「過ぎ去る」(すぎさる)が出てくる聖書の箇所

「過ぎ去る」(すぎさる)は口語訳の25か所(旧約13・新約12)に出てきます。日常訳第1版では31か所。

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申命記(1か所)

申命記4:32 試こころみにあなたの前まえに過すぎ去さった日ひについて問とえ。神かみが地上ちじょうに人ひとを造つくられた日ひからこのかた、天てんのこの端はしから、かの端はしまでに、かつてこのように大おおいなる事ことがあったであろうか。このようなことを聞きいたことがあったであろうか。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一15:32 時ときにサムエルは言いった、「わたしの所ところにアマレクびとの王おうアガグを引ひいてきなさい」。アガグはうれしそうにサムエルの所ところにきた。アガグは「死しの苦くるしみはきっと過すぎ去さったのだ」と思おもった。

ヨブ記(3か所)

ヨブ記6:15 わが兄弟きょうだいたちは谷川たにがわのように、過すぎ去さる出水しゅっすいのように欺あざむく。

ヨブ記16:22 数すう年ねん過すぎ去されば、わたしは帰かえらぬ旅路たびじに行いくであろう。

ヨブ記17:11 わが日ひは過すぎ去さり、わが計はかりごとは敗やぶれ、わが心こころの願ねがいも敗やぶれた。

詩篇(5か所)

詩篇57:1 神かみよ、わたしをあわれんでください。わたしをあわれんでください。わたしの魂たましいはあなたに寄より頼たのみます。滅ほろびのあらしの過すぎ去さるまではあなたの翼つばさの陰かげをわたしの避さけ所しょとします。

詩篇78:39 また神かみは、彼かれらがただ肉にくであって、過すぎ去されば再ふたたび帰かえりこぬ風ふうであることを思おもい出だされた。

詩篇90:4 あなたの目めの前まえには千せん年ねんも過すぎ去さればきのうのごとく、夜よるの間あいだのひと時ときのようです。

詩篇90:9 われらのすべての日ひは、あなたの怒いかりによって過すぎ去さり、われらの年としの尽つきるのは、ひと息いきのようです。

詩篇102:26 これらは滅ほろびるでしょう。しかしあなたは長ながらえられます。これらはみな衣ころものように古ふるびるでしょう。あなたがこれらを上着うわぎのように替かえられると、これらは過すぎ去さります。

イザヤ書(2か所)

イザヤ書26:20 さあ、わが民たみよ、あなたのへやにはいり、あなたのうしろの戸とを閉とじて、憤いきどおりの過すぎ去さるまで、しばらく隠かくれよ。

イザヤ書31:9 彼かれらの岩いわは恐おそれによって過すぎ去さり、その君きみたちはあわて、旗はたをすてて逃にげ去さる」。これは主しゅの言葉ことばである。主しゅの火ひはシオンにあり、その炉ろはエルサレムにある。

アモス書(1か所)

アモス書8:5 あなたがたは言いう、「新月しんげつはいつ過すぎ去さるだろう、そうしたら、われわれは穀物こくもつを売うろう。安息あんそく日ひはいつ過すぎ去さるだろう、そうしたら、われわれは麦むぎを売うり出だそう。われわれはエパを小ちいさくし、シケルを大おおきくし、偽いつわりのはかりをもって欺あざむき、

マタイによる福音書(1か所)

マタイ26:39 そして少すこし進すすんで行いき、うつぶしになり、祈いのって言いわれた、「わが父ちちよ、もしできることでしたらどうか、この杯さかずきをわたしから過すぎ去さらせてください。しかし、わたしの思おもいのままにではなく、みこころのままになさって下ください」。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ14:35 そして少すこし進すすんで行いき、地ちにひれ伏ふし、もしできることなら、この時ときを過すぎ去さらせてくださるようにと祈いのりつづけ、そして言いわれた、

使徒行伝(1か所)

使徒14:16 神かみは過すぎ去さった時代じだいには、すべての国々くにぐにの人ひとが、それぞれの道みちを行いくままにしておかれたが、

コリント人への第一の手紙(1か所)

コリント第一7:31 世よと交渉こうしょうのある者ものは、それに深入ふかいりしないようにすべきである。なぜなら、この世よの有様ありさまは過すぎ去さるからである。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二5:17 だれでもキリストにあるならば、その人ひとは新あたらしく造つくられた者ものである。古ふるいものは過すぎ去さった、見みよ、すべてが新あたらしくなったのである。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ1:10 また、富とんでいる者ものは、自分じぶんが低ひくされたことを喜よろこぶがよい。富とんでいる者ものは、草花くさばなのように過すぎ去さるからである。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一4:3 過すぎ去さった時代じだいには、あなたがたは、異邦いほう人にんの好このみにまかせて、好色こうしょく、欲情よくじょう、酔酒すいしゅ、宴えん楽がく、暴飲ぼういん、気きままな偶像ぐうぞう礼拝れいはいなどにふけってきたが、もうそれで十分じゅうぶんであろう。

ヨハネの第一の手紙(2か所)

ヨハネ第一2:8 しかも、新あたらしい戒いましめを、あなたがたに書かきおくるのである。そして、それは、彼かれにとってもあなたがたにとっても、真理しんりなのである。なぜなら、やみは過すぎ去さり、まことの光ひかりがすでに輝かがやいているからである。

ヨハネ第一2:17 世よと世よの欲よくとは過すぎ去さる。しかし、神かみの御お旨むねを行おこなう者ものは、永遠えいえんにながらえる。

ヨハネの黙示録(3か所)

黙示録9:12 第だい一いちのわざわいは、過すぎ去さった。見みよ、この後ご、なお二ふたつのわざわいが来くる。

黙示録11:14 第だい二にのわざわいは、過すぎ去さった。見みよ、第だい三さんのわざわいがすぐに来くる。

黙示録21:4 人ひとの目めから涙なみだを全まったくぬぐいとって下くださる。もはや、死しもなく、悲かなしみも、叫さけびも、痛いたみもない。先さきのものが、すでに過すぎ去さったからである」。

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