「見つめる」(みつめる)が出てくる聖書の箇所

「見つめる」(みつめる)は日常訳第1版の55か所(旧約30・新約25)に出てきます。「見詰める」も含みます。口語訳では18か所。

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創世記(1か所)

創世記24:21 その間あいだその人ひとは、主しゅが自分じぶんの旅たびを成功せいこうさせてくださったのかどうかを知しろうと、黙だまって彼女かのじょを見みつめていた。

民数記(1か所)

民数記24:17 わたしには彼かれが見みえる。でも、今いまではない。わたしは彼かれを見みつめる。でも、近ちかくではない。ヤコブから一ひとつの星ほしが昇のぼり、イスラエルから一いち本ぽんの杖つえが起おこる。それはモアブの額がくを打うち砕くだき、シェトのすべての子こらを打うち倒たおす。

士師記(1か所)

士師記13:19 マノアは子こやぎと穀物こくもつのささげ物ものを取とり、岩いわの上うえで主しゅにささげた。すると、不思議ふしぎなことが起おこった。マノアと妻つまがそれを見みつめていると、

サムエル記下(1か所)

サムエル第二22:28 苦くるしむ民たみをあなたは救すくい、高たかぶる者ものをその目めで見みつめて低くひくくされる。

列王紀下(2か所)

列王紀下2:24 エリシャは振ふり返かえって彼かれらを見みつめ、主しゅの名なによって彼かれらをのろった。すると森もりの中なかから二に頭とうの雌熊めすぐまが出でて来きて、子こどものうち四十よんじゅう二に人にんを引ひき裂さいた。

列王紀下8:11 そして神かみの人ひとは、ハザエルが恥はじ入いるほど、じっと顔かおを見みつめて動うごかなかった。それから、彼かれは泣なき出だした。

ヨブ記(3か所)

ヨブ記17:2 まことに、わたしのまわりには、あざける者ものばかり。わたしの目めは、その侮あなどりを見みつめながら夜よるを過すごす。

ヨブ記24:23 神かみは彼かれらに安全あんぜんを与あたえ、彼かれらはそれに支ささえられて生いきる。でも神かみの目めは、いつも彼かれらの歩あゆみを見みつめている。

ヨブ記36:25 すべての人ひとはこれを見みつめる。人ひとは遠とおくからそれを眺ながめるだけだ。

詩篇(9か所)

詩篇11:4 主しゅはその聖せいなる神殿しんでんにいる。主しゅの王座おうざは天てんにある。その目めは人ひとの子こらをじっと見みつめ、まなざしは人ひとの子こらを調しらべている。

詩篇27:4 わたしは主しゅにただ一ひとつのことを願ねがい、それだけを求もとめている。生いきているかぎり、いつも主しゅの家いえに住すみ、主しゅの美うつくしさを見みつめ、その神殿しんでんで主しゅを尋たずね求もとめることを。

詩篇31:7 わたしはあなたの慈いつくしみを喜よろこび、楽たのしむ。あなたはわたしの苦くるしみを見みつめ、わたしの魂たましいの悩なやみを知しってくれたのだから。

詩篇33:13 主しゅは天てんから見みおろす。すべての人ひとの子こらをじっと見みつめる。

詩篇33:14 その御座ぎょざから地ちに住すむすべての人ひとを見みつめておられる。

詩篇37:37 全ぜんき人にんを見みつめ、正ただしい人ひとに目めを向むけよう。穏おだやかに生いきる人ひとには、未来みらいがあるのだから。

詩篇68:16 峰みねを連つらねる山々やまやまよ、なぜうらやむように見みつめるのか。神かみが住すまいに選えらんだのは、この山やまだ。主しゅはここに、永遠えいえんに住すまわれる。

詩篇104:32 主しゅが地ちを見みつめると、地ちは震ふるえる。山やまに触ふれると、山やまは煙けむりを上あげる。

詩篇123:2 主しゅに目めを注そそぐ僕しもべたちが主人しゅじんの手てもとを見みつめるように、召めし使つかいの女おんなが女じょ主人しゅじんの手てもとを見みつめるように、わたしたちの目めは、わたしたちの神かみ、主しゅに注そそがれる。主しゅがわたしたちをあわれんでくださるまで。

箴言(4か所)

箴言4:25 あなたの目めは、まっすぐ前まえを見みつめなさい。視線しせんを、あなたの前まえにまっすぐ向むけなさい。

箴言17:24 分別ぶんべつのある人ひとは、すぐ目めの前まえの知恵ちえを見みつめる。でも愚おろか者ものの目めは、地ちの果はてをさまよっている。

箴言23:26 息子むすこよ、心こころをわたしに向むけなさい。あなたの目めが、わたしの歩あゆむ道みちを喜よろこんで見みつめるように。

箴言31:25 力ちからと気品きひんを身みにまとい、これから来くる日々ひびを笑顔えがおで見みつめている。

雅歌(2か所)

雅歌2:9 あの人ひとはかもしか、若わかい雄鹿おじかのよう。ほら、わたしたちの壁かべの向むこうに立たって、窓まどからのぞき、格子こうしごしに見みつめている。

雅歌6:13 戻もどっておいで、戻もどっておいで、シュラムの娘むすめよ。戻もどっておいで、戻もどっておいで、あなたをよく見みせておくれ。あなたたちは、どうしてマハナイムの踊おどりを見みるように、シュラムの娘むすめを見みつめるのか。

イザヤ書(4か所)

イザヤ書14:16 お前まえを見みる者ものは、じっと見みつめて考かんがえ込こむ。「これがあの男おとこか。地ちを震ふるわせ、国々くにぐにを揺ゆるがし、

イザヤ書18:4 主しゅはわたしにこう言いわれた。「わたしは静しずかに、自分じぶんのいる場所ばしょから見みつめている。晴はれた日ひの照てりつける熱ねつのように、刈かり入いれの暑あつさの中なかに降おりる露ろの雲くものように。」

イザヤ書47:13 あなたは、たくさんの助言じょげんに疲つかれ果はてている。さあ、天てんを読よみ解とく者ものたち、星ほしを見みつめる者ものたち、毎月まいつき何なんが起おこるかを告つげる者ものたちに、立たち上あがってあなたを救すくわせてみるがいい。あなたに降ふりかかることから、救すくえるものなら。

イザヤ書57:8 扉とびらのうしろ、戸口とぐちの柱はしらの陰かげに、お前まえは自分じぶんのしるしを立たてた。わたしを捨すてて、お前まえは裸はだかになり、寝床ねどこに上あがってそれを広ひろげた。そして彼かれらと契ちぎりを結むすび、彼かれらの寝床ねどこを愛あいし、その裸はだかを見みつめた。

ハバクク書(1か所)

ハバクク書1:3 どうしてわたしに不正ふせいを見みせ、苦くるしみを見みつめさせるのですか。目めの前まえには暴あばれと暴力ぼうりょくがあふれ、争あらそいといさかいが絶たえません。

ゼカリヤ書(1か所)

ゼカリヤ書12:10 わたしはダビデの家いえと、エルサレムに住すむ人々ひとびとの上うえに、恵めぐみと祈いのりの霊れいを注そそぐ。すると彼かれらは、自分じぶんたちが突つき刺さしたわたしを見みつめる。そして、ひとり子ごを失うしなった人ひとのように、その人ひとのために嘆なげき、初はじめての子こを失うしなった人ひとのように、激はげしく悲かなしむ。

マルコによる福音書(3か所)

マルコ10:21 イエスは彼かれを見みつめ、いとおしく思おもって言いった。「あなたに足たりないものが一ひとつある。行いって、持もっているものを全部ぜんぶ売うり払はらい、貧まずしい人ひとたちに分わけてあげなさい。そうすれば、天てんに宝たからを持もつことになる。それから、わたしについて来きなさい。」

マルコ10:27 イエスは彼かれらを見みつめて言いった。「人ひとにはできないことだ。でも、神かみにはできる。神かみには、何なんでもできるのだから。」

マルコ14:67 女中じょちゅうはペテロが火ひにあたっているのを見みると、じっと見みつめて言いった。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒いっしょにいたでしょう。」

ルカによる福音書(5か所)

ルカ4:20 イエスは巻物まきものを閉とじ、係かかりの者ものに返かえして座すわった。会堂かいどうにいる人ひとたちはみな、イエスをじっと見みつめていた。

ルカ20:17 でもイエスは彼かれらをじっと見みつめて言いった。「では、こう書かかかれているのは、どういう意味いみだろうか。『家いえを建たてる者ものたちが捨すてた石いし、それが土台どだいの隅すみの石いしになった。』

ルカ22:56 すると、一人ひとりの召使めしつかいの女おんなが、火ひのそばに座すわっているペテロを見みつめて言いった。「この人ひとも、あの人ひとと一緒いっしょにいたわ。」

ルカ22:61 主しゅは振ふり返かえって、ペテロを見みつめた。ペテロは、主しゅが「今日きょう、鶏にわとりが鳴なく前まえに、あなたは三さん度どわたしを知しらないと言ゆうだろう」と言いったその言葉ことばを思おもい出だした。

ルカ23:49 イエスを知しっていた人ひとたちはみな、遠とおくに立たっていた。ガリラヤからイエスについて来きた女おんなたちも、これらのことを見みつめていた。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ1:42 そして、シモンをイエスのところに連つれて行いった。イエスはシモンを見みつめて言いった。「あなたはヨハネの子こシモンだ。これからは、ケファと呼よばれることになる。」ケファとは、「ペトロ」という意味いみである。

使徒行伝(11か所)

使徒1:10 イエスが上のぼっていくとき、彼かれらはじっと空そらを見みつめていた。すると、白しろい服ふくを着きた二人ふたりの人ひとがそばに立たっていた。

使徒3:4 ペテロはヨハネといっしょに、その人ひとをじっと見みつめて言いいいました。「わたしたちを見みなさい。」

使徒3:12 これを見みて、ペテロは人々ひとびとに語かたりかけました。「イスラエルの人ひとたち。どうして、このことに驚おどろくのですか。どうして、まるでわたしたちが自分じぶんの力ちからや信心しんじんでこの人ひとを歩あるかせたかのように、じっと見みつめるのですか。

使徒6:15 最高さいこう法ほう院いんに座すわっていた人ひとたちはみな、ステファノをじっと見みつめた。すると、その顔かおはまるで天使てんしの顔かおのように見みえた。

使徒7:32 「わたしは、あなたの先祖せんぞの神かみ、アブラハムとイサクとヤコブの神かみである。」モーセは震ふるえ上あがり、とても見みつめる勇気ゆうきがなかった。

使徒7:55 しかしステファノは聖霊せいれいに満みたされ、天てんをじっと見みつめた。すると、神かみの栄光えいこうが見みえ、イエスが神かみの右みぎに立たっておられるのが見みえた。

使徒10:4 コルネリウスは天使てんしをじっと見みつめ、怖こわくなって言いった。「何なんでしょうか、主しゅよ。」天使てんしは答こたえた。「あなたの祈いのりと施ほどこしは、神かみの前まえに立たちのぼり、覚おぼえられている。

使徒11:6 その中なかをじっと見みつめると、地上ちじょうの四よん本ぽん足あしの動物どうぶつ、野のの獣けもの、地ちをはうもの、空そらの鳥とりが見みえた。

使徒13:9 しかし、パウロとも呼よばれるサウロは、聖霊せいれいに満みたされ、エリマをじっと見みつめて

使徒14:9 この人ひとがパウロの話はなしを聞きいていた。パウロはじっと彼かれを見みつめ、この人ひとには治なおしてもらえるという信仰しんこうがあると見抜みぬいて、

使徒23:1 パウロは議会ぎかいの人々ひとびとをじっと見みつめて言いった。「兄弟きょうだいのみなさん、わたしは今日きょうまで、神かみの前まえでまったくやましいところのない良心りょうしんをもって生いきてきました。」

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二3:7 さて、人ひとを死しに導みちびくこの務つとめは、石いしに文字もじで刻きざまれたものだった。それでも栄光えいこうに包つつまれて始はじまり、イスラエルの人々ひとびとはモーセの顔かおを見みつめることができなかった。その顔かおが、やがて消きえていく栄光えいこうで輝かがやいていたからだ。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ6:4 だれもが、自分じぶん自身じしんの行おこないをよく確たしかめるべきだ。そうすれば、ほかの人ひとと比くらべるのではなく、自分じぶんだけを見みつめて誇ほこれるようになる。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル11:26 彼かれはキリストのために受うける辱はずかしめを、エジプトのどんな財宝ざいほうよりも大おおきな富とみだと考かんがえた。与あたえられる報むくいを見みつめていたからだ。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ1:25 でも、自由じゆうを与あたえる完全かんぜんな律法りっぽうをじっと見みつめ、それを守まもり続つづける人ひとは違ちがう。聞きいてすぐ忘わすれる人ひとではなく、実際じっさいに行おこなう人ひとだ。そういう人ひとは、その行おこないによって幸いさいわいになる。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一1:1 初はじめからあったもの、わたしたちが聞きいたもの、自分じぶんの目めで見みたもの、じっと見みつめ、この手てで触ふれたもの。それは、命いのちの言葉ことばについてのことだ。

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