「言」(げん)が出てくる聖書の箇所

「言」(げん)は口語訳の63か所(旧約0・新約63)に出てきます。日常訳第1版では0か所。

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マタイによる福音書(6か所)

マタイ4:4 イエスは答こたえて言いわれた、「『人ひとはパンだけで生いきるものではなく、神かみの口くちから出でる一ひとつ一ひとつの言げんで生いきるものである』と書かいてある」。

マタイ4:14 これは預言よげん者しゃイザヤによって言いわれた言げんが、成就じょうじゅするためである。

マタイ7:28 イエスがこれらの言げんを語かたり終おえられると、群衆ぐんしゅうはその教きょうにひどく驚おどろいた。

マタイ13:19 だれでも御お国くにの言げんを聞きいて悟さとらないならば、悪わるい者ものがきて、その人ひとの心こころにまかれたものを奪うばいとって行いく。道みちばたにまかれたものというのは、そういう人ひとのことである。

マタイ15:6 父ちちまたは母ははを敬うやまわなくてもよろしい』と言いっている。こうしてあなたがたは自分じぶんたちの言伝いいつたえによって、神かみの言げんを無むにしている。

マタイ26:65 すると、大だい祭司さいしはその衣ころもを引ひき裂さいて言いった、「彼かれは神かみを汚よごした。どうしてこれ以上いじょう、証人しょうにんの必要ひつようがあろう。あなたがたは今いまこのけがし言ことを聞きいた。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ7:13 こうしてあなたがたは、自分じぶんたちが受うけついだ言伝いいつたえによって、神かみの言げんを無むにしている。また、このような事ことをしばしばおこなっている」。

マルコ14:64 あなたがたはこのけがし言ことを聞きいた。あなたがたの意見いけんはどうか」。すると、彼かれらは皆みな、イエスを死しに当あたるものと断定だんていした。

ルカによる福音書(4か所)

ルカ3:2 アンナスとカヤパとが大だい祭司さいしであったとき、神かみの言げんが荒野あらのでザカリヤの子こヨハネに臨のぞんだ。

ルカ5:1 さて、群衆ぐんしゅうが神かみの言げんを聞きこうとして押おし寄よせてきたとき、イエスはゲネサレ湖こ畔はんに立たっておられたが、

ルカ8:11 この譬たとえはこういう意味いみである。種しゅは神かみの言ことである。

ルカ11:28 しかしイエスは言いわれた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神かみの言げんを聞きいてそれを守まもる人ひとたちである」。

ヨハネによる福音書(6か所)

ヨハネ1:1 初はじめに言げんがあった。言げんは神かみと共ともにあった。言げんは神かみであった。

ヨハネ1:2 この言げんは初はじめに神かみと共ともにあった。

ヨハネ1:4 この言げんに命いのちがあった。そしてこの命いのちは人ひとの光ひかりであった。

ヨハネ1:14 そして言げんは肉体にくたいとなり、わたしたちのうちに宿やどった。わたしたちはその栄光えいこうを見みた。それは父ちちのひとり子ことしての栄光えいこうであって、めぐみとまこととに満みちていた。

ヨハネ6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言げんをもっているのはあなたです。

ヨハネ10:35 神かみの言げんを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言げんは、すたることがあり得えない)

使徒行伝(17か所)

使徒4:31 彼かれらが祈いのり終おえると、その集あつまっていた場所ばしょが揺ゆれ動うごき、一同いちどうは聖霊せいれいに満みたされて、大胆だいたんに神かみの言げんを語かたり出だした。

使徒6:2 そこで、十じゅう二に使徒しとは弟子でし全体ぜんたいを呼よび集あつめて言いった、「わたしたちが神かみの言げんをさしおいて、食卓しょくたくのことに携たずさわるのはおもしろくない。

使徒6:7 こうして神かみの言げんは、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子でしの数かずが、非常ひじょうにふえていき、祭司さいしたちも多数たすう、信仰しんこうを受うけいれるようになった。

使徒8:14 エルサレムにいる使徒しとたちは、サマリヤの人々ひとびとが、神かみの言げんを受うけ入いれたと聞きいて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。

使徒8:25 使徒しとたちは力強ちからづよくあかしをなし、また主しゅの言げんを語かたった後あと、サマリヤ人にんの多おおくの村々むらむらに福音ふくいんを宣のべ伝つたえて、エルサレムに帰かえった。

使徒11:1 さて、異邦いほう人にんたちも神かみの言げんを受うけいれたということが、使徒しとたちやユダヤにいる兄弟きょうだいたちに聞きこえてきた。

使徒12:24 こうして、主しゅの言げんはますます盛さかんにひろまって行いった。

使徒13:5 そしてサラミスに着つくと、ユダヤ人にんの諸しょ会堂かいどうで神かみの言げんを宣のべはじめた。彼かれらはヨハネを助たすけ手てとして連つれていた。

使徒13:7 彼かれは地方ちほう総督そうとくセルギオ・パウロのところに出入でいりをしていた。この総督そうとくは賢明けんめいな人ひとであって、バルナバとサウロとを招まねいて、神かみの言げんを聞きこうとした。

使徒13:44 次つぎの安息あんそく日ひには、ほとんど全ぜん市しをあげて、神かみの言げんを聞きききに集あつまってきた。

使徒13:46 パウロとバルナバとは大胆だいたんに語かたった、「神かみの言げんは、まず、あなたがたに語かたり伝つたえられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退しりぞけ、自分じぶん自身じしんを永遠えいえんの命いのちにふさわしからぬ者ものにしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向ほうこうをかえて、異邦いほう人にんたちの方ほうに行いくのだ。

使徒16:32 それから、彼かれとその家族かぞく一同いちどうとに、神かみの言げんを語かたって聞きかせた。

使徒17:13 テサロニケのユダヤ人にんたちは、パウロがベレヤでも神かみの言げんを伝つたえていることを知しり、そこにも押おしかけてきて、群衆ぐんしゅうを煽動せんどうして騒さわがせた。

使徒18:11 パウロは一いち年ねん六ろくか月げつの間あいだここに腰こしをすえて、神かみの言げんを彼かれらの間あいだに教おしえつづけた。

使徒19:10 それが二に年間ねんかんも続つづいたので、アジヤに住すんでいる者ものは、ユダヤ人にんもギリシヤ人にんも皆みな、主しゅの言げんを聞きいた。

使徒19:20 このようにして、主しゅの言げんはますます盛さかんにひろまり、また力ちからを増まし加くわえていった。

使徒20:32 今いまわたしは、主しゅとその恵めぐみの言げんとに、あなたがたをゆだねる。御言みことには、あなたがたの徳とくをたて、聖別せいべつされたすべての人々ひとびとと共ともに、御お国くにをつがせる力ちからがある。

ローマ人への手紙(2か所)

ローマ3:2 それは、いろいろの点てんで数多かずおおくある。まず第だい一いちに、神かみの言げんが彼かれらにゆだねられたことである。

ローマ9:6 しかし、神かみの言げんが無効むこうになったというわけではない。なぜなら、イスラエルから出でた者ものが全部ぜんぶイスラエルなのではなく、

コリント人への第一の手紙(3か所)

コリント第一1:18 十字じゅうじ架かの言げんは、滅ほろび行いく者ものには愚おろかであるが、救すくいにあずかるわたしたちには、神かみの力ちからである。

コリント第一12:8 すなわち、ある人ひとには御ご霊れいによって知恵ちえの言葉ことばが与あたえられ、ほかの人ひとには、同おなじ御霊みたまによって知識ちしきの言げん、

コリント第一14:36 それとも、神かみの言げんはあなたがたのところから出でたのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。

コリント人への第二の手紙(2か所)

コリント第二2:17 しかし、わたしたちは、多おおくの人ひとのように神かみの言げんを売物うりものにせず、真心まごころをこめて、神かみにつかわされた者ものとして神かみのみまえで、キリストにあって語かたるのである。

コリント第二4:2 恥はずべき隠かくれたことを捨すて去さり、悪巧わるだくみによって歩あるかず、神かみの言げんを曲まげず、真理しんりを明あきらかにし、神かみのみまえに、すべての人ひとの良心りょうしんに自分じぶんを推薦すいせんするのである。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ6:17 また、救すくいのかぶとをかぶり、御ご霊れいの剣けん、すなわち、神かみの言げんを取とりなさい。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ1:14 そして兄弟きょうだいたちのうち多おおくの者ものは、わたしの入獄にゅうごくによって主しゅにある確信かくしんを得え、恐おそれることなく、ますます勇敢ゆうかんに、神かみの言げんを語かたるようになった。

コロサイ人への手紙(2か所)

コロサイ1:25 わたしは、神かみの言げんを告つげひろめる務つとむを、あなたがたのために神かみから与あたえられているが、そのために教会きょうかいに奉仕ほうしする者ものになっているのである。

コロサイ1:26 その言げんの奥義おうぎは、代々だいだいにわたってこの世よから隠かくされていたが、今いまや神かみの聖徒せいとたちに明あきらかにされたのである。

テサロニケ人への第一の手紙(2か所)

テサロニケ第一2:13 これらのことを考かんがえて、わたしたちがまた絶たえず神かみに感謝かんしゃしているのは、あなたがたがわたしたちの説といた神かみの言げんを聞きいた時ときに、それを人間にんげんの言葉ことばとしてではなく、神かみの言げんとして――事実じじつそのとおりであるが――受うけいれてくれたことである。そして、この神かみの言げんは、信しんじるあなたがたのうちに働はたらいているのである。

テサロニケ第一2:16 わたしたちが異邦いほう人にんに救すくいの言げんを語かたるのを妨さまたげて、絶たえず自分じぶんの罪つみを満みたしている。そこで、神かみの怒いかりは最ももっとも激はげしく彼かれらに臨のぞむに至いたったのである。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一4:5 それらは、神かみの言げんと祈いのりとによって、きよめられるからである。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二2:9 この福音ふくいんのために、わたしは悪者わるもののように苦くるしめられ、ついに鎖くさりにつながれるに至いたった。しかし、神かみの言げんはつながれてはいない。

テトスへの手紙(1か所)

テトス2:5 慎つつしみ深ぶかく、純潔じゅんけつで、家事かじに努つとめ、善良ぜんりょうで、自分じぶんの夫おっとに従順じゅうじゅんであるように教おしえることになり、したがって、神かみの言げんがそしりを受うけないようになるであろう。

ヘブル人への手紙(3か所)

ヘブル4:12 というのは、神かみの言げんは生いきていて、力ちからがあり、もろ刃はのつるぎよりも鋭するどくて、精神せいしんと霊魂れいこんと、関節かんせつと骨髄こつずいとを切きり離はなすまでに刺さしとおして、心こころの思おもいと志こころざしとを見分みわけることができる。

ヘブル5:12 あなたがたは、久ひさしい以前いぜんからすでに教師きょうしとなっているはずなのに、もう一いち度ど神かみの言げんの初歩しょほを、人ひとから手てほどきしてもらわねばならない始末しまつである。あなたがたは堅かたい食物しょくもつではなく、乳ちちを必要ひつようとしている。

ヘブル13:7 神かみの言げんをあなたがたに語かたった指導しどう者しゃたちのことを、いつも思おもい起おこしなさい。彼かれらの生活せいかつの最後さいごを見みて、その信仰しんこうにならいなさい。

ペテロの第二の手紙(1か所)

ペテロ第二3:5 すなわち、彼かれらはこのことを認みとめようとはしない。古ふるい昔むかしに天てんが存在そんざいし、地ちは神かみの言げんによって、水みずがもとになり、また、水みずによって成なったのであるが、

ヨハネの第一の手紙(3か所)

ヨハネ第一1:1 初はじめからあったもの、わたしたちが聞きいたもの、目めで見みたもの、よく見みて手てでさわったもの、すなわち、いのちの言げんについて――

ヨハネ第一1:10 もし、罪つみを犯おかしたことがないと言ゆうなら、それは神かみを偽いつわり者ものとするのであって、神かみの言げんはわたしたちのうちにない。

ヨハネ第一2:14 子供こどもたちよ。あなたがたに書かきおくったのは、あなたがたが父ちちを知しったからである。父ちちたちよ。あなたがたに書かきおくったのは、あなたがたが、初はじめからいますかたを知しったからである。若者わかものたちよ。あなたがたに書かきおくったのは、あなたがたが強つよい者ものであり、神かみの言げんがあなたがたに宿やどり、そして、あなたがたが悪あしき者ものにうち勝かったからである。

ヨハネの黙示録(5か所)

黙示録1:2 ヨハネは、神かみの言げんとイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分じぶんが見みたすべてのことをあかしした。

黙示録1:9 あなたがたの兄弟きょうだいであり、共ともにイエスの苦難くなんと御お国くにと忍耐にんたいとにあずかっている、わたしヨハネは、神かみの言げんとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島しまにいた。

黙示録6:9 小羊こひつじが第だい五ごの封印ふういんを解といた時とき、神かみの言げんのゆえに、また、そのあかしを立たてたために、殺ころされた人々ひとびとの霊魂れいこんが、祭壇さいだんの下したにいるのを、わたしは見みた。

黙示録19:13 彼かれは血染ちぞめの衣ころもをまとい、その名なは「神かみの言げん」と呼よばれた。

黙示録20:4 また見みていると、かず多おおくの座ざがあり、その上うえに人々ひとびとがすわっていた。そして、彼かれらにさばきの権けんが与あたえられていた。また、イエスのあかしをし神かみの言げんを伝つたえたために首くびを切きられた人々ひとびとの霊れいがそこにおり、また、獣けものをもその像ぞうをも拝おがまず、その刻印こくいんを額がくや手てに受うけることをしなかった人々ひとびとがいた。彼かれらは生いきかえって、キリストと共ともに千せん年ねんの間あいだ、支配しはいした。

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