「罪人」(ざいにん)が出てくる聖書の箇所
「罪人」(ざいにん)は口語訳の66か所(旧約27・新約39)に出てきます。「罪びと」も含みます。日常訳第1版では43か所。
創世記(1か所)
創世記13:13 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。
民数記(1か所)
民数記32:14 あなたがたはその父に代って立った罪びとのやからであって、主のイスラエルに対する激しい怒りをさらに増そうとしている。
サムエル記上(1か所)
サムエル第一15:18 そして主はあなたに使命を授け、つかわして言われた、『行って、罪びとなるアマレクびとを滅ぼし尽せ。彼らを皆殺しにするまで戦え』。
詩篇(6か所)
詩篇1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
詩篇1:5 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
詩篇25:8 主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、
詩篇26:9 どうか、わたしを罪びとと共に、わたしのいのちを、血を流す人々と共に、取り去らないでください。
詩篇51:13 そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
詩篇104:35 どうか、罪びとが地から断ち滅ぼされ、悪しき者が、もはや、いなくなるように。わがたましいよ、主をほめよ。主をほめたたえよ。
箴言(6か所)
箴言11:31 もし正しい者がこの世で罰せられるならば、悪しき者と罪びととは、なおさらである。
箴言13:21 災は罪びとを追い、正しい者は良い報いを受ける。
箴言13:22 善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は正しい人のためにたくわえられる。
箴言14:21 隣り人を卑しめる者は罪びとである、貧しい人をあわれむ者はさいわいである。
箴言21:8 罪びとの道は曲っている、潔白な人の行いはまっすぐである。 罪びとの道は曲っている、潔白な人の行いはまっすぐである。
箴言23:17 心に罪びとをうらやんではならない、ただ、ひねもす主を恐れよ。
伝道の書(5か所)
伝道の書2:26 神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。これもまた空であって、風を捕えるようである。
伝道の書7:26 わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。
伝道の書8:12 罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。
伝道の書9:2 すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。
伝道の書9:18 知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。
イザヤ書(4か所)
イザヤ書1:28 しかし、そむく者と罪びととは共に滅ぼされ、主を捨てる者は滅びうせる。
イザヤ書13:9 見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る。
イザヤ書33:14 シオンの罪びとは恐れに満たされ、おののきは神を恐れない者を捕えた。「われわれのうち、だれが焼きつくす火の中におることができよう。われわれのうち、だれがとこしえの燃える火の中におることができよう」。
イザヤ書65:20 わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。
ダニエル書(1か所)
ダニエル書8:23 彼らの国の終りの時になり、罪びとの罪が満ちるに及んで、ひとりの王が起るでしょう。その顔は猛悪で、彼はなぞを解き、
ホセア書(1か所)
ホセア書14:9 知恵のある者はだれか。その人にこれらのことを悟らせよ。悟りある者はだれか。その人にこれらのことを知らせよ。主の道は直く、正しき者はこれを歩む。しかし罪びとはこれにつまずく。
アモス書(1か所)
アモス書9:10 わが民の罪びと、すなわち『災はわれわれに近づかない、われわれに臨まない』と言う者どもはみな、つるぎで殺される。
マタイによる福音書(5か所)
マタイ9:10 それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。
マタイ9:11 パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
マタイ9:13 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
マタイ11:19 また人の子がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
マタイ26:45 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
マルコによる福音書(5か所)
マルコ2:15 それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。
マルコ2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
マルコ2:17 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
マルコ14:41 三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
マルコ15:28 こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
ルカによる福音書(14か所)
ルカ5:30 ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」。
ルカ5:32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
ルカ6:32 自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。
ルカ6:33 自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。
ルカ6:34 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。
ルカ7:34 また人の子がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。
ルカ15:1 さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。
ルカ15:2 するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。
ルカ15:7 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。
ルカ15:10 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
ルカ19:7 人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
ルカ22:37 あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。
ルカ24:7 すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
ヨハネによる福音書(3か所)
ヨハネ9:24 そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
ヨハネ9:25 すると彼は言った、「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは盲であったが、今は見えるということです」。
ヨハネ9:31 わたしたちはこのことを知っています。神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。
ローマ人への手紙(3か所)
ローマ3:7 しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。
ローマ5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
ローマ5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
ガラテヤ人への手紙(2か所)
ガラテヤ2:15 わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではないが、
ガラテヤ2:17 しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、キリストは罪に仕える者なのであろうか。断じてそうではない。
テモテへの第一の手紙(1か所)
テモテ第一1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。
ヘブル人への手紙(2か所)
ヘブル7:26 このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。
ヘブル12:3 あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
ヤコブの手紙(2か所)
ヤコブ4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
ヤコブ5:20 かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一4:18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。
ユダの手紙(1か所)
ユダ1:15 それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。