「罪人」(ざいにん)が出てくる聖書の箇所

「罪人」(ざいにん)は日常訳第1版の43か所(旧約10・新約33)に出てきます。「罪びと」も含みます。口語訳では66か所。

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列王紀上(1か所)

列王紀上1:21 そうしないと、王おう様さまが先祖せんぞのもとに眠ねむりにつかれたとき、わたしと息子むすこソロモンは罪人ざいにんとして扱あつかわれてしまいます。」

詩篇(1か所)

詩篇1:1 幸いさいわいなのは、悪わるい者もののはかりごとに従したがって歩あゆまず、罪人ざいにんの道みちに立たたたず、人ひとをあざける者ものたちの中なかにすわらない人ひと。

箴言(3か所)

箴言11:31 そう、正ただしい人ひとでさえ、この地ちで報むくいを受うける。まして悪人あくにんや罪人ざいにんは、なおさらだ。

箴言13:21 わざわいは、罪人ざいにんを追おいかける。でも、正ただしい人ひとには、良よいものが報むくいとして返かえってくる。

箴言13:22 善よい人ひとは、孫まごの代だいまで受うけ継つがれる財産ざいさんを残のこす。でも、罪人ざいにんの富とみは、正ただしい人ひとのためにたくわえられる。

伝道の書(1か所)

伝道の書8:12 罪人ざいにんが百ひゃく度ども悪事あくじを働はたらきながら、なお長生ながいきすることもある。それでもわたしにはわかっている。神かみを恐おそれ、神かみの前まえでおそれ敬ううやまう人ひとには、良よいことがある。

イザヤ書(3か所)

イザヤ書13:9 見みよ、主しゅの日ひが来くる。それは残酷ざんこくで、憤いきどおりと激はげしい怒いかりに満みちている。地ちを荒あれ果はてさせ、そこから罪人ざいにんたちを絶たやすために来くるのだ。

イザヤ書33:14 シオンにいる罪人ざいにんたちはおびえ、神かみを無視むしする者ものたちは震ふるえあがる。「わたしたちのうち、誰だれが焼やき尽つくす火ひのそばで生いきられるのか。誰だれが永遠えいえんに燃もえ続つづける炎ほのおのそばで生いきられるのか。」

イザヤ書53:12 だからわたしは、多おおくの人ひとを彼かれの分わけ前まえとして与あたえ、彼かれは強つよい者ものたちと共ともに戦利せんり品ひんを分わける。彼かれが自分じぶんの命いのちを惜おしまず死しにわたし、罪人ざいにんたちの一人ひとりに数かぞえられたからだ。彼かれは多おおくの人ひとの罪つみを背負せおい、罪人ざいにんたちのためにとりなしをした。

アモス書(1か所)

アモス書9:10 わたしの民たみの中なかの罪人ざいにんは、みな剣けんで死しぬ。「災わざわいがわたしたちに追おいつくことも、ふりかかることもない」と言いっている者ものたちだ。

マタイによる福音書(5か所)

マタイ9:10 それから、イエスが家いえで食事しょくじをしていたときのことである。大勢おおぜいの取とり税ぜい人にんや罪人ざいにんたちもやって来きて、イエスや弟子でしたちと一緒いっしょに食卓しょくたくを囲かこんでいた。

マタイ9:11 パリサイ派はの人ひとたちはこれを見みて、弟子でしたちに言いった。「なぜあなたたちの先生せんせいは、取とり税ぜい人にんや罪人ざいにんと一緒いっしょに食事しょくじをするのか」

マタイ9:13 「わたしが求もとめるのは、あわれみであって、いけにえではない」とはどういう意味いみか、行いって学まなんできなさい。わたしが来きたのは、正ただしい人ひとを招まねくためではなく、罪人ざいにんを招まねくためだからだ。

マタイ11:19 人ひとの子こが来きて、食たべたり飲のんだりしていると、人々ひとびとは「見みろ、あの男おとこは大食おおぐいの大おお酒飲さけのみだ。取とり税ぜい人にんや罪人ざいにんの仲間なかまだ」と言ゆう。でも、知恵ちえが正ただしいことは、その行おこないが証明しょうめいする。

マタイ26:45 そのあと、イエスは弟子でしたちのところに戻もどって言いった。「まだ眠ねむっているのか。休やすんでいるのか。見みなさい、その時ときが来きた。人ひとの子こは罪人ざいにんたちの手てに引ひき渡わたされる。

マルコによる福音書(5か所)

マルコ2:15 イエスがレビの家いえで食事しょくじをしていると、大勢おおぜいの徴税ちょうぜい人にんや罪人ざいにんが、イエスや弟子でしたちと一緒いっしょに食卓しょくたくについていた。こういう人ひとたちが大勢おおぜいいて、イエスについて来きていたのだ。

マルコ2:16 ファリサイ派はの律法りっぽう学がく者しゃたちは、イエスが罪人ざいにんや徴税ちょうぜい人にんと一緒いっしょに食事しょくじをしているのを見みて、弟子でしたちに言いった。「どうしてあの人ひとは、徴税ちょうぜい人にんや罪人ざいにんと一緒いっしょに食事しょくじをするのか。」

マルコ2:17 これを聞きいて、イエスは言いった。「医者いしゃを必要ひつようとするのは、健康けんこうな人ひとではなく、病気びょうきの人ひとだ。わたしが来きたのは、正ただしい人ひとを招まねくためではなく、罪人ざいにんを招まねくためだ。」

マルコ14:41 イエスは三さん度ど目めに戻もどって来きて、彼かれらに言いった。「まだ眠ねむって休やすんでいるのか。もういい。時じが来きた。見みなさい、人ひとの子こは罪人ざいにんたちの手てに引ひき渡わたされる。

マルコ15:28 こうして、「彼かれは罪人ざいにんたちの一人ひとりに数かぞえられた」と聖書せいしょに書かいてある言葉ことばが実現じつげんした。

ルカによる福音書(11か所)

ルカ5:30 すると、ファリサイ派はの人ひとたちや彼かれらの側がわの律法りっぽう学がく者しゃたちが、イエスの弟子でしたちに不満ふまんをぶつけた。「どうして、あなたたちは取とり税ぜい人にんや罪人ざいにんと一緒いっしょに飲のんだり食たべたりするのか。」

ルカ5:32 わたしが来きたのは、正ただしい人ひとを招まねくためではなく、罪人ざいにんを招まねいて、その生いき方かたを変かえさせるためだ。」

ルカ6:32 自分じぶんを愛あいしてくれる人ひとを愛あいしたところで、何なんの手柄てがらになるだろうか。罪人ざいにんでさえ、自分じぶんを愛あいしてくれる人ひとを愛あいしている。

ルカ6:33 自分じぶんに良よくしてくれる人ひとに良よくしたところで、何なんの手柄てがらになるだろうか。罪人ざいにんでも同おなじことをしている。

ルカ6:34 返かえしてもらえると当あてにしている相手あいてに貸かしたところで、何なんの手柄てがらになるだろうか。罪人ざいにんでも、同おなじだけ取とり戻もどそうとして、罪人ざいにんに貸かしている。

ルカ7:34 人ひとの子こが来きて、食たべたり飲のんだりしていると、『見みろ、大食おおぐいの大おお酒飲さけのみだ。徴税ちょうぜい人にんや罪人ざいにんの仲間なかまだ』と言ゆう。

ルカ15:1 さて、取とり税ぜい人にんや罪人ざいにんたちがみな、イエスの話はなしを聞きこうとして近ちかづいてきていた。

ルカ15:2 すると、ファリサイ派はの人々ひとびとや律法りっぽう学がく者しゃたちは、こう言いって不満ふまんをもらした。「この人ひとは罪人ざいにんを受うけ入いれて、一緒いっしょに食事しょくじまでしている。」

ルカ15:7 言いっておく。それと同おなじように、天てんでは、悔くい改あらためる一人ひとりの罪人ざいにんのことを、悔くい改あらためる必要ひつようのない九十きゅうじゅう九きゅう人にんの正ただしい人ひとたち以上いじょうに喜よろこぶのだ。

ルカ15:10 言いっておく。それと同おなじように、悔くい改あらためる一人ひとりの罪人ざいにんのことを、神かみの天使てんしたちも喜よろこぶのだ。」

ルカ18:13 でも取とり税ぜい人にんは遠とおくに立たったまま、目めを天てんに上あげることさえせず、胸むねを打うちながらこう言いった。『神かみさま、罪人ざいにんのわたしを、どうかあわれんでください。』

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ9:16 ある人ひとたちは言いった。「あの人ひとは安息あんそく日ひを守まもっていない。だから神かみから来きた人ひとではない。」でも、ほかの人ひとたちはこう言いった。「罪人ざいにんに、どうしてこんなしるしが行おこなえるだろう。」こうして、ファリサイ派はの人ひとたちの間あいだで意見いけんが分わかれた。

ヨハネ9:24 それで人々ひとびとは、目めが見みえなかったその人ひとをもう一いち度ど呼よんで言いった。「神かみに栄光えいこうを帰かえしなさい。あの男おとこが罪つみびとであることは、わたしたちにはわかっているんだ。」

ローマ人への手紙(3か所)

ローマ3:7 しかし、もしわたしの偽いつわりによって神かみの真実しんじつがいっそうはっきり示しめされ、それが神かみの栄光えいこうになるのなら、どうしてわたしは今いまもなお罪人ざいにんとしてさばかれるのだろうか。

ローマ5:8 まだ罪人ざいにんだったわたしたちのために、キリストは死しんでくれた。神かみはそうやって、わたしたちへの愛あいをはっきり示ししめしている。

ローマ5:19 ひとりの人ひとが神かみに従したがわなかったことで、多おおくの人ひとが罪人ざいにんとされた。それと同おなじように、ひとりの人ひとが神かみに従したがったことで、多おおくの人ひとが正ただしい者ものとされるのだ。

ガラテヤ人への手紙(2か所)

ガラテヤ2:15 わたしたちは生うまれながらのユダヤ人じんで、外国がいこく人にんのような「罪人ざいにん」ではない。

ガラテヤ2:17 では、キリストにあって義ぎと認みとめられようとした結果けっか、わたしたち自身じしんも「罪人ざいにん」だと分わかったとしたら、キリストは罪つみに仕つかえる者ものだということになるのだろうか。決けっしてそんなことはない。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一1:15 「キリスト・イエスは、罪人ざいにんを救すくうためにこの世よに来こられた」――この言葉ことばは本当ほんとうで、だれもが受うけ入いれるにふさわしいものです。わたしは、その罪人ざいにんの中なかで一番いちばんの者ものです。

ヘブル人への手紙(2か所)

ヘブル7:26 このような大だい祭司さいしこそ、わたしたちにふさわしい。聖せいなる方かたであり、悪あくがなく、汚よごれがなく、罪人ざいにんたちから引ひき離はなされ、天てんよりも高たかくされた方かただ。

ヘブル12:3 罪人ざいにんたちからこれほどの反抗はんこうを受うけながら、耐たえ抜ぬいたこの方かたのことを、よく考かんがえてみてほしい。そうすれば、あなたがたは疲つかれ果はてて、心こころが折おれることもない。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一4:18 正ただしい人ひとがやっとのことで救すくわれるのなら、神かみを敬うやまわない者ものや罪人ざいにんは、いったいどうなるのだろう。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:15 すべての人ひとをさばくためだ。そして、神かみを敬うやまわない者ものたちすべてを責せめるためだ。彼かれらが神かみを無視むしして行いったすべての行おこないと、神かみを敬うやまわない罪人ざいにんたちが主しゅに逆さからって語かたったすべての暴言ぼうげんについて、責せめるためだ。」

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