「義」(ぎ)が出てくる聖書の箇所
「義」(ぎ)は口語訳の238か所(旧約122・新約116)に出てきます。日常訳第1版では179か所。
238か所を200か所ずつ2ページに分けています(2ページ目)。
ガラテヤ人への手紙(10か所)
ガラテヤ5:5 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
エペソ人への手紙(1か所)
エペソ4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。
ピリピ人への手紙(3か所)
ピリピ1:11 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。
ピリピ3:6 熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。
ピリピ3:9 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。
テモテへの第一の手紙(2か所)
テモテ第一3:16 確かに偉大なのは、この信心の奥義である、「キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、御使たちに見られ、諸国民の間に伝えられ、世界の中で信じられ、栄光のうちに天に上げられた」。
テモテ第一6:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
テモテへの第二の手紙(3か所)
テモテ第二2:22 そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。
テモテ第二3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
テモテ第二4:8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
テトスへの手紙(2か所)
テトス3:5 わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
テトス3:7 これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。
ヘブル人への手紙(7か所)
ヘブル1:9 あなたは義を愛し、不法を憎まれた。それゆえに、神、あなたの神は、喜びのあぶらを、あなたの友に注ぐよりも多く、あなたに注がれた」と言い、
ヘブル5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。
ヘブル7:2 それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。
ヘブル11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。
ヘブル11:33 彼らは信仰によって、国々を征服し、義を行い、約束のものを受け、ししの口をふさぎ、
ヘブル12:11 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
ヤコブの手紙(6か所)
ヤコブ1:20 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
ヤコブ2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
ヤコブ2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
ヤコブ2:24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
ヤコブ2:25 同じように、かの遊女ラハブでさえも、使者たちをもてなし、彼らを別な道から送り出した時、行いによって義とされたではないか。
ヤコブ3:18 義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。
ペテロの第一の手紙(3か所)
ペテロ第一2:24 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
ペテロ第一3:14 しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。
ペテロ第一3:18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。
ペテロの第二の手紙(4か所)
ペテロ第二1:1 イエス・キリストの僕また使徒であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。
ペテロ第二2:5 また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
ペテロ第二2:21 義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
ペテロ第二3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
ヨハネの第一の手紙(4か所)
ヨハネ第一2:1 わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。
ヨハネ第一2:29 彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。
ヨハネ第一3:7 子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。
ヨハネ第一3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。
ヨハネの黙示録(2か所)
黙示録19:11 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
黙示録22:11 不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。