「どんな」が出てくる聖書の箇所

「どんな」は口語訳の34か所(旧約14・新約20)に出てきます。日常訳第1版では27か所。

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申命記(1か所)

申命記31:27 わたしはあなたのそむくことと、かたくななこととを知しっている。きょう、わたしが生いきながらえて、あなたがたと一緒いっしょにいる間あいだですら、あなたがたは主しゅにそむいた。ましてわたしが死しんだあとはどんなであろう。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一12:24 あなたがたは、ただ主しゅを恐おそれ、心こころをつくして、誠実せいじつに主しゅに仕つかえなければならない。そして主しゅがどんなに大おおきいことをあなたがたのためにされたかを考かんがえなければならない。

サムエル記下(1か所)

サムエル第二18:3 しかし民みんは言いった、「あなたは出でてはなりません。それはわれわれがどんなに逃にげても、彼かれらはわれわれに心こころをとめず、われわれの半なかばが死しんでも、われわれに心こころをとめないからです。しかしあなたはわれわれの一いち万まんに等ひとしいのです。それゆえあなたは町まちの中なかからわれわれを助たすけてくださる方かたがよろしい」。

列王紀上(3か所)

列王紀上2:23 そしてソロモン王おうは主しゅをさして誓ちかって言いった、「もしアドニヤがこの言葉ことばによって自分じぶんの命いのちを失ううしなうのでなければ、どんなにでもわたしを罰ばっしてください。

列王紀上19:2 イゼベルは使者ししゃをエリヤにつかわして言いった、「もしわたしが、あすの今いまごろ、あなたの命いのちをあの人々ひとびとのひとりの命いのちのようにしていないならば、神々かみがみがどんなにでも、わたしを罰ばっしてくださるように」。

列王紀上20:10 ベネハダデは彼かれに人ひとをつかわして言いった、「もしサマリヤのちりが、わたしに従したがうすべての民たみの手てを満みたすに足たりるならば、神々かみがみがどんなにでも、わたしを罰ばっしてくださるように」。

列王紀下(1か所)

列王紀下6:31 そして王おうは言いった「きょう、シャパテの子こエリシャの首くびがその肩かたの上うえにすわっているならば、神かみがどんなにでもわたしを罰ばっしてくださるように」。

エステル記(1か所)

エステル記9:12 王おうは王妃おうひエステルに言いった、「ユダヤ人にんは首都しゅとスサで五百ごひゃく人にんを殺ころし、またハマンの十じゅう人にんの子こを殺ころした。王おうのその他たの諸州しょしゅうではどんなに彼かれらは殺ころしたことであろう。さてあなたの求もとめることは何なんか。必かならず聞きかれる。更さらにあなたの願ねがいは何なんか。必かならず聞ききとどけられる」。

ヨブ記(1か所)

ヨブ記31:2 もしそうすれば上うえから神かみの下くだされる分ぶんはどんなであろうか。高たかき所ところから全能ぜんのう者しゃの与あたえられる嗣業しぎょうはどんなであろうか。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書22:23 レバノンに住すみ、香こう柏かしわの中なかに巣すをつくっている者ものよ、子こを産うむ女おんなに臨のぞむ苦くるしみのような苦痛くつうがあなたに臨のぞむとき、あなたはどんなに嘆なげくことであろうか」。

哀歌(1か所)

哀歌1:21 わたしがどんなに嘆なげくかを聞きいてください。わたしを慰なぐさめる者ものはひとりもなく、敵てきはみなわたしの悩なやみを聞きいて、あなたがこれをなされたのを喜よろこんだ。あなたがさきに告つげ知しらせたその日ひをきたらせ、彼かれらをも、わたしのようにしてください。

エゼキエル書(1か所)

エゼキエル書16:30 主しゅなる神かみは言いわれる、あなたの心こころはどんなに恋こいわずらうのか。あなたは、これらすべての事ことを行おこなった。これはあつかましい姦淫かんいんのわざである。

ダニエル書(1か所)

ダニエル書12:8 わたしはこれを聞きいたけれども悟さとれなかった。わたしは言いった、「わが主しゅよ、これらの事ことの結末けつまつはどんなでしょうか」。

ハガイ書(1か所)

ハガイ書2:15 今いま、あなたがたはこの日ひから、後あとの事ことを思おもうがよい。主しゅの宮みやで石いしの上うえに石いしが積つまれなかった前まえ、あなたがたは、どんなであったか。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ6:23 しかし、あなたの目めが悪わるければ、全身ぜんしんも暗くらいだろう。だから、もしあなたの内うちなる光ひかりが暗くらければ、その暗くらさは、どんなであろう。

マタイ10:25 弟子でしがその師しのようであり、僕ぼくがその主人しゅじんのようであれば、それで十分じゅうぶんである。もし家いえの主人しゅじんがベルゼブルと言いわれるならば、その家いえの者ものどもはなおさら、どんなにか悪わるく言いわれることであろう。

マルコによる福音書(1か所)

マルコ5:19 しかし、イエスはお許ゆるしにならないで、彼かれに言いわれた、「あなたの家族かぞくのもとに帰かえって、主しゅがどんなに大おおきなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知しらせなさい」。

ルカによる福音書(3か所)

ルカ8:39 「家いえへ帰かえって、神かみがあなたにどんなに大おおきなことをしてくださったか、語かたり聞きかせなさい」。そこで彼かれは立たち去さって、自分じぶんにイエスがして下くださったことを、ことごとく町中まちなかに言いいいひろめた。

ルカ12:49 わたしは、火ひを地上ちじょうに投とうじるためにきたのだ。火ひがすでに燃もえていたならと、わたしはどんなに願ねがっていることか。

ルカ12:50 しかし、わたしには受うけねばならないバプテスマがある。そして、それを受うけてしまうまでは、わたしはどんなにか苦くるしい思おもいをすることであろう。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なんをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。

使徒行伝(3か所)

使徒9:13 アナニヤは答こたえた、「主しゅよ、あの人ひとがエルサレムで、どんなにひどい事ことをあなたの聖徒せいとたちにしたかについては、多おおくの人ひとたちから聞きいています。

使徒9:16 わたしの名なのために彼かれがどんなに苦くるしまなければならないかを、彼かれに知しらせよう」。

使徒13:41 『見みよ、侮あなどる者ものたちよ。驚おどろけ、そして滅ほろび去され。わたしは、あなたがたの時代じだいに一ひとつの事ことをする。それは、人ひとがどんなに説明せつめいして聞きかせても、あなたがたのとうてい信しんじないような事ことなのである』」。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ11:12 しかし、もし、彼かれらの罪過ざいかが世よの富とみとなり、彼かれらの失敗しっぱいが異邦いほう人にんの富とみとなったとすれば、まして彼かれらが全部ぜんぶ救すくわれたなら、どんなにかすばらしいことであろう。

コリント人への第二の手紙(1か所)

コリント第二7:11 見みよ、神かみのみこころに添そうたその悲かなしみが、どんなにか熱情ねつじょうをあなたがたに起おこさせたことか。また、弁明べんめい、義憤ぎふん、恐おそれ、愛慕あいぼ、熱意ねつい、それから処罰しょばつに至いたらせたことか。あなたがたはあの問題もんだいについては、すべての点てんにおいて潔白けっぱくであることを証明しょうめいしたのである。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ1:8 わたしがキリスト・イエスの熱愛ねつあいをもって、どんなに深ふかくあなたがた一同いちどうを思おもっていることか、それを証明しょうめいして下くださるかたは神かみである。

コロサイ人への手紙(1か所)

コロサイ2:1 わたしが、あなたがたとラオデキヤにいる人ひとたちのため、また、直接ちょくせつにはまだ会あったことのない人々ひとびとのために、どんなに苦闘くとうしているか、わかってもらいたい。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一1:9 わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所ところにはいって行いったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像ぐうぞうを捨すてて神かみに立たち帰かえり、生いけるまことの神かみに仕つかえるようになり、

ヘブル人への手紙(2か所)

ヘブル7:4 そこで、族長ぞくちょうのアブラハムが最ももっともよいぶんどり品しなの十じゅう分ぶんの一いちを与あたえたのだから、この人ひとがどんなにすぐれた人物じんぶつであったかが、あなたがたにわかるであろう。

ヘブル10:29 神かみの子こを踏ふみつけ、自分じぶんがきよめられた契約けいやくの血ちを汚よごれたものとし、さらに恵めぐみの御ご霊れいを侮あなどる者ものは、どんなにか重おもい刑罰けいばつに価あたいすることであろう。

ヤコブの手紙(1か所)

ヤコブ1:24 彼かれは自分じぶんを映うつして見みてそこから立たち去さると、そのとたんに、自分じぶんの姿すがたがどんなであったかを忘わすれてしまう。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一4:17 さばきが神かみの家いえから始はじめられる時ときがきた。それが、わたしたちからまず始はじめられるとしたら、神かみの福音ふくいんに従したがわない人々ひとびとの行ゆく末すえは、どんなであろうか。

ヨハネの第一の手紙(1か所)

ヨハネ第一3:1 わたしたちが神かみの子こと呼よばれるためには、どんなに大おおきな愛あいを父ちちから賜たまわったことか、よく考かんがえてみなさい。わたしたちは、すでに神かみの子こなのである。世よがわたしたちを知しらないのは、父ちちを知しらなかったからである。

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