「良し」(よし)が出てくる聖書の箇所
「良し」(よし)は口語訳の49か所(旧約46・新約3)に出てきます。日常訳第1版では13か所。
創世記(7か所)
創世記1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
創世記1:10 神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。
創世記1:12 地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。
創世記1:18 昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。
創世記1:21 神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。
創世記1:25 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
創世記49:15 彼は定住の地を見て良しとし、その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、奴隷となって追い使われる。
レビ記(2か所)
レビ記10:19 アロンはモーセに言った、「見よ、きょう、彼らはその罪祭と燔祭とを主の前にささげたが、このような事がわたしに臨んだ。もしわたしが、きょう罪祭のものを食べたとしたら、主はこれを良しとせられたであろうか」。
レビ記10:20 モーセはこれを聞いて良しとした。
民数記(1か所)
民数記14:8 もし、主が良しとされるならば、わたしたちをその地に導いて行って、それをわたしたちにくださるでしょう。それは乳と蜜の流れている地です。
ヨシュア記(3か所)
ヨシュア記22:30 祭司ピネハス、および会衆のつかさたち、すなわち彼と共に行ったイスラエルの氏族のかしらたちは、ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの子孫が語った言葉を聞いて、それを良しとした。
ヨシュア記22:33 イスラエルの人々はそれを良しとした。そしてイスラエルの人々は神をほめたたえ、ルベンの子孫、およびガドの子孫の住んでいる国を滅ぼすために攻め上ろうとは、もはや言わなかった。
ヨシュア記24:15 もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
サムエル記上(3か所)
サムエル第一12:22 主は、その大いなる名のゆえに、その民を捨てられないであろう。主が、あなたがたを自分の民とすることを良しとされるからである。
サムエル第一18:26 サウルの家来たちが、この言葉をダビデに告げた時、ダビデは王のむこになることを良しとした。そして定めた日がまだこないうちに、
サムエル第一20:7 もし彼が「良し」と言われるなら、しもべは安全ですが、怒られるなら、わたしに害を加える決心でおられるのを知ってください。
サムエル記下(1か所)
サムエル第二15:26 しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。
歴代志上(2か所)
歴代志上13:2 そしてダビデはイスラエルの全会衆に言った、「もし、このことをあなたがたがよしとし、われわれの神、主がこれを許されるならば、われわれは、イスラエルの各地に残っているわれわれの兄弟ならびに、放牧地の付いている町々にいる祭司とレビびとに、使をつかわし、われわれの所に呼び集めましょう。
歴代志上21:23 オルナンはダビデに言った、「どうぞこれをお取りなさい。そして王わが主の良しと見られるところを行いなさい。わたしは牛を燔祭のために、打穀機をたきぎのために、麦を素祭のためにささげます。わたしは皆これをささげます」。
歴代志下(8か所)
歴代志下14:2 アサはその神、主の目に良しと見え、また正しと見えることを行った。
歴代志下24:2 ヨアシは祭司エホヤダの世にある日の間は常に主の良しと見られることを行った。
歴代志下25:2 アマジヤは主の良しと見られることを行ったが、全き心をもってではなかった。
歴代志下26:4 ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。
歴代志下27:2 ヨタムはその父ウジヤがしたように主の良しと見られることをした。しかし主の宮には、はいらなかった。民はなお悪を行った。
歴代志下28:1 アハズは王となった時二十歳で、十六年の間エルサレムで世を治めたが、その父ダビデとは違って、主の良しと見られることを行わず、
歴代志下29:2 ヒゼキヤは父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした。
歴代志下34:2 彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。
エズラ記(1か所)
エズラ記5:17 それで今、もし王がよしと見られるならば、バビロンにある王の宝庫を調べて、エルサレムの神のこの宮を建てることの命令が、はたしてクロス王から出ているかどうかを確かめ、この事についての王のお考えをわれわれに伝えてください」。
ネヘミヤ記(3か所)
ネヘミヤ記2:5 王に申しあげた、「もし王がよしとされ、しもべがあなたの前に恵みを得ますならば、どうかわたしを、ユダにあるわたしの先祖の墳墓の町につかわして、それを再建させてください」。
ネヘミヤ記2:6 時に王妃もかたわらに座していたが、王はわたしに言われた、「あなたの旅の期間はどれほどですか。いつごろ帰ってきますか」。こうして王がわたしをつかわすことをよしとされたので、わたしは期間を定めて王に申しあげた。
ネヘミヤ記2:7 わたしはまた王に申しあげた、「もし王がよしとされるならば、川向こうの州の知事たちに与える手紙をわたしに賜わり、わたしがユダに行きつくまで、彼らがわたしを通過させるようにしてください。
エステル記(10か所)
エステル記1:19 もし王がよしとされるならば、ワシテはこの後、再びアハシュエロス王の前にきてはならないという王の命令を下し、これをペルシャとメデアの法律の中に書きいれて変ることのないようにし、そして王妃の位を彼女にまさる他の者に与えなさい。
エステル記1:21 王と大臣たちはこの言葉をよしとしたので、王はメムカンの言葉のとおりに行った。
エステル記2:4 こうして御意にかなうおとめをとって、ワシテの代りに王妃としてください」。王はこの事をよしとし、そのように行った。
エステル記3:9 もし王がよしとされるならば、彼らを滅ぼせと詔をお書きください。そうすればわたしは王の事をつかさどる者たちの手に銀一万タラントを量りわたして、王の金庫に入れさせましょう」。
エステル記5:4 エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。
エステル記5:8 もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。
エステル記5:14 その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。
エステル記7:3 王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
エステル記8:5 そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。
エステル記9:13 エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、どうぞスサにいるユダヤ人にあすも、きょうの詔のように行うことをゆるしてください。かつハマンの十人の子を木に掛けさせてください」。
ヨブ記(2か所)
ヨブ記6:9 どうか神がわたしを打ち滅ぼすことをよしとし、み手を伸べてわたしを断たれるように。
ヨブ記10:3 あなたはしえたげをなし、み手のわざを捨て、悪人の計画を照すことを良しとされるのか。
イザヤ書(2か所)
イザヤ書19:6 またその運河は臭いにおいを放ち、エジプトのナイルの支流はややに減ってかわき、葦とよしとは枯れはてる。
イザヤ書35:7 焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。
ダニエル書(1か所)
ダニエル書6:1 ダリヨスは全国を治めるために、その国に百二十人の総督を立てることをよしとし、
エペソ人への手紙(1か所)
エペソ1:5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
ピリピ人への手紙(1か所)
ピリピ2:13 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
ヘブル人への手紙(1か所)
ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。