「人」(ひと)が出てくる聖書の箇所

「人」(ひと)は日常訳第1版の5114か所(旧約2880・新約2234)に出てきます。口語訳では4355か所。

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5114か所を200か所ずつ26ページに分けています(23ページ目)。

コリント人への第一の手紙(153か所)

コリント第一2:6 とはいえ、わたしたちも、成熟せいじゅくした人ひとたちの間あいだでは知恵ちえを語かたる。ただし、それはこの世よの知恵ちえではないし、滅ほろびゆくこの世よの支配しはい者しゃたちの知恵ちえでもない。

コリント第一2:9 しかし、こう書かかかれているとおりだ。「目めが見みたこともなく、耳みみが聞きいたこともなく、人ひとの心こころに思おもい浮うかんだこともないもの。それを、神かみはご自分じぶんを愛あいする人ひとたちのために用意よういしてくださった。」

コリント第一2:11 人ひとのことは、その人ひとの中なかにある霊れいのほかに、だれが知しっているだろう。同おなじように、神かみのことは、神かみの霊れいのほかにだれも知しらない。

コリント第一2:13 だから、わたしたちはそれを語かたるとき、人ひとの知恵ちえが教おしえる言葉ことばを使つかわない。霊れいが教おしえる言葉ことばを使つかう。こうして、霊れいに属ぞくすることを、霊れいに属ぞくする言葉ことばで説とき明あかしていく。

コリント第一2:14 霊れいを持もたない人ひとは、神かみの霊れいに属ぞくすることを受うけ入いれない。その人ひとにとって、それは愚おろかなことに思おもえるからだ。しかも、それは霊れいによってしか見みきわめられないので、その人ひとには理解りかいできない。

コリント第一2:15 けれども、霊れいを持もつ人ひとは、すべてを見みきわめる。そして、その人ひと自身じしんは、だれからも見みきわめられることがない。

コリント第一3:1 兄弟きょうだい姉妹しまいのみなさん、わたしはあなたがたに、神かみの霊れいに生いきる人ひととして語かたることができなかった。肉にくに生いきる人ひと、キリストにあってまだ幼おさない子こどものように語かたるしかなかったのだ。

コリント第一3:4 一人ひとりが「わたしはパウロにつく」と言いいい、別べつの人ひとが「わたしはアポロにつく」と言ゆう。それなら、あなたがたはただの人間にんげんと同おなじではないか。

コリント第一3:10 神かみがわたしに与あたえてくださった恵めぐみによって、わたしは熟練じゅくれんした建築けんちく家かのように土台どだいを据すえた。そして別べつの人ひとが、その上うえに建たてている。ただし、どのように建たてるかは、それぞれがよく気きをつけなければならない。

コリント第一3:14 もしだれかが土台どだいの上うえに建たてたものが、その火ひに耐たえて残のこれば、その人ひとは報むくいを受うける。

コリント第一3:15 もしだれかの仕事しごとが焼やけてしまえば、その人ひとは損そんをする。でも、本人ほんにんは救すくわれる。ただし、火ひの中なかをくぐり抜ぬけるようにして、かろうじて救すくわれるのだ。

コリント第一3:17 もしだれかが神かみの神殿しんでんを壊こわすなら、神かみはその人ひとを滅ほろぼす。神かみの神殿しんでんは聖せいなるものだからだ。そして、その神殿しんでんとは、あなたがたのことだ。

コリント第一3:18 自分じぶんをだましてはいけない。もしあなたがたの中なかに、自分じぶんはこの世よで賢かしこいと思おもっている人ひとがいるなら、その人ひとは愚おろか者ものになりなさい。そうすれば、本当ほんとうに賢かしこくなれる。

コリント第一4:5 だから、時ときが来くる前まえに何なんかをさばいてはいけない。主しゅが来こられるまで待まちなさい。主しゅは闇やみに隠かくれたものを明あかるみに出だし、人ひとの心こころの思おもいを明あきらかにされる。そのとき、それぞれが神かみからほめられる。

コリント第一4:7 いったい、だれがあなたを他ほかの人ひとより優すぐれていると認みとめたのか。あなたが持もっているもので、もらったのではないものが何なんかあるだろうか。もらったのなら、なぜもらっていないかのように自慢じまんするのか。

コリント第一4:13 悪わるく言いわれれば、おだやかに語かたりかける。わたしたちは今いまこの時ときまで、世界せかいのごみのようにされ、すべての人ひとのかすのようにされてきた。

コリント第一5:1 実際じっさい、あなたがたの間あいだで性的せいてきな不ふ品行ひんこうがあると言いわれている。しかも、それは神かみを知しらない人ひとたちの間あいだでさえないようなもので、父ちちの妻つまを自分じぶんのものにしている者ものがいるというのだ。

コリント第一5:9 わたしは前まえの手紙てがみで、性的せいてきに不ふ品行ひんこうな人ひとたちと交まじわってはいけない、と書かいた。

コリント第一5:10 それは、この世よの不ふ品行ひんこうな人ひとたちや、欲深よくふかい人ひと、人ひとをだまし取とる人ひと、偶像ぐうぞうを拝おがむ人ひとと、いっさい関かかわるな、という意味いみではない。もしそうなら、あなたがたはこの世よから出でて行いかなければならなくなる。

コリント第一5:11 わたしが書かいたのは、こういうことだ。仲間なかまだと自分じぶんで名乗なのっていながら、性的せいてきに不ふ品行ひんこうだったり、欲深よくふかかったり、偶像ぐうぞうを拝おがんだり、人ひとをののしったり、酒さけにおぼれたり、人ひとをだまし取とったりする者ものがいるなら、そういう者ものとは関かかわってはいけない。一緒いっしょに食事しょくじをすることさえ、してはいけない。

コリント第一5:12 外部がいぶの人ひとたちを裁さばくことが、わたしと何なんの関係かんけいがあるだろうか。あなたがたが裁さばくべきなのは、内部ないぶの人ひとたちではないか。

コリント第一5:13 外部がいぶの人ひとたちは、神かみが裁さばく。だから、その悪わるい者ものを、あなたがたの中なかから取とり除のぞきなさい。

コリント第一6:1 あなたがたの中なかに、仲間なかまともめごとがあるとき、聖せいなる人ひとたちの前まえではなく、正ただしくない人ひとたちの前まえで裁さばいてもらおうとする者ものがいる。よくそんなことができるものだ。

コリント第一6:2 それとも、知しらないのか。聖せいなる人ひとたちは、いつか世よを裁さばくことになる。その世よをあなたがたが裁さばくというなら、あなたがたはごく小ちいさな争あらそいごとを裁さばく資格しかくさえない、というのか。

コリント第一6:4 だから、日常にちじょうのもめごとについて裁さばくことがあるなら、どうして教会きょうかいの中なかで軽かろんじられている人ひとたちを、裁判さいばん官かんの席せきに座すわらせるのか。

コリント第一6:5 恥はずかしいことだと思おもって、あえて言ゆう。あなたがたの中なかには、仲間なかま同士どうしの争あらそいを裁さばける賢かしこい人ひとが、一人ひとりもいないのか。

コリント第一6:6 それどころか、仲間なかまが仲間なかまを訴うったえている。しかも、それを信しんじていない人ひとたちの前まえでしているのだ。

コリント第一6:8 それどころか、あなたがた自身じしんが不当ふとうなことをし、人ひとからだまし取とっている。しかも、それを仲間なかまに対たいしてしているのだ。

コリント第一6:10 盗ぬすむ者もの、欲深よくふかい者もの、酒さけにおぼれる者もの、人ひとをののしる者もの、人ひとをだまし取とる者ものは、神かみの御み国くにを受うけ継つぐことはない。

コリント第一6:16 遊女ゆうじょと交まじわる人ひとは、その相手あいてとからだが一ひとつになる。それを知しらないのか。「二人ふたりは一ひとつのからだになる」と言いわれているとおりだ。

コリント第一6:17 でも、主しゅと結むすばれた人ひとは、主しゅと一ひとつの霊れいになる。

コリント第一6:18 性的せいてきな乱みだれから逃にげなさい。人ひとが犯おかすほかのどんな罪つみも、からだの外そとにあるものだ。でも、性的せいてきに乱みだれる人ひとは、自分じぶん自身じしんのからだに対たいして罪つみを犯おかしている。

コリント第一7:7 わたしとしては、すべての人ひとがわたしのようであってほしい。でも、人ひとにはそれぞれ神かみから与あたえられた賜物たまものがあって、ある人ひとはこういう生いき方かたをし、別べつの人ひとはああいう生いき方かたをするのだ。

コリント第一7:8 次つぎに、結婚けっこんしていない人ひとや、夫おっとを亡なくした人ひとに言ゆう。わたしのように独ひとりでいるのは、その人ひとたちにとって良よいことだ。

コリント第一7:10 結婚けっこんしている人ひとたちには、こう命めいじる。命めいじるのはわたしではなく、主しゅだ。妻つまは夫おっとと別わかれてはいけない。

コリント第一7:12 その他たの人ひとたちには、わたしが言ゆう。主しゅではなく、わたしだ。ある信者しんじゃの男性だんせいに、信仰しんこうを持もたない妻つまがいて、その妻つまが一緒いっしょに暮くらすことを望のぞんでいるなら、離縁りえんしてはいけない。

コリント第一7:18 割礼かつれいを受うけた状態じょうたいで招まねかれた人ひとは、その跡あとを消けそうとしなくていい。割礼かつれいを受うけていない状態じょうたいで招まねかれた人ひとは、割礼かつれいを受うけなくていい。

コリント第一7:22 主しゅに招まねかれたとき奴隷どれいだった人ひとは、主しゅによって自由じゆうにされた人ひとだ。同おなじように、招まねかれたとき自由じゆうだった人ひとは、キリストの奴隷どれいだ。

コリント第一7:23 あなたたちは、代価だいかを払はらって買かい取とられた。だから人ひとの奴隷どれいになってはいけない。

コリント第一7:25 さて、結婚けっこんしていない人ひとたちについて。これについては、主しゅからの命令めいれいを受うけているわけではない。でも、主しゅのあわれみを受うけて信頼しんらいできる者ものとされたわたしとして、自分じぶんの考かんがえを伝つたえておきたい。

コリント第一7:28 でも、もし結婚けっこんしても、それは罪つみではない。結婚けっこんしていない女性じょせいが結婚けっこんしても、罪つみではない。ただ、結婚けっこんする人ひとたちは、この世よの暮くらしの中なかで苦労くろうを抱かかえることになる。わたしは、あなたたちにそんな思おもいをさせたくないのだ。

コリント第一7:29 兄弟きょうだい姉妹しまいよ、わたしが言いいいたいのはこういうことだ。残のこされた時間じかんは短みじかい。これからは、妻つまのいる人ひとも、いないかのように生いきなさい。

コリント第一7:30 泣ないている人ひとも、泣ないていないかのように。喜よろこんでいる人ひとも、喜よろこんでいないかのように。物ものを買かった人ひとも、自分じぶんのものにしていないかのように生いきなさい。

コリント第一7:31 この世よと関かかわっている人ひとも、それにのめり込こまないように。今いまあるこの世界せかいのかたちは、過すぎ去さっていくのだから。

コリント第一7:32 わたしは、あなたたちに余計よけいな心配しんぱいをせずにいてほしい。結婚けっこんしていない人ひとは、どうすれば主しゅに喜よろこばれるかと、主しゅのことに心こころを向むける。

コリント第一7:33 でも、結婚けっこんしている人ひとは、どうすれば妻つまに喜よろこばれるかと、この世よのことに心こころを向むける。

コリント第一7:36 もし、婚約こんやくしている娘むすめに対たいして自分じぶんがふさわしくないことをしていると思おもう人ひとがいて、その相手あいてが結婚けっこんにふさわしい年としごろになり、どうしても結婚けっこんすべきだというなら、その人ひとは思おもうとおりにすればいい。それは罪つみではない。二人ふたりは結婚けっこんしなさい。

コリント第一7:37 でも、心こころの中なかでしっかりと決心けっしんしている人ひとがいる。無理むりに迫せまられてのことではなく、自分じぶんの思おもいをきちんとコントロールできていて、その相手あいてと結婚けっこんさせないでおこうと心こころに決きめているなら、その人ひとはそれでいい。

コリント第一7:38 つまり、その相手あいてと結婚けっこんさせる人ひとも正ただしいことをしているし、結婚けっこんさせない人ひとはもっと良よいことをするのだ。

コリント第一8:1 さて、偶像ぐうぞうに供そなえられた肉にくのことだが、わたしたちはみな知識ちしきを持もっている、ということはわかっている。でも、知識ちしきは人ひとを高たかぶらせる。一方いっぽう、愛あいは人ひとを育そだてる。

コリント第一8:2 自分じぶんは何なんかを知しっていると思おもっている人ひとは、本当ほんとうに知しるべきことを、まだ知しってはいない。

コリント第一8:3 でも、神かみを愛あいしている人ひとは、その神かみに知しられているのだ。

コリント第一8:7 でも、この知識ちしきをみんなが持もっているわけではない。中なかには、今いままでずっと偶像ぐうぞうに慣なれ親したしんできた人ひとたちがいる。彼かれらはその肉にくを、今いまでも偶像ぐうぞうに供そなえられたものとして食たべてしまう。すると、その良心りょうしんは弱よわいために、汚よごれてしまうのだ。

コリント第一8:9 ただ、気きをつけてほしい。あなたのこの自由じゆうが、弱よわい人ひとたちをつまずかせるものにならないように。

コリント第一8:10 考かんがえてみてほしい。知識ちしきを持もっているあなたが偶像ぐうぞうの神殿しんでんで食事しょくじをしているのを、だれかが見みたとしよう。その人ひとの良心りょうしんは弱よわいのに、「自分じぶんも偶像ぐうぞうに供そなえられた肉にくを食たべていいんだ」と、かえって背中せなかを押おされてしまうのではないか。

コリント第一8:11 そうなると、あなたのその知識ちしきのせいで、弱よわい人ひとが滅ほろびてしまう。キリストがそのために死しんでくださった、あの兄弟きょうだいがだ。

コリント第一9:2 たとえほかの人ひとたちにとって使徒しとでないとしても、少すくなくともあなたたちにとっては使徒しとだ。あなたたち自身じしんが、主しゅにあって、わたしが使徒しとであることの証あかしなのだから。

コリント第一9:3 わたしを問といただそうとする人ひとたちへの、わたしの弁明べんめいはこうだ。

コリント第一9:7 考かんがえてみてほしい。自分じぶんの給料きゅうりょうで戦たたかいに行いく兵士へいしがいるだろうか。ぶどう畑はたけを作つくって、その実みを食たべない人ひとがいるだろうか。羊ひつじの群むれを飼かっていて、その乳ちちを飲のまない人ひとがいるだろうか。

コリント第一9:10 そうではなく、わたしたちのために言いわれているのではないか。もちろん、わたしたちのために書かかかれたのだ。耕たがやす人ひとは収穫しゅうかくを期待きたいして耕たがやし、脱穀だっこくする人ひとは分わけ前まえをもらえると期待きたいして働はたらくべきだからだ。

コリント第一9:12 ほかの人ひとたちがあなたがたに頼たよる権利けんりを持もっているのなら、なおさらわたしたちにはその権利けんりがあるはずだ。しかし、わたしたちはこの権利けんりを使つかわなかった。むしろ、どんなことでも我慢がまんしている。キリストの福音ふくいんの邪魔じゃまになるようなことを、少すこしでもしたくないからだ。

コリント第一9:13 神殿しんでんの仕事しごとをする人ひとたちが、神殿しんでんの物もので生活せいかつしていることを、あなたがたは知しらないのか。祭壇さいだんに仕つかえる人ひとたちは、祭壇さいだんにささげられた物ものの分わけ前まえを受うけ取とっているのだ。

コリント第一9:14 それと同おなじように、主しゅは、福音ふくいんを伝つたえる人ひとたちが福音ふくいんによって生活せいかつするようにと定さだめられた。

コリント第一9:19 わたしはだれにも縛しばられない自由じゆうな立場たちばにある。それでも、より多おおくの人ひとを得えるために、自分じぶんからすべての人ひとの奴隷どれいになった。

コリント第一9:20 ユダヤ人じんを得えるために、ユダヤ人じんにはユダヤ人じんのようになった。律法りっぽうのもとにある人ひとを得えるために、自分じぶんは律法りっぽうのもとにいるわけではないのに、律法りっぽうのもとにある人ひとにはそのようになった。

コリント第一9:21 律法りっぽうを持もたない人ひとを得えるために、その人ひとたちにはそのようになった。とはいえ、わたしは神かみの律法りっぽうを無視むししているのではなく、キリストの律法りっぽうのもとにある。

コリント第一9:22 弱よわい人ひとを得えるために、弱よわい人ひとには弱よわい人ひとのようになった。すべての人ひとを、なんとかして一人ひとりでも多おおく救すくうために、わたしはすべての人ひとにすべてのものとなった。

コリント第一9:24 知しらないのだろうか。競技きょうぎ場じょうで走はしる人ひとはみな走はしるが、賞しょうを受うけるのは一人ひとりだけだ。だから、あなたたちも賞しょうを得えられるように走はしりなさい。

コリント第一9:25 競技きょうぎをする人ひとはみな、あらゆる面めんで自分じぶんを厳きびしく節制せっせいする。彼かれらは朽くちてしまう冠かんむりを受うけるためにそうするが、わたしたちは朽くちない冠かんむりを受うけるためにそうするのだ。

コリント第一9:27 むしろ、自分じぶんの体からだを打うちたたいて従したがわせている。ほかの人ひとに福音ふくいんを伝つたえておきながら、自分じぶん自身じしんが失格しっかく者しゃになってしまわないためだ。

コリント第一10:12 だから、自分じぶんは大丈夫だいじょうぶだと思おもっている人ひとこそ、倒たおれないように気きをつけなさい。

コリント第一10:13 あなたたちが直面ちょくめんする誘惑ゆうわくは、どれも人ひとがふつうに経験けいけんするものばかりだ。神かみは真実しんじつな方かただ。あなたたちが耐たえられないほどの誘惑ゆうわくに遭あわせることはない。むしろ、誘惑ゆうわくと一緒いっしょに、それに耐たえられるよう逃にげ道みちも用意よういしてくださる。

コリント第一10:14 だから、愛あいする人ひとたち、偶像ぐうぞうを拝おがむことから逃にげなさい。

コリント第一10:15 わたしは、分別ぶんべつのある人ひとに話はなすつもりで言ゆう。今いまから言いうことを、自分じぶんでよく考かんがえて判断はんだんしてほしい。

コリント第一10:18 この世よのイスラエルの民たみを見みてみなさい。ささげ物ものを食たべる人ひとたちは、祭壇さいだんにあずかる仲間なかまになっているではないか。

コリント第一10:23 「何なんをしてもかまわない」と言ゆう。でも、すべてが役やくに立たつわけではない。「何なんをしてもかまわない。」でも、すべてが人ひとを成長せいちょうさせるわけではない。

コリント第一10:24 だれも自分じぶんの利益りえきばかりを求もとめず、ほかの人ひとの利益りえきを求もとめなさい。

コリント第一10:27 信しんじていない人ひとがあなたを食事しょくじに招まねき、あなたが行いきたいと思おもうなら、出だされたものは何なんでも、良心りょうしんのことで何なんも詮索せんさくせずに食たべなさい。

コリント第一10:28 でも、もしだれかが「これはお供そなえ物ものです」と言いったら、それを教おしえてくれた人ひとのため、また良心りょうしんのために、食たべてはいけない。

コリント第一10:29 良心りょうしんといっても、あなた自身じしんの良心りょうしんのことではなく、その相手あいての良心りょうしんのことだ。どうしてわたしの自由じゆうが、ほかの人ひとの良心りょうしんによって裁さばかれなければならないのか。

コリント第一10:33 わたしも、すべてのことで、すべての人ひとを喜よろこばせようとしている。自分じぶんの利益りえきではなく、多おおくの人ひとの利益りえきを求もとめているのだ。その人ひとたちが救すくわれるためである。

コリント第一11:14 自然しぜんそのものが、あなたがたに教おしえているのではないか。男おとこが長ながい髪かみをしているのは、その人ひとにとって恥はずかしいことだ。

コリント第一11:15 でも、女おんなが長ながい髪かみをしているのは、その人ひとの栄光えいこうだ。長ながい髪かみは、かぶり物ものの代かわりに女おんなに与あたえられているのだから。

コリント第一11:16 もしこのことで言い争いいいあらそいたい人ひとがいても、わたしたちにはそんな習慣しゅうかんはないし、神かみの諸教しょきょう会かいにもない。

コリント第一11:19 あなたがたの間あいだには、派閥はばつのようなものもきっと出でてくるだろう。それは、本物ほんものと認みとめられる人ひとたちが、あなたがたの中なかではっきりと分わかるようになるためだ。

コリント第一11:21 というのも、食事しょくじのとき、めいめいが自分じぶんの分ぶんを先さきに食たべてしまうからだ。その結果けっか、お腹なかをすかせている人ひとがいる一方いっぽうで、酔よっぱらっている人ひともいる。

コリント第一11:22 食たべたり飲のんだりする家いえが、あなたがたにはないというのか。それとも、神かみの教会きょうかいを見下みくだして、何なんも持もっていない人ひとたちに恥はじをかかせているのか。あなたがたに何なんと言いえばいいのだろう。このことであなたがたをほめればいいのか。いや、ほめはしない。

コリント第一11:27 だから、ふさわしくないままに主しゅのパンを食たべたり、主しゅの杯さかずきを飲のんだりする人ひとは、主しゅの体からだと血ちを汚けがす罪つみを負おうことになる。

コリント第一11:29 主しゅの体からだをわきまえずに食たべたり飲のんだりする人ひとは、自分じぶん自身じしんにさばきを招まねくことになるのだ。

コリント第一11:30 そのために、あなたがたの中なかには体からだの弱よわい人ひとや病気びょうきの人ひとが多おおく、亡なくなった人ひとも少すくなくない。

コリント第一11:34 空腹くうふくの人ひとは、家いえで食たべなさい。あなたがたが集あつまって、それがさばきを招まねくことにならないためだ。そのほかのことは、わたしがそちらに行いったときに、きちんと整ととのえよう。

コリント第一12:3 だから、はっきり言いっておきたい。神かみの霊れいによって語かたる人ひとはだれも「イエスはのろわれよ」とは言いわない。そして、聖霊せいれいによらなければ、だれも「イエスは主しゅです」と言いうことはできない。

コリント第一12:6 働はたらきにもいろいろな種類しゅるいがある。でも、すべての人ひとの中なかですべてを行おこなう神かみは同おなじ方かただ。

コリント第一12:8 ある人ひとには霊れいによって知恵ちえの言葉ことばが与あたえられ、ほかの人ひとには同おなじ霊れいによって知識ちしきの言葉ことばが与あたえられる。

コリント第一12:9 また、ある人ひとには同おなじ霊れいによって信仰しんこうが、ほかの人ひとには同おなじ一ひとつの霊れいによって病気びょうきをいやす賜物たまものが与あたえられる。

コリント第一12:10 ある人ひとには奇跡きせきを行おこなう力ちからが、ある人ひとには預言よげんが、ある人ひとには霊れいを見分みわける力ちからが、ある人ひとにはいろいろな種類しゅるいの異言いげんが、ある人ひとにはその異言いげんを解とき明あかす力ちからが与あたえられる。

コリント第一12:11 これらはすべて、同おなじ一ひとつの霊れいの働はたらきだ。霊れいはそれぞれの人ひとに、思おもいのままに賜物たまものを分わけ与あたえる。

コリント第一12:13 わたしたちはみな、一ひとつの霊れいによってバプテスマを受うけ、一ひとつの体からだとなった。ユダヤ人じんもギリシア人じんも、奴隷どれいも自由じゆうな人ひとも、みな一ひとつの霊れいを飲のませてもらったのだ。

コリント第一12:28 神かみは教会きょうかいの中なかに、いろいろな役割やくわりを置おいてくださった。まず使徒しと、次つぎに預言よげん者しゃ、三さん番ばん目めに教師きょうし。それから奇跡きせきを行おこなう力ちから、病気びょうきを治なおす賜物たまもの、人ひとを助たすける働はたらき、まとめて導みちびく働はたらき、さまざまな種類しゅるいの言葉ことばを語かたる力ちからだ。

コリント第一13:1 たとえわたしが人ひとの言葉ことば、さらには天使てんしの言葉ことばを話はなせたとしても、愛あいがなければ、わたしはただうるさく鳴なる銅鑼どらや、やかましく響ひびくシンバルにすぎない。

コリント第一13:3 たとえ全ぜん財産ざいさんを人ひとに分わけ与あたえ、自分じぶんの体からださえ焼やかれるために差さし出だしたとしても、愛あいがなければ、わたしには何なんの得とくにもならない。

コリント第一14:2 異言いげんを話はなす人ひとは、人ひとに向むかって話はなしているのではなく、神かみに向むかって話はなしている。だれにも理解りかいできないのに、霊れいによって神秘しんぴを語かたっているからだ。

コリント第一14:3 でも、預言よげんする人ひとは、人ひとに向むかって話はなし、その人ひとを成長せいちょうさせ、励はげまし、慰なぐさめる。

コリント第一14:4 異言いげんを話はなす人ひとは自分じぶん自身じしんを成長せいちょうさせるが、預言よげんする人ひとは教会きょうかいを成長せいちょうさせる。

コリント第一14:5 わたしはあなたがた全員ぜんいんに異言いげんを話はなしてほしいと思おもっている。でも、それ以上いじょうに、預言よげんできるようになってほしい。異言いげんを話はなす人ひとがそれを説とき明あかして教会きょうかいを成長せいちょうさせるのでなければ、預言よげんする人ひとのほうが、異言いげんを話はなす人ひとよりまさっている。

コリント第一14:11 だから、もしわたしがその言葉ことばの意味いみを知しらなければ、話はなしている人ひとにとってわたしは外国がいこく人にんになり、話はなしている人ひともわたしにとって外国がいこく人にんになる。

コリント第一14:13 だから、異言いげんを話はなす人ひとは、それを説とき明あかせるように祈いのりなさい。

コリント第一14:16 もしあなたが霊れいだけで神かみをたたえても、その内容ないようがわからない人ひとは、あなたの感謝かんしゃに対たいしてどうやって「アーメン」と言いえるだろう。あなたが何なんを言いっているのか、その人ひとにはわからないのだから。

コリント第一14:17 あなたの感謝かんしゃはりっぱでも、もう一人ひとりの人ひとは成長せいちょうできない。

コリント第一14:19 でも、教会きょうかいの集あつまりでは、わたしは異言いげんで一いち万まんの言葉ことばを話はなすよりも、自分じぶんの理解りかいで五いつつの言葉ことばを話はなしたい。ほかの人ひとたちにも教おしえてあげられるからだ。

コリント第一14:22 だから異言いげんは、信しんじている人ひとたちのためではなく、信しんじていない人ひとたちのためのしるしだ。一方いっぽう、預言よげんは、信しんじていない人ひとたちのためではなく、信しんじている人ひとたちのためのものだ。

コリント第一14:23 だから、もし教会きょうかい全体ぜんたいが一ひとつの場所ばしょに集あつまって、みんなが異言いげんで話はなしていたら、そこに何なんも知しらない人ひとや信しんじていない人ひとが入はいってきたとき、彼かれらは「あなたたちは気きが変へんになっている」と言いうのではないだろうか。

コリント第一14:24 でも、もしみんなが預言よげんしていたら、そこに信しんじていない人ひとや何なんも知しらない人ひとが入はいってきたとき、その人ひとはみんなの言葉ことばによって自分じぶんの罪つみを示しめされ、みんなの言葉ことばによって問とわれることになる。

コリント第一14:25 その人ひとの心こころの隠かくれた思おもいがあらわになる。そして、その人ひとはひれ伏ふして神かみを礼拝れいはいし、「本当ほんとうに、神かみはあなたたちの中なかにおられる」と告白こくはくするのだ。

コリント第一14:26 では、兄弟きょうだい姉妹しまい、どうすればいいのだろう。あなたがたが集あつまるとき、ある人ひとは賛美さんびの歌うたを、ある人ひとは教おしえを、ある人ひとは神かみからの示ししめしを、ある人ひとは異言いげんを、ある人ひとはその解とき明あかしを持もっている。そのすべてを、たがいの成長せいちょうのために用もちいなさい。

コリント第一14:27 異言いげんを話はなす人ひとがいるなら、二人ふたりか、多おおくても三さん人にんで、順番じゅんばんに話はなしなさい。そして、だれか一人ひとりがそれを解とき明あかしなさい。

コリント第一14:28 でも、解とき明あかす人ひとがいないなら、その人ひとは教会きょうかいの中なかでは黙だまっていなさい。そして、自分じぶん自身じしんと神かみに向むかって話はなしなさい。

コリント第一14:29 預言よげんする人ひとは、二人ふたりか三さん人にんが話はなし、ほかの人ひとたちはその内容ないようを見みきわめなさい。

コリント第一14:30 もし、座すわっているほかの人ひとに神かみからの示ししめしが与あたえられたら、最初さいしょに話はなしていた人ひとは黙だまりなさい。

コリント第一14:32 預言よげんする人ひとの霊れいは、その預言よげんする人ひと自身じしんがちゃんとコントロールできるものだ。

コリント第一14:33 神かみは混乱こんらんの神かみではなく、平和へいわの神かみだからだ。聖せいなる人ひとたちのすべての教会きょうかいでそうであるように。

コリント第一14:37 自分じぶんは預言よげん者しゃだ、あるいは霊れいの人ひとだと思おもう人ひとがいるなら、わたしがあなたがたに書かいていることは主しゅの命令めいれいだと、はっきり認みとめなさい。

コリント第一14:38 もしそれを認みとめない人ひとがいるなら、その人ひと自身じしんも認みとめられない。

コリント第一15:12 ところで、キリストが死者ししゃの中なかからよみがえらされたと宣のべ伝つたえられているのに、あなたがたの中なかのある人ひとたちは、どうして「死者ししゃの復活ふっかつなどない」と言いうのか。

コリント第一15:18 そればかりか、キリストを信しんじて眠ねむりについた人ひとたちも、滅ほろびてしまったことになる。

コリント第一15:19 もしわたしたちがこの世よの命いのちだけのためにキリストに望のぞみをかけているのなら、わたしたちはすべての人ひとの中なかで最ももっともあわれな者ものだ。

コリント第一15:20 しかし今いま、キリストは確たしかに死者ししゃの中なかからよみがえらされた。眠ねむりについた人ひとたちの中なかで、最初さいしょの実みとして。

コリント第一15:21 というのも、一人ひとりの人ひとによって死しが来きたように、一人ひとりの人ひとによって死者ししゃの復活ふっかつも来きたからだ。

コリント第一15:22 アダムにあってすべての人ひとが死しぬように、キリストにあってすべての人ひとが生いかされることになる。

コリント第一15:23 ただし、それぞれ順序じゅんじょがある。最初さいしょの実みであるキリスト、次つぎに、キリストが来こられるときに、キリストに属ぞくする人ひとたちだ。

コリント第一15:29 もしそうでないなら、死しんだ人ひとたちのためにバプテスマを受うける人ひとは、どうなるのだろう。死者ししゃがまったく復活ふっかつしないのなら、なぜその人ひとたちのためにバプテスマを受うけるのか。

コリント第一15:34 正気しょうきに戻もどり、正ただしく生いきなさい。もう罪つみを犯おかしてはいけない。あなたがたの中なかには、神かみを知しらない人ひとがいる。恥はずかしいことだが、あえてこう言ゆう。

コリント第一15:35 でも、こう言いう人ひとがいるだろう。「死者ししゃはどのようにして復活ふっかつするのか。どんな体からだで来くるのか」と。

コリント第一15:36 愚おろかな人ひとだ。あなたが蒔まくものは、死しななければ生いき返かえらない。

コリント第一15:45 こう書かいてあるとおりだ。「最初さいしょの人ひとアダムは、生いきるものとなった。」その最後さいごのアダムは、命いのちを与あたえる霊れいとなった。

コリント第一15:47 最初さいしょの人ひとは地ちの土つちから造つくられた者もの。二に番ばん目めの人ひとは天てんから来きた者ものだ。

コリント第一15:48 土つちから造つくられた者ものと同おなじように、地ちに属ぞくする人ひとたちもそうだ。そして天てんから来きた者ものと同おなじように、天てんに属ぞくする人ひとたちもそうなる。

コリント第一15:52 それは一瞬いっしゅんのうち、まばたきする間あいだに起おこる。最後さいごのラッパが鳴なるときのことだ。ラッパが鳴なり響ひびくと、死しんだ人ひとたちは朽くちない者ものとしてよみがえり、わたしたちも変かえられる。

コリント第一16:3 わたしがそちらに着ついたら、あなたたちが認みとめた人ひとたちに紹介しょうかい状じょうを持もたせ、あなたたちの贈おくり物ものをエルサレムに届とどけさせよう。

コリント第一16:4 わたし自身じしんも行おこなったほうがよければ、その人ひとたちはわたしと一緒いっしょに行いくことになる。

コリント第一16:15 兄弟きょうだい姉妹しまいよ、お願ねがいがある。あなたたちも知しっているとおり、ステファナの家いえの人ひとたちはアカイアで最初さいしょに信しんじた人ひとたちで、神かみの民たみに仕つかえることに自分じぶんをささげてきた。

コリント第一16:16 だから、こういう人ひとたちや、一緒いっしょに働はたらき、労ろうしてくれるすべての人ひとに、あなたたちも従したがってほしい。

コリント第一16:17 ステファナとフォルトナトとアカイコが来きてくれて、わたしはうれしい。あなたたちがそばにいてくれない分ぶんを、この人ひとたちが埋うめてくれたのだから。

コリント第一16:18 彼かれらはわたしの心こころを元気げんきづけ、あなたたちの心こころも元気げんきづけてくれた。だから、こういう人ひとたちを大切たいせつにしてほしい。

コリント第一16:22 もし主しゅを愛あいさない者ものがいるなら、その人ひとはのろわれよ。主しゅよ、来きてください。

コリント人への第二の手紙(69か所)

コリント第二1:1 神かみの御み心こころによってキリスト・イエスの使徒しととなったパウロと、兄弟きょうだいテモテから、コリントにある神かみの教会きょうかいへ。そして、アカイア全土ぜんどにいるすべての聖せいなる人ひとたちへ。

コリント第二1:4 神かみは、どんな苦くるしみのときにもわたしたちを励はげましてくださる。だからわたしたちも、あらゆる苦くるしみの中なかにいる人ひとたちを励はげますことができる。神かみご自身じしんから受うけたその励はげましによって、他たの人ひとを励はげませるのだ。

コリント第二1:11 あなたがたも祈いのりによって、わたしたちのために力ちからを合あわせてほしい。そうすれば、多おおくの人ひとの祈いのりに応こたえてわたしたちに与あたえられた恵めぐみのために、多おおくの人ひとがわたしたちのことで感謝かんしゃをささげることになる。

コリント第二1:17 こう計画けいかくしたからといって、わたしが軽かるい気持きもちで動うごいたとでも言いうのだろうか。それとも、この世よの人ひとのように、同おなじ口くちで「はい、はい」と言いいいながら「いいえ、いいえ」と言いうような、いい加減かげんな計画けいかくを立たてたとでも言いうのだろうか。

コリント第二2:5 もし誰だれかが悲かなしみをもたらしたのなら、その人ひとはわたしを悲かなしませたのではなく、ある意味いみであなたたち全員ぜんいんを悲かなしませたのだ。言いいい過すぎにならないように、こう言いっておく。

コリント第二2:6 そういう人ひとには、多おおくの人ひとから受うけたあの罰ばつで、もう十分じゅうぶんだ。

コリント第二2:7 だから今いまは逆ぎゃくに、その人ひとを赦ゆるし、励はげましてあげるべきだ。深ふかすぎる悲かなしみに、その人ひとがのみ込こまれてしまわないようにだ。

コリント第二2:8 だからお願ねがいする。その人ひとへの愛あいを、はっきり示ししめしてあげてほしい。

コリント第二2:9 わたしがあの手紙てがみを書かいたのは、あなたたちがどんなことにも従したがってくれる人ひとかどうか、その本気ほんきを確たしかめたかったからでもある。

コリント第二2:13 でも、わたしの心こころは落おち着つかなかった。兄弟きょうだいテトスに会あえなかったからだ。それで、その人ひとたちに別わかれを告つげて、マケドニアへ向むかった。

コリント第二3:1 わたしたちは、また自分じぶんを売うり込こもうとしているのだろうか。それとも、ある人ひとたちのように、あなたたちへの推薦すいせん状じょうや、あなたたちからの推薦すいせん状じょうが必要ひつようなのだろうか。

コリント第二3:2 あなたたち自身じしんが、わたしたちの推薦すいせん状じょうだ。それはわたしたちの心こころに書かかかれていて、すべての人ひとに知しられ、読よまれている。

コリント第二3:3 あなたたちが、わたしたちの働はたらきから生うまれたキリストの手紙てがみであることは、はっきりしている。この手紙てがみは、インクではなく、生いきた神かみの霊れいによって書かかかれた。石いしの板いたではなく、人ひとの心こころという板いたに書かかかれたのだ。

コリント第二3:6 その神かみが、わたしたちを新あたらしい契約けいやくに仕つかえる者ものとしてふさわしくしてくださった。それは文字もじによるものではなく、霊れいによるものだ。文字もじは人ひとを殺ころすが、霊れいは命いのちを与あたえるからだ。

コリント第二3:7 さて、人ひとを死しに導みちびくこの務つとめは、石いしに文字もじで刻きざまれたものだった。それでも栄光えいこうに包つつまれて始はじまり、イスラエルの人々ひとびとはモーセの顔かおを見みつめることができなかった。その顔かおが、やがて消きえていく栄光えいこうで輝かがやいていたからだ。

コリント第二3:9 人ひとを罪つみに定さだめる務つとめにさえ栄光えいこうがあったのなら、人ひとを義ぎとする務つとめは、はるかに大おおきな栄光えいこうにあふれているはずだ。

コリント第二4:2 むしろ、恥はずべき隠かくれた行おこないを、わたしたちはきっぱり捨すてた。ずる賢がしこくふるまったりせず、神かみの言葉ことばをねじ曲まげたりもしない。ただ真理しんりをありのままに示しめすことで、神かみの前まえで、すべての人ひとの良心りょうしんに対たいして自分じぶん自身じしんを証あかしするのだ。

コリント第二4:3 でも、もしわたしたちの伝つたえる良よい知しらせにおおいがかかっているとしたら、それは滅ほろびに向むかっている人ひとたちにとっておおわれているのだ。

コリント第二4:4 この世よを支配しはいする神かみが、信しんじない人ひとたちの心こころを見みえなくしてしまった。だから彼かれらは、キリストの栄光えいこうを伝つたえる良よい知しらせの光ひかりを、見みることができない。そのキリストこそ、神かみの姿すがたそのものなのだ。

コリント第二4:15 すべては、あなたがたのためだ。恵めぐみがより多おおくの人ひとに広ひろがり、感謝かんしゃがあふれて、神かみの栄光えいこうとなるためなのだ。

コリント第二4:16 だから、わたしたちは落胆らくたんしない。たとえ外側そとがわの人ひとが衰おとろえていっても、内側うちがわの人ひとは日ひごとに新あたらしくされている。

コリント第二5:1 わたしたちは知しっている。地上ちじょうにあるこの住すまい、つまり仮かりのテントのようなこの体からだが壊こわされても、神かみが備そなえてくださった建物たてものが、わたしたちにはある。それは人ひとの手てによらない、天てんにある永遠えいえんの住すまいだ。

コリント第二5:12 これは、また自分じぶんを売うり込こもうとしているのではない。むしろ、わたしたちのことを誇ほこれるきっかけを、あなたがたに与あたえているのだ。心こころではなく見みかけを誇ほこる人ひとたちに、あなたがたが答こたえられるようにするためだ。

コリント第二5:14 というのも、キリストの愛あいがわたしたちを突つき動うごかしているからだ。わたしたちはこう確信かくしんしている。一人ひとりの方かたがすべての人ひとのために死しんでくださった。だから、すべての人ひとが死しんだのだ。

コリント第二5:15 その方かたがすべての人ひとのために死しんでくださったのは、生いきている人ひとたちが、もはや自分じぶんのためではなく、自分じぶんたちのために死しんでよみがえってくださった方かたのために生いきるようになるためだ。

コリント第二5:17 だから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人ひとは新あたらしく造つくられた者ものだ。古ふるいものは過すぎ去さり、見みよ、すべてが新あたらしくなったのだ。

コリント第二6:3 わたしたちは、この働はたらきが非難ひなんされないように、どんなことでも人ひとのつまずきになるようなことはしない。

コリント第二6:8 栄光えいこうのときも、辱はずかしめのときも、悪わるく言いわれるときも、よく言いわれるときも、変かわらない。わたしたちは人ひとをだます者もののように見みられても、真実しんじつな者ものであり、

コリント第二6:10 悲かなしんでいるようでいて、いつも喜よろこんでいる。貧まずしいようでいて、多おおくの人ひとを豊ゆたかにする。何なんも持もっていないようでいて、すべてを持もっている。

コリント第二6:11 コリントの人ひとたち、わたしたちはあなたがたに向むかって口くちを開ひらき、包つつみ隠かくさず語かたってきた。心こころも広ひろく開ひらいている。

コリント第二6:14 信しんじていない人ひとたちと、つり合あわないくびきを共ともに負おってはいけない。義ぎと不法ふほうに、どんな関かかわりがあるだろう。光ひかりと闇やみに、どんな交まじわりがあるだろう。

コリント第二6:15 キリストとベリアルに、どんな調和ちょうわがあるだろう。信しんじる人ひとと信しんじない人ひとに、分わけ合あえるものなど何なんがあるだろう。

コリント第二7:1 愛あいする人ひとたち。わたしたちにはこれらの約束やくそくが与あたえられている。だから、体からだと心こころを汚けがすものすべてから自分じぶんをきよめ、神かみを畏おそれながら、聖せいなる生いき方かたを完成かんせいさせていこう。

コリント第二7:12 だから、わたしがあなたがたに手紙てがみを書かいたのは、不当ふとうなことをした人ひとのためでも、それをされた人ひとのためでもない。あなたがたがわたしたちのことをどれほど真剣しんけんに思おもっているか、それが神かみの前まえではっきりと示しめされるためだった。

コリント第二8:8 これは命令めいれいとして言いっているのではない。ほかの人ひとたちの熱心ねっしんさを引ひき合あいに出だして、あなたがたの愛あいが本物ほんものかどうかを確たしかめたいのだ。

コリント第二8:12 進すすんでする気持きもちさえあれば、その人ひとが持もっているものに応おうじて受うけ入いれられる。持もっていないものが求もとめられるわけではない。

コリント第二8:13 ほかの人ひとが楽らくをして、あなたがたが苦くるしむようにということではない。公平こうへいになるためだ。

コリント第二8:18 わたしたちは、彼かれといっしょにひとりの兄弟きょうだいを送おくった。この人ひとは、福音ふくいんのことですべての教会きょうかいから高たかく評価ひょうかされている。

コリント第二8:19 それだけではない。この人ひとは、わたしたちがこの恵めぐみの働はたらきを進すすめるとき、旅たびをともにする者ものとして諸教しょきょう会かいから選えらばれたのだ。この奉仕ほうしは、主しゅご自身じしんの栄光えいこうのためであり、わたしたちの熱意ねついを示しめすためでもある。

コリント第二8:21 主しゅの前まえだけでなく、人ひとの前まえでも正ただしくあろうと心こころがけているからだ。

コリント第二8:22 わたしたちは、もうひとりの兄弟きょうだいも彼かれらといっしょに送おくった。この人ひとは、いろいろな場面ばめんで何なん度ども熱心ねっしんさを確たしかめてきた人ひとだ。しかも今いまは、あなたがたを深ふかく信頼しんらいしているので、ますます熱心ねっしんになっている。

コリント第二9:2 あなたがたの熱意ねついは、よく知しっている。わたしはそれをマケドニアの人ひとたちに誇ほこって、「アカイアの人ひとたちは去年きょねんから準備じゅんびができている」と話はなしてきた。あなたがたの熱心ねっしんさは、多おおくの人ひとを奮い立たふるいたたせたのだ。

コリント第二9:4 もしマケドニアの人ひとたちがわたしといっしょに行いって、あなたがたの準備じゅんびができていないのを見みたら、こんなに信頼しんらいしていたのに、わたしたちは恥はじをかくことになる。いや、あなたがたこそ恥はじをかくことになるだろう。

コリント第二9:6 覚おぼえておいてほしい。わずかしか種たねをまかない人ひとは、わずかしか刈かり取とれない。たっぷり種たねをまく人ひとは、たっぷり刈かり取とることができるのだ。

コリント第二9:7 一人ひとりひとりひとりが、心こころで決きめたとおりに出だせばいい。しぶしぶでもなく、仕方しかたなくでもなく。神かみは、よろこんで与あたえる人ひとを愛あいしてくださるからだ。

コリント第二9:9 こう書かいてあるとおりだ。「その人ひとは惜おしみなく分わけ与あたえ、貧まずしい人ひとたちに施ほどこした。その義ぎはいつまでも変かわらずに続つづく。」

コリント第二9:10 種たねをまく人ひとに種たねを与あたえ、食たべるためのパンを与あたえてくださる神かみは、あなたがたにも種たねをたっぷり与あたえ、それを増ふやし、あなたがたの義ぎが実みのらせる収穫しゅうかくを豊ゆたかにしてくださる。

コリント第二9:12 この奉仕ほうしの働はたらきは、神かみの民たみの足たりないものを満みたすだけではない。多おおくの人ひとがあふれるほど神かみに感謝かんしゃをささげることにもつながっていく。

コリント第二9:13 この奉仕ほうしによってあなたがたの真実しんじつが証あかしされ、人々ひとびとは神かみをたたえるだろう。あなたがたがキリストの福音ふくいんを告白こくはくし、それに従したがっていること、そして彼かれらにも、すべての人ひとにも惜おしみなく分わけ合あっていることを見みて、神かみをあがめるのだ。

コリント第二10:2 お願ねがいだから、そちらに行いったときに、強気つよきに出でなくてすむようにしてほしい。わたしたちを、この世よのやり方かたで生いきている者ものだと決きめつける一部いちぶの人ひとたちには、思おもいきって強つよく出でるつもりでいるのだから。

コリント第二10:7 あなたがたは、うわべだけを見みている。自分じぶんはキリストのものだと確信かくしんしている人ひとがいるなら、その人ひとはもう一いち度ど考かんがえてほしい。その人ひとがキリストのものであるように、わたしたちもまた、キリストのものなのだ。

コリント第二10:10 というのも、こう言いう人ひとがいるからだ。「彼かれの手紙てがみは重々おもおもしくて力強ちからづよいが、実際じっさいに会あってみると弱々よわよわしく、話はなしもたいしたことがない。」

コリント第二10:11 そういう人ひとは、こう考かんがえるべきだ。離はなれているとき手紙てがみの言葉ことばで示しめすわたしたちの姿すがたと、そちらに行いったときの行動こうどうとは、まったく同おなじなのだ。

コリント第二10:12 わたしたちは、自分じぶんを売うり込こむ人ひとたちの仲間なかまに入はいったり、自分じぶんを彼かれらと比くらべたりする気きはない。彼かれらは、自分じぶんで自分じぶんをものさしにして測はかり、自分じぶんどうしを比くらべ合あっている。それでは、何なんもわかっていないというものだ。

コリント第二10:15 だから、他たの人ひとが苦労くろうした働はたらきを、自分じぶんの手柄てがらのように限度げんどを超こえて自慢じまんしたりはしない。むしろ、あなたがたの信仰しんこうが成長せいちょうするにつれて、わたしたちの活動かつどうの範囲はんいもあなたがたの間あいだで大おおきく広ひろがっていくことを願ねがっている。

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