「生きる」(いきる)が出てくる聖書の箇所
「生きる」(いきる)は口語訳の375か所(旧約266・新約109)に出てきます。「生く」も含みます。日常訳第1版では744か所。
375か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。
エゼキエル書(47か所)
エゼキエル書5:11 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたはその忌むべき物と、その憎むべき事とをもって、わたしの聖所を汚したので、わたしは必ずあなたの数を減らす。わたしの目はあなたを惜しみ見ず、またわたしはあなたをあわれまない。
エゼキエル書7:13 売る者はたとい生きていても、その売ったものに帰ることはない。怒りがそのすべての民衆の上にあるからだ。それはもとに帰らない。その不義のために、だれも命を全うすることはできない。
エゼキエル書13:19 あなたがたは少しばかりの大麦のため、少しばかりのパンのために、わが民のうちに、わたしを汚し、かの偽りを聞きいれるわが民に偽りを述べて、死んではならない者を死なせ、生きていてはならない者を生かす。
エゼキエル書14:16 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといこれら三人の者がその中にいても、そのむすこ娘を救うことはできない。ただ自分自身を救いうるのみで、その地は荒れ地となる。
エゼキエル書14:18 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといこれら三人の者がその中にいても、そのむすこ娘を救うことはできない。ただ自分自身を救いうるのみである。
エゼキエル書14:20 主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである。
エゼキエル書16:6 わたしはあなたのかたわらを通り、あなたが血の中にころがりまわっているのを見た時、わたしは血の中にいるあなたに言った、『生きよ、
エゼキエル書16:48 主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたの妹ソドムとその娘たちは、あなたとあなたの娘たちがしたほどのことはしなかった。
エゼキエル書17:16 契約を破ってなおのがれることができようか。主なる神は言われる、わたしは生きている、必ず彼は自分を王となした王の住む所、彼が立てた誓いを軽んじ、その契約を破った相手の王のいるバビロンで彼は死ぬ。
エゼキエル書17:19 それゆえ、主なる神はこう言われる、わたしは生きている、彼がわたしの誓いを軽んじ、わたしの契約を破ったことを、必ず彼のこうべに報いる。
エゼキエル書18:3 主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。
エゼキエル書18:9 わたしの定めに歩み、わたしのおきてを忠実に守るならば、彼は正しい人である。彼は必ず生きることができると、主なる神は言われる。
エゼキエル書18:13 利息や高利をとって貸すならば、その子は生きるであろうか。彼は生きることはできない。彼はこれらの憎むべき事をしたので、必ず死に、その血は彼自身に帰する。
エゼキエル書18:17 その手をひいて悪を行わず、利息や高利をとらず、わたしのおきてを行い、わたしの定めに歩むならば、彼はその父の悪のために死なず、必ず生きる。
エゼキエル書18:19 しかしあなたがたは、『なぜ、子は父の悪を負わないのか』と言う。子は公道と正義とを行い、わたしのすべての定めを守っておこなったので、必ず生きるのである。
エゼキエル書18:21 しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
エゼキエル書18:22 その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。
エゼキエル書18:23 主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。
エゼキエル書18:24 しかし義人がもしその義を離れて悪を行い、悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない。彼はその犯したとがと、その犯した罪とのために死ぬ。
エゼキエル書18:28 彼は省みて、その犯したすべてのとがを離れたのだから必ず生きる。死ぬことはない。
エゼキエル書18:32 わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」。
エゼキエル書20:3 「人の子よ、イスラエルの長老たちに告げて言え。主なる神はこう言われる、あなたがたがわたしのもとに来たのは、わたしに何か尋ねるためであるか。主なる神は言われる、わたしは生きている、わたしはあなたがたの尋ねに答えない。
エゼキエル書20:11 わたしの定めを彼らに授け、わたしのおきてを彼らに示した。これは人がこれを行うことによって生きるものである。
エゼキエル書20:13 しかしイスラエルの家は荒野でわたしにそむき、わたしの定めに歩まず、人がそれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを捨て、大いにわたしの安息日を汚した。そこでわたしは荒野で、わたしの憤りを彼らの上に注ぎ、これを滅ぼそうと思ったが、
エゼキエル書20:21 しかしその子どもたちはわたしにそむき、わが定めに歩まず、人がこれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを守り行わず、わが安息日を汚した。そこでわたしはわが憤りを彼らの上に注ぎ、荒野で彼らに対し、わが怒りを漏らそうと思った。
エゼキエル書20:25 またわたしは彼らに良くない定めと、それによって生きることのできないおきてとを与え、
エゼキエル書20:31 あなたがたは、その供え物をささげ、その子供に火の中を通らせて、今日まですべての偶像をもって、その身を汚すのである。イスラエルの家よ、わたしは、なおあなたがたに尋ねられるべきであろうか。わたしは生きている。わたしは決してあなたがたに尋ねられるはずはないと、主なる神は言われる。
エゼキエル書20:33 主なる神は言われる、わたしは生きている、わたしは必ず強い手と伸べた腕と注がれた憤りとをもって、あなたがたを治める。
エゼキエル書32:23 彼らの墓は穴の奥に設けられ、その仲間はその墓の周囲にあり、これはみな殺された者、つるぎに倒れた者、生ける者の地に恐れを起した者である。
エゼキエル書32:24 その所にエラムがおり、その民衆は皆、その墓の周囲におる。彼らはみな殺された者、つるぎに倒れた者、割礼を受けないで、下の国に下った者、生ける者の地に、恐れを起した者で、穴に下る者と共に、恥を負うのである。
エゼキエル書32:25 彼らはそのすべての民衆と共に、殺された者の中に床を置き、その墓はこれを囲む。これは皆、割礼を受けない者、つるぎに殺された者、生ける者の地に恐れを起した者で、穴に下る者と共に恥を負う。彼らは殺された者の中に置かれている。
エゼキエル書32:26 その所にメセクとトバル、およびすべての民衆がおる。その墓はこれを囲む。彼らは皆、割礼を受けない者で、つるぎで殺された者である。生ける者の地に恐れを起したからである。
エゼキエル書32:27 彼らは昔の倒れた勇士と共に伏さない。これらの勇士は、武具を持って陰府に下り、つるぎをまくらとし、その盾は骨の上にある。これは勇士の恐れが、生ける者の地にあったからである。
エゼキエル書32:32 彼は生ける者の国に恐れを広げた。それゆえ、パロとすべての民衆とは、割礼を受けない者のうちにあって、つるぎで殺された者と共に伏すと、主なる神は言われる」。
エゼキエル書33:10 それゆえ、人の子よ、イスラエルの家に言え、あなたがたはこう言った、『われわれのとがと、罪はわれわれの上にある。われわれはその中にあって衰えはてる。どうして生きることができようか』と。
エゼキエル書33:11 あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。
エゼキエル書33:12 人の子よ、あなたの民の人々に言え、義人の義は、彼が罪を犯す時には、彼を救わない。悪人の悪は、彼がその悪を離れる時、その悪のために倒れることはない。義人は彼が罪を犯す時、その義のために生きることはできない。
エゼキエル書33:13 わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ。
エゼキエル書33:15 すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。
エゼキエル書33:16 彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。
エゼキエル書33:19 悪人がその悪を離れて、公道と正義とを行うならば、彼はこれによって生きる。
エゼキエル書33:27 あなたは彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる、わたしは生きている。かの荒れ跡にいる者は必ずつるぎに倒れる。わたしは野の面にいる者を、獣に与えて食わせ、要害とほら穴とにいる者は疫病で死ぬ。
エゼキエル書34:8 主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。
エゼキエル書35:6 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしはあなたを血にわたす。血はあなたを追いかける。あなたには血のとががあるゆえ、血はあなたを追いかける
エゼキエル書35:11 それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたが彼らを憎んで、彼らに示した怒りと、ねたみにしたがって、わたしはあなたを扱う。わたしがあなたをさばく時、わたし自身をあなたに示す。
エゼキエル書37:10 そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。
エゼキエル書47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。
ダニエル書(5か所)
ダニエル書2:30 この秘密をわたしにあらわされたのは、すべての生ける者にまさって、わたしに知恵があるためではなく、ただその解き明かしを、王にお知らせすることによって、あなたが心に思われたことを、お知りになるためです。
ダニエル書4:34 こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく、
ダニエル書6:20 ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか」。
ダニエル書6:26 わたしは命令を出す。わが国のすべての州の人は、皆ダニエルの神を、おののき恐れなければならない。彼は生ける神であって、とこしえに変ることなく、その国は滅びず、その主権は終りまで続く。
ダニエル書12:7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
ホセア書(3か所)
ホセア書1:10 しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。
ホセア書4:15 イスラエルよ、あなたは淫行をなしても、ユダに罪を犯させてはならない。ギルガルへ行ってはならない。ベテアベンにのぼってはならない。また「主は生きておられる」と言って誓ってはならない。
ホセア書6:2 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。
アモス書(4か所)
アモス書5:4 主はイスラエルの家にこう言われる、「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ。
アモス書5:6 あなたがたは主を求めよ、そして生きよ。さもないと主は火のようにヨセフの家に落ち下られる。火はこれを焼くが、ベテルのためにこれを消す者はひとりもない。
アモス書5:14 善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。またあなたがたが言うように、万軍の神、主はあなたがたと共におられる。
アモス書8:14 かのサマリヤのアシマをさして誓い、『ダンよ、あなたの神は生きている』と言い、また『ベエルシバの道は生きている』と言う者どもは必ず倒れる。再び起きあがることはない」。
ヨナ書(2か所)
ヨナ書4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。
ヨナ書4:8 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。
ハバクク書(1か所)
ハバクク書2:4 見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。
ゼパニヤ書(1か所)
ゼパニヤ書2:9 それゆえ、万軍の主、イスラエルの神は言われる、わたしは生きている。モアブは必ずソドムのようになる。アンモンの人々はゴモラのようになる。いらくさと塩穴とがここを占領して、永遠に荒れ地となる。わが民の残りの者は彼らをかすめ、わが国民の残りの者はこれを所有する」。
ゼカリヤ書(3か所)
ゼカリヤ書1:5 あなたがたの先祖たち、彼らはどこにいるか。預言者たち、彼らは永遠に生きているのか。
ゼカリヤ書13:3 もし、人が今後預言するならば、その産みの父母はこれにむかって、『あなたは主の名をもって偽りを語るゆえ、生きていることができない』と言い、その産みの父母は彼が預言している時、彼を刺すであろう。
ゼカリヤ書14:8 その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬もやむことがない。
マタイによる福音書(6か所)
マタイ4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
マタイ16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
マタイ22:32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。
マタイ23:30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
マタイ26:63 しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
マタイ27:63 「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
マルコによる福音書(2か所)
マルコ12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。あなたがたは非常な思い違いをしている」。
マルコ16:11 彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
ルカによる福音書(5か所)
ルカ1:75 生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
ルカ4:4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
ルカ20:38 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。
ルカ24:5 女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
ルカ24:23 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
ヨハネによる福音書(11か所)
ヨハネ4:10 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
ヨハネ4:11 女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
ヨハネ5:25 よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。
ヨハネ6:51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
ヨハネ6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
ヨハネ6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
ヨハネ11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
ヨハネ11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
ヨハネ12:34 すると群衆はイエスにむかって言った、「わたしたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子とは、だれのことですか」。
ヨハネ14:19 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
使徒行伝(6か所)
使徒1:3 イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
使徒2:26 それゆえ、わたしの心は楽しみ、わたしの舌はよろこび歌った。わたしの肉体もまた、望みに生きるであろう。
使徒7:38 この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
使徒14:15 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
使徒17:28 われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
使徒25:19 ただ、彼と争い合っているのは、彼ら自身の宗教に関し、また、死んでしまったのに生きているとパウロが主張しているイエスなる者に関する問題に過ぎない。
ローマ人への手紙(18か所)
ローマ1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
ローマ6:2 断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。
ローマ6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
ローマ6:8 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
ローマ6:10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
ローマ6:11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
ローマ7:1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々に語るのであるが、律法は人をその生きている期間だけ支配するものである。
ローマ7:2 すなわち、夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって彼につながれている。しかし、夫が死ねば、夫の律法から解放される。
ローマ7:9 わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、
ローマ8:10 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
ローマ8:12 それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
ローマ8:13 なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。
ローマ9:26 あなたがたはわたしの民ではないと、彼らに言ったその場所で、彼らは生ける神の子らであると、呼ばれるであろう」。
ローマ10:5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。
ローマ12:1 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
ローマ14:7 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
ローマ14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
ローマ14:11 すなわち、「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」と書いてある。
コリント人への第一の手紙(2か所)
コリント第一7:39 妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。
コリント第一15:45 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
コリント人への第二の手紙(7か所)
コリント第二1:8 兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、
コリント第二3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。
コリント第二4:11 わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。
コリント第二5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
コリント第二6:9 人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、
コリント第二6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。
コリント第二13:4 すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。
ガラテヤ人への手紙(6か所)
ガラテヤ2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
ガラテヤ2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
ガラテヤ3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
ガラテヤ3:12 律法は信仰に基いているものではない。かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のである。
ガラテヤ5:25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
ガラテヤ5:26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。
ピリピ人への手紙(3か所)
ピリピ1:20 そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。
ピリピ1:21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。
ピリピ1:22 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。
コロサイ人への手紙(1か所)
コロサイ2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、
テサロニケ人への第一の手紙(3か所)
テサロニケ第一1:9 わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、
テサロニケ第一3:8 なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。
テサロニケ第一5:10 キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。
テモテへの第一の手紙(3か所)
テモテ第一3:15 万一わたしが遅れる場合には、神の家でいかに生活すべきかを、あなたに知ってもらいたいからである。神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。
テモテ第一4:10 わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。
テモテ第一5:6 これに反して、みだらな生活をしているやもめは、生けるしかばねにすぎない。
テモテへの第二の手紙(3か所)
テモテ第二2:11 次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。
テモテ第二3:12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
テモテ第二4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
ヘブル人への手紙(12か所)
ヘブル3:12 兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。
ヘブル4:12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
ヘブル7:8 その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者」とあかしされた人が、それを受けている。
ヘブル7:25 そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
ヘブル9:14 永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
ヘブル9:17 遺言は死によってのみその効力を生じ、遺言者が生きている間は、効力がない。
ヘブル10:20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
ヘブル10:31 生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである。
ヘブル10:38 わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。
ヘブル11:19 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。
ヘブル12:9 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
ヘブル12:22 しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ4:15 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。
ペテロの第一の手紙(7か所)
ペテロ第一1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
ペテロ第一1:23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
ペテロ第一2:4 主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
ペテロ第一2:5 この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
ペテロ第一2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
ペテロ第一4:5 彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。
ペテロ第一4:6 死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
ペテロの第二の手紙(1か所)
ペテロ第二2:18 彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
ヨハネの第一の手紙(2か所)
ヨハネ第一4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
ヨハネ第一4:17 わたしたちもこの世にあって彼のように生きているので、さばきの日に確信を持って立つことができる。そのことによって、愛がわたしたちに全うされているのである。
ヨハネの第三の手紙(1か所)
ヨハネ第三1:3 兄弟たちがきて、あなたが真理に生きていることを、あかししてくれたので、ひじょうに喜んでいる。事実、あなたは真理のうちを歩いているのである。
ヨハネの黙示録(9か所)
黙示録1:18 また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。
黙示録3:1 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
黙示録4:9 これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、
黙示録4:10 二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、
黙示録7:2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
黙示録10:6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
黙示録13:14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
黙示録15:7 そして、四つの生き物の一つが、世々限りなく生きておられる神の激しい怒りの満ちた七つの金の鉢を、七人の御使に渡した。
黙示録19:20 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。