「十字」(じゅうじ)が出てくる聖書の箇所

「十字」(じゅうじ)は口語訳の76か所(旧約0・新約76)に出てきます。日常訳第1版では79か所。

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マタイによる福音書(16か所)

マタイ10:38 また自分じぶんの十字じゅうじ架かをとってわたしに従したがってこない者ものはわたしにふさわしくない。

マタイ16:24 それからイエスは弟子でしたちに言いわれた、「だれでもわたしについてきたいと思おもうなら、自分じぶんを捨すて、自分じぶんの十字じゅうじ架かを負おうて、わたしに従したがってきなさい。

マタイ20:19 そして彼かれをあざけり、むち打うち、十字じゅうじ架かにつけさせるために、異邦いほう人にんに引ひきわたすであろう。そして彼かれは三みっ日か目めによみがえるであろう」。

マタイ23:34 それだから、わたしは、預言よげん者しゃ、知者ちしゃ、律法りっぽう学がく者しゃたちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者ものを殺ころし、また十字じゅうじ架かにつけ、そのある者ものを会堂かいどうでむち打うち、また町まちから町まちへと迫害はくがいして行いくであろう。

マタイ26:2 「あなたがたが知しっているとおり、ふつかの後あとには過越すぎこしの祭まつりになるが、人ひとの子こは十字じゅうじ架かにつけられるために引ひき渡わたされる」。

マタイ27:22 ピラトは言いった、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼かれらはいっせいに「十字じゅうじ架かにつけよ」と言いった。

マタイ27:23 しかし、ピラトは言いった、「あの人ひとは、いったい、どんな悪事あくじをしたのか」。すると彼かれらはいっそう激はげしく叫さけんで、「十字じゅうじ架かにつけよ」と言いった。

マタイ27:26 そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打うったのち、十字じゅうじ架かにつけるために引ひきわたした。

マタイ27:31 こうしてイエスを嘲弄ちょうろうしたあげく、外套がいとうをはぎ取とって元もとの上着うわぎを着きせ、それから十字じゅうじ架かにつけるために引ひき出だした。

マタイ27:32 彼かれらが出でて行いくと、シモンという名なのクレネ人にんに出会であったので、イエスの十字じゅうじ架かを無理むりに負おわせた。

マタイ27:35 彼かれらはイエスを十字じゅうじ架かにつけてから、くじを引ひいて、その着物きものを分わけ、

マタイ27:38 同時どうじに、ふたりの強盗ごうとうがイエスと一緒いっしょに、ひとりは右みぎに、ひとりは左ひだりに、十字じゅうじ架かにつけられた。

マタイ27:40 言いった、「神殿しんでんを打うちこわして三みっ日かのうちに建たてる者ものよ。もし神かみの子こなら、自分じぶんを救すくえ。そして十字じゅうじ架かからおりてこい」。

マタイ27:42 「他人たにんを救すくったが、自分じぶん自身じしんを救すくうことができない。あれがイスラエルの王おうなのだ。いま十字じゅうじ架かからおりてみよ。そうしたら信しんじよう。

マタイ27:44 一緒いっしょに十字じゅうじ架かにつけられた強盗ごうとうどもまでも、同おなじようにイエスをののしった。

マタイ28:5 この御ご使しは女おんなたちにむかって言いった、「恐おそれることはない。あなたがたが十字じゅうじ架かにおかかりになったイエスを捜さがしていることは、わたしにわかっているが、

マルコによる福音書(12か所)

マルコ8:34 それから群衆ぐんしゅうを弟子でしたちと一緒いっしょに呼よび寄よせて、彼かれらに言いわれた、「だれでもわたしについてきたいと思おもうなら、自分じぶんを捨すて、自分じぶんの十字じゅうじ架かを負おうて、わたしに従したがってきなさい。

マルコ15:13 彼かれらは、また叫さけんだ、「十字じゅうじ架かにつけよ」。

マルコ15:14 ピラトは言いった、「あの人ひとは、いったい、どんな悪事あくじをしたのか」。すると、彼かれらは一いっそう激はげしく叫さけんで、「十字じゅうじ架かにつけよ」と言いった。

マルコ15:15 それで、ピラトは群衆ぐんしゅうを満足まんぞくさせようと思おもって、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打うったのち、十字じゅうじ架かにつけるために引ひきわたした。

マルコ15:20 こうして、イエスを嘲弄ちょうろうしたあげく、紫むらさきの衣ころもをはぎとり、元もとの上着うわぎを着きせた。それから、彼かれらはイエスを十字じゅうじ架かにつけるために引ひき出だした。

マルコ15:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父ちちシモンというクレネ人ひとが、郊外こうがいからきて通とおりかかったので、人々ひとびとはイエスの十字じゅうじ架かを無理むりに負おわせた。

マルコ15:24 それから、イエスを十字じゅうじ架かにつけた。そしてくじを引ひいて、だれが何なんを取とるかを定さだめたうえ、イエスの着物きものを分わけた。

マルコ15:25 イエスを十字じゅうじ架かにつけたのは、朝あさの九きゅう時じごろであった。

マルコ15:27 また、イエスと共ともにふたりの強盗ごうとうを、ひとりを右みぎに、ひとりを左ひだりに、十字じゅうじ架かにつけた。〔

マルコ15:30 十字じゅうじ架かからおりてきて自分じぶんを救すくえ」。

マルコ15:32 イスラエルの王おうキリスト、いま十字じゅうじ架かからおりてみるがよい。それを見みたら信しんじよう」。また、一緒いっしょに十字じゅうじ架かにつけられた者ものたちも、イエスをののしった。

マルコ16:6 するとこの若者わかものは言いった、「驚おどろくことはない。あなたがたは十字じゅうじ架かにつけられたナザレ人にんイエスを捜さがしているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納おさめした場所ばしょである。

ルカによる福音書(9か所)

ルカ9:23 それから、みんなの者ものに言いわれた、「だれでもわたしについてきたいと思おもうなら、自分じぶんを捨すて、日々ひび自分じぶんの十字じゅうじ架かを負おうて、わたしに従したがってきなさい。

ルカ14:27 自分じぶんの十字じゅうじ架かを負おうてわたしについて来くるものでなければ、わたしの弟子でしとなることはできない。

ルカ23:21 しかし彼かれらは、わめきたてて「十字じゅうじ架かにつけよ、彼かれを十字じゅうじ架かにつけよ」と言いいいつづけた。

ルカ23:23 ところが、彼かれらは大声おおごえをあげて詰つめ寄より、イエスを十字じゅうじ架かにつけるように要求ようきゅうした。そして、その声こえが勝かった。

ルカ23:26 彼かれらがイエスをひいてゆく途中とちゅう、シモンというクレネ人ひとが郊外こうがいから出でてきたのを捕とらえて十字じゅうじ架かを負おわせ、それをになってイエスのあとから行いかせた。

ルカ23:33 されこうべと呼よばれている所ところに着つくと、人々ひとびとはそこでイエスを十字じゅうじ架かにつけ、犯罪はんざい人にんたちも、ひとりは右みぎに、ひとりは左ひだりに、十字じゅうじ架かにつけた。

ルカ23:39 十字じゅうじ架かにかけられた犯罪はんざい人にんのひとりが、「あなたはキリストではないか。それなら、自分じぶんを救すくい、またわれわれも救すくってみよ」と、イエスに悪口わるぐちを言いいいつづけた。

ルカ24:7 すなわち、人ひとの子こは必かならず罪人ざいにんらの手てに渡わたされ、十字じゅうじ架かにつけられ、そして三みっ日か目めによみがえる、と仰おおせられたではないか」。

ルカ24:20 祭司さいし長ちょうたちや役人やくにんたちが、死刑しけいに処しょするために引ひき渡わたし、十字じゅうじ架かにつけたのです。

ヨハネによる福音書(13か所)

ヨハネ19:6 祭司さいし長ちょうたちや下役したやくどもはイエスを見みると、叫さけんで「十字じゅうじ架かにつけよ、十字じゅうじ架かにつけよ」と言いった。ピラトは彼かれらに言いった、「あなたがたが、この人ひとを引ひき取とって十字じゅうじ架かにつけるがよい。わたしは、彼かれにはなんの罪つみも見みいだせない」。

ヨハネ19:10 そこでピラトは言いった、「何なんも答こたえないのか。わたしには、あなたを許ゆるす権威けんいがあり、また十字じゅうじ架かにつける権威けんいがあることを、知しらないのか」。

ヨハネ19:15 すると彼かれらは叫さけんだ、「殺ころせ、殺ころせ、彼かれを十字じゅうじ架かにつけよ」。ピラトは彼かれらに言いった、「あなたがたの王おうを、わたしが十字じゅうじ架かにつけるのか」。祭司さいし長ちょうたちは答こたえた、「わたしたちには、カイザル以外いがいに王おうはありません」。

ヨハネ19:16 そこでピラトは、十字じゅうじ架かにつけさせるために、イエスを彼かれらに引ひき渡わたした。彼かれらはイエスを引ひき取とった。

ヨハネ19:17 イエスはみずから十字じゅうじ架かを背負せおって、されこうべ(ヘブル語ごではゴルゴダ)という場所ばしょに出でて行いかれた。

ヨハネ19:18 彼かれらはそこで、イエスを十字じゅうじ架かにつけた。イエスをまん中なかにして、ほかのふたりの者ものを両側りょうがわに、イエスと一緒いっしょに十字じゅうじ架かにつけた。

ヨハネ19:19 ピラトは罪状ざいじょう書かきを書かいて、十字じゅうじ架かの上うえにかけさせた。それには「ユダヤ人にんの王おう、ナザレのイエス」と書かいてあった。

ヨハネ19:20 イエスが十字じゅうじ架かにつけられた場所ばしょは都とに近ちかかったので、多おおくのユダヤ人にんがこの罪状ざいじょう書かきを読よんだ。それはヘブル、ローマ、ギリシヤの国語こくごで書かいてあった。

ヨハネ19:23 さて、兵卒へいそつたちはイエスを十字じゅうじ架かにつけてから、その上着うわぎをとって四よんつに分わけ、おのおの、その一ひとつを取とった。また下着したぎを手てに取とってみたが、それには縫ぬい目めがなく、上うえの方ほうから全部ぜんぶ一ひとつに織おったものであった。

ヨハネ19:25 さて、イエスの十字じゅうじ架かのそばには、イエスの母ははと、母ははの姉妹しまいと、クロパの妻つまマリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。

ヨハネ19:31 さてユダヤ人にんたちは、その日ひが準備じゅんびの日ひであったので、安息あんそく日ひに死体したいを十字じゅうじ架かの上うえに残のこしておくまいと、(特とくにその安息あんそく日ひは大事だいじな日ひであったから)、ピラトに願ねがって、足あしを折おった上うえで、死体したいを取とりおろすことにした。

ヨハネ19:32 そこで兵卒へいそつらがきて、イエスと一緒いっしょに十字じゅうじ架かにつけられた初はじめの者ものと、もうひとりの者ものとの足あしを折おった。

ヨハネ19:41 イエスが十字じゅうじ架かにかけられた所ところには、一ひとつの園そのがあり、そこにはまだだれも葬ほうむられたことのない新あたらしい墓はかがあった。

使徒行伝(3か所)

使徒2:23 このイエスが渡わたされたのは神かみの定さだめた計画けいかくと予知よちとによるのであるが、あなたがたは彼かれを不法ふほうの人々ひとびとの手てで十字じゅうじ架かにつけて殺ころした。

使徒2:36 だから、イスラエルの全ぜん家いえは、この事ことをしかと知しっておくがよい。あなたがたが十字じゅうじ架かにつけたこのイエスを、神かみは、主しゅまたキリストとしてお立たてになったのである」。

使徒4:10 あなたがたご一同いちどうも、またイスラエルの人々ひとびと全体ぜんたいも、知しっていてもらいたい。この人ひとが元気げんきになってみんなの前まえに立たっているのは、ひとえに、あなたがたが十字じゅうじ架かにつけて殺ころしたのを、神かみが死人しにんの中なかからよみがえらせたナザレ人にんイエス・キリストの御名ぎょめいによるのである。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ6:6 わたしたちは、この事ことを知しっている。わたしたちの内うちの古ふるき人ひとはキリストと共ともに十字じゅうじ架かにつけられた。それは、この罪つみのからだが滅ほろび、わたしたちがもはや、罪つみの奴隷どれいとなることがないためである。

コリント人への第一の手紙(6か所)

コリント第一1:13 キリストは、いくつにも分わけられたのか。パウロは、あなたがたのために十字じゅうじ架かにつけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名なによってバプテスマを受うけたのか。

コリント第一1:17 いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授さずけるためではなく、福音ふくいんを宣のべ伝つたえるためであり、しかも知恵ちえの言葉ことばを用もちいずに宣のべ伝つたえるためであった。それは、キリストの十字じゅうじ架かが無力むりょくなものになってしまわないためなのである。

コリント第一1:18 十字じゅうじ架かの言げんは、滅ほろび行いく者ものには愚おろかであるが、救すくいにあずかるわたしたちには、神かみの力ちからである。

コリント第一1:23 しかしわたしたちは、十字じゅうじ架かにつけられたキリストを宣のべ伝つたえる。このキリストは、ユダヤ人にんにはつまずかせるもの、異邦いほう人にんには愚おろかなものであるが、

コリント第一2:2 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字じゅうじ架かにつけられたキリスト以外いがいのことは、あなたがたの間あいだでは何なんも知しるまいと、決心けっしんしたからである。

コリント第一2:8 この世よの支配しはい者しゃたちのうちで、この知恵ちえを知しっていた者ものは、ひとりもいなかった。もし知しっていたなら、栄光えいこうの主しゅを十字じゅうじ架かにつけはしなかったであろう。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二13:4 すなわち、キリストは弱よわさのゆえに十字じゅうじ架かにつけられたが、神かみの力ちからによって生いきておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱よわい者ものであるが、あなたがたに対たいしては、神かみの力ちからによって、キリストと共ともに生いきるのである。

ガラテヤ人への手紙(6か所)

ガラテヤ2:19 わたしは、神かみに生いきるために、律法りっぽうによって律法りっぽうに死しんだ。わたしはキリストと共ともに十字じゅうじ架かにつけられた。

ガラテヤ3:1 ああ、物ものわかりのわるいガラテヤ人にんよ。十字じゅうじ架かにつけられたイエス・キリストが、あなたがたの目めの前まえに描えがき出だされたのに、いったい、だれがあなたがたを惑まどわしたのか。

ガラテヤ5:11 兄弟きょうだいたちよ。わたしがもし今いまでも割礼かつれいを宣のべ伝つたえていたら、どうして、いまなお迫害はくがいされるはずがあろうか。そうしていたら、十字じゅうじ架かのつまずきは、なくなっているであろう。

ガラテヤ5:24 キリスト・イエスに属ぞくする者ものは、自分じぶんの肉にくを、その情じょうと欲よくと共ともに十字じゅうじ架かにつけてしまったのである。

ガラテヤ6:12 いったい、肉にくにおいて見みえを飾かざろうとする者ものたちは、キリスト・イエスの十字じゅうじ架かのゆえに、迫害はくがいを受うけたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼かつれいを受うけさせようとする。

ガラテヤ6:14 しかし、わたし自身じしんには、わたしたちの主しゅイエス・キリストの十字じゅうじ架か以外いがいに、誇ほこりとするものは、断だんじてあってはならない。この十字じゅうじ架かにつけられて、この世よはわたしに対たいして死しに、わたしもこの世よに対たいして死しんでしまったのである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ2:16 十字じゅうじ架かによって、二ふたつのものを一ひとつのからだとして神かみと和解わかいさせ、敵意てきいを十字じゅうじ架かにかけて滅ほろぼしてしまったのである。

ピリピ人への手紙(2か所)

ピリピ2:8 おのれを低ひくして、死しに至いたるまで、しかも十字じゅうじ架かの死しに至いたるまで従順じゅうじゅんであられた。

ピリピ3:18 わたしがそう言いうのは、キリストの十字じゅうじ架かに敵対てきたいして歩あるいている者ものが多おおいからである。わたしは、彼かれらのことをしばしばあなたがたに話はなしたが、今いままた涙なみだを流ながして語かたる。

コロサイ人への手紙(2か所)

コロサイ1:20 そして、その十字じゅうじ架かの血ちによって平和へいわをつくり、万物ばんぶつ、すなわち、地ちにあるもの、天てんにあるものを、ことごとく、彼かれによってご自分じぶんと和解わかいさせて下くださったのである。

コロサイ2:14 神かみは、わたしたちを責せめて不利ふりにおとしいれる証書しょうしょを、その規定きていもろともぬり消けし、これを取とり除のぞいて、十字じゅうじ架かにつけてしまわれた。

ヘブル人への手紙(2か所)

ヘブル6:6 そののち堕落だらくした場合ばあいには、またもや神かみの御子みこを、自みずから十字じゅうじ架かにつけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改くいあらためにたち帰かえることは不ふ可能かのうである。

ヘブル12:2 信仰しんこうの導みちびき手てであり、またその完成かんせい者しゃであるイエスを仰あおぎ見みつつ、走はしろうではないか。彼かれは、自分じぶんの前まえにおかれている喜よろこびのゆえに、恥はじをもいとわないで十字じゅうじ架かを忍しのび、神かみの御座ぎょざの右みぎに座ざするに至いたったのである。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一2:24 さらに、わたしたちが罪つみに死しに、義ぎに生いきるために、十字じゅうじ架かにかかって、わたしたちの罪つみをご自分じぶんの身みに負おわれた。その傷きずによって、あなたがたは、いやされたのである。

ヨハネの黙示録(1か所)

黙示録11:8 彼かれらの死体したいはソドムや、エジプトにたとえられている大おおいなる都との大通おおどおりにさらされる。彼かれらの主しゅも、この都とで十字じゅうじ架かにつけられたのである。

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