「善」(ぜん)が出てくる聖書の箇所

「善」(ぜん)は口語訳の75か所(旧約39・新約36)に出てきます。日常訳第1版では27か所。

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創世記(1か所)

創世記44:4 町まちを出でて、まだ遠とおくへ行いかないうちに、ヨセフは家いえづかさに言いった、「立たって、あの人々ひとびとのあとを追おいなさい。追おいついて、彼かれらに言いいいなさい、『あなたがたはなぜ悪わるをもって善ぜんに報むくいるのですか。なぜわたしの銀ぎんの杯さかずきを盗ぬすんだのですか。

出エジプト記(1か所)

出エジプト33:19 主しゅは言いわれた、「わたしはわたしのもろもろの善ぜんをあなたの前まえに通とおらせ、主しゅの名なをあなたの前まえにのべるであろう。わたしは恵めぐもうとする者ものを恵めぐみ、あわれもうとする者ものをあわれむ」。

レビ記(1か所)

レビ記5:4 また、もし人ひとがみだりにくちびるで誓ちかい、悪あくをなそう、または善ぜんをなそうと言ゆうならば、その人ひとが誓ちかってみだりに言いったことは、それがどんなことであれ、それに気きづかなくても、彼かれがこれを知しるようになった時ときは、これらの一ひとつについて、とがを得うる。

民数記(1か所)

民数記24:13 『たといバラクがその家いえに満みちるほどの金銀きんぎんをわたしに与あたえようとも、主しゅの言葉ことばを越こえて心こころのままに善ぜんも悪あくも行おこなうことはできません。わたしは主しゅの言いわれることを述のべるだけです』。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一24:17 サウルはまたダビデに言いった、「あなたはわたしよりも正ただしい。わたしがあなたに悪あくを報むくいたのに、あなたはわたしに善ぜんを報むくいる。

サムエル記下(2か所)

サムエル第二14:17 つかえめはまた、こう思おもったのです、『王おう、わが主しゅの言葉ことばはわたしを安心あんしんさせるであろう』と。それは王おう、わが主しゅは神かみの使つかいのように善ぜんと悪あくを聞ききわけられるからです。どうぞあなたの神かみ、主しゅがあなたと共ともにおられますように」。

サムエル第二16:12 主しゅはわたしの悩なやみを顧かえりみてくださるかもしれない。また主しゅはきょう彼かれののろいにかえて、わたしに善ぜんを報むくいてくださるかも知しれない」。

詩篇(13か所)

詩篇14:1 愚おろかな者ものは心こころのうちに「神かみはない」と言ゆう。彼かれらは腐くされはて、憎にくむべき事ことをなし、善ぜんを行おこなう者ものはない。

詩篇14:3 彼かれらはみな迷まよい、みなひとしく腐くされた。善ぜんを行おこなう者ものはない、ひとりもない。

詩篇34:14 悪あくを離はなれて善ぜんをおこない、やわらぎを求もとめて、これを努つとめよ。

詩篇35:12 彼かれらは悪あくをもってわたしの善ぜんに報むくい、わが魂たましいを寄よるべなき者ものとした。

詩篇36:3 その口くちの言葉ことばはよこしまと欺あざむきである。彼かれは知恵ちえを得えることと、善ぜんを行おこなう事こととをやめた。

詩篇37:3 主しゅに信頼しんらいして善ぜんを行おこなえ。そうすればあなたはこの国くにに住すんで、安やすきを得うる。

詩篇37:27 悪あくをさけて、善ぜんを行おこなえ。そうすれば、あなたはとこしえに住すむことができる。

詩篇38:20 悪あくをもって善ぜんに報むくいる者ものは、わたしがよい事ことに従したがうがゆえに、わがあだとなります。

詩篇52:3 あなたは善ぜんよりも悪あくを好このみ、まことを語かたるよりも偽いつわりを語かたることを好このむ。[セラ

詩篇53:1 愚おろかな者ものは心こころのうちに「神かみはない」と言ゆう。彼かれらは腐くされはて、憎にくむべき不義ふぎをおこなった。善ぜんを行おこなう者ものはない。

詩篇53:3 彼かれらは皆みなそむき、みなひとしく堕落だらくした。善ぜんを行おこなう者ものはない、ひとりもない。

詩篇109:5 彼かれらは悪あくをもってわが善ぜんに報むくい、恨うらみをもってわが愛あいに報むくいるのです。

詩篇119:68 あなたは善ぜんにして善ぜんを行おこなわれます。あなたの定さだめをわたしに教おしえてください。

箴言(5か所)

箴言3:27 あなたの手てに善ぜんをなす力ちからがあるならば、これをなすべき人ひとになすことをさし控ひかえてはならない。

箴言11:27 善ぜんを求もとめる者ものは恵めぐみを得うる、悪あくを求もとめる者ものには悪あくが来くる。

箴言12:20 悪あくをたくらむ者ものの心こころには欺あざむきがあり、善ぜんをはかる人ひとには喜よろこびがある。

箴言14:22 悪あくを計はかる者ものはおのれを誤あやまるではないか、善ぜんを計はかる者ものにはいつくしみと、まこととがある。

箴言17:13 悪あくをもて善ぜんに報むくいる者ものは、悪あくがその家いえを離はなれることがない。

伝道の書(3か所)

伝道の書5:18 見みよ、わたしが見みたところの善ぜんかつ美びなる事ことは、神かみから賜たまわった短みじかい一生いっしょうの間あいだ、食くい、飲のみ、かつ日ひの下もとで労ろうするすべての労苦ろうくによって、楽たのしみを得える事ことである。これがその分ぶんだからである。

伝道の書6:12 人ひとはその短みじかく、むなしい命いのちの日ひを影かげのように送おくるのに、何なんが人ひとのために善ぜんであるかを知しることができよう。だれがその身みの後あとに、日ひの下したに何なんがあるであろうかを人ひとに告つげることができるか。

伝道の書7:20 善ぜんを行おこない、罪つみを犯おかさない正ただしい人ひとは世よにいない。

イザヤ書(4か所)

イザヤ書1:17 善ぜんを行おこなうことをならい、公平こうへいを求もとめ、しえたげる者ものを戒いましめ、みなしごを正ただしく守まもり、寡婦かふの訴うったえを弁護べんごせよ。

イザヤ書5:20 わざわいなるかな、彼かれらは悪あくを呼よんで善ぜんといい、善ぜんを呼よんで悪あくといい、暗くらきを光ひかりとし、光ひかりを暗くらしとし、苦くきを甘あましとし、甘かんきを苦くるしとする。

イザヤ書7:15 その子こが悪あくを捨すて、善ぜんを選えらぶことを知しるころになって、凝乳ぎょうにゅうと、蜂蜜はちみつとを食たべる。

イザヤ書7:16 それはこの子こが悪あくを捨すて、善ぜんを選えらぶことを知しる前まえに、あなたが恐おそれているふたりの王おうの地ちは捨すてられるからである。

エレミヤ書(3か所)

エレミヤ書4:22 「わたしの民たみは愚おろかであって、わたしを知しらない。彼かれらは愚鈍ぐどんな子こどもらで、悟さとることがない。彼かれらは悪あくを行おこなうのにさといけれども、善ぜんを行おこなうことを知しらない」。

エレミヤ書13:23 エチオピヤびとはその皮膚ひふを変かえることができようか。ひょうはその斑点はんてんを変かえることができようか。もしそれができるならば、悪わるに慣なれたあなたがたも、善ぜんを行おこなうことができる。

エレミヤ書18:20 悪あくをもって善ぜんに報むくいるべきでしょうか。しかもなお彼かれらはわたしの命いのちを取とろうとして穴あなを掘ほりました。わたしがあなたの前まえに立たって、彼かれらのことを良よく言いいい、あなたの憤いきどおりを止とめようとしたのを覚おぼえてください。

ホセア書(1か所)

ホセア書8:3 イスラエルは善ぜんはしりぞけた。敵てきはこれを追おうであろう。

アモス書(2か所)

アモス書5:14 善ぜんを求もとめよ、悪あくを求もとめるな。そうすればあなたがたは生いきることができる。またあなたがたが言いうように、万まん軍ぐんの神かみ、主しゅはあなたがたと共ともにおられる。

アモス書5:15 悪あくを憎にくみ、善ぜんを愛あいし、門もんで公義きみよしを立たてよ。万まん軍ぐんの神かみ、主しゅは、あるいはヨセフの残のこりの者ものをあわれまれるであろう。

ミカ書(1か所)

ミカ書3:2 あなたがたは善ぜんを憎にくみ、悪あくを愛あいし、わが民たみの身みから皮かわをはぎ、その骨ほねから肉にくをそぎ、

マルコによる福音書(1か所)

マルコ3:4 人々ひとびとにむかって、「安息あんそく日ひに善ぜんを行おこなうのと悪あくを行おこなうのと、命いのちを救すくうのと殺ころすのと、どちらがよいか」と言いわれた。彼かれらは黙だまっていた。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ6:9 そこでイエスは彼かれらにむかって言いわれた、「あなたがたに聞きくが、安息あんそく日ひに善ぜんを行おこなうのと悪あくを行おこなうのと、命いのちを救すくうのと殺ころすのと、どちらがよいか」。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。

ローマ人への手紙(15か所)

ローマ2:7 すなわち、一方いっぽうでは、耐たえ忍しのんで善ぜんを行おこなって、光栄こうえいとほまれと朽くちぬものとを求もとめる人ひとに、永遠えいえんのいのちが与あたえられ、

ローマ2:10 善ぜんを行おこなうすべての人ひとには、ユダヤ人にんをはじめギリシヤ人にんにも、光栄こうえいとほまれと平安へいあんとが与あたえられる。

ローマ3:8 むしろ、「善ぜんをきたらせるために、わたしたちは悪あくをしようではないか」(わたしたちがそう言いっていると、ある人々ひとびとはそしっている)。彼かれらが罰ばっせられるのは当然とうぜんである。

ローマ3:12 すべての人ひとは迷まよい出でて、ことごとく無益むえきなものになっている。善ぜんを行おこなう者ものはいない、ひとりもいない。

ローマ7:12 このようなわけで、律法りっぽうそのものは聖せいなるものであり、戒いましめも聖せいであって、正ただしく、かつ善ぜんなるものである。

ローマ7:13 では、善ぜんなるものが、わたしにとって死しとなったのか。断だんじてそうではない。それはむしろ、罪つみの罪つみたることが現あらわれるための、罪つみのしわざである。すなわち、罪つみは、戒いましめによって、はなはだしく悪性あくせいなものとなるために、善ぜんなるものによってわたしを死しに至いたらせたのである。

ローマ7:18 わたしの内うちに、すなわち、わたしの肉にくの内うちには、善ぜんなるものが宿やどっていないことを、わたしは知しっている。なぜなら、善ぜんをしようとする意志いしは、自分じぶんにあるが、それをする力ちからがないからである。

ローマ7:19 すなわち、わたしの欲ほっしている善ぜんはしないで、欲ほっしていない悪あくは、これを行おこなっている。

ローマ7:21 そこで、善ぜんをしようと欲ほっしているわたしに、悪あくがはいり込こんでいるという法則ほうそくがあるのを見みる。

ローマ9:11 まだ子供こどもらが生うまれもせず、善ぜんも悪あくもしない先さきに、神かみの選えらびの計画けいかくが、

ローマ12:2 あなたがたは、この世よと妥協だきょうしてはならない。むしろ、心こころを新あらたにすることによって、造つくりかえられ、何なんが神かみの御お旨むねであるか、何なんが善ぜんであって、神かみに喜よろこばれ、かつ全ぜんきことであるかを、わきまえ知しるべきである。

ローマ12:9 愛あいには偽いつわりがあってはならない。悪あくは憎にくみ退しりぞけ、善ぜんには親したしみ結むすび、

ローマ12:17 だれに対たいしても悪あくをもって悪わるに報むくいず、すべての人ひとに対たいして善ぜんを図はかりなさい。

ローマ12:21 悪わるに負まけてはいけない。かえって、善ぜんをもって悪わるに勝かちなさい。

ローマ16:19 あなたがたの従順じゅうじゅんは、すべての人々ひとびとの耳みみに達たっしており、それをあなたがたのために喜よろこんでいる。しかし、わたしの願ねがうところは、あなたがたが善ぜんにさとく、悪わるには、うとくあってほしいことである。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二5:10 なぜなら、わたしたちは皆みな、キリストのさばきの座ざの前まえにあらわれ、善ぜんであれ悪わるであれ、自分じぶんの行おこなったことに応おうじて、それぞれ報むくいを受うけねばならないからである。

ガラテヤ人への手紙(2か所)

ガラテヤ6:9 わたしたちは、善ぜんを行おこなうことに、うみ疲つかれてはならない。たゆまないでいると、時ときが来くれば刈かり取とるようになる。

ガラテヤ6:10 だから、機会きかいのあるごとに、だれに対たいしても、とくに信仰しんこうの仲間なかまに対たいして、善ぜんを行おこなおうではないか。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一5:15 だれも悪あくをもって悪わるに報むくいないように心こころがけ、お互たがいに、またみんなに対たいして、いつも善ぜんを追おい求もとめなさい。

テサロニケ人への第二の手紙(1か所)

テサロニケ第二1:11 このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神かみがあなたがたを召めしにかなう者ものとなし、善ぜんに対たいするあらゆる願ねがいと信仰しんこうの働はたらきとを力強ちからづよく満みたして下くださるようにと、あなたがたのために絶たえず祈いのっている。

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二3:3 無情むじょうな者もの、融和ゆうわしない者もの、そしる者もの、無む節制せっせいな者もの、粗暴そぼうな者もの、善ぜんを好このまない者もの、

テトスへの手紙(1か所)

テトス1:8 かえって、旅人たびびとをもてなし、善ぜんを愛あいし、慎つつしみ深ぶかく、正ただしく、信仰しんこう深ふかく、自制じせいする者ものであり、

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル13:16 そして、善ぜんを行おこなうことと施ほどこしをすることとを、忘わすれてはいけない。神かみは、このようないけにえを喜よろこばれる。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ4:17 人ひとが、なすべき善ぜんを知しりながら行おこなわなければ、それは彼かれにとって罪つみである。

ペテロの第一の手紙(8か所)

ペテロ第一2:14 あるいは、悪あくを行おこなう者ものを罰ばっし善ぜんを行おこなう者ものを賞しょうするために、王おうからつかわされた長官ちょうかんであろうと、これに従したがいなさい。

ペテロ第一2:15 善ぜんを行おこなうことによって、愚おろかな人々ひとびとの無知むちな発言はつげんを封ふうじるのは、神かみの御お旨むねなのである。

ペテロ第一2:20 悪わるいことをして打うちたたかれ、それを忍しのんだとしても、なんの手柄てがらになるのか。しかし善ぜんを行おこなって苦くるしみを受うけ、しかもそれを耐たえ忍しのんでいるとすれば、これこそ神かみによみせられることである。

ペテロ第一3:6 たとえば、サラはアブラハムに仕つかえて、彼かれを主しゅと呼よんだ。あなたがたも、何事なにごとにもおびえ臆おくすることなく善ぜんを行おこなえば、サラの娘むすめたちとなるのである。

ペテロ第一3:11 悪あくを避さけて善ぜんを行おこない、平和へいわを求もとめて、これを追おえ。

ペテロ第一3:13 そこで、もしあなたがたが善ぜんに熱心ねっしんであれば、だれが、あなたがたに危害きがいを加くわえようか。

ペテロ第一3:17 善ぜんをおこなって苦くるしむことは――それが神かみの御お旨むねであれば――悪あくをおこなって苦くるしむよりも、まさっている。

ペテロ第一4:19 だから、神かみの御お旨むねに従したがって苦くるしみを受うける人々ひとびとは、善ぜんをおこない、そして、真実しんじつであられる創造そうぞう者しゃに、自分じぶんのたましいをゆだねるがよい。

ヨハネの第三の手紙(1か所)

ヨハネ第三1:11 愛あいする者ものよ。悪わるにならわないで、善ぜんにならいなさい。善ぜんを行おこなう者ものは神かみから出でた者ものであり、悪あくを行おこなう者ものは神かみを見みたことのない者ものである。

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