはずでした。わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそ、そのキリストなのです。」
使徒20:9 エウテコという若者が窓のところに腰かけていたが、パウロの話が長く続くうちに、深い眠りに引き込まれていった。そしてすっかり眠り込んでしまい、三階から下に落ちてしまった。抱き起こしてみると、もう死んでいた。
使徒21:13 すると、パウロはこう答えた。「なぜ泣いて、わたしの心をくじくのですか。わたしは主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬ覚悟までできているのです。」
使徒25:11 もしわたしが罪を犯し、死刑に当たるようなことをしたのなら、死ぬことを拒みはしません。しかし、この人たちの訴えにまったく根拠がないのなら、だれもわたしを彼らに引き渡すことはできません。わたしは皇帝に上訴します。」
使徒25:19 ただ、彼ら自身の宗教についての、いくつかの論点で彼と言い争っていただけでした。それに、死んだはずのイエスという人のことで、パウロはその人が生きていると言い張っていたのです。
使徒26:8 神が死んだ人を生き返らせるということが、なぜあなたがたには信じられないことだと思われるのでしょうか。
使徒28:6 人々は、彼の体が腫れ上がるか、急に倒れて死ぬだろうと思っていた。ところが、いくら待っても彼に何も変わったことが起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神さまだ」と言い出した。
ローマ人への手紙(28か所)
ローマ4:17 「あなたを多くの民族の父とした」と書いてあるとおりだ。アブラハムは、この神を信じた。死んだ者を生き返らせ、存在しないものを存在するものとして呼び出す神である。
ローマ4:19 およそ百歳になり、自分の体はもう死んだも同然で、サラの胎も子を宿せないとわかっていた。それでもアブラハムの信仰は弱らなかった。
ローマ5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、定められた時に、神を無視して生きる者たちのために死んでくださった。
ローマ5:7 わたしたちのうち、正しい人のために死ぬ人はほとんどいない。善い人のためなら、思いきって死ぬ人もいるかもしれないが。
ローマ5:8 まだ罪人だったわたしたちのために、キリストは死んでくれた。神はそうやって、わたしたちへの愛をはっきり示している。
ローマ5:15 恵みという贈り物は、あの過ちとは同じではない。もし一人の過ちのせいで多くの人が死んだのなら、神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによって与えられる贈り物は、なおさら豊かに多くの人にあふれたはずだ。
ローマ6:2 絶対にそんなことはない。罪に対して死んだわたしたちが、どうしてまだ罪の中で生きていけるだろうか。
ローマ6:7 死んだ者は、罪から解放されているからだ。
ローマ6:8 もしわたしたちがキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなる。わたしたちはそう信じている。
ローマ6:9 キリストは死者の中から復活した以上、もう二度と死ぬことはない。死はもう、キリストを支配できないのだ。
ローマ6:10 キリストが死んだのは、罪に対してただ一度だけ死んだのだ。でも生きている今は、神に対して生きている。
ローマ6:11 罪に対しては死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に対しては生きている者だ。あなたがたも、自分自身をそのように考えなさい。
ローマ6:12 だから、罪にあなたたちの体を支配させてはいけない。あなたたちの体はいつか死ぬものだ。その体を罪に明け渡して、体の欲望に従ってはいけない。
ローマ7:2 夫のいる女性は、夫が生きている間は、律法によって夫に縛られている。でも夫が死ねば、夫に関するその律法から解放される。
ローマ7:3 夫が生きている間に、その妻がほかの男のものになれば、彼女は不倫の女と呼ばれる。でも夫が死ねば、彼女はその律法から解放される。だから、ほかの男のものになっても、不倫の女にはならない。
ローマ7:4 だから、わたしの兄弟姉妹たち。あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのだ。それは、あなたがたが別の方、つまり死者の中からよみがえった方のものとなるためだ。こうして、わたしたちは神のために実を結ぶのだ。
ローマ7:6 でも今は、わたしたちを縛っていたものに対して死んだので、律法から解放された。だから、古い文字にではなく、新しい霊によって仕えるのだ。
ローマ7:8 罪は、その戒めをきっかけにして、わたしの中にありとあらゆる欲望を引き起こした。律法がなければ、罪は死んでいるからだ。
ローマ7:10 わたしは死んだ。命に導くはずのその戒めが、かえってわたしを死に導くものだと分かった。
ローマ8:10 もしキリストがあなたがたの内におられるなら、体は罪のせいで死んでいても、霊は義のゆえに生きている。
ローマ8:11 もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の霊があなたがたの内に住んでいるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に住んでいるその霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださる。
ローマ8:13 もし肉の思いのままに生きるなら、あなたたちは死ぬ。でも、御霊の力で体の悪い行いを殺すなら、あなたたちは生きる。
ローマ8:34 だれがわたしたちを罪ある者だと決めつけるのか。キリスト・イエスは死んで、いや、よみがえって、今は神の右にいて、わたしたちのために神にとりなしてくださっている。
ローマ11:15 もし彼らが退けられたことで世界が神と和解できたのなら、彼らが受け入れられることは、死んだ者が生き返るようなものではないだろうか。
ローマ14:7 だれひとり、自分のためだけに生きている人はいない。自分のためだけに死ぬ人もいない。
ローマ14:8 生きるにしても、わたしたちは主のために生き、死ぬにしても、主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのだ。
ローマ14:9 キリストが死んで、また生き返ったのは、死んだ人にも生きている人にも主となるためだった。
ローマ14:15 もし食べ物のことで兄弟姉妹を悲しませているなら、あなたはもう愛によって歩んではいない。あなたの食べ物のことで、その人を滅ぼしてはいけない。その人のためにも、キリストは死んでくださったのだ。
コリント人への第一の手紙(14か所)
コリント第一8:11 そうなると、あなたのその知識のせいで、弱い人が滅びてしまう。キリストがそのために死んでくださった、あの兄弟がだ。
コリント第一9:15 だが、わたしはこうした権利を一つも使ったことがない。そして、今こう書いているのも、そうしてもらいたいからではない。そんなことになるくらいなら、死んだほうがましだ。この誇りを、誰にも奪わせはしない。
コリント第一10:5 でも、その大半を神は喜ばれなかった。彼らは荒れ野で倒れ、死んでいったのだ。
コリント第一10:8 また、彼らの中のある者たちがしたように、性的に乱れた生き方をしてはいけない。そのために、一日で二万三千人が倒れて死んだ。
コリント第一15:3 わたしは、自分も受け取ったいちばん大切なことを、まずあなたがたに伝えた。それは、キリストがわたしたちの罪のために死なれたということ。これは聖書に書かれているとおりだ。
コリント第一15:22 アダムにあってすべての人が死ぬように、キリストにあってすべての人が生かされることになる。
コリント第一15:29 もしそうでないなら、死んだ人たちのためにバプテスマを受ける人は、どうなるのだろう。死者がまったく復活しないのなら、なぜその人たちのためにバプテスマを受けるのか。
コリント第一15:31 わたしは毎日死んでいる。これは、わたしたちの主キリスト・イエスにあってわたしが抱いている、あなたがたを誇る思いにかけて、はっきり言えることだ。
コリント第一15:32 もし、ただの人間の思いでエフェソで野獣と戦ったのなら、それがわたしに何の得になるだろう。死者が復活しないのなら、「食べよう、飲もう。どうせ明日は死ぬのだから」ということになる。
コリント第一15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生き返らない。
コリント第一15:51 よく聞いてほしい。あなたたちに一つの奥義を伝えよう。わたしたちは、みんなが死ぬわけではない。でも、みんなが変えられる。
コリント第一15:52 それは一瞬のうち、まばたきする間に起こる。最後のラッパが鳴るときのことだ。ラッパが鳴り響くと、死んだ人たちは朽ちない者としてよみがえり、わたしたちも変えられる。
コリント第一15:53 なぜなら、この朽ちる体は朽ちないものを着なければならず、この死ぬべき体は死なないものを着なければならないからだ。
コリント第一15:54 この朽ちる体が朽ちないものを着て、この死ぬべき体が死なないものを着るとき、こう書かれている言葉が実現する。「死は勝利にのみ込まれた。」
コリント人への第二の手紙(8か所)
コリント第二1:9 わたしたちは心の中で、死を宣告されたようなものだと感じていた。でもそれは、自分自身ではなく、死んだ者を生き返らせてくださる神に頼るためだった。
コリント第二3:7 さて、人を死に導くこの務めは、石に文字で刻まれたものだった。それでも栄光に包まれて始まり、イスラエルの人々はモーセの顔を見つめることができなかった。その顔が、やがて消えていく栄光で輝いていたからだ。
コリント第二4:11 生きているわたしたちは、イエスのためにいつも死に引き渡されている。それは、イエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき身に現れるためだ。
コリント第二5:4 この幕屋のような体の中にいるわたしたちは、重荷を負ってうめいている。今の体を脱ぎ捨てたいからではなく、その上に天の住まいを着たいからだ。そうして、死ぬべきものが、いのちにのみ込まれるためだ。
コリント第二5:14 というのも、キリストの愛がわたしたちを突き動かしているからだ。わたしたちはこう確信している。一人の方がすべての人のために死んでくださった。だから、すべての人が死んだのだ。
コリント第二5:15 その方がすべての人のために死んでくださったのは、生きている人たちが、もはや自分のためではなく、自分たちのために死んでよみがえってくださった方のために生きるようになるためだ。
コリント第二7:3 こう言うのは、あなたがたを責めるためではない。前にも言ったとおり、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、共に死に、共に生きる仲間なのだ。
コリント第二11:23 彼らはキリストに仕える者か。気が変になったように聞こえるだろうが、わたしはもっとそうだ。働きははるかに多く、牢に入れられたことも多く、打たれたことは数えきれず、死ぬような目にも何度も遭った。
ガラテヤ人への手紙(2か所)
ガラテヤ2:19 というのは、わたしは律法によって律法に対して死んだからだ。それは、神に対して生きるためだった。わたしはキリストとともに十字架につけられた。
ガラテヤ2:21 わたしは神の恵みを無にはしない。もし義が律法によって得られるのなら、キリストは無駄に死なれたことになるからだ。
エペソ人への手紙(3か所)
エペソ2:1 あなたたちは、かつては罪を犯し、神に背いていた。その罪のために、あなたたちは死んでいた。
エペソ2:5 罪のために死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かしてくださった。あなたたちが救われたのは、神の恵みによるのだ。
エペソ5:14 明るみに出されたものは、みんな光そのものになるからだ。だからこう言われている。「眠っている人よ、目を覚ませ。死んだ状態から起き上がれ。そうすれば、キリストがあなたを照らしてくれる。」
ピリピ人への手紙(3か所)
ピリピ1:20 わたしが待ち望み、望みをかけているのは、どんなことでも恥をかくことなく、いつものように今も堂々と語ることです。そして、生きるにしても死ぬにしても、わたしのこの身によってキリストがあがめられることです。
ピリピ1:21 わたしにとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。
ピリピ2:30 彼は、キリストの働きのために、命を投げ出して死ぬところまでいったのです。あなたがたがわたしのためにできなかった奉仕を、彼が代わりに埋め合わせようとしてくれたからです。
コロサイ人への手紙(4か所)
コロサイ2:13 あなたがたは、罪の中に死んでいて、肉の割礼も受けていなかった。しかし神は、そんなあなたがたを、キリストと共に生かしてくださった。わたしたちのすべての罪を赦して。
コロサイ2:20 あなたがたはキリストとともに死んで、この世を支配する力から解き放たれた。それなのに、どうしてまだこの世に生きているかのように、規則に縛られているのか。
コロサイ3:3 あなたがたはすでに死んだのだ。そして、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されている。
コロサイ3:5 だから、あなたがたのうちにある地上的なものを、死んだものとしなさい。すなわち、みだらな行い、汚れ、情欲、悪い欲望、そして貪欲だ。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
テサロニケ人への第一の手紙(3か所)
テサロニケ第一4:14 わたしたちは、イエスが死んで、そして復活したと信じている。それなら同じように、神はイエスを信じて眠りについた人たちを、イエスといっしょに連れて来てくださる。
テサロニケ第一4:16 主ご自身が、号令とともに、天使長の声とともに、神のラッパの響きとともに、天から降りて来られる。すると、キリストを信じて死んだ人たちが、まず最初によみがえる。
テサロニケ第一5:10 主は、わたしたちのために死んでくださった。それは、目を覚ましていても眠っていても、わたしたちが主とともに生きるためだ。
テモテへの第一の手紙(2か所)
テモテ第一5:6 でも、快楽にふけって生きている未亡人は、生きていても、もう死んでいるのと同じだ。
テモテ第一6:16 ただひとり、死ぬことのない方。近づくこともできない光の中に住み、だれひとり見たことがなく、見ることもできない方だ。この方に、誉れと永遠の力がありますように。アーメン。
テモテへの第二の手紙(2か所)
テモテ第二2:11 次の言葉は信頼できる。「もしわたしたちがキリストと共に死んだのなら、共に生きることにもなる。
テモテ第二4:1 生きている者と死んだ者とをさばこうとしておられる神と、キリスト・イエスの前で、そしてその現れと御国にかけて、わたしは厳かに命じる。
ヘブル人への手紙(12か所)
ヘブル3:17 では、神が四十年もの間、怒りを覚えたのは誰に対してだったのか。罪を犯し、荒れ野で倒れて死んでいった、あの人たちに対してではないか。
ヘブル6:1 だから、キリストについての初歩の教えはもう卒業して、成熟へと進んで行こう。もう一度、土台を築き直すのはやめよう。つまり、死んだ行いから離れて心を入れ替えることや、神を信じる信仰、
ヘブル7:8 一方では、いつか死ぬ人間が十分の一を受け取っている。でももう一方では、生きていると証しされている人が受け取っているのだ。
ヘブル9:14 それなら、キリストの血はどれほどのことができるだろう。キリストは、永遠の霊によって、傷のない完全なささげ物として、ご自分を神にささげられた。その血は、わたしたちの心を、死んだ行いから清めてくれる。そして、生きておられる神に仕えることができるようにしてくれるのだ。
ヘブル9:16 遺言というものがある場合、それを残した人が死んだことが証明されなければならない。
ヘブル9:17 遺言が効力を持つのは、その人が死んでからだ。残した人が生きているあいだは、まだ何の力もない。
ヘブル9:27 人には一度だけ死ぬことが定められていて、その後に裁きを受ける。
ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたささげ物を神にささげた。その信仰によって、彼は正しい人だと認められた。神が彼のささげ物を良しとされたからだ。アベルは死んでしまったが、今もその信仰を通して語りかけている。
ヘブル11:12 こうして、死んだも同然の一人の人から、空の星のように数えきれず、海辺の砂のように無数の子孫が生まれたのだ。
ヘブル11:13 この人たちはみな、信仰を持ったまま死んでいった。約束されたものを手に入れることはなかったが、はるか遠くにそれを見て、喜んで迎え、自分たちは地上ではよそ者であり、旅人なのだと、はっきり認めていた。
ヘブル11:19 アブラハムは、神には死んだ者さえ生き返らせる力がある、と考えていた。だから彼は、いわば死からイサクを取り戻したようなものだった。
ヘブル11:35 女たちは、死んだ身内が生き返って戻ってくるのを受け取った。一方で、拷問を受けても釈放を受け入れなかった人たちもいた。もっとすぐれた復活にあずかるためだ。
ヤコブの手紙(2か所)
ヤコブ2:17 それと同じで、信仰も、行いがともなわなければ、それだけでは死んでいる。
ヤコブ2:26 たましいのない体が死んでいるように、行いのともなわない信仰も死んでいるのだ。
ペテロの第一の手紙(4か所)
ペテロ第一2:24 この方は、わたしたちの罪をその身に負って、十字架の上でその罪を背負ってくださった。わたしたちが罪に対して死に、義のために生きるためだ。この方の傷によって、あなたたちはいやされたのだ。
ペテロ第一3:18 キリストも、罪のために一度だけ苦しまれた。正しい方が正しくない者たちのために苦しみ、あなたたちを神のもとへ導くためだった。キリストは肉体では死なれたが、霊においては生かされた。
ペテロ第一4:5 しかし彼らは、生きている人も死んだ人もさばこうと構えているお方に、その報告をしなければならない。
ペテロ第一4:6 死んだ人たちにも良い知らせが伝えられたのは、このためだ。人間の基準では肉体においてさばかれても、神の前では霊において生きるためなのだ。
ユダの手紙(1か所)
ユダ1:12 この者たちは、あなたがたの愛の会食に潜む暗礁だ。何も恐れずにあなたがたと一緒に飲み食いし、自分のことだけを養っている。彼らは、風に吹き流される、雨を降らせない雲だ。実りの季節なのに実をつけない木、二度死んで根こそぎ引き抜かれた木だ。
ヨハネの黙示録(13か所)
黙示録1:17 わたしはその方を見たとき、死んだようにその足もとに倒れ込んだ。すると、その方は右手をわたしの上に置いて、こう言った。「恐れることはない。わたしは最初であり、最後である。