「善」(ぜん)が出てくる聖書の箇所

「善」(ぜん)は日常訳第1版の27か所(旧約8・新約19)に出てきます。口語訳では75か所。

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創世記(2か所)

創世記3:5 でも神かみは、それを食たべると君きみたちの目めが開あけて、神かみのように善ぜんと悪あくを知しる者ものになることを知しっているんだ。」

創世記3:22 主しゅなる神かみは言いわれた。「人ひとはわたしたちのひとりのようになり、善ぜんと悪あくを知しる者ものになった。今いま、この人ひとが手てを伸のばして命いのちの木きからも取とって食たべ、いつまでも生いきることのないように。」

サムエル記下(1か所)

サムエル第二14:17 このはしためは思おもいました。『王おうさまのお言葉ことばが、わたしに安心あんしんを与あたえてくださいますように』と。王おうさまは神かみの使つかいのように、善ぜんも悪あくも聞き分けききわけてくださるからです。あなたの神かみである主しゅが、あなたとともにいてくださいますように。」

列王紀上(1か所)

列王紀上3:9 どうか、この僕しもべに、聞き分けるききわける心こころを与あたえてください。あなたの民たみを正ただしく裁さばき、善ぜんと悪あくを見分みわけられるように。これほど多おおくのあなたの民たみを、いったい誰だれが裁さばけるでしょうか。」

詩篇(3か所)

詩篇37:3 主しゅに信頼しんらいして、善ぜんを行おこなえ。この地ちに住すみ、誠実せいじつを糧かてとして生いきよ。

詩篇37:27 悪あくから離はなれ、善ぜんを行おこなえ。そうすれば、いつまでもその地ちに住すむことができる。

詩篇119:68 あなたは善ぜんそのものであり、良よいことをなさる方かただ。あなたのおきてをわたしに教おしえてください。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書13:23 クシュ人にんが自分じぶんの肌はだの色いろを変かえられるだろうか。ひょうが自分じぶんの斑点はんてんを消けせるだろうか。それができないのと同おなじで、悪わるに慣なれきったあなたたちに、善ぜんを行おこなうことなどできはしない。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ5:29 善ぜんを行おこなった人々ひとびとは、いのちを受うけるためによみがえる。悪あくを行おこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえる。それぞれ、墓はかから出でてくるのだ。

ローマ人への手紙(10か所)

ローマ2:7 善ぜんを忍耐にんたい強つよく行おこない、栄光えいこうと誉ほまれと朽くちないものを求もとめる人ひとには、永遠えいえんのいのちが与あたえられる。

ローマ2:10 善ぜんを行おこなうすべての人ひとには、栄光えいこうと誉ほまれと平安へいあんが与あたえられる。まずユダヤ人じんに、そしてギリシャ人じんにも。

ローマ3:8 善ぜんをもたらすために悪あくをしよう、なんてこともあり得えない。わたしたちがそう言いっていると悪口わるぐちを言いう人ひとや、実際じっさいにそう主張しゅちょうする人ひとたちがいる。でも、彼かれらが罰ばっせられるのは当然とうぜんだ。

ローマ3:12 すべての人ひとが正ただしい道みちから離はなれ、みんなそろって役やくに立たたたない者ものになってしまった。善ぜんを行おこなう人ひとはいない。ひとりもいない。

ローマ7:13 では、その善ぜんなるものがわたしにとって死しになったのだろうか。決けっしてそうではない。死しをもたらしたのは罪つみなのだ。罪つみが罪つみであることをはっきり示しめすために、その善ぜんなるものを使つかってわたしに死しをもたらした。それは、戒いましめを通とおして罪つみがどこまでも罪深つみぶかいものだと明あきらかになるためだった。

ローマ7:19 わたしは自分じぶんが望のぞんでいる善ぜんは行おこなわず、望のぞんでいない悪あくを行おこなっている。

ローマ7:21 だから、こういう法則ほうそくがあるのがわかる。善ぜんをしたいと思おもっているこのわたしに、いつも悪あくがぴったりくっついている、という法則ほうそくだ。

ローマ12:9 愛あいには偽いつわりがあってはならない。悪あくを憎にくみ、善ぜんに固かたく結むすびつきなさい。

ローマ12:21 悪わるに負まけてはいけない。むしろ、善ぜんによって悪わるに勝かちなさい。

ローマ16:19 あなたがたの従順じゅうじゅんは、すべての人ひとに知しれ渡わたっている。だから、わたしはあなたがたのことを喜よろこんでいる。でも、こう願ねがっている。あなたがたが善ぜんにはさとく、悪わるには染そまらないでいてほしい。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ5:9 光ひかりが実みのらせるのは、あらゆる善ぜんと、義ぎと、真実しんじつだからだ。

テサロニケ人への第二の手紙(1か所)

テサロニケ第二1:11 だからわたしたちは、いつもあなたがたのために祈いのっています。わたしたちの神かみが、あなたがたをその招まねきにふさわしい者ものとしてくださるように。そして、善ぜんを求もとめるすべての思おもいと、信仰しんこうから出でる働はたらきを、力ちからによって満みたしてくださるように。

ペテロの第一の手紙(5か所)

ペテロ第一2:14 また、王おうから送おくられてくる知事ちじたちであっても、従したがいなさい。彼かれらは、悪あくを行おこなう者ものを罰ばっし、善ぜんを行おこなう者ものをほめるために送おくられているのだ。

ペテロ第一3:6 サラがアブラハムに従したがい、彼かれを「主人しゅじん」と呼よんだように。あなたたちも善ぜんを行おこない、どんなことにもおびえないなら、サラの子ことなるのだ。

ペテロ第一3:11 悪あくから離はなれて善ぜんを行おこない、平和へいわを求もとめ、それを追おい求もとめよ。

ペテロ第一3:13 もし善ぜんに熱心ねっしんになるなら、いったいだれがあなたたちに害がいを加くわえるだろうか。

ペテロ第一3:17 もし神かみが望のぞまれるのなら、善ぜんを行おこなって苦くるしむほうが、悪あくを行おこなって苦くるしむよりもずっとよい。

ヨハネの第三の手紙(1か所)

ヨハネ第三1:11 愛あいする友ともよ。悪あくをまねてはいけない。まねるなら善ぜんのほうだ。善ぜんを行おこなう人ひとは神かみから出でた人ひとであり、悪あくを行おこなう人ひとは神かみを見みたことがない。

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