「見える」(みえる)が出てくる聖書の箇所

「見える」(みえる)は口語訳の141か所(旧約61・新約80)に出てきます。「まみえる」「みえる」も含みます。日常訳第1版では284か所。

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創世記(2か所)

創世記27:1 イサクは年老としおい、目めがかすんで見みえなくなった時とき、長子ちょうしエサウを呼よんで言いった、「子こよ」。彼かれは答こたえて言いった、「ここにおります」。

創世記48:10 イスラエルの目めは老齢ろうれいのゆえに、かすんで見みえなかったが、ヨセフが彼かれらを父ちちの所ところに近寄ちかよらせたので、父ちちは彼かれらに口くちづけし、彼かれらを抱いいだいた。

出エジプト記(2か所)

出エジプト11:3 主しゅは民みんにエジプトびとの好意こういを得えさせられた。またモーセその人ひとは、エジプトの国くにで、パロの家来けらいたちの目めと民たみの目めとに、はなはだ大おおいなるものと見みえた。

出エジプト24:17 主しゅの栄光えいこうは山やまの頂いただきで、燃もえる火ひのようにイスラエルの人々ひとびとの目めに見みえたが、

レビ記(11か所)

レビ記13:3 祭司さいしはその身みの皮かわの患部かんぶを見み、その患部かんぶの毛けがもし白しろく変かわり、かつ患部かんぶが、その身みの皮かわよりも深ふかく見みえるならば、それはらい病びょうの患部かんぶである。祭司さいしは彼かれを見みて、これを汚よごれた者ものとしなければならない。

レビ記13:4 もしまたその身みの皮かわの光ひかる所ところが白しろくて、皮かわよりも深ふかく見みえず、また毛けも白しろく変かわっていないならば、祭司さいしはその患者かんじゃを七しち日にちのあいだ留とめ置おかなければならない。

レビ記13:10 祭司さいしがこれを見みて、その皮かわに白しろい腫しゅがあり、その毛けも白しろく変かわり、かつその腫しゅに生いきた生肉せいにくが見みえるならば、

レビ記13:20 祭司さいしはこれを見みて、もし皮かわよりも低ひく見みえ、その毛けが白しろく変かわっていれば、祭司さいしはその人ひとを汚よごれた者ものとしなければならない。それは腫物しゅもつに起おこったらい病びょうの患部かんぶだからである。

レビ記13:25 祭司さいしはこれを見みなければならない。そしてもし、その光ひかる所ところにある毛けが白しろく変かわって、そこが皮かわよりも深ふかく見みえるならば、これはやけどに生しょうじたらい病びょうである。祭司さいしはその人ひとを汚よごれた者ものとしなければならない。これはらい病びょうの患部かんぶだからである。

レビ記13:30 祭司さいしはその患部かんぶを見みなければならない。もしそれが皮かわよりも深ふかく見みえ、またそこに黄色きいろの細ほそい毛けがあるならば、祭司さいしはその人ひとを汚よごれた者ものとしなければならない。それはかいせんであって、頭あたままたはあごのらい病びょうだからである。

レビ記13:31 また祭司さいしがそのかいせんの患部かんぶを見みて、もしそれが皮かわよりも深ふかく見みえず、またそこに黒くろい毛けがないならば、祭司さいしはそのかいせんの患者かんじゃを七しち日にちのあいだ留とめ置おき、

レビ記13:32 七なな日か目めに祭司さいしはその患部かんぶを見みなければならない。そのかいせんがもし広ひろがらず、またそこに黄色きいろの毛けがなく、そのかいせんが皮かわよりも深ふかく見みえないならば、

レビ記13:34 七なな日か目めに祭司さいしはそのかいせんを見みなければならない。もしそのかいせんが皮かわに広ひろがらず、またそれが皮かわよりも深ふかく見みえないならば、祭司さいしはその人ひとを清きよい者ものとしなければならない。その人ひとはまたその衣服いふくを洗あらわなければならない。そして清きよくなるであろう。

レビ記14:37 その患部かんぶを見みて、もしその患部かんぶが家いえの壁かべにあって、青あおまたは赤あかのくぼみをもち、それが壁かべよりも低ひく見みえるならば、

レビ記26:16 わたしはあなたがたにこのようにするであろう。すなわち、あなたがたの上うえに恐怖きょうふを臨のぞませ、肺病はいびょうと熱病ねつびょうをもって、あなたがたの目めを見みえなくし、命いのちをやせ衰おとろえさせるであろう。あなたがたが種たねをまいてもむだである。敵てきがそれを食たべるであろう。

民数記(3か所)

民数記9:15 幕屋まくやを建たてた日ひに、雲くもは幕屋まくやをおおった。すれはすなわち、あかしの幕屋まくやであって、夕ゆうには、幕屋まくやの上うえに、雲くもは火ひのように見みえて、朝あさにまで及およんだ。

民数記9:16 常つねにそうであって、昼ひるは雲くもがそれをおおい、夜よるは火ひのように見みえた。

民数記13:33 わたしたちはまたそこで、ネピリムから出でたアナクの子孫しそんネピリムを見みました。わたしたちには自分じぶんが、いなごのように思おもわれ、また彼かれらにも、そう見みえたに違ちがいありません」。

申命記(1か所)

申命記28:28 また主しゅはあなたを撃うって気きを狂くるわせ、目めを見みえなくし、心こころを混乱こんらんさせられるであろう。

ヨシュア記(1か所)

ヨシュア記22:10 ルベンの子孫しそん、ガドの子孫しそん、およびマナセの部族ぶぞくの半なかばが、カナンの地ちのヨルダンのほとりにきた時とき、その所ところで、ヨルダンの岸きしべに一ひとつの祭壇さいだんを築きずいた。それは大おおきくて遠とおくから見みえる祭壇さいだんであった。

士師記(2か所)

士師記6:21 すると主しゅの使つかいが手てにもっていたつえの先さきを出だして、肉にくと種しゅ入いれぬパンに触ふれると、岩いわから火ひが燃もえあがって、肉にくと種しゅ入いれぬパンとを焼やきつくした。そして主しゅの使つかいは去さって見みえなくなった。

士師記8:18 そしてギデオンはゼバとザルムンナに言いった、「あなたがたがタボルで殺ころしたのは、どんな人々ひとびとであったか」。彼かれらは答こたえた、「彼かれらはあなたに似にてみな王子おうじのように見みえました」。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一28:13 王おうは彼女かのじょに言いった、「恐おそれることはない。あなたには何なんが見みえるのですか」。女おんなはサウルに言いった、「神かみのようなかたが地ちからのぼられるのが見みえます」。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二13:34 アブサロムはのがれた。時じに見張みはりをしていた若者わかものが目めをあげて見みると、山やまのかたわらのホロナイムの道みちから多おおくの民たみの来くるのが見みえた。

列王紀上(2か所)

列王紀上6:18 宮みやの内側うちがわの香こう柏かしわの板いたは、ひさごの形かたちと、咲さいた花はなを浮彫うきぼりにしたもので、みな香こう柏かしわの板いたで、石いしは見みえなかった。

列王紀上8:8 さおは長ながかったので、さおの端はしが本殿ほんでんの前まえの聖せい所しょから見みえた。しかし外そとには見みえなかった。そのさおは今日きょうまでそこにある。

列王紀下(4か所)

列王紀下7:10 そこで彼かれらは来きて、町まちの門もんを守まもる者ものを呼よんで言いった、「わたしたちがスリヤびとの陣営じんえいに行いって見みると、そこにはだれの姿すがたも見みえず、また人声ひとごえもなく、ただ、馬うまとろばがつないであり、天幕てんまくはそのままでした」。

列王紀下9:17 さてエズレルのやぐらに、ひとりの物見ものみが立たっていたが、エヒウの群衆ぐんしゅうが来くるのを見みて、「群衆ぐんしゅうが見みえる」と言いったので、ヨラムは言いった、「ひとりを馬うまに乗のせてつかわし、それに会あわせて『平安へいあんですか』と言いわせなさい」。

列王紀下12:5 これを祭司さいしたちがおのおのその知しる人ひとから受うけ取とり、どこでも主しゅの宮みやに破やぶれの見みえる時ときは、それをもってその破やぶれを繕つくろわなければならない」。

列王紀下23:17 その時ときヨシヤは「あそこに見みえる石碑せきひは何なんか」と尋たずねた。町まちの人々ひとびとが彼かれに「あれはあなたがベテルの祭壇さいだんに対たいして行おこなわれたこれらの事ことを、ユダからきて預言よげんした神かみの人ひとの墓はかです」と言いったので、

歴代志下(2か所)

歴代志下5:9 さおは長ながかったので、さおの端はしが本殿ほんでんの前まえの聖せい所しょから見みえた。しかし外部がいぶには見みえなかった。さおは今日きょうまでそこにある。

歴代志下14:2 アサはその神かみ、主しゅの目めに良よしと見みえ、また正ただしと見みえることを行おこなった。

エステル記(1か所)

エステル記8:5 そして言いった、「もし王おうがよしとされ、わたしが王おうの前まえに恵めぐみを得え、またこの事ことが王おうの前まえに正ただしいと見みえ、かつわたしが王おうの目めにかなうならば、アガグびとハンメダタの子こハマンが王おうの諸州しょしゅうにいるユダヤ人にんを滅ほろぼそうとはかって書かき送おくった書しょを取とり消けす旨むねを書かかかせてください。

ヨブ記(2か所)

ヨブ記18:3 なぜ、われわれは獣けもののように思おもわれるのか。なぜ、あなたの目めに愚おろかな者ものと見みえるのか。

ヨブ記33:21 その肉にくはやせ落おちて見みえず、その骨ほねは見みえなかったものまでもあらわになり、

詩篇(2か所)

詩篇69:23 彼かれらの目めを暗くくらくして見みえなくし、彼かれらの腰こしを常つねに震ふるわせ、

詩篇84:7 彼かれらは力ちからから力ちからに進すすみ、シオンにおいて神々かみがみの神かみにまみえるでしょう。

箴言(4か所)

箴言12:15 愚おろかな人ひとの道みちは、自分じぶんの目めに正ただしく見みえる、しかし知恵ちえある者ものは勧すすめをいれる。

箴言16:2 人ひとの道みちは自分じぶんの目めにことごとく潔いさぎよしと見みえる、しかし主しゅは人ひとの魂たましいをはかられる。

箴言18:17 先さきに訴うったえ出でる者ものは正ただしいように見みえる、しかしその訴うったえられた人ひとが来きて、それを調しらべて、事ことは明あきらかになる。

箴言21:2 人ひとの道みちは自分じぶんの目めには正ただしく見みえる、しかし主しゅは人ひとの心こころをはかられる。 人ひとの道みちは自分じぶんの目めには正ただしく見みえる、しかし主しゅは人ひとの心こころをはかられる。

伝道の書(1か所)

伝道の書2:17 そこで、わたしは生いきることをいとった。日ひの下したに行おこなわれるわざは、わたしに悪あしく見みえたからである。皆空かいくうであって、風かぜを捕とらえるようである。

雅歌(1か所)

雅歌6:10 「このしののめのように見みえ、月つきのように美うつくしく、太陽たいようのように輝かがやき、恐おそるべき事こと、旗はたを立たてた軍勢ぐんぜいのような者ものはだれか」。

イザヤ書(2か所)

イザヤ書1:12 あなたがたは、わたしにまみえようとして来くるが、だれが、わたしの庭にわを踏ふみ荒あらすことを求もとめたか。

イザヤ書30:29 あなたがたは、聖せいなる祭まつりを守まもる夜よるのように歌うたをうたう。また笛ふえをならして主しゅの山やまにきたり、イスラエルの岩いわなる主しゅにまみえる時ときのように心こころに喜よろこぶ。

エレミヤ書(5か所)

エレミヤ書5:21 「愚おろかで、悟さとりもなく、目めがあっても見みえず、耳みみがあっても聞きこえない民たみよ、これを聞きけ。

エレミヤ書7:11 わたしの名なをもって、となえられるこの家いえが、あなたがたの目めには盗賊とうぞくの巣すと見みえるのか。わたし自身じしん、そう見みたと主しゅは言いわれる。

エレミヤ書18:10 もしその国くにがわたしの目めに悪あくと見みえることを行おこない、わたしの声こえに聞き従わききしたがわないなら、わたしはこれに幸さちを与あたえようとしたことを思おもいかえす。

エレミヤ書26:14 見みよ、わたしはあなたがたの手ての中なかにある。あなたがたの目めに、良よいと見みえ、正ただしいと思おもうことをわたしに行おこなうがよい。

エレミヤ書32:4 またユダの王おうゼデキヤはカルデヤびとの手てをのがれることなく、かならずバビロンの王おうの手てに渡わたされ、顔かおと顔かおを合あわせて彼かれと語かたり、目めと目めは相あいまみえる。

エゼキエル書(5か所)

エゼキエル書1:27 そしてその腰こしとみえる所ところの上うえの方ほうに、火ひの形かたちのような光ひかる青銅せいどうの色いろのものが、これを囲かこんでいるのを見みた。わたしはその腰こしとみえる所ところの下したの方ほうに、火ひのようなものを見みた。そして彼かれのまわりに輝かがやきがあった。

エゼキエル書8:2 わたしは見みていると、見みよ、人ひとのような形かたちがあって、その腰こしとみられる所ところから下したは火ひのように見みえ、腰こしから上うえは光ひかる青銅せいどうのように輝かがやいて見みえた。

エゼキエル書10:8 ケルビムはその翼つばさの下したに人ひとの手てのような形かたちのものを持もっているように見みえた。

エゼキエル書19:11 その強つよい幹みきは君きみたる者もののつえとなった。それは茂しげみの中なかに高たかくそびえ、多おおくの枝えだをつけて高たかく見みえた。

エゼキエル書36:34 荒あれた地ちは、行いき来きの人々ひとびとの目めに荒あれ地ちと見みえたのに引ひきかえて耕たがやされる。

ダニエル書(4か所)

ダニエル書4:11 その木きは成長せいちょうして強つよくなり、天てんに達たっするほどの高たかさになって、地ちの果はてまでも見みえわたり、

ダニエル書4:20 あなたが見みられた木き、すなわちその成長せいちょうして強つよくなり、天てんに達たっするほどの高たかさになって、地ちの果はてまでも見みえわたり、

ダニエル書7:20 この獣けものの頭あたまには、十じゅうの角かどがあったが、そのほかに一ひとつの角かどが出でてきたので、この角かどのために、三みっつの角かどが抜ぬけ落おちた。この角かどには目めがあり、また大おおきな事ことを語かたる口くちがあって、その形かたちは、その同類どうるいのものよりも大おおきく見みえた。

ダニエル書8:15 われダニエルはこの幻まぼろしを見みて、その意味いみを知しろうと求もとめていた時とき、見みよ、人ひとのように見みえる者ものが、わたしの前まえに立たった。

ゼカリヤ書(1か所)

ゼカリヤ書11:17 その羊ひつじの群むれを捨すてる愚おろかな牧者ぼくしゃはわざわいだ。どうか、つるぎがその腕うでを撃うち、その右みぎの目めを撃うつように。その腕うでは全まったく衰おとろえ、その右みぎの目めは全まったく見みえなくなるように」。

マラキ書(1か所)

マラキ書2:17 あなたがたは言葉ことばをもって主しゅを煩わずらわした。しかしあなたがたは言いう、「われわれはどんなふうに、彼かれを煩わずらわしたか」。それはあなたがたが「すべて悪わるを行おこなう者ものは主しゅの目めに良よく見みえ、かつ彼かれに喜よろこばれる」と言いいい、また「さばきを行おこなう神かみはどこにあるか」と言ゆうからである。

マタイによる福音書(9か所)

マタイ7:5 偽善ぎぜん者しゃよ、まず自分じぶんの目めから梁はりを取とりのけるがよい。そうすれば、はっきり見みえるようになって、兄弟きょうだいの目めからちりを取とりのけることができるだろう。

マタイ11:5 盲人もうじんは見みえ、足あしなえは歩あるき、らい病びょう人にんはきよまり、耳じしいは聞きこえ、死人しにんは生いきかえり、貧まずしい人々ひとびとは福音ふくいんを聞きかされている。

マタイ12:22 そのとき、人々ひとびとが悪霊あくりょうにつかれた盲人もうじんのおしを連つれてきたので、イエスは彼かれをいやして、物ものを言いいい、また目めが見みえるようにされた。

マタイ15:31 群衆ぐんしゅうは、おしが物ものを言いいい、不具ふぐ者しゃが直なおり、足あしなえが歩あるき、盲人もうじんが見みえるようになったのを見みて驚おどろき、そしてイスラエルの神かみをほめたたえた。

マタイ17:8 彼かれらが目めをあげると、イエスのほかには、だれも見みえなかった。

マタイ20:34 イエスは深ふかくあわれんで、彼かれらの目めにさわられた。すると彼かれらは、たちまち見みえるようになり、イエスに従したがって行いった。

マタイ21:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは、聖書せいしょでまだ読よんだことがないのか、『家造いえづくりらの捨すてた石いしが隅すみのかしら石いしになった。これは主しゅがなされたことで、わたしたちの目めには不思議ふしぎに見みえる』。

マタイ23:27 偽善ぎぜんな律法りっぽう学がく者しゃ、パリサイ人にんたちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白しろく塗ぬった墓はかに似にている。外側そとがわは美うつくしく見みえるが、内側うちがわは死人しにんの骨ほねや、あらゆる不潔ふけつなものでいっぱいである。

マタイ23:28 このようにあなたがたも、外側そとがわは人ひとに正ただしく見みえるが、内側うちがわは偽善ぎぜんと不法ふほうとでいっぱいである。

マルコによる福音書(8か所)

マルコ8:18 目めがあっても見みえないのか。耳みみがあっても聞きこえないのか。まだ思おもい出ださないのか。

マルコ8:23 イエスはこの盲人もうじんの手てをとって、村むらの外そとに連つれ出だし、その両方りょうほうの目めにつばきをつけ、両手りょうてを彼かれに当あてて、「何なんか見みえるか」と尋たずねられた。

マルコ8:24 すると彼かれは顔かおを上あげて言いった、「人ひとが見みえます。木きのように見みえます。歩あるいているようです」。

マルコ8:25 それから、イエスが再ふたたび目めの上うえに両手りょうてを当あてられると、盲人もうじんは見みつめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見みえだした。

マルコ9:8 彼かれらは急いいそいで見みまわしたが、もはやだれも見みえず、ただイエスだけが、自分じぶんたちと一緒いっしょにおられた。

マルコ10:51 イエスは彼かれにむかって言いわれた、「わたしに何なんをしてほしいのか」。その盲人もうじんは言いった、「先生せんせい、見みえるようになることです」。

マルコ10:52 そこでイエスは言いわれた、「行いけ、あなたの信仰しんこうがあなたを救すくった」。すると彼かれは、たちまち見みえるようになり、イエスに従したがって行いった。

マルコ12:11 これは主しゅがなされたことで、わたしたちの目めには不思議ふしぎに見みえる』」。

ルカによる福音書(12か所)

ルカ6:42 自分じぶんの目めにある梁はりは見みないでいて、どうして兄弟きょうだいにむかって、兄弟きょうだいよ、あなたの目めにあるちりを取とらせてください、と言いえようか。偽善ぎぜん者しゃよ、まず自分じぶんの目めから梁はりを取とりのけるがよい、そうすれば、はっきり見みえるようになって、兄弟きょうだいの目めにあるちりを取とりのけることができるだろう。

ルカ7:21 そのとき、イエスはさまざまの病苦びょうくと悪霊あくりょうとに悩なやむ人々ひとびとをいやし、また多おおくの盲人もうじんを見みえるようにしておられたが、

ルカ7:22 答こたえて言いわれた、「行いって、あなたがたが見聞みきしたことを、ヨハネに報告ほうこくしなさい。盲人もうじんは見みえ、足あしなえは歩あるき、らい病びょう人にんはきよまり、耳じしいは聞きこえ、死人しにんは生いきかえり、貧まずしい人々ひとびとは福音ふくいんを聞きかされている。

ルカ8:10 そこで言いわれた、「あなたがたには、神かみの国くにの奥義おうぎを知しることが許ゆるされているが、ほかの人ひとたちには、見みても見みえず、聞きいても悟さとられないために、譬たとえで話はなすのである。

ルカ8:16 だれもあかりをともして、それを何なんかの器うつわでおおいかぶせたり、寝台しんだいの下したに置おいたりはしない。燭台しょくだいの上うえに置おいて、はいって来くる人ひとたちに光ひかりが見みえるようにするのである。

ルカ11:33 だれもあかりをともして、それを穴倉あなぐらの中なかや枡ますの下したに置おくことはしない。むしろはいって来くる人ひとたちに、そのあかりが見みえるように、燭台しょくだいの上うえにおく。

ルカ16:23 そして黄泉こうせんにいて苦くるしみながら、目めをあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見みえた。

ルカ18:41 「わたしに何なんをしてほしいのか」とおたずねになると、「主しゅよ、見みえるようになることです」と答こたえた。

ルカ18:42 そこでイエスは言いわれた、「見みえるようになれ。あなたの信仰しんこうがあなたを救すくった」。

ルカ18:43 すると彼かれは、たちまち見みえるようになった。そして神かみをあがめながらイエスに従したがって行いった。これを見みて、人々ひとびとはみな神かみをさんびした。

ルカ19:41 いよいよ都との近ちかくにきて、それが見みえたとき、そのために泣ないて言いわれた、

ルカ24:31 彼かれらの目めが開あけて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿すがたが見みえなくなった。

ヨハネによる福音書(9か所)

ヨハネ9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。

ヨハネ9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。

ヨハネ9:15 パリサイ人にんたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。

ヨハネ9:18 ユダヤ人にんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、

ヨハネ9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。

ヨハネ9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。

ヨハネ9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人ざいにんであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一ひとつのことだけ知しっています。わたしは盲もうであったが、今いまは見みえるということです」。

ヨハネ9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。

ヨハネ9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言い張るいいはるところに、あなたがたの罪つみがある。

使徒行伝(17か所)

使徒1:9 こう言いいい終おわると、イエスは彼かれらの見みている前まえで天てんに上あげられ、雲くもに迎むかえられて、その姿すがたが見みえなくなった。

使徒6:15 議会ぎかいで席せきについていた人ひとたちは皆みな、ステパノに目めを注そそいだが、彼かれの顔かおは、ちょうど天使てんしの顔かおのように見みえた。

使徒7:55 しかし、彼かれは聖霊せいれいに満みたされて、天てんを見みつめていると、神かみの栄光えいこうが現あらわれ、イエスが神かみの右みぎに立たっておられるのが見みえた。

使徒7:56 そこで、彼かれは「ああ、天てんが開あけて、人ひとの子こが神かみの右みぎに立たっておいでになるのが見みえる」と言いった。

使徒9:7 サウロの同行どうこう者しゃたちは物ものも言いえずに立たっていて、声こえだけは聞きこえたが、だれも見みえなかった。

使徒9:8 サウロは地ちから起おき上あがって目めを開ひらいてみたが、何なんも見みえなかった。そこで人々ひとびとは、彼かれの手てを引ひいてダマスコへ連つれて行いった。

使徒9:9 彼かれは三みっ日間かかん、目めが見みえず、また食たべることも飲のむこともしなかった。

使徒9:12 彼かれはアナニヤという人ひとがはいってきて、手てを自分じぶんの上うえにおいて再ふたたび見みえるようにしてくれるのを、幻まぼろしで見みたのである」。

使徒9:17 そこでアナニヤは、出でかけて行いってその家いえにはいり、手てをサウロの上うえにおいて言いった、「兄弟きょうだいサウロよ、あなたが来くる途中とちゅうで現あらわれた主しゅイエスは、あなたが再ふたたび見みえるようになるため、そして聖霊せいれいに満みたされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。

使徒9:18 するとたちどころに、サウロの目めから、うろこのようなものが落おちて、元もとどおり見みえるようになった。そこで彼かれは立たってバプテスマを受うけ、

使徒13:11 見みよ、主しゅのみ手てがおまえの上うえに及およんでいる。おまえは盲もうになって、当分とうぶん、日ひの光ひかりが見みえなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼かれにかかったため、彼かれは手てさぐりしながら、手てを引ひいてくれる人ひとを捜さがしまわった。

使徒21:3 やがてクプロが見みえてきたが、それを左手ひだりてにして通とおりすぎ、シリヤへ航行こうこうをつづけ、ツロに入港にゅうこうした。ここで積荷つみにが陸上りくあげされることになっていたからである。

使徒22:11 わたしは、光ひかりの輝かがやきで目めがくらみ、何なんも見みえなくなっていたので、連つれの者ものたちに手てを引ひかれながら、ダマスコに行いった。

使徒22:13 わたしのところにきて、そばに立たち、『兄弟きょうだいサウロよ、見みえるようになりなさい』と言いった。するとその瞬間しゅんかんに、わたしの目めが開ひらいて、彼かれの姿すがたが見みえた。

使徒22:18 主しゅにまみえたが、主しゅは言いわれた、『急いいそいで、すぐにエルサレムを出でて行いきなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々ひとびとが受うけいれないから』。

使徒27:20 幾いく日かものあいだ、太陽たいようも星ほしも見みえず、暴風ぼうふうは激はげしく吹ふきすさぶので、わたしたちの助たすかる最後さいごの望のぞみもなくなった。

使徒27:39 夜よるが明あけて、どこの土地とちかよくわからなかったが、砂浜すなはまのある入江いりえが見みえたので、できれば、それに舟ふねを乗のり入いれようということになった。

ローマ人への手紙(4か所)

ローマ1:20 神かみの見みえない性質せいしつ、すなわち、神かみの永遠えいえんの力ちからと神性しんせいとは、天地てんち創造そうぞうこのかた、被ひ造物ぞうぶつにおいて知しられていて、明あきらかに認みとめられるからである。したがって、彼かれらには弁解べんかいの余地よちがない。

ローマ8:24 わたしたちは、この望のぞみによって救すくわれているのである。しかし、目めに見みえる望のぞみは望のぞみではない。なぜなら、現げんに見みている事ことを、どうして、なお望のぞむ人ひとがあろうか。

ローマ11:8 「神かみは、彼かれらに鈍にぶい心こころと、見みえない目めと、聞きこえない耳みみとを与あたえて、きょう、この日ひに及およんでいる」と書かいてあるとおりである。

ローマ11:10 彼かれらの目めは、くらんで見みえなくなれ、彼かれらの背せは、いつまでも曲まがっておれ」。

コリント人への第一の手紙(1か所)

コリント第一12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他ほかよりも弱よわく見みえる肢体したいが、かえって必要ひつようなのであり、

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二4:4 彼かれらの場合ばあい、この世よの神かみが不信ふしんの者ものたちの思おもいをくらませて、神かみのかたちであるキリストの栄光えいこうの福音ふくいんの輝かがやきを、見みえなくしているのである。

コリント第二4:18 わたしたちは、見みえるものにではなく、見みえないものに目めを注そそぐ。見みえるものは一時いちじ的てきであり、見みえないものは永遠えいえんにつづくのである。

コリント第二5:7 わたしたちは、見みえるものによらないで、信仰しんこうによって歩あるいているのである。

コロサイ人への手紙(3か所)

コロサイ1:15 御子みこは、見みえない神かみのかたちであって、すべての造つくられたものに先さきだって生うまれたかたである。

コロサイ1:16 万物ばんぶつは、天てんにあるものも地ちにあるものも、見みえるものも見みえないものも、位くらいも主権しゅけんも、支配しはいも権威けんいも、みな御子みこにあって造つくられたからである。これらいっさいのものは、御子みこによって造つくられ、御子みこのために造つくられたのである。

コロサイ2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝れいはいとわざとらしい謙けんそんと、からだの苦行くぎょうとをともなうので、知恵ちえのあるしわざらしく見みえるが、実じつは、ほしいままな肉欲にくよくを防ふせぐのに、なんの役やくにも立たつものではない。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一1:17 世々せいせいの支配しはい者しゃ、不朽ふきゅうにして見みえざる唯一ゆいいつの神かみに、世々せいせい限かぎりなく、ほまれと栄光えいこうとがあるように、アァメン。

ヘブル人への手紙(4か所)

ヘブル10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見みえになる。遅おそくなることはない。

ヘブル11:3 信仰しんこうによって、わたしたちは、この世界せかいが神かみの言葉ことばで造つくられたのであり、したがって、見みえるものは現あらわれているものから出でてきたのでないことを、悟さとるのである。

ヘブル11:5 信仰しんこうによって、エノクは死しを見みないように天てんに移うつされた。神かみがお移うつしになったので、彼かれは見みえなくなった。彼かれが移うつされる前まえに、神かみに喜よろこばれた者ものと、あかしされていたからである。

ヘブル11:27 信仰しんこうによって、彼かれは王おうの憤いきどおりをも恐おそれず、エジプトを立たち去さった。彼かれは、見みえないかたを見みているようにして、忍しのびとおした。

ヨハネの第一の手紙(2か所)

ヨハネ第一2:11 兄弟きょうだいを憎にくむ者ものは、やみの中なかにおり、やみの中なかを歩あるくのであって、自分じぶんではどこへ行いくのかわからない。やみが彼かれの目めを見みえなくしたからである。

ヨハネ第一4:20 「神かみを愛あいしている」と言いいいながら兄弟きょうだいを憎にくむ者ものは、偽いつわり者しゃである。現げんに見みている兄弟きょうだいを愛あいさない者ものは、目めに見みえない神かみを愛あいすることはできない。

ヨハネの黙示録(7か所)

黙示録3:17 あなたは、自分じぶんは富とんでいる、豊ゆたかになった、なんの不ふ自由じゆうもないと言いっているが、実じつは、あなた自身じしんがみじめな者もの、あわれむべき者もの、貧まずしい者もの、目めの見みえない者もの、裸はだかな者ものであることに気きがついていない。

黙示録3:18 そこで、あなたに勧すすめる。富とむ者ものとなるために、わたしから火ひで精錬せいれんされた金かねを買かい、また、あなたの裸はだかの恥はじをさらさないため身みに着つけるように、白しろい衣ころもを買かいなさい。また、見みえるようになるため、目めにぬる目薬めぐすりを買かいなさい。

黙示録4:3 その座ざにいますかたは、碧玉へきぎょくや赤あかめのうのように見みえ、また、御座ぎょざのまわりには、緑玉りょくぎょくのように見みえるにじが現あらわれていた。

黙示録5:6 わたしはまた、御座ぎょざと四よんつの生いき物ものとの間あいだ、長老ちょうろうたちの間あいだに、ほふられたとみえる小羊こひつじが立たっているのを見みた。それに七ななつの角かどと七ななつの目めとがあった。これらの目めは、全ぜん世界せかいにつかわされた、神かみの七ななつの霊れいである。

黙示録11:19 そして、天てんにある神かみの聖せい所しょが開あけて、聖せい所しょの中なかに契約けいやくの箱ばこが見みえた。また、いなずまと、もろもろの声こえと、雷鳴らいめいと、地震じしんとが起おこり、大粒おおつぶの雹ひょうが降ふった。

黙示録16:20 島々しまじまはみな逃にげ去さり、山々やまやまは見みえなくなった。

黙示録20:12 また、死しんでいた者ものが、大おおいなる者ものも小こさき者ものも共ともに、御座ぎょざの前まえに立たっているのが見みえた。かずかずの書物しょもつが開ひらかれたが、もう一ひとつの書物しょもつが開ひらかれた。これはいのちの書しょであった。死人しにんはそのしわざに応おうじ、この書物しょもつに書かかかれていることにしたがって、さばかれた。

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