「考える」(かんがえる)が出てくる聖書の箇所

「考える」(かんがえる)は日常訳第1版の153か所(旧約78・新約75)に出てきます。口語訳では72か所。

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創世記(2か所)

創世記32:8 そして彼かれは考かんがえた。「もしエサウが来きて、片方かたほうの組くみを襲おそっても、残のこったもう片方かたほうの組くみは逃にげのびられるだろう。」

創世記32:20 「あなたのしもべヤコブも、わたしたちの後うしろに来きています」と。ヤコブは、こう考かんがえていた。「先さきに送おくる贈おくり物もので兄あにをなだめて、それから顔かおを合あわせよう。そうすれば、兄あにはわたしを受うけ入いれてくれるかもしれない。」

出エジプト記(2か所)

出エジプト13:17 さて、ファラオが民たみを行いかせたとき、神かみは彼かれらをペリシテ人びとの地ちを通とおる道みちへは導みちびかれなかった。その道みちが近ちかかったのにである。神かみはこう考かんがえられたのだ。「民たみが戦たたかいを目めにして気きが変かわり、エジプトへ引ひき返かえすといけない。」

出エジプト31:4 彼かれは工夫くふうをこらしてデザインを考かんがえ、金かねや銀ぎんや青銅せいどうを使つかって形かたちにする。

民数記(1か所)

民数記33:56 そうなれば、わたしが彼かれらにしようと考かんがえていたことを、あなたたちにすることになる。」

申命記(3か所)

申命記11:2 今日きょう、はっきりと考かんがえてみなさい。あなたたちの神かみ、主しゅの訓練くんれんを知しり、その目めで見みたのは、あなたたち自身じしんであって、子こどもたちではない。子こどもたちは、それを知しらず、見みてもいない。あなたたちは、主しゅの偉大いだいさ、その力強ちからづよい手て、伸のばされた腕うでを見みた。

申命記15:9 気きをつけなさい。「七なな年ねん目め、帳消ちょうけしの年としが近ちかい」などと、心こころの中なかでよこしまなことを考かんがえて、貧まずしい仲間なかまに冷つめたい目めを向むけ、何なんも与あたえないでいてはいけない。その人ひとが主しゅに訴うったえたら、あなたは罪つみに問とわれる。

申命記32:7 昔むかしの日々ひびを思おもい出だせ。代々だいだいの年月としつきを考かんがえてみよ。父ちちに尋たずねてみよ、教おしえてくれるだろう。長老ちょうろうたちに聞きいてみよ、話はなしてくれるだろう。

ヨシュア記(1か所)

ヨシュア記22:28 だから、わたしたちはこう考かんがえた。もし将来しょうらい、あなたがたやその子孫しそんがわたしたちにそう言いったときには、こう答こたえよう。「見みよ、これは主しゅの祭壇さいだんの模型もけいだ。わたしたちの先祖せんぞが造つくったものだ。焼やき尽つくすささげ物もののためでも、いけにえのためでもない。わたしたちとあなたがたの間あいだの証あかしなのだ」と。

士師記(2か所)

士師記18:14 あの地ちライシュを偵察ていさつしに行いった五ご人にんは、兄弟きょうだいたちに言いった。「知しっているか。この家々いえいえには、エフォドやテラフィム、彫像ちょうぞうや鋳物いものの像ぞうがあるんだ。だから、どうすればいいかよく考かんがえてくれ。」

士師記19:30 それを見みた人ひとはみな言いった。「イスラエルの人々ひとびとがエジプトの地ちから出でてきた日ひから今日きょうまで、こんなことは起おきたことも、見みたこともない。よく考かんがえ、話はなし合あって、意見いけんを言いおう。」

サムエル記上(5か所)

サムエル第一12:24 ただ、主しゅを恐おそれ、心こころを尽つくし、真実しんじつをもって主しゅに仕つかえなさい。主しゅがあなたたちのために、どれほど大おおきなことをしてくださったか、よく考かんがえてみなさい。

サムエル第一18:17 サウルはダビデに言いった。「わたしの長女ちょうじょのメラブを、おまえの妻つまにやろう。だからわたしのために勇敢ゆうかんに戦たたかい、主しゅの戦たたかいを戦たたかってくれ。」サウルは、こう考かんがえていたのだ。「自分じぶんの手てではなく、ペリシテ人びとの手てでダビデを倒たおさせよう。」

サムエル第一18:21 サウルは考かんがえた。「ミカルをダビデにやろう。そうすれば、彼女かのじょがダビデを陥おとしいれるわなとなり、ペリシテ人びとの手てがダビデにおよぶだろう。」そしてサウルはダビデに言いった。「今日きょうこそ、おまえはもう一ひとつの縁組えんぐみでわたしの婿むこになれるのだ。」

サムエル第一18:25 サウルは言いった。「ダビデにこう伝つたえろ。『王おうは結けつ納金のうきんなど望のぞんではいない。ただ、王おうの敵てきへの仕返ししかえしとして、ペリシテ人びとの包皮ほうひを百ひゃく欲ほしいのだ。』」サウルは、ダビデをペリシテ人びとの手てにかけて倒たおそうと考かんがえていたのだ。

サムエル第一25:17 ですから今いま、どうすればいいか、よく考かんがえてください。ご主人しゅじんにも、その家いえの者ものすべてにも、災わざわいがふりかかろうとしています。ご主人しゅじんはどうしようもない人ひとで、誰だれも話はなしかけることができないのです。」

サムエル記下(3か所)

サムエル第二14:13 女性じょせいは言いった。「では、どうしてあなたは神かみの民たみに対たいしてそんなことを考かんがえておられるのですか。王おうさまがこう言いわれるのは、ご自分じぶんを責せめることになります。追放ついほうされたご自分じぶんの息子むすこを、呼よび戻もどそうとなさらないからです。

サムエル第二14:14 わたしたちはみな必かならず死しにます。地面じめんにこぼれた水みずを集あつめられないのと同おなじです。でも神かみは、いのちを取とり去さっておられるのに、追放ついほうされた者ものを退しりぞけたままにしないよう、いろいろな手立ててだてを考かんがえてくださいます。

サムエル第二24:13 ガドはダビデのところに来きて、主しゅの言葉ことばを伝つたえた。ガドは言いった。「あなたの国くにに七しち年ねんのききんが来くるのと、敵てきに追おわれて三さんか月げつ逃にげ回まわるのと、あなたの国くにに三みっ日間かかんの疫病やくびょうがはやるのと、どれがいいですか。今いま、よく考かんがえて決きめてください。わたしを送おくった方かたに、どう答こたえればいいか教おしえてください。」

列王紀上(2か所)

列王紀上12:26 ヤロブアムは心こころの中なかでこう考かんがえた。「このままでは、王国おうこくはダビデの家いえに戻もどってしまう。

列王紀上20:22 すると預言よげん者しゃがイスラエルの王おうのところに来きて言いった。「さあ、力ちからをたくわえなさい。自分じぶんのすべきことをよく考かんがえて備そなえなさい。年ねんが改あらたまるころ、アラムの王おうがまたあなたを攻せめに上のぼって来くるからだ。」

列王紀下(1か所)

列王紀下7:12 王おうは夜よるのうちに起おき上あがり、家臣かしんたちに言いった。「アラムがわたしたちに何なんをしようとしているのか、教おしえてやろう。やつらは、わたしたちが飢うえているのを知しっているのだ。それでわざと陣営じんえいを出でて野のに隠かくれ、『イスラエル人じんが町まちから出でて来きたら、生いけ捕どりにして町まちに攻せめ込こもう』と考かんがえているのだ。」

歴代志上(1か所)

歴代志上21:12 三みっ日かの間あいだ、主しゅの剣けん、すなわち疫病やくびょうがこの地ちに襲おそいかかり、主しゅの使つかいがイスラエル全土ぜんどで滅ほろぼしてまわる。さあ、わたしを送おくった方かたに何なんと答こたえればいいか、よく考かんがえて決きめてほしい」

歴代志下(3か所)

歴代志下8:11 ソロモンはファラオの娘むすめを、ダビデの町まちから、彼女かのじょのために建たてた宮殿きゅうでんへ移うつした。こう考かんがえたからだ。「わたしの妻つまを、イスラエルの王おうダビデの家いえに住すまわせてはならない。主しゅの箱はこが入はいった場所ばしょは、どこも聖せいなるところだから。」

歴代志下11:22 レハブアムは、マアカの子こアビヤを兄弟きょうだいたちの上うえに立たつ指導しどう者しゃとして、かしらに任命にんめいした。アビヤを王おうにしようと考かんがえていたからである。

歴代志下19:6 そして、その者ものたちに言いった。「自分じぶんが何なんをしているのか、よく考かんがえなさい。あなたたちが裁さばくのは人ひとのためではなく、主しゅのためだ。裁さばきを行おこなうとき、主しゅがあなたたちと共ともにおられる。

ネヘミヤ記(2か所)

ネヘミヤ記5:7 わたしは心こころの中なかでよく考かんがえたうえで、有力ゆうりょく者しゃたちや役人やくにんたちを問といただした。そして彼かれらに言いった。「あなたたちは、それぞれ自分じぶんの同胞どうほうから利息りそくを取とり立たてているじゃないか。」こうして、彼かれらに対たいして大おおきな集会しゅうかいを開ひらいた。

ネヘミヤ記6:9 彼かれらはみな、わたしたちを怖こわがらせようとしていた。「工事こうじから手てを引ひかせれば、城壁じょうへきは完成かんせいしない」と考かんがえていたのだ。だから神かみよ、どうかわたしの手てを強つよめてください。

ヨブ記(6か所)

ヨブ記1:5 ふるまいの日ひが一巡ひとめぐりするたびに、ヨブは息子むすこたちを呼よび寄よせて聖別せいべつした。そして朝あさ早はやく起おき、彼かれら一人ひとりひとりひとりの数かずだけ焼やき尽つくすいけにえをささげた。ヨブはこう考かんがえていたからだ。「もしかしたら息子むすこたちは罪つみを犯おかし、心こころの中なかで神かみをのろったかもしれない。」ヨブはいつもこうしていた。

ヨブ記12:3 わたしにも、あなたたちと同おなじように考かんがえる力ちからがある。あなたたちに劣おとってなんかいない。こんなことは、いったいだれが知しらないだろう。

ヨブ記18:2 「いつまで言葉ことばに罠わなをしかけているんだ。まず考かんがえてくれ。話はなしはそれからだ。

ヨブ記23:15 それゆえ、わたしは神かみの前まえでおののく。考かんがえれば考かんがえるほど、神かみが恐おそろしくなる。

ヨブ記34:33 あなたが拒こばむからといって、彼かれはあなたの思おもいどおりに報むくいるべきだろうか。選えらぶのはわたしではなく、あなた自身じしんだ。だから、あなたの考かんがえていることを言いいいなさい。

ヨブ記37:14 ヨブよ、これに耳みみを傾かたむけてほしい。立たち止どまって、神かみが行おこなう驚おどろくべきわざをじっくり考かんがえてみるといい。

詩篇(9か所)

詩篇12:2 その口先くちさきで人ひとはたがいにうそをつく。おだてを口くちにしながら、心こころでは別べつのことを考かんがえている。

詩篇38:12 わたしの命いのちをねらう者ものたちは、わなを仕掛しかける。わたしを傷きずつけようとする者ものたちは、破滅はめつをたくらんで語かたり、一いち日にち中じゅうだますことばかり考かんがえている。

詩篇50:22 神かみを忘わすれてしまったあなたたち、このことをよく考かんがえてほしい。そうしないと、わたしはあなたを引ひき裂さく。だれも助たすけられない。

詩篇73:16 これを理解りかいしようと考かんがえてみたが、それはわたしにはとてもつらいことだった。

詩篇77:3 神かみのことを思おもい出だすと、わたしはうめいてしまう。あれこれ考かんがえると、心こころが弱よわり果はてていく。セラ

詩篇94:8 民たみの中なかの分わからず屋やよ、よく考かんがえてみろ。愚おろか者ものよ、いつになったら賢かしこくなるのか。

詩篇119:95 悪あしき者ものはわたしを滅ほろぼそうと待まち構かまえている。でも、わたしはあなたの教おしえをよく考かんがえる。

詩篇119:128 それゆえ、わたしはあなたの命令めいれいすべてを正ただしいと考かんがえ、偽いつわりの道みちをすべて憎にくむ。

詩篇143:5 わたしは昔むかしの日々ひびを思おもい出だす。あなたがしてきたすべてのことを思おもいめぐらし、あなたの手てのわざを深ふかく考かんがえる。

箴言(8か所)

箴言5:2 そうすれば、あなたは深ふかく考かんがえる力ちからを保たもち、あなたの唇くちびるは知識ちしきを守まもる。

箴言13:16 かしこい人ひとは、みな考かんがえてから行動こうどうする。でも、愚おろかな者ものは、自分じぶんの愚おろかさをさらけ出だす。

箴言14:15 考かんがえの浅あさい人ひとは、どんな言葉ことばも信しんじてしまう。でも、賢かしこい人ひとは、自分じぶんの一いち歩ほ一いち歩ほをよく考かんがえる。

箴言15:28 正ただしい人ひとは、心こころでよく考かんがえてから答こたえる。でも、悪わるい者ものの口くちは、悪意あくいをまき散ちらす。

箴言15:32 しつけを無視むしする人ひとは、自分じぶんの魂たましいを粗末そまつにしている。でも、注意ちゅういに耳みみを傾かたむける人ひとは、考かんがえる力ちからを身みにつける。

箴言20:25 よく考かんがえずに「これは主しゅにささげます」と誓ちかい、後あとになって考かんがえ直なおすのは、自分じぶんを罠わなにかけることだ。

箴言21:29 悪人あくにんは厚あつかましい顔かおをする。でも正ただしい人ひとは、自分じぶんの進すすむ道みちをよく考かんがえる。

箴言24:2 彼かれらの心こころは人ひとを傷きずつけることばかり考かんがえている。その口くちは人ひとを苦くるしめることばかり話はなしている。

伝道の書(6か所)

伝道の書1:16 わたしは心こころの中なかでこう考かんがえた。「わたしは、エルサレムでわたしより前まえにいた誰だれよりも、大おおきな知恵ちえを身みにつけ、増まし加くわえてきた。わたしの心こころは、たくさんの知恵ちえと知識ちしきを見みてきた。」

伝道の書2:3 わたしは心こころの中なかであれこれ考かんがえた。知恵ちえは手放てばなさないようにしながら、酒さけで自分じぶんを元気げんきづけてみよう、愚おろかさにも手てを出だしてみよう、と。人間にんげんが、短みじかい一生いっしょうの間あいだに、天てんの下もとで何なんをするのが良よいのかを見みきわめるまで。

伝道の書7:14 順調じゅんちょうなときには喜よろこべばいい。でも、うまくいかないときには、よく考かんがえてみよう。神かみは、この二ふたつを対たいになるように造つくられた。だから人ひとは、自分じぶんの先さきに何なんが待まっているのかを知しることができない。

伝道の書9:1 わたしはこのすべてを心こころに留とめ、じっくり考かんがえてみた。正ただしい人ひとも知恵ちえある人ひとも、その行おこないも、みんな神かみの手ての中なかにある。でも、愛あいされるのか憎にくまれるのか、人ひとにはわからない。自分じぶんの前まえに何なんが待まっているのか、だれも知しらないのだ。

伝道の書9:10 何なんであれ、手てがけられることは、力ちからを尽つくしてやりなさい。あなたが行いこうとしている死者ししゃの世界せかいには、働はたらくことも、考かんがえることも、知識ちしきも、知恵ちえもないのだから。

伝道の書12:9 伝道でんどう者しゃは知恵ちえのある人ひとだった。それだけでなく、人々ひとびとに知識ちしきを教おしえ続つづけた。じっくり考かんがえ、調しらべ、多おおくの格言かくげんを整ととのえた。

イザヤ書(5か所)

イザヤ書10:7 しかし、アッシリアはそんなつもりではない。心こころの中なかでそう考かんがえているわけでもない。その心こころにあるのは、ただ滅ほろぼすこと、多おおくの国々くにぐにを絶たやすことだけだ。

イザヤ書29:16 あなたがたは、なんとさかさまなことを考かんがえているのか。粘土ねんどが、それをこねる陶器とうき師しと同おなじに見みなされてよいだろうか。造つくられた物ものが、それを造つくった者ものについて「あの人ひとはわたしを造つくらなかった」と言いえるだろうか。形かたちづくられた物ものが、それを形かたちづくった者ものについて「あの人ひとは何なんもわかっていない」と言いえるだろうか。

イザヤ書32:8 でも、高潔こうけつな人ひとは高潔こうけつなことを考かんがえ、その高潔こうけつさによって立たつ。

イザヤ書41:22 それを持もってきて、これから起おこることをわたしたちに告つげてみよ。昔むかしの出来事できごとがどんなものだったか告つげてみよ。わたしたちはよく考かんがえ、その結末けつまつを知しろう。あるいは、これから来くることを聞きかせてみよ。

イザヤ書47:7 あなたは言いった。「わたしはいつまでも女王じょおうでいる」と。だから、これらのことを心こころに留とめず、その行いき着つく先さきを考かんがえもしなかった。

エレミヤ書(5か所)

エレミヤ書2:23 どうしてあなたは「わたしは汚よごれていない。バアルの神々かみがみを追おいかけたことはない」と言いえるのか。谷たにでの自分じぶんのふるまいを見みなさい。自分じぶんが何なんをしたかをよく考かんがえなさい。あなたは、あちこち走はしり回まわる、落おち着つきのない若わかいらくだのようだ。

エレミヤ書9:17 万まん軍ぐんの主しゅはこう言いわれる。「よく考かんがえなさい。泣なき女おんなを呼よび寄よせ、嘆なげきの歌うたの上手じょうずな女おんなたちを呼よびなさい。

エレミヤ書22:17 だが、お前まえの目めも心こころも、自分じぶんの不正ふせいな儲もうけのことしかない。罪つみのない者ものの血ちを流ながし、人ひとを虐しいたげ、しいたげることばかり考かんがえている。

エレミヤ書26:3 もしかしたら、彼かれらは耳みみを傾かたむけ、それぞれ悪わるい生いき方かたから立たち返かえるかもしれない。そうすれば、わたしは彼かれらの悪わるい行おこないのために下くだそうと考かんがえていた災わざわいを思おもい直なおす。

エレミヤ書36:3 そうすれば、ユダの人々ひとびとは、わたしが彼かれらに下くだそうと考かんがえているすべての災わざわいを聞きいて、もしかしたら、それぞれ自分じぶんの悪わるい生いき方かたから立たち返かえるかもしれない。そのとき、わたしは彼かれらの罪つみと過あやまちを赦ゆるそう。」

哀歌(1か所)

哀歌1:9 彼女かのじょの汚よごれは、その裾すそにべったりとついている。それなのに、自分じぶんの行ゆく末すえを考かんがえようとしなかった。だから驚おどろくほど落おちぶれてしまったのに、慰なぐさめてくれる者ものは一人ひとりもいない。「主しゅよ、わたしの苦くるしみを見みてください。敵てきがこんなに勝かち誇ほこっているのです。」

ダニエル書(4か所)

ダニエル書2:14 そこでダニエルは、王おうの親衛しんえい隊長たいちょうアリオクに、慎重しんちょうに、よく考かんがえて話はなしかけた。アリオクは、バビロンの賢者けんじゃたちを殺ころすために出でて来きていた人物じんぶつだ。

ダニエル書6:3 このダニエルは、ずばぬけた霊れいを持もっていたので、ほかの大臣だいじんたちや総督そうとくたちよりも優すぐれていた。それで王おうは、彼かれを王国おうこく全体ぜんたいの上うえに立たてようと考かんがえた。

ダニエル書8:5 わたしがそれを考かんがえていると、一いち頭とうの雄おすやぎが西にしのほうからやって来きた。それは地面じめんに触ふれないほどの速はやさで、地ちの全面ぜんめんを進すすんで来きた。その雄おすやぎには、両目りょうめのあいだに目立めだつ一いち本ぽんの角つのがあった。

ダニエル書9:23 あなたが願ねがい始はじめたそのとき、みことばが出だされた。わたしはそれを告つげるために来きたのだ。あなたは深ふかく愛あいされているのだから。だから、このことばをよく考かんがえ、幻まぼろしの意味いみを悟さとりなさい。

ホセア書(1か所)

ホセア書7:11 エフライムは、考かんがえなしのおろかなハトのようだ。エジプトに助たすけを求もとめ、アッシリアへと出でかけていく。

アモス書(1か所)

アモス書6:5 竪琴たてごとに合あわせて即興そっきょうで歌うたい、ダビデのように、自分じぶんのために楽器がっきを次々つぎつぎと考かんがえ出だす。

ハガイ書(4か所)

ハガイ書1:5 今いま、天てんの軍勢ぐんぜいを率ひきいる主しゅはこう言いわれる。「自分じぶんの生いき方かたをよく考かんがえてみなさい。

ハガイ書1:7 天てんの軍勢ぐんぜいを率ひきいる主しゅはこう言いわれる。「自分じぶんの生いき方かたをよく考かんがえてみなさい。

ハガイ書2:15 だから今いま、よく考かんがえてみなさい。今日きょうから先さきのことを。主しゅの神殿しんでんで、石いしの上うえに石いしが積つまれる前まえのことを思おもい返かえしてみなさい。

ハガイ書2:18 『だから今いま、よく考かんがえてみなさい。今日きょうから先さきのことを。九きゅう月がつ二十にじゅう四日よっか、主しゅの神殿しんでんの土台どだいが据すえられた日ひから、これから先さきどうなるかを、よく考かんがえてみなさい。

マタイによる福音書(5か所)

マタイ9:4 イエスは彼かれらの考かんがえを見抜みぬいて、こう言いった。「どうして、あなたたちは心こころの中なかで悪わるいことを考かんがえているのか。

マタイ12:29 それとも、こう考かんがえてみてほしい。まず力ちからの強つよい人ひとを縛しばり上あげなければ、どうやってその家いえに押おし入いって家財かざいを奪うばい取とれるだろうか。縛しばってはじめて、その家いえをすっかり奪うばい取とることができるのだ。

マタイ12:44 そこで、悪霊あくれいはこう考かんがえる。「出でてきた元もとの家いえに戻もどろう。」そして戻もどってみると、その家いえは空からっぽで、掃除そうじも整理せいりも行いき届とどいていた。

マタイ16:23 でもイエスは振ふり向むいて、ペテロに言いった。「下さがれ、サタン。あなたはわたしをつまずかせる者ものだ。あなたは神かみのことではなく、人ひとのことを考かんがえている」

マタイ24:15 預言よげん者しゃダニエルが語かたった、「荒あらす忌いまわしいもの」が、神聖しんせいな場所ばしょに立たっているのを見みたら――読者どくしゃはよく考かんがえてほしい――

マルコによる福音書(3か所)

マルコ2:6 ところが、そこには律法りっぽう学がく者しゃたちが何なん人にんか座すわっていて、心こころの中なかでこう考かんがえていた。

マルコ2:8 彼かれらが心こころの中なかでそう考かんがえているのを、イエスはすぐに見抜みぬいた。そして言いった。「どうして、そんなことを心こころの中なかで考かんがえているのか。

マルコ11:18 祭司さいし長ちょうたちや律法りっぽう学がく者しゃたちはこれを聞きいて、どうやってイエスを殺ころそうかと考かんがえ始はじめた。イエスを恐おそれていたからだ。群衆ぐんしゅうがみな、その教おしえに驚おどろいていたのだ。

ルカによる福音書(12か所)

ルカ1:17 この子こはエリヤの霊れいと力ちからを受うけて主しゅの前まえに先立さきだって進すすみ、父親ちちおやたちの心こころを子こどもたちへと向むけさせ、逆さからう者ものたちを正ただしい人ひとの考かんがえ方かたへと立たち返かえらせる。こうして、主しゅのために整ととのえられた民たみを用意よういするのだ。」

ルカ5:21 すると、律法りっぽう学がく者しゃたちやファリサイ派はの人ひとたちは考かんがえ始はじめた。「神かみを冒ぼうとくするこの男おとこは、いったい何者なにものだ。神かみおひとりのほかに、だれが罪つみを赦ゆるせるというのか。」

ルカ5:22 イエスは彼かれらが心こころの中なかで考かんがえていることを見抜みぬいて、こう言いった。「なぜ、心こころの中なかでそんなことを考かんがえているのか。

ルカ12:17 そこで彼かれは、心こころの中なかで考かんがえた。『どうしよう。作物さくもつをしまっておく場所ばしょがない。』

ルカ12:24 カラスのことを考かんがえてみなさい。種たねをまくことも、刈かり取とることもない。しまっておく倉くらも納屋なやもない。それでも神かみは、カラスを養やしなっている。あなたたちは、鳥とりよりもずっと価値かちがある。

ルカ12:27 野のの花はながどう育そだつか、考かんがえてみなさい。働はたらくことも、糸いとをつむぐこともしない。でも言いっておく。あの栄華えいがをきわめたソロモンでさえ、この花はなの一ひとつほどにも美うつくしく着飾きかざってはいなかった。

ルカ14:31 あるいは、こう考かんがえてみてほしい。ほかの王おうと戦たたかいに行いこうとする王おうがいたとする。その王おうはまず座すわって、こう考かんがえないだろうか。二に万まんの兵へいで攻せめてくる相手あいてに、自分じぶんの一いち万まんの兵へいで立たち向むかえるだろうか、と。

ルカ15:8 あるいは、こう考かんがえてみよう。銀貨ぎんかを十じゅう枚まい持もっている女おんなの人ひとが、そのうちの一いち枚まいをなくしたとしたら、どうするだろう。明あかりをつけ、家いえの中なかを掃はいて、見みつかるまで念入ねんいりに探さがすのではないだろうか。

ルカ16:3 使用しよう人にんは心こころの中なかで考かんがえた。『どうしよう。主人しゅじんは管理かんりの仕事しごとを取とり上あげようとしている。土つちを掘ほる力ちからはないし、物ものごいをするのは恥はずかしい。

ルカ18:4 裁判さいばん官かんはしばらくの間あいだ、取とり合あおうとしなかった。でも、しばらくして心こころの中なかでこう考かんがえた。『わたしは神かみも恐おそれないし、人ひとのことも気きにかけない。

ルカ21:14 だから、どう弁明べんめいしようかと前まえもって考かんがえておくまいと、心こころに決きめておきなさい。

ルカ22:2 祭司さいし長ちょうたちと律法りっぽう学がく者しゃたちは、どうやってイエスを殺ころそうかと考かんがえていた。でも民衆みんしゅうをおそれていた。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじています。あなたはどう考かんがえますか。」

使徒行伝(10か所)

使徒5:4 売うる前まえは、それはあなたのものだったではないか。売うった後あとも、その代金だいきんはあなたの自由じゆうになったはずだ。それなのに、どうしてこんなことを考かんがえたのか。あなたは人ひとを欺あざむいたのではなく、神かみを欺あざむいたのだ。」

使徒5:35 議員ぎいんたちにこう言いった。「イスラエルの皆みなさん、あの人ひとたちをどう扱あつかうのか、よく考かんがえたほうがいい。

使徒15:19 だから、わたしはこう考かんがえる。神かみに立たち返かえる外国がいこくの人ひとたちに、余計よけいな負担ふたんをかけるべきではない。

使徒15:38 でもパウロは、パンフィリアで自分じぶんたちから離はなれ、一緒いっしょに働はたらこうとしなかったこの人ひとを連つれて行いくべきではないと考かんがえた。

使徒16:3 パウロは彼かれを旅たびに連つれて行いきたいと思おもった。それで、その地方ちほうに住すむユダヤ人じんたちのことを考かんがえて、テモテに割礼かつれいを受うけさせた。彼かれの父親ちちおやがギリシア人じんだと、みんなが知しっていたからだ。

使徒17:29 わたしたちが神かみの子孫しそんであるなら、神かみを、金かねや銀ぎんや石いし、つまり人ひとの技わざと考かんがえでかたどったものと同おなじだ、と考かんがえてはいけません。

使徒27:13 南風はえがおだやかに吹ふきはじめた。それで、思おもったとおりに進すすめられると考かんがえた人々ひとびとは、いかりを上あげて、クレタ島とうの海岸かいがんすれすれに進すすんでいった。

使徒27:39 夜よるが明あけても、そこがどこの陸地りくちなのか、だれにもわからなかった。ただ、砂浜すなはまのある入いり江えが目めに入はいった。できれば、そこに船ふねを乗のり入いれようと考かんがえた。

使徒27:42 兵士へいしたちは、囚人しゅうじんを殺ころそうと考かんがえた。だれかが泳およいで逃にげるといけないからだ。

使徒28:22 ただ、あなたがどう考かんがえているのか、あなた自身じしんの口くちから聞きききたいと思おもっています。この派はについては、どこでも反対はんたいされているということを、わたしたちは知しっているからです。」

ローマ人への手紙(10か所)

ローマ3:28 わたしたちは、こう考かんがえている。人ひとが神かみに正ただしいと認みとめられるのは、律法りっぽうを守まもる行おこないによるのではなく、信仰しんこうによるのだ。

ローマ6:11 罪つみに対たいしては死しんだ者ものであり、キリスト・イエスにあって神かみに対たいしては生いきている者ものだ。あなたがたも、自分じぶん自身じしんをそのように考かんがえなさい。

ローマ8:5 肉にくに従したがって生いきる人ひとは、肉にくが求もとめることばかりを考かんがえる。でも、霊れいに従したがって生いきる人ひとは、霊れいが求もとめることを考かんがえる。

ローマ8:31 では、これらのことをどう考かんがえればいいだろう。神かみがわたしたちの味方みかたなら、だれがわたしたちに立たち向むかえるだろう。

ローマ9:14 では、どう考かんがえればいいのだろう。神かみに不正ふせいがあるというのか。絶対ぜったいにそんなことはない。

ローマ11:22 だから、神かみのやさしさと厳きびしさをよく考かんがえてみてほしい。神かみは倒たおれた人ひとたちには厳きびしいけれど、あなたにはやさしい。ただし、そのやさしさにとどまり続つづけるなら、の話はなしだ。そうでなければ、あなたも切きり取とられてしまう。

ローマ12:3 わたしは、自分じぶんに与あたえられた恵めぐみによって、あなたたち一人ひとりひとりひとりに言ゆう。自分じぶんを過大かだいに評価ひょうかして思おもい上あがってはいけない。むしろ、神かみがそれぞれに分わけ与あたえてくださった信仰しんこうの量はかりに応おうじて、慎つつしみ深ぶかく考かんがえなさい。

ローマ14:1 信仰しんこうの弱よわい人ひとを受うけ入いれなさい。その人ひとの考かんがえ方かたをめぐって議論ぎろんをふっかけるためではない。

ローマ14:5 ある人ひとはある日ひが別べつの日ひよりも大切たいせつだと考かんがえ、別べつの人ひとはどの日ひも同おなじだと考かんがえる。それぞれが自分じぶんの心こころの中なかで、しっかりと確信かくしんを持もっていればいい。

ローマ14:14 わたしは主しゅイエスにあって知しっている。いや、確信かくしんしている。それ自体じたいで汚よごれているものは何なん一ひとつない。ただ、それを汚よごれていると考かんがえる人ひとにとってだけ、それは汚よごれているのだ。

コリント人への第一の手紙(9か所)

コリント第一1:26 兄弟きょうだい姉妹しまいよ、自分じぶんたちが招まねかれたときのことを考かんがえてみてほしい。人ひとの目めから見みて賢かしこい人ひとは多おおくなかったし、力ちからのある人ひとも、家柄いえがらのよい人ひとも多おおくはなかった。

コリント第一4:1 だから、わたしたちのことは、キリストに仕つかえる者もの、そして神かみの秘ひめられた計画けいかくを任まかされた管理かんり者しゃだと考かんがえてほしい。

コリント第一8:10 考かんがえてみてほしい。知識ちしきを持もっているあなたが偶像ぐうぞうの神殿しんでんで食事しょくじをしているのを、だれかが見みたとしよう。その人ひとの良心りょうしんは弱よわいのに、「自分じぶんも偶像ぐうぞうに供そなえられた肉にくを食たべていいんだ」と、かえって背中せなかを押おされてしまうのではないか。

コリント第一9:7 考かんがえてみてほしい。自分じぶんの給料きゅうりょうで戦たたかいに行いく兵士へいしがいるだろうか。ぶどう畑はたけを作つくって、その実みを食たべない人ひとがいるだろうか。羊ひつじの群むれを飼かっていて、その乳ちちを飲のまない人ひとがいるだろうか。

コリント第一10:15 わたしは、分別ぶんべつのある人ひとに話はなすつもりで言ゆう。今いまから言いうことを、自分じぶんでよく考かんがえて判断はんだんしてほしい。

コリント第一11:10 だから女おんなは、天使てんしたちのことも考かんがえて、頭あたまに権威けんいのしるしをのせておくべきなのだ。

コリント第一11:13 自分じぶんたちで考かんがえてみてほしい。女おんなが頭あたまに何なんもかぶらないで神かみに祈いのるのは、ふさわしいことだろうか。

コリント第一13:11 わたしも幼おさない子こどもだったころは、子こどものように話はなし、子こどものように考かんがえ、子こどものように判断はんだんしていた。でも、大人おとなになったとき、子こどものやり方かたはやめた。

コリント第一14:20 兄弟きょうだい姉妹しまい、考かんがえ方かたにおいて子こどものようであってはいけない。悪あくに対たいしては幼おさな子ごでいなさい。でも、考かんがえ方かたにおいては大人おとなになりなさい。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二9:5 そこでわたしは、兄弟きょうだいたちに頼たのんで、あなたがたのところへ先さきに行いってもらうことが必要ひつようだと考かんがえた。前まえから約束やくそくしていた贈おくり物ものを、しぶしぶ出だしたものではなく、心こころからの贈おくり物ものとして、あらかじめ整ととのえておいてもらうためだ。

コリント第二10:7 あなたがたは、うわべだけを見みている。自分じぶんはキリストのものだと確信かくしんしている人ひとがいるなら、その人ひとはもう一いち度ど考かんがえてほしい。その人ひとがキリストのものであるように、わたしたちもまた、キリストのものなのだ。

コリント第二10:11 そういう人ひとは、こう考かんがえるべきだ。離はなれているとき手紙てがみの言葉ことばで示しめすわたしたちの姿すがたと、そちらに行いったときの行動こうどうとは、まったく同おなじなのだ。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ3:6 アブラハムのことを考かんがえてみてほしい。彼かれは神かみを信しんじた。それで、その信仰しんこうが義ぎと認みとめられたのだ。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ5:17 だから、考かんがえなしの生いき方かたをせず、主しゅが何なんを望のぞんでいるのかをしっかり理解りかいしなさい。

ピリピ人への手紙(4か所)

ピリピ2:3 何なんをするにも、自分じぶん勝手かってな思おもいや、むなしい見栄みえからするのはやめましょう。むしろ、へりくだって、相手あいてを自分じぶんよりすぐれた者ものだと考かんがえてください。

ピリピ2:25 それでも、今いまはエパフロディトをあなたがたのもとへ送おくる必要ひつようがあると考かんがえました。彼かれはわたしの兄弟きょうだいであり、共ともに働はたらき、共ともに戦たたかってくれた仲間なかまです。また、あなたがたが送おくってくれた使つかいとして、わたしの必要ひつようのために尽つくしてくれた人ひとです。

ピリピ3:15 だから、成熟せいじゅくしたわたしたちは、みなこう考かんがえよう。もし何なんか違ちがう考かんがえ方かたをしているなら、神かみがそのこともあなたがたに示ししめしてくださる。

ピリピ3:19 彼かれらの行いき着つく先さきは滅ほろびだ。自分じぶんの腹はらを神かみとし、恥はずべきことを栄光えいこうとし、地上ちじょうのことばかりを考かんがえている。

テモテへの第一の手紙(2か所)

テモテ第一6:1 重おもい務つとめのもとで奴隷どれいとして働はたらいている人ひとはみな、自分じぶんの主人しゅじんを十分じゅうぶんに敬ううやまうべきだと考かんがえなさい。神かみの名なと教おしえが悪わるく言いわれないためだ。

テモテ第一6:5 心こころが腐くさり、真理しんりを失うしなった人ひとたちの、絶たえ間まない衝突しょうとつが生うまれる。彼かれらは、神かみを敬ううやまう生いき方かたをもうけの手段しゅだんだと考かんがえている。

テモテへの第二の手紙(3か所)

テモテ第二2:7 わたしの言いっていることをよく考かんがえてほしい。主しゅは、すべてのことについて、あなたに理解りかいする力ちからを与あたえてくださる。

テモテ第二3:4 人ひとを裏切うらぎり、後先あとさきを考かんがえず、うぬぼれる。そして、神かみよりも快楽かいらくを愛あいするようになる。

テモテ第二3:8 かつてヤンネとヤンブレがモーセに逆さからったように、この人ひとたちも真理しんりに逆さからっている。考かんがえ方かたがすっかりゆがみ、信仰しんこうにおいては失格しっかくだ。

テトスへの手紙(1か所)

テトス1:15 きれいな心こころの人ひとには、すべてがきれいなものに見みえる。でも、汚よごれていて信しんじない人ひとには、何なん一ひとつきれいなものがない。それどころか、彼かれらは考かんがえ方かたも良心りょうしんも汚よごれてしまっている。

ヘブル人への手紙(5か所)

ヘブル7:4 この人ひとがどれほど偉大いだいか、考かんがえてみてほしい。あの先祖せんぞアブラハムでさえ、戦利せんり品ひんの中なかから十じゅう分ぶんの一いちを彼かれに与あたえたのだ。

ヘブル9:13 考かんがえてみてほしい。やぎや雄牛おうしの血ち、あるいは若わかい雌牛めうしを焼やいた灰はいは、汚よごれた人ひとにふりかけられると、その人ひとの体からだを清きよめ、聖せいなるものにする。

ヘブル11:19 アブラハムは、神かみには死しんだ者ものさえ生いき返かえらせる力ちからがある、と考かんがえていた。だから彼かれは、いわば死しからイサクを取とり戻もどしたようなものだった。

ヘブル11:26 彼かれはキリストのために受うける辱はずかしめを、エジプトのどんな財宝ざいほうよりも大おおきな富とみだと考かんがえた。与あたえられる報むくいを見みつめていたからだ。

ヘブル12:3 罪人ざいにんたちからこれほどの反抗はんこうを受うけながら、耐たえ抜ぬいたこの方かたのことを、よく考かんがえてみてほしい。そうすれば、あなたがたは疲つかれ果はてて、心こころが折おれることもない。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ1:2 わたしの兄弟きょうだい姉妹しまいたち。いろいろな試練しれんにぶつかったときは、それを心こころからの喜よろこびと考かんがえてほしい。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一2:20 考かんがえてみなさい。悪わるいことをして打うたれ、それを耐たえたところで、何なんの名誉めいよになるだろうか。でも、善よいことをして苦くるしみ、それでも耐たえるなら、それは神かみに喜よろこばれることだ。

ペテロの第二の手紙(2か所)

ペテロ第二2:13 彼かれらは、自分じぶんが悪わるいことをしたむくいとして、害がいを受うけることになる。彼かれらは、真まっ昼間ひるまから遊あそびふけるのを楽たのしみと考かんがえている。彼かれらはしみであり、傷きずだ。あなたたちと食事しょくじをともにしながら、自分じぶんの偽いつわりを楽たのしんでいる。

ペテロ第二3:15 そして、わたしたちの主しゅが忍耐にんたいしておられるのは、救すくいのためだと考かんがえてほしい。わたしたちの愛あいする兄弟きょうだいパウロも、与あたえられた知恵ちえにしたがって、あなたがたに同おなじことを書かき送おくっている。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録13:18 ここに知恵ちえが必要ひつようだ。考かんがえる力ちからのある人ひとは、獣けものを表あらわす数字すうじの意味いみを解とき明あかしてほしい。それは人間にんげんを表あらわす数字すうじであり、その数字すうじは六百ろっぴゃく六十ろくじゅう六ろくである。

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