「見つめる」(みつめる)が出てくる聖書の箇所
「見つめる」(みつめる)は口語訳の18か所(旧約3・新約15)に出てきます。「見詰める」も含みます。日常訳第1版では55か所。
創世記(1か所)
創世記24:21 その間その人は主が彼の旅の祝福されるか、どうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。
列王紀下(1か所)
列王紀下8:11 そして神の人がひとみを定めて彼の恥じるまでに見つめ、やがて泣き出したので、
雅歌(1か所)
雅歌1:6 わたしが日に焼けているがために、日がわたしを焼いたがために、わたしを見つめてはならない。わが母の子らは怒って、わたしにぶどう園を守らせた。しかし、わたしは自分のぶどう園を守らなかった。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ19:26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。
マルコによる福音書(3か所)
マルコ8:25 それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人は見つめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。
マルコ10:27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。
マルコ14:67 ペテロが火にあたっているのを見ると、彼を見つめて、「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
ルカによる福音書(3か所)
ルカ20:17 そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。
ルカ22:56 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。
ルカ22:61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
使徒行伝(6か所)
使徒1:10 イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて
使徒3:12 ペテロはこれを見て、人々にむかって言った、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。
使徒7:55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
使徒10:4 彼は御使を見つめていたが、恐ろしくなって、「主よ、なんでございますか」と言った。すると御使が言った、「あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている。
使徒11:6 注意して見つめていると、地上の四つ足、野の獣、這うもの、空の鳥などが、はいっていた。
使徒23:1 パウロは議会を見つめて言った、「兄弟たちよ、わたしは今日まで、神の前に、ひたすら明らかな良心にしたがって行動してきた」。
コリント人への第二の手紙(1か所)
コリント第二3:7 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、
ヤコブの手紙(1か所)
ヤコブ1:25 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。