「神の子」(かみのこ)が出てくる聖書の箇所
「神の子」(かみのこ)は日常訳第1版の83か所(旧約8・新約75)に出てきます。口語訳では69か所。
創世記(2か所)
創世記6:2 神の子たちは、人の娘たちが美しいのを見て、その中から好きな者を選んで妻にした。
創世記6:4 そのころ、地にはネフィリムがいた。その後も、神の子たちが人の娘たちのところに入り、娘たちが子どもを産んだときにも、彼らはいた。それは大昔の勇士たちで、名の知れた者たちだった。
ヨブ記(3か所)
ヨブ記1:6 ある日、神の子たちがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らに混じってやって来た。
ヨブ記2:1 ある日、神の子たちがやって来て、主の前に立った。サタンも彼らに混じってやって来て、主の前に立った。
ヨブ記38:7 明けの星々がいっせいに歌い、神の子たちがみな喜びの声をあげた、あのときに。
詩篇(2か所)
詩篇29:1 主に帰せよ、神の子らよ。栄光と力を主に帰せよ。
詩篇89:6 天のなかに、主とならぶものがいるだろうか。神の子らのなかに、主のような者がいるだろうか。
ホセア書(1か所)
ホセア書1:10 でも、イスラエルの人々の数は、海の砂のように、量ることも数えることもできないほど多くなる。そして、「あなたたちはわたしの民ではない」と言われたその場所で、「あなたたちは生きている神の子どもだ」と言われるようになる。
マタイによる福音書(10か所)
マタイ4:3 「もしお前が神の子なら、この石がパンになるように命じてみろ」
マタイ4:6 「もしお前が神の子なら、飛び降りてみろ。こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じる。あなたの足が石にぶつからないよう、彼らはその手であなたを支える』」
マタイ5:9 平和をつくる人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれるから。
マタイ8:29 「神の子よ、いったい何の用があるんだ。まだその時でもないのに、ここに来てわたしたちを苦しめるのか」
マタイ14:33 舟の中にいた人たちはイエスの前にひざまずいて、こう言った。「あなたは本当に神の子だ」
マタイ16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたこそ、生きておられる神の子キリストです」
マタイ26:63 イエスは黙ったままだった。すると大祭司はイエスに言った。「生きておられる神に誓って、はっきり答えろ。おまえは神の子キリストなのか」
マタイ27:40 こう言った。「神殿を壊して三日で建て直す者よ。もし神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りてこい」
マタイ27:43 神を頼りにしているのだから、その神が助けたいと思うなら、今、助ければいい。あの男は『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」
マタイ27:54 百人隊長と、いっしょにイエスを見張っていた人たちは、地震やいろいろな出来事を見て、ひどく怖くなった。そして、「この人は本当に神の子だった」と言った。
マルコによる福音書(3か所)
マルコ3:11 また、汚れた霊たちは、イエスを見るたびにその前にひれ伏し、「あなたは神の子だ」と叫んだ。
マルコ5:7 そして大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、あなたはわたしに何をしようというのですか。神にかけてお願いします。どうかわたしを苦しめないでください。」
マルコ15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取るのを見て言った。「本当に、この人は神の子だった。」
ルカによる福音書(9か所)
ルカ1:32 その子は偉大な人になり、いと高き神の子と呼ばれます。神である主は、その子に父ダビデの王座をお与えになります。
ルカ1:35 天使は答えた。「聖なる霊があなたに降り、いと高き神の力があなたをおおいます。だから、生まれてくる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
ルカ3:38 カイナンはエノスの子、エノスはセツの子、セツはアダムの子、アダムは神の子である。
ルカ4:3 すると悪魔が言った。「もしお前が神の子なら、この石にパンになれと言ってみろ。」
ルカ4:9 さらに悪魔は、イエスをエルサレムへ連れて行き、神殿のいちばん高い所に立たせて言った。「もしお前が神の子なら、ここから飛び降りてみろ。
ルカ4:41 また、多くの人から悪霊も出て行った。悪霊たちは「あなたは神の子だ」と叫んだ。でもイエスは悪霊たちを叱って、話すのを許さなかった。イエスがキリストだと知っていたからだ。
ルカ8:28 その男はイエスを見ると、叫び声をあげてその前にひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、あなたはわたしに何のご用ですか。お願いです、どうかわたしを苦しめないでください。」
ルカ20:36 その人たちはもう死ぬこともない。天使のような存在であり、生き返った者として、神の子どもだからだ。
ルカ22:70 すると皆が言った。「では、お前は神の子なのか。」イエスは答えた。「あなたたちの言うとおり、わたしはそうである。」
ヨハネによる福音書(11か所)
ヨハネ1:12 しかし、光を受け入れた人、その名を信じた人には、神の子となる資格が与えられた。
ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方へ来られるのを見て、こう言った。「見なさい。世界の罪を取り除く、神の子羊だ。
ヨハネ1:36 そして、イエスが歩いているのに目をとめて、こう言った。「見なさい。神の子羊だ。」
ヨハネ1:49 ナタナエルは答えた。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
ヨハネ5:25 よくよく言っておく。死んだ者たちが神の子の声を聞く時が来る。今もう来ている。そして聞いた者は生きる。
ヨハネ10:36 父がご自分のものとして選び、世に送られた者がいる。そのわたしが「わたしは神の子だ」と言ったからといって、どうして「神を汚している」と言うのか。
ヨハネ11:4 この病気は死んで終わるものじゃない。神の栄光のためのものだ。それによって、神の子が栄光を受けるためなんだ。
ヨハネ11:27 マルタはイエスに言った。「はい、主よ。あなたが世に来るはずのキリスト、神の子だと、わたしは信じています。」
ヨハネ11:52 散らばっている神の子たちを一つに集めるためでもあった。しかも、この国民のためだけではない。
ヨハネ19:7 ユダヤ人たちはピラトに答えた。「わたしたちには律法がある。その律法によれば、この男は死罪だ。自分を神の子としたのだから」
ヨハネ20:31 これらのことを書いたのは、イエスこそが救い主キリスト、神の子であると、あなたがたに信じてほしいからだ。そして信じることで、イエスの名によっていのちを得てほしいからである。
使徒行伝(4か所)
使徒8:37 ピリポは言った。「心から信じているなら、受けてもかまいません。」すると彼は答えた。「わたしは、イエス・キリストが神の子だと信じます。」
使徒9:20 そしてすぐに、あちこちの会堂でイエスのことを語り始めた。「この方こそ神の子だ」と。
使徒17:28 わたしたちは神の中で生き、動き、存在しているのですから。あなたがたの詩人の何人かも、こう言っています。『わたしたちは神の子孫だ』と。
使徒17:29 わたしたちが神の子孫であるなら、神を、金や銀や石、つまり人の技と考えでかたどったものと同じだ、と考えてはいけません。
ローマ人への手紙(11か所)
ローマ1:4 死者の中からの復活により、聖なる霊にしたがって、力ある方として神の子と定められた。それがわたしたちの主イエス・キリストである。
ローマ5:10 わたしたちは神に敵対していた。それでも、神の子の死によって神と和解させてもらえた。だとすれば、和解した今、その子のいのちによって救われるのは、なおさら確実なことだ。
ローマ8:14 神の霊に導かれている人はみな、神の子である。
ローマ8:15 あなたがたが受けたのは、人をふたたび恐れさせる、奴隷の霊ではない。あなたがたが受けたのは、神の子にしてくれる霊だ。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼びかける。
ローマ8:16 霊そのものが、わたしたちの霊とともに、わたしたちが神の子どもであることを証ししてくれる。
ローマ8:19 被造物は、神の子どもたちが姿を現すその時を、今か今かと待ちわびている。
ローマ8:21 被造物自身も、いつか朽ちていく滅びの束縛から解放され、神の子どもたちが手にする栄光に満ちた自由へと導き入れられる。
ローマ8:23 それだけではない。聖霊という最初の贈り物を受けているわたしたち自身も、心の中でうめきながら、神の子とされること、つまりこの体が買い戻されて自由になることを待ち望んでいる。
ローマ9:4 彼らはイスラエルの民だ。神の子とされる特権も、栄光も、いくつもの契約も、律法が与えられたことも、礼拝も、数々の約束も、彼らのものだ。
ローマ9:8 つまり、肉から生まれた子がそのまま神の子になるわけではない。神が約束して生まれた子こそが、アブラハムの子孫として認められるのだ。
ローマ9:26 「あなたたちはわたしの民ではない」と告げられたその場所で、彼らは「生きている神の子ら」と呼ばれるようになる。
コリント人への第二の手紙(1か所)
コリント第二1:19 わたしと、シルワノと、テモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子イエス・キリスト。この方は「はい」であると同時に「いいえ」であるようなお方ではなかった。この方においては、いつも「はい」だけがあった。
ガラテヤ人への手紙(4か所)
ガラテヤ2:20 生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしの内に生きておられるのだ。今わたしが肉において生きているこの命は、わたしを愛し、わたしのために自分を差し出してくださった神の子を信じる信仰によって生きているのだ。
ガラテヤ3:26 あなたたちはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子だからだ。
ガラテヤ4:5 それは、律法のもとにいる人々を買い取って自由にし、わたしたちを神の子として迎えるためだった。
ガラテヤ4:6 そして、あなたたちが神の子だから、神はご自分の子の霊をわたしたちの心に送られた。その霊は「アッバ、父よ」と叫ぶ。
エペソ人への手紙(1か所)
エペソ4:13 そうして、わたしたちは皆、信仰において、また神の子を深く知ることにおいて一つになり、成熟した一人の人となる。つまり、キリストの満ちあふれる豊かさにふさわしい背丈にまで達するのだ。
ピリピ人への手紙(1か所)
ピリピ2:15 そうすれば、あなたがたは責められることのない純粋な者、傷のない神の子どもになれます。曲がってねじれたこの時代の中で、あなたがたは世界を照らす星のように輝いています。
テサロニケ人への第一の手紙(1か所)
テサロニケ第一1:10 さらに、神の子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、人々は語っている。神がその子を死者の中からよみがえらせたのだ。それがイエスであり、来ようとしている怒りからわたしたちを救い出してくださる方なのだ。
ヘブル人への手紙(4か所)
ヘブル4:14 さて、わたしたちには、もろもろの天を通って行かれた偉大な大祭司、神の子イエスがいる。だから、わたしたちが告白している信仰を、しっかりと守り続けよう。
ヘブル6:6 それなのに離れ落ちてしまった人たちを、もう一度立ち返らせて心を入れ替えさせることはできない。そういう人は、神の子を自分でもう一度十字架にかけ、みんなの前でさらしものにしているからだ。
ヘブル7:3 彼には父もなく、母もなく、家系の記録もない。生まれた日もなければ、命の終わりもない。神の子に似せられて、いつまでも祭司であり続ける。
ヘブル10:29 それなら、神の子を踏みつけ、自分がきよめられたその契約の血を汚れたものとみなし、恵みの霊を侮った者は、どれほど重い罰に値すると思うか。
ヨハネの第一の手紙(14か所)
ヨハネ第一1:7 でも、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持つことができる。そして、神の子イエスの血が、すべての罪からわたしたちを清めてくれる。
ヨハネ第一3:1 見てほしい。父がわたしたちに、どれほど大きな愛を注いでくれたことか。わたしたちは神の子どもと呼ばれ、そして実際にそうなのだ。世がわたしたちを知らないのは、世が父を知らなかったからだ。
ヨハネ第一3:2 愛する人たち。わたしたちは今、神の子どもだ。これから自分がどうなるのかは、まだ明らかにされていない。でも、こういうことはわかっている。キリストが現れるとき、わたしたちはキリストのような者になる。ありのままのキリストを、見ることになるからだ。
ヨハネ第一3:8 罪を犯し続ける人は、悪魔の側にいる。悪魔は初めからずっと罪を犯しているからだ。神の子が現れたのは、この悪魔のしわざを打ち壊すためだった。
ヨハネ第一3:10 こうして、だれが神の子どもで、だれが悪魔の子どもかがはっきりする。正しいことを行わない人はみな、神から出た者ではない。兄弟姉妹を愛さない人も同じだ。
ヨハネ第一3:23 その命令とはこうだ。神の子イエス・キリストの名を信じること。そして、キリストが命じてくださったとおり、互いに愛し合うこと。
ヨハネ第一4:15 イエスが神の子であると告白する人はだれでも、その人の中に神がおられ、その人も神の中にとどまる。
ヨハネ第一5:2 神を愛し、その命令を実行するとき、わたしたちが神の子どもたちを愛していることがわかる。
ヨハネ第一5:5 世に打ち勝つ人とは、いったい誰だろう。イエスが神の子だと信じる人、その人だけだ。
ヨハネ第一5:10 神の子を信じる人は、この証しを自分の内に持っている。神を信じない人は、神を偽り者にしている。神がご自分の子について語られた証しを、信じていないからだ。
ヨハネ第一5:11 その証しとはこうだ。神はわたしたちに永遠の命を与えてくださった。そして、この命は神の子の中にある。
ヨハネ第一5:12 神の子を持つ人は、この命を持っている。神の子を持たない人は、命を持っていない。
ヨハネ第一5:13 これらのことを書いたのは、神の子の名を信じているあなたたちに、自分が永遠の命を持っていると知ってほしいからだ。
ヨハネ第一5:20 そして、こうも知っている。神の子が来て、まことの方を知るための理解力を、わたしたちに与えてくださった。わたしたちは、そのまことの方の内にいる。その子イエス・キリストの内にいるのだ。この方こそ、まことの神であり、永遠の命だ。
ヨハネの黙示録(1か所)
黙示録2:18 また、ティアティラにある教会の使者に、こう書き送りなさい。燃える炎のような目を持ち、その足が磨かれた真鍮のように輝く、神の子が、こう言われる。