「自由」(じゆう)が出てくる聖書の箇所

「自由」(じゆう)は口語訳の56か所(旧約21・新約35)に出てきます。日常訳第1版では107か所。

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出エジプト記(4か所)

出エジプト21:2 あなたがヘブルびとである奴隷どれいを買かう時ときは、六ろく年ねんのあいだ仕つかえさせ、七なな年ねん目めには無償むしょうで自由じゆうの身みとして去さらせなければならない。

出エジプト21:5 奴隷どれいがもし『わたしは、わたしの主人しゅじんと、わたしの妻つまと子供こどもを愛あいします。わたしは自由じゆうの身みとなって去さることを好このみません』と明言めいげんするならば、

出エジプト21:26 もし人ひとが自分じぶんの男おとこ奴隷どれいの片目かため、または女じょ奴隷どれいの片目かためを撃うち、これをつぶすならば、その目めのためにこれを自由じゆうの身みとして去さらせなければならない。

出エジプト21:27 また、もしその男おとこ奴隷どれいの一いち本ぽんの歯は、またはその女おんな奴隷どれいの一いち本ぽんの歯はを撃うち落おとすならば、その歯はのためにこれを自由じゆうの身みとして去さらせなければならない。

レビ記(2か所)

レビ記19:20 だれでも、人ひとと婚約こんやくのある女じょ奴隷どれいで、まだあがなわれず、自由じゆうを与あたえられていない者ものと寝ねて交まじわったならば、彼かれらふたりは罰ばつを受うける。しかし、殺ころされることはない。彼女かのじょは自由じゆうの女おんなではないからである。

レビ記25:10 その五十ごじゅう年ねん目めを聖別せいべつして、国くに中ちゅうのすべての住民じゅうみんに自由じゆうをふれ示しめさなければならない。この年としはあなたがたにはヨベルの年としであって、あなたがたは、おのおのその所有しょゆうの地ちに帰かえり、おのおのその家族かぞくに帰かえらなければならない。

申命記(4か所)

申命記15:12 もしあなたの兄弟きょうだいであるヘブルの男おとこ、またはヘブルの女おんなが、あなたのところに売うられてきて、六ろく年ねん仕つかえたならば、第だい七なな年ねんには彼かれに自由じゆうを与あたえて去さらせなければならない。

申命記15:13 彼かれに自由じゆうを与あたえて去さらせる時ときは、から手てで去さらせてはならない。

申命記15:18 彼かれに自由じゆうを与あたえて去さらせる時ときには、快こころよく去さらせなければならない。彼かれが六ろく年間ねんかん、賃銀ちんぎんを取とる雇人やといにんの二に倍ばいあなたに仕つかえて働はたらいたからである。あなたがそうするならば、あなたの神かみ、主しゅはあなたが行おこなうすべての事ことにあなたを祝福しゅくふくされるであろう。

申命記21:14 その後あとあなたがもし彼女かのじょを好このまなくなったならば、彼女かのじょを自由じゆうに去さらせなければならない。決けっして金かねで売うってはならない。あなたはすでに彼女かのじょをはずかしめたのだから、彼女かのじょを奴隷どれいのようにあしらってはならない。

士師記(1か所)

士師記1:25 彼かれが町まちにはいる道みちを教おしえたので、彼かれらはつるぎをもって町まちを撃うった。しかし、かの人ひととその家族かぞくは自由じゆうに去さらせた。

列王紀上(2か所)

列王紀上14:10 それゆえ、見みよ、わたしはヤラベアムの家いえに災わざわいを下くだし、ヤラベアムに属ぞくする男おとこは、イスラエルについて、つながれた者ものも、自由じゆうな者ものもことごとく断たち、人ひとがあくたを残のこりなく焼やきつくすように、ヤラベアムの家いえを全まったく断たち滅ほろぼすであろう。

列王紀上21:21 わたしはあなたに災わざわいを下くだし、あなたを全まったく滅ほろぼし、アハブに属ぞくする男おとこは、イスラエルにいてつながれた者ものも、自由じゆうな者ものもことごとく断たち、

列王紀下(2か所)

列王紀下9:8 アハブの全ぜん家いえは滅ほろびるであろう。アハブに属ぞくする男おとこは、イスラエルにいて、つながれた者ものも、自由じゆうな者ものも、ことごとくわたしは断たち、

列王紀下14:26 主しゅはイスラエルの悩なやみの非常ひじょうに激はげしいのを見みられた。そこにはつながれた者ものも、自由じゆうな者ものもいなくなり、またイスラエルを助たすける者ものもいなかった。

ヨブ記(1か所)

ヨブ記39:5 だれが野のろばを放はなって、自由じゆうにしたか。だれが野のろばのつなぎを解といたか。

詩篇(3か所)

詩篇51:12 あなたの救すくいの喜よろこびをわたしに返かえし、自由じゆうの霊れいをもって、わたしをささえてください。

詩篇105:20 王おうは人ひとをつかわして彼かれを解とき放はなち、民みんのつかさは彼かれに自由じゆうを与あたえた。

詩篇119:45 わたしはあなたのさとしを求もとめたので、自由じゆうに歩あゆむことができます。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書32:20 すべての水みずのほとりに種しゅをまき、牛うしおよびろばを自由じゆうに放はなちおくあなたがたは、さいわいである。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書2:31 あなたがたこの世代せだいの人ひとよ、主しゅの言葉ことばを聞きけ。わたしはイスラエルにとって、荒野あらのであったであろうか。暗黒あんこくの地ちであったであろうか。それならなぜ、わたしの民たみは『われわれは自由じゆうだ、もはやあなたのところへは行いかない』と言いうのか。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ4:18 「主しゅの御ご霊れいがわたしに宿やどっている。貧まずしい人々ひとびとに福音ふくいんを宣のべ伝つたえさせるために、わたしを聖別せいべつしてくださったからである。主しゅはわたしをつかわして、囚人しゅうじんが解放かいほうされ、盲人もうじんの目めが開ひらかれることを告つげ知しらせ、打うちひしがれている者ものに自由じゆうを得えさせ、

ヨハネによる福音書(3か所)

ヨハネ8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。

ヨハネ8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一いち度どもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。

ヨハネ8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。

使徒行伝(1か所)

使徒5:4 売うらずに残のこしておけば、あなたのものであり、売うってしまっても、あなたの自由じゆうになったはずではないか。どうして、こんなことをする気きになったのか。あなたは人ひとを欺あざむいたのではなくて、神かみを欺あざむいたのだ」。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ8:21 かつ、被ひ造物ぞうぶつ自身じしんにも、滅ほろびのなわめから解放かいほうされて、神かみの子こたちの栄光えいこうの自由じゆうに入はいる望のぞみが残のこされているからである。

コリント人への第一の手紙(8か所)

コリント第一7:4 妻つまは自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのは夫おっとである。夫おっとも同様どうように自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのは妻つまである。

コリント第一7:21 召めされたとき奴隷どれいであっても、それを気きにしないがよい。しかし、もし自由じゆうの身みになりうるなら、むしろ自由じゆうになりなさい。

コリント第一7:22 主しゅにあって召めされた奴隷どれいは、主しゅによって自由じゆう人にんとされた者ものであり、また、召めされた自由じゆう人にんはキリストの奴隷どれいなのである。

コリント第一8:9 しかし、あなたがたのこの自由じゆうが、弱よわい者ものたちのつまずきにならないように、気きをつけなさい。

コリント第一9:1 わたしは自由じゆうな者ものではないか。使徒しとではないか。わたしたちの主しゅイエスを見みたではないか。あなたがたは、主しゅにあるわたしの働はたらきの実じつではないか。

コリント第一9:19 わたしは、すべての人ひとに対たいして自由じゆうであるが、できるだけ多おおくの人ひとを得えるために、自みずから進すすんですべての人ひとの奴隷どれいになった。

コリント第一10:29 良心りょうしんと言いったのは、自分じぶんの良心りょうしんではなく、他人たにんの良心りょうしんのことである。なぜなら、わたしの自由じゆうが、どうして他人たにんの良心りょうしんによって左右さゆうされることがあろうか。

コリント第一12:13 なぜなら、わたしたちは皆みな、ユダヤ人にんもギリシヤ人にんも、奴隷どれいも自由じゆう人にんも、一ひとつの御ご霊れいによって、一ひとつのからだとなるようにバプテスマを受うけ、そして皆みな一ひとつの御ご霊れいを飲のんだからである。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二3:17 主しゅは霊れいである。そして、主しゅの霊れいのあるところには、自由じゆうがある。

ガラテヤ人への手紙(9か所)

ガラテヤ2:4 それは、忍しのび込こんできたにせ兄弟きょうだいらがいたので――彼かれらが忍しのび込こんできたのは、キリスト・イエスにあって持もっているわたしたちの自由じゆうをねらって、わたしたちを奴隷どれいにするためであった。

ガラテヤ3:28 もはや、ユダヤ人にんもギリシヤ人にんもなく、奴隷どれいも自由じゆう人にんもなく、男おとこも女おんなもない。あなたがたは皆みな、キリスト・イエスにあって一ひとつだからである。

ガラテヤ4:22 そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子こがあったが、ひとりは女じょ奴隷どれいから、ひとりは自由じゆうの女おんなから生うまれた。

ガラテヤ4:23 女じょ奴隷どれいの子こは肉にくによって生うまれたのであり、自由じゆうの女おんなの子こは約束やくそくによって生うまれたのであった。

ガラテヤ4:26 しかし、上うえなるエルサレムは、自由じゆうの女おんなであって、わたしたちの母ははをさす。

ガラテヤ4:30 しかし、聖書せいしょはなんと言いっているか。「女じょ奴隷どれいとその子ことを追おい出だせ。女じょ奴隷どれいの子こは、自由じゆうの女おんなの子こと共ともに相続そうぞくをしてはならない」とある。

ガラテヤ4:31 だから、兄弟きょうだいたちよ。わたしたちは女じょ奴隷どれいの子こではなく、自由じゆうの女おんなの子こなのである。

ガラテヤ5:1 自由じゆうを得えさせるために、キリストはわたしたちを解放かいほうして下くださったのである。だから、堅かたく立たって、二に度どと奴隷どれいのくびきにつながれてはならない。

ガラテヤ5:13 兄弟きょうだいたちよ。あなたがたが召めされたのは、実じつに、自由じゆうを得えるためである。ただ、その自由じゆうを、肉にくの働はたらく機会きかいとしないで、愛あいをもって互たがいに仕つかえなさい。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ6:8 あなたがたが知しっているとおり、だれでも良よいことを行おこなえば、僕ぼくであれ、自由じゆう人にんであれ、それに相当そうとうする報むくいを、それぞれ主しゅから受うけるであろう。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ3:11 そこには、もはやギリシヤ人にんとユダヤ人にん、割礼かつれいと無む割礼かつれい、未開みかいの人ひと、スクテヤ人にん、奴隷どれい、自由じゆう人にんの差別さべつはない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

テトスへの手紙(1か所)

テトス3:13 法学ほうがく者しゃゼナスと、アポロとを、急いいそいで旅たびにつかせ、不ふ自由じゆうのないようにしてあげなさい。

ヤコブの手紙(2か所)

ヤコブ1:25 これに反はんして、完全かんぜんな自由じゆうの律法りっぽうを一心いっしんに見みつめてたゆまない人ひとは、聞きいて忘わすれてしまう人ひとではなくて、実際じっさいに行おこなう人ひとである。こういう人ひとは、その行おこないによって祝福しゅくふくされる。

ヤコブ2:12 だから、自由じゆうの律法りっぽうによってさばかるべき者ものらしく語かたり、かつ行おこないなさい。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一2:16 自由じゆう人にんにふさわしく行動こうどうしなさい。ただし、自由じゆうをば悪あくを行おこなう口実こうじつとして用もちいず、神かみの僕ぼくにふさわしく行動こうどうしなさい。

ペテロの第二の手紙(1か所)

ペテロ第二2:19 この人々ひとびとに自由じゆうを与あたえると約束やくそくしながら、彼かれら自身じしんは滅亡めつぼうの奴隷どれいになっている。おおよそ、人ひとは征服せいふく者しゃの奴隷どれいとなるものである。

ヨハネの黙示録(4か所)

黙示録3:17 あなたは、自分じぶんは富とんでいる、豊ゆたかになった、なんの不ふ自由じゆうもないと言いっているが、実じつは、あなた自身じしんがみじめな者もの、あわれむべき者もの、貧まずしい者もの、目めの見みえない者もの、裸はだかな者ものであることに気きがついていない。

黙示録6:15 地ちの王おうたち、高官こうかん、千せん卒そつ長ちょう、富とめる者もの、勇者ゆうしゃ、奴隷どれい、自由じゆう人にんらはみな、ほら穴あなや山やまの岩いわかげに、身みをかくした。

黙示録13:16 また、小こさき者ものにも、大おおいなる者ものにも、富とめる者ものにも、貧まずしき者ものにも、自由じゆう人にんにも、奴隷どれいにも、すべての人々ひとびとに、その右みぎの手てあるいは額がくに刻印こくいんを押おさせ、

黙示録19:18 そして、王おうたちの肉にく、将軍しょうぐんの肉にく、勇者ゆうしゃの肉にく、馬うまの肉にく、馬うまに乗のっている者ものの肉にく、また、すべての自由じゆう人にんと奴隷どれいとの肉にく、小こさき者ものと大おおいなる者ものとの肉にくをくらえ」。

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