「行う」(おこなう)が出てくる聖書の箇所

「行う」(おこなう)は口語訳の1126か所(旧約933・新約193)に出てきます。「おこなう」「行える」も含みます。日常訳第1版では766か所。

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1126か所を200か所ずつ6ページに分けています(6ページ目)。

使徒行伝(20か所)

使徒4:30 そしてみ手てを伸のばしていやしをなし、聖せいなる僕ぼくイエスの名なによって、しるしと奇跡きせきとを行おこなわせて下ください」。

使徒5:12 そのころ、多おおくのしるしと奇跡きせきとが、次々つぎつぎに使徒しとたちの手てにより人々ひとびとの中なかで行おこなわれた。そして、一同いちどうは心こころを一ひとつにして、ソロモンの廊ろうに集あつまっていた。

使徒6:8 さて、ステパノは恵めぐみと力ちからとに満みちて、民衆みんしゅうの中なかで、めざましい奇跡きせきとしるしとを行おこなっていた。

使徒7:36 この人ひとが、人々ひとびとを導みちびき出だして、エジプトの地ちにおいても、紅海こうかいにおいても、また四十よんじゅう年ねんのあいだ荒野あらのにおいても、奇跡きせきとしるしとを行おこなったのである。

使徒8:9 さて、この町まちに以前いぜんからシモンという人ひとがいた。彼かれは魔術まじゅつを行おこなってサマリヤの人ひとたちを驚おどろかし、自分じぶんをさも偉えらい者もののように言いいふらしていた。

使徒8:13 シモン自身じしんも信しんじて、バプテスマを受うけ、それから、引ひきつづきピリポについて行いった。そして、数々かずかずのしるしやめざましい奇跡きせきが行おこなわれるのを見みて、驚おどろいていた。

使徒8:33 彼かれは、いやしめられて、そのさばきも行おこなわれなかった。だれが、彼かれの子孫しそんのことを語かたることができようか、彼かれの命いのちが地上ちじょうから取とり去さられているからには」。

使徒10:35 神かみを敬うやまい義ぎを行おこなう者ものはどの国民こくみんでも受うけいれて下くださることが、ほんとうによくわかってきました。

使徒14:3 それにもかかわらず、ふたりは長ながい期間きかんをそこで過すごして、大胆だいたんに主しゅのことを語かたった。主しゅは、彼かれらの手てによってしるしと奇跡きせきとを行おこなわせ、そのめぐみの言葉ことばをあかしされた。

使徒15:12 すると、全ぜん会衆かいしゅうは黙だまってしまった。それから、バルナバとパウロとが、彼かれらをとおして異邦いほう人にんの間あいだに神かみが行おこなわれた数々かずかずのしるしと奇跡きせきのことを、説明せつめいするのを聞きいた。

使徒19:19 それから、魔術まじゅつを行おこなっていた多おおくの者ものが、魔術まじゅつの本ほんを持もち出だしてきては、みんなの前まえで焼やき捨すてた。その値段ねだんを総計そうけいしたところ、銀ぎん五ご万まんにも上のぼることがわかった。

使徒21:14 こうして、パウロが勧告かんこくを聞ききいれてくれないので、わたしたちは「主しゅのみこころが行おこなわれますように」と言いっただけで、それ以上いじょう、何なんも言いわなかった。

使徒21:24 この人ひとたちを連つれて行いって、彼かれらと共ともにきよめを行おこない、また彼かれらの頭あたまをそる費用ひようを引ひき受うけてやりなさい。そうすれば、あなたについて、うわさされていることは、根ねも葉はもないことで、あなたは律法りっぽうを守まもって、正ただしい生活せいかつをしていることが、みんなにわかるであろう。

使徒24:18 そのとき、彼かれらはわたしが宮みやできよめを行おこなっているのを見みただけであって、群衆ぐんしゅうもいず、騒動そうどうもなかったのです。

使徒26:20 まず初はじめにダマスコにいる人々ひとびとに、それからエルサレムにいる人々ひとびと、さらにユダヤ全土ぜんど、ならびに異邦いほう人にんたちに、悔くい改あらためて神かみに立たち帰かえり、悔改くいあらためにふさわしいわざを行おこなうようにと、説とき勧すすめました。

使徒26:26 王おうはこれらのことをよく知しっておられるので、王おうに対たいしても、率直そっちょくに申もうし上あげているのです。それは、片かたすみで行おこなわれたのではないのですから、一ひとつとして、王おうが見みのがされたことはないと信しんじます。

ローマ人への手紙(21か所)

ローマ1:32 彼かれらは、こうした事ことを行おこなう者ものどもが死しに価あたいするという神かみの定さだめをよく知しりながら、自みずからそれを行おこなうばかりではなく、それを行おこなう者ものどもを是認ぜにんさえしている。

ローマ2:1 だから、ああ、すべて人ひとをさばく者ものよ。あなたには弁解べんかいの余地よちがない。あなたは、他人たにんをさばくことによって、自分じぶん自身じしんを罪つみに定さだめている。さばくあなたも、同おなじことを行おこなっているからである。

ローマ2:2 わたしたちは、神かみのさばきが、このような事ことを行おこなう者ものどもの上うえに正ただしく下くだることを、知しっている。

ローマ2:3 ああ、このような事ことを行おこなう者ものどもをさばきながら、しかも自みずから同おなじことを行おこなう人ひとよ。あなたは、神かみのさばきをのがれうると思おもうのか。

ローマ2:7 すなわち、一方いっぽうでは、耐たえ忍しのんで善ぜんを行おこなって、光栄こうえいとほまれと朽くちぬものとを求もとめる人ひとに、永遠えいえんのいのちが与あたえられ、

ローマ2:9 悪あくを行おこなうすべての人ひとには、ユダヤ人にんをはじめギリシヤ人にんにも、患難かんなんと苦悩くのうとが与あたえられ、

ローマ2:10 善ぜんを行おこなうすべての人ひとには、ユダヤ人にんをはじめギリシヤ人にんにも、光栄こうえいとほまれと平安へいあんとが与あたえられる。

ローマ2:13 なぜなら、律法りっぽうを聞きく者ものが、神かみの前まえに義ぎなるものではなく、律法りっぽうを行おこなう者ものが、義ぎとされるからである。

ローマ2:14 すなわち、律法りっぽうを持もたない異邦いほう人にんが、自然しぜんのままで、律法りっぽうの命めいじる事ことを行おこなうなら、たとい律法りっぽうを持もたなくても、彼かれらにとっては自分じぶん自身じしんが律法りっぽうなのである。

ローマ2:25 もし、あなたが律法りっぽうを行おこなうなら、なるほど、割礼かつれいは役やくに立たとう。しかし、もし律法りっぽうを犯おかすなら、あなたの割礼かつれいは無む割礼かつれいとなってしまう。

ローマ3:12 すべての人ひとは迷まよい出でて、ことごとく無益むえきなものになっている。善ぜんを行おこなう者ものはいない、ひとりもいない。

ローマ3:20 なぜなら、律法りっぽうを行おこなうことによっては、すべての人間にんげんは神かみの前まえに義ぎとせられないからである。律法りっぽうによっては、罪つみの自覚じかくが生しょうじるのみである。

ローマ3:28 わたしたちは、こう思おもう。人ひとが義ぎとされるのは、律法りっぽうの行おこないによるのではなく、信仰しんこうによるのである。

ローマ4:2 もしアブラハムが、その行おこないによって義ぎとされたのであれば、彼かれは誇ほこることができよう。しかし、神かみのみまえでは、できない。

ローマ7:15 わたしは自分じぶんのしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分じぶんの欲ほっする事ことは行おこなわず、かえって自分じぶんの憎にくむ事ことをしているからである。

ローマ7:19 すなわち、わたしの欲ほっしている善ぜんはしないで、欲ほっしていない悪あくは、これを行おこなっている。

ローマ9:12 わざによらず、召めしたかたによって行おこなわれるために、「兄あには弟おとうとに仕つかえるであろう」と、彼女かのじょに仰おおせられたのである。

ローマ9:32 なぜであるか。信仰しんこうによらないで、行おこないによって得えられるかのように、追おい求もとめたからである。彼かれらは、つまずきの石いしにつまずいたのである。

ローマ10:5 モーセは、律法りっぽうによる義ぎを行おこなう人ひとは、その義ぎによって生いきる、と書かいている。

ローマ11:6 しかし、恵めぐみによるのであれば、もはや行おこないによるのではない。そうでないと、恵めぐみはもはや恵めぐみでなくなるからである。

ローマ13:4 彼かれは、あなたに益えきを与あたえるための神かみの僕ぼくなのである。しかし、もしあなたが悪事あくじをすれば、恐おそれなければならない。彼かれはいたずらに剣けんを帯おびているのではない。彼かれは神かみの僕ぼくであって、悪事あくじを行おこなう者ものに対たいしては、怒いかりをもって報むくいるからである。

コリント人への第一の手紙(8か所)

コリント第一11:24 感謝かんしゃしてこれをさき、そして言いわれた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念きねんするため、このように行おこないなさい」。

コリント第一11:25 食事しょくじののち、杯さかずきをも同おなじようにして言いわれた、「この杯さかずきは、わたしの血ちによる新あたらしい契約けいやくである。飲のむたびに、わたしの記念きねんとして、このように行おこないなさい」。

コリント第一11:34 もし空腹くうふくであったら、さばきを受うけに集あつまることにならないため、家いえで食たべるがよい。そのほかの事ことは、わたしが行おこなった時ときに、定さだめることにしよう。

コリント第一12:28 そして、神かみは教会きょうかいの中なかで、人々ひとびとを立たてて、第だい一いちに使徒しと、第だい二にに預言よげん者しゃ、第だい三さんに教師きょうしとし、次つぎに力ちからあるわざを行おこなう者もの、次つぎにいやしの賜物たまものを持もつ者もの、また補助ほじょ者しゃ、管理かんり者しゃ、種々しゅじゅの異言いげんを語かたる者ものをおかれた。

コリント第一12:29 みんなが使徒しとだろうか。みんなが預言よげん者しゃだろうか。みんなが教師きょうしだろうか。みんなが力ちからあるわざを行おこなう者ものだろうか。

コリント第一14:33 神かみは無む秩序ちつじょの神かみではなく、平和へいわの神かみである。聖徒せいとたちのすべての教会きょうかいで行おこなわれているように、

コリント第一14:40 しかし、すべてのことを適宜てきぎに、かつ秩序ちつじょを正ただして行おこなうがよい。

コリント第一16:14 いっさいのことを、愛あいをもって行おこないなさい。

コリント人への第二の手紙(6か所)

コリント第二3:7 もし石いしに彫ほりつけた文字もじによる死しの務つとむが栄光えいこうのうちに行おこなわれ、そのためイスラエルの子こらは、モーセの顔かおの消きえ去さるべき栄光えいこうのゆえに、その顔かおを見みつめることができなかったとすれば、

コリント第二5:10 なぜなら、わたしたちは皆みな、キリストのさばきの座ざの前まえにあらわれ、善ぜんであれ悪わるであれ、自分じぶんの行おこなったことに応おうじて、それぞれ報むくいを受うけねばならないからである。

コリント第二9:11 こうして、あなたがたはすべてのことに豊ゆたかになって、惜おしみなく施ほどこし、その施ほどこしはわたしたちの手てによって行おこなわれ、神かみに感謝かんしゃするに至いたるのである。

コリント第二9:13 すなわち、この援助えんじょを行おこなった結果けっかとして、あなたがたがキリストの福音ふくいんの告白こくはくに対たいして従順じゅうじゅんであることや、彼かれらにも、すべての人ひとにも、惜おしみなく施ほどこしをしていることがわかってきて、彼かれらは神かみに栄光えいこうを帰かえし、

コリント第二10:14 わたしたちは、あなたがたの所ところまで行いけない者ものであるかのように、むりに手てを延のばしているのではない。事実じじつ、わたしたちが最初さいしょにキリストの福音ふくいんを携たずさえて、あなたがたの所ところまでも行おこなったのである。

コリント第二13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪あくをも行おこなわないようにと、神かみに祈いのる。それは、自分じぶんたちがほんとうの者ものであることを見みせるためではなく、たといわたしたちが見捨みすてられた者もののようになっても、あなたがたに良よい行おこないをしてもらいたいためである。

ガラテヤ人への手紙(9か所)

ガラテヤ2:16 人ひとの義ぎとされるのは律法りっぽうの行おこないによるのではなく、ただキリスト・イエスを信しんじる信仰しんこうによることを認みとめて、わたしたちもキリスト・イエスを信しんじたのである。それは、律法りっぽうの行おこないによるのではなく、キリストを信しんじる信仰しんこうによって義ぎとされるためである。なぜなら、律法りっぽうの行おこないによっては、だれひとり義よしとされることがないからである。

ガラテヤ3:2 わたしは、ただこの一ひとつの事ことを、あなたがたに聞きいてみたい。あなたがたが御ご霊れいを受うけたのは、律法りっぽうを行おこなったからか、それとも、聞きいて信しんじたからか。

ガラテヤ3:5 すると、あなたがたに御ご霊れいを賜たまい、力ちからあるわざをあなたがたの間あいだでなされたのは、律法りっぽうを行おこなったからか、それとも、聞きいて信しんじたからか。

ガラテヤ3:10 いったい、律法りっぽうの行おこないによる者ものは、皆みなのろいの下したにある。「律法りっぽうの書しょに書かいてあるいっさいのことを守まもらず、これを行おこなわない者ものは、皆みなのろわれる」と書かいてあるからである。

ガラテヤ3:12 律法りっぽうは信仰しんこうに基もとづいているものではない。かえって、「律法りっぽうを行おこなう者ものは律法りっぽうによって生いきる」のである。

ガラテヤ5:3 割礼かつれいを受うけようとするすべての人ひとたちに、もう一いち度ど言いっておく。そういう人ひとたちは、律法りっぽうの全部ぜんぶを行おこなう義務ぎむがある。

ガラテヤ5:21 ねたみ、泥酔でいすい、宴えん楽がく、および、そのたぐいである。わたしは以前いぜんも言いったように、今いまも前まえもって言いっておく。このようなことを行おこなう者ものは、神かみの国くにをつぐことがない。

ガラテヤ6:9 わたしたちは、善ぜんを行おこなうことに、うみ疲つかれてはならない。たゆまないでいると、時ときが来くれば刈かり取とるようになる。

ガラテヤ6:10 だから、機会きかいのあるごとに、だれに対たいしても、とくに信仰しんこうの仲間なかまに対たいして、善ぜんを行おこなおうではないか。

エペソ人への手紙(5か所)

エペソ2:3 また、わたしたちもみな、かつては彼かれらの中なかにいて、肉にくの欲よくに従したがって日ひを過すごし、肉にくとその思おもいとの欲ほっするままを行おこない、ほかの人々ひとびとと同おなじく、生うまれながらの怒いかりの子こであった。

エペソ2:9 決けっして行おこないによるのではない。それは、だれも誇ほこることがないためなのである。

エペソ2:11 だから、記憶きおくしておきなさい。あなたがたは以前いぜんには、肉にくによれば異邦いほう人にんであって、手てで行おこなった肉にくの割礼かつれいある者ものと称しょうせられる人々ひとびとからは、無む割礼かつれいの者ものと呼よばれており、

エペソ6:6 人ひとにへつらおうとして目先めさきだけの勤つとめをするのでなく、キリストの僕ぼくとして心こころから神かみの御お旨むねを行おこない、

エペソ6:8 あなたがたが知しっているとおり、だれでも良よいことを行おこなえば、僕ぼくであれ、自由じゆう人にんであれ、それに相当そうとうする報むくいを、それぞれ主しゅから受うけるであろう。

コロサイ人への手紙(2か所)

コロサイ1:10 主しゅのみこころにかなった生活せいかつをして真しんに主しゅを喜よろこばせ、あらゆる良よいわざを行おこなって実じつを結むすび、神かみを知しる知識ちしきをいよいよ増まし加くわえるに至いたることである。

コロサイ3:25 不正ふせいを行おこなう者ものは、自分じぶんの行おこなった不正ふせいに対たいして報むくいを受うけるであろう。それには差別さべつ扱あつかいはない。

テサロニケ人への第二の手紙(2か所)

テサロニケ第二2:10 また、あらゆる不義ふぎの惑まどわしとを、滅ほろぶべき者ものどもに対たいして行おこなうためである。彼かれらが滅ほろびるのは、自分じぶんらの救すくいとなるべき真理しんりに対たいする愛あいを受うけいれなかった報むくいである。

テサロニケ第二2:17 あなたがたの心こころを励はげまし、あなたがたを強つよめて、すべての良よいわざを行おこない、正ただしい言葉ことばを語かたる者ものとして下くださるように。

テトスへの手紙(1か所)

テトス3:5 わたしたちの行おこなった義ぎのわざによってではなく、ただ神かみのあわれみによって、再生さいせいの洗あらいを受うけ、聖霊せいれいにより新あらたにされて、わたしたちは救すくわれたのである。

ヘブル人への手紙(8か所)

ヘブル10:7 その時とき、わたしは言いった、『神かみよ、わたしにつき、巻物まきものの書物しょもつに書かいてあるとおり、見みよ、御お旨むねを行おこなうためにまいりました』」。

ヘブル10:9 次つぎに、「見みよ、わたしは御お旨むねを行おこなうためにまいりました」とある。すなわち、彼かれは、後あとのものを立たてるために、初はじめのものを廃止はいしされたのである。

ヘブル10:11 こうして、すべての祭司さいしは立たって日ひごとに儀式ぎしきを行おこない、たびたび同おなじようないけにえをささげるが、それらは決けっして罪つみを除のぞき去さることはできない。

ヘブル10:36 神かみの御お旨むねを行おこなって約束やくそくのものを受うけるため、あなたがたに必要ひつようなのは、忍耐にんたいである。

ヘブル11:28 信仰しんこうによって、滅ほろぼす者ものが、長子ちょうしらに手てを下くだすことのないように、彼かれは過越すぎこしを行おこない血ちを塗ぬった。

ヘブル11:33 彼かれらは信仰しんこうによって、国々くにぐにを征服せいふくし、義ぎを行おこない、約束やくそくのものを受うけ、ししの口くちをふさぎ、

ヘブル13:16 そして、善ぜんを行おこなうことと施ほどこしをすることとを、忘わすれてはいけない。神かみは、このようないけにえを喜よろこばれる。

ヘブル13:21 イエス・キリストによって、みこころにかなうことをわたしたちにして下くださり、あなたがたが御お旨むねを行おこなうために、すべての良よきものを備そなえて下くださるようにこい願ねがう。栄光えいこうが、世々せいせい限かぎりなく神かみにあるように、アァメン。

ヤコブの手紙(11か所)

ヤコブ1:22 そして、御言みことを行おこなう人ひとになりなさい。おのれを欺あざむいて、ただ聞きくだけの者ものとなってはいけない。

ヤコブ1:23 おおよそ御言みことを聞きくだけで行おこなわない人ひとは、ちょうど、自分じぶんの生うまれつきの顔かおを鏡かがみに映うつして見みる人ひとのようである。

ヤコブ1:25 これに反はんして、完全かんぜんな自由じゆうの律法りっぽうを一心いっしんに見みつめてたゆまない人ひとは、聞きいて忘わすれてしまう人ひとではなくて、実際じっさいに行おこなう人ひとである。こういう人ひとは、その行おこないによって祝福しゅくふくされる。

ヤコブ2:12 だから、自由じゆうの律法りっぽうによってさばかるべき者ものらしく語かたり、かつ行おこないなさい。

ヤコブ2:13 あわれみを行おこなわなかった者ものに対たいしては、仮借かしゃくのないさばきが下くだされる。あわれみは、さばきにうち勝かつ。

ヤコブ2:18 しかし、「ある人ひとには信仰しんこうがあり、またほかの人ひとには行おこないがある」と言いう者ものがあろう。それなら、行おこないのないあなたの信仰しんこうなるものを見みせてほしい。そうしたら、わたしの行おこないによって信仰しんこうを見みせてあげよう。

ヤコブ2:21 わたしたちの父祖ふそアブラハムは、その子こイサクを祭壇さいだんにささげた時とき、行おこないによって義ぎとされたのではなかったか。

ヤコブ2:22 あなたが知しっているとおり、彼かれにおいては、信仰しんこうが行おこないと共ともに働はたらき、その行おこないによって信仰しんこうが全まっとうされ、

ヤコブ2:24 これでわかるように、人ひとが義ぎとされるのは、行おこないによるのであって、信仰しんこうだけによるのではない。

ヤコブ2:25 同おなじように、かの遊女ゆうじょラハブでさえも、使者ししゃたちをもてなし、彼かれらを別べつな道みちから送おくり出だした時とき、行おこないによって義ぎとされたではないか。

ヤコブ4:17 人ひとが、なすべき善ぜんを知しりながら行おこなわなければ、それは彼かれにとって罪つみである。

ペテロの第一の手紙(12か所)

ペテロ第一1:15 むしろ、あなたがたを召めして下くださった聖せいなるかたにならって、あなたがた自身じしんも、あらゆる行おこないにおいて聖せいなる者ものとなりなさい。

ペテロ第一2:14 あるいは、悪あくを行おこなう者ものを罰ばっし善ぜんを行おこなう者ものを賞しょうするために、王おうからつかわされた長官ちょうかんであろうと、これに従したがいなさい。

ペテロ第一2:15 善ぜんを行おこなうことによって、愚おろかな人々ひとびとの無知むちな発言はつげんを封ふうじるのは、神かみの御お旨むねなのである。

ペテロ第一2:16 自由じゆう人にんにふさわしく行動こうどうしなさい。ただし、自由じゆうをば悪あくを行おこなう口実こうじつとして用もちいず、神かみの僕ぼくにふさわしく行動こうどうしなさい。

ペテロ第一2:20 悪わるいことをして打うちたたかれ、それを忍しのんだとしても、なんの手柄てがらになるのか。しかし善ぜんを行おこなって苦くるしみを受うけ、しかもそれを耐たえ忍しのんでいるとすれば、これこそ神かみによみせられることである。

ペテロ第一3:2 あなたがたのうやうやしく清きよい行おこないを見みて、その妻つまの無言むごんの行おこないによって、救すくいに入いれられるようになるであろう。

ペテロ第一3:6 たとえば、サラはアブラハムに仕つかえて、彼かれを主しゅと呼よんだ。あなたがたも、何事なにごとにもおびえ臆おくすることなく善ぜんを行おこなえば、サラの娘むすめたちとなるのである。

ペテロ第一3:11 悪あくを避さけて善ぜんを行おこない、平和へいわを求もとめて、これを追おえ。

ペテロ第一3:12 主しゅの目めは義人ぎじんたちに注そそがれ、主しゅの耳みみは彼かれらの祈いのりにかたむく。しかし主しゅの御お顔かおは、悪あくを行おこなう者ものに対たいして向むかう」。

ペテロ第一3:17 善ぜんをおこなって苦くるしむことは――それが神かみの御お旨むねであれば――悪あくをおこなって苦くるしむよりも、まさっている。

ペテロ第一4:15 あなたがたのうち、だれも、人殺ひとごろし、盗人ぬすびと、悪あくを行おこなう者もの、あるいは、他人たにんに干渉かんしょうする者ものとして苦くるしみに会あうことのないようにしなさい。

ペテロ第一4:19 だから、神かみの御お旨むねに従したがって苦くるしみを受うける人々ひとびとは、善ぜんをおこない、そして、真実しんじつであられる創造そうぞう者しゃに、自分じぶんのたましいをゆだねるがよい。

ペテロの第二の手紙(2か所)

ペテロ第二2:3 彼かれらは、貪欲どんよくのために、甘言かんげんをもってあなたがたをあざむき、利りをむさぼるであろう。彼かれらに対たいするさばきは昔むかしから猶予ゆうよなく行おこなわれ、彼かれらの滅亡めつぼうも滞とどこおることはない。

ペテロ第二2:7 ただ、非道ひどうの者ものどもの放縦ほうしょうな行おこないによってなやまされていた義人ぎじんロトだけを救すくい出だされた。

ヨハネの第一の手紙(7か所)

ヨハネ第一1:6 神かみと交まじわりをしていると言いいいながら、もし、やみの中なかを歩あるいているなら、わたしたちは偽いつわっているのであって、真理しんりを行おこなっているのではない。

ヨハネ第一2:17 世よと世よの欲よくとは過すぎ去さる。しかし、神かみの御お旨むねを行おこなう者ものは、永遠えいえんにながらえる。

ヨハネ第一2:29 彼かれの義ぎなるかたであることがわかれば、義ぎを行おこなう者ものはみな彼かれから生うまれたものであることを、知しるであろう。

ヨハネ第一3:4 すべて罪つみを犯おかす者ものは、不法ふほうを行おこなう者ものである。罪つみは不法ふほうである。

ヨハネ第一3:7 子こたちよ。だれにも惑まどわされてはならない。彼かれが義人ぎじんであると同様どうように、義ぎを行おこなう者ものは義人ぎじんである。

ヨハネ第一3:10 神かみの子こと悪魔あくまの子ことの区別くべつは、これによって明あきらかである。すなわち、すべて義ぎを行おこなわない者ものは、神かみから出でた者ものではない。兄弟きょうだいを愛あいさない者ものも、同様どうようである。

ヨハネ第一5:2 神かみを愛あいしてその戒いましめを行おこなえば、それによってわたしたちは、神かみの子こたちを愛あいしていることを知しるのである。

ヨハネの第二の手紙(1か所)

ヨハネ第二1:11 そのような人ひとにあいさつする者ものは、その悪わるい行おこないにあずかることになるからである。

ヨハネの第三の手紙(1か所)

ヨハネ第三1:11 愛あいする者ものよ。悪わるにならわないで、善ぜんにならいなさい。善ぜんを行おこなう者ものは神かみから出でた者ものであり、悪あくを行おこなう者ものは神かみを見みたことのない者ものである。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:15 それは、すべての者ものにさばきを行おこなうためであり、また、不ふ信心しんじんな者ものが、信仰しんこうを無視むしして犯おかしたすべての不信ふしん心こころなしわざと、さらに、不ふ信心しんじんな罪人ざいにんが主しゅにそむいて語かたったすべての暴言ぼうげんとを責せめるためである」。

ヨハネの黙示録(13か所)

黙示録2:5 そこで、あなたはどこから落おちたかを思おもい起おこし、悔くい改あらためて初はじめのわざを行おこないなさい。もし、そうしないで悔くい改あらためなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台しょくだいをその場所ばしょから取とりのけよう。

黙示録13:13 また、大おおいなるしるしを行おこなって、人々ひとびとの前まえで火ひを天てんから地ちに降ふらせることさえした。

黙示録13:14 さらに、先さきの獣けものの前まえで行おこなうのを許ゆるされたしるしで、地ちに住すむ人々ひとびとを惑まどわし、かつ、つるぎの傷きずを受うけてもなお生いきている先さきの獣けものの像ぞうを造つくることを、地ちに住すむ人々ひとびとに命めいじた。

黙示録16:14 これらは、しるしを行おこなう悪霊あくりょうの霊れいであって、全ぜん世界せかいの王おうたちのところに行いき、彼かれらを召集しょうしゅうしたが、それは、全能ぜんのうなる神かみの大おおいなる日ひに、戦たたかいをするためであった。

黙示録17:2 地ちの王おうたちはこの女おんなと姦淫かんいんを行おこない、地ちに住すむ人々ひとびとはこの女おんなの姦淫かんいんのぶどう酒しゅに酔よいしれている」。

黙示録17:17 神かみは、御言みことが成就じょうじゅする時ときまで、彼かれらの心こころの中なかに、御お旨むねを行おこない、思おもいをひとつにし、彼かれらの支配しはい権けんを獣けものに与あたえる思おもいを持もつようにされたからである。

黙示録18:3 すべての国民こくみんは、彼女かのじょの姦淫かんいんに対たいする激はげしい怒いかりのぶどう酒しゅを飲のみ、地ちの王おうたちは彼女かのじょと姦淫かんいんを行おこない、地上ちじょうの商人しょうにんたちは、彼女かのじょの極度きょくどのぜいたくによって富とみを得えたからである」。

黙示録18:9 彼女かのじょと姦淫かんいんを行おこない、ぜいたくをほしいままにしていた地ちの王おうたちは、彼女かのじょが焼やかれる火ひの煙けむりを見みて、彼女かのじょのために胸むねを打うって泣なき悲かなしみ、

黙示録19:20 しかし、獣けものは捕とらえられ、また、この獣けものの前まえでしるしを行おこなって、獣けものの刻印こくいんを受うけた者ものとその像ぞうを拝おがむ者ものとを惑まどわしたにせ預言よげん者しゃも、獣けものと共ともに捕とらえられた。そして、この両者りょうしゃとも、生いきながら、硫黄いおうの燃もえている火ひの池いけに投なげ込こまれた。

黙示録21:8 しかし、おくびょうな者もの、信しんじない者もの、忌いむべき者もの、人殺ひとごろし、姦淫かんいんを行おこなう者もの、まじないをする者もの、偶像ぐうぞうを拝おがむ者もの、すべて偽いつわりを言いう者ものには、火ひと硫黄いおうの燃もえている池いけが、彼かれらの受うけくべき報むくいである。これが第だい二にの死しである」。

黙示録21:27 しかし、汚よごれた者ものや、忌いむべきこと及および偽いつわりを行おこなう者ものは、その中なかに決けっしてはいれない。はいれる者ものは、小羊こひつじのいのちの書しょに名なをしるされている者ものだけである。

黙示録22:11 不義ふぎな者ものはさらに不義ふぎを行おこない、汚よごれた者ものはさらに汚よごれたことを行おこない、義ぎなる者ものはさらに義ぎを行おこない、聖せいなる者ものはさらに聖せいなることを行おこなうままにさせよ」。

黙示録22:15 犬いぬども、まじないをする者もの、姦淫かんいんを行おこなう者もの、人殺ひとごろし、偶像ぐうぞうを拝おがむ者もの、また、偽いつわりを好このみかつこれを行おこなう者ものはみな、外そとに出だされている。

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