「多い」(おおい)が出てくる聖書の箇所

「多い」(おおい)は口語訳の279か所(旧約233・新約46)に出てきます。「多し」も含みます。日常訳第1版では145か所。

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279か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。

エレミヤ書(13か所)

エレミヤ書46:23 彼かれらは彼かれの林はやしがいかに入はいり込こみがたくとも、それを切きり倒たおす。彼かれらはいなごよりも多おおく、数かぞえがたいからであると、主しゅは言いわれる。

エレミヤ書48:33 喜よろこびと楽たのしみは、実みのり多おおいモアブの地ちを去さった。わたしは、ぶどうをしぼる所ところにも酒さけをなくした。楽たのしく呼よばわって、ぶどうを踏ふむ者ものもなくなった。呼よばわっても、喜よろこんで呼よばわる声こえではない。

哀歌(2か所)

哀歌1:5 そのあだはかしらとなり、その敵てきは栄さかえている。そのとがが多おおいので、主しゅがこれを悩なやまされたからである。その幼おさな子ごたちは捕とらわれて、あだの前まえに行いった。

哀歌1:22 彼かれらの悪あくをことごとくあなたの前まえにあらわし、さきにわがもろもろのとがのために、わたしに行おこなわれたように、彼かれらにも行いってください。わが嘆なげきは多おおく、わが心こころは弱よわりはてているからです」。

エゼキエル書(14か所)

エゼキエル書17:3 言いえ。主しゅなる神かみがこう言いわれる、さまざまの色いろの羽毛うもうを多おおく持もち、大おおきな翼つばさと、長ながい羽根はねとを持もつ大おおわしがレバノンに来きて、香こう柏かしわのこずえにとまり、

エゼキエル書17:5 またその地ちの種たねをとって、これを肥こえた土つちに植うえた。すなわち水みずの多おおい所ところにもって行いって、柳やなぎを植うえるようにこれを植うえた。

エゼキエル書17:7 ここにまた大おおきな翼つばさと、羽毛うもうの多おおいほかの一ひと羽わの大おおわしがあった。見みよ、このぶどうの木きは、潤うるおいを得えるために、その根ねをわしに向むかってまげ、その枝えだをわしに向むかって伸のばした。

エゼキエル書17:8 これが枝えだを出だし、実じつを結むすび、みごとなぶどうの木きとなるために、わしはこれを植うえた苗床なえどこから水みずの多おおい良よい地ちに移うつし植うえた。

エゼキエル書19:10 あなたの母ははは水みずのほとりに移うつし植うえられたぶどう畑はたけのぶどうの木きのようで、水みずが多おおいために実みのりがよく、枝えだがはびこった。

エゼキエル書23:11 その妹いもうとアホリバはこれを見みて、姉あねよりも情欲じょうよくをほしいままにし、姉あねの淫行いんこうよりも多おおく淫行いんこうをなし、

エゼキエル書23:32 主しゅなる神かみはこう言いわれる、あなたは姉あねの深ふかい、大おおきな杯さかずきを飲のみ、笑わらい物ものとなり、あざけりとなる、この杯さかずきにはそれらが多おおくこもっている。

エゼキエル書27:16 あなたの製品せいひんが多おおいので、エドムはあなたと商売しょうばいし、彼かれらは赤玉あかだま、紫むらさき、縫ぬい取とりの布ぬの、細布ほそめ、さんご、めのうをもって、あなたの商品しょうひんと交換こうかんした。

エゼキエル書27:18 あなたの製品せいひんが多おおく、あなたの富とみが多おおいので、ダマスコはあなたと取引とりひきし、ヘルボンの酒さけと、さらした羊毛ようもうと、

エゼキエル書31:9 わたしはその枝えだを多おおくして、これを美うつくしくした。神かみの園そのにあるエデンの木きは皆みなこれをうらやんだ。

エゼキエル書33:24 「人ひとの子こよ、イスラエルの地ちの、かの荒あれ跡あとの住民じゅうみんらは、語かたり続つづけて言ゆう、『アブラハムはただひとりで、なおこの地ちを所有しょゆうした。しかしわたしたちの数かずは多おおい。この地ちはわれわれの所有しょゆうとして与あたえられている』と。

エゼキエル書35:13 あなたがたは、わたしに対たいして口くちをもって誇ほこり、またわたしに対たいして、あなたがたの言葉ことばを多おおくした。わたしはそれを聞きいた。

エゼキエル書36:30 またわたしは木この実みと、田畑たはたの作物さくもつとを多おおくする。あなたがたは重かさねて諸しょ国民こくみんの間あいだに、ききんのはずかしめを受うけることがない。

エゼキエル書47:10 すなどる者ものが、海うみのかたわらに立たち、エンゲデからエン・エグライムまで、網あみを張はる所ところとなる。その魚さかなは、大海たいかいの魚さかなのように、その種類しゅるいがはなはだ多おおい。

ホセア書(6か所)

ホセア書2:8 彼女かのじょに穀物こくもつと酒さけと油あぶらとを与あたえた者もの、またバアルのために用もちいた銀ぎんと金かねとを多おおく彼女かのじょに与あたえた者ものは、わたしであったことを彼女かのじょは知しらなかった。

ホセア書8:14 イスラエルは自分じぶんの造つくり主ぬしを忘わすれて、もろもろの宮殿きゅうでんを建たてた。ユダは堅固けんごな町々まちまちを多おおく増まし加くわえた。しかしわたしは火ひをその町々まちまちに送おくって、もろもろの城しろを焼やき滅ほろぼす。

ホセア書9:7 刑罰けいばつの日ひは来きた。報むくいの日ひは来きた。イスラエルはこれを知しる。預言よげん者しゃは愚おろかな者もの、霊れいに感かんじた人ひとは狂くるった者ものだ。これはあなたがたの不義ふぎが多おおく、恨うらみが大おおきいためである。

ホセア書10:1 イスラエルは実じつを結むすぶ茂しげったぶどうの木きである。その実じつを多おおく結むすぶにしたがって、祭壇さいだんを増まし、その地ちの豊ゆたかなるにしたがって、柱はしらの像ぞうを麗うるわしくした。

ホセア書10:13 あなたがたは悪あくを耕たがやし、不義ふぎを刈かりおさめ、偽いつわりの実じつを食たべた。これはあなたがたが自分じぶんの戦車せんしゃを頼たのみ、勇士ゆうしの多おおいことを頼たのんだためである。

ホセア書12:10 わたしは預言よげん者しゃたちに語かたった。幻まぼろしを多おおく示ししめしたのはわたしである。わたしは預言よげん者しゃたちによってたとえを語かたった。

ヨエル書(1か所)

ヨエル書2:11 主しゅはその軍勢ぐんぜいの前まえで声こえをあげられる。その軍隊ぐんたいは非常ひじょうに多おおいからである。そのみ言葉ことばをなし遂とげる者ものは強つよい。主しゅの日ひは大おおいにして、はなはだ恐おそろしいゆえ、だれがこれに耐たえることができよう。

アモス書(1か所)

アモス書5:12 わたしは知しる、あなたがたのとがは多おおく、あなたがたの罪つみは大おおきいからである。あなたがたは正ただしい者ものをしえたげ、まいないを取とり、門もんで貧まずしい者ものを退しりぞける。

ミカ書(1か所)

ミカ書2:12 ヤコブよ、わたしは必かならずあなたをことごとく集あつめ、イスラエルの残のこれる者ものを集あつめる。わたしはこれをおりの羊ひつじのように、牧場ぼくじょうの中なかの群むれのように共ともにおく。これは人ひとの多おおきによって騒さわがしくなる。

ナホム書(2か所)

ナホム書1:12 主しゅはこう言いわれる、「たとい彼かれらは強つよく、かつ多おおくあっても、切きり倒たおされて絶たえはてる。わたしはあなたを苦くるしめたが、重かさねてあなたを苦くるしめない。

ナホム書3:16 あなたは自分じぶんの商人しょうにんを天てんの星ほしよりも多おおくした。いなごは羽はねをはって飛とび去さる。

ハガイ書(1か所)

ハガイ書1:6 あなたがたは多おおくまいても、取入とりいれは少すくなく、食たべても、飽あきることはない。飲のんでも、満みたされない。着きても、暖あたたまらない。賃銀ちんぎんを得えても、これを破やぶれた袋ふくろに入いれているようなものである。

ゼカリヤ書(3か所)

ゼカリヤ書2:4 言いった、「走はしって行いって、あの若わかい人ひとに言いいいなさい、『エルサレムはその中なかに、人ひとと家畜かちくが多おおくなるので、城壁じょうへきのない村里むらざとのように、人ひとの住すむ所ところとなるでしょう。

ゼカリヤ書10:10 わたしは彼かれらをエジプトの国くにから連つれ帰かえり、アッスリヤから彼かれらを集あつめる。わたしはギレアデの地ちおよびレバノンに彼かれらを連つれて行いく。彼かれらはいる所ところもないほどに多おおくなる。

ゼカリヤ書14:14 ユダもまた、エルサレムに敵てきして戦たたかう。その周囲しゅういのすべての国くにびとの財宝ざいほう、すなわち金銀きんぎん、衣服いふくなどが、はなはだ多おおく集あつめられる。

マタイによる福音書(6か所)

マタイ6:7 また、祈いのる場合ばあい、異邦いほう人にんのように、くどくどと祈いのるな。彼かれらは言葉ことばかずが多おおければ、聞ききいれられるものと思おもっている。

マタイ7:13 狭せまい門もんからはいれ。滅ほろびにいたる門もんは大おおきく、その道みちは広ひろい。そして、そこからはいって行いく者ものが多おおい。

マタイ9:37 そして弟子でしたちに言いわれた、「収穫しゅうかくは多おおいが、働はたらき人にんが少すくない。

マタイ20:10 ところが、最初さいしょの人々ひとびとがきて、もっと多おおくもらえるだろうと思おもっていたのに、彼かれらも一いちデナリずつもらっただけであった。

マタイ22:14 招まねかれる者ものは多おおいが、選えらばれる者ものは少すくない」。

マタイ27:55 また、そこには遠とおくの方ほうから見みている女おんなたちも多おおくいた。彼かれらはイエスに仕つかえて、ガリラヤから従したがってきた人ひとたちであった。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ6:31 するとイエスは彼かれらに言いわれた、「さあ、あなたがたは、人ひとを避さけて寂さびしい所ところへ行いって、しばらく休やすむがよい」。それは、出入でいりする人ひとが多おおくて、食事しょくじをする暇ひまもなかったからである。

ルカによる福音書(8か所)

ルカ7:42 ところが、返かえすことができなかったので、彼かれはふたり共ともゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼かれを多おおく愛あいするだろうか」。

ルカ7:43 シモンが答こたえて言いった、「多おおくゆるしてもらったほうだと思おもいます」。イエスが言いわれた、「あなたの判断はんだんは正ただしい」。

ルカ7:47 それであなたに言ゆうが、この女おんなは多おおく愛あいしたから、その多おおくの罪つみはゆるされているのである。少すこしだけゆるされた者ものは、少すこしだけしか愛あいさない」。

ルカ10:2 そのとき、彼かれらに言いわれた、「収穫しゅうかくは多おおいが、働はたらき人にんが少すくない。だから、収穫しゅうかくの主しゅに願ねがって、その収穫しゅうかくのために働はたらき人にんを送おくり出だすようにしてもらいなさい。

ルカ10:42 しかし、無なくてならぬものは多おおくはない。いや、一ひとつだけである。マリヤはその良よい方ほうを選えらんだのだ。そしてそれは、彼女かのじょから取とり去さってはならないものである」。

ルカ12:47 主人しゅじんのこころを知しっていながら、それに従したがって用意よういもせず勤つとめもしなかった僕ぼくは、多おおくむち打うたれるであろう。

ルカ12:48 しかし、知しらずに打うたれるようなことをした者ものは、打うたれ方かたが少すくないだろう。多おおく与あたえられた者ものからは多おおく求もとめられ、多おおく任まかせられた者ものからは更さらに多おおく要求ようきゅうされるのである。

ルカ13:24 そこでイエスは人々ひとびとにむかって言いわれた、「狭せまい戸口とぐちからはいるように努つとめなさい。事実じじつ、はいろうとしても、はいれない人ひとが多おおいのだから。

ヨハネによる福音書(7か所)

ヨハネ4:1 イエスが、ヨハネよりも多おおく弟子でしをつくり、またバプテスマを授さずけておられるということを、パリサイ人にんたちが聞ききき、それを主しゅが知しられたとき、

ヨハネ6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千ごせん人にんほどであった。

ヨハネ12:42 しかし、役人やくにんたちの中なかにも、イエスを信しんじた者ものが多おおかったが、パリサイ人にんをはばかって、告白こくはくはしなかった。会堂かいどうから追おい出だされるのを恐おそれていたのである。

ヨハネ16:12 わたしには、あなたがたに言ゆうべきことがまだ多おおくあるが、あなたがたは今いまはそれに堪たえられない。

ヨハネ20:30 イエスは、この書しょに書かかかれていないしるしを、ほかにも多おおく、弟子でしたちの前まえで行おこなわれた。

ヨハネ21:6 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「舟ふねの右みぎの方ほうに網あみをおろして見みなさい。そうすれば、何なんかとれるだろう」。彼かれらは網あみをおろすと、魚さかなが多おおくとれたので、それを引ひき上あげることができなかった。

ヨハネ21:11 シモン・ペテロが行いって、網あみを陸りくへ引ひき上あげると、百ひゃく五十ごじゅう三さんびきの大おおきな魚さかなでいっぱいになっていた。そんなに多おおかったが、網あみはさけないでいた。

使徒行伝(2か所)

使徒5:14 しかし、主しゅを信しんじて仲間なかまに加くわわる者ものが、男女だんじょとも、ますます多おおくなってきた。

使徒11:21 そして、主しゅのみ手てが彼かれらと共ともにあったため、信しんじて主しゅに帰依きえするものの数かずが多おおかった。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ12:5 わたしたちも数すうは多おおいが、キリストにあって一ひとつのからだであり、また各自かくじは互たがいに肢体したいだからである。

コリント人への第一の手紙(11か所)

コリント第一1:26 兄弟きょうだいたちよ。あなたがたが召めされた時ときのことを考かんがえてみるがよい。人間にんげん的てきには、知恵ちえのある者ものが多おおくはなく、権力けんりょくのある者ものも多おおくはなく、身分みぶんの高たかい者ものも多おおくはいない。

コリント第一4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育よういく掛がかりが一いち万まん人にんあったとしても、父ちちが多おおくあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音ふくいんによりあなたがたを生うんだのは、わたしなのである。

コリント第一10:17 パンが一ひとつであるから、わたしたちは多おおくいても、一ひとつのからだなのである。みんなの者ものが一ひとつのパンを共ともにいただくからである。

コリント第一11:6 もし女おんながおおいをかけないなら、髪かみを切きってしまうがよい。髪かみを切きったりそったりするのが、女おんなにとって恥はずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。

コリント第一11:13 あなたがた自身じしんで判断はんだんしてみるがよい。女おんながおおいをかけずに神かみに祈いのるのは、ふさわしいことだろうか。

コリント第一12:12 からだが一ひとつであっても肢体したいは多おおくあり、また、からだのすべての肢体したいが多おおくあっても、からだは一ひとつであるように、キリストの場合ばあいも同様どうようである。

コリント第一12:20 ところが実際じっさい、肢体したいは多おおくあるが、からだは一ひとつなのである。

コリント第一14:18 わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多おおく異言いげんが語かたれることを、神かみに感謝かんしゃする。

コリント第一14:27 もし異言いげんを語かたる者ものがあれば、ふたりか、多おおくて三さん人にんの者ものが、順々じゅんじゅんに語かたり、そして、ひとりがそれを解とくべきである。

コリント第一15:10 しかし、神かみの恵めぐみによって、わたしは今日きょうあるを得えているのである。そして、わたしに賜たまわった神かみの恵めぐみはむだにならず、むしろ、わたしは彼かれらの中なかのだれよりも多おおく働はたらいてきた。しかしそれは、わたし自身じしんではなく、わたしと共ともにあった神かみの恵めぐみである。

コリント第一16:9 また敵対てきたいする者ものも多おおいからである。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二3:18 わたしたちはみな、顔かおおおいなしに、主しゅの栄光えいこうを鏡かがみに映うつすように見みつつ、栄光えいこうから栄光えいこうへと、主しゅと同おなじ姿すがたに変かえられていく。これは霊れいなる主しゅの働はたらきによるのである。

コリント第二8:15 それは「多おおく得えた者ものも余あまることがなく、少すこししか得えなかった者ものも足たりないことはなかった」と書かいてあるとおりである。

コリント第二11:23 彼かれらはキリストの僕ぼくなのか。わたしは気きが狂くるったようになって言ゆう、わたしは彼かれら以上いじょうにそうである。苦労くろうしたことはもっと多おおく、投獄とうごくされたことももっと多おおく、むち打うたれたことは、はるかにおびただしく、死しに面めんしたこともしばしばあった。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ4:27 すなわち、こう書かいてある、「喜よろこべ、不妊ふにんの女おんなよ。声こえをあげて喜よろこべ、産うみの苦くるしみを知しらない女おんなよ。ひとり者ものとなっている女おんなは多おおくの子こを産うみ、その数すうは、夫おっとある女おんなの子こらよりも多おおい」。

ピリピ人への手紙(2か所)

ピリピ1:22 しかし、肉体にくたいにおいて生いきていることが、わたしにとっては実みのり多おおい働はたらきになるのだとすれば、どちらを選えらんだらよいか、わたしにはわからない。

ピリピ3:18 わたしがそう言いうのは、キリストの十字じゅうじ架かに敵対てきたいして歩あるいている者ものが多おおいからである。わたしは、彼かれらのことをしばしばあなたがたに話はなしたが、今いままた涙なみだを流ながして語かたる。

テトスへの手紙(1か所)

テトス1:10 実じつは、法ほうに服ふくさない者もの、空論くうろんに走はしる者もの、人ひとの心こころを惑まどわす者ものが多おおくおり、とくに、割礼かつれいのある者ものの中なかに多おおい。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル1:9 あなたは義ぎを愛あいし、不法ふほうを憎にくまれた。それゆえに、神かみ、あなたの神かみは、喜よろこびのあぶらを、あなたの友ともに注そそぐよりも多おおく、あなたに注そそがれた」と言いいい、

ヨハネの第二の手紙(1か所)

ヨハネ第二1:7 なぜなら、イエス・キリストが肉体にくたいをとってこられたことを告白こくはくしないで人ひとを惑まどわす者ものが、多おおく世よにはいってきたからである。そういう者ものは、惑まどわす者ものであり、反はんキリストである。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録20:8 そして、出でて行いき、地ちの四方しほうにいる諸しょ国民こくみん、すなわちゴグ、マゴグを惑まどわし、彼かれらを戦たたかいのために召集しょうしゅうする。その数すうは、海うみの砂すなのように多おおい。

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