聖書の「金銭」について
銀や金、銅が貨幣として用いられたこと、量って支払うならわし、金銭を愛することの危険などに関する聖句です。
関連する聖句118箇所。分類はネーヴ『トピカル・バイブル』(1896年、英語原題 MONEY)によります。日本語の見出しと説明は当サイトによる訳で、聖書本文ではありません(未校閲)。
銀が貨幣として用いられる
創世記17:12、創世記17:13、創世記17:23、創世記17:27、創世記20:16、創世記23:9、創世記23:13、創世記31:15、創世記37:28、創世記42:25-35、創世記43:12-23、創世記44:1-8、創世記47:14-18、出エジプト12:44、出エジプト21:11、出エジプト21:21、出エジプト21:34、出エジプト21:35、出エジプト22:7、出エジプト22:17、出エジプト22:25、出エジプト30:16、レビ記22:11、レビ記25:37、レビ記25:51、レビ記27:15、レビ記27:18、民数記3:48-51、民数記18:16、申命記2:6、申命記2:28、申命記14:25、申命記14:26、申命記21:14、申命記23:19、士師記5:19、士師記16:18、士師記17:4、列王紀上21:2、列王紀上21:6、列王紀上21:15、列王紀下5:26、列王紀下12:4、列王紀下12:7-16、列王紀下15:20、列王紀下22:7、列王紀下22:9、列王紀下23:35、歴代志下24:5、歴代志下24:11、歴代志下24:14、歴代志下34:9、歴代志下34:14、歴代志下34:17、エズラ記3:7、エズラ記7:17、ネヘミヤ記5:4、ネヘミヤ記5:10、ネヘミヤ記5:11、エステル記4:7、ヨブ記31:39、詩篇15:5、箴言7:20、伝道の書7:12、伝道の書10:19、イザヤ書43:24、イザヤ書52:3、イザヤ書55:1、イザヤ書55:2、エレミヤ書32:9、エレミヤ書32:10、エレミヤ書32:25、エレミヤ書32:44、哀歌5:4、ミカ書3:11、マタイ25:18、マタイ25:27、マタイ28:12、マタイ28:15、マルコ14:11、ルカ9:3、ルカ19:15、ルカ19:23、ルカ22:5、使徒7:16、使徒8:20
創世記17:12 八日目の男の子はみな、割礼を受けなければならない。これは代々守るべきことだ。家で生まれた者も、外国人からお金で買い取った、あなたの子孫でない者も、割礼を受けるのだ。
金が貨幣として用いられる
創世記13:2、創世記24:35、創世記44:8、歴代志上21:25、エズラ記8:25-27、イザヤ書13:17、イザヤ書46:6、イザヤ書60:9、エゼキエル書7:19、エゼキエル書28:4、マタイ2:11、マタイ10:9、使徒3:6、使徒20:33、ペテロ第一1:18
創世記13:2 アブラムは家畜や金銀をたくさん持ち、とても豊かだった。
銅が貨幣として用いられる
マルコ6:8 そして、こう命じた。「旅には杖一本のほかは何も持って行ってはいけない。パンも、袋も、お金も、帯に入れて持って行ってはいけない。
量って支払われる
創世記23:16、創世記43:21、ヨブ記28:15、エレミヤ書32:9、エレミヤ書32:10、ゼカリヤ書11:12
創世記23:16 アブラハムはエフロンの言葉を受け入れた。そして、ヘトの人々が聞いているところでエフロンが言った銀を量って渡した。それは、商人のあいだで通用する銀四百シェケルだった。
貨幣の肖像
マタイ22:20 「これは、だれの顔で、だれの名前だ」
良心から返された金
士師記17:2 彼は母親に言った。「あなたから取られた銀千百枚のことで、あなたはのろいの言葉を口にしましたね。わたしもこの耳で聞きました。その銀は、わたしのところにあります。わたしが取ったのです。」すると母親は言った。「息子よ、あなたが主に祝福されますように。」
あがないの金
出エジプト30:12-16 イスラエルの人々の人数を数えるときは、一人ひとりが自分の命の代償を主に納めなければならない。そうすれば、数えるときに彼らの間に災いが起こることはない。 …
罪祭の金
列王紀下12:16 罪を償うために納められたお金や、罪の許しを願って納められたお金は、主の神殿には入れられず、祭司たちのものとなった。
不正に変えられた貨幣の価値
アモス書8:5 お前たちはこう言っている。「新月の祭りは、いつ終わるのか。そうすれば穀物を売れるのに。安息日は、いつ終わるのか。そうすれば麦を売り出せるのに。」そして升を小さくして量をごまかし、代金のおもりを重くし、いんちきな天秤で人をだます。
金銭を愛することはすべての悪の根
テモテ第一6:10 お金への執着は、あらゆる悪の根っこだからだ。それを追い求めるうちに、信仰から迷い出て、多くの苦しみで自分を刺し貫いてしまった人たちもいる。