「死ぬ」(しぬ)が出てくる聖書の箇所

「死ぬ」(しぬ)は日常訳第1版の812か所(旧約599・新約213)に出てきます。「死ねる」も含みます。口語訳では667か所。

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812か所を200か所ずつ5ページに分けています(4ページ目)。

マタイによる福音書(18か所)

マタイ2:19 へロデが死しんだ後あと、ヨセフがエジプトにいたとき、主しゅの使つかいが夢ゆめの中なかに現あらわれた。

マタイ2:20 「起おきなさい。子こどもとその母ははを連つれて、イスラエルの地ちに行いきなさい。子こどもの命いのちをねらっていた人ひとたちは、もう死しんだのだから」

マタイ8:22 「わたしについてきなさい。死しんだ人ひとを葬ほうむるのは、死しんだ人ひとたちに任まかせておきなさい」とイエスは言いった。

マタイ9:18 これらのことを話はなしていると、一人ひとりの会堂かいどうの管理かんり者しゃが来きて、イエスの前まえにひざまずいて言いった。「わたしの娘むすめがたった今いま死しんでしまいました。でも、来きて娘むすめに手てを置おいてやってください。そうすれば娘むすめは生いき返かえります。」

マタイ9:24 「あちらへ行いっていなさい。この子こは死しんだんじゃない。ただ眠ねむっているだけだ。」すると人々ひとびとはイエスをあざ笑わらった。

マタイ10:8 病人びょうにんを治なおし、死しんだ人ひとを生いき返かえらせ、重おもい皮膚ひふ病びょうの人ひとをきよめ、悪霊あくれいを追おい出だしなさい。あなたたちはただで受うけたのだから、ただで与あたえなさい。

マタイ11:5 目めの見みえない人ひとが見みえるようになり、足あしの不ふ自由じゆうな人ひとが歩あるき、重おもい皮膚ひふ病びょうの人ひとがきよめられ、耳みみの聞きこえない人ひとが聞きこえるようになる。死しんだ人ひとが生いき返かえり、貧まずしい人ひとには良よい知しらせが伝つたえられている。

マタイ14:2 家来けらいたちにこう言いった。「あれはバプテスマのヨハネだ。死しんだのに生いき返かえったんだ。だから、あんな力ちからが彼かれの中なかで働はたらいているんだ」

マタイ15:4 神かみはこう言いわれた。「父ちちと母ははを敬うやまいなさい。」また「父ちちや母ははをののしる者ものは、必かならず死しななければならない。」

マタイ16:28 よく聞きいてほしい。ここに立たっている人ひとの中なかには、人ひとの子こが王おうとして来くるのを見みるまで、決けっして死しなない人ひとがいる。」

マタイ22:24 「先生せんせい、モーセはこう言いいいました。『もし、ある人ひとが子こどものないまま死しんだら、その弟おとうとは兄あにの妻つまと結婚けっこんして、兄あにのために子孫しそんを残のこさなければならない』。

マタイ22:27 最後さいごに、その女おんなも死しんだ。

マタイ22:32 わたしはアブラハムの神かみ、イサクの神かみ、ヤコブの神かみである』神かみは死しんだ者ものの神かみではなく、生いきている者ものの神かみなのだ」

マタイ23:27 偽善ぎぜん者しゃの律法りっぽう学がく者しゃ、ファリサイ派はの人ひとたち、あなたたちはひどい目めにあう。あなたたちは白しろく塗ぬった墓はかみたいだ。外側そとがわはきれいに見みえるけど、中なかは死しんだ人ひとの骨ほねや、あらゆる汚よごれたものでいっぱいだ。

マタイ26:35 ペテロは言いった。「たとえあなたと一緒いっしょに死しぬことになっても、あなたなんて知しらないなんて、決けっして言いいいません。」ほかの弟子でしたちもみな、同おなじように言いった。

マタイ26:38 そのとき、イエスは彼かれらに言いった。「わたしは、死しぬほど深ふかく悲かなしんでいる。ここにいて、わたしといっしょに目めを覚さましていてほしい」

マタイ27:5 それで、彼かれはその銀貨ぎんかを聖せい所しょに投なげ込こんで立たち去さり、首くびをつって死しんだ。

マルコによる福音書(19か所)

マルコ5:23 しきりに願ねがった。「わたしの幼おさない娘むすめが死しにかけています。どうか来きて、娘むすめに手てを置おいてやってください。そうすれば娘むすめは助たすかって、生いきられます。」

マルコ5:39 イエスは中なかに入はいって、人々ひとびとに言いった。「なぜ取とり乱みだして泣ないているのか。子こどもは死しんだのではない。眠ねむっているだけだ。」

マルコ7:10 モーセはこう言いった。『父ちちと母ははを敬うやまいなさい。』また、『父ちちや母ははをののしる者ものは、必かならず死しななければならない。』

マルコ9:1 そしてイエスは彼かれらにこう言いった。「本当ほんとうのことを言ゆう。ここに立たっている人ひとの中なかには、神かみの国くにが力ちからとともに実現じつげんするのを見みるまで、決けっして死しなない者ものがいる。」

マルコ9:26 すると霊れいは叫さけび声ごえをあげ、その子こを激はげしくけいれんさせてから出でて行いった。子こどもはまるで死しんだようになり、多おおくの人ひとが「死しんでしまった」と言いうほどだった。

マルコ9:44 〔地獄じごくでは、彼かれらを食くらううじは死しなず、火ひも消きえることがない。〕

マルコ9:48 そこでは、彼かれらを食くう虫むしは死しなず、火ひも消きえることがない。

マルコ12:19 「先生せんせい、モーセはわたしたちにこう書かき残のこしました。ある人ひとの兄あにが死しんで、妻つまを残のこし、子こどもがいなかった場合ばあい、その弟おとうとが兄あにの妻つまをめとって、兄あにのために子孫しそんを残のこさなければならない、と。

マルコ12:20 さて、七しち人にんの兄弟きょうだいがいました。長男ちょうなんが妻つまをめとりましたが、子こどもを残のこさずに死しにました。

マルコ12:21 次男じなんがその女性じょせいをめとりましたが、やはり子こどもを残のこさずに死しにました。三さん男なんも同おなじでした。

マルコ12:22 こうして七しち人にんとも子こどもを残のこしませんでした。最後さいごにその女性じょせいも死しにました。

マルコ12:25 死しんだ人ひとが生いき返かえるときには、結婚けっこんすることも、めとられることもない。天てんにいる天使てんしのようになるのだ。

マルコ12:26 死しんだ人ひとが生いき返かえることについては、モーセの書しょの、燃もえる柴しばのくだりを読よんだことがないのか。神かみはモーセにこう言いわれた。『わたしはアブラハムの神かみ、イサクの神かみ、ヤコブの神かみである。』

マルコ12:27 神かみは死しんだ者ものの神かみではなく、生いきている者ものの神かみなのだ。あなたたちは大おおきく間違まちがっている。」

マルコ13:12 兄弟きょうだいは兄弟きょうだいを、父ちちは子こを裏切うらぎって死しに追おいやる。子こは親おやに逆さからって立たち上あがり、親おやを死しなせる。

マルコ14:31 でも、ペトロは強つよく言い張っいいはった。「たとえあなたと一緒いっしょに死しぬことになっても、あなたを知しらないなんて絶対ぜったいに言いいいません。」ほかのみんなも同おなじように言いった。

マルコ14:34 そして彼かれらに言いった。「わたしの心こころは、死しにそうなほど深ふかく悲かなしんでいる。ここにいて、目めを覚さましていなさい。」

マルコ15:44 ピラトは、イエスがもう死しんだと聞きいておどろいた。そこで百ひゃく人にん隊長たいちょうを呼よび寄よせて、イエスが死しんでからどれくらいたつのかとたずねた。

マルコ16:18 蛇へびを手てでつかんでも、死しぬような毒どくを飲のんでも、決けっして害がいを受うけない。病人びょうにんに手てを置おけば、その人ひとは元気げんきになる。」

ルカによる福音書(26か所)

ルカ2:26 聖せいなる霊れいは、彼かれにこう告つげていた。あなたは、主しゅが遣つかわすキリストを見みるまでは決けっして死しなない、と。

ルカ7:12 町まちの門もんに近ちかづくと、ちょうど死しんだ人ひとが運はこび出だされるところだった。それは、ある母親ははおやのひとり息子むすこだった。しかも彼女かのじょはやもめで、その母親ははおやのそばには町まちの大勢おおぜいの人ひとたちがついていた。

ルカ7:15 すると、死しんでいた人ひとが起おき上あがって、話はなし始はじめた。イエスは彼かれを母親ははおやに返かえした。

ルカ7:22 そしてイエスは二人ふたりにこう答こたえた。「行いって、自分じぶんたちが見みたこと、聞きいたことをヨハネに伝つたえなさい。目めの見みえない人ひとが見みえるようになり、足あしの不ふ自由じゆうな人ひとが歩あるき、重おもい皮膚ひふ病びょうの人ひとがきよめられ、耳みみの聞きこえない人ひとが聞きこえるようになっている。死しんだ人ひとが生いき返かえり、貧まずしい人ひとには良よい知しらせが伝つたえられている。

ルカ8:42 十じゅう二に歳さいほどのひとり娘むすめがいて、その子こが死しにかけていたのだ。イエスが向むかう途中とちゅうも、群衆ぐんしゅうが押おし寄よせてもみくちゃにした。

ルカ8:52 みんなは泣ないて、その子このために嘆なげき悲かなしんでいた。でもイエスは言いった。「泣なかなくていい。この子こは死しんだのではない。眠ねむっているのだ。」

ルカ8:53 人々ひとびとは、その子こが死しんだことを知しっていたので、イエスをあざ笑わらった。

ルカ9:27 はっきり言いっておく。ここに立たっている人ひとの中なかには、神かみの御み国くにを見みるまでは決けっして死しなない人ひとたちがいる。」

ルカ9:60 でも、イエスは言いった。「死しんだ人ひとを葬ほうむることは、死しんだ人ひとたちに任まかせておきなさい。あなたは行いって、神かみの御み国くにを伝つたえなさい。」

ルカ13:4 それとも、シロアムの塔とうが倒たおれて下敷したじきになって死しんだ、あの十じゅう八はち人にんはどうか。彼かれらが、エルサレムに住すむほかのどの人ひとよりも罪深つみぶかかったと思おもうのか。

ルカ13:33 とにかく、わたしは今日きょうも明日あすも、その次つぎの日ひも進すすんで行いかなければならない。預言よげん者しゃがエルサレムの外そとで死しぬことなど、あってはならないからだ。

ルカ15:24 このわたしの子こは死しんでいたのに、生いき返かえったのだ。いなくなっていたのに、見みつかったのだ。』こうして、みんなでお祝いいわいを始はじめた。

ルカ15:32 でも、喜よろこんで祝いわうのは当然とうぜんじゃないか。おまえのこの弟おとうとは、死しんでいたのに生いき返かえった。いなくなっていたのに、見みつかったんだから。』」

ルカ16:22 やがて、この貧まずしい男おとこは死しに、天使てんしたちに運はこばれてアブラハムのそばに連つれて行いかれた。金持かねもちも死しんで葬ほうむられた。

ルカ16:30 金持かねもちは言いった。『いいえ、父ちちアブラハムよ。でも、だれかが死しんだ者ものの中なかから彼かれらのところへ行いけば、きっと悔くい改あらためるはずです。』

ルカ16:31 アブラハムは言いった。『モーセと預言よげん者しゃたちの言葉ことばに耳みみを傾かたむけないのなら、たとえだれかが死しんだ者ものの中なかから生いき返かえっても、彼かれらは聞き入れききいれないだろう。』

ルカ20:28 「先生せんせい、モーセはわたしたちにこう書かき残のこしました。『ある人ひとの兄弟きょうだいが、妻つまがいるのに子こどもを残のこさずに死しんだら、残のこされた兄弟きょうだいがその妻つまをめとり、死しんだ兄弟きょうだいのために子孫しそんを残のこさなければならない。』

ルカ20:29 ところで、ここに七しち人にんの兄弟きょうだいがいました。長男ちょうなんは妻つまをめとりましたが、子こどもがないまま死しにました。

ルカ20:31 三さん男なんもその人ひとをめとりましたが、同おなじでした。こうして七しち人にんみんなが、子こどもを残のこさずに死しんでいったのです。

ルカ20:32 最後さいごに、その女おんなの人ひとも死しにました。

ルカ20:35 でも、次つぎの世よに入はいるのにふさわしいとされ、死しんだ人ひとの中なかから生いき返かえらせてもらえる人ひとたちは、結婚けっこんすることも、めとったり嫁とついだりすることもない。

ルカ20:36 その人ひとたちはもう死しぬこともない。天使てんしのような存在そんざいであり、生いき返かえった者ものとして、神かみの子こどもだからだ。

ルカ20:37 死しんだ人ひとが生いき返かえることは、モーセも柴しばのところで示ししめしている。そこで彼かれは、主しゅのことを『アブラハムの神かみ、イサクの神かみ、ヤコブの神かみ』と呼よんでいる。

ルカ20:38 神かみは死しんだ者ものの神かみではなく、生いきている者ものの神かみだ。神かみにとっては、すべての人ひとが生いきているのだから。」

ルカ22:33 すると彼かれは言いった。「主しゅよ、わたしはあなたと一緒いっしょなら、牢屋ろうやにでも、死しにでも行いく覚悟かくごができています。」

ルカ24:5 女おんなたちは恐おそろしくなって、顔かおを地面じめんに伏ふせた。すると二人ふたりは言いった。「どうして、生いきている方かたを死しんだ者ものの中なかに探さがすのですか。

ヨハネによる福音書(35か所)

ヨハネ4:49 「主しゅよ、どうか子こどもが死しんでしまう前まえに来きてください」と、その役人やくにんはイエスに言いった。

ヨハネ5:21 父ちちが死しんだ人ひとたちをよみがえらせて命いのちを与あたえるように、子こもまた、与あたえたいと思おもう人ひとに命いのちを与あたえる。

ヨハネ5:25 よくよく言いっておく。死しんだ者ものたちが神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いまもう来きている。そして聞きいた者ものは生いきる。

ヨハネ6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野こうやでマナを食たべたけれど、死しんでしまった。

ヨハネ6:50 これは、天てんから下くだってくるパンだ。これを食たべる人ひとは、決けっして死しなない。

ヨハネ6:58 このパンは、天てんから下くだってきたパンだ。先祖せんぞたちはマナを食たべたが、それでも死しんでしまった。でも、このパンを食たべる人ひとは、いつまでも生いきる。

ヨハネ8:21 わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがすだろう。でも、自分じぶんの罪つみを抱かかえたまま死しぬことになる。わたしが行いく所ところに、あなたがたは来くることができない。

ヨハネ8:24 わたしはあなたたちに、あなたたちは自分じぶんの罪つみのまま死しぬことになると言いった。もしわたしがその者ものであることを信しんじないなら、あなたたちは自分じぶんの罪つみのまま死しぬことになるからだ。」

ヨハネ8:51 よくよく言いっておく。わたしの言葉ことばを守まもる人ひとは、いつまでも決けっして死しぬことがない。」

ヨハネ8:52 ユダヤ人じんたちは言いった。「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しんだし、預言よげん者しゃたちも死しんだ。それなのにあなたは、『わたしの言葉ことばを守まもる人ひとは、決けっして死しを味あじわうことがない』と言ゆう。

ヨハネ8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいというのか。アブラハムは死しに、預言よげん者しゃたちも死しんだ。あなたは自分じぶんをいったい何者なにものだと思おもっているのか。」

ヨハネ11:4 この病気びょうきは死しんで終おわるものじゃない。神かみの栄光えいこうのためのものだ。それによって、神かみの子こが栄光えいこうを受うけるためなんだ。

ヨハネ11:13 イエスはラザロが死しんだことを言いっていた。でも弟子でしたちは、ただ眠ねむって休やすんでいることを言いっているのだと思おもった。

ヨハネ11:14 それでイエスは、はっきりと言いった。「ラザロは死しんだ。

ヨハネ11:16 するとデドモ、つまり「双子ふたご」と呼よばれるトマスが、ほかの弟子でしたちにこう言いった。「わたしたちも行いこう。そして先生せんせいと一緒いっしょに死しのうじゃないか」

ヨハネ11:21 主しゅよ、もしここにいてくださったら、わたしの兄弟きょうだいは死しななかったはずです。

ヨハネ11:25 イエスはマルタに言いった。「わたしはよみがえりであり、命いのちである。わたしを信しんじる人ひとは、死しんでも生いきる。

ヨハネ11:26 そして、生いきていてわたしを信しんじる者ものは、決けっして死しぬことがない。あなたは、これを信しんじるか。」

ヨハネ11:32 マリアは、イエスのいる所ところまで来きた。そしてイエスを見みるなり、その足あしもとにひれ伏ふして言いった。「主しゅよ、もしあなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟きょうだいは死しななかったのに」

ヨハネ11:37 しかし、彼かれらの中なかには、「盲人もうじんの目めを開あけたこの人ひとが、ラザロを死しなせないようにはできなかったのか」と言いう者ものもいた。

ヨハネ11:39 イエスは言いった。「その石いしを取とりのけなさい。」すると、死しんだラザロの姉妹しまいマルタが言いった。「主しゅよ、もう臭におっています。亡なくなって四日よっかも経たっていますから。」

ヨハネ11:44 死しんでいた人ひとが、手ても足あしも布ぬので巻まかれたまま出でてきた。顔かおも布ぬので包つつまれていた。イエスは人々ひとびとに言いった。「ほどいてやりなさい。そして帰かえらせてあげなさい。」

ヨハネ11:50 ひとりの人ひとが国民こくみんの代かわりに死しぬほうが、国民こくみん全体ぜんたいが滅ほろびるよりも、あなたたちにとっていいはずだ。それが分わかっていない」

ヨハネ11:51 これは彼かれが自分じぶんの考かんがえで言いったのではない。彼かれはその年としの大だい祭司さいしだったので、イエスがこの国民こくみんのために死しぬことになると預言よげんしたのだ。

ヨハネ12:1 過越すぎこしの祭まつりの六むい日か前まえ、イエスはベタニアに来きた。そこは、イエスが死しんだ人ひとの中なかから生いき返かえらせたラザロが住すんでいる村むらだった。

ヨハネ12:9 そこで、大勢おおぜいのユダヤ人じんがイエスはそこにいると知しって、集あつまってきた。イエスに会あうためだけではなく、イエスが死しんだ人ひとの中なかから生いき返かえらせたラザロも見みるためだった。

ヨハネ12:17 イエスがラザロを墓はかから呼よび出だして、死しんだラザロを生いき返かえらせたとき、その場ばに一緒いっしょにいた群衆ぐんしゅうは、この出来事できごとを人々ひとびとに語かたり伝つたえた。

ヨハネ12:24 はっきり言いっておく。一いち粒つぶの麦むぎは、地ちに落おちて死しななければ、たった一いち粒つぶのままだ。でも、死しねば、たくさんの実みを結むすぶ。

ヨハネ12:33 これは、自分じぶんがどんな死しに方かたで死しぬことになるかを示ししめして、言いった言葉ことばだった。

ヨハネ18:14 カヤパは、ひとりの人ひとが民たみ全体ぜんたいのために死しぬほうがいいと、ユダヤ人じんたちに助言じょげんした人物じんぶつだった。

ヨハネ18:32 それは、イエスが自分じぶんがどんな死しに方かたをするのかを示ししめして語かたった言葉ことばが、そのとおりになるためだった。

ヨハネ19:33 しかし兵士へいしたちは、イエスのところに来きて、すでに死しんでいるのを見みた。だから、その足あしは折おらなかった。

ヨハネ21:14 イエスが死しんでよみがえったあと、弟子でしたちの前まえに現あらわれたのは、これで三さん度ど目めだった。

ヨハネ21:19 これは、ペテロがどんな死しに方かたで神かみの栄光えいこうをあらわすことになるかを示しめすために言いわれた言葉ことばだ。そしてこう言いってから、「わたしについてきなさい」と言いわれた。

ヨハネ21:23 それで、この弟子でしは死しなないといううわさが、仲間なかまたちの間あいだに広ひろまった。でもイエスは、彼かれが死しなないと言いったのではない。「わたしが戻もどるまで彼かれに生いきていてほしいと、わたしが望のぞんだとしても、あなたには関係かんけいないことだ」と言いっただけだった。

使徒行伝(14か所)

使徒1:3 イエスは苦くるしみを受うけて死しんだ後あと、使徒しとたちの前まえに生いきた姿すがたで現あらわれ、自分じぶんが生いきていることを数多かずおおくの確たしかなしるしで示ししめしました。四十よんじゅう日にちにわたって彼かれらに姿すがたを見みせ、神かみの国くにについて語かたりました。

使徒2:29 兄弟きょうだいのみなさん、わたしたちの先祖せんぞダビデについて、はっきり言いわせてください。ダビデは死しんで葬ほうむられ、その墓はかは今日きょうまで、わたしたちのところに残のこっています。

使徒4:2 二人ふたりが人々ひとびとに教おしえ、イエスのことを通とおして、死しんだ人ひとがよみがえるのだと語かたっていたので、彼かれらはひどく腹はらを立たてていた。

使徒5:10 すると、彼女かのじょはすぐにペテロの足あしもとに倒たおれて、息いき絶たえた。若者わかものたちが入はいってきて、彼女かのじょが死しんでいるのを見みつけ、運はこび出だして夫おっとのそばに葬ほうむった。

使徒7:15 こうしてヤコブはエジプトへ下くだって行いった。そしてヤコブも、わたしたちの先祖せんぞも、そこで死しんだ。

使徒10:42 そしてイエスは、わたしたちにこう命めいじました。生いきている人ひとにも死しんだ人ひとにも、神かみが裁さばく者ものとしてお立たてになったのはこのイエスだと、人々ひとびとに宣のべ伝つたえ、しっかり証あかしするように、と。

使徒14:19 ところが、アンティオキアとイコニオンからユダヤ人じんたちがやって来きた。彼かれらは群衆ぐんしゅうを説とき伏ふせ、パウロに石いしを投なげつけた。そして、死しんだと思おもって、町まちの外そとへ引ひきずり出だした。

使徒17:3 そして聖書せいしょを解とき明あかしながら、こう説明せつめいした。「キリストは必かならず苦くるしみを受うけ、死しんでよみがえるはずでした。わたしがあなたがたに伝つたえているこのイエスこそ、そのキリストなのです。」

使徒20:9 エウテコという若者わかものが窓まどのところに腰こしかけていたが、パウロの話はなしが長ながく続つづくうちに、深ふかい眠ねむりに引ひき込こまれていった。そしてすっかり眠ねむり込こんでしまい、三さん階かいから下したに落おちてしまった。抱だき起おこしてみると、もう死しんでいた。

使徒21:13 すると、パウロはこう答こたえた。「なぜ泣ないて、わたしの心こころをくじくのですか。わたしは主しゅイエスの名なのためなら、エルサレムで縛しばられるだけでなく、死しぬ覚悟かくごまでできているのです。」

使徒25:11 もしわたしが罪つみを犯おかし、死刑しけいに当あたるようなことをしたのなら、死しぬことを拒こばみはしません。しかし、この人ひとたちの訴うったえにまったく根拠こんきょがないのなら、だれもわたしを彼かれらに引ひき渡わたすことはできません。わたしは皇帝こうていに上訴じょうそします。」

使徒25:19 ただ、彼かれら自身じしんの宗教しゅうきょうについての、いくつかの論点ろんてんで彼かれと言い争っいいあらそっていただけでした。それに、死しんだはずのイエスという人ひとのことで、パウロはその人ひとが生いきていると言い張っいいはっていたのです。

使徒26:8 神かみが死しんだ人ひとを生いき返かえらせるということが、なぜあなたがたには信しんじられないことだと思おもわれるのでしょうか。

使徒28:6 人々ひとびとは、彼かれの体からだが腫はれ上あがるか、急きゅうに倒たおれて死しぬだろうと思おもっていた。ところが、いくら待まっても彼かれに何なんも変かわったことが起おこらないのを見みて、考かんがえを変かえ、「この人ひとは神かみさまだ」と言いいい出だした。

ローマ人への手紙(28か所)

ローマ4:17 「あなたを多おおくの民族みんぞくの父ちちとした」と書かいてあるとおりだ。アブラハムは、この神かみを信しんじた。死しんだ者ものを生いき返かえらせ、存在そんざいしないものを存在そんざいするものとして呼よび出だす神かみである。

ローマ4:19 およそ百ひゃく歳さいになり、自分じぶんの体からだはもう死しんだも同然どうぜんで、サラの胎はらも子こを宿しゅくせないとわかっていた。それでもアブラハムの信仰しんこうは弱よわらなかった。

ローマ5:6 わたしたちがまだ弱よわかったころ、キリストは、定さだめられた時ときに、神かみを無視むしして生いきる者ものたちのために死しんでくださった。

ローマ5:7 わたしたちのうち、正ただしい人ひとのために死しぬ人ひとはほとんどいない。善よい人ひとのためなら、思おもいきって死しぬ人ひともいるかもしれないが。

ローマ5:8 まだ罪人ざいにんだったわたしたちのために、キリストは死しんでくれた。神かみはそうやって、わたしたちへの愛あいをはっきり示ししめしている。

ローマ5:15 恵めぐみという贈おくり物ものは、あの過あやまちとは同おなじではない。もし一人ひとりの過あやまちのせいで多おおくの人ひとが死しんだのなら、神かみの恵めぐみと、一人ひとりの人ひとイエス・キリストの恵めぐみによって与あたえられる贈おくり物ものは、なおさら豊ゆたかに多おおくの人ひとにあふれたはずだ。

ローマ6:2 絶対ぜったいにそんなことはない。罪つみに対たいして死しんだわたしたちが、どうしてまだ罪つみの中なかで生いきていけるだろうか。

ローマ6:7 死しんだ者ものは、罪つみから解放かいほうされているからだ。

ローマ6:8 もしわたしたちがキリストと共ともに死しんだのなら、キリストと共ともに生いきることにもなる。わたしたちはそう信しんじている。

ローマ6:9 キリストは死者ししゃの中なかから復活ふっかつした以上いじょう、もう二に度どと死しぬことはない。死しはもう、キリストを支配しはいできないのだ。

ローマ6:10 キリストが死しんだのは、罪つみに対たいしてただ一いち度どだけ死しんだのだ。でも生いきている今いまは、神かみに対たいして生いきている。

ローマ6:11 罪つみに対たいしては死しんだ者ものであり、キリスト・イエスにあって神かみに対たいしては生いきている者ものだ。あなたがたも、自分じぶん自身じしんをそのように考かんがえなさい。

ローマ6:12 だから、罪つみにあなたたちの体からだを支配しはいさせてはいけない。あなたたちの体からだはいつか死しぬものだ。その体からだを罪つみに明あけ渡わたして、体からだの欲望よくぼうに従したがってはいけない。

ローマ7:2 夫おっとのいる女性じょせいは、夫おっとが生いきている間あいだは、律法りっぽうによって夫おっとに縛しばられている。でも夫おっとが死しねば、夫おっとに関かんするその律法りっぽうから解放かいほうされる。

ローマ7:3 夫おっとが生いきている間あいだに、その妻つまがほかの男おとこのものになれば、彼女かのじょは不倫ふりんの女おんなと呼よばれる。でも夫おっとが死しねば、彼女かのじょはその律法りっぽうから解放かいほうされる。だから、ほかの男おとこのものになっても、不倫ふりんの女おんなにはならない。

ローマ7:4 だから、わたしの兄弟きょうだい姉妹しまいたち。あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法りっぽうに対たいして死しんだのだ。それは、あなたがたが別べつの方かた、つまり死者ししゃの中なかからよみがえった方かたのものとなるためだ。こうして、わたしたちは神かみのために実みを結むすぶのだ。

ローマ7:6 でも今いまは、わたしたちを縛しばっていたものに対たいして死しんだので、律法りっぽうから解放かいほうされた。だから、古ふるい文字もじにではなく、新あたらしい霊れいによって仕つかえるのだ。

ローマ7:8 罪つみは、その戒いましめをきっかけにして、わたしの中なかにありとあらゆる欲望よくぼうを引ひき起おこした。律法りっぽうがなければ、罪つみは死しんでいるからだ。

ローマ7:10 わたしは死しんだ。命いのちに導みちびくはずのその戒いましめが、かえってわたしを死しに導みちびくものだと分わかった。

ローマ8:10 もしキリストがあなたがたの内うちにおられるなら、体からだは罪つみのせいで死しんでいても、霊れいは義ぎのゆえに生いきている。

ローマ8:11 もし、イエスを死者ししゃの中なかからよみがえらせた方かたの霊れいがあなたがたの内うちに住すんでいるなら、キリスト・イエスを死者ししゃの中なかからよみがえらせた方かたは、あなたがたの内うちに住すんでいるその霊れいによって、あなたがたの死しぬべき体からだをも生いかしてくださる。

ローマ8:13 もし肉にくの思おもいのままに生いきるなら、あなたたちは死しぬ。でも、御ご霊れいの力ちからで体からだの悪わるい行おこないを殺ころすなら、あなたたちは生いきる。

ローマ8:34 だれがわたしたちを罪つみある者ものだと決きめつけるのか。キリスト・イエスは死しんで、いや、よみがえって、今いまは神かみの右みぎにいて、わたしたちのために神かみにとりなしてくださっている。

ローマ11:15 もし彼かれらが退しりぞけられたことで世界せかいが神かみと和解わかいできたのなら、彼かれらが受うけ入いれられることは、死しんだ者ものが生いき返かえるようなものではないだろうか。

ローマ14:7 だれひとり、自分じぶんのためだけに生いきている人ひとはいない。自分じぶんのためだけに死しぬ人ひともいない。

ローマ14:8 生いきるにしても、わたしたちは主しゅのために生いき、死しぬにしても、主しゅのために死しぬ。だから、生いきるにしても死しぬにしても、わたしたちは主しゅのものなのだ。

ローマ14:9 キリストが死しんで、また生いき返かえったのは、死しんだ人ひとにも生いきている人ひとにも主しゅとなるためだった。

ローマ14:15 もし食たべ物もののことで兄弟きょうだい姉妹しまいを悲かなしませているなら、あなたはもう愛あいによって歩あゆんではいない。あなたの食たべ物もののことで、その人ひとを滅ほろぼしてはいけない。その人ひとのためにも、キリストは死しんでくださったのだ。

コリント人への第一の手紙(14か所)

コリント第一8:11 そうなると、あなたのその知識ちしきのせいで、弱よわい人ひとが滅ほろびてしまう。キリストがそのために死しんでくださった、あの兄弟きょうだいがだ。

コリント第一9:15 だが、わたしはこうした権利けんりを一ひとつも使つかったことがない。そして、今いまこう書かいているのも、そうしてもらいたいからではない。そんなことになるくらいなら、死しんだほうがましだ。この誇ほこりを、誰だれにも奪うばわせはしない。

コリント第一10:5 でも、その大半たいはんを神かみは喜よろこばれなかった。彼かれらは荒あれ野ので倒たおれ、死しんでいったのだ。

コリント第一10:8 また、彼かれらの中なかのある者ものたちがしたように、性的せいてきに乱みだれた生いき方かたをしてはいけない。そのために、一日いちにちで二に万まん三千さんぜん人にんが倒たおれて死しんだ。

コリント第一15:3 わたしは、自分じぶんも受うけ取とったいちばん大切たいせつなことを、まずあなたがたに伝つたえた。それは、キリストがわたしたちの罪つみのために死しなれたということ。これは聖書せいしょに書かかかれているとおりだ。

コリント第一15:22 アダムにあってすべての人ひとが死しぬように、キリストにあってすべての人ひとが生いかされることになる。

コリント第一15:29 もしそうでないなら、死しんだ人ひとたちのためにバプテスマを受うける人ひとは、どうなるのだろう。死者ししゃがまったく復活ふっかつしないのなら、なぜその人ひとたちのためにバプテスマを受うけるのか。

コリント第一15:31 わたしは毎日まいにち死しんでいる。これは、わたしたちの主しゅキリスト・イエスにあってわたしが抱いいだいている、あなたがたを誇ほこる思おもいにかけて、はっきり言いえることだ。

コリント第一15:32 もし、ただの人間にんげんの思おもいでエフェソで野獣やじゅうと戦たたかったのなら、それがわたしに何なんの得とくになるだろう。死者ししゃが復活ふっかつしないのなら、「食たべよう、飲のもう。どうせ明日あすは死しぬのだから」ということになる。

コリント第一15:36 愚おろかな人ひとだ。あなたが蒔まくものは、死しななければ生いき返かえらない。

コリント第一15:51 よく聞きいてほしい。あなたたちに一ひとつの奥義おうぎを伝つたえよう。わたしたちは、みんなが死しぬわけではない。でも、みんなが変かえられる。

コリント第一15:52 それは一瞬いっしゅんのうち、まばたきする間あいだに起おこる。最後さいごのラッパが鳴なるときのことだ。ラッパが鳴なり響ひびくと、死しんだ人ひとたちは朽くちない者ものとしてよみがえり、わたしたちも変かえられる。

コリント第一15:53 なぜなら、この朽くちる体からだは朽くちないものを着きなければならず、この死しぬべき体からだは死しなないものを着きなければならないからだ。

コリント第一15:54 この朽くちる体からだが朽くちないものを着きて、この死しぬべき体からだが死しなないものを着きるとき、こう書かかかれている言葉ことばが実現じつげんする。「死しは勝利しょうりにのみ込こまれた。」

コリント人への第二の手紙(8か所)

コリント第二1:9 わたしたちは心こころの中なかで、死しを宣告せんこくされたようなものだと感かんじていた。でもそれは、自分じぶん自身じしんではなく、死しんだ者ものを生いき返かえらせてくださる神かみに頼たよるためだった。

コリント第二3:7 さて、人ひとを死しに導みちびくこの務つとめは、石いしに文字もじで刻きざまれたものだった。それでも栄光えいこうに包つつまれて始はじまり、イスラエルの人々ひとびとはモーセの顔かおを見みつめることができなかった。その顔かおが、やがて消きえていく栄光えいこうで輝かがやいていたからだ。

コリント第二4:11 生いきているわたしたちは、イエスのためにいつも死しに引ひき渡わたされている。それは、イエスのいのちが、わたしたちの死しぬべき身みに現あらわれるためだ。

コリント第二5:4 この幕屋まくやのような体からだの中なかにいるわたしたちは、重荷おもにを負おってうめいている。今いまの体からだを脱ぬぎ捨すてたいからではなく、その上うえに天てんの住すまいを着きたいからだ。そうして、死しぬべきものが、いのちにのみ込こまれるためだ。

コリント第二5:14 というのも、キリストの愛あいがわたしたちを突つき動うごかしているからだ。わたしたちはこう確信かくしんしている。一人ひとりの方かたがすべての人ひとのために死しんでくださった。だから、すべての人ひとが死しんだのだ。

コリント第二5:15 その方かたがすべての人ひとのために死しんでくださったのは、生いきている人ひとたちが、もはや自分じぶんのためではなく、自分じぶんたちのために死しんでよみがえってくださった方かたのために生いきるようになるためだ。

コリント第二7:3 こう言いうのは、あなたがたを責せめるためではない。前まえにも言いったとおり、あなたがたはわたしたちの心こころの中なかにいて、共ともに死しに、共ともに生いきる仲間なかまなのだ。

コリント第二11:23 彼かれらはキリストに仕つかえる者ものか。気きが変へんになったように聞きこえるだろうが、わたしはもっとそうだ。働はたらきははるかに多おおく、牢ろうに入いれられたことも多おおく、打うたれたことは数かぞえきれず、死しぬような目めにも何なん度ども遭あった。

ガラテヤ人への手紙(2か所)

ガラテヤ2:19 というのは、わたしは律法りっぽうによって律法りっぽうに対たいして死しんだからだ。それは、神かみに対たいして生いきるためだった。わたしはキリストとともに十字じゅうじ架かにつけられた。

ガラテヤ2:21 わたしは神かみの恵めぐみを無むにはしない。もし義ぎが律法りっぽうによって得えられるのなら、キリストは無駄むだに死しなれたことになるからだ。

エペソ人への手紙(3か所)

エペソ2:1 あなたたちは、かつては罪つみを犯おかし、神かみに背そむいていた。その罪つみのために、あなたたちは死しんでいた。

エペソ2:5 罪つみのために死しんでいたわたしたちを、キリストと共ともに生いかしてくださった。あなたたちが救すくわれたのは、神かみの恵めぐみによるのだ。

エペソ5:14 明あかるみに出だされたものは、みんな光ひかりそのものになるからだ。だからこう言いわれている。「眠ねむっている人ひとよ、目めを覚さませ。死しんだ状態じょうたいから起おき上あがれ。そうすれば、キリストがあなたを照てらしてくれる。」

ピリピ人への手紙(3か所)

ピリピ1:20 わたしが待まち望のぞみ、望のぞみをかけているのは、どんなことでも恥はじをかくことなく、いつものように今いまも堂々どうどうと語かたることです。そして、生いきるにしても死しぬにしても、わたしのこの身みによってキリストがあがめられることです。

ピリピ1:21 わたしにとって、生いきることはキリストであり、死しぬことは益えきなのです。

ピリピ2:30 彼かれは、キリストの働はたらきのために、命いのちを投なげ出だして死しぬところまでいったのです。あなたがたがわたしのためにできなかった奉仕ほうしを、彼かれが代かわりに埋うめ合あわせようとしてくれたからです。

コロサイ人への手紙(4か所)

コロサイ2:13 あなたがたは、罪つみの中なかに死しんでいて、肉にくの割礼かつれいも受うけていなかった。しかし神かみは、そんなあなたがたを、キリストと共ともに生いかしてくださった。わたしたちのすべての罪つみを赦ゆるして。

コロサイ2:20 あなたがたはキリストとともに死しんで、この世よを支配しはいする力ちからから解とき放はなたれた。それなのに、どうしてまだこの世よに生いきているかのように、規則きそくに縛しばられているのか。

コロサイ3:3 あなたがたはすでに死しんだのだ。そして、あなたがたのいのちは、キリストとともに神かみのうちに隠かくされている。

コロサイ3:5 だから、あなたがたのうちにある地上ちじょう的てきなものを、死しんだものとしなさい。すなわち、みだらな行おこない、汚よごれ、情欲じょうよく、悪わるい欲望よくぼう、そして貪欲どんよくだ。貪欲とんよくは偶像ぐうぞう礼拝れいはいにほかならない。

テサロニケ人への第一の手紙(3か所)

テサロニケ第一4:14 わたしたちは、イエスが死しんで、そして復活ふっかつしたと信しんじている。それなら同おなじように、神かみはイエスを信しんじて眠ねむりについた人ひとたちを、イエスといっしょに連つれて来きてくださる。

テサロニケ第一4:16 主しゅご自身じしんが、号令ごうれいとともに、天使てんし長ちょうの声こえとともに、神かみのラッパの響ひびきとともに、天てんから降おりて来こられる。すると、キリストを信しんじて死しんだ人ひとたちが、まず最初さいしょによみがえる。

テサロニケ第一5:10 主しゅは、わたしたちのために死しんでくださった。それは、目めを覚さましていても眠ねむっていても、わたしたちが主しゅとともに生いきるためだ。

テモテへの第一の手紙(2か所)

テモテ第一5:6 でも、快楽かいらくにふけって生いきている未亡人みぼうじんは、生いきていても、もう死しんでいるのと同おなじだ。

テモテ第一6:16 ただひとり、死しぬことのない方かた。近ちかづくこともできない光ひかりの中なかに住すみ、だれひとり見みたことがなく、見みることもできない方かただ。この方かたに、誉ほまれと永遠えいえんの力ちからがありますように。アーメン。

テモテへの第二の手紙(2か所)

テモテ第二2:11 次つぎの言葉ことばは信頼しんらいできる。「もしわたしたちがキリストと共ともに死しんだのなら、共ともに生いきることにもなる。

テモテ第二4:1 生いきている者ものと死しんだ者ものとをさばこうとしておられる神かみと、キリスト・イエスの前まえで、そしてその現あらわれと御み国くににかけて、わたしは厳おごそかに命めいじる。

ヘブル人への手紙(12か所)

ヘブル3:17 では、神かみが四十よんじゅう年ねんもの間あいだ、怒いかりを覚おぼえたのは誰だれに対たいしてだったのか。罪つみを犯おかし、荒あれ野ので倒たおれて死しんでいった、あの人ひとたちに対たいしてではないか。

ヘブル6:1 だから、キリストについての初歩しょほの教おしえはもう卒業そつぎょうして、成熟せいじゅくへと進すすんで行いこう。もう一いち度ど、土台どだいを築き直すきずきなおすのはやめよう。つまり、死しんだ行おこないから離はなれて心こころを入いれ替かえることや、神かみを信しんじる信仰しんこう、

ヘブル7:8 一方いっぽうでは、いつか死しぬ人間にんげんが十じゅう分ぶんの一いちを受うけ取とっている。でももう一方いっぽうでは、生いきていると証あかしされている人ひとが受うけ取とっているのだ。

ヘブル9:14 それなら、キリストの血ちはどれほどのことができるだろう。キリストは、永遠えいえんの霊れいによって、傷きずのない完全かんぜんなささげ物ものとして、ご自分じぶんを神かみにささげられた。その血ちは、わたしたちの心こころを、死しんだ行おこないから清きよめてくれる。そして、生いきておられる神かみに仕つかえることができるようにしてくれるのだ。

ヘブル9:16 遺言ゆいごんというものがある場合ばあい、それを残のこした人ひとが死しんだことが証明しょうめいされなければならない。

ヘブル9:17 遺言ゆいごんが効力こうりょくを持もつのは、その人ひとが死しんでからだ。残のこした人ひとが生いきているあいだは、まだ何なんの力ちからもない。

ヘブル9:27 人ひとには一いち度どだけ死しぬことが定さだめられていて、その後あとに裁さばきを受うける。

ヘブル11:4 信仰しんこうによって、アベルはカインよりもすぐれたささげ物ものを神かみにささげた。その信仰しんこうによって、彼かれは正ただしい人ひとだと認みとめられた。神かみが彼かれのささげ物ものを良よしとされたからだ。アベルは死しんでしまったが、今いまもその信仰しんこうを通とおして語かたりかけている。

ヘブル11:12 こうして、死しんだも同然どうぜんの一人ひとりの人ひとから、空そらの星ほしのように数かぞえきれず、海辺うみべの砂すなのように無数むすうの子孫しそんが生うまれたのだ。

ヘブル11:13 この人ひとたちはみな、信仰しんこうを持もったまま死しんでいった。約束やくそくされたものを手てに入いれることはなかったが、はるか遠とおくにそれを見みて、喜よろこんで迎むかえ、自分じぶんたちは地上ちじょうではよそ者ものであり、旅人たびびとなのだと、はっきり認みとめていた。

ヘブル11:19 アブラハムは、神かみには死しんだ者ものさえ生いき返かえらせる力ちからがある、と考かんがえていた。だから彼かれは、いわば死しからイサクを取とり戻もどしたようなものだった。

ヘブル11:35 女おんなたちは、死しんだ身内みうちが生いき返かえって戻もどってくるのを受うけ取とった。一方いっぽうで、拷問ごうもんを受うけても釈放しゃくほうを受うけ入いれなかった人ひとたちもいた。もっとすぐれた復活ふっかつにあずかるためだ。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ2:17 それと同おなじで、信仰しんこうも、行おこないがともなわなければ、それだけでは死しんでいる。

ヤコブ2:26 たましいのない体からだが死しんでいるように、行おこないのともなわない信仰しんこうも死しんでいるのだ。

ペテロの第一の手紙(4か所)

ペテロ第一2:24 この方かたは、わたしたちの罪つみをその身みに負おって、十字じゅうじ架かの上うえでその罪つみを背負せおってくださった。わたしたちが罪つみに対たいして死しに、義ぎのために生いきるためだ。この方かたの傷きずによって、あなたたちはいやされたのだ。

ペテロ第一3:18 キリストも、罪つみのために一いち度どだけ苦くるしまれた。正ただしい方かたが正ただしくない者ものたちのために苦くるしみ、あなたたちを神かみのもとへ導みちびくためだった。キリストは肉体にくたいでは死しなれたが、霊れいにおいては生いかされた。

ペテロ第一4:5 しかし彼かれらは、生いきている人ひとも死しんだ人ひともさばこうと構かまえているお方かたに、その報告ほうこくをしなければならない。

ペテロ第一4:6 死しんだ人ひとたちにも良よい知しらせが伝つたえられたのは、このためだ。人間にんげんの基準きじゅんでは肉体にくたいにおいてさばかれても、神かみの前まえでは霊れいにおいて生いきるためなのだ。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:12 この者ものたちは、あなたがたの愛あいの会食かいしょくに潜ひそむ暗礁あんしょうだ。何なんも恐おそれずにあなたがたと一緒いっしょに飲のみ食くいし、自分じぶんのことだけを養やしなっている。彼かれらは、風かぜに吹ふき流ながされる、雨あめを降ふらせない雲くもだ。実みのりの季節きせつなのに実みをつけない木き、二に度ど死しんで根ねこそぎ引ひき抜ぬかれた木きだ。

ヨハネの黙示録(13か所)

黙示録1:17 わたしはその方かたを見みたとき、死しんだようにその足あしもとに倒たおれ込こんだ。すると、その方かたは右手みぎてをわたしの上うえに置おいて、こう言いった。「恐おそれることはない。わたしは最初さいしょであり、最後さいごである。

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