「味わう」(あじわう)が出てくる聖書の箇所
「味わう」(あじわう)は日常訳第1版の26か所(旧約15・新約11)に出てきます。「味わえる」も含みます。口語訳では17か所。
申命記(2か所)
申命記20:6 ぶどう畑を作って、まだその実を味わっていない人はいないか。その人は家に帰りなさい。戦いで死んで、ほかの人がその実を味わうことになったら困るからだ。
申命記28:30 あなたは女と婚約するが、別の男がその女と寝る。家を建てても、そこに住めない。ぶどう畑を作っても、その実を味わうことはできない。
サムエル記上(1か所)
サムエル第一14:29 ヨナタンは言った。「父はこの地を苦しめてしまった。見てくれ。この蜜を少し味わっただけで、わたしの目はこんなに輝いたのだ。
ヨブ記(3か所)
ヨブ記12:11 口が食べ物を味わうように、耳は言葉を聞き分けるのではないか。
ヨブ記21:25 ある者は心を苦しめたまま死に、良いものを何一つ味わうことがない。
ヨブ記34:3 口が食べ物を味わうように、耳は言葉を聞き分けるからだ。
詩篇(1か所)
詩篇63:5 わたしの魂は、脂の乗ったごちそうを味わったように満たされる。喜びの歌をうたう唇で、わたしの口はあなたをたたえる。
箴言(2か所)
箴言13:2 人は、自分の口から出る言葉の実で、良いものを味わう。でも、裏切り者の魂は、暴力を求める。
箴言18:21 死も生も、舌の力しだいだ。舌を大切にする人は、その実を味わうことになる。
伝道の書(3か所)
伝道の書3:13 人がみな、食べたり飲んだりして、その労苦のすべての中で幸せを味わうこと。それもまた、神からの贈り物だ。
伝道の書5:18 わたしが見つけた答えはこうだ。神が与えてくれたこの一生の間、この世でどれだけ働いても、その働きの中で食べたり飲んだりして幸せを味わう——それこそが良いこと、ふさわしいことだ。それが人に与えられた取り分なのだから。
伝道の書6:6 たとえ千年を二度も生きたとしても、幸せを味わえなければ何になるだろう。結局、みな同じ場所へ行くのではないか。
雅歌(1か所)
雅歌8:5 荒れ野から上ってくるこの人はだれだろう。愛する人に寄りかかっている。りんごの木の下で、わたしはあなたを呼びさました。そこは、あなたの母があなたを産んだ場所。あなたを産んだ人が、産みの苦しみを味わった場所。
イザヤ書(2か所)
イザヤ書38:17 見なさい。わたしが味わった激しい苦しみは、実はわたしの平安のためだった。あなたはわたしの魂を愛し、滅びの穴から救い出してくださった。わたしのすべての罪を、あなたの背後に投げ捨ててくださったからだ。
イザヤ書66:11 あなたたちは、慰めに満ちたこの都の乳を吸って満ち足りる。あふれる栄光を心ゆくまで味わって楽しむのだ。
ヨハネによる福音書(2か所)
ヨハネ2:9 世話役は、ぶどう酒に変わった水を味わった。でも、それがどこから来たのかは知らなかった。水をくんだ召し使いたちは知っていた。世話役は花婿を呼んで、
ヨハネ8:52 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今わかった。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。それなのにあなたは、『わたしの言葉を守る人は、決して死を味わうことがない』と言う。
ローマ人への手紙(1か所)
ローマ8:22 被造物のすべてが、今この時まで、いっしょにうめき、いっしょに産みの苦しみを味わっている。わたしたちはそのことを知っている。
ガラテヤ人への手紙(1か所)
ガラテヤ4:19 わたしの子どもたちよ。あなたたちの中にキリストの姿ができあがるまで、わたしはもう一度、産みの苦しみを味わっている。
コロサイ人への手紙(1か所)
コロサイ2:21 「触れるな、味わうな、さわるな」というような規則にだ。
ヘブル人への手紙(4か所)
ヘブル2:9 でも、わたしたちが見ているのはイエスだ。天使たちより少しの間だけ低いものとされたイエスが、死の苦しみを受けたことによって、今は栄光と誉れの冠をかぶせられている。神の恵みによって、すべての人のために死を味わうためだった。
ヘブル6:4 というのも、一度光を受けた人たちがいる。彼らは天からの贈り物を味わい、聖なる霊をともに受け、
ヘブル6:5 神の言葉のすばらしさや、来たるべき世界の力を味わった。
ヘブル11:25 神の民と一緒に苦しむほうを選び、罪の楽しみを一時だけ味わうことを退けたのだ。
ペテロの第一の手紙(1か所)
ペテロ第一2:3 あなたたちは、主がどんなに良い方かを、すでに味わったのだから。
ヨハネの黙示録(1か所)
黙示録18:7 あの都が自分を誇り、ぜいたくにふけった分だけ、同じだけ苦しみと悲しみを与えなさい。あの都は心の中でこう言っているからだ。『わたしは女王としてこの座にいる。未亡人ではないし、悲しみを味わうことなど決してない。』