「人の子」(ひとのこ)が出てくる聖書の箇所

「人の子」(ひとのこ)は口語訳の277か所(旧約188・新約89)に出てきます。日常訳第1版では246か所。

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277か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。

マタイによる福音書(30か所)

マタイ17:9 一同いちどうが山やまを下くだって来くるとき、イエスは「人ひとの子こが死人しにんの中なかからよみがえるまでは、いま見みたことをだれにも話はなしてはならない」と、彼かれらに命めいじられた。

マタイ17:12 しかし、あなたがたに言いっておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々ひとびとは彼かれを認みとめず、自分じぶんかってに彼かれをあしらった。人ひとの子こもまた、そのように彼かれらから苦くるしみを受うけることになろう」。

マタイ17:22 彼かれらがガリラヤで集あつまっていた時とき、イエスは言いわれた、「人ひとの子こは人々ひとびとの手てにわたされ、

マタイ18:11 人ひとの子こは、滅ほろびる者ものを救すくうためにきたのである。〕

マタイ19:28 イエスは彼かれらに言いわれた、「よく聞きいておくがよい。世よが改あらたまって、人ひとの子こがその栄光えいこうの座ざにつく時ときには、わたしに従したがってきたあなたがたもまた、十じゅう二にの位くらいに座ざしてイスラエルの十じゅう二にの部族ぶぞくをさばくであろう。

マタイ20:18 「見みよ、わたしたちはエルサレムへ上のぼって行いくが、人ひとの子こは祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちの手てに渡わたされるであろう。彼かれらは彼かれに死刑しけいを宣告せんこくし、

マタイ20:28 それは、人ひとの子こがきたのも、仕つかえられるためではなく、仕つかえるためであり、また多おおくの人ひとのあがないとして、自分じぶんの命いのちを与あたえるためであるのと、ちょうど同おなじである」。

マタイ24:27 ちょうど、いなずまが東ひがしから西にしにひらめき渡わたるように、人ひとの子こも現あらわれるであろう。

マタイ24:30 そのとき、人ひとの子このしるしが天てんに現あらわれるであろう。またそのとき、地ちのすべての民族みんぞくは嘆なげき、そして力ちからと大おおいなる栄光えいこうとをもって、人ひとの子こが天てんの雲くもに乗のって来くるのを、人々ひとびとは見みるであろう。

マタイ24:33 そのように、すべてこれらのことを見みたならば、人ひとの子こが戸口とぐちまで近ちかづいていると知しりなさい。

マタイ24:37 人ひとの子この現あらわれるのも、ちょうどノアの時ときのようであろう。

マタイ24:39 そして洪水こうずいが襲おそってきて、いっさいのものをさらって行いくまで、彼かれらは気きがつかなかった。人ひとの子この現あらわれるのも、そのようであろう。

マタイ24:44 だから、あなたがたも用意よういをしていなさい。思おもいがけない時ときに人ひとの子こが来くるからである。

マタイ25:31 人ひとの子こが栄光えいこうの中なかにすべての御ご使したちを従したがえて来くるとき、彼かれはその栄光えいこうの座ざにつくであろう。

マタイ26:2 「あなたがたが知しっているとおり、ふつかの後あとには過越すぎこしの祭まつりになるが、人ひとの子こは十字じゅうじ架かにつけられるために引ひき渡わたされる」。

マタイ26:24 たしかに人ひとの子こは、自分じぶんについて書かいてあるとおりに去さって行いく。しかし、人ひとの子こを裏切うらぎるその人ひとは、わざわいである。その人ひとは生うまれなかった方ほうが、彼かれのためによかったであろう」。

マタイ26:45 それから弟子でしたちの所ところに帰かえってきて、言いわれた、「まだ眠ねむっているのか、休やすんでいるのか。見みよ、時ときが迫せまった。人ひとの子こは罪人ざいにんらの手てに渡わたされるのだ。

マタイ26:64 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたの言いうとおりである。しかし、わたしは言いっておく。あなたがたは、間まもなく、人ひとの子こが力ちからある者ものの右みぎに座ざし、天てんの雲くもに乗のって来くるのを見みるであろう」。

マルコによる福音書(15か所)

マルコ2:10 しかし、人ひとの子こは地上ちじょうで罪つみをゆるす権威けんいをもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼かれらに言いいい、中風ちゅうぶの者ものにむかって、

マルコ2:28 それだから、人ひとの子こは、安息あんそく日ひにもまた主しゅなのである」。

マルコ3:28 よく言い聞かせいいきかせておくが、人ひとの子こらには、その犯おかすすべての罪つみも神かみをけがす言葉ことばも、ゆるされる。

マルコ8:31 それから、人ひとの子こは必かならず多おおくの苦くるしみを受うけ、長老ちょうろう、祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちに捨すてられ、また殺ころされ、そして三みっ日かの後あとによみがえるべきことを、彼かれらに教おしえはじめ、

マルコ8:38 邪悪じゃあくで罪深つみぶかいこの時代じだいにあって、わたしとわたしの言葉ことばとを恥はじる者ものに対たいしては、人ひとの子こもまた、父ちちの栄光えいこうのうちに聖せいなる御ご使したちと共ともに来くるときに、その者ものを恥はじるであろう」。

マルコ9:9 一同いちどうが山やまを下くだって来くるとき、イエスは「人ひとの子こが死人しにんの中なかからよみがえるまでは、いま見みたことをだれにも話はなしてはならない」と、彼かれらに命めいじられた。

マルコ9:12 イエスは言いわれた、「確たしかに、エリヤが先さきにきて、万事ばんじを元もとどおりに改あらためる。しかし、人ひとの子こについて、彼かれが多おおくの苦くるしみを受うけ、かつ恥はずかしめられると、書かいてあるのはなぜか。

マルコ9:31 それは、イエスが弟子でしたちに教おしえて、「人ひとの子こは人々ひとびとの手てにわたされ、彼かれらに殺ころされ、殺ころされてから三みっ日かの後あとによみがえるであろう」と言いっておられたからである。

マルコ10:33 「見みよ、わたしたちはエルサレムへ上のぼって行いくが、人ひとの子こは祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちの手てに引ひきわたされる。そして彼かれらは死刑しけいを宣告せんこくした上うえ、彼かれを異邦いほう人にんに引ひきわたすであろう。

マルコ10:45 人ひとの子こがきたのも、仕つかえられるためではなく、仕つかえるためであり、また多おおくの人ひとのあがないとして、自分じぶんの命いのちを与あたえるためである」。

マルコ13:26 そのとき、大おおいなる力ちからと栄光えいこうとをもって、人ひとの子こが雲くもに乗のって来くるのを、人々ひとびとは見みるであろう。

マルコ13:29 そのように、これらの事ことが起おこるのを見みたならば、人ひとの子こが戸口とぐちまで近ちかづいていると知しりなさい。

マルコ14:21 たしかに人ひとの子こは、自分じぶんについて書かいてあるとおりに去さって行いく。しかし、人ひとの子こを裏切うらぎるその人ひとは、わざわいである。その人ひとは生うまれなかった方ほうが、彼かれのためによかったであろう」。

マルコ14:41 三さん度ど目めにきて言いわれた、「まだ眠ねむっているのか、休やすんでいるのか。もうそれでよかろう。時じがきた。見みよ、人ひとの子こは罪人ざいにんらの手てに渡わたされるのだ。

マルコ14:62 イエスは言いわれた、「わたしがそれである。あなたがたは人ひとの子こが力ちからある者ものの右みぎに座ざし、天てんの雲くもに乗のって来くるのを見みるであろう」。

ルカによる福音書(26か所)

ルカ5:24 しかし、人ひとの子こは地上ちじょうで罪つみをゆるす権威けんいを持もっていることが、あなたがたにわかるために」と彼かれらに対たいして言いいい、中風ちゅうぶの者ものにむかって、「あなたに命めいじる。起おきよ、床ゆかを取とり上あげて家いえに帰かえれ」と言いわれた。

ルカ6:5 また彼かれらに言いわれた、「人ひとの子こは安息あんそく日ひの主しゅである」。

ルカ6:22 人々ひとびとがあなたがたを憎にくむとき、また人ひとの子このためにあなたがたを排斥はいせきし、ののしり、汚名おめいを着きせるときは、あなたがたはさいわいだ。

ルカ7:34 また人ひとの子こがきて食たべたり飲のんだりしていると、見みよ、あれは食しょくをむさぼる者もの、大酒おおざけを飲のむ者もの、また取とり税ぜい人にん、罪人ざいにんの仲間なかまだ、と言ゆう。

ルカ9:22 「人ひとの子こは必かならず多おおくの苦くるしみを受うけ、長老ちょうろう、祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちに捨すてられ、また殺ころされ、そして三みっ日か目めによみがえる」。

ルカ9:26 わたしとわたしの言葉ことばとを恥はじる者ものに対たいしては、人ひとの子こもまた、自分じぶんの栄光えいこうと、父ちちと聖せいなる御ご使しとの栄光えいこうのうちに現あらわれて来くるとき、その者ものを恥はじるであろう。

ルカ9:44 「あなたがたはこの言葉ことばを耳みみにおさめて置おきなさい。人ひとの子こは人々ひとびとの手てに渡わたされようとしている」。

ルカ9:58 イエスはその人ひとに言いわれた、「きつねには穴あながあり、空そらの鳥とりには巣すがある。しかし、人ひとの子こにはまくらする所ところがない」。

ルカ11:30 というのは、ニネベの人々ひとびとに対たいしてヨナがしるしとなったように、人ひとの子こもこの時代じだいに対たいしてしるしとなるであろう。

ルカ12:8 そこで、あなたがたに言ゆう。だれでも人ひとの前まえでわたしを受うけいれる者ものを、人ひとの子こも神かみの使つかいたちの前まえで受うけいれるであろう。

ルカ12:10 また、人ひとの子こに言いいい逆さからう者ものはゆるされるであろうが、聖霊せいれいをけがす者ものは、ゆるされることはない。

ルカ12:40 あなたがたも用意よういしていなさい。思おもいがけない時ときに人ひとの子こが来くるからである」。

ルカ17:22 それから弟子でしたちに言いわれた、「あなたがたは、人ひとの子この日ひを一日ついたちでも見みたいと願ねがっても見みることができない時ときが来くるであろう。

ルカ17:24 いなずまが天てんの端はしからひかり出でて天てんの端はしへとひらめき渡わたるように、人ひとの子こもその日ひには同おなじようであるだろう。

ルカ17:26 そして、ノアの時ときにあったように、人ひとの子この時ときにも同様どうようなことが起おこるであろう。

ルカ17:30 人ひとの子こが現あらわれる日ひも、ちょうどそれと同様どうようであろう。

ルカ18:8 あなたがたに言いっておくが、神かみはすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人ひとの子こが来くるとき、地上ちじょうに信仰しんこうが見みられるであろうか」。

ルカ18:31 イエスは十じゅう二に弟子でしを呼よび寄よせて言いわれた、「見みよ、わたしたちはエルサレムへ上のぼって行いくが、人ひとの子こについて預言よげん者しゃたちがしるしたことは、すべて成就じょうじゅするであろう。

ルカ18:32 人ひとの子こは異邦いほう人にんに引ひきわたされ、あざけられ、はずかしめを受うけ、つばきをかけられ、

ルカ19:10 人ひとの子こがきたのは、失うしなわれたものを尋たずね出だして救すくうためである」。

ルカ21:27 そのとき、大おおいなる力ちからと栄光えいこうとをもって、人ひとの子こが雲くもに乗のって来くるのを、人々ひとびとは見みるであろう。

ルカ21:36 これらの起おころうとしているすべての事ことからのがれて、人ひとの子この前まえに立たつことができるように、絶たえず目めをさまして祈いのっていなさい」。

ルカ22:22 人ひとの子こは定さだめられたとおりに、去さって行いく。しかし人ひとの子こを裏切うらぎるその人ひとは、わざわいである」。

ルカ22:48 そこでイエスは言いわれた、「ユダ、あなたは接吻せっぷんをもって人ひとの子こを裏切うらぎるのか」。

ルカ22:69 しかし、人ひとの子こは今いまからのち、全能ぜんのうの神かみの右みぎに座ざするであろう」。

ルカ24:7 すなわち、人ひとの子こは必かならず罪人ざいにんらの手てに渡わたされ、十字じゅうじ架かにつけられ、そして三みっ日か目めによみがえる、と仰おおせられたではないか」。

ヨハネによる福音書(12か所)

ヨハネ1:51 また言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。天てんが開あけて、神かみの御ご使したちが人ひとの子この上うえに上のぼり下おりするのを、あなたがたは見みるであろう」。

ヨハネ3:13 天てんから下くだってきた者もの、すなわち人ひとの子このほかには、だれも天てんに上のぼった者ものはない。

ヨハネ3:14 そして、ちょうどモーセが荒野あらのでへびを上あげたように、人ひとの子こもまた上あげられなければならない。

ヨハネ5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。

ヨハネ6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。

ヨハネ6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。

ヨハネ6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。

ヨハネ8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後あとはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なんもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。

ヨハネ9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。

ヨハネ12:23 すると、イエスは答こたえて言いわれた、「人ひとの子こが栄光えいこうを受うける時ときがきた。

ヨハネ12:34 すると群衆ぐんしゅうはイエスにむかって言いった、「わたしたちは律法りっぽうによって、キリストはいつまでも生いきておいでになるのだ、と聞きいていました。それだのに、どうして人ひとの子こは上あげられねばならないと、言いわれるのですか。その人ひとの子ことは、だれのことですか」。

ヨハネ13:31 さて、彼かれが出でて行いくと、イエスは言いわれた、「今いまや人ひとの子こは栄光えいこうを受うけた。神かみもまた彼かれによって栄光えいこうをお受うけになった。

使徒行伝(2か所)

使徒7:56 そこで、彼かれは「ああ、天てんが開あけて、人ひとの子こが神かみの右みぎに立たっておいでになるのが見みえる」と言いった。

使徒23:6 パウロは、議員ぎいんの一部いちぶがサドカイ人にんであり、一部いちぶはパリサイ人にんであるのを見みて、議会ぎかいの中なかで声こえを高たかめて言いった、「兄弟きょうだいたちよ、わたしはパリサイ人にんであり、パリサイ人にんの子こである。わたしは、死人しにんの復活ふっかつの望のぞみをいだいていることで、裁判さいばんを受うけているのである」。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ3:5 この奥義おうぎは、いまは、御ご霊れいによって彼かれの聖せいなる使徒しとたちと預言よげん者しゃたちとに啓示けいじされているが、前まえの時代じだいには、人ひとの子こらに対たいして、そのように知しらされてはいなかったのである。

ヘブル人への手紙(1か所)

ヘブル2:6 聖書せいしょはある箇所かしょで、こうあかししている、「人間にんげんが何者なにものだから、これを御お心こころに留とめられるのだろうか。人ひとの子こが何者なにものだから、これをかえりみられるのだろうか。

ヨハネの黙示録(2か所)

黙示録1:13 それらの燭台しょくだいの間あいだに、足あしまでたれた上着うわぎを着き、胸むねに金かねの帯おびをしめている人ひとの子このような者ものがいた。

黙示録14:14 また見みていると、見みよ、白しろい雲くもがあって、その雲くもの上うえに人ひとの子このような者ものが座ざしており、頭あたまには金かねの冠かんむりをいただき、手てには鋭するどいかまを持もっていた。

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