「見える」(みえる)が出てくる聖書の箇所
「見える」(みえる)は口語訳の141か所(旧約61・新約80)に出てきます。「まみえる」「みえる」も含みます。日常訳第1版では284か所。
創世記(2か所)
創世記27:1 イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。
創世記48:10 イスラエルの目は老齢のゆえに、かすんで見えなかったが、ヨセフが彼らを父の所に近寄らせたので、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。
出エジプト記(2か所)
出エジプト11:3 主は民にエジプトびとの好意を得させられた。またモーセその人は、エジプトの国で、パロの家来たちの目と民の目とに、はなはだ大いなるものと見えた。
出エジプト24:17 主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、
レビ記(11か所)
レビ記13:3 祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それはらい病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。
レビ記13:4 もしまたその身の皮の光る所が白くて、皮よりも深く見えず、また毛も白く変っていないならば、祭司はその患者を七日のあいだ留め置かなければならない。
レビ記13:10 祭司がこれを見て、その皮に白い腫があり、その毛も白く変り、かつその腫に生きた生肉が見えるならば、
レビ記13:20 祭司はこれを見て、もし皮よりも低く見え、その毛が白く変っていれば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは腫物に起ったらい病の患部だからである。
レビ記13:25 祭司はこれを見なければならない。そしてもし、その光る所にある毛が白く変って、そこが皮よりも深く見えるならば、これはやけどに生じたらい病である。祭司はその人を汚れた者としなければならない。これはらい病の患部だからである。
レビ記13:30 祭司はその患部を見なければならない。もしそれが皮よりも深く見え、またそこに黄色の細い毛があるならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それはかいせんであって、頭またはあごのらい病だからである。
レビ記13:31 また祭司がそのかいせんの患部を見て、もしそれが皮よりも深く見えず、またそこに黒い毛がないならば、祭司はそのかいせんの患者を七日のあいだ留め置き、
レビ記13:32 七日目に祭司はその患部を見なければならない。そのかいせんがもし広がらず、またそこに黄色の毛がなく、そのかいせんが皮よりも深く見えないならば、
レビ記13:34 七日目に祭司はそのかいせんを見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がらず、またそれが皮よりも深く見えないならば、祭司はその人を清い者としなければならない。その人はまたその衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。
レビ記14:37 その患部を見て、もしその患部が家の壁にあって、青または赤のくぼみをもち、それが壁よりも低く見えるならば、
レビ記26:16 わたしはあなたがたにこのようにするであろう。すなわち、あなたがたの上に恐怖を臨ませ、肺病と熱病をもって、あなたがたの目を見えなくし、命をやせ衰えさせるであろう。あなたがたが種をまいてもむだである。敵がそれを食べるであろう。
民数記(3か所)
民数記9:15 幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。すれはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。
民数記9:16 常にそうであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。
民数記13:33 わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」。
申命記(1か所)
申命記28:28 また主はあなたを撃って気を狂わせ、目を見えなくし、心を混乱させられるであろう。
ヨシュア記(1か所)
ヨシュア記22:10 ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばが、カナンの地のヨルダンのほとりにきた時、その所で、ヨルダンの岸べに一つの祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった。
士師記(2か所)
士師記6:21 すると主の使が手にもっていたつえの先を出して、肉と種入れぬパンに触れると、岩から火が燃えあがって、肉と種入れぬパンとを焼きつくした。そして主の使は去って見えなくなった。
士師記8:18 そしてギデオンはゼバとザルムンナに言った、「あなたがたがタボルで殺したのは、どんな人々であったか」。彼らは答えた、「彼らはあなたに似てみな王子のように見えました」。
サムエル記上(1か所)
サムエル第一28:13 王は彼女に言った、「恐れることはない。あなたには何が見えるのですか」。女はサウルに言った、「神のようなかたが地からのぼられるのが見えます」。
サムエル記下(1か所)
サムエル第二13:34 アブサロムはのがれた。時に見張りをしていた若者が目をあげて見ると、山のかたわらのホロナイムの道から多くの民の来るのが見えた。
列王紀上(2か所)
列王紀上6:18 宮の内側の香柏の板は、ひさごの形と、咲いた花を浮彫りにしたもので、みな香柏の板で、石は見えなかった。
列王紀上8:8 さおは長かったので、さおの端が本殿の前の聖所から見えた。しかし外には見えなかった。そのさおは今日までそこにある。
列王紀下(4か所)
列王紀下7:10 そこで彼らは来て、町の門を守る者を呼んで言った、「わたしたちがスリヤびとの陣営に行って見ると、そこにはだれの姿も見えず、また人声もなく、ただ、馬とろばがつないであり、天幕はそのままでした」。
列王紀下9:17 さてエズレルのやぐらに、ひとりの物見が立っていたが、エヒウの群衆が来るのを見て、「群衆が見える」と言ったので、ヨラムは言った、「ひとりを馬に乗せてつかわし、それに会わせて『平安ですか』と言わせなさい」。
列王紀下12:5 これを祭司たちがおのおのその知る人から受け取り、どこでも主の宮に破れの見える時は、それをもってその破れを繕わなければならない」。
列王紀下23:17 その時ヨシヤは「あそこに見える石碑は何か」と尋ねた。町の人々が彼に「あれはあなたがベテルの祭壇に対して行われたこれらの事を、ユダからきて預言した神の人の墓です」と言ったので、
歴代志下(2か所)
歴代志下5:9 さおは長かったので、さおの端が本殿の前の聖所から見えた。しかし外部には見えなかった。さおは今日までそこにある。
歴代志下14:2 アサはその神、主の目に良しと見え、また正しと見えることを行った。
エステル記(1か所)
エステル記8:5 そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。
ヨブ記(2か所)
ヨブ記18:3 なぜ、われわれは獣のように思われるのか。なぜ、あなたの目に愚かな者と見えるのか。
ヨブ記33:21 その肉はやせ落ちて見えず、その骨は見えなかったものまでもあらわになり、
詩篇(2か所)
詩篇69:23 彼らの目を暗くして見えなくし、彼らの腰を常に震わせ、
詩篇84:7 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
箴言(4か所)
箴言12:15 愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる。
箴言16:2 人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。
箴言18:17 先に訴え出る者は正しいように見える、しかしその訴えられた人が来て、それを調べて、事は明らかになる。
箴言21:2 人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。 人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。
伝道の書(1か所)
伝道の書2:17 そこで、わたしは生きることをいとった。日の下に行われるわざは、わたしに悪しく見えたからである。皆空であって、風を捕えるようである。
雅歌(1か所)
雅歌6:10 「このしののめのように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者はだれか」。
イザヤ書(2か所)
イザヤ書1:12 あなたがたは、わたしにまみえようとして来るが、だれが、わたしの庭を踏み荒すことを求めたか。
イザヤ書30:29 あなたがたは、聖なる祭を守る夜のように歌をうたう。また笛をならして主の山にきたり、イスラエルの岩なる主にまみえる時のように心に喜ぶ。
エレミヤ書(5か所)
エレミヤ書5:21 「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。
エレミヤ書7:11 わたしの名をもって、となえられるこの家が、あなたがたの目には盗賊の巣と見えるのか。わたし自身、そう見たと主は言われる。
エレミヤ書18:10 もしその国がわたしの目に悪と見えることを行い、わたしの声に聞き従わないなら、わたしはこれに幸を与えようとしたことを思いかえす。
エレミヤ書26:14 見よ、わたしはあなたがたの手の中にある。あなたがたの目に、良いと見え、正しいと思うことをわたしに行うがよい。
エレミヤ書32:4 またユダの王ゼデキヤはカルデヤびとの手をのがれることなく、かならずバビロンの王の手に渡され、顔と顔を合わせて彼と語り、目と目は相まみえる。
エゼキエル書(5か所)
エゼキエル書1:27 そしてその腰とみえる所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に、火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。
エゼキエル書8:2 わたしは見ていると、見よ、人のような形があって、その腰とみられる所から下は火のように見え、腰から上は光る青銅のように輝いて見えた。
エゼキエル書10:8 ケルビムはその翼の下に人の手のような形のものを持っているように見えた。
エゼキエル書19:11 その強い幹は君たる者のつえとなった。それは茂みの中に高くそびえ、多くの枝をつけて高く見えた。
エゼキエル書36:34 荒れた地は、行き来の人々の目に荒れ地と見えたのに引きかえて耕される。
ダニエル書(4か所)
ダニエル書4:11 その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、
ダニエル書4:20 あなたが見られた木、すなわちその成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、
ダニエル書7:20 この獣の頭には、十の角があったが、そのほかに一つの角が出てきたので、この角のために、三つの角が抜け落ちた。この角には目があり、また大きな事を語る口があって、その形は、その同類のものよりも大きく見えた。
ダニエル書8:15 われダニエルはこの幻を見て、その意味を知ろうと求めていた時、見よ、人のように見える者が、わたしの前に立った。
ゼカリヤ書(1か所)
ゼカリヤ書11:17 その羊の群れを捨てる愚かな牧者はわざわいだ。どうか、つるぎがその腕を撃ち、その右の目を撃つように。その腕は全く衰え、その右の目は全く見えなくなるように」。
マラキ書(1か所)
マラキ書2:17 あなたがたは言葉をもって主を煩わした。しかしあなたがたは言う、「われわれはどんなふうに、彼を煩わしたか」。それはあなたがたが「すべて悪を行う者は主の目に良く見え、かつ彼に喜ばれる」と言い、また「さばきを行う神はどこにあるか」と言うからである。
マタイによる福音書(9か所)
マタイ7:5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。
マタイ11:5 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
マタイ12:22 そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。
マタイ15:31 群衆は、おしが物を言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。
マタイ17:8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
マタイ20:34 イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
マタイ21:42 イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。
マタイ23:27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
マタイ23:28 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
マルコによる福音書(8か所)
マルコ8:18 目があっても見えないのか。耳があっても聞えないのか。まだ思い出さないのか。
マルコ8:23 イエスはこの盲人の手をとって、村の外に連れ出し、その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。
マルコ8:24 すると彼は顔を上げて言った、「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。
マルコ8:25 それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。
マルコ9:8 彼らは急いで見まわしたが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが、自分たちと一緒におられた。
マルコ10:51 イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。
マルコ10:52 そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
マルコ12:11 これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』」。
ルカによる福音書(12か所)
ルカ6:42 自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。
ルカ7:21 そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、
ルカ7:22 答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。
ルカ8:10 そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。
ルカ8:16 だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。
ルカ11:33 だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。
ルカ16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
ルカ18:41 「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。
ルカ18:42 そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。
ルカ18:43 すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながらイエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。
ルカ19:41 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、
ルカ24:31 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
ヨハネによる福音書(9か所)
ヨハネ9:7 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
ヨハネ9:11 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
ヨハネ9:15 パリサイ人たちもまた、「どうして見えるようになったのか」、と彼に尋ねた。彼は答えた、「あのかたがわたしの目にどろを塗り、わたしがそれを洗い、そして見えるようになりました」。
ヨハネ9:18 ユダヤ人たちは、彼がもと盲人であったが見えるようになったことを、まだ信じなかった。ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、
ヨハネ9:19 尋ねて言った、「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っているむすこか。それではどうして、いま目が見えるのか」。
ヨハネ9:21 しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもうおとなですから、自分のことは自分で話せるでしょう」。
ヨハネ9:25 すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。
ヨハネ9:39 そこでイエスは言われた、「わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである」。
ヨハネ9:41 イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。
使徒行伝(17か所)
使徒1:9 こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
使徒6:15 議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。
使徒7:55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
使徒7:56 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。
使徒9:7 サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。
使徒9:8 サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。
使徒9:9 彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
使徒9:12 彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。
使徒9:17 そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
使徒9:18 するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、
使徒13:11 見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。
使徒21:3 やがてクプロが見えてきたが、それを左手にして通りすぎ、シリヤへ航行をつづけ、ツロに入港した。ここで積荷が陸上げされることになっていたからである。
使徒22:11 わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。
使徒22:13 わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。
使徒22:18 主にまみえたが、主は言われた、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』。
使徒27:20 幾日ものあいだ、太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望みもなくなった。
使徒27:39 夜が明けて、どこの土地かよくわからなかったが、砂浜のある入江が見えたので、できれば、それに舟を乗り入れようということになった。
ローマ人への手紙(4か所)
ローマ1:20 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
ローマ8:24 わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
ローマ11:8 「神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞えない耳とを与えて、きょう、この日に及んでいる」と書いてあるとおりである。
ローマ11:10 彼らの目は、くらんで見えなくなれ、彼らの背は、いつまでも曲っておれ」。
コリント人への第一の手紙(1か所)
コリント第一12:22 そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
コリント人への第二の手紙(3か所)
コリント第二4:4 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。
コリント第二4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。
コリント第二5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
コロサイ人への手紙(3か所)
コロサイ1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
コロサイ1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
コロサイ2:23 これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない。
テモテへの第一の手紙(1か所)
テモテ第一1:17 世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。
ヘブル人への手紙(4か所)
ヘブル10:37 「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。
ヘブル11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
ヘブル11:5 信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。
ヘブル11:27 信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は、見えないかたを見ているようにして、忍びとおした。
ヨハネの第一の手紙(2か所)
ヨハネ第一2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。やみが彼の目を見えなくしたからである。
ヨハネ第一4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
ヨハネの黙示録(7か所)
黙示録3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
黙示録3:18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
黙示録4:3 その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。
黙示録5:6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
黙示録11:19 そして、天にある神の聖所が開けて、聖所の中に契約の箱が見えた。また、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴と、地震とが起り、大粒の雹が降った。
黙示録16:20 島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。
黙示録20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。