「得」(とく)が出てくる聖書の箇所
「得」(とく)は日常訳第1版の23か所(旧約16・新約7)に出てきます。口語訳では8か所。
創世記(1か所)
創世記37:26 ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を隠したところで、何の得になるんだ。
歴代志下(1か所)
歴代志下34:22 そこでヒルキヤと王が遣わした者たちは、女預言者フルダのところへ行った。彼女は、衣装係だったハスラの子トクハトの子シャルムの妻で、エルサレムの第二区に住んでいた。彼らは、このことを彼女に話した。
ヨブ記(4か所)
ヨブ記21:15 全能者とは何者なのか。なぜわたしたちが仕えなければならないのか。祈ったところで、何の得があるというのか」と。
ヨブ記22:3 全能者にとって、あなたが正しいことに何の喜びがあるだろう。あなたが自分の生き方を正しく保っても、それが彼に何の得になるだろう。
ヨブ記34:9 ヨブはこう言った。『神と親しくしても、人には何の得もない』と。
ヨブ記35:3 あなたは言う、『それがあなたに何の得になるのか。罪を犯さないでいて、わたしに何の益があるのか』と。
詩篇(1か所)
詩篇30:9 「わたしが死んで墓に下ったとして、それが何の得になるでしょう。ちりとなったわたしが、あなたをたたえられるでしょうか。あなたのまことを、語り伝えられるでしょうか。
伝道の書(7か所)
伝道の書1:3 太陽の下で人がどれだけ苦労して働いても、それが何の得になるだろう。
伝道の書2:11 それからわたしは、自分の手がしたすべての仕事と、苦労して成し遂げたことを振り返ってみた。すると、どれもみなむなしく、風を追うようなものだった。太陽の下には、何の得もない。
伝道の書5:11 財産が増えれば、それを食いつぶす者も増える。持ち主にとって何の得があるだろう。ただ自分の目で眺めるだけだ。
伝道の書5:16 これもまた、ひどく辛い現実だ。来たときとそっくり同じ姿で去っていく。風のために働いて、いったい何の得があるだろう。
伝道の書6:8 賢い人が愚かな人よりまさっている点があるだろうか。どう生きればいいかを知っている貧しい人に、いったい何の得があるだろうか。
伝道の書6:11 言葉が増えれば増えるほど、むなしさも増えていく。それが人に何の得になるだろうか。
伝道の書7:11 知恵は、財産とともにあればなお良い。日の光を見るすべての人にとって、知恵は得になる。
エレミヤ書(1か所)
エレミヤ書12:13 彼らは麦をまいたのに、刈り取るのは茨だ。骨を折って働いても、何の得にもならない。主の激しい怒りのために、あなたたちは自分の収穫を恥じることになる。
マラキ書(1か所)
マラキ書3:14 あなたがたは言った。『神に仕えても、むだだ。その務めを守っても、万軍の主の前で嘆き悲しんで歩いても、何の得になるというのか。
マルコによる福音書(1か所)
マルコ8:36 人が全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得になるだろうか。
ルカによる福音書(1か所)
ルカ9:25 たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失ったり、だめにしてしまったら、何の得になるだろうか。
コリント人への第一の手紙(2か所)
コリント第一13:3 たとえ全財産を人に分け与え、自分の体さえ焼かれるために差し出したとしても、愛がなければ、わたしには何の得にもならない。
コリント第一15:32 もし、ただの人間の思いでエフェソで野獣と戦ったのなら、それがわたしに何の得になるだろう。死者が復活しないのなら、「食べよう、飲もう。どうせ明日は死ぬのだから」ということになる。
ピリピ人への手紙(1か所)
ピリピ3:7 しかし、わたしにとって得だったこれらのものを、キリストのゆえに、今では損だと思うようになった。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル13:9 いろいろな風変わりな教えに振り回されてはいけない。心を支えるのは、恵みによってであって、食べ物のきまりによってではない。それにこだわった人たちは、何の得もしなかった。
ユダの手紙(1か所)
ユダ1:16 この者たちは、不平を言い、文句ばかりこぼす。自分の欲望のままに生き、その口は大げさなことを語る。そして、得をするために人にへつらう。