マタイによる福音書 10章25節(マタイ10:25)

25 弟子でしがその師しのようであり、僕ぼくがその主人しゅじんのようであれば、それで十分じゅうぶんである。もし家いえの主人しゅじんがベルゼブルと言いわれるならば、その家いえの者ものどもはなおさら、どんなにか悪わるく言いわれることであろう。

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この節を含む箇所おおかみの中の羊マタイ10:16-25

前後の聖句(10章23–27節)

23 一ひとつの町まちで迫害はくがいされたなら、他たの町まちへ逃にげなさい。よく言いっておく。あなたがたがイスラエルの町々まちまちを回まわり終おわらないうちに、人ひとの子こは来くるであろう。

24 弟子でしはその師し以上いじょうのものではなく、僕ぼくはその主人しゅじん以上いじょうの者ものではない。

25 弟子でしがその師しのようであり、僕ぼくがその主人しゅじんのようであれば、それで十分じゅうぶんである。もし家いえの主人しゅじんがベルゼブルと言いわれるならば、その家いえの者ものどもはなおさら、どんなにか悪わるく言いわれることであろう。

26 だから彼かれらを恐おそれるな。おおわれたもので、現あらわれてこないものはなく、隠かくれているもので、知しられてこないものはない。

27 わたしが暗くらやみであなたがたに話はなすことを、明あかるみで言いえ。耳みみにささやかれたことを、屋根やねの上うえで言いいいひろめよ。

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