「自由」(じゆう)が出てくる聖書の箇所
「自由」(じゆう)は日常訳第1版の107か所(旧約52・新約55)に出てきます。口語訳では56か所。
創世記(1か所)
創世記2:16 主なる神は人にこう命じた。「園のどの木からでも、自由に取って食べていい。
出エジプト記(5か所)
出エジプト21:2 ヘブライ人の奴隷を買った場合、その人は六年間働き、七年目には自由の身となって、代金を払わずに出ていける。
出エジプト21:5 しかし、もしその奴隷が「わたしは主人と妻と子どもたちを愛しています。自由になって出ていきたくありません」とはっきり言うなら、
出エジプト21:11 もし、この三つを彼女にしないなら、彼女は代金を払わずに自由に出ていける。
出エジプト21:26 人が自分の男の奴隷や女の奴隷の目を打ち、それをだめにしてしまった場合、その目の代わりに、奴隷を自由にして去らせなければならない。
出エジプト21:27 また、男の奴隷や女の奴隷の歯を打ち折った場合も、その歯の代わりに、奴隷を自由にして去らせなければならない。
レビ記(3か所)
レビ記19:20 ある男が女と寝て交わったとする。その女がほかの男のものになると決まった女奴隷で、まだ買い戻されておらず、自由の身にもなっていない場合、二人は罰を受ける。だが、女がまだ自由の身ではなかったのだから、死刑にしてはならない。
レビ記21:18 体に欠陥のある者は、だれも近づいてはならない。目の見えない者、足の不自由な者、顔の傷ついた者、手足の釣り合わない者、
レビ記25:54 もし、これらの方法で買い戻されなくても、彼はヨベルの年に自由の身となる。彼も、その子どもたちも一緒に。
申命記(7か所)
申命記15:12 同胞のヘブライ人の男か女があなたに売られ、六年間あなたに仕えたら、七年目には自由の身にして去らせなさい。
申命記15:13 その人を自由の身にして去らせるとき、手ぶらで行かせてはいけない。
申命記15:18 その人を自由の身にして去らせるとき、それをつらいと思ってはいけない。その人は六年間、雇い人の二倍も働いて、あなたに仕えてくれたのだ。そうすれば、あなたの神である主は、あなたがすることすべてを祝福してくださる。
申命記21:14 もし彼女を気に入らなくなったら、自由にして、行きたいところへ行かせる。決してお金で売ってはならない。奴隷のように扱ってもならない。あなたが彼女をはずかしめたのだから。
申命記24:5 男の人が新しく妻をめとったら、その人は戦争に行かなくてよい。どんな務めも課してはならない。一年の間は家で自由に過ごし、めとった妻を幸せにしてあげなさい。
申命記31:2 モーセは彼らに言った。「わたしは今日で百二十歳になる。もう自由に動き回ることはできない。それに主はわたしに、『あなたはこのヨルダン川を渡ってはならない』と言われた。
申命記32:36 主は自分の民をさばき、そのしもべたちを憐れむ。彼らの力が尽き果て、束縛された者も自由な者も、もう誰も残っていないのを見るからだ。
サムエル記上(2か所)
サムエル第一14:30 もし民が、見つけた敵の分捕り物を今日きょう自由に食べていたら、どれほどよかっただろう。そうすれば、ペリシテ人をもっと多く打ち倒せたはずなのに。」
サムエル第一17:25 イスラエルの兵たちはこう言っていた。「あそこに出てきた男を見たか。イスラエルに挑もうとして出てくるんだ。あの男を倒した者には、王が大きな富を与え、自分の娘を嫁がせ、その父の家をイスラエルで自由の身にしてくれるそうだ。」
サムエル記下(6か所)
サムエル第二4:4 サウルの子ヨナタンには、足の不自由な息子がいた。サウルとヨナタンの知らせがイズレエルから届いたとき、この子は五歳だった。乳母は彼を抱え上げて逃げたが、あわてて逃げる途中で子どもを落としてしまい、それで足が不自由になった。名をメフィボシェテといった。
サムエル第二5:6 王とその部下たちは、エルサレムに住むエブス人を攻めに向かった。すると彼らはダビデに言った。「おまえはここには入れない。目の見えない者や足の不自由な者でも、おまえを追い返せるさ。」ダビデはここに入れない、と思っていたのだ。
サムエル第二5:8 その日ダビデは言った。「エブス人を討とうとする者は、みな水路をよじ登って、ダビデが憎むあの足の不自由な者や目の見えない者を討て。」だから人々は、「目の見えない者や足の不自由な者は、この家に入ってはならない」と言うのだ。
サムエル第二9:3 王は言った。「サウルの家に、まだ誰か残っていないか。その人に神の慈しみを示したいのだ。」ツィバは王に答えた。「ヨナタンの息子がまだ一人います。両足の不自由な人です。」
サムエル第二9:13 こうしてメフィボシェトはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をするようになった。彼は両足が不自由だった。
サムエル第二19:26 彼は答えた。「王であるわたしの主よ、わたしの召使いがわたしをだましたのです。このしもべは足が不自由なので、『ろばに鞍をつけ、それに乗って王といっしょに行こう』と思っていました。ところが召使いは用意してくれなかったのです。
列王紀上(2か所)
列王紀上14:10 だから、わたしはヤロブアムの家に災いをもたらす。イスラエルにいるヤロブアムの男は、奴隷も自由な者も、ひとり残らず断ち切る。人が糞を焼きつくすように、わたしはヤロブアムの家を焼きつくし、跡形もなくする。
列王紀上21:21 主はこう言われる。『わたしはお前に災いをもたらす。お前を根こそぎにし、アハブの家の男を、イスラエルから一人残らず断ち切る。奴隷も自由な者も、みな断ち切る。
列王紀下(3か所)
列王紀下4:13 エリシャはゲハジに言った。「あの人にこう伝えてくれ。『あなたは、わたしたちのためにこれほど心を配ってくれた。何かお礼をしたい。あなたのことを王や軍の司令官に話してあげようか。』」すると彼女は答えた。「いいえ、わたしは自分の民の中で不自由なく暮らしています。」
列王紀下9:8 アハブの一族はすべて滅びる。わたしはアハブに連なる男を、奴隷であろうと自由な者であろうと、イスラエルから一人残らず断ち切る。
列王紀下14:26 主は、イスラエルの苦しみがとてもひどいのをご覧になったからだ。奴隷も自由な者も残らず、イスラエルを助ける者はだれもいなかった。
ヨブ記(4か所)
ヨブ記3:19 小さい者も大きい者も、みんなそこにいる。奴隷も、主人から解き放たれて自由になる。
ヨブ記12:5 何不自由なく暮らす人は、心の中で不幸な人を見下している。足をすべらせかけている人を、待ちかまえているのだ。
ヨブ記29:15 わたしは目の見えない人の目となり、足の不自由な人の足となった。
ヨブ記39:5 だれが野ろばを放って自由にしたのか。だれが野ろばの綱を解いたのか。
詩篇(2か所)
詩篇105:20 王が命令を出して、彼を自由にした。多くの民を治める者が、彼を牢から出したのだ。
詩篇119:45 わたしは自由に歩むことができる。あなたの教えを追い求めてきたからだ。
箴言(1か所)
箴言26:7 足の不自由な人の両足がだらりと垂れて役に立たないように、愚か者の口から出ることわざも役に立たない。
イザヤ書(5か所)
イザヤ書32:20 でも、あなたたちは幸いだ。すべての水辺に種をまき、牛やろばを自由に放って歩かせる人たちよ。
イザヤ書33:23 敵の船の綱はゆるみ、帆柱を支えることも、帆を張ることもできない。そのとき、山のような分捕り物が分けられ、足の不自由な者までもが略奪の品を運び去る。
イザヤ書35:6 そのとき、足の不自由な人は鹿のようにとびはね、口のきけない人は喜びの声をあげる。荒れ野に水がわき出し、砂漠に川が流れるからだ。
イザヤ書58:6 わたしが選ぶ断食とは、こういうものではないか。不正の鎖をほどき、くびきの縄を解き、しいたげられた人を自由にし、すべてのくびきを打ち砕くことだ。
イザヤ書61:1 主なる神の霊が、わたしの上にある。主がわたしに油を注ぎ、苦しむ人たちに良い知らせを伝えるため、わたしを送り出したからだ。心の傷ついた人を手当てし、捕らわれた人には自由を、閉じ込められた人には解放を告げるために。
エレミヤ書(11か所)
エレミヤ書2:31 今の時代の者たちよ、主の言葉に耳を傾けよ。わたしはイスラエルにとって、荒れ野だったのか。それとも暗闇の地だったのか。それなのに、なぜわたしの民は「おれたちは自由だ。もうあなたのところへは行かない」と言うのか。
エレミヤ書31:8 見よ、わたしは彼らを北の国から連れ帰る。地の果てから彼らを集める。その中には目の見えない人も、足の不自由な人も、身ごもった女も、産もうとしている女もいる。大きな群れとなって、彼らはここへ帰って来る。
エレミヤ書34:9 その契約とは、それぞれが自分の男奴隷や女奴隷であるヘブライ人の男女を自由にし、同胞であるユダヤ人を二度と奴隷として使わない、というものだった。
エレミヤ書34:10 この契約に加わったすべての役人とすべての民は、それぞれ自分の男奴隷や女奴隷を自由にし、二度と奴隷として使わないという約束に従った。彼らは従って、奴隷たちを解放した。
エレミヤ書34:11 ところがそのあと、彼らは考えを変えた。自由にしたはずの男奴隷や女奴隷を連れ戻し、再び奴隷として働かせたのだ。
エレミヤ書34:14 『七年ごとに、あなたたちに売られた同胞のヘブライ人を、それぞれ自由にしなさい。その人が六年間あなたに仕えたら、自由の身にして去らせなさい』と。ところが、あなたたちの先祖はわたしの言うことを聞かず、耳を傾けようともしなかった。
エレミヤ書34:15 ところが最近になって、あなたたちは考えを改め、わたしの目に正しいことを行った。それぞれが隣人に自由を宣言し、わたしの名で呼ばれるこの神殿で、わたしの前で契約を結んだ。
エレミヤ書34:16 しかしそのあと、あなたたちはまた考えを変え、わたしの名を汚した。自由の身にしてやったはずの男奴隷や女奴隷を、それぞれ連れ戻し、再び自分たちの奴隷として服従させたのだ。
エレミヤ書34:17 だから、主はこう言われる。あなたたちは、それぞれ同胞に、隣人に自由を宣言せよというわたしの言葉を聞かなかった。それなら見よ、わたしはあなたたちに『自由』を宣言する——主の言葉——剣と疫病と飢饉に向かう自由をだ。わたしはあなたたちを、地上のすべての国々にとって、身の毛のよだつものとする。
エレミヤ書37:4 そのころエレミヤは、まだ人々の間を自由に出入りしていた。まだ牢に入れられていなかったからである。
エレミヤ書40:4 さあ、今日わたしは、あなたの手の鎖を解いて自由にする。もしわたしと一緒にバビロンへ来るのがよければ、来なさい。わたしがあなたの面倒を見よう。だが、わたしと一緒にバビロンへ来るのが嫌なら、来なくてよい。見なさい、この地はすべてあなたの前に開かれている。あなたがよいと思い、正しいと思う所へ、どこへでも行きなさい。」
マタイによる福音書(4か所)
マタイ11:5 目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩き、重い皮膚病の人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえるようになる。死んだ人が生き返り、貧しい人には良い知らせが伝えられている。
マタイ12:10 そこに、片手の不自由な人がいた。人々はイエスを訴える口実を探していて、「安息日に病気を治すのは、律法で許されているのか」と尋ねた。
マタイ15:30 大勢の群衆が、足の不自由な人、体の不自由な人、目の見えない人、口のきけない人、そのほか多くの人を連れて、イエスのところにやって来た。そして、その人たちをイエスの足もとに寝かせた。すると、イエスは彼らを治した。
マタイ15:31 群衆は、口のきけない人が話し、体の不自由な人が治り、足の不自由な人が歩き、目の見えない人が見えるようになったのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をたたえた。
ルカによる福音書(5か所)
ルカ1:64 その瞬間、彼の口が開き、舌も自由になって、話し始め、神をほめたたえた。
ルカ4:18 「主の霊がわたしの上にある。貧しい人たちに良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注いだ。そしてわたしを送り出した。捕らえられた人たちには自由を、目の見えない人たちには見えるようになることを告げ、しいたげられた人たちを解放するために。
ルカ7:22 そしてイエスは二人にこう答えた。「行って、自分たちが見たこと、聞いたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩き、重い皮膚病の人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえるようになっている。死んだ人が生き返り、貧しい人には良い知らせが伝えられている。
ルカ14:13 宴会を開くときは、むしろ貧しい人や、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人を招きなさい。
ルカ14:21 召使いは戻って、このことを主人に報告した。すると主人は怒って、召使いにこう言った。『すぐに町の広い通りや路地に出て行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を、ここに連れて来なさい。』
ヨハネによる福音書(5か所)
ヨハネ5:3 その廊の中には、大勢の病人が横たわっていた。目の見えない人、足の不自由な人、体の動かない人たちだった。
ヨハネ8:32 そして、あなたたちは真理を知る。その真理が、あなたたちを自由にする。」
ヨハネ8:33 わたしたちはアブラハムの子孫だ。今まで誰かの奴隷になったことなんて一度もない。それなのに、どうして『あなたたちは自由になる』なんて言うのか。
ヨハネ8:36 だから、もし子があなたたちを自由にするなら、あなたたちは本当に自由になる。
ヨハネ10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。そして自由に出入りして、牧草にありつくことができる。
使徒行伝(7か所)
使徒3:2 そこには、生まれつき足の不自由な男の人がいました。彼は毎日運ばれてきて、「美しの門」と呼ばれる神殿の門のそばに置かれていました。神殿に入る人たちにお金を恵んでもらうためです。
使徒4:9 わたしたちが今日ここで取り調べを受けているのは、体の不自由な人にした良い行いのこと、つまりこの人がどうやって治ったのか、ということですね。
使徒5:4 売る前は、それはあなたのものだったではないか。売った後も、その代金はあなたの自由になったはずだ。それなのに、どうしてこんなことを考えたのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
使徒8:7 汚れた霊に取りつかれていた多くの人からは、その霊が大声で叫びながら出て行った。また、体のまひした人や足の不自由な人も、大勢いやされた。
使徒9:28 こうしてサウロは彼らと行動を共にし、エルサレムの中を自由に出入りしながら、主の名によって堂々と語った。
使徒14:8 リストラに、足の不自由な一人の男がすわっていた。生まれつき足がきかず、一度も歩いたことのない人だった。
使徒24:23 それから百人隊長に命じて、パウロを見張らせた。ただし、ある程度の自由は与え、身の回りの世話をする仲間たちを妨げないようにと指示した。
ローマ人への手紙(3か所)
ローマ6:20 あなたがたが罪の奴隷だったときは、義に対しては自由だった。
ローマ8:21 被造物自身も、いつか朽ちていく滅びの束縛から解放され、神の子どもたちが手にする栄光に満ちた自由へと導き入れられる。
ローマ8:23 それだけではない。聖霊という最初の贈り物を受けているわたしたち自身も、心の中でうめきながら、神の子とされること、つまりこの体が買い戻されて自由になることを待ち望んでいる。
コリント人への第一の手紙(8か所)
コリント第一6:12 「わたしには、何をする自由もある。」でも、すべてが益になるわけではない。「わたしには、何をする自由もある。」でも、わたしは何かに支配されたりはしない。
コリント第一7:21 奴隷の身分で招かれたのなら、それを気にしなくていい。もし自由になれるのなら、むしろその機会を生かしなさい。
コリント第一7:22 主に招かれたとき奴隷だった人は、主によって自由にされた人だ。同じように、招かれたとき自由だった人は、キリストの奴隷だ。
コリント第一8:9 ただ、気をつけてほしい。あなたのこの自由が、弱い人たちをつまずかせるものにならないように。
コリント第一9:1 わたしは自由ではないのか。使徒ではないのか。わたしたちの主イエスを、この目で見たのではないか。あなたたちは、主にあってわたしが働いた成果ではないか。
コリント第一9:19 わたしはだれにも縛られない自由な立場にある。それでも、より多くの人を得るために、自分からすべての人の奴隷になった。
コリント第一10:29 良心といっても、あなた自身の良心のことではなく、その相手の良心のことだ。どうしてわたしの自由が、ほかの人の良心によって裁かれなければならないのか。
コリント第一12:13 わたしたちはみな、一つの霊によってバプテスマを受け、一つの体となった。ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由な人も、みな一つの霊を飲ませてもらったのだ。
コリント人への第二の手紙(1か所)
コリント第二3:17 ここでいう主とは、霊のことだ。そして、主の霊がいるところには、自由がある。
ガラテヤ人への手紙(10か所)
ガラテヤ2:4 この問題が起きたのは、こっそりまぎれ込んできたにせの仲間たちのせいだった。彼らは、わたしたちがキリスト・イエスにあって持っている自由を、こっそり探りに入り込んできた。わたしたちをまた奴隷のようにしばりつけるためだ。
ガラテヤ3:28 ユダヤ人もギリシア人もない。奴隷も自由な人もない。男も女もない。あなたたちはみな、キリスト・イエスにあって一つだからだ。
ガラテヤ4:5 それは、律法のもとにいる人々を買い取って自由にし、わたしたちを神の子として迎えるためだった。
ガラテヤ4:22 こう書いてある。アブラハムには二人の息子がいた。一人は奴隷の女から、もう一人は自由な女から生まれた。
ガラテヤ4:23 奴隷の女から生まれた子は、ふつうの人としての生まれ方で生まれた。でも、自由な女から生まれた子は、神の約束によって生まれたのだ。
ガラテヤ4:26 でも、天にあるエルサレムは自由だ。これがわたしたちの母である。
ガラテヤ4:30 しかし、聖書は何と言っているだろうか。「奴隷の女とその息子を追い出しなさい。奴隷の女の息子は、自由な女の息子といっしょに財産を受け継ぐことは決してないのだから。」
ガラテヤ4:31 だから兄弟姉妹よ。わたしたちは奴隷の女の子どもではなく、自由な女の子どもなのだ。
ガラテヤ5:1 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由にしてくれた。だから、しっかり立っていよう。もう二度と、奴隷のくびきをつけられてはいけない。
ガラテヤ5:13 兄弟姉妹よ。あなたたちは自由になるために招かれた。でも、その自由を、自分勝手な欲望を満たすための口実にしてはいけない。むしろ、愛によって互いに仕え合いなさい。
エペソ人への手紙(3か所)
エペソ1:14 この霊は、わたしたちが受け継ぐものの保証だ。神のものとされた人々が完全に自由にされ、神の栄光がたたえられる、その日までの手付金なのだ。
エペソ4:30 神の聖なる霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、この霊によって、贖い(買い戻され自由にされること)の日のために証印を押されているのだから。
エペソ6:8 良いことをすれば、奴隷であっても自由な身であっても、それぞれが主からその報いを受けることを、あなたたちは知っているのだから。
コロサイ人への手紙(2か所)
コロサイ1:14 この御子によって、わたしたちは自由にされ、罪を赦されている。
コロサイ3:11 そこにはもう、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼を受けた者も受けていない者もなく、未開の人もスキタイ人も、奴隷も自由な人もない。キリストがすべてであり、すべての人のうちにおられる。
ヤコブの手紙(2か所)
ヤコブ1:25 でも、自由を与える完全な律法をじっと見つめ、それを守り続ける人は違う。聞いてすぐ忘れる人ではなく、実際に行う人だ。そういう人は、その行いによって幸いになる。
ヤコブ2:12 だから、自由をもたらす律法によって裁かれる者らしく、語り、行動しなさい。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一2:16 あなたたちは自由な者として生きなさい。ただし、その自由を悪の言い訳に使ってはいけない。神に仕える者として生きなさい。
ペテロの第二の手紙(1か所)
ペテロ第二2:19 彼らはその人たちに自由を約束する。ところが自分自身は、滅びの奴隷なのだ。人は、自分を打ち負かすものの奴隷になるからだ。
ヨハネの黙示録(3か所)
黙示録6:15 地上の王たち、身分の高い者たち、軍を率いる者たち、金持ちや権力者たち、そして奴隷も自由な者も、みな洞穴や山の岩かげに身を隠した。
黙示録13:16 また、身分の低い者も高い者も、富む者も貧しい者も、自由な人も奴隷も、すべての人の右手か額に刻印を受けさせた。
黙示録19:18 王たちの肉、指揮官たちの肉、勇士たちの肉、馬と乗り手たちの肉を食べるためだ。自由な者も奴隷も、身分の低い者も高い者も、すべての人の肉を食べるためだ。」