「よみがえる」が出てくる聖書の箇所

「よみがえる」は口語訳の100か所(旧約0・新約100)に出てきます。「蘇る」も含みます。日常訳第1版では64か所。

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マタイによる福音書(11か所)

マタイ10:8 病人びょうにんをいやし、死人しにんをよみがえらせ、らい病びょう人にんをきよめ、悪霊あくりょうを追おい出だせ。ただで受うけたのだから、ただで与あたえるがよい。

マタイ14:2 家来けらいに言いった、「あれはバプテスマのヨハネだ。死人しにんの中なかからよみがえったのだ。それで、あのような力ちからが彼かれのうちに働はたらいているのだ」。

マタイ16:21 この時ときから、イエス・キリストは、自分じぶんが必かならずエルサレムに行いき、長老ちょうろう、祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちから多おおくの苦くるしみを受うけ、殺ころされ、そして三みっ日か目めによみがえるべきことを、弟子でしたちに示ししめしはじめられた。

マタイ17:9 一同いちどうが山やまを下くだって来くるとき、イエスは「人ひとの子こが死人しにんの中なかからよみがえるまでは、いま見みたことをだれにも話はなしてはならない」と、彼かれらに命めいじられた。

マタイ17:23 彼かれらに殺ころされ、そして三みっ日か目めによみがえるであろう」。弟子でしたちは非常ひじょうに心こころをいためた。

マタイ20:19 そして彼かれをあざけり、むち打うち、十字じゅうじ架かにつけさせるために、異邦いほう人にんに引ひきわたすであろう。そして彼かれは三みっ日か目めによみがえるであろう」。

マタイ26:32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先さきにガリラヤへ行いくであろう」。

マタイ27:63 「長官ちょうかん、あの偽いつわり者しゃがまだ生いきていたとき、『三みっ日かの後あとに自分じぶんはよみがえる』と言いったのを、思おもい出だしました。

マタイ27:64 ですから、三みっ日か目めまで墓はかの番ばんをするように、さしずをして下ください。そうしないと、弟子でしたちがきて彼かれを盗ぬすみ出だし、『イエスは死人しにんの中なかから、よみがえった』と、民衆みんしゅうに言いいふらすかも知しれません。そうなると、みんなが前まえよりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

マタイ28:6 もうここにはおられない。かねて言いわれたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納おさめられていた場所ばしょをごらんなさい。

マタイ28:7 そして、急いいそいで行いって、弟子でしたちにこう伝つたえなさい、『イエスは死人しにんの中なかからよみがえられた。見みよ、あなたがたより先さきにガリラヤへ行いかれる。そこでお会あいできるであろう』。あなたがたに、これだけ言いっておく」。

マルコによる福音書(14か所)

マルコ6:14 さて、イエスの名なが知しれわたって、ヘロデ王おうの耳みみにはいった。ある人々ひとびとは「バプテスマのヨハネが、死人しにんの中なかからよみがえってきたのだ。それで、あのような力ちからが彼かれのうちに働はたらいているのだ」と言いいい、

マルコ6:16 ところが、ヘロデはこれを聞きいて、「わたしが首くびを切きったあのヨハネがよみがえったのだ」と言いった。

マルコ8:31 それから、人ひとの子こは必かならず多おおくの苦くるしみを受うけ、長老ちょうろう、祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちに捨すてられ、また殺ころされ、そして三みっ日かの後あとによみがえるべきことを、彼かれらに教おしえはじめ、

マルコ9:9 一同いちどうが山やまを下くだって来くるとき、イエスは「人ひとの子こが死人しにんの中なかからよみがえるまでは、いま見みたことをだれにも話はなしてはならない」と、彼かれらに命めいじられた。

マルコ9:10 彼かれらはこの言葉ことばを心こころにとめ、死人しにんの中なかからよみがえるとはどういうことかと、互たがいに論ろんじ合あった。

マルコ9:31 それは、イエスが弟子でしたちに教おしえて、「人ひとの子こは人々ひとびとの手てにわたされ、彼かれらに殺ころされ、殺ころされてから三みっ日かの後あとによみがえるであろう」と言いっておられたからである。

マルコ10:34 また彼かれをあざけり、つばきをかけ、むち打うち、ついに殺ころしてしまう。そして彼かれは三みっ日かの後あとによみがえるであろう」。

マルコ12:23 復活ふっかつのとき、彼かれらが皆みなよみがえった場合ばあい、この女おんなはだれの妻つまなのでしょうか。七なな人にんとも彼女かのじょを妻つまにしたのですが」。

マルコ12:25 彼かれらが死人しにんの中なかからよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼かれらは天てんにいる御ご使しのようなものである。

マルコ12:26 死人しにんがよみがえることについては、モーセの書しょの柴しばの篇へんで、神かみがモーセに仰おおせられた言葉ことばを読よんだことがないのか。『わたしはアブラハムの神かみ、イサクの神かみ、ヤコブの神かみである』とあるではないか。

マルコ14:28 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先さきにガリラヤへ行いくであろう」。

マルコ16:6 するとこの若者わかものは言いった、「驚おどろくことはない。あなたがたは十字じゅうじ架かにつけられたナザレ人にんイエスを捜さがしているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納おさめした場所ばしょである。

マルコ16:9 週しゅうの初はじめの日ひの朝あさ早はやく、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御ご自身じしんをあらわされた。イエスは以前いぜんに、この女おんなから七ななつの悪霊あくりょうを追おい出だされたことがある。

マルコ16:14 その後ご、イエスは十じゅう一いち弟子でしが食卓しょくたくについているところに現あらわれ、彼かれらの不ふ信仰しんこうと、心こころのかたくななことをお責せめになった。彼かれらは、よみがえられたイエスを見みた人々ひとびとの言いうことを、信しんじなかったからである。

ルカによる福音書(9か所)

ルカ9:7 さて、領主りょうしゅヘロデはいろいろな出来事できごとを耳みみにして、あわて惑まどっていた。それは、ある人ひとたちは、ヨハネが死人しにんの中なかからよみがえったと言いいい、

ルカ9:22 「人ひとの子こは必かならず多おおくの苦くるしみを受うけ、長老ちょうろう、祭司さいし長ちょう、律法りっぽう学がく者しゃたちに捨すてられ、また殺ころされ、そして三みっ日か目めによみがえる」。

ルカ16:31 アブラハムは言いった、『もし彼かれらがモーセと預言よげん者しゃとに耳みみを傾かたむけないなら、死人しにんの中なかからよみがえってくる者ものがあっても、彼かれらはその勧すすめを聞き入れききいれはしないであろう』」。

ルカ18:33 また、むち打うたれてから、ついに殺ころされ、そして三みっ日か目めによみがえるであろう」。

ルカ20:37 死人しにんがよみがえることは、モーセも柴しばの篇へんで、主しゅを『アブラハムの神かみ、イサクの神かみ、ヤコブの神かみ』と呼よんで、これを示ししめした。

ルカ24:6 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話はなしになったことを思おもい出だしなさい。

ルカ24:7 すなわち、人ひとの子こは必かならず罪人ざいにんらの手てに渡わたされ、十字じゅうじ架かにつけられ、そして三みっ日か目めによみがえる、と仰おおせられたではないか」。

ルカ24:34 「主しゅは、ほんとうによみがえって、シモンに現あらわれなさった」と言いっていた。

ルカ24:46 言いわれた、「こう、しるしてある。キリストは苦くるしみを受うけて、三みっ日か目めに死人しにんの中なかからよみがえる。

ヨハネによる福音書(14か所)

ヨハネ2:22 それで、イエスが死人しにんの中なかからよみがえったとき、弟子でしたちはイエスがこう言いわれたことを思おもい出だして、聖書せいしょとイエスのこの言葉ことばとを信しんじた。

ヨハネ5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。

ヨハネ6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。

ヨハネ6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。

ヨハネ6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。

ヨハネ6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。

ヨハネ11:23 イエスはマルタに言いわれた、「あなたの兄弟きょうだいはよみがえるであろう」。

ヨハネ11:24 マルタは言いった、「終おわりの日ひのよみがえりの時ときよみがえることは、存ぞんじています」。

ヨハネ11:25 イエスは彼女かのじょに言いわれた、「わたしはよみがえりであり、命いのちである。わたしを信しんじる者ものは、たとい死しんでも生いきる。

ヨハネ12:1 過越すぎこしの祭まつりの六むい日かまえに、イエスはベタニヤに行いかれた。そこは、イエスが死人しにんの中なかからよみがえらせたラザロのいた所ところである。

ヨハネ12:9 大おおぜいのユダヤ人にんたちが、そこにイエスのおられるのを知しって、押おしよせてきた。それはイエスに会あうためだけではなく、イエスが死人しにんのなかから、よみがえらせたラザロを見みるためでもあった。

ヨハネ12:17 また、イエスがラザロを墓はかから呼よび出だして、死人しにんの中なかからよみがえらせたとき、イエスと一緒いっしょにいた群衆ぐんしゅうが、そのあかしをした。

ヨハネ20:9 しかし、彼かれらは死人しにんのうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句せいくを、まだ悟さとっていなかった。

ヨハネ21:14 イエスが死人しにんの中なかからよみがえったのち、弟子でしたちにあらわれたのは、これで既すでに三さん度ど目めである。

使徒行伝(17か所)

使徒2:24 神かみはこのイエスを死しの苦くるしみから解とき放はなって、よみがえらせたのである。イエスが死しに支配しはいされているはずはなかったからである。

使徒2:32 このイエスを、神かみはよみがえらせた。そして、わたしたちは皆みなその証人しょうにんなのである。

使徒3:15 いのちの君きみを殺ころしてしまった。しかし、神かみはこのイエスを死人しにんの中なかから、よみがえらせた。わたしたちは、その事ことの証人しょうにんである。

使徒4:10 あなたがたご一同いちどうも、またイスラエルの人々ひとびと全体ぜんたいも、知しっていてもらいたい。この人ひとが元気げんきになってみんなの前まえに立たっているのは、ひとえに、あなたがたが十字じゅうじ架かにつけて殺ころしたのを、神かみが死人しにんの中なかからよみがえらせたナザレ人にんイエス・キリストの御名ぎょめいによるのである。

使徒5:30 わたしたちの先祖せんぞの神かみは、あなたがたが木きにかけて殺ころしたイエスをよみがえらせ、

使徒10:40 しかし神かみはイエスを三みっ日か目めによみがえらせ、

使徒13:30 しかし、神かみはイエスを死人しにんの中なかから、よみがえらせたのである。

使徒13:33 神かみは、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫しそんにこの約束やくそくを、お果はてしになった。それは詩篇しへんの第だい二に篇へんにも、『あなたこそは、わたしの子こ。きょう、わたしはあなたを生うんだ』と書かいてあるとおりである。

使徒13:34 また、神かみがイエスを死人しにんの中なかからよみがえらせて、いつまでも朽くち果はてることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束やくそくした確たしかな聖せいなる祝福しゅくふくを、あなたがたに授さずけよう』と言いわれた。

使徒13:37 しかし、神かみがよみがえらせたかたは、朽くち果はてることがなかったのである。

使徒17:3 キリストは必かならず苦難くなんを受うけ、そして死人しにんの中なかからよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝つたえているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明せつめいもし論証ろんしょうもした。

使徒17:31 神かみは、義ぎをもってこの世界せかいをさばくためその日ひを定さだめ、お選えらびになったかたによってそれをなし遂とげようとされている。すなわち、このかたを死人しにんの中なかからよみがえらせ、その確証かくしょうをすべての人ひとに示しめされたのである」。

使徒17:32 死人しにんのよみがえりのことを聞きくと、ある者ものたちはあざ笑わらい、またある者ものたちは、「この事ことについては、いずれまた聞きくことにする」と言いった。

使徒24:15 また、正ただしい者ものも正ただしくない者ものも、やがてよみがえるとの希望きぼうを、神かみを仰あおいでいだいているものです。この希望きぼうは、彼かれら自身じしんも持もっているのです。

使徒24:21 ただ、わたしは、彼かれらの中なかに立たって、『わたしは、死人しにんのよみがえりのことで、きょう、あなたがたの前まえでさばきを受うけているのだ』と叫さけんだだけのことです」。

使徒26:8 神かみが死人しにんをよみがえらせるということが、あなたがたには、どうして信しんじられないことと思おもえるのでしょうか。

使徒26:23 すなわち、キリストが苦難くなんを受うけること、また、死人しにんの中なかから最初さいしょによみがえって、この国民こくみんと異邦いほう人にんとに、光ひかりを宣のべ伝つたえるに至いたることを、あかししたのです」。

ローマ人への手紙(5か所)

ローマ4:24 わたしたちのためでもあって、わたしたちの主しゅイエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたを信しんじるわたしたちも、義ぎと認みとめられるのである。

ローマ7:4 わたしの兄弟きょうだいたちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法りっぽうに対たいして死しんだのである。それは、あなたがたが他ほかの人ひと、すなわち、死人しにんの中なかからよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神かみのために実じつを結むすぶに至いたるためなのである。

ローマ8:11 もし、イエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたの御ご霊れいが、あなたがたの内うちに宿やどっているなら、キリスト・イエスを死人しにんの中なかからよみがえらせたかたは、あなたがたの内うちに宿やどっている御ご霊れいによって、あなたがたの死しぬべきからだをも、生いかしてくださるであろう。

ローマ8:34 だれが、わたしたちを罪つみに定さだめるのか。キリスト・イエスは、死しんで、否いな、よみがえって、神かみの右みぎに座ざし、また、わたしたちのためにとりなして下くださるのである。

ローマ10:9 すなわち、自分じぶんの口くちで、イエスは主しゅであると告白こくはくし、自分じぶんの心こころで、神かみが死人しにんの中なかからイエスをよみがえらせたと信しんじるなら、あなたは救すくわれる。

コリント人への第一の手紙(15か所)

コリント第一6:14 そして、神かみは主しゅをよみがえらせたが、その力ちからで、わたしたちをもよみがえらせて下くださるであろう。

コリント第一15:4 そして葬ほうむられたこと、聖書せいしょに書かいてあるとおり、三みっ日か目めによみがえったこと、

コリント第一15:12 さて、キリストは死人しにんの中なかからよみがえったのだと宣のべ伝つたえられているのに、あなたがたの中なかのある者ものが、死人しにんの復活ふっかつなどはないと言いっているのは、どうしたことか。

コリント第一15:13 もし死人しにんの復活ふっかつがないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。

コリント第一15:14 もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教せんきょうはむなしく、あなたがたの信仰しんこうもまたむなしい。

コリント第一15:15 すると、わたしたちは神かみにそむく偽証ぎしょう人にんにさえなるわけだ。なぜなら、万一まんいち死人しにんがよみがえらないとしたら、わたしたちは神かみが実際じっさいよみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言いって、神かみに反はんするあかしを立たてたことになるからである。

コリント第一15:16 もし死人しにんがよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。

コリント第一15:17 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰しんこうは空虚くうきょなものとなり、あなたがたは、いまなお罪つみの中なかにいることになろう。

コリント第一15:20 しかし事実じじつ、キリストは眠ねむっている者ものの初穂はつほとして、死人しにんの中なかからよみがえったのである。

コリント第一15:29 そうでないとすれば、死者ししゃのためにバプテスマを受うける人々ひとびとは、なぜそれをするのだろうか。もし死者ししゃが全まったくよみがえらないとすれば、なぜ人々ひとびとが死者ししゃのためにバプテスマを受うけるのか。

コリント第一15:32 もし、わたしが人間にんげんの考かんがえによってエペソで獣けものと戦たたかったとすれば、それはなんの役やくに立たつのか。もし死人しにんがよみがえらないのなら、「わたしたちは飲のみ食くいしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。

コリント第一15:35 しかし、ある人ひとは言ゆうだろう。「どんなふうにして、死人しにんがよみがえるのか。どんなからだをして来くるのか」。

コリント第一15:42 死人しにんの復活ふっかつも、また同様どうようである。朽くちるものでまかれ、朽くちないものによみがえり、

コリント第一15:43 卑いやしいものでまかれ、栄光えいこうあるものによみがえり、弱よわいものでまかれ、強つよいものによみがえり、

コリント第一15:44 肉にくのからだでまかれ、霊れいのからだによみがえるのである。肉にくのからだがあるのだから、霊れいのからだもあるわけである。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二1:9 心こころのうちで死しを覚悟かくごし、自分じぶん自身じしんを頼たのみとしないで、死人しにんをよみがえらせて下くださる神かみを頼たのみとするに至いたった。

コリント第二4:14 それは、主しゅイエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共ともによみがえらせ、そして、あなたがたと共ともにみまえに立たたたせて下くださることを、知しっているからである。

コリント第二5:15 そして、彼かれがすべての人ひとのために死しんだのは、生いきている者ものがもはや自分じぶんのためにではなく、自分じぶんのために死しんでよみがえったかたのために、生いきるためである。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ1:1 人々ひとびとからでもなく、人ひとによってでもなく、イエス・キリストと彼かれを死人しにんの中なかからよみがえらせた父ちちなる神かみとによって立たてられた使徒しとパウロ、

エペソ人への手紙(2か所)

エペソ1:20 神かみはその力ちからをキリストのうちに働はたらかせて、彼かれを死人しにんの中なかからよみがえらせ、天上てんじょうにおいてご自分じぶんの右みぎに座ざせしめ、

エペソ2:6 キリスト・イエスにあって、共ともによみがえらせ、共ともに天上てんじょうで座ざにつかせて下くださったのである。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ2:12 あなたがたはバプテスマを受うけて彼かれと共ともに葬ほうむられ、同時どうじに、彼かれを死人しにんの中なかからよみがえらせた神かみの力ちからを信しんじる信仰しんこうによって、彼かれと共ともによみがえらされたのである。

テサロニケ人への第一の手紙(2か所)

テサロニケ第一1:10 そして、死人しにんの中なかからよみがえった神かみの御子みこ、すなわち、わたしたちをきたるべき怒いかりから救すくい出だして下くださるイエスが、天てんから下くだってこられるのを待まつようになったかを、彼かれら自身じしんが言いいいひろめているのである。

テサロニケ第一4:16 すなわち、主しゅご自身じしんが天使てんしのかしらの声こえと神かみのラッパの鳴なり響ひびくうちに、合図あいずの声こえで、天てんから下くだってこられる。その時とき、キリストにあって死しんだ人々ひとびとが、まず最初さいしょによみがえり、

テモテへの第二の手紙(1か所)

テモテ第二2:8 ダビデの子孫しそんとして生うまれ、死人しにんのうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思おもっていなさい。これがわたしの福音ふくいんである。

ヘブル人への手紙(3か所)

ヘブル10:3 しかし実際じっさいは、年ねんごとに、いけにえによって罪つみの思おもい出でがよみがえって来くるのである。

ヘブル11:19 彼かれは、神かみが死人しにんの中なかから人ひとをよみがえらせる力ちからがある、と信しんじていたのである。だから彼かれは、いわば、イサクを生いきかえして渡わたされたわけである。

ヘブル11:35 女おんなたちは、その死者ししゃたちをよみがえらさせてもらった。ほかの者ものは、更さらにまさったいのちによみがえるために、拷問ごうもんの苦くるしみに甘あまんじ、放免ほうめんされることを願ねがわなかった。

ペテロの第一の手紙(2か所)

ペテロ第一1:3 ほむべきかな、わたしたちの主しゅイエス・キリストの父ちちなる神かみ。神かみは、その豊ゆたかなあわれみにより、イエス・キリストを死人しにんの中なかからよみがえらせ、それにより、わたしたちを新あらたに生うまれさせて生いける望のぞみをいだかせ、

ペテロ第一1:21 あなたがたは、このキリストによって、彼かれを死人しにんの中なかからよみがえらせて、栄光えいこうをお与あたえになった神かみを信しんじる者ものとなったのであり、したがって、あなたがたの信仰しんこうと望のぞみとは、神かみにかかっているのである。

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