「体」(からだ)が出てくる聖書の箇所

「体」(からだ)は日常訳第1版の340か所(旧約157・新約183)に出てきます。「からだ」も含みます。口語訳では138か所。

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340か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。

ルカによる福音書(15か所)

ルカ14:13 宴会えんかいを開ひらくときは、むしろ貧まずしい人ひとや、体からだの不ふ自由じゆうな人ひと、足あしの悪わるい人ひと、目めの見みえない人ひとを招まねきなさい。

ルカ14:21 召使めしつかいは戻もどって、このことを主人しゅじんに報告ほうこくした。すると主人しゅじんは怒おこって、召使めしつかいにこう言いった。『すぐに町まちの広ひろい通とおりや路地ろじに出でて行いって、貧まずしい人ひと、体からだの不ふ自由じゆうな人ひと、目めの見みえない人ひと、足あしの不ふ自由じゆうな人ひとを、ここに連つれて来きなさい。』

ルカ17:14 イエスは彼かれらを見みて言いった。「祭司さいしたちのところへ行いって、体からだを見みせなさい。」彼かれらはその途中とちゅうで、体からだがきれいに治なおった。

ルカ22:19 また、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃの祈いのりをささげてから、それを裂さいて弟子でしたちに渡わたしてこう言いった。「これは、あなたたちのために与あたえられるわたしの体からだだ。わたしを思おもい出だすために、これを続つづけてほしい。」

ヨハネによる福音書(6か所)

ヨハネ2:6 そこには、石いしでできた水みずがめが六むいつ置おいてあった。ユダヤ人じんが体からだを清きよめる儀式ぎしきに使つかうもので、それぞれ八十はちじゅうリットルから百ひゃく二十にじゅうリットルほど入はいる大おおきさだった。

ヨハネ2:21 しかし、イエスが言いっていたのは、ご自分じぶんの体からだという神殿しんでんのことだった。

ヨハネ5:3 その廊ろうの中なかには、大勢おおぜいの病人びょうにんが横よこたわっていた。目めの見みえない人ひと、足あしの不ふ自由じゆうな人ひと、体からだの動うごかない人ひとたちだった。

ヨハネ13:10 イエスは彼かれに言いわれた。「体からだを洗あらった人ひとは、足あしだけ洗あらえばいい。あとは全身ぜんしんきれいなんだ。あなたたちもきれいだ。でも、みんながそうというわけではない。」

ヨハネ19:40 ヨセフとニコデモはイエスの体からだを引ひき取とり、ユダヤ人じんの埋葬まいそうの習慣しゅうかんにならって、香料こうりょうといっしょに亜あ麻布あざぶで巻まいた。

ヨハネ20:12 白しろい衣ころもを着きた二人ふたりの天使てんしが、イエスの体からだが置おかれていた場所ばしょにすわっているのを見みた。一人ひとりは頭あたまの方ほうに、もう一人ひとりは足あしの方ほうに。

使徒行伝(8か所)

使徒1:18 ところが彼かれは、不正ふせいなやり方かたで得えた報酬ほうしゅうで畑はたけを手てに入いれた。そしてまっさかさまに倒たおれて体からだが真まん中なかから裂さけ、内臓ないぞうがすべて飛とび出だしてしまったのです。

使徒2:31 ダビデはこの先さきを見通みとおして、キリストの復活ふっかつについて語かたったのです。『そのたましいは死者ししゃの世界せかいに見捨みすてられず、その体からだも朽くち果はてることはなかった』と。

使徒4:9 わたしたちが今日きょうここで取とり調しらべを受うけているのは、体からだの不ふ自由じゆうな人ひとにした良よい行おこないのこと、つまりこの人ひとがどうやって治なおったのか、ということですね。

使徒8:7 汚よごれた霊れいに取とりつかれていた多おおくの人ひとからは、その霊れいが大声おおごえで叫さけびながら出でて行いった。また、体からだのまひした人ひとや足あしの不ふ自由じゆうな人ひとも、大勢おおぜいいやされた。

使徒9:33 そこで、アイネアという人ひとに出会であった。八はち年間ねんかんも床ゆかについたまま、体からだがまひして動うごけない人ひとだった。

使徒13:36 ダビデは、生いきていた時代じだいに神かみの計画けいかくのために尽つくしたあと、眠ねむりについて先祖せんぞたちのそばに葬ほうむられ、その体からだは朽くち果はてた。

使徒19:12 パウロの体からだに触ふれた手てぬぐいや前掛まえかけを病人びょうにんのところに持もって行いくだけで、その病気びょうきは去さり、悪霊あくれいも出でて行いったほどだった。

使徒28:6 人々ひとびとは、彼かれの体からだが腫はれ上あがるか、急きゅうに倒たおれて死しぬだろうと思おもっていた。ところが、いくら待まっても彼かれに何なんも変かわったことが起おこらないのを見みて、考かんがえを変かえ、「この人ひとは神かみさまだ」と言いいい出だした。

ローマ人への手紙(18か所)

ローマ1:24 だから神かみは、彼かれらが心こころの欲望よくぼうのままに汚よごれた行おこないへと進すすむのを、そのままにされた。こうして彼かれらは、たがいの体からだを辱はずかしめ合あうことになった。

ローマ2:28 ユダヤ人じんとは、外見がいけんだけでユダヤ人じんである人ひとのことではない。また割礼かつれいとは、体からだに外そとから加くわえる割礼かつれいのことでもない。

ローマ4:19 およそ百ひゃく歳さいになり、自分じぶんの体からだはもう死しんだも同然どうぜんで、サラの胎はらも子こを宿しゅくせないとわかっていた。それでもアブラハムの信仰しんこうは弱よわらなかった。

ローマ6:6 わたしたちはこう知しっている。わたしたちの古ふるい自分じぶんは、キリストといっしょに十字じゅうじ架かにつけられた。それは、罪つみに支配しはいされた体からだが力ちからを失うしない、わたしたちがもう罪つみの奴隷どれいにならないためだ。

ローマ6:12 だから、罪つみにあなたたちの体からだを支配しはいさせてはいけない。あなたたちの体からだはいつか死しぬものだ。その体からだを罪つみに明あけ渡わたして、体からだの欲望よくぼうに従したがってはいけない。

ローマ6:13 自分じぶんの体からだの一部いちぶを、悪あくの道具どうぐとして罪つみに差さし出だしてはいけない。むしろ、死者ししゃの中なかから生いかされた者ものとして、自分じぶん自身じしんを神かみに差さし出だしなさい。そして自分じぶんの体からだを、義ぎの道具どうぐとして神かみに差さし出だしなさい。

ローマ6:19 わたしは、あなたがたが人ひととして弱よわいので、わかりやすい言いいい方かたをする。かつてあなたがたは、自分じぶんの体からだの各かく部分ぶぶんを、汚よごれと悪あくの奴隷どれいとして差さし出だし、どんどん悪わるへと進すすんでいった。それと同おなじように、今度こんどは自分じぶんの体からだの各かく部分ぶぶんを、義ぎの奴隷どれいとして差さし出だしなさい。そうして、聖せいなる者ものになっていくのだ。

ローマ7:4 だから、わたしの兄弟きょうだい姉妹しまいたち。あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法りっぽうに対たいして死しんだのだ。それは、あなたがたが別べつの方かた、つまり死者ししゃの中なかからよみがえった方かたのものとなるためだ。こうして、わたしたちは神かみのために実みを結むすぶのだ。

ローマ7:5 罪つみの欲望よくぼうが、律法りっぽうによってわたしたちの体からだの中なかで働はたらいていた。そして、死しに至いたる実みを結むすばせていた。というのも、わたしたちが古ふるい自分じぶんのままで生いきていたころは、そうだったのだ。

ローマ7:23 でも、わたしの体からだの中なかには別べつの法則ほうそくがあるのが見みえる。それは心こころの法則ほうそくと戦たたかい、体からだの中なかにある罪つみの法則ほうそくのとりこに、わたしを引ひきずり込こんでいくのだ。

ローマ7:24 わたしは、なんとみじめな人間にんげんなのだろう。この死しのからだから、いったいだれがわたしを救すくい出だしてくれるのだろうか。

ローマ8:10 もしキリストがあなたがたの内うちにおられるなら、体からだは罪つみのせいで死しんでいても、霊れいは義ぎのゆえに生いきている。

ローマ8:11 もし、イエスを死者ししゃの中なかからよみがえらせた方かたの霊れいがあなたがたの内うちに住すんでいるなら、キリスト・イエスを死者ししゃの中なかからよみがえらせた方かたは、あなたがたの内うちに住すんでいるその霊れいによって、あなたがたの死しぬべき体からだをも生いかしてくださる。

ローマ8:13 もし肉にくの思おもいのままに生いきるなら、あなたたちは死しぬ。でも、御ご霊れいの力ちからで体からだの悪わるい行おこないを殺ころすなら、あなたたちは生いきる。

ローマ8:23 それだけではない。聖霊せいれいという最初さいしょの贈おくり物ものを受うけているわたしたち自身じしんも、心こころの中なかでうめきながら、神かみの子ことされること、つまりこの体からだが買かい戻もどされて自由じゆうになることを待まち望のぞんでいる。

ローマ12:1 だから、兄弟きょうだい姉妹しまいたち、神かみがあなたがたにこれほどの深ふかいあわれみをかけてくれたのだから、わたしはあなたがたに願ねがう。自分じぶんの体からだを、神かみに喜よろこばれる、生いきた聖せいなる供そなえ物ものとしてささげてほしい。それこそが、あなたがたのなすべき本当ほんとうの礼拝れいはいなのだ。

ローマ12:4 からだは一ひとつでも、たくさんの部分ぶぶんがある。そして、その一ひとつ一ひとつが同おなじ働はたらきをするわけではない。

ローマ12:5 わたしたちも、数すうは多おおいけれど、キリストによって一ひとつの体からだになっている。そして一人ひとりひとりひとりは、たがいに体からだの一部いちぶなのだ。

コリント人への第一の手紙(37か所)

コリント第一5:3 わたしは体からだはそこにいなくても、霊れいではあなたがたと共ともにいる。そして、その場ばにいる者ものと同おなじように、こんなことをしでかした者ものについて、すでに裁さばきを下くだしている。

コリント第一6:13 「食たべ物ものはお腹なかのため、お腹なかは食たべ物もののため。」でも、神かみはそのどちらも滅ほろぼされる。からだは、性的せいてきな乱みだれのためにあるのではなく、主しゅのためにある。そして主しゅは、からだのためにいてくださる。

コリント第一6:15 あなたがたのからだは、キリストのからだの一部いちぶだ。それを知しらないのか。そのキリストの一部いちぶを、わたしが取とって、遊女ゆうじょのからだの一部いちぶにしてしまってよいだろうか。とんでもない。

コリント第一6:16 遊女ゆうじょと交まじわる人ひとは、その相手あいてとからだが一ひとつになる。それを知しらないのか。「二人ふたりは一ひとつのからだになる」と言いわれているとおりだ。

コリント第一6:18 性的せいてきな乱みだれから逃にげなさい。人ひとが犯おかすほかのどんな罪つみも、からだの外そとにあるものだ。でも、性的せいてきに乱みだれる人ひとは、自分じぶん自身じしんのからだに対たいして罪つみを犯おかしている。

コリント第一6:19 あなたがたのからだは、あなたがたの中なかにいる聖霊せいれいが住すまう神殿しんでんだ。それを知しらないのか。この聖霊せいれいは、神かみから与あたえられたものだ。あなたがたは、もう自分じぶん自身じしんのものではない。

コリント第一6:20 あなたがたは、代価だいかを払はらって買かい取とられたのだ。だから、自分じぶんのからだで神かみをあがめなさい。

コリント第一7:4 妻つまの体からだは妻つまだけのものではなく、夫おっとのものでもある。同おなじように、夫おっとの体からだも夫おっとだけのものではなく、妻つまのものでもある。

コリント第一7:34 こうして心こころが二ふたつに分わかれてしまう。結婚けっこんしていない女性じょせいや、まだ結婚けっこんしていない娘むすめは、体からだも心こころも主しゅのものとしてささげようと、主しゅのことに心こころを向むける。でも、結婚けっこんしている女性じょせいは、どうすれば夫おっとに喜よろこばれるかと、この世よのことに心こころを向むける。

コリント第一9:27 むしろ、自分じぶんの体からだを打うちたたいて従したがわせている。ほかの人ひとに福音ふくいんを伝つたえておきながら、自分じぶん自身じしんが失格しっかく者しゃになってしまわないためだ。

コリント第一10:16 わたしたちが感謝かんしゃして受うけるあの祝福しゅくふくの杯さかずきは、キリストの血ちにあずかることではないか。わたしたちが裂さいて分わけ合あうパンは、キリストの体からだにあずかることではないか。

コリント第一10:17 パンは一ひとつ。だからわたしたちは大勢おおぜいでも一ひとつの体からだだ。みんなが一ひとつのパンを分わけ合あっているのだから。

コリント第一11:24 感謝かんしゃの祈いのりをささげてからそれを裂さき、こう言いわれた。「これは、あなたがたのためのわたしの体からだである。わたしを覚おぼえて、これを行おこないなさい。」

コリント第一11:27 だから、ふさわしくないままに主しゅのパンを食たべたり、主しゅの杯さかずきを飲のんだりする人ひとは、主しゅの体からだと血ちを汚けがす罪つみを負おうことになる。

コリント第一11:29 主しゅの体からだをわきまえずに食たべたり飲のんだりする人ひとは、自分じぶん自身じしんにさばきを招まねくことになるのだ。

コリント第一11:30 そのために、あなたがたの中なかには体からだの弱よわい人ひとや病気びょうきの人ひとが多おおく、亡なくなった人ひとも少すくなくない。

コリント第一12:12 体からだは一ひとつでも、多おおくの部分ぶぶんから成なり立たっている。そして、体からだの部分ぶぶんは多おおくあっても、全体ぜんたいで一ひとつの体からだだ。キリストも、それと同おなじだ。

コリント第一12:13 わたしたちはみな、一ひとつの霊れいによってバプテスマを受うけ、一ひとつの体からだとなった。ユダヤ人じんもギリシア人じんも、奴隷どれいも自由じゆうな人ひとも、みな一ひとつの霊れいを飲のませてもらったのだ。

コリント第一12:14 体からだは一ひとつの部分ぶぶんではなく、多おおくの部分ぶぶんから成なり立たっている。

コリント第一12:15 もし足あしが「わたしは手てではないから、体からだの一部いちぶではない」と言いったとしても、それで体からだの一部いちぶでなくなるわけではない。

コリント第一12:16 もし耳みみが「わたしは目めではないから、体からだの一部いちぶではない」と言いったとしても、それで体からだの一部いちぶでなくなるわけではない。

コリント第一12:18 でも実際じっさいには、神かみがそれぞれの部分ぶぶんを、思おもいのままに体からだの中なかに置おいてくださった。

コリント第一12:19 もし全部ぜんぶが一ひとつの部分ぶぶんだったら、体からだはどこにあるだろう。

コリント第一12:20 でも実際じっさいには、部分ぶぶんは多おおくあっても、体からだは一ひとつなのだ。

コリント第一12:22 それどころか、弱よわく見みえる体からだの部分ぶぶんこそ、なくてはならないものだ。

コリント第一12:24 見栄みばえのする部分ぶぶんには、そんな心配しんぱいはいらない。神かみは体からだを組くみ合あわせ、劣おとって見みえる部分ぶぶんにこそ、より大おおきな心遣こころづかいを与あたえてくださった。

コリント第一12:25 こうして、体からだの中なかで仲間なかま割われが起おきず、それぞれの部分ぶぶんが互たがいに同おなじように気きにかけ合あうためだ。

コリント第一12:27 あなたがたは、キリストの体からだだ。そして、一人ひとりひとりひとりがその一部いちぶなのだ。

コリント第一13:3 たとえ全ぜん財産ざいさんを人ひとに分わけ与あたえ、自分じぶんの体からださえ焼やかれるために差さし出だしたとしても、愛あいがなければ、わたしには何なんの得とくにもならない。

コリント第一15:35 でも、こう言いう人ひとがいるだろう。「死者ししゃはどのようにして復活ふっかつするのか。どんな体からだで来くるのか」と。

コリント第一15:37 蒔まくとき、あなたが蒔まくのは、これからできあがる体からだそのものではない。麦むぎであれ、ほかの何なんかであれ、ただの種粒たねつぶを蒔まくだけだ。

コリント第一15:38 でも神かみは、その種たねに、思おもいのままの体からだを与あたえる。それぞれの種たねに、それにふさわしい体からだを与あたえるのだ。

コリント第一15:40 天てんにある体からだもあれば、地ちにある体からだもある。でも、天てんにある体からだの輝かがやきと、地ちにある体からだの輝かがやきは違ちがう。

コリント第一15:44 生うまれつきの体からだとして蒔まかれ、霊れいの体からだとしてよみがえる。生うまれつきの体からだがあるなら、霊れいの体からだもあるのだ。

コリント第一15:50 兄弟きょうだい姉妹しまい、わたしが言いいいたいのはこういうことだ。肉にくと血ちでできた体からだは、神かみの国くにを受うけ継つぐことができない。朽くちるものは、朽くちないものを受うけ継つげないのだ。

コリント第一15:53 なぜなら、この朽くちる体からだは朽くちないものを着きなければならず、この死しぬべき体からだは死しなないものを着きなければならないからだ。

コリント第一15:54 この朽くちる体からだが朽くちないものを着きて、この死しぬべき体からだが死しなないものを着きるとき、こう書かかかれている言葉ことばが実現じつげんする。「死しは勝利しょうりにのみ込こまれた。」

コリント人への第二の手紙(12か所)

コリント第二5:1 わたしたちは知しっている。地上ちじょうにあるこの住すまい、つまり仮かりのテントのようなこの体からだが壊こわされても、神かみが備そなえてくださった建物たてものが、わたしたちにはある。それは人ひとの手てによらない、天てんにある永遠えいえんの住すまいだ。

コリント第二5:2 わたしたちは、この体からだの中なかでうめきながら、天てんから与あたえられる住すまいを上うえから着きせてもらうことを、切せつに願ねがっている。

コリント第二5:4 この幕屋まくやのような体からだの中なかにいるわたしたちは、重荷おもにを負おってうめいている。今いまの体からだを脱ぬぎ捨すてたいからではなく、その上うえに天てんの住すまいを着きたいからだ。そうして、死しぬべきものが、いのちにのみ込こまれるためだ。

コリント第二5:6 だから、わたしたちはいつも心強こころづよい。そして、知しっている。この体からだを住すまいとしている間あいだは、主しゅのもとから離はなれているということを。

コリント第二5:8 だから心強こころづよい。そしてむしろ、この体からだから離はなれて主しゅのもとに住すむことを願ねがっている。

コリント第二5:9 だから、体からだを住すまいとしていても、そこを離はなれていても、わたしたちが目指めざすのはただ一ひとつ、主しゅに喜よろこばれる者ものでいることだ。

コリント第二5:10 なぜなら、わたしたちは皆みな、キリストの裁さばきの座ざの前まえに立たたたなければならないからだ。そこで一人ひとりひとりひとりが、体からだを持もって生いきている間あいだにしたことに応おうじて、その報むくいを受うける。良よいことをしたか、悪わるいことをしたかに応おうじてだ。

コリント第二7:1 愛あいする人ひとたち。わたしたちにはこれらの約束やくそくが与あたえられている。だから、体からだと心こころを汚けがすものすべてから自分じぶんをきよめ、神かみを畏おそれながら、聖せいなる生いき方かたを完成かんせいさせていこう。

コリント第二7:5 マケドニアに着ついてからも、わたしたちの体からだは少すこしも休やすまらなかった。あらゆる方向ほうこうから苦くるしみに押おされていた。外そとには争あらそいがあり、内うちには恐おそれがあった。

コリント第二12:2 わたしは、キリストにある一人ひとりの人ひとを知しっている。その人ひとは十じゅう四よん年ねん前まえ、第だい三さんの天てんにまで引ひき上あげられた。それが体からだのままだったのか、体からだを離はなれてだったのか、わたしにはわからない。神かみがご存ぞんじだ。

コリント第二12:3 そう、わたしはこの人ひとを知しっている。体からだのままだったのか、体からだを離はなれてだったのかはわからない。神かみがご存ぞんじだ。

コリント第二12:7 あの啓示けいじがあまりにもすばらしかったので、わたしが思おもい上あがることのないように、わたしの体からだに一ひとつのとげが与あたえられた。それはサタンの使つかいで、わたしを打うちたたくためのものだ。わたしが思おもい上あがらないためだった。

ガラテヤ人への手紙(4か所)

ガラテヤ4:13 知しってのとおり、わたしが最初さいしょにあなたたちに福音ふくいんを伝つたえたのは、体からだが弱よわっていたからだった。

ガラテヤ4:14 わたしの体からだはあなたたちにとって試練しれんだったのに、あなたたちはそれを見下みくだしたり、嫌いやがって突つき放はなしたりしなかった。それどころか、神かみの使つかいのように、キリスト・イエスそのもののように、わたしを迎むかえ入いれてくれた。

ガラテヤ6:13 割礼かつれいを受うけている人ひとたち自身じしんも、律法りっぽうを守まもってはいない。それでもあなたがたに割礼かつれいを受うけさせたいのは、あなたがたの体からだのことを自慢じまんしたいからだ。

ガラテヤ6:17 これからは、だれもわたしを困こまらせないでほしい。わたしは自分じぶんの体からだに、イエスの焼やき印いんを帯おびているのだから。

エペソ人への手紙(15か所)

エペソ1:23 教会きょうかいはキリストのからだであり、すべてのものをすべてにおいて満みたす方かたが、満みちあふれるところなのだ。

エペソ2:3 実じつは、わたしたちもみな同おなじだった。かつては自分じぶんの欲望よくぼうのままに生いき、体からだと心こころの望のぞむことを行おこなっていた。だから生うまれつき、ほかの人ひとたちと同おなじように、神かみの怒いかりを受うけるべき者ものだった。

エペソ2:11 だから、覚おぼえておいてほしい。あなたたちは生うまれからいえば、ユダヤ人じんではない。手てで体からだに印しるしを刻きざんだ人ひとたち、いわゆる「割礼かつれいのある者もの」から、「割礼かつれいのない者もの」と呼よばれていた。

エペソ2:14 キリストご自身じしんが、わたしたちの平和へいわだ。キリストは二ふたつのものを一ひとつにし、両者りょうしゃを隔へだてていた壁かべ、つまり敵意てきいを、自分じぶんの体からだをもって壊こわした。

エペソ2:16 そして十字じゅうじ架かによって、その二ふたつを一ひとつの体からだとして神かみと和解わかいさせるためだった。キリストは十字じゅうじ架かの上うえで、両者りょうしゃの敵意てきいを滅ほろぼしたのだ。

エペソ3:6 その計画けいかくとは、こういうことだ。ユダヤ人じんではない人々ひとびとも、良よい知しらせを通とおして、キリスト・イエスにあって、ユダヤ人じんと一緒いっしょに神かみの財産ざいさんを受うけ継つぐ者ものとなり、同おなじ体からだの一部いちぶとなり、神かみの約束やくそくを共ともに受うけ取とる者ものとなる。

エペソ4:4 体からだは一ひとつ、霊れいは一ひとつだ。あなたがたが招まねかれたときにいだいた希望きぼうも、一ひとつだった。

エペソ4:12 それは、神かみの民たみを整ととのえて奉仕ほうしの働はたらきにつかせ、キリストの体からだを築き上げきずきあげていくためだ。

エペソ4:16 この方かたから、体たい全体ぜんたいは、それぞれの節々ふしぶしによってしっかりと組くみ合あわされ、結むすび合あわされる。そして、一ひとつ一ひとつの部分ぶぶんがそれぞれの役割やくわりにふさわしく働はたらくことで、体からだは成長せいちょうし、愛あいのうちに自分じぶん自身じしんを築き上げきずきあげていくのだ。

エペソ4:25 だから、うそを捨すてなさい。一人ひとりひとりひとりが、隣となりの人ひとに本当ほんとうのことを話はなそう。わたしたちは、たがいに同おなじ体からだの一部いちぶなのだから。

エペソ5:23 キリストが教会きょうかいのかしらであるように、夫おっとは妻つまのかしらだからだ。キリストは、そのからだである教会きょうかいを救すくう方かたでもある。

エペソ5:28 それと同おなじように、夫おっとも自分じぶんの妻つまを、自分じぶんのからだのように愛あいさなければならない。妻つまを愛あいする人ひとは、自分じぶん自身じしんを愛あいしているのだ。

エペソ5:29 自分じぶんのからだを憎にくむ人ひとなど、これまで一人ひとりもいない。だれもが自分じぶんのからだを養やしない、大切たいせつにする。キリストが教会きょうかいをそうするのと同おなじだ。

エペソ5:30 わたしたちは、キリストのからだの一部いちぶなのだから。

エペソ5:31 「だから人ひとは父ちちと母ははを離はなれて、妻つまと結むすばれ、二人ふたりは一ひとつのからだになる。」

ピリピ人への手紙(4か所)

ピリピ1:22 けれども、この体からだで生いき続つづけることが、実みのりある働はたらきになるのなら、どちらを選えらべばいいのか、わたしには分わかりません。

ピリピ1:24 でも、この体からだのまま生いき続つづけるほうが、あなたがたのためにはもっと必要ひつようなのです。

ピリピ3:2 あの犬いぬたちに気きをつけなさい。悪わるい働はたらき手てたちに気きをつけなさい。体からだを切きり刻きざむだけの、あの割礼かつれい派はに気きをつけなさい。

ピリピ3:21 キリストは、わたしたちの弱よわく卑いやしい体からだを、ご自分じぶんの栄光えいこうの体からだと同おなじ姿すがたに造つくり変かえてくださる。すべてのものを従したがわせることさえできる、その力ちからによって。

コロサイ人への手紙(8か所)

コロサイ1:18 また、御子みこはその体からだである教会きょうかいの頭あたまだ。御子みこは初はじめであり、死者ししゃの中なかから最初さいしょに復活ふっかつした方かただ。こうして、御子みこはすべてにおいて第だい一いちの座ざを占しめることになった。

コロサイ1:22 しかし今いま、神かみは御子みこの肉にくの体からだにおいて、その死しによってあなたがたを和解わかいさせてくださった。それは、あなたがたを聖せいなる、傷きずのない、非難ひなんされるところのない者ものとして、御前ごぜんに立たたたせるためだ。

コロサイ1:24 今いま、わたしはあなたがたのために苦くるしむことを喜よろこんでいる。そして、キリストの体からだである教会きょうかいのために、キリストの苦くるしみのまだ足たりない分ぶんを、自分じぶんの身みをもって補おぎなっているのだ。

コロサイ2:5 わたしは体からだは離はなれていても、心こころはあなたがたと共ともにいる。そして、あなたがたが秩序ちつじょ正ただしく生いき、キリストへの信仰しんこうにしっかりと立たっているのを見みて、喜よろこんでいる。

コロサイ2:9 なぜなら、キリストのうちにこそ、神かみの本質ほんしつがすべて、体からだをもって満みちあふれているからだ。

コロサイ2:11 このキリストにあって、あなたがたは割礼かつれいを受うけた。それは人ひとの手てによるものではなく、罪つみに支配しはいされた肉にくの体からだを脱ぬぎ捨すてる、キリストによる割礼かつれいだ。

コロサイ2:23 こうした教おしえは、勝手かってな信心しんじんや謙遜けんそん、体からだを痛いためつけることで、いかにも知恵ちえがあるように見みえる。でも実際じっさいには、肉にくの欲望よくぼうを抑おさえる力ちからなど何なんもない。

コロサイ3:15 キリストがくださる平和へいわが、あなたがたの心こころを支配しはいするようにしなさい。あなたがたは、一ひとつのからだとして、この平和へいわへと招まねかれたのだ。そして、感謝かんしゃする者ものになりなさい。

テサロニケ人への第一の手紙(2か所)

テサロニケ第一4:4 あなたがた一人ひとりひとりひとりが、自分じぶんの体からだを、聖きよさと敬うやまいをもって保たもつすべを身みにつけ、

テサロニケ第一5:23 平和へいわの神かみご自身じしんが、あなたがたを隅々すみずみまできよめてくださいますように。そして、わたしたちの主しゅイエス・キリストが来こられるとき、あなたがたの霊れいも、心こころも、体からだも、まるごと責せめられるところのない者ものとして守まもられていますように。

テモテへの第一の手紙(2か所)

テモテ第一4:8 体からだを鍛きたえることも少すこしは役やくに立たつ。でも、神かみを敬ううやまう生いき方かたはすべてに役立やくだつ。それは、今いまの命いのちと、これから来くる命いのちの両方りょうほうを約束やくそくしてくれるからだ。

テモテ第一5:23 これからは水みずばかり飲のまないで、胃いのために、そしてたびたび起おこる体からだの不調ふちょうのために、少すこしぶどう酒しゅを用もちいなさい。

ヘブル人への手紙(9か所)

ヘブル7:10 というのも、メルキゼデクがアブラハムを迎むかえたとき、レビはまだ生うまれておらず、先祖せんぞアブラハムの体からだの中なかにいたからだ。

ヘブル9:10 それらは食たべ物ものや飲のみ物もの、さまざまな洗あらいきよめに関かかわる定さだめにすぎず、体からだに関かんする決きまりでしかない。新あたらしい秩序ちつじょが来くるときまで課かせられていたものだ。

ヘブル9:13 考かんがえてみてほしい。やぎや雄牛おうしの血ち、あるいは若わかい雌牛めうしを焼やいた灰はいは、汚よごれた人ひとにふりかけられると、その人ひとの体からだを清きよめ、聖せいなるものにする。

ヘブル10:5 だから、キリストはこの世よに入はいられるとき、こう言いわれた。「あなたは、いけにえもささげ物ものも望のぞまれなかった。その代かわりに、わたしのために体からだを用意よういしてくださった。

ヘブル10:10 この神かみの望のぞみにしたがって、イエス・キリストがただ一いち度ど、ご自分じぶんの体からだをささげてくださった。だからわたしたちは、神かみのものとしてきよめられている。

ヘブル10:20 イエスは、垂たれ幕まく――つまりご自分じぶんの体からだ――を通とおって、わたしたちのために新あたらしい、生いきた道みちを開ひらいてくださった。

ヘブル10:22 だから、確たしかな信仰しんこうを持もって、真心まごころから神かみに近ちかづこう。わたしたちの心こころは、汚よごれた良心りょうしんからきよめられ、体からだは清きよい水みずで洗あらわれているのだから。

ヘブル13:3 牢ろうにつながれている人ひとたちを、自分じぶんも一緒いっしょにつながれているつもりで心こころにかけよう。ひどい扱あつかいを受うけている人ひとたちのことも、自分じぶんも同おなじ体からだを持もつ者ものとして気きづかってあげよう。

ヘブル13:11 動物どうぶつの血ちは、罪つみのためのささげ物ものとして大だい祭司さいしによって聖せい所しょへ運はこび込こまれるが、その体からだは宿営しゅくえいの外そとで焼やかれてしまう。

ヤコブの手紙(6か所)

ヤコブ2:16 それなのに、あなたたちのだれかが「元気げんきで。温あたたかくして、お腹なかいっぱい食たべてね」と言いうだけで、体からだに必要ひつような物ものを何なんも与あたえないなら、何なんの役やくに立たつだろう。

ヤコブ2:26 たましいのない体からだが死しんでいるように、行おこないのともなわない信仰しんこうも死しんでいるのだ。

ヤコブ3:3 馬うまを思おもいどおりに動うごかすために、その口くちにくつわをかける。すると馬うまの体からだ全体ぜんたいを操あやつることができる。

ヤコブ3:5 同おなじように、舌したも体からだのごく小ちいさな一部いちぶだ。それなのに大おおきなことを言いって威張いばる。見みてほしい。ほんの小ちいさな火ひが、あんなに大おおきな森もりを燃もやしてしまう。

ヤコブ3:6 舌したも火ひだ。舌したはわたしたちの体からだの一部いちぶでありながら、不義ふぎに満みちた一ひとつの世よとなっている。体たい全体ぜんたいを汚よごし、人生じんせいのすべてを焼やき尽つくす。そしてその火ひは地獄じごくから燃もえ移うつってくるのだ。

ヤコブ4:1 あなたたちの間あいだの争あらそいやけんかは、どこから来くるのだろう。それは、あなたたちの体からだの中なかで戦たたかっている欲望よくぼうから来くるのではないか。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一3:21 この水みずが指さし示しめすバプテスマは、今いまあなたたちを救すくう。それは体からだの汚よごれを洗あらい落おとすことではなく、正ただしい良心りょうしんを求もとめて神かみに誓ちかうことだ。そして、イエス・キリストの復活ふっかつによって救すくうのだ。

ペテロの第二の手紙(2か所)

ペテロ第二1:13 わたしは、この体からだという幕屋まくやにいるかぎり、あなたがたにこれを思おもい起おこさせて、目めを覚さまさせておくのが正ただしいことだと思おもっている。

ペテロ第二2:22 彼かれらの身みには、あのことわざのとおりのことが起おこった。「犬いぬは、自分じぶんが吐はいたもののところへ戻もどる。」また「豚ぶたは、体からだを洗あらってもらっても、また泥どろの中なかを転ころげ回まわりに戻もどる。」これは本当ほんとうのことわざだ。

ユダの手紙(2か所)

ユダ1:8 それなのに、この者ものたちも同おなじことをしている。彼かれらは夢ゆめに酔よいしれ、自分じぶんの体からだを汚よごし、権威けんいを認みとめず、栄光えいこうある者ものたちをののしっている。

ユダ1:9 天使てんしのかしらであるミカエルでさえ、モーセの体からだをめぐって悪魔あくまと言い争っいいあらそったとき、あえて相手あいてをののしって裁さばくようなことはせず、「主しゅがおまえを叱しかってくださるように」と言いっただけだった。

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