「世」(よ)が出てくる聖書の箇所
「世」(よ)は口語訳の247か所(旧約153・新約94)に出てきます。日常訳第1版では66か所。
247か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。
ヨハネによる福音書(30か所)
ヨハネ17:21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。
ヨハネ17:23 わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。
使徒行伝(1か所)
使徒15:18 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、こう仰せになった』。
ローマ人への手紙(3か所)
ローマ5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
ローマ11:12 しかし、もし、彼らの罪過が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となったとすれば、まして彼らが全部救われたなら、どんなにかすばらしいことであろう。
ローマ11:15 もし彼らの捨てられたことが世の和解となったとすれば、彼らの受けいれられることは、死人の中から生き返ることではないか。
コリント人への第一の手紙(7か所)
コリント第一2:7 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
コリント第一6:2 それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。
コリント第一7:31 世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
コリント第一8:4 さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
コリント第一10:11 これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。
コリント第一10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
コリント第一14:10 世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。
コリント人への第二の手紙(1か所)
コリント第二5:19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。
ガラテヤ人への手紙(2か所)
ガラテヤ1:4 キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。
ガラテヤ3:15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
エペソ人への手紙(2か所)
エペソ1:21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。
エペソ6:12 わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
コロサイ人への手紙(2か所)
コロサイ2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
コロサイ2:20 もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、
テモテへの第二の手紙(1か所)
テモテ第二4:6 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
ヘブル人への手紙(5か所)
ヘブル4:3 ところが、わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。それは、「わたしが怒って、彼らをわたしの安息に、はいらせることはしないと、誓ったように」と言われているとおりである。しかも、みわざは世の初めに、でき上がっていた。
ヘブル6:5 また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
ヘブル6:18 それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。
ヘブル9:26 もしそうだとすれば、世の初めから、たびたび苦難を受けねばならなかったであろう。しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。
ヘブル11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
ヤコブの手紙(2か所)
ヤコブ1:27 父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
ヤコブ4:4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
ペテロの第二の手紙(2か所)
ペテロ第二1:4 また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。
ペテロ第二1:15 わたしが世を去った後にも、これらのことを、あなたがたにいつも思い出させるように努めよう。
ヨハネの第一の手紙(14か所)
ヨハネ第一2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
ヨハネ第一2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
ヨハネ第一2:17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
ヨハネ第一3:1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
ヨハネ第一3:13 兄弟たちよ。世があなたがたを憎んでも、驚くには及ばない。
ヨハネ第一3:17 世の富を持っていながら、兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者には、どうして神の愛が、彼のうちにあろうか。
ヨハネ第一4:1 愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
ヨハネ第一4:3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。
ヨハネ第一4:4 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。
ヨハネ第一4:5 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。
ヨハネ第一4:9 神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
ヨハネ第一4:14 わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
ヨハネ第一5:4 なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
ヨハネ第一5:5 世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。
ヨハネの第二の手紙(1か所)
ヨハネ第二1:7 なぜなら、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白しないで人を惑わす者が、多く世にはいってきたからである。そういう者は、惑わす者であり、反キリストである。
ヨハネの黙示録(2か所)
黙示録13:8 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう。
黙示録17:8 あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。