「かまう」が出てくる聖書の箇所

「かまう」は日常訳第1版の27か所(旧約19・新約8)に出てきます。「構う」も含みます。口語訳では8か所。

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創世記(2か所)

創世記34:12 たくさんの結けつ納金のうきんと贈おくり物ものを求もとめてくれてかまわない。言いわれたとおりに払はらう。だから、この娘むすめをわたしの妻つまにください。」

創世記42:37 ルベンは父ちちに言いった。「わたしがベニヤミンをあなたのところに連つれて帰かえらなかったら、わたしの二人ふたりの息子むすこを殺ころしてくれてかまいません。あの子こをわたしにまかせてください。わたしが必かならず、あなたのところに連つれて帰かえります。」

出エジプト記(2か所)

出エジプト10:24 ファラオはモーセを呼よんで言いった。「行いって、主しゅに仕つかえるがいい。ただし、お前まえたちの羊ひつじや牛うしは置おいていけ。子こどもたちは連つれて行いってかまわない。」

出エジプト14:12 エジプトにいたとき、あなたにこう言いったではありませんか。『わたしたちにかまわないでください。このままエジプトの人々ひとびとに仕つかえさせてください』と。荒あれ野ので死しぬより、エジプトの人々ひとびとに仕つかえているほうがずっとよかったのです。」

サムエル記上(1か所)

サムエル第一20:13 でも、もし父ちちがあなたに害がいを加くわえようとしているなら、それをあなたに知しらせて、あなたを逃にがしてやる。そして、あなたが無事ぶじに去されるようにする。もしそうしなかったら、主しゅがこのヨナタンをどれほど厳きびしく罰ばっしてもかまわない。どうか主しゅが、かつてわたしの父ちちとともにいたように、あなたとともにいてくださるように。

サムエル記下(5か所)

サムエル第二3:9 もしわたしが、主しゅがダビデに誓ちかわれたとおりにしないなら、神かみがこのアブネルをどんなにひどく罰ばっしてもかまわない。

サムエル第二14:32 アブサロムはヨアブに答こたえた。「わたしはあなたにこう伝つたえたはずだ。『ここに来きてくれ。あなたを通とおして王おうにこう申もうし上あげたいのだ。「なぜわたしはゲシュルから戻もどって来きたのでしょう。あそこにいたほうがよかった」と。』今いま、わたしは王おうの顔かおを見みたい。もしわたしに罪つみがあるなら、王おうに殺ころしてもらってかまわない。」

サムエル第二18:22 それでもツァドクの子こアヒマアツは、もう一いち度どヨアブに言いった。「どうなってもかまいません。わたしもあのクシュ人にんのあとから走はしらせてください。」ヨアブは言いった。「息子むすこよ、どうしておまえが走はしるのか。知しらせを届とどけても、何なんの報むくいもないのだぞ。」

サムエル第二18:23 「どうなってもかまいません。走はしらせてください。」ヨアブは彼かれに言いった。「では走はしれ。」アヒマアツは低地ていちの道みちを走はしって行いき、クシュ人にんを追おい越こした。

サムエル第二19:30 メフィボシェテは王おうに言いった。「王おうであるわたしの主しゅが、無事ぶじに家いえへ帰かえってこられたのですから、ツィバが全部ぜんぶを取とってもかまいません。」

列王紀上(4か所)

列王紀上2:23 そしてソロモン王おうは、主しゅにかけてこう誓ちかった。「アドニヤがこんなことを言いったからには、自分じぶんの命いのちをかけたも同然どうぜんだ。もしそうでなければ、神かみがわたしをどんなに罰ばっしてもかまわない。

列王紀上13:33 こんなことがあっても、ヤロブアムは自分じぶんの悪わるい道みちから引ひき返かえさなかった。それどころか、また民たみの中なかからだれかれ構かまわず高台たかだいの祭司さいしを立たてた。望のぞむ者ものはだれでも、彼かれがその職しょくに就つかせ、高台たかだいの祭司さいしにしたのだ。

列王紀上20:10 するとベン・ハダドはまた王おうのもとに使者ししゃを送おくって言いった。「サマリアの土つちくれは、わたしに従したがう兵へいたちが一人ひとりひとかみずつ取とるにも足たりないほどだ。もし足たりるようなことがあれば、神々かみがみがわたしをどんな目めにあわせてくださっても構かまわない。」

列王紀上20:34 ベン・ハダドは王おうに言いった。「わたしの父ちちがあなたの父ちちから取とった町々まちまちをお返かえしします。また、わたしの父ちちがサマリアにしたように、あなたはダマスコに商業しょうぎょうの区域くいきを設もうけてかまいません。」アハブは言いった。「その約束やくそくのもとに、あなたを帰かえらせよう。」こうしてアハブはベン・ハダドと契約けいやくを結むすび、彼かれを帰かえらせた。

列王紀下(2か所)

列王紀下6:31 王おうは言いった。「シャファトの子こエリシャの首くびが今日きょうそのまま残のこっているなら、神かみがわたしをどんなにでも罰ばっしてくださってかまわない。」

列王紀下11:8 それぞれ武器ぶきを手てに持もって、王おうを囲かこむように立たて。列れつの中なかに踏ふみ込こんでくる者ものがいたら、殺ころしてかまわない。王おうが出入でいりするときは、いつもそばを離はなれずに付つき従したがうのだ。」

ヨブ記(3か所)

ヨブ記7:16 わたしは命いのちがいやになった。いつまでも生いきていたいとは思おもわない。もう、わたしにかまわないでほしい。わたしの日々ひびは、はかない息いきにすぎないのだから。

ヨブ記13:13 黙だまって、わたしに話はなしをさせてくれ。そのあとは、何なんがわたしに降ふりかかってもかまわない。

ヨブ記31:10 わたしの妻つまがほかの男おとこのために麦むぎをひき、ほかの男おとこたちが彼女かのじょの上うえに身みをかがめてもかまわない。

使徒行伝(3か所)

使徒8:37 ピリポは言いった。「心こころから信しんじているなら、受うけてもかまいません。」すると彼かれは答こたえた。「わたしは、イエス・キリストが神かみの子こだと信しんじます。」

使徒23:14 彼かれらは祭司さいし長ちょうたちと長老ちょうろうたちのところへ行いって、こう言いった。「わたしたちは、パウロを殺ころすまでは何なんも口くちにしないと固かたく誓ちかいを立たてました。もし破やぶれば、のろいを受うけてもかまいません。

使徒26:29 パウロは言いった。「短みじかい言葉ことばでも、長ながい話はなしでも、どちらでもかまいません。わたしはただ神かみに祈いのるのです。あなただけでなく、今日きょうこの話はなしを聞きいている皆みなさんが、わたしと同おなじようになってほしい、と。もちろん、この鎖くさりは別べつですが。」

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ9:3 わたし自身じしんが呪のろわれ、キリストから引ひき離はなされてもかまわない。もしそれで、わたしの兄弟きょうだいたち、つまり血ちのつながった同胞どうほうが救すくわれるのなら、それでいい。

コリント人への第一の手紙(3か所)

コリント第一7:5 互たがいを拒こばんではいけない。ただし、祈いのりに専念せんねんするために、二人ふたりで話はなし合あって一定いっていの期間きかんだけそうするのはかまわない。そのあとは、また一緒いっしょになりなさい。自分じぶんを抑おさえられなくなって、サタンに誘惑ゆうわくされないためだ。

コリント第一7:39 妻つまは、夫おっとが生いきているかぎり夫おっとに結むすばれている。でも、夫おっとが亡なくなれば、自分じぶんの望のぞむ相手あいてと結婚けっこんしてかまわない。ただし、それは主しゅにある相手あいてとだ。

コリント第一10:23 「何なんをしてもかまわない」と言ゆう。でも、すべてが役やくに立たつわけではない。「何なんをしてもかまわない。」でも、すべてが人ひとを成長せいちょうさせるわけではない。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二13:7 わたしたちは、あなたたちが少すこしも悪わるいことをしないようにと、神かみに祈いのっている。それは、わたしたちが試験しけんに合格ごうかくした者ものだと見みられるためではない。あなたたちに良よいことをしてほしいからだ。たとえわたしたちが試験しけんに落おちた者もののように見みえても、それでかまわない。

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