「どんな」が出てくる聖書の箇所

「どんな」は日常訳第1版の27か所(旧約22・新約5)に出てきます。口語訳では34か所。

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ヨシュア記(1か所)

ヨシュア記17:18 山地さんちもあなたたちのものになる。そこは森もりだが、切きり開ひらけば、その隅々すみずみまであなたたちのものになる。カナン人にんが鉄てつの戦車せんしゃを持もち、どんなに強つよくても、あなたたちは必かならず彼かれらを追おい出だせるのだから。」

サムエル記上(1か所)

サムエル第一14:44 サウルは言いった。「もしお前まえを死しなせなかったら、神かみがわたしをどんなにでも罰ばっしてくださるように。ヨナタン、お前まえは必かならず死しななければならない。」

サムエル記下(2か所)

サムエル第二3:9 もしわたしが、主しゅがダビデに誓ちかわれたとおりにしないなら、神かみがこのアブネルをどんなにひどく罰ばっしてもかまわない。

サムエル第二19:13 また、アマサにはこう言いえ。『あなたはわたしの骨肉こつにくではないか。もしあなたを、ヨアブに代かえて、これからずっとわたしの軍ぐんの司令しれい官かんにしなかったら、神かみがわたしをどんなにでも罰ばっしてくださるように。』」

列王紀上(2か所)

列王紀上2:23 そしてソロモン王おうは、主しゅにかけてこう誓ちかった。「アドニヤがこんなことを言いったからには、自分じぶんの命いのちをかけたも同然どうぜんだ。もしそうでなければ、神かみがわたしをどんなに罰ばっしてもかまわない。

列王紀上19:2 するとイゼベルはエリヤのもとに使つかいを送おくって言いわせた。「もし明日あすの今いまごろまでに、おまえの命いのちをあの預言よげん者しゃたちと同おなじ目めにあわせなかったら、神々かみがみがわたしをどんなにでも罰ばっしてくださるように。」

列王紀下(1か所)

列王紀下6:31 王おうは言いった。「シャファトの子こエリシャの首くびが今日きょうそのまま残のこっているなら、神かみがわたしをどんなにでも罰ばっしてくださってかまわない。」

ヨブ記(1か所)

ヨブ記36:19 あなたの叫さけびは、あなたを苦くるしみから守まもってくれるだろうか。どんなに力ちからをふりしぼっても、役やくには立たたたない。

詩篇(6か所)

詩篇34:3 わたしと一緒いっしょに、主しゅがどんなにすばらしいかを伝つたえよう。ともにその名なをたたえよう。

詩篇49:8 魂たましいを買かい戻もどす代価だいかはあまりに高たかく、どんなに払はらっても永遠えいえんに足たりることはない。

詩篇49:12 だが、人ひとはどんなに栄さかえても、そのままでは続つづかない。滅ほろんでいく獣けものと、何なんも変かわらないのだ。

詩篇49:20 人ひとはどんなに栄さかえても、それがわからないなら、滅ほろんでいく獣けものと何なんも変かわらないのだ。

詩篇58:5 蛇使へびつかいの声こえに耳みみを貸かそうとしない。どんなに巧たくみに呪文じゅもんを唱となえる者ものの声こえにも、耳みみをふさいでいる。

詩篇89:47 わたしの人生じんせいがどんなに短みじかいか、心こころに留とめてください。あなたはいったい何なんのために、すべての人ひとをこんなにむなしい者ものとして創造そうぞうしたのですか。

箴言(1か所)

箴言8:11 知恵ちえは宝石ほうせきよりも良よいものだ。どんなに欲ほしいものも、知恵ちえにはかなわない。

伝道の書(1か所)

伝道の書8:17 そしてわたしは、神かみのなさることすべてを見みた。太陽たいようの下もとで行おこなわれていることを、人ひとはどうしても知しり尽つくすことができない。どんなに苦労くろうして探さがし求もとめても、見みつけ出だせない。知恵ちえある人ひとが「わかった」と言いっても、実じつは知しり尽つくすことはできないのだ。

エレミヤ書(5か所)

エレミヤ書5:22 あなたたちはわたしを恐おそれないのか、と主しゅは言いわれる。わたしの前まえで震ふるえないのか。わたしは砂すなを海うみの境さかいとして置おき、永遠えいえんの定さだめとした。海うみはそれを越こえることができない。波なみがどれほど逆巻さかまいても、勝かつことはできず、どんなに鳴なりとどろいても、それを越こえることはできない。

エレミヤ書22:23 レバノンに住すみ、杉すぎの木々きぎに巣すを作つくる者ものよ。産うみの苦くるしみのような激はげしい痛いたみがお前まえを襲おそうとき、お前まえはどんなにうめくことか。

エレミヤ書46:11 ギルアデに上のぼって行いき、香油こうゆを手てに入いれろ。エジプトの娘むすめ、まだ嫁とついでいない乙女おとめよ。だが、どんなに薬くすりを重かさねても無駄むだだ。おまえが治なおることはない。

エレミヤ書46:23 彼かれらはエジプトの森もりを切きり倒たおす——主しゅの言葉ことば。どんなに数かぞえきれないほど茂しげっていてもだ。敵てきはいなごよりも多おおく、数かぞえることもできない。

エレミヤ書51:53 たとえバビロンが天てんまで昇のぼっても、たとえ高たかい砦とりでをどんなに固かためても、わたしのもとから、これを滅ほろぼす者ものたちが攻せめて来くる、と主しゅは言いわれる。

ダニエル書(1か所)

ダニエル書2:10 カルデア人にんは王おうの前まえで答こたえた。「王おうさまのお求もとめになることに答こたえられる者ものなど、この地上ちじょうに一人ひとりもいません。どんなに偉大いだいで力ちからある王おうも、これまで魔術まじゅつ師しやまじない師しやカルデア人にんに、こんなことをお尋たずねになったことはありません。

マタイによる福音書(1か所)

マタイ12:36 言いっておくが、人ひとは口くちにしたどんなにつまらない言葉ことばについても、裁さばきの日ひにその責任せきにんを問とわれることになる。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ5:19 でも、イエスはそれを許ゆるさず、こう言いった。「家いえに帰かえって、あなたの家族かぞくのところに行いきなさい。そして、主しゅがあなたにどれほど大おおきなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを伝つたえなさい。」

ルカによる福音書(2か所)

ルカ12:49 わたしは地上ちじょうに火ひを投なげ込こむために来きた。その火ひがもう燃もえていたらと、どんなに願ねがっていることか。

ルカ12:50 わたしには受うけなければならない洗礼せんれいがある。それがなしとげられるまで、どんなに苦くるしい思おもいでいることか。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一2:3 あなたたちは、主しゅがどんなに良よい方かたかを、すでに味あじわったのだから。

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