「人間」(にんげん)が出てくる聖書の箇所

「人間」(にんげん)は口語訳の80か所(旧約8・新約72)に出てきます。日常訳第1版では106か所。

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ヨブ記(1か所)

ヨブ記11:11 彼かれは卑いやしい人間にんげんを知しっておられるからだ。彼かれは不義ふぎを見みる時とき、これに心こころをとめられぬであろうか。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書44:11 見みよ、その仲間なかまは皆みな恥はじを受うける。その細工さいく人にんらは人間にんげんにすぎない。彼かれらが皆みな集あつまって立たつとき、恐おそれて共ともに恥はじる。

ダニエル書(5か所)

ダニエル書4:16 またその心こころは変かわって人間にんげんの心こころのようでなく、獣けものの心こころが与あたえられて、七ななつの時ときを過すごさせよ。

ダニエル書4:17 この宣言せんげんは警護けいご者しゃたちの命令めいれいによるもの、この決定けっていは聖者せいじゃたちの言葉ことばによるもので、いと高たかき者ものが、人間にんげんの国くにを治おさめて、自分じぶんの意いのままにこれを人ひとに与あたえ、また人ひとのうちの最ももっとも卑いやしい者ものを、その上うえに立たてられるという事ことを、すべての者ものに知しらせるためである』と。

ダニエル書4:25 すなわちあなたは追おわれて世よの人ひとを離はなれ、野のの獣けものと共ともにおり、牛うしのように草くさを食くい、天てんからくだる露ろにぬれるでしょう。こうして七ななつの時ときが過すぎて、ついにあなたは、いと高たかき者ものが人間にんげんの国くにを治おさめて、自分じぶんの意いのままに、これを人ひとに与あたえられることを知しるに至いたるでしょう。

ダニエル書4:32 あなたは、追おわれて世よの人ひとを離はなれ、野のの獣けものと共ともにおり、牛うしのように草くさを食くい、こうして七ななつの時ときを経へて、ついにあなたは、いと高たかき者ものが人間にんげんの国くにを治おさめて、自分じぶんの意いのままに、これを人ひとに与あたえられることを知しるに至いたるだろう」。

ダニエル書5:21 追おわれて世よの人ひとと離はなれ、その思おもいは獣けもののようになり、そのすまいは野のろばと共ともにあり、牛うしのように草くさを食くい、その身みは天てんからくだる露ろにぬれ、こうしてついに彼かれは、いと高たかき神かみが人間にんげんの国くにを治おさめて、自分じぶんの意いのままに人ひとを立たてられるということを、知しるようになりました。

ハガイ書(1か所)

ハガイ書1:11 また、わたしは地ちにも、山やまにも、穀物こくもつにも、新あたらしい酒さけにも、油あぶらにも、地ちに生しょうじるものにも、人間にんげんにも、家畜かちくにも、手てで作つくるすべての作物さくもつにも、ひでりを呼よび寄よせた」。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ4:19 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間にんげんをとる漁師りょうしにしてあげよう」。

マタイ15:9 人間にんげんのいましめを教きょうとして教おしえ、無む意味いみにわたしを拝おがんでいる』」。

マルコによる福音書(3か所)

マルコ1:17 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間にんげんをとる漁師りょうしにしてあげよう」。

マルコ7:7 人間にんげんのいましめを教きょうとして教おしえ、無む意味いみにわたしを拝おがんでいる』。

マルコ7:8 あなたがたは、神かみのいましめをさしおいて、人間にんげんの言伝いいつたえを固執こしつしている」。

ルカによる福音書(3か所)

ルカ5:10 シモンの仲間なかまであったゼベダイの子こヤコブとヨハネも、同様どうようであった。すると、イエスがシモンに言いわれた、「恐おそれることはない。今いまからあなたは人間にんげんをとる漁師りょうしになるのだ」。

ルカ18:11 パリサイ人にんは立たって、ひとりでこう祈いのった、『神かみよ、わたしはほかの人ひとたちのような貪欲どんよくな者もの、不正ふせいな者もの、姦淫かんいんをする者ものではなく、また、この取とり税ぜい人にんのような人間にんげんでもないことを感謝かんしゃします。

ルカ19:22 彼かれに言いった、『悪わるい僕ぼくよ、わたしはあなたの言いったその言葉ことばであなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取とりたて、まかなかったものを刈かる人間にんげんだと、知しっているのか。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ10:33 ユダヤ人にんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚よごしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。

使徒行伝(9か所)

使徒5:29 これに対たいして、ペテロをはじめ使徒しとたちは言いった、「人間にんげんに従したがうよりは、神かみに従したがうべきである。

使徒5:38 そこで、この際さい、諸君しょくんに申もうし上あげる。あの人ひとたちから手てを引ひいて、そのなすままにしておきなさい。その企くわだてや、しわざが、人間にんげんから出でたものなら、自滅じめつするだろう。

使徒10:26 するとペテロは、彼かれを引ひき起おこして言いった、「お立たちなさい。わたしも同おなじ人間にんげんです」。

使徒10:28 ペテロは彼かれらに言いった、「あなたがたが知しっているとおり、ユダヤ人にんが他国たこくの人ひとと交際こうさいしたり、出入でいりしたりすることは、禁きんじられています。ところが、神かみは、どんな人間にんげんをも清きよくないとか、汚よごれているとか言いってはならないと、わたしにお示ししめしになりました。

使徒12:22 集あつまった人々ひとびとは、「これは神かみの声こえだ、人間にんげんの声こえではない」と叫さけびつづけた。

使徒14:11 群衆ぐんしゅうはパウロのしたことを見みて、声こえを張はりあげ、ルカオニヤの地方ちほう語ごで、「神々かみがみが人間にんげんの姿すがたをとって、わたしたちのところにお下くだりになったのだ」と叫さけんだ。

使徒14:15 言いった、「皆みなさん、なぜこんな事ことをするのか。わたしたちとても、あなたがたと同おなじような人間にんげんである。そして、あなたがたがこのような愚ぐにもつかぬものを捨すてて、天てんと地ちと海うみと、その中なかのすべてのものをお造つくりになった生いける神かみに立たち帰かえるようにと、福音ふくいんを説といているものである。

使徒17:29 このように、われわれは神かみの子孫しそんなのであるから、神かみたる者ものを、人間にんげんの技巧ぎこうや空想くうそうで金かねや銀ぎんや石いしなどに彫えり付つけたものと同おなじと、見みなすべきではない。

使徒24:5 さて、この男おとこは、疫病やくびょうのような人間にんげんで、世界せかい中ちゅうのすべてのユダヤ人にんの中なかに騒さわぎを起おこしている者ものであり、また、ナザレ人にんらの異端いたんのかしらであります。

ローマ人への手紙(7か所)

ローマ1:18 神かみの怒いかりは、不義ふぎをもって真理しんりをはばもうとする人間にんげんのあらゆる不ふ信心しんじんと不義ふぎとに対たいして、天てんから啓示けいじされる。

ローマ1:23 不朽ふきゅうの神かみの栄光えいこうを変かえて、朽くちる人間にんげんや鳥とりや獣けものや這はうものの像ぞうに似にせたのである。

ローマ3:5 しかし、もしわたしたちの不義ふぎが、神かみの義ぎを明あきらかにするとしたら、なんと言ゆうべきか。怒いかりを下くだす神かみは、不義ふぎであると言いうのか(これは人間にんげん的てきな言いいい方かたではある)。

ローマ3:20 なぜなら、律法りっぽうを行おこなうことによっては、すべての人間にんげんは神かみの前まえに義ぎとせられないからである。律法りっぽうによっては、罪つみの自覚じかくが生しょうじるのみである。

ローマ6:19 わたしは人間にんげん的てきな言いいい方かたをするが、それは、あなたがたの肉にくの弱よわさのゆえである。あなたがたは、かつて自分じぶんの肢体したいを汚よごれと不法ふほうとの僕ぼくとしてささげて不法ふほうに陥おちいったように、今いまや自分じぶんの肢体したいを義ぎの僕ぼくとしてささげて、きよくならねばならない。

ローマ7:24 わたしは、なんというみじめな人間にんげんなのだろう。だれが、この死しのからだから、わたしを救すくってくれるだろうか。

ローマ9:16 ゆえに、それは人間にんげんの意志いしや努力どりょくによるのではなく、ただ神かみのあわれみによるのである。

コリント人への第一の手紙(11か所)

コリント第一1:26 兄弟きょうだいたちよ。あなたがたが召めされた時ときのことを考かんがえてみるがよい。人間にんげん的てきには、知恵ちえのある者ものが多おおくはなく、権力けんりょくのある者ものも多おおくはなく、身分みぶんの高たかい者ものも多おおくはいない。

コリント第一1:29 それは、どんな人間にんげんでも、神かみのみまえに誇ほこることがないためである。

コリント第一2:11 いったい、人間にんげんの思おもいは、その内うちにある人間にんげんの霊れい以外いがいに、だれが知しっていようか。それと同おなじように神かみの思おもいも、神かみの御ご霊れい以外いがいには、知しるものはない。

コリント第一2:13 この賜物たまものについて語かたるにも、わたしたちは人間にんげんの知恵ちえが教おしえる言葉ことばを用もちいないで、御ご霊れいの教おしえる言葉ことばを用もちい、霊れいによって霊れいのことを解釈かいしゃくするのである。

コリント第一3:3 あなたがたはまだ、肉にくの人ひとだからである。あなたがたの間あいだに、ねたみや争あらそいがあるのは、あなたがたが肉にくの人ひとであって、普通ふつうの人間にんげんのように歩あるいているためではないか。

コリント第一3:4 すなわち、ある人ひとは「わたしはパウロに」と言いいい、ほかの人ひとは「わたしはアポロに」と言いっているようでは、あなたがたは普通ふつうの人間にんげんではないか。

コリント第一3:21 だから、だれも人間にんげんを誇ほこってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。

コリント第一4:3 わたしはあなたがたにさばかれたり、人間にんげんの裁判さいばんにかけられたりしても、なんら意いに介かいしない。いや、わたしは自分じぶんをさばくこともしない。

コリント第一4:13 ののしられては優やさしい言葉ことばをかけている。わたしたちは今いまに至いたるまで、この世よのちりのように、人間にんげんのくずのようにされている。

コリント第一9:8 わたしは、人間にんげんの考かんがえでこう言いうのではない。律法りっぽうもまた、そのように言いっているではないか。

コリント第一15:32 もし、わたしが人間にんげんの考かんがえによってエペソで獣けものと戦たたかったとすれば、それはなんの役やくに立たつのか。もし死人しにんがよみがえらないのなら、「わたしたちは飲のみ食くいしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。

コリント人への第二の手紙(2か所)

コリント第二1:12 さて、わたしたちがこの世よで、ことにあなたがたに対たいし、人間にんげんの知恵ちえによってではなく神かみの恵めぐみによって、神かみの神聖しんせいと真実しんじつとによって行動こうどうしてきたことは、実じつにわたしたちの誇ほこりであって、良心りょうしんのあかしするところである。

コリント第二12:4 パラダイスに引ひき上あげられ、そして口くちに言い表わせいいあらわせない、人間にんげんが語かたってはならない言葉ことばを聞きいたのを、わたしは知しっている。

ガラテヤ人への手紙(3か所)

ガラテヤ1:11 兄弟きょうだいたちよ。あなたがたに、はっきり言いっておく。わたしが宣のべ伝つたえた福音ふくいんは人間にんげんによるものではない。

ガラテヤ1:12 わたしは、それを人間にんげんから受うけたのでも教おしえられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示けいじによったのである。

ガラテヤ3:15 兄弟きょうだいたちよ。世よのならわしを例れいにとって言いおう。人間にんげんの遺言ゆいごんでさえ、いったん作成さくせいされたら、これを無効むこうにしたり、これに付つけ加くわえたりすることは、だれにもできない。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ2:7 かえって、おのれをむなしうして僕ぼくのかたちをとり、人間にんげんの姿すがたになられた。その有様ありさまは人ひとと異ことならず、

コロサイ人への手紙(2か所)

コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学てつがくで、人ひとのとりこにされないように、気きをつけなさい。それはキリストに従したがわず、世よのもろもろの霊力れいりょくに従したがう人間にんげんの言伝いいつたえに基もとづくものにすぎない。

コロサイ2:22 これらは皆みな、使つかえば尽つきてしまうもの、人間にんげんの規定きていや教きょうによっているものである。

テサロニケ人への第一の手紙(3か所)

テサロニケ第一2:4 かえって、わたしたちは神かみの信任しんにんを受うけて福音ふくいんを託たくされたので、人間にんげんに喜よろこばれるためではなく、わたしたちの心こころを見分みわける神かみに喜よろこばれるように、福音ふくいんを語かたるのである。

テサロニケ第一2:6 また、わたしたちは、キリストの使徒しととして重おもんじられることができたのであるが、あなたがたからにもせよ、ほかの人々ひとびとからにもせよ、人間にんげんからの栄誉えいよを求もとめることはしなかった。

テサロニケ第一2:13 これらのことを考かんがえて、わたしたちがまた絶たえず神かみに感謝かんしゃしているのは、あなたがたがわたしたちの説といた神かみの言げんを聞きいた時ときに、それを人間にんげんの言葉ことばとしてではなく、神かみの言げんとして――事実じじつそのとおりであるが――受うけいれてくれたことである。そして、この神かみの言げんは、信しんじるあなたがたのうちに働はたらいているのである。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一6:16 神かみはただひとり不死ふしを保たもち、近ちかづきがたい光ひかりの中なかに住すみ、人間にんげんの中なかでだれも見みた者ものがなく、見みることもできないかたである。ほまれと永遠えいえんの支配しはいとが、神かみにあるように、アァメン。

ヘブル人への手紙(7か所)

ヘブル2:6 聖書せいしょはある箇所かしょで、こうあかししている、「人間にんげんが何者なにものだから、これを御お心こころに留とめられるのだろうか。人ひとの子こが何者なにものだから、これをかえりみられるのだろうか。

ヘブル5:1 大だい祭司さいしなるものはすべて、人間にんげんの中なかから選えらばれて、罪つみのために供そなえ物ものといけにえとをささげるように、人々ひとびとのために神かみに仕つかえる役やくに任にんじられた者ものである。

ヘブル6:16 いったい、人間にんげんは自分じぶんより上うえのものをさして誓ちかうのであり、そして、その誓ちかいはすべての反対はんたい論ろんを封ふうじる保証ほしょうとなるのである。

ヘブル7:8 その上うえ、一方いっぽうでは死しぬべき人間にんげんが、十じゅう分ぶんの一いちを受うけているが、他方たほうでは「彼かれは生いきている者もの」とあかしされた人ひとが、それを受うけている。

ヘブル7:28 律法りっぽうは、弱よわさを身みに負おう人間にんげんを立たてて大だい祭司さいしとするが、律法りっぽうの後あとにきた誓ちかいの御言みことは、永遠えいえんに全まっとうされた御子みこを立たてて、大だい祭司さいしとしたのである。

ヘブル8:2 人間にんげんによらず主しゅによって設もうけられた真しんの幕屋まくやなる聖しょう所しょで仕つかえておられる、ということである。

ヘブル9:27 そして、一いち度どだけ死しぬことと、死しんだ後あとさばきを受うけることとが、人間にんげんに定さだまっているように、

ヤコブの手紙(3か所)

ヤコブ1:8 そんな人間にんげんは、二心にしんの者ものであって、そのすべての行動こうどうに安定あんていがない。

ヤコブ3:9 わたしたちは、この舌したで父ちちなる主しゅをさんびし、また、その同おなじ舌したで、神かみにかたどって造つくられた人間にんげんをのろっている。

ヤコブ5:17 エリヤは、わたしたちと同おなじ人間にんげんであったが、雨あめが降ふらないようにと祈いのりをささげたところ、三さん年ねん六ろくか月げつのあいだ、地上ちじょうに雨あめが降ふらなかった。

ペテロの第一の手紙(2か所)

ペテロ第一4:2 それは、肉にくにおける残のこりの生涯しょうがいを、もはや人間にんげんの欲情よくじょうによらず、神かみの御お旨むねによって過すごすためである。

ペテロ第一4:6 死人しにんにさえ福音ふくいんが宣のべ伝つたえられたのは、彼かれらは肉にくにおいては人間にんげんとしてさばきを受うけるが、霊れいにおいては神かみに従したがって生いきるようになるためである。

ペテロの第二の手紙(2か所)

ペテロ第二1:21 なぜなら、預言よげんは決けっして人間にんげんの意志いしから出でたものではなく、人々ひとびとが聖霊せいれいに感かんじ、神かみによって語かたったものだからである。

ペテロ第二2:16 そのために、自分じぶんのあやまちに対たいするとがめを受うけた。ものを言いわないろばが、人間にんげんの声こえでものを言いいい、この預言よげん者しゃの狂気きょうきじみたふるまいをはばんだのである。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一5:9 わたしたちは人間にんげんのあかしを受うけいれるが、しかし、神かみのあかしはさらにまさっている。神かみのあかしというのは、すなわち、御子みこについて立たてられたあかしである。

ヨハネの黙示録(9か所)

黙示録9:5 彼かれらは、人間にんげんを殺ころすことはしないで、五ごか月げつのあいだ苦くるしめることだけが許ゆるされた。彼かれらの与あたえる苦痛くつうは、人ひとがさそりにさされる時ときのような苦痛くつうであった。

黙示録9:7 これらのいなごは、出陣しゅつじんの用意よういのととのえられた馬うまによく似にており、その頭あたまには金かねの冠かんむりのようなものをつけ、その顔かおは人間にんげんの顔かおのようであり、

黙示録9:10 その上うえ、さそりのような尾おと針はりとを持もっている。その尾おには、五ごか月げつのあいだ人間にんげんをそこなう力ちからがある。

黙示録9:15 すると、その時とき、その日ひ、その月つき、その年としに備そなえておかれた四よん人にんの御ご使しが、人間にんげんの三さん分ぶんの一いちを殺ころすために、解とき放はなたれた。

黙示録9:18 この三みっつの災害さいがい、すなわち、彼かれらの口くちから出でて来くる火ひと煙けむりと硫黄いおうとによって、人間にんげんの三さん分ぶんの一いちは殺ころされてしまった。

黙示録13:18 ここに、知恵ちえが必要ひつようである。思慮しりょのある者ものは、獣けものの数字すうじを解とくがよい。その数字すうじとは、人間にんげんをさすものである。そして、その数字すうじは六百ろっぴゃく六十ろくじゅう六ろくである。

黙示録14:4 彼かれらは、女おんなにふれたことのない者ものである。彼かれらは、純潔じゅんけつな者ものである。そして、小羊こひつじの行いく所ところへは、どこへでもついて行いく。彼かれらは、神かみと小羊こひつじとにささげられる初穂はつほとして、人間にんげんの中なかからあがなわれた者ものである。

黙示録16:18 すると、いなずまと、もろもろの声こえと、雷鳴らいめいとが起おこり、また激はげしい地震じしんがあった。それは人間にんげんが地上ちじょうにあらわれて以来いらい、かつてなかったようなもので、それほどに激はげしい地震じしんであった。

黙示録21:17 また城壁じょうへきを測はかると、百ひゃく四十よんじゅう四よんキュビトであった。これは人間にんげんの、すなわち、御ご使しの尺度しゃくどによるのである。

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