「体」(からだ)が出てくる聖書の箇所
「体」(からだ)は日常訳第1版の340か所(旧約157・新約183)に出てきます。「からだ」も含みます。口語訳では138か所。
340か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。
ルカによる福音書(15か所)
ルカ14:13 宴会を開くときは、むしろ貧しい人や、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人を招きなさい。
ルカ14:21 召使いは戻って、このことを主人に報告した。すると主人は怒って、召使いにこう言った。『すぐに町の広い通りや路地に出て行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を、ここに連れて来なさい。』
ルカ17:14 イエスは彼らを見て言った。「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい。」彼らはその途中で、体がきれいに治った。
ルカ22:19 また、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、それを裂いて弟子たちに渡してこう言った。「これは、あなたたちのために与えられるわたしの体だ。わたしを思い出すために、これを続けてほしい。」
ヨハネによる福音書(6か所)
ヨハネ2:6 そこには、石でできた水がめが六つ置いてあった。ユダヤ人が体を清める儀式に使うもので、それぞれ八十リットルから百二十リットルほど入る大きさだった。
ヨハネ2:21 しかし、イエスが言っていたのは、ご自分の体という神殿のことだった。
ヨハネ5:3 その廊の中には、大勢の病人が横たわっていた。目の見えない人、足の不自由な人、体の動かない人たちだった。
ヨハネ13:10 イエスは彼に言われた。「体を洗った人は、足だけ洗えばいい。あとは全身きれいなんだ。あなたたちもきれいだ。でも、みんながそうというわけではない。」
ヨハネ19:40 ヨセフとニコデモはイエスの体を引き取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にならって、香料といっしょに亜麻布で巻いた。
ヨハネ20:12 白い衣を着た二人の天使が、イエスの体が置かれていた場所にすわっているのを見た。一人は頭の方に、もう一人は足の方に。
使徒行伝(8か所)
使徒1:18 ところが彼は、不正なやり方で得た報酬で畑を手に入れた。そしてまっさかさまに倒れて体が真ん中から裂け、内臓がすべて飛び出してしまったのです。
使徒2:31 ダビデはこの先を見通して、キリストの復活について語ったのです。『そのたましいは死者の世界に見捨てられず、その体も朽ち果てることはなかった』と。
使徒4:9 わたしたちが今日ここで取り調べを受けているのは、体の不自由な人にした良い行いのこと、つまりこの人がどうやって治ったのか、ということですね。
使徒8:7 汚れた霊に取りつかれていた多くの人からは、その霊が大声で叫びながら出て行った。また、体のまひした人や足の不自由な人も、大勢いやされた。
使徒9:33 そこで、アイネアという人に出会った。八年間も床についたまま、体がまひして動けない人だった。
使徒13:36 ダビデは、生きていた時代に神の計画のために尽くしたあと、眠りについて先祖たちのそばに葬られ、その体は朽ち果てた。
使徒19:12 パウロの体に触れた手ぬぐいや前掛けを病人のところに持って行くだけで、その病気は去り、悪霊も出て行ったほどだった。
使徒28:6 人々は、彼の体が腫れ上がるか、急に倒れて死ぬだろうと思っていた。ところが、いくら待っても彼に何も変わったことが起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神さまだ」と言い出した。
ローマ人への手紙(18か所)
ローマ1:24 だから神は、彼らが心の欲望のままに汚れた行いへと進むのを、そのままにされた。こうして彼らは、たがいの体を辱め合うことになった。
ローマ2:28 ユダヤ人とは、外見だけでユダヤ人である人のことではない。また割礼とは、体に外から加える割礼のことでもない。
ローマ4:19 およそ百歳になり、自分の体はもう死んだも同然で、サラの胎も子を宿せないとわかっていた。それでもアブラハムの信仰は弱らなかった。
ローマ6:6 わたしたちはこう知っている。わたしたちの古い自分は、キリストといっしょに十字架につけられた。それは、罪に支配された体が力を失い、わたしたちがもう罪の奴隷にならないためだ。
ローマ6:12 だから、罪にあなたたちの体を支配させてはいけない。あなたたちの体はいつか死ぬものだ。その体を罪に明け渡して、体の欲望に従ってはいけない。
ローマ6:13 自分の体の一部を、悪の道具として罪に差し出してはいけない。むしろ、死者の中から生かされた者として、自分自身を神に差し出しなさい。そして自分の体を、義の道具として神に差し出しなさい。
ローマ6:19 わたしは、あなたがたが人として弱いので、わかりやすい言い方をする。かつてあなたがたは、自分の体の各部分を、汚れと悪の奴隷として差し出し、どんどん悪へと進んでいった。それと同じように、今度は自分の体の各部分を、義の奴隷として差し出しなさい。そうして、聖なる者になっていくのだ。
ローマ7:4 だから、わたしの兄弟姉妹たち。あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのだ。それは、あなたがたが別の方、つまり死者の中からよみがえった方のものとなるためだ。こうして、わたしたちは神のために実を結ぶのだ。
ローマ7:5 罪の欲望が、律法によってわたしたちの体の中で働いていた。そして、死に至る実を結ばせていた。というのも、わたしたちが古い自分のままで生きていたころは、そうだったのだ。
ローマ7:23 でも、わたしの体の中には別の法則があるのが見える。それは心の法則と戦い、体の中にある罪の法則のとりこに、わたしを引きずり込んでいくのだ。
ローマ7:24 わたしは、なんとみじめな人間なのだろう。この死のからだから、いったいだれがわたしを救い出してくれるのだろうか。
ローマ8:10 もしキリストがあなたがたの内におられるなら、体は罪のせいで死んでいても、霊は義のゆえに生きている。
ローマ8:11 もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の霊があなたがたの内に住んでいるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたの内に住んでいるその霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも生かしてくださる。
ローマ8:13 もし肉の思いのままに生きるなら、あなたたちは死ぬ。でも、御霊の力で体の悪い行いを殺すなら、あなたたちは生きる。
ローマ8:23 それだけではない。聖霊という最初の贈り物を受けているわたしたち自身も、心の中でうめきながら、神の子とされること、つまりこの体が買い戻されて自由になることを待ち望んでいる。
ローマ12:1 だから、兄弟姉妹たち、神があなたがたにこれほどの深いあわれみをかけてくれたのだから、わたしはあなたがたに願う。自分の体を、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物としてささげてほしい。それこそが、あなたがたのなすべき本当の礼拝なのだ。
ローマ12:4 からだは一つでも、たくさんの部分がある。そして、その一つ一つが同じ働きをするわけではない。
ローマ12:5 わたしたちも、数は多いけれど、キリストによって一つの体になっている。そして一人ひとりは、たがいに体の一部なのだ。
コリント人への第一の手紙(37か所)
コリント第一5:3 わたしは体はそこにいなくても、霊ではあなたがたと共にいる。そして、その場にいる者と同じように、こんなことをしでかした者について、すでに裁きを下している。
コリント第一6:13 「食べ物はお腹のため、お腹は食べ物のため。」でも、神はそのどちらも滅ぼされる。からだは、性的な乱れのためにあるのではなく、主のためにある。そして主は、からだのためにいてくださる。
コリント第一6:15 あなたがたのからだは、キリストのからだの一部だ。それを知らないのか。そのキリストの一部を、わたしが取って、遊女のからだの一部にしてしまってよいだろうか。とんでもない。
コリント第一6:16 遊女と交わる人は、その相手とからだが一つになる。それを知らないのか。「二人は一つのからだになる」と言われているとおりだ。
コリント第一6:18 性的な乱れから逃げなさい。人が犯すほかのどんな罪も、からだの外にあるものだ。でも、性的に乱れる人は、自分自身のからだに対して罪を犯している。
コリント第一6:19 あなたがたのからだは、あなたがたの中にいる聖霊が住まう神殿だ。それを知らないのか。この聖霊は、神から与えられたものだ。あなたがたは、もう自分自身のものではない。
コリント第一6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのだ。だから、自分のからだで神をあがめなさい。
コリント第一7:4 妻の体は妻だけのものではなく、夫のものでもある。同じように、夫の体も夫だけのものではなく、妻のものでもある。
コリント第一7:34 こうして心が二つに分かれてしまう。結婚していない女性や、まだ結婚していない娘は、体も心も主のものとしてささげようと、主のことに心を向ける。でも、結婚している女性は、どうすれば夫に喜ばれるかと、この世のことに心を向ける。
コリント第一9:27 むしろ、自分の体を打ちたたいて従わせている。ほかの人に福音を伝えておきながら、自分自身が失格者になってしまわないためだ。
コリント第一10:16 わたしたちが感謝して受けるあの祝福の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂いて分け合うパンは、キリストの体にあずかることではないか。
コリント第一10:17 パンは一つ。だからわたしたちは大勢でも一つの体だ。みんなが一つのパンを分け合っているのだから。
コリント第一11:24 感謝の祈りをささげてからそれを裂き、こう言われた。「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしを覚えて、これを行いなさい。」
コリント第一11:27 だから、ふさわしくないままに主のパンを食べたり、主の杯を飲んだりする人は、主の体と血を汚す罪を負うことになる。
コリント第一11:29 主の体をわきまえずに食べたり飲んだりする人は、自分自身にさばきを招くことになるのだ。
コリント第一11:30 そのために、あなたがたの中には体の弱い人や病気の人が多く、亡くなった人も少なくない。
コリント第一12:12 体は一つでも、多くの部分から成り立っている。そして、体の部分は多くあっても、全体で一つの体だ。キリストも、それと同じだ。
コリント第一12:13 わたしたちはみな、一つの霊によってバプテスマを受け、一つの体となった。ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由な人も、みな一つの霊を飲ませてもらったのだ。
コリント第一12:14 体は一つの部分ではなく、多くの部分から成り立っている。
コリント第一12:15 もし足が「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったとしても、それで体の一部でなくなるわけではない。
コリント第一12:16 もし耳が「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったとしても、それで体の一部でなくなるわけではない。
コリント第一12:18 でも実際には、神がそれぞれの部分を、思いのままに体の中に置いてくださった。
コリント第一12:19 もし全部が一つの部分だったら、体はどこにあるだろう。
コリント第一12:20 でも実際には、部分は多くあっても、体は一つなのだ。
コリント第一12:22 それどころか、弱く見える体の部分こそ、なくてはならないものだ。
コリント第一12:24 見栄えのする部分には、そんな心配はいらない。神は体を組み合わせ、劣って見える部分にこそ、より大きな心遣いを与えてくださった。
コリント第一12:25 こうして、体の中で仲間割れが起きず、それぞれの部分が互いに同じように気にかけ合うためだ。
コリント第一12:27 あなたがたは、キリストの体だ。そして、一人ひとりがその一部なのだ。
コリント第一13:3 たとえ全財産を人に分け与え、自分の体さえ焼かれるために差し出したとしても、愛がなければ、わたしには何の得にもならない。
コリント第一15:35 でも、こう言う人がいるだろう。「死者はどのようにして復活するのか。どんな体で来るのか」と。
コリント第一15:37 蒔くとき、あなたが蒔くのは、これからできあがる体そのものではない。麦であれ、ほかの何かであれ、ただの種粒を蒔くだけだ。
コリント第一15:38 でも神は、その種に、思いのままの体を与える。それぞれの種に、それにふさわしい体を与えるのだ。
コリント第一15:40 天にある体もあれば、地にある体もある。でも、天にある体の輝きと、地にある体の輝きは違う。
コリント第一15:44 生まれつきの体として蒔かれ、霊の体としてよみがえる。生まれつきの体があるなら、霊の体もあるのだ。
コリント第一15:50 兄弟姉妹、わたしが言いたいのはこういうことだ。肉と血でできた体は、神の国を受け継ぐことができない。朽ちるものは、朽ちないものを受け継げないのだ。
コリント第一15:53 なぜなら、この朽ちる体は朽ちないものを着なければならず、この死ぬべき体は死なないものを着なければならないからだ。
コリント第一15:54 この朽ちる体が朽ちないものを着て、この死ぬべき体が死なないものを着るとき、こう書かれている言葉が実現する。「死は勝利にのみ込まれた。」
コリント人への第二の手紙(12か所)
コリント第二5:1 わたしたちは知っている。地上にあるこの住まい、つまり仮のテントのようなこの体が壊されても、神が備えてくださった建物が、わたしたちにはある。それは人の手によらない、天にある永遠の住まいだ。
コリント第二5:2 わたしたちは、この体の中でうめきながら、天から与えられる住まいを上から着せてもらうことを、切に願っている。
コリント第二5:4 この幕屋のような体の中にいるわたしたちは、重荷を負ってうめいている。今の体を脱ぎ捨てたいからではなく、その上に天の住まいを着たいからだ。そうして、死ぬべきものが、いのちにのみ込まれるためだ。
コリント第二5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、知っている。この体を住まいとしている間は、主のもとから離れているということを。
コリント第二5:8 だから心強い。そしてむしろ、この体から離れて主のもとに住むことを願っている。
コリント第二5:9 だから、体を住まいとしていても、そこを離れていても、わたしたちが目指すのはただ一つ、主に喜ばれる者でいることだ。
コリント第二5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立たなければならないからだ。そこで一人ひとりが、体を持って生きている間にしたことに応じて、その報いを受ける。良いことをしたか、悪いことをしたかに応じてだ。
コリント第二7:1 愛する人たち。わたしたちにはこれらの約束が与えられている。だから、体と心を汚すものすべてから自分をきよめ、神を畏れながら、聖なる生き方を完成させていこう。
コリント第二7:5 マケドニアに着いてからも、わたしたちの体は少しも休まらなかった。あらゆる方向から苦しみに押されていた。外には争いがあり、内には恐れがあった。
コリント第二12:2 わたしは、キリストにある一人の人を知っている。その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられた。それが体のままだったのか、体を離れてだったのか、わたしにはわからない。神がご存じだ。
コリント第二12:3 そう、わたしはこの人を知っている。体のままだったのか、体を離れてだったのかはわからない。神がご存じだ。
コリント第二12:7 あの啓示があまりにもすばらしかったので、わたしが思い上がることのないように、わたしの体に一つのとげが与えられた。それはサタンの使いで、わたしを打ちたたくためのものだ。わたしが思い上がらないためだった。
ガラテヤ人への手紙(4か所)
ガラテヤ4:13 知ってのとおり、わたしが最初にあなたたちに福音を伝えたのは、体が弱っていたからだった。
ガラテヤ4:14 わたしの体はあなたたちにとって試練だったのに、あなたたちはそれを見下したり、嫌がって突き放したりしなかった。それどころか、神の使いのように、キリスト・イエスそのもののように、わたしを迎え入れてくれた。
ガラテヤ6:13 割礼を受けている人たち自身も、律法を守ってはいない。それでもあなたがたに割礼を受けさせたいのは、あなたがたの体のことを自慢したいからだ。
ガラテヤ6:17 これからは、だれもわたしを困らせないでほしい。わたしは自分の体に、イエスの焼き印を帯びているのだから。
エペソ人への手紙(15か所)
エペソ1:23 教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてにおいて満たす方が、満ちあふれるところなのだ。
エペソ2:3 実は、わたしたちもみな同じだった。かつては自分の欲望のままに生き、体と心の望むことを行っていた。だから生まれつき、ほかの人たちと同じように、神の怒りを受けるべき者だった。
エペソ2:11 だから、覚えておいてほしい。あなたたちは生まれからいえば、ユダヤ人ではない。手で体に印を刻んだ人たち、いわゆる「割礼のある者」から、「割礼のない者」と呼ばれていた。
エペソ2:14 キリストご自身が、わたしたちの平和だ。キリストは二つのものを一つにし、両者を隔てていた壁、つまり敵意を、自分の体をもって壊した。
エペソ2:16 そして十字架によって、その二つを一つの体として神と和解させるためだった。キリストは十字架の上で、両者の敵意を滅ぼしたのだ。
エペソ3:6 その計画とは、こういうことだ。ユダヤ人ではない人々も、良い知らせを通して、キリスト・イエスにあって、ユダヤ人と一緒に神の財産を受け継ぐ者となり、同じ体の一部となり、神の約束を共に受け取る者となる。
エペソ4:4 体は一つ、霊は一つだ。あなたがたが招かれたときにいだいた希望も、一つだった。
エペソ4:12 それは、神の民を整えて奉仕の働きにつかせ、キリストの体を築き上げていくためだ。
エペソ4:16 この方から、体全体は、それぞれの節々によってしっかりと組み合わされ、結び合わされる。そして、一つ一つの部分がそれぞれの役割にふさわしく働くことで、体は成長し、愛のうちに自分自身を築き上げていくのだ。
エペソ4:25 だから、うそを捨てなさい。一人ひとりが、隣の人に本当のことを話そう。わたしたちは、たがいに同じ体の一部なのだから。
エペソ5:23 キリストが教会のかしらであるように、夫は妻のかしらだからだ。キリストは、そのからだである教会を救う方でもある。
エペソ5:28 それと同じように、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さなければならない。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのだ。
エペソ5:29 自分のからだを憎む人など、これまで一人もいない。だれもが自分のからだを養い、大切にする。キリストが教会をそうするのと同じだ。
エペソ5:30 わたしたちは、キリストのからだの一部なのだから。
エペソ5:31 「だから人は父と母を離れて、妻と結ばれ、二人は一つのからだになる。」
ピリピ人への手紙(4か所)
ピリピ1:22 けれども、この体で生き続けることが、実りある働きになるのなら、どちらを選べばいいのか、わたしには分かりません。
ピリピ1:24 でも、この体のまま生き続けるほうが、あなたがたのためにはもっと必要なのです。
ピリピ3:2 あの犬たちに気をつけなさい。悪い働き手たちに気をつけなさい。体を切り刻むだけの、あの割礼派に気をつけなさい。
ピリピ3:21 キリストは、わたしたちの弱く卑しい体を、ご自分の栄光の体と同じ姿に造り変えてくださる。すべてのものを従わせることさえできる、その力によって。
コロサイ人への手紙(8か所)
コロサイ1:18 また、御子はその体である教会の頭だ。御子は初めであり、死者の中から最初に復活した方だ。こうして、御子はすべてにおいて第一の座を占めることになった。
コロサイ1:22 しかし今、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたを和解させてくださった。それは、あなたがたを聖なる、傷のない、非難されるところのない者として、御前に立たせるためだ。
コロサイ1:24 今、わたしはあなたがたのために苦しむことを喜んでいる。そして、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみのまだ足りない分を、自分の身をもって補っているのだ。
コロサイ2:5 わたしは体は離れていても、心はあなたがたと共にいる。そして、あなたがたが秩序正しく生き、キリストへの信仰にしっかりと立っているのを見て、喜んでいる。
コロサイ2:9 なぜなら、キリストのうちにこそ、神の本質がすべて、体をもって満ちあふれているからだ。
コロサイ2:11 このキリストにあって、あなたがたは割礼を受けた。それは人の手によるものではなく、罪に支配された肉の体を脱ぎ捨てる、キリストによる割礼だ。
コロサイ2:23 こうした教えは、勝手な信心や謙遜、体を痛めつけることで、いかにも知恵があるように見える。でも実際には、肉の欲望を抑える力など何もない。
コロサイ3:15 キリストがくださる平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたは、一つのからだとして、この平和へと招かれたのだ。そして、感謝する者になりなさい。
テサロニケ人への第一の手紙(2か所)
テサロニケ第一4:4 あなたがた一人ひとりが、自分の体を、聖さと敬いをもって保つすべを身につけ、
テサロニケ第一5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを隅々まできよめてくださいますように。そして、わたしたちの主イエス・キリストが来られるとき、あなたがたの霊も、心も、体も、まるごと責められるところのない者として守られていますように。
テモテへの第一の手紙(2か所)
テモテ第一4:8 体を鍛えることも少しは役に立つ。でも、神を敬う生き方はすべてに役立つ。それは、今の命と、これから来る命の両方を約束してくれるからだ。
テモテ第一5:23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、そしてたびたび起こる体の不調のために、少しぶどう酒を用いなさい。
ヘブル人への手紙(9か所)
ヘブル7:10 というのも、メルキゼデクがアブラハムを迎えたとき、レビはまだ生まれておらず、先祖アブラハムの体の中にいたからだ。
ヘブル9:10 それらは食べ物や飲み物、さまざまな洗いきよめに関わる定めにすぎず、体に関する決まりでしかない。新しい秩序が来るときまで課せられていたものだ。
ヘブル9:13 考えてみてほしい。やぎや雄牛の血、あるいは若い雌牛を焼いた灰は、汚れた人にふりかけられると、その人の体を清め、聖なるものにする。
ヘブル10:5 だから、キリストはこの世に入られるとき、こう言われた。「あなたは、いけにえもささげ物も望まれなかった。その代わりに、わたしのために体を用意してくださった。
ヘブル10:10 この神の望みにしたがって、イエス・キリストがただ一度、ご自分の体をささげてくださった。だからわたしたちは、神のものとしてきよめられている。
ヘブル10:20 イエスは、垂れ幕――つまりご自分の体――を通って、わたしたちのために新しい、生きた道を開いてくださった。
ヘブル10:22 だから、確かな信仰を持って、真心から神に近づこう。わたしたちの心は、汚れた良心からきよめられ、体は清い水で洗われているのだから。
ヘブル13:3 牢につながれている人たちを、自分も一緒につながれているつもりで心にかけよう。ひどい扱いを受けている人たちのことも、自分も同じ体を持つ者として気づかってあげよう。
ヘブル13:11 動物の血は、罪のためのささげ物として大祭司によって聖所へ運び込まれるが、その体は宿営の外で焼かれてしまう。
ヤコブの手紙(6か所)
ヤコブ2:16 それなのに、あなたたちのだれかが「元気で。温かくして、お腹いっぱい食べてね」と言うだけで、体に必要な物を何も与えないなら、何の役に立つだろう。
ヤコブ2:26 たましいのない体が死んでいるように、行いのともなわない信仰も死んでいるのだ。
ヤコブ3:3 馬を思いどおりに動かすために、その口にくつわをかける。すると馬の体全体を操ることができる。
ヤコブ3:5 同じように、舌も体のごく小さな一部だ。それなのに大きなことを言って威張る。見てほしい。ほんの小さな火が、あんなに大きな森を燃やしてしまう。
ヤコブ3:6 舌も火だ。舌はわたしたちの体の一部でありながら、不義に満ちた一つの世となっている。体全体を汚し、人生のすべてを焼き尽くす。そしてその火は地獄から燃え移ってくるのだ。
ヤコブ4:1 あなたたちの間の争いやけんかは、どこから来るのだろう。それは、あなたたちの体の中で戦っている欲望から来るのではないか。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一3:21 この水が指し示すバプテスマは、今あなたたちを救う。それは体の汚れを洗い落とすことではなく、正しい良心を求めて神に誓うことだ。そして、イエス・キリストの復活によって救うのだ。
ペテロの第二の手紙(2か所)
ペテロ第二1:13 わたしは、この体という幕屋にいるかぎり、あなたがたにこれを思い起こさせて、目を覚まさせておくのが正しいことだと思っている。
ペテロ第二2:22 彼らの身には、あのことわざのとおりのことが起こった。「犬は、自分が吐いたもののところへ戻る。」また「豚は、体を洗ってもらっても、また泥の中を転げ回りに戻る。」これは本当のことわざだ。
ユダの手紙(2か所)
ユダ1:8 それなのに、この者たちも同じことをしている。彼らは夢に酔いしれ、自分の体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっている。
ユダ1:9 天使のかしらであるミカエルでさえ、モーセの体をめぐって悪魔と言い争ったとき、あえて相手をののしって裁くようなことはせず、「主がおまえを叱ってくださるように」と言っただけだった。