「考える」(かんがえる)が出てくる聖書の箇所

「考える」(かんがえる)は口語訳の72か所(旧約40・新約32)に出てきます。日常訳第1版では153か所。

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創世記(1か所)

創世記27:42 しかしリベカは長子ちょうしエサウのこの言葉ことばを人ひとづてに聞きいたので、人ひとをやり、弟おとうとヤコブを呼よんで言いった、「兄あにエサウはあなたを殺ころそうと考かんがえて、みずから慰なぐさめています。

申命記(1か所)

申命記30:1 わたしがあなたがたの前まえに述のべたこのもろもろの祝福しゅくふくと、のろいの事ことがあなたに臨のぞみ、あなたがあなたの神かみ、主しゅに追おいやられたもろもろの国民こくみんのなかでこの事ことを心こころに考かんがえて、

ヨシュア記(1か所)

ヨシュア記22:24 しかし、われわれは次つぎのことを考かんがえてしたのです。すなわち、のちの日ひになって、あなたがたの子孫しそんが、われわれの子孫しそんにむかって言いうことがあるかも知しれません、『あなたがたは、イスラエルの神かみ、主しゅと、なんの関係かんけいがあるのですか。

士師記(1か所)

士師記19:30 それを見みたものはみな言いった、「イスラエルの人々ひとびとがエジプトの地ちから上のぼってきた日ひから今日きょうまで、このような事ことは起おこったこともなく、また見みたこともない。この事ことをよく考かんがえ、協議きょうぎして言いうことを決きめよ」。

サムエル記上(2か所)

サムエル第一12:24 あなたがたは、ただ主しゅを恐おそれ、心こころをつくして、誠実せいじつに主しゅに仕つかえなければならない。そして主しゅがどんなに大おおきいことをあなたがたのためにされたかを考かんがえなければならない。

サムエル第一25:17 それで、あなたは今いまそれを知しって、自分じぶんのすることを考かんがえてください。主人しゅじんとその一家いっかに災わざわいが起おきるからです。しかも主人しゅじんはよこしまな人ひとで、話はなしかけることもできません」。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二24:13 ガデはダビデのもとにきて、彼かれに言いった、「あなたの国くにに三さん年ねんのききんをこさせようか。あなたが敵てきに追おわれて三さんか月げつ敵てきの前まえに逃にげるようにしようか。それとも、あなたの国くにに三みっ日かの疫病やくびょうをおくろうか。あなたは考かんがえて、わたしがどの答こたえを、わたしをつかわされた方ほうになすべきかを決きめなさい」。

列王紀上(1か所)

列王紀上20:22 時ときに、かの預言よげん者しゃがイスラエルの王おうのもとにきて言いった、「行いって、力ちからを養やしない、なすべき事ことをよく考かんがえなさい。来年らいねんの春はるにはスリヤの王おうが、あなたのところに攻せめ上のぼってくるからです」。

列王紀下(2か所)

列王紀下7:12 王おうは夜よるのうちに起おきて、家来けらいたちに言いった、「スリヤびとがわれわれに対たいして図はかっている事ことをあなたがたに告つげよう。彼かれらは、われわれの飢うえているのを知しって、陣営じんえいを出でて野のに隠かくれ、『イスラエルびとが町まちを出でたら、いけどりにして、町まちに押おし入いろう』と考かんがえているのだ」。

列王紀下18:20 口先くちさきだけの言葉ことばが戦争せんそうをする計略けいりゃくと力ちからだと考かんがえるのか。あなたは今いまだれにたよって、わたしにそむいたのか。

ネヘミヤ記(3か所)

ネヘミヤ記5:7 わたしはみずから考かんがえたすえ、尊とうとい人々ひとびとおよびつかさたちを責せめて言いった、「あなたがたはめいめいその兄弟きょうだいから利息りそくをとっている」。そしてわたしは彼かれらの事ことについて大会たいかいを開ひらき、

ネヘミヤ記6:2 そこでサンバラテとガシムはわたしに使者ししゃをつかわして言いった、「さあ、われわれはオノの平野へいやにある一ひとつの村むらで会見かいけんしよう」と。彼かれらはわたしに危害きがいを加くわえようと考かんがえていたのである。

ネヘミヤ記6:9 彼かれらはみな「彼かれらの手てが弱よわって工事こうじをやめるようになれば、工事こうじは成就じょうじゅしないだろう」と考かんがえて、われわれをおどそうとしたのである。しかし神かみよ、どうぞいまわたしの手てを強つよめてください。

ヨブ記(3か所)

ヨブ記4:7 考かんがえてみよ、だれが罪つみのないのに、滅ほろぼされた者ものがあるか。どこに正ただしい者もので、断たち滅ほろぼされた者ものがあるか。

ヨブ記23:15 それゆえ、わたしは彼かれの前まえにおののく。わたしは考かんがえるとき、彼かれを恐おそれる。

ヨブ記37:14 ヨブよ、これを聞きけ、立たって神かみのくすしきみわざを考かんがえよ。

詩篇(2か所)

詩篇64:9 その時ときすべての人ひとは恐おそれ、神かみのみわざを宣のべ伝つたえ、そのなされた事ことを考かんがえるであろう。

詩篇143:5 わたしはいにしえの日ひを思おもい出だし、あなたが行おこなわれたすべての事ことを考かんがえ、あなたのみ手てのわざを思おもいます。

箴言(4か所)

箴言15:28 正ただしい者ものの心こころは答こたえるべきことを考かんがえる、悪あしき者ものの口くちは悪あくを吐はき出だす。

箴言16:9 人ひとは心こころに自分じぶんの道みちを考かんがえ計はかる、しかし、その歩あゆみを導みちびく者ものは主しゅである。

箴言20:25 軽々かるがるしく「これは聖せいなるささげ物ものだ」と言いいい、また誓ちかいを立たてて後あとに考かんがえることは、その人ひとのわなとなる。 軽々かるがるしく「これは聖せいなるささげ物ものだ」と言いいい、また誓ちかいを立たてて後あとに考かんがえることは、その人ひとのわなとなる。

箴言31:16 彼女かのじょは畑はたけをよく考かんがえてそれを買かい、その手ての働はたらきの実じつをもって、ぶどう畑はたけをつくり、

伝道の書(2か所)

伝道の書7:13 神かみのみわざを考かんがえみよ。神かみの曲まげられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。

伝道の書12:9 さらに伝道でんどう者しゃは知恵ちえがあるゆえに、知識ちしきを民たみに教おしえた。彼かれはよく考かんがえ、尋たずねきわめ、あまたの箴言しんげんをまとめた。

イザヤ書(6か所)

イザヤ書10:7 しかし彼かれはそのようには思おもわず、その心こころもそのようには考かんがえず、かえってその心こころは滅ほろぼすことを思おもい、あまたの国々くにぐにを倒たおそうとする。

イザヤ書29:16 あなたがたは転倒てんとうして考かんがえている。陶器とうき師しは粘土ねんどと同おなじものに思おもわれるだろうか。造つくられた物ものはそれを造つくった者ものについて、「彼かれはわたしを造つくらなかった」と言いいい、形造かたちづくられた物ものは形造かたちづくった者ものについて、「彼かれは知恵ちえがない」と言いうことができようか。

イザヤ書36:5 口先くちさきだけの言葉ことばが戦争せんそうをする計略けいりゃくと力ちからだと考かんがえるのか。あなたは今いまだれを頼たのんで、わたしにそむいたのか。

イザヤ書41:20 人々ひとびとはこれを見みて、主しゅのみ手てがこれをなし、イスラエルの聖者せいじゃがこれを創造そうぞうされたことを知しり、かつ、よく考かんがえて共ともに悟さとる」。

イザヤ書41:22 それを持もってきて、起おこるべき事ことをわれわれに告つげよ。さきの事ことどもの何なんであるかを告つげよ。われわれはよく考かんがえて、その結末けつまつを知しろう。あるいはきたるべき事ことをわれわれに聞きかせよ。

イザヤ書43:18 「あなたがたは、さきの事ことを思おもい出だしてはならない、また、いにしえのことを考かんがえてはならない。

エレミヤ書(2か所)

エレミヤ書7:31 またベンヒンノムの谷たににあるトペテの高たかき所ところを築きずいて、むすこ娘むすめを火ひに焼やいた。わたしはそれを命めいじたことはなく、またそのようなことを考かんがえたこともなかった。

エレミヤ書9:17 万まん軍ぐんの主しゅはこう言いわれる、「よく考かんがえて、泣なき女おんなを呼よべ。また人ひとをつかわして巧たくみな女おんなを招まねけ。

エゼキエル書(3か所)

エゼキエル書11:2 すると彼かれはわたしに言いわれた、「人ひとの子こよ、これらの者ものはこの町まちの中なかで悪わるい事ことを考かんがえ、悪わるい計はかりごとをめぐらす人々ひとびとである。

エゼキエル書11:5 時ときに、主しゅの霊れいがわたしに下くだって、わたしに言いわれた、「主しゅはこう言いわれると言いえ、イスラエルの家いえよ、考かんがえてみよ。わたしはあなたがたの心こころにある事ことどもを知しっている。

エゼキエル書32:2 「人ひとの子こよ、エジプトの王おうパロのために、悲かなしみの歌うたをのべて、これに言いえ、あなたは自分じぶんをもろもろの国民こくみんのうちのししであると考かんがえているが、あなたは海うみの中なかの龍りゅうのような者ものである。あなたは川かわの中なかに、はね起おき、足あしで水みずをかきまぜ、川かわを濁にごす。

ダニエル書(2か所)

ダニエル書8:5 わたしがこれを考かんがえ、見みていると、一いち匹ひきの雄おすやぎが、全地ぜんちのおもてを飛とびわたって西にしからきたが、その足あしは土つちを踏ふまなかった。このやぎには、目めの間あいだに著いちじるしい一ひとつの角かどがあった。

ダニエル書9:23 あなたが祈いのりを始はじめたとき、み言葉ことばが出でたので、それをあなたに告つげるためにきたのです。あなたは大おおいに愛あいせられている者ものです。ゆえに、このみ言葉ことばを考かんがえて、この幻まぼろしを悟さとりなさい。

ハガイ書(2か所)

ハガイ書1:5 それで今いま、万まん軍ぐんの主しゅはこう言いわれる、あなたがたは自分じぶんのなすべきことをよく考かんがえるがよい。

ハガイ書1:7 万まん軍ぐんの主しゅはこう言いわれる、あなたがたは、自分じぶんのなすべきことを考かんがえるがよい。

マラキ書(1か所)

マラキ書1:7 汚よごれた食物しょくもつをわたしの祭壇さいだんの上うえにささげる。またあなたがたは、主しゅの台だいは卑いやしむべき物ものであると考かんがえて、『われわれはどんなふうに、それを汚よごしたか』と言ゆう。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ6:28 また、なぜ、着物きもののことで思おもいわずらうのか。野のの花はながどうして育そだっているか、考かんがえて見みるがよい。働はたらきもせず、紡つむぎもしない。

マタイ9:4 イエスは彼かれらの考かんがえを見抜みぬいて、「なぜ、あなたがたは心こころの中なかで悪わるいことを考かんがえているのか。

ルカによる福音書(7か所)

ルカ3:15 民衆みんしゅうは救主すくいぬしを待まち望のぞんでいたので、みな心こころの中なかでヨハネのことを、もしかしたらこの人ひとがそれではなかろうかと考かんがえていた。

ルカ5:39 まただれも、古ふるい酒さけを飲のんでから、新あたらしいのをほしがりはしない。『古ふるいのが良よい』と考かんがえているからである」。

ルカ12:24 からすのことを考かんがえて見みよ。まくことも、刈かることもせず、また、納屋なやもなく倉くらもない。それだのに、神かみは彼かれらを養やしなっていて下くださる。あなたがたは鳥とりよりも、はるかにすぐれているではないか。

ルカ12:27 野のの花はなのことを考かんがえて見みるがよい。紡つむぎもせず、織おりもしない。しかし、あなたがたに言ゆうが、栄華えいがをきわめた時ときのソロモンでさえ、この花はなの一ひとつほどにも着飾きかざってはいなかった。

ルカ14:31 また、どんな王おうでも、ほかの王おうと戦たたかいを交まじえるために出でて行いく場合ばあいには、まず座ざして、こちらの一いち万まん人にんをもって、二に万まん人にんを率ひきいて向むかって来くる敵てきに対抗たいこうできるかどうか、考かんがえて見みないだろうか。

ルカ18:4 彼かれはしばらくの間あいだきき入いれないでいたが、そののち、心こころのうちで考かんがえた、『わたしは神かみをも恐おそれず、人ひとを人ひととも思おもわないが、

ルカ21:14 だから、どう答弁とうべんしようかと、前まえもって考かんがえておかないことに心こころを決きめなさい。

ヨハネによる福音書(3か所)

ヨハネ1:22 そこで、彼かれらは言いった、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々ひとびとに、答こたえを持もって行いけるようにしていただきたい。あなた自身じしんをだれだと考かんがえるのですか」。

ヨハネ5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。

ヨハネ11:50 ひとりの人ひとが人民じんみんに代かわって死しんで、全ぜん国民こくみんが滅ほろびないようになるのがわたしたちにとって得とくだということを、考かんがえてもいない」。

使徒行伝(4か所)

使徒12:9 ペテロはついて出でて行いった。彼かれには御ご使しのしわざが現実げんじつのこととは考かんがえられず、ただ幻まぼろしを見みているように思おもわれた。

使徒13:25 ヨハネはその一生いっしょうの行程こうていを終おわろうとするに当あたって言いった、『わたしは、あなたがたが考かんがえているような者ものではない。しかし、わたしのあとから来くるかたがいる。わたしはそのくつを脱ぬがせてあげる値ねうちもない』。

使徒15:38 しかし、パウロは、前まえにパンフリヤで一行いっこうから離はなれて、働はたらきを共ともにしなかったような者ものは、連つれて行いかないがよいと考かんがえた。

使徒28:22 わたしたちは、あなたの考かんがえていることを、直接ちょくせつあなたから聞きくのが、正ただしいことだと思おもっている。実じつは、この宗派しゅうはについては、いたるところで反対はんたいのあることが、わたしたちの耳みみにもはいっている」。

ローマ人への手紙(2か所)

ローマ14:5 また、ある人ひとは、この日ひがかの日ひよりも大事だいじであると考かんがえ、ほかの人ひとはどの日ひも同おなじだと考かんがえる。各自かくじはそれぞれ心こころの中なかで、確信かくしんを持もっておるべきである。

ローマ14:14 わたしは、主しゅイエスにあって知しりかつ確信かくしんしている。それ自体じたい、汚よごれているものは一ひとつもない。ただ、それが汚よごれていると考かんがえる人ひとにだけ、汚よごれているのである。

コリント人への第一の手紙(5か所)

コリント第一1:26 兄弟きょうだいたちよ。あなたがたが召めされた時ときのことを考かんがえてみるがよい。人間にんげん的てきには、知恵ちえのある者ものが多おおくはなく、権力けんりょくのある者ものも多おおくはなく、身分みぶんの高たかい者ものも多おおくはいない。

コリント第一4:9 わたしはこう考かんがえる。神かみはわたしたち使徒しとを死刑しけい囚しゅうのように、最後さいごに出場しゅつじょうする者ものとして引ひき出だし、こうしてわたしたちは、全ぜん世界せかいに、天使てんしにも人々ひとびとにも見みせ物ものにされたのだ。

コリント第一7:26 わたしはこう考かんがえる。現在げんざい迫せまっている危機ききのゆえに、人ひとは現状げんじょうにとどまっているがよい。

コリント第一13:11 わたしたちが幼おさな子ごであった時ときには、幼おさな子ごらしく語かたり、幼おさな子ごらしく感かんじ、また、幼おさな子ごらしく考かんがえていた。しかし、おとなとなった今いまは、幼おさな子ごらしいことを捨すててしまった。

コリント第一14:20 兄弟きょうだいたちよ。物ものの考かんがえかたでは、子供こどもとなってはいけない。悪事あくじについては幼おさな子ごとなるのはよいが、考かんがえかたでは、おとなとなりなさい。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二5:14 なぜなら、キリストの愛あいがわたしたちに強つよく迫せまっているからである。わたしたちはこう考かんがえている。ひとりの人ひとがすべての人ひとのために死しんだ以上いじょう、すべての人ひとが死しんだのである。

ピリピ人への手紙(3か所)

ピリピ1:7 わたしが、あなたがた一同いちどうのために、そう考かんがえるのは当然とうぜんである。それは、わたしが獄ごくに捕とらわれている時ときにも、福音ふくいんを弁明べんめいし立証りっしょうする時ときにも、あなたがたをみな、共ともに恵めぐみにあずかる者ものとして、わたしの心こころに深ふかく留とめているからである。

ピリピ2:4 おのおの、自分じぶんのことばかりでなく、他人たにんのことも考かんがえなさい。

ピリピ3:15 だから、わたしたちの中なかで全ぜんき人にんたちは、そのように考かんがえるべきである。しかし、あなたがたが違ちがった考かんがえを持もっているなら、神かみはそのことも示ししめして下くださるであろう。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一2:13 これらのことを考かんがえて、わたしたちがまた絶たえず神かみに感謝かんしゃしているのは、あなたがたがわたしたちの説といた神かみの言げんを聞きいた時ときに、それを人間にんげんの言葉ことばとしてではなく、神かみの言げんとして――事実じじつそのとおりであるが――受うけいれてくれたことである。そして、この神かみの言げんは、信しんじるあなたがたのうちに働はたらいているのである。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二2:7 わたしの言いうことを、よく考かんがえてみなさい。主しゅは、それを十分じゅうぶんに理解りかいする力ちからをあなたに賜たまわるであろう。

ヘブル人への手紙(2か所)

ヘブル11:15 もしその出でてきた所ところのことを考かんがえていたなら、帰かえる機会きかいはあったであろう。

ヘブル11:26 キリストのゆえに受うけるそしりを、エジプトの宝たからにまさる富とみと考かんがえた。それは、彼かれが報むくいを望のぞみ見みていたからである。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一3:1 わたしたちが神かみの子こと呼よばれるためには、どんなに大おおきな愛あいを父ちちから賜たまわったことか、よく考かんがえてみなさい。わたしたちは、すでに神かみの子こなのである。世よがわたしたちを知しらないのは、父ちちを知しらなかったからである。

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