「悲しむ」(かなしむ)が出てくる聖書の箇所

「悲しむ」(かなしむ)は日常訳第1版の54か所(旧約26・新約28)に出てきます。「悲しめる」も含みます。口語訳では79か所。

口語訳で読む · 語句検索で探す

創世記(2か所)

創世記23:2 サラはカナンの地ちのキルヤト・アルバ、つまりヘブロンで死しんだ。アブラハムはそこに来きて、サラのために悲かなしみ、涙なみだを流ながした。

創世記50:10 彼かれらはヨルダン川かわの向むこうにあるアタデの脱穀だっこく場じょうに着ついた。そこで彼かれらは大声おおごえで激はげしく泣なき、深ふかく悲かなしんだ。ヨセフは父ちちのために七なな日間かかん、喪もに服ふくした。

サムエル記上(2か所)

サムエル第一16:1 主しゅはサムエルに言いった。「あなたはいつまでサウルのことを悲かなしんでいるのか。わたしは、彼かれがイスラエルの王おうであることを退しりぞけたのだ。角つのの器うつわに油あぶらを満みたして、出でかけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに送おくる。わたしは、彼かれの息子むすこたちの中なかに、王おうとなる者ものを見みつけたのだ。」

サムエル第一20:3 ダビデはさらに誓ちかって言いった。「あなたの父ちちは、わたしがあなたに気きに入はいられていることをよく知しっている。だから『ヨナタンを悲かなしませないように、このことは知しらせないでおこう』と思おもっているのだ。しかし、主しゅが生いきておられ、あなたの魂たましいが生いきているのと同おなじように確たしかに、わたしと死しとの間あいだはほんの一いち歩ほしかない。」

サムエル記下(1か所)

サムエル第二19:2 その日ひの勝利しょうりは、民たみ全体ぜんたいにとって嘆なげきに変かわった。王おうが息子むすこのために悲かなしんでいると、その日ひ、民たみが聞きいたからだ。

ネヘミヤ記(3か所)

ネヘミヤ記8:9 総督そうとくネヘミヤと、祭司さいしで学者がくしゃのエズラ、そして民たみに教おしえていたレビ人びとたちは、民たみ全員ぜんいんにこう言いった。「今日きょうは、あなたたちの神かみ、主しゅにささげられた聖せいなる日ひだ。悲かなしんではいけない。泣ないてはいけない。」民たみはみな、律法りっぽうの言葉ことばを聞きいて泣ないていたからだ。

ネヘミヤ記8:10 さらにエズラは彼かれらに言いった。「さあ、行いきなさい。おいしいものを食たべ、甘あまい飲のみ物ものを飲のみなさい。何なんも用意よういできない人ひとには、その分ぶんを分わけてあげなさい。今日きょうはわたしたちの主しゅにささげられた聖せいなる日ひだから。悲かなしんではいけない。主しゅを喜よろこぶことこそ、あなたたちの力ちからなのだから。」

ネヘミヤ記8:11 レビ人びとたちも民たみ全員ぜんいんを静しずめて言いった。「静しずかにしなさい。今日きょうは聖せいなる日ひだ。悲かなしんではいけない。」

ヨブ記(3か所)

ヨブ記5:11 彼かれは低ひくい者ものを高たかく引ひき上あげ、悲かなしむ者ものを安全あんぜんな高たかい場所ばしょへ導みちびく。

ヨブ記29:25 わたしは彼かれらのために道みちを選えらび、リーダーとして先頭せんとうに座すわった。軍隊ぐんたいを率ひきいる王おうのようであり、悲かなしむ人ひとたちを慰なぐさめる者もののようだった。

ヨブ記30:25 わたしは、つらい日々ひびを過すごす人ひとのために泣ないたのではなかったか。貧まずしい人ひとのために、わたしの魂たましいは悲かなしんだのではなかったか。

詩篇(3か所)

詩篇35:14 わたしの友とも、わたしの兄弟きょうだいのために悲かなしむように、わたしは沈しずんでいた。母ははを失うしなって嘆なげく人ひとのように、うなだれて歩あるき回まわった。

詩篇43:2 あなたはわたしの力ちからの神かみ。それなのに、なぜわたしを見捨みすてたのですか。なぜわたしは敵てきに虐しいたげられて、悲かなしみながら歩あるかなければならないのですか。

詩篇78:40 何なん度ど、彼かれらは荒あれ野ので神かみに逆さからい、何なんもない荒地あれちで神かみを悲かなしませたことか。

箴言(1か所)

箴言10:1 ソロモンの箴言しんげん。知恵ちえのある子こは父ちちを喜よろこばせ、愚おろかな子こは母ははを悲かなしませる。

伝道の書(1か所)

伝道の書3:4 泣なく時ときがあり、笑わらう時ときがある。悲かなしむ時ときがあり、踊おどる時ときがある。

イザヤ書(3か所)

イザヤ書61:2 主しゅが恵めぐみを与あたえる年としを、わたしたちの神かみが敵てきに報むくいる日ひを告つげ知しらせ、悲かなしむすべての人ひとを慰なぐさめるために。

イザヤ書61:3 シオンで悲かなしむ人ひとたちのために、こうしてくださる。灰はいをかぶる代かわりに美うつくしい冠かんむりを、悲かなしみの代かわりに喜よろこびの油あぶらを、打うちひしがれた心こころの代かわりに賛美さんびの衣ころもを与あたえるために。こうして彼かれらは「義ぎの木き」「主しゅが植うえた木き」と呼よばれ、主しゅの栄光えいこうを現あらわすようになる。

イザヤ書63:10 ところが彼かれらは逆さからい、主しゅの聖せいなる霊れいを悲かなしませた。それで主しゅは、彼かれらの敵てきとなり、自みずから彼かれらと戦たたかわれた。

エレミヤ書(2か所)

エレミヤ書16:5 主しゅはこう言いわれる。「弔とぶらいのある家いえに入はいってはならない。嘆なげきに行いってはならない。彼かれらのために悲かなしんではならない。わたしはこの民たみから、わたしの平安へいあんを取とり上あげたからだ。慈いつくしみも、あわれみもだ、と主しゅは言いわれる。

エレミヤ書36:24 それでも、王おうも、この言葉ことばをすべて聞きいていた家来けらいたちも、だれ一人ひとりおびえることも、悲かなしんで服ふくを引ひき裂さくこともなかった。

哀歌(1か所)

哀歌3:33 主しゅは、心こころから人ひとを苦くるしめたり、悲かなしませたりするのではないからだ。

エゼキエル書(1か所)

エゼキエル書9:4 こう言いわれた。「町まちの中なか、エルサレムの中なかを歩あるき回まわれ。そして、この町まちで行おこなわれているすべての恐おそろしいことのために嘆なげき、悲かなしんでいる者ものたちの額がくに、しるしをつけよ。」

ナホム書(2か所)

ナホム書2:7 女王じょおうは裸はだかにされ、引ひかれて連つれ去さられる。侍女じじょたちは鳩はとのように嘆なげき、胸むねを打うって悲かなしむ。

ナホム書3:7 お前まえを見みる者ものはみな、お前まえから逃にげ出だしてこう言ゆうだろう。『ニネベは滅ほろびた。だれがこの町まちを悲かなしむだろう』。わたしはどこから、お前まえを慰なぐさめる者ものを探さがし出だせばいいのか。」

ゼカリヤ書(1か所)

ゼカリヤ書12:10 わたしはダビデの家いえと、エルサレムに住すむ人々ひとびとの上うえに、恵めぐみと祈いのりの霊れいを注そそぐ。すると彼かれらは、自分じぶんたちが突つき刺さしたわたしを見みつめる。そして、ひとり子ごを失うしなった人ひとのように、その人ひとのために嘆なげき、初はじめての子こを失うしなった人ひとのように、激はげしく悲かなしむ。

マタイによる福音書(6か所)

マタイ5:4 悲かなしむ人々ひとびとは、幸いさいわいである。その人ひとたちは慰なぐさめられるから。

マタイ9:15 花婿はなむこが一緒いっしょにいる間あいだ、招待しょうたい客きゃくが悲かなしんだりするだろうか。でも、花婿はなむこが奪うばい去さられる日ひが来くる。その時とき、彼かれらは断食だんじきをする。

マタイ17:23 そして人々ひとびとはイエスを殺ころしてしまう。でも三みっ日か目めに、イエスは生いき返かえる。」これを聞きいて、弟子でしたちはひどく悲かなしんだ。

マタイ19:22 この言葉ことばを聞きくと、青年せいねんは悲かなしみながら立たち去さった。たくさんの財産ざいさんを持もっていたからだ。

マタイ26:37 ペテロとゼベダイの二人ふたりの息子むすこを連つれて行いった。そのとき、イエスは深ふかく悲かなしみ、もだえ始はじめた。

マタイ26:38 そのとき、イエスは彼かれらに言いった。「わたしは、死しぬほど深ふかく悲かなしんでいる。ここにいて、わたしといっしょに目めを覚さましていてほしい」

マルコによる福音書(4か所)

マルコ3:5 イエスは怒おこって彼かれらを見回みまわした。そして、その心こころのかたくなさを深ふかく悲かなしみながら、その人ひとに言いった。「手てを伸のばしなさい。」その人ひとが手てを伸のばすと、手ては元もとどおりになった。

マルコ10:22 この言葉ことばを聞きいて、彼かれは表情ひょうじょうを曇くもらせ、悲かなしみながら去さっていった。たくさんの財産ざいさんを持もっていたからだ。

マルコ14:34 そして彼かれらに言いった。「わたしの心こころは、死しにそうなほど深ふかく悲かなしんでいる。ここにいて、目めを覚さましていなさい。」

マルコ16:10 マリアは行いって、イエスといっしょにいた人ひとたちに知しらせた。彼かれらは悲かなしんで泣ないていた。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ18:23 しかしその人ひとは、これを聞きいてひどく悲かなしんだ。とても大おおきな財産ざいさんを持もっていたからだ。

ヨハネによる福音書(2か所)

ヨハネ16:20 よくよく言いっておく。あなたがたは泣なき、悲かなしむが、この世よは喜よろこぶ。あなたがたは深ふかく悲かなしむことになる。でも、その悲かなしみは喜よろこびに変かわる。

ヨハネ16:22 わたしのわたしのようにあなたがたも、今いまは悲かなしんでいる。でも、わたしはもう一いち度どあなたがたと会あう。そのとき、あなたがたの心こころは喜よろこびであふれる。その喜よろこびを、あなたがたから奪うばい取とれる者ものはいない。

使徒行伝(1か所)

使徒20:38 特とくに、もう二に度どと自分じぶんの顔かおを見みることはないと言いわれた言葉ことばに、皆みなは深ふかく悲かなしんだ。そして、パウロを船ふねまで見送みおくった。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ14:15 もし食たべ物もののことで兄弟きょうだい姉妹しまいを悲かなしませているなら、あなたはもう愛あいによって歩あゆんではいない。あなたの食たべ物もののことで、その人ひとを滅ほろぼしてはいけない。その人ひとのためにも、キリストは死しんでくださったのだ。

コリント人への第一の手紙(1か所)

コリント第一5:2 それなのに、あなたがたは思おもい上あがっている。むしろ深ふかく悲かなしんで、そんなことをした者ものを自分じぶんたちの間あいだから取とり除のぞくべきだったのに。

コリント人への第二の手紙(7か所)

コリント第二2:2 もしわたしがあなたたちを悲かなしませるなら、わたしを喜よろこばせてくれるのは、いったい誰だれだろう。わたしに悲かなしまされた、そのあなたたちのほかにいないのに。

コリント第二2:4 わたしは深ふかい苦くるしみと心こころの痛いたみの中なかで、たくさんの涙なみだを流ながしながら、あなたたちに書かいた。あなたたちを悲かなしませるためではない。わたしがあなたたちに、どれほど深ふかい愛あいを持もっているかを知しってほしかったからだ。

コリント第二2:5 もし誰だれかが悲かなしみをもたらしたのなら、その人ひとはわたしを悲かなしませたのではなく、ある意味いみであなたたち全員ぜんいんを悲かなしませたのだ。言いいい過すぎにならないように、こう言いっておく。

コリント第二6:10 悲かなしんでいるようでいて、いつも喜よろこんでいる。貧まずしいようでいて、多おおくの人ひとを豊ゆたかにする。何なんも持もっていないようでいて、すべてを持もっている。

コリント第二7:8 たとえあの手紙てがみであなたがたを悲かなしませたとしても、わたしは後悔こうかいしていない。一時いちじは後悔こうかいもした。あの手紙てがみが、しばらくの間あいだあなたがたを悲かなしませたのはわかっているからだ。

コリント第二7:9 でも今いまは喜よろこんでいる。あなたがたが悲かなしんだからではなく、その悲かなしみがあなたがたを心こころの向むき直なおりへと導みちびいたからだ。あなたがたは神かみのみこころにそって悲かなしんだのであり、わたしたちのせいで何なんかを失ううしなうことはなかった。

コリント第二7:11 見みてほしい。神かみのみこころにそって悲かなしんだことが、あなたがたのうちにどれほどの真剣しんけんさを生うみ出だしたことか。それだけでなく、弁明べんめいし、憤いきどおり、恐おそれ、会あいたいと願ねがい、熱心ねっしんになり、正ただしさを求もとめる心こころまで生うみ出だした。あなたがたはあらゆる点てんで、この件けんについて自分じぶんたちが潔白けっぱくであることを示ししめしたのだ。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ4:30 神かみの聖せいなる霊れいを悲かなしませてはいけない。あなたがたは、この霊れいによって、贖あがない(買かい戻もどされ自由じゆうにされること)の日ひのために証印しょういんを押おされているのだから。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一4:13 兄弟きょうだい姉妹しまいたち、すでに眠ねむりについた人ひとたちについて、あなたがたに知しっておいてほしいことがある。希望きぼうを持もたないほかの人ひとたちのように、あなたがたが悲かなしまないためだ。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一1:6 だから、あなたたちは大おおいに喜よろこんでいる。今いましばらくは、いろいろな試練しれんにあって悲かなしむこともあるかもしれない。

ヨハネの黙示録(2か所)

黙示録18:15 これらの商品しょうひんを扱あつかい、あの都みやこで富とみを築きずいた商人しょうにんたちは、彼女かのじょの苦くるしみを恐おそれて遠とおくに立たち、泣なき、悲かなしみながら、

黙示録18:19 そして彼かれらは頭あたまにちりをかぶり、泣なき、悲かなしみながら叫さけんだ。「ああ、なんということだ。あの大おおいなる都みやこよ。海うみに船ふねを持もつ者ものはみな、あの都みやこの繁栄はんえいによって富とみを得えたのに。たった一いち時間じかんで、廃墟はいきょになってしまうとは。」

語句索引に戻る