「体」(からだ)が出てくる聖書の箇所

「体」(からだ)は口語訳の138か所(旧約30・新約108)に出てきます。「からだ」も含みます。日常訳第1版では340か所。

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創世記(1か所)

創世記47:18 やがてその年としは暮くれ、次つぎの年とし、人々ひとびとはまたヨセフの所ところへきて言いった、「わが主しゅには何事なにごとも隠かくしません。われわれの銀ぎんは尽つき、獣けものの群むれもわが主しゅのものになって、われわれのからだと田地でんじのほかはわが主しゅの前まえに何なんも残のこっていません。

出エジプト記(1か所)

出エジプト8:4 あなたと、あなたの民たみと、すべての家来けらいのからだに、はい上あがるであろう」と』」。

士師記(4か所)

士師記14:8 日ひがたって後あと、サムソンは彼女かのじょをめとろうとして帰かえったが、道みちを転てんじて、かのししのしかばねを見みると、ししのからだに、はちの群むれと、蜜みつがあった。

士師記14:9 彼かれはそれをかきあつめ、手てにとって歩あるきながら食たべ、父母ふぼのもとに帰かえって、彼かれらに与あたえたので、彼かれらもそれを食たべた。しかし、ししのからだからその蜜みつをかきあつめたことは彼かれらに告つげなかった。

士師記16:20 そして女おんなが「サムソンよ、ペリシテびとがあなたに迫せまっています」と言いったので、彼かれは目めをさまして言いった、「わたしはいつものように出でて行いって、からだをゆすろう」。彼かれは主しゅが自分じぶんを去さられたことを知しらなかった。

士師記19:29 その家いえに着ついたとき、刀かたなを執とり、めかけを捕とらえて、そのからだを十じゅう二に切きれに断たち切きり、それをイスラエルの全ぜん領域りょういきにあまねく送おくった。

サムエル記上(2か所)

サムエル第一31:10 また彼かれらは、そのよろいをアシタロテの神殿しんでんに置おき、彼かれのからだをベテシャンの城壁じょうへきにくぎづけにした。

サムエル第一31:12 勇士ゆうしたちはみな立たち、夜よもすがら行いって、サウルのからだと、その子こたちのからだをベテシャンの城壁じょうへきから取とりおろし、ヤベシにきて、これをそこで焼やき、

サムエル記下(1か所)

サムエル第二11:2 さて、ある日ひの夕暮ゆうぐれ、ダビデは床ゆかから起おき出でて、王おうの家いえの屋上おくじょうを歩あるいていたが、屋上おくじょうから、ひとりの女おんながからだを洗あらっているのを見みた。その女おんなは非常ひじょうに美うつくしかった。

列王紀下(1か所)

列王紀下4:34 そしてエリシャが上あがって子供こどもの上うえに伏ふし、自分じぶんの口くちを子供こどもの口くちの上うえに、自分じぶんの目めを子供こどもの目めの上うえに、自分じぶんの両手りょうてを子供こどもの両手りょうての上うえにあて、その身みを子供こどもの上うえに伸のばしたとき、子供こどものからだは暖あたたかになった。

歴代志上(1か所)

歴代志上10:12 勇士ゆうしたちが皆みな立たち上あがり、サウルのからだとその子こらのからだをとって、これをヤベシに持もって来きて、ヤベシのかしの木きの下したにその骨ほねを葬ほうむり、七なな日かの間あいだ、断食だんじきした。

ヨブ記(3か所)

ヨブ記17:7 わが目めは憂うれいによってかすみ、わがからだはすべて影かげのようだ。

ヨブ記21:6 わたしはこれを思おもうと恐おそろしくなって、からだがしきりに震ふるえわななく。

ヨブ記21:24 そのからだには脂肪しぼうが満みち、その骨ほねの髄ずいは潤うるおっている。

詩篇(3か所)

詩篇31:9 主しゅよ、わたしをあわれんでください。わたしは悩なやみ苦くるしんでいます。わたしの目めは憂うれいによって衰おとろえ、わたしの魂たましいも、からだもまた衰おとろえました。

詩篇44:25 まことにわれらの魂たましいはかがんで、ちりに伏ふし、われらのからだは土つちにつきました。

詩篇139:16 あなたの目めは、まだできあがらないわたしのからだを見みられた。わたしのためにつくられたわがよわいの日ひのまだ一いち日にちもなかったとき、その日ひはことごとくあなたの書しょにしるされた。

箴言(2か所)

箴言5:11 そしてあなたの終おわりが来きて、あなたの身みと、からだが滅ほろびるとき、泣なき悲かなしんで、

箴言16:24 ここちよい言葉ことばは蜂蜜はちみつのように、魂たましいに甘あまく、からだを健すこやかにする。

伝道の書(2か所)

伝道の書11:10 あなたの心こころから悩なやみを去さり、あなたのからだから痛いたみを除よけ。若わかい時ときと盛さかんな時ときはともに空そらだからである。

伝道の書12:12 わが子こよ、これら以外いがいの事ことにも心こころを用もちいよ。多おおくの書しょを作つくれば際限さいげんがない。多おおく学まなべばからだが疲つかれる。

雅歌(1か所)

雅歌5:14 その手ては宝石ほうせきをはめた金かねの円筒えんとうのごとく、そのからだはサファイヤをもっておおった象牙ぞうげの細工さいくのごとく、

イザヤ書(1か所)

イザヤ書10:18 また、その林はやしと土つち肥こえた田畑たはたの栄はえを、魂たましいも、からだも二ふたつながら滅ほろぼし、病やめる者もののやせ衰おとろえる時ときのようにされる。

哀歌(1か所)

哀歌4:7 わが民たみの君きみたちは雪ゆきよりも清きよらかに、乳ちちよりも白しろく、そのからだは、さんごよりも赤あかく、その姿すがたの美うつくしさはサファイヤのようであった。

エゼキエル書(2か所)

エゼキエル書1:11 彼かれらの顔かおはこのようであった。その翼つばさは高たかく伸のばされ、その二ふたつは互たがいに連つらなり、他たの二ふたつをもってからだをおおっていた。

エゼキエル書1:23 大空おおぞらの下したにはまっすぐに伸のばした翼つばさがあり、たがいに相あい連つらなり、生いきものはおのおの二ふたつの翼つばさをもって、からだをおおっている。

ダニエル書(3か所)

ダニエル書7:5 見みよ、第だい二にの獣けものは熊くまのようであった。これはそのからだの一方いっぽうをあげ、その口くちの歯はの間あいだに、三さん本ぽんの肋骨あばらぼねをくわえていたが、これに向むかって『起おきあがって、多おおくの肉にくを食くらえ』と言いう声こえがあった。

ダニエル書7:11 わたしは、その角かどの語かたる大おおいなる言葉ことばの声こえがするので見みていたが、わたしが見みている間あいだにその獣けものは殺ころされ、そのからだはそこなわれて、燃もえる火ひに投なげ入いれられた。

ダニエル書10:6 そのからだは緑柱りょくちゅう石せきのごとく、その顔かおは電光でんこうのごとく、その目めは燃もえるたいまつのごとく、その腕うでと足あしは、みがいた青銅せいどうのように輝かがやき、その言葉ことばの声こえは、群衆ぐんしゅうの声こえのようであった。

ハバクク書(1か所)

ハバクク書3:16 わたしは聞きいて、わたしのからだはわななき、わたしのくちびるはその声こえを聞きいて震ふるえる。腐くされはわたしの骨ほねに入はいり、わたしの歩あゆみは、わたしの下したによろめく。わたしはわれわれに攻せめ寄よせる民たみの上うえに悩なやみの日ひの臨のぞむのを静しずかに待まとう。

マタイによる福音書(7か所)

マタイ6:22 目めはからだのあかりである。だから、あなたの目めが澄すんでおれば、全身ぜんしんも明あかるいだろう。

マタイ6:25 それだから、あなたがたに言いっておく。何なんを食たべようか、何なんを飲のもうかと、自分じぶんの命いのちのことで思おもいわずらい、何なんを着きようかと自分じぶんのからだのことで思おもいわずらうな。命いのちは食物しょくもつにまさり、からだは着物きものにまさるではないか。

マタイ8:4 イエスは彼かれに言いわれた、「だれにも話はなさないように、注意ちゅういしなさい。ただ行いって、自分じぶんのからだを祭司さいしに見みせ、それから、モーセが命めいじた供そなえ物ものをささげて、人々ひとびとに証明しょうめいしなさい」。

マタイ10:28 また、からだを殺ころしても、魂たましいを殺ころすことのできない者ものどもを恐おそれるな。むしろ、からだも魂たましいも地獄じごくで滅ほろぼす力ちからのあるかたを恐おそれなさい。

マタイ26:12 この女おんながわたしのからだにこの香油こうゆを注そそいだのは、わたしの葬ほうむりの用意よういをするためである。

マタイ26:26 一同いちどうが食事しょくじをしているとき、イエスはパンを取とり、祝福しゅくふくしてこれをさき、弟子でしたちに与あたえて言いわれた、「取とって食たべよ、これはわたしのからだである」。

マタイ27:58 この人ひとがピラトの所ところへ行いって、イエスのからだの引取ひきとりかたを願ねがった。そこで、ピラトはそれを渡わたすように命めいじた。

マルコによる福音書(6か所)

マルコ1:44 「何なんも人ひとに話はなさないように、注意ちゅういしなさい。ただ行いって、自分じぶんのからだを祭司さいしに見みせ、それから、モーセが命めいじた物ものをあなたのきよめのためにささげて、人々ひとびとに証明しょうめいしなさい」。

マルコ5:5 そして、夜昼よるひるたえまなく墓場はかばや山やまで叫さけびつづけて、石いしで自分じぶんのからだを傷きずつけていた。

マルコ9:18 霊れいがこのむすこにとりつきますと、どこででも彼かれを引ひき倒たおし、それから彼かれはあわを吹ふき、歯はをくいしばり、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子でしたちに、この霊れいを追おい出だしてくださるように願ねがいましたが、できませんでした」。

マルコ14:8 この女おんなはできる限かぎりの事ことをしたのだ。すなわち、わたしのからだに油あぶらを注そそいで、あらかじめ葬ほうむりの用意よういをしてくれたのである。

マルコ14:22 一同いちどうが食事しょくじをしているとき、イエスはパンを取とり、祝福しゅくふくしてこれをさき、弟子でしたちに与あたえて言いわれた、「取とれ、これはわたしのからだである」。

マルコ15:43 アリマタヤのヨセフが大胆だいたんにもピラトの所ところへ行いき、イエスのからだの引取ひきとりかたを願ねがった。彼かれは地位ちいの高たかい議員ぎいんであって、彼かれ自身じしん、神かみの国くにを待まち望のぞんでいる人ひとであった。

ルカによる福音書(14か所)

ルカ5:14 イエスは、だれにも話はなさないようにと彼かれに言い聞かせいいきかせ、「ただ行いって自分じぶんのからだを祭司さいしに見みせ、それからあなたのきよめのため、モーセが命めいじたとおりのささげ物ものをして、人々ひとびとに証明しょうめいしなさい」とお命めいじになった。

ルカ11:34 あなたの目めは、からだのあかりである。あなたの目めが澄すんでおれば、全身ぜんしんも明あかるいが、目めがわるければ、からだも暗くらい。

ルカ11:36 もし、あなたのからだ全体ぜんたいが明あかるくて、暗くらい部分ぶぶんが少すこしもなければ、ちょうど、あかりが輝かがやいてあなたを照しょうす時ときのように、全身ぜんしんが明あかるくなるであろう」。

ルカ12:4 そこでわたしの友ともであるあなたがたに言ゆうが、からだを殺ころしても、そのあとでそれ以上いじょうなにもできない者ものどもを恐おそれるな。

ルカ12:22 それから弟子でしたちに言いわれた、「それだから、あなたがたに言いっておく。何なんを食たべようかと、命いのちのことで思おもいわずらい、何なんを着きようかとからだのことで思おもいわずらうな。

ルカ12:23 命いのちは食物しょくもつにまさり、からだは着物きものにまさっている。

ルカ13:11 そこに十じゅう八はち年間ねんかんも病気びょうきの霊れいにつかれ、かがんだままで、からだを伸のばすことの全まったくできない女おんながいた。

ルカ13:13 手てをその上うえに置おかれた。すると立たちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神かみをたたえはじめた。

ルカ17:14 イエスは彼かれらをごらんになって、「祭司さいしたちのところに行いって、からだを見みせなさい」と言いわれた。そして、行いく途中とちゅうで彼かれらはきよめられた。

ルカ22:19 またパンを取とり、感謝かんしゃしてこれをさき、弟子でしたちに与あたえて言いわれた、「これは、あなたがたのために与あたえるわたしのからだである。わたしを記念きねんするため、このように行おこないなさい」。

ルカ23:52 この人ひとがピラトのところへ行いって、イエスのからだの引取ひきとり方かたを願ねがい出でて、

ルカ23:55 イエスと一緒いっしょにガリラヤからきた女おんなたちは、あとについてきて、その墓はかを見み、またイエスのからだが納おさめられる様子ようすを見みとどけた。

ルカ24:3 中なかにはいってみると、主しゅイエスのからだが見当みあたらなかった。

ルカ24:23 イエスのからだが見当みあたらないので、帰かえってきましたが、そのとき御お使つかいが現あらわれて、『イエスは生いきておられる』と告つげたと申もうすのです。

ヨハネによる福音書(3か所)

ヨハネ2:21 イエスは自分じぶんのからだである神殿しんでんのことを言いわれたのである。

ヨハネ5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。

ヨハネ13:10 イエスは彼かれに言いわれた、「すでにからだを洗あらった者ものは、足あしのほかは洗あらう必要ひつようがない。全身ぜんしんがきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。

使徒行伝(1か所)

使徒9:37 ところが、そのころ病気びょうきになって死しんだので、人々ひとびとはそのからだを洗あらって、屋上おくじょうの間あいだに安置あんちした。

ローマ人への手紙(12か所)

ローマ1:24 ゆえに、神かみは、彼かれらが心こころの欲情よくじょうにかられ、自分じぶんのからだを互たがいにはずかしめて、汚けがすままに任まかせられた。

ローマ4:19 すなわち、およそ百ひゃく歳さいとなって、彼かれ自身じしんのからだが死しんだ状態じょうたいであり、また、サラの胎はらが不妊ふにんであるのを認みとめながらも、なお彼かれの信仰しんこうは弱よわらなかった。

ローマ6:6 わたしたちは、この事ことを知しっている。わたしたちの内うちの古ふるき人ひとはキリストと共ともに十字じゅうじ架かにつけられた。それは、この罪つみのからだが滅ほろび、わたしたちがもはや、罪つみの奴隷どれいとなることがないためである。

ローマ6:12 だから、あなたがたの死しぬべきからだを罪つみの支配しはいにゆだねて、その情欲じょうよくに従したがわせることをせず、

ローマ7:4 わたしの兄弟きょうだいたちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法りっぽうに対たいして死しんだのである。それは、あなたがたが他ほかの人ひと、すなわち、死人しにんの中なかからよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神かみのために実じつを結むすぶに至いたるためなのである。

ローマ7:24 わたしは、なんというみじめな人間にんげんなのだろう。だれが、この死しのからだから、わたしを救すくってくれるだろうか。

ローマ8:10 もし、キリストがあなたがたの内うちにおられるなら、からだは罪つみのゆえに死しんでいても、霊れいは義ぎのゆえに生いきているのである。

ローマ8:11 もし、イエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたの御ご霊れいが、あなたがたの内うちに宿やどっているなら、キリスト・イエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたは、あなたがたの内うちに宿やどっている御ご霊れいによって、あなたがたの死しぬべきからだをも、生いかしてくださるであろう。

ローマ8:23 それだけではなく、御ご霊れいの最初さいしょの実じつを持もっているわたしたち自身じしんも、心こころの内うちでうめきながら、子こたる身分みぶんを授さずけられること、すなわち、からだのあがなわれることを待まち望のぞんでいる。

ローマ12:1 兄弟きょうだいたちよ。そういうわけで、神かみのあわれみによってあなたがたに勧すすめる。あなたがたのからだを、神かみに喜よろこばれる、生いきた、聖せいなる供そなえ物ものとしてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的れいてきな礼拝れいはいである。

ローマ12:4 なぜなら、一ひとつのからだにたくさんの肢体したいがあるが、それらの肢体したいがみな同おなじ働はたらきをしてはいないように、

ローマ12:5 わたしたちも数すうは多おおいが、キリストにあって一ひとつのからだであり、また各自かくじは互たがいに肢体したいだからである。

コリント人への第一の手紙(34か所)

コリント第一5:3 しかし、わたし自身じしんとしては、からだは離はなれていても、霊れいでは一緒いっしょにいて、その場ばにいる者もののように、そんな行おこないをした者ものを、すでにさばいてしまっている。

コリント第一6:13 食物しょくもつは腹はらのため、腹はらは食物しょくもつのためである。しかし神かみは、それもこれも滅ほろぼすであろう。からだは不ふ品行ひんこうのためではなく、主しゅのためであり、主しゅはからだのためである。

コリント第一6:15 あなたがたは自分じぶんのからだがキリストの肢体したいであることを、知しらないのか。それだのに、キリストの肢体したいを取とって遊女ゆうじょの肢体したいとしてよいのか。断だんじていけない。

コリント第一6:16 それとも、遊女ゆうじょにつく者ものはそれと一ひとつのからだになることを、知しらないのか。「ふたりの者ものは一体いったいとなるべきである」とあるからである。

コリント第一6:18 不ふ品行ひんこうを避さけなさい。人ひとの犯おかすすべての罪つみは、からだの外そとにある。しかし不ふ品行ひんこうをする者ものは、自分じぶんのからだに対たいして罪つみを犯おかすのである。

コリント第一6:19 あなたがたは知しらないのか。自分じぶんのからだは、神かみから受うけて自分じぶんの内うちに宿やどっている聖霊せいれいの宮みやであって、あなたがたは、もはや自分じぶん自身じしんのものではないのである。

コリント第一6:20 あなたがたは、代価だいかを払はらって買かいとられたのだ。それだから、自分じぶんのからだをもって、神かみの栄光えいこうをあらわしなさい。

コリント第一7:4 妻つまは自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのは夫おっとである。夫おっとも同様どうように自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのは妻つまである。

コリント第一9:27 すなわち、自分じぶんのからだを打うちたたいて服従ふくじゅうさせるのである。そうしないと、ほかの人ひとに宣のべ伝つたえておきながら、自分じぶんは失格しっかく者しゃになるかも知しれない。

コリント第一10:16 わたしたちが祝福しゅくふくする祝福しゅくふくの杯さかずき、それはキリストの血ちにあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。

コリント第一10:17 パンが一ひとつであるから、わたしたちは多おおくいても、一ひとつのからだなのである。みんなの者ものが一ひとつのパンを共ともにいただくからである。

コリント第一11:24 感謝かんしゃしてこれをさき、そして言いわれた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念きねんするため、このように行おこないなさい」。

コリント第一11:27 だから、ふさわしくないままでパンを食ししょくし主しゅの杯さかずきを飲のむ者ものは、主しゅのからだと血ちとを犯おかすのである。

コリント第一11:29 主しゅのからだをわきまえないで飲のみ食くいする者ものは、その飲のみ食くいによって自分じぶんにさばきを招まねくからである。

コリント第一12:12 からだが一ひとつであっても肢体したいは多おおくあり、また、からだのすべての肢体したいが多おおくあっても、からだは一ひとつであるように、キリストの場合ばあいも同様どうようである。

コリント第一12:13 なぜなら、わたしたちは皆みな、ユダヤ人にんもギリシヤ人にんも、奴隷どれいも自由じゆう人にんも、一ひとつの御ご霊れいによって、一ひとつのからだとなるようにバプテスマを受うけ、そして皆みな一ひとつの御ご霊れいを飲のんだからである。

コリント第一12:14 実際じっさい、からだは一ひとつの肢体したいだけではなく、多おおくのものからできている。

コリント第一12:15 もし足あしが、わたしは手てではないから、からだに属ぞくしていないと言いっても、それで、からだに属ぞくさないわけではない。

コリント第一12:16 また、もし耳みみが、わたしは目めではないから、からだに属ぞくしていないと言いっても、それで、からだに属ぞくさないわけではない。

コリント第一12:17 もしからだ全体ぜんたいが目めだとすれば、どこで聞きくのか。もし、からだ全体ぜんたいが耳みみだとすれば、どこでかぐのか。

コリント第一12:18 そこで神かみは御お旨むねのままに、肢体したいをそれぞれ、からだに備そなえられたのである。

コリント第一12:19 もし、すべてのものが一ひとつの肢体したいなら、どこにからだがあるのか。

コリント第一12:20 ところが実際じっさい、肢体したいは多おおくあるが、からだは一ひとつなのである。

コリント第一12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他ほかよりも弱よわく見みえる肢体したいが、かえって必要ひつようなのであり、

コリント第一12:23 からだのうちで、他たよりも見劣みおとりがすると思おもえるところに、ものを着きせていっそう見みよくする。麗うるわしくない部分ぶぶんはいっそう麗うるわしくするが、

コリント第一12:24 麗うるわしい部分ぶぶんはそうする必要ひつようがない。神かみは劣おとっている部分ぶぶんをいっそう見みよくして、からだに調和ちょうわをお与あたえになったのである。

コリント第一12:25 それは、からだの中なかに分裂ぶんれつがなく、それぞれの肢体したいが互たがいにいたわり合あうためなのである。

コリント第一12:27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体したいである。

コリント第一13:3 たといまた、わたしが自分じぶんの全ぜん財産ざいさんを人ひとに施ほどこしても、また、自分じぶんのからだを焼やかれるために渡わたしても、もし愛あいがなければ、いっさいは無益むえきである。

コリント第一15:35 しかし、ある人ひとは言ゆうだろう。「どんなふうにして、死人しにんがよみがえるのか。どんなからだをして来くるのか」。

コリント第一15:37 また、あなたのまくのは、やがて成なるべきからだをまくのではない。麦むぎであっても、ほかの種たねであっても、ただの種粒たねつぶにすぎない。

コリント第一15:38 ところが、神かみはみこころのままに、これにからだを与あたえ、その一ひとつ一ひとつの種しゅにそれぞれのからだをお与あたえになる。

コリント第一15:40 天てんに属ぞくするからだもあれば、地ちに属ぞくするからだもある。天てんに属ぞくするものの栄光えいこうは、地ちに属ぞくするものの栄光えいこうと違ちがっている。

コリント第一15:44 肉にくのからだでまかれ、霊れいのからだによみがえるのである。肉にくのからだがあるのだから、霊れいのからだもあるわけである。

コリント人への第二の手紙(2か所)

コリント第二12:2 わたしはキリストにあるひとりの人ひとを知しっている。この人ひとは十じゅう四よん年ねん前まえに第だい三さんの天てんにまで引ひき上あげられた――それが、からだのままであったか、わたしは知しらない。からだを離はなれてであったか、それも知しらない。神かみがご存ぞんじである。

コリント第二12:3 この人ひとが――それが、からだのままであったか、からだを離はなれてであったか、わたしは知しらない。神かみがご存ぞんじである――

エペソ人への手紙(9か所)

エペソ1:23 この教会きょうかいはキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満みたしているかたが、満みちみちているものに、ほかならない。

エペソ2:16 十字じゅうじ架かによって、二ふたつのものを一ひとつのからだとして神かみと和解わかいさせ、敵意てきいを十字じゅうじ架かにかけて滅ほろぼしてしまったのである。

エペソ3:6 それは、異邦いほう人にんが、福音ふくいんによりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共ともに神かみの国くにをつぐ者ものとなり、共ともに一ひとつのからだとなり、共ともに約束やくそくにあずかる者ものとなることである。

エペソ4:4 からだは一ひとつ、御ご霊れいも一ひとつである。あなたがたが召めされたのは、一ひとつの望のぞみを目めざして召めされたのと同様どうようである。

エペソ4:12 それは、聖徒せいとたちをととのえて奉仕ほうしのわざをさせ、キリストのからだを建たてさせ、

エペソ4:16 また、キリストを基もととして、全身ぜんしんはすべての節々ふしぶしの助たすけにより、しっかりと組くみ合あわされ結むすび合あわされ、それぞれの部分ぶぶんは分ぶんに応おうじて働はたらき、からだを成長せいちょうさせ、愛あいのうちに育そだてられていくのである。

エペソ5:23 キリストが教会きょうかいのかしらであって、自みずからは、からだなる教会きょうかいの救主すくいぬしであられるように、夫おっとは妻つまのかしらである。

エペソ5:28 それと同おなじく、夫おっとも自分じぶんの妻つまを、自分じぶんのからだのように愛あいさねばならない。自分じぶんの妻つまを愛あいする者ものは、自分じぶん自身じしんを愛あいするのである。

エペソ5:30 わたしたちは、キリストのからだの肢体したいなのである。

ピリピ人への手紙(2か所)

ピリピ3:13 兄弟きょうだいたちよ。わたしはすでに捕とらえたとは思おもっていない。ただこの一事いちじを努つとめている。すなわち、後あとのものを忘わすれ、前まえのものに向むかってからだを伸のばしつつ、

ピリピ3:21 彼かれは、万物ばんぶつをご自身じしんに従したがわせうる力ちからの働はたらきによって、わたしたちの卑いやしいからだを、ご自身じしんの栄光えいこうのからだと同おなじかたちに変かえて下くださるであろう。

コロサイ人への手紙(6か所)

コロサイ1:18 そして自みずからは、そのからだなる教会きょうかいのかしらである。彼かれは初はじめの者ものであり、死人しにんの中なかから最初さいしょに生うまれたかたである。それは、ご自身じしんがすべてのことにおいて第だい一いちの者ものとなるためである。

コロサイ1:22 しかし今いまでは、御子みこはその肉にくのからだにより、その死しをとおして、あなたがたを神かみと和解わかいさせ、あなたがたを聖せいなる、傷きずのない、責せめられるところのない者ものとして、みまえに立たたたせて下くださったのである。

コロサイ1:24 今いまわたしは、あなたがたのための苦難くなんを喜よろこんで受うけており、キリストのからだなる教会きょうかいのために、キリストの苦くるしみのなお足たりないところを、わたしの肉体にくたいをもって補おぎなっている。

コロサイ2:11 あなたがたはまた、彼かれにあって、手てによらない割礼かつれい、すなわち、キリストの割礼かつれいを受うけて、肉にくのからだを脱ぬぎ捨すてたのである。

コロサイ2:19 キリストなるかしらに、しっかりと着つくことをしない。このかしらから出でて、からだ全体ぜんたいは、節ふしと節ふし、筋すじと筋すじとによって強つよめられ結むすび合あわされ、神かみに育そだてられて成長せいちょうしていくのである。

コロサイ2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝れいはいとわざとらしい謙けんそんと、からだの苦行くぎょうとをともなうので、知恵ちえのあるしわざらしく見みえるが、実じつは、ほしいままな肉欲にくよくを防ふせぐのに、なんの役やくにも立たつものではない。

テサロニケ人への第一の手紙(3か所)

テサロニケ第一2:17 兄弟きょうだいたちよ。わたしたちは、しばらくの間あいだ、あなたがたから引ひき離はなされていたので――心こころにおいてではなく、からだだけではあるが――なおさら、あなたがたの顔かおを見みたいと切せつにこいねがった。

テサロニケ第一4:4 各自かくじ、気きをつけて自分じぶんのからだを清きよく尊とうとく保たもち、

テサロニケ第一5:23 どうか、平和へいわの神かみご自身じしんが、あなたがたを全まったくきよめて下くださるように。また、あなたがたの霊れいと心こころとからだとを完全かんぜんに守まもって、わたしたちの主しゅイエス・キリストの来臨らいりんのときに、責せめられるところのない者ものにして下くださるように。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一4:8 からだの訓練くんれんは少すこしは益えきするところがあるが、信心しんじんは、今いまのいのちと後の世のちのよのいのちとが約束やくそくされてあるので、万事ばんじに益えきとなる。

ヘブル人への手紙(4か所)

ヘブル10:5 それだから、キリストがこの世よにこられたとき、次つぎのように言いわれた、「あなたは、いけにえやささげ物ものを望のぞまれないで、わたしのために、からだを備そなえて下くださった。

ヘブル10:10 この御お旨むねに基もとづきただ一いち度どイエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

ヘブル10:22 心こころはすすがれて良心りょうしんのとがめを去さり、からだは清きよい水みずで洗あらわれ、まごころをもって信仰しんこうの確信かくしんに満みたされつつ、みまえに近ちかづこうではないか。

ヘブル13:11 なぜなら、大だい祭司さいしによって罪つみのためにささげられるけものの血ちは、聖せい所しょのなかに携たずさえて行いかれるが、そのからだは、営所えいしょの外そとで焼やかれてしまうからである。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ2:16 あなたがたのうち、だれかが、「安やすらかに行いきなさい。暖あたたまって、食たべ飽あきなさい」と言いうだけで、そのからだに必要ひつようなものを何なんひとつ与あたえなかったとしたら、なんの役やくに立たつか。

ヤコブ2:26 霊魂れいこんのないからだが死しんだものであると同様どうように、行おこないのない信仰しんこうも死しんだものなのである。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一3:21 この水みずはバプテスマを象徴しょうちょうするものであって、今いまやあなたがたをも救すくうのである。それは、イエス・キリストの復活ふっかつによるのであって、からだの汚よごれを除のぞくことではなく、明あきらかな良心りょうしんを神かみに願ねがい求もとめることである。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録16:2 そして、第だい一いちの者ものが出でて行いって、その鉢ばちを地ちに傾かたむけた。すると、獣けものの刻印こくいんを持もつ人々ひとびとと、その像ぞうを拝おがむ人々ひとびととのからだに、ひどい悪性あくせいのでき物ものができた。

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