「受ける」(うける)が出てくる聖書の箇所
「受ける」(うける)は口語訳の628か所(旧約297・新約331)に出てきます。「うける」「受る」も含みます。日常訳第1版では513か所。
628か所を200か所ずつ4ページに分けています(3ページ目)。
使徒行伝(51か所)
使徒2:41 そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
使徒3:25 あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。
使徒4:9 わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、
使徒7:6 神はこう仰せになった、『彼の子孫は他国に身を寄せるであろう。そして、そこで四百年のあいだ、奴隷にされて虐待を受けるであろう』。
使徒7:53 あなたがたは、御使たちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。
使徒7:59 こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。
使徒8:12 ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
使徒8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。
使徒8:15 ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
使徒8:16 それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。
使徒8:17 そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。
使徒8:36 道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。〔
使徒8:37 これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕
使徒9:18 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
使徒10:22 彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。
使徒10:43 預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。
使徒10:45 割礼を受けている信者で、ペテロについてきた人たちは、異邦人たちにも聖霊の賜物が注がれたのを見て、驚いた。
使徒10:47 「この人たちがわたしたちと同じように聖霊を受けたからには、彼らに水でバプテスマを授けるのを、だれがこばみ得ようか」。
使徒10:48 こう言って、ペテロはその人々に命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、なお数日のあいだ滞在してもらった。
使徒11:16 その時わたしは、主が『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によってバプテスマを受けるであろう』と仰せになった言葉を思い出した。
使徒14:26 そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。
使徒15:1 さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。
使徒15:33 ふたりは、しばらくの時を、そこで過ごした後、兄弟たちから、旅の平安を祈られて、見送りを受け、自分らを派遣した人々のところに帰って行った。〔
使徒16:3 パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。
使徒16:15 そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい」と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。
使徒16:24 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかとかけておいた。
使徒16:33 彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、
使徒17:3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
使徒17:15 パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。
使徒18:8 会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
使徒19:2 彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。
使徒19:3 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。
使徒19:5 人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。
使徒20:35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
使徒21:4 わたしたちは、弟子たちを捜し出して、そこに七日間泊まった。ところが彼らは、御霊の示しを受けて、エルサレムには上って行かないようにと、しきりにパウロに注意した。
使徒21:26 そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。
使徒22:3 そこで彼は言葉をついで言った、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。
使徒22:16 そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。
使徒23:6 パウロは、議員の一部がサドカイ人であり、一部はパリサイ人であるのを見て、議会の中で声を高めて言った、「兄弟たちよ、わたしはパリサイ人であり、パリサイ人の子である。わたしは、死人の復活の望みをいだいていることで、裁判を受けているのである」。
使徒24:21 ただ、わたしは、彼らの中に立って、『わたしは、死人のよみがえりのことで、きょう、あなたがたの前でさばきを受けているのだ』と叫んだだけのことです」。
使徒25:9 ところが、フェストはユダヤ人の歓心を買おうと思って、パウロにむかって言った、「おまえはエルサレムに上り、この事件に関し、わたしからそこで裁判を受けることを承知するか」。
使徒25:21 ところがパウロは、皇帝の判決を受ける時まで、このまま自分をとどめておいてほしいと言うので、カイザルに彼を送りとどける時までとどめておくようにと、命じておいた」。
使徒26:6 今わたしは、神がわたしたちの先祖に約束なさった希望をいだいているために、裁判を受けているのであります。
使徒26:12 こうして、わたしは、祭司長たちから権限と委任とを受けて、ダマスコに行ったのですが、
使徒26:22 しかし、わたしは今日に至るまで神の加護を受け、このように立って、小さい者にも大きい者にもあかしをなし、預言者たちやモーセが、今後起るべきだと語ったことを、そのまま述べてきました。
使徒26:23 すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。
使徒27:3 次の日、シドンに入港したが、ユリアスは、パウロを親切に取り扱い、友人をおとずれてかんたいを受けることを、許した。
ローマ人への手紙(19か所)
ローマ1:5 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、
ローマ1:27 男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。
ローマ3:4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。
ローマ3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
ローマ3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
ローマ4:9 さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。
ローマ4:10 それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。
ローマ4:11 そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、
ローマ4:12 かつ、割礼の者の父となるためなのである。割礼の者というのは、割礼を受けた者ばかりではなく、われらの父アブラハムが無割礼の時に持っていた信仰の足跡を踏む人々をもさすのである。
ローマ5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
ローマ5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
ローマ6:3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
ローマ8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
ローマ11:30 あなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順によってあわれみを受けたように、
ローマ11:31 彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。
ローマ11:35 また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。
ローマ15:8 わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、
ローマ15:9 異邦人もあわれみを受けて神をあがめるようになるためである、「それゆえ、わたしは、異邦人の中であなたにさんびをささげ、また、御名をほめ歌う」と書いてあるとおりである。
ローマ15:16 このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。
コリント人への第一の手紙(23か所)
コリント第一1:13 キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。
コリント第一1:15 それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。
コリント第一2:7 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
コリント第一2:12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
コリント第一3:14 もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
コリント第一4:5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。
コリント第一6:7 そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。
コリント第一6:19 あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
コリント第一7:18 召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。
コリント第一7:25 おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。
コリント第一7:28 しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。
コリント第一7:40 しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。
コリント第一9:17 進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。
コリント第一10:2 みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
コリント第一10:30 もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。
コリント第一11:23 わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
コリント第一11:32 しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
コリント第一11:34 もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。
コリント第一12:13 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
コリント第一14:30 しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
コリント第一14:31 あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
コリント第一15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
コリント第一15:29 そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。
コリント人への第二の手紙(19か所)
コリント第二1:5 それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
コリント第二1:6 わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
コリント第二1:16 それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く計画を立てたのである。
コリント第二2:6 その人にとっては、多数の者から受けたあの処罰でもう十分なのだから、
コリント第二3:10 そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。
コリント第二4:1 このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、
コリント第二4:8 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。
コリント第二5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。
コリント第二5:20 神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。そこで、キリストに代って願う、神の和解を受けなさい。
コリント第二6:1 わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。
コリント第二6:8 ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、
コリント第二7:4 わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。
コリント第二7:7 ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。
コリント第二7:9 今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。
コリント第二7:12 だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
コリント第二8:2 すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
コリント第二11:4 というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
コリント第二11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
コリント第二12:6 もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。
ガラテヤ人への手紙(10か所)
ガラテヤ1:12 わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。
ガラテヤ3:2 わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。
ガラテヤ3:9 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。
ガラテヤ3:14 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、約束された御霊を、わたしたちが信仰によって受けるためである。
ガラテヤ3:27 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。
ガラテヤ5:2 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。
ガラテヤ5:3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。
ガラテヤ5:10 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、主にあって信頼している。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。
ガラテヤ6:12 いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとする。
ガラテヤ6:13 事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。
エペソ人への手紙(5か所)
エペソ1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
エペソ3:13 だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。
エペソ4:30 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。
エペソ6:8 あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。
エペソ6:22 彼をあなたがたのもとに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるようになるためなのである。
ピリピ人への手紙(4か所)
ピリピ3:5 わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、
ピリピ3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。
ピリピ4:9 あなたがたが、わたしから学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。そうすれば、平和の神が、あなたがたと共にいますであろう。
ピリピ4:18 わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りている。それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物である。
コロサイ人への手紙(10か所)
コロサイ1:14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
コロサイ1:24 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリストのからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところを、わたしの肉体をもって補っている。
コロサイ1:27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
コロサイ2:11 あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである。
コロサイ2:12 あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。
コロサイ3:24 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。
コロサイ3:25 不正を行う者は、自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない。
コロサイ4:8 わたしが彼をあなたがたのもとに送るのは、わたしたちの様子を知り、また彼によって心に励ましを受けるためなのである。
コロサイ4:10 わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている。このマルコについては、もし彼があなたがたのもとに行くなら、迎えてやるようにとのさしずを、あなたがたはすでに受けているはずである。
コロサイ4:17 アルキポに、「主にあって受けた務をよく果すように」と伝えてほしい。
テサロニケ人への第一の手紙(1か所)
テサロニケ第一2:4 かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。
テサロニケ人への第二の手紙(4か所)
テサロニケ第二1:4 そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。
テサロニケ第二1:9 そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。
テサロニケ第二1:12 それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。
テサロニケ第二3:6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。
テモテへの第一の手紙(11か所)
テモテ第一1:16 しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
テモテ第一3:6 彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。
テモテ第一3:7 さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。
テモテ第一4:3 これらの偽り者どもは、結婚を禁じたり、食物を断つことを命じたりする。しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。
テモテ第一4:4 神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
テモテ第一4:14 長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない。
テモテ第一5:12 初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである。
テモテ第一5:17 よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。
テモテ第一5:18 聖書は、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」また「働き人がその報酬を受けるのは当然である」と言っている。
テモテ第一6:1 くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。
テモテ第一6:2 信者である主人を持っている者たちは、その主人が兄弟であるというので軽視してはならない。むしろ、ますます励んで仕えるべきである。その益を受ける主人は、信者であり愛されている人だからである。あなたは、これらの事を教えかつ勧めなさい。
テモテへの第二の手紙(5か所)
テモテ第二1:12 そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。
テモテ第二2:10 それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。
テモテ第二3:11 それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。
テモテ第二3:12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
テモテ第二3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
テトスへの手紙(2か所)
テトス2:5 慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。
テトス3:5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
ヘブル人への手紙(26か所)
ヘブル2:18 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。
ヘブル3:3 おおよそ、家を造る者が家そのものよりもさらに尊ばれるように、彼は、モーセ以上に、大いなる光栄を受けるにふさわしい者とされたのである。
ヘブル4:16 だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
ヘブル5:4 かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
ヘブル5:5 同様に、キリストもまた、大祭司の栄誉を自分で得たのではなく、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言われたかたから、お受けになったのである。
ヘブル6:4 いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
ヘブル6:18 それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。
ヘブル7:6 ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。
ヘブル7:7 言うまでもなく、小なる者が大なる者から祝福を受けるのである。
ヘブル7:8 その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。
ヘブル7:9 そこで、十分の一を受けるべきレビでさえも、アブラハムを通じて十分の一を納めた、と言える。
ヘブル8:5 彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
ヘブル9:26 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。
ヘブル9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
ヘブル10:26 もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
ヘブル10:28 モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、
ヘブル10:36 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。
ヘブル11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
ヘブル11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。
ヘブル11:26 キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考えた。それは、彼が報いを望み見ていたからである。
ヘブル11:33 彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、
ヘブル11:39 さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。
ヘブル12:8 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
ヘブル12:28 このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
ヘブル13:12 だから、イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。
ヤコブの手紙(4か所)
ヤコブ1:12 試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
ヤコブ3:1 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。
ヤコブ5:9 兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。
ヤコブ5:12 さて、わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる。
ペテロの第一の手紙(9か所)
ペテロ第一1:2 すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。
ペテロ第一2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。
ペテロ第一2:19 もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。
ペテロ第一2:20 悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
ペテロ第一2:21 あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
ペテロ第一4:6 死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
ペテロ第一4:16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。
ペテロ第一4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。
ペテロ第一5:4 そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
ペテロの第二の手紙(5か所)
ペテロ第二1:10 兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。