ピリピ人への手紙 1章20節(ピリピ1:20)

20 わたしが待まち望のぞみ、望のぞみをかけているのは、どんなことでも恥はじをかくことなく、いつものように今いまも堂々どうどうと語かたることです。そして、生いきるにしても死しぬにしても、わたしのこの身みによってキリストがあがめられることです。

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この節を含む箇所パウロの苦難が福音を前進させるピリピ1:12-20

前後の聖句(1章18–22節)

18 だから、どうだと言いうのでしょう。見みせかけであれ、本心ほんしんであれ、どんな形かたちにせよキリストが伝つたえられているのです。わたしはそれを喜よろこんでいます。これからも喜よろこび続つづけます。

19 というのも、あなたがたの祈いのりと、イエス・キリストの霊れいの助たすけによって、このことが結局けっきょくわたしの救すくいになると、分わかっているからです。

20 わたしが待まち望のぞみ、望のぞみをかけているのは、どんなことでも恥はじをかくことなく、いつものように今いまも堂々どうどうと語かたることです。そして、生いきるにしても死しぬにしても、わたしのこの身みによってキリストがあがめられることです。

21 わたしにとって、生いきることはキリストであり、死しぬことは益えきなのです。

22 けれども、この体からだで生いき続つづけることが、実みのりある働はたらきになるのなら、どちらを選えらべばいいのか、わたしには分わかりません。

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