「気持ち」(きもち)が出てくる聖書の箇所
「気持ち」(きもち)は日常訳第1版の22か所(旧約15・新約7)に出てきます。口語訳では0か所。
創世記(3か所)
創世記23:8 アブラハムは彼らにこう言った。「もしあなたがたが、わたしの亡くなった者をここで葬らせてくれる気持ちがあるなら、どうかわたしの願いを聞いて、ツォハルの子エフロンにわたしのために頼んでほしい。
創世記32:7 ヤコブはひどくおびえ、追いつめられた気持ちになった。それで、いっしょにいる人々や、羊とやぎの群れ、牛の群れ、らくだを、二つの組に分けた。
創世記43:31 やがて彼は顔を洗って出てきた。そして気持ちを抑えて、「食事にしよう」と言った。
出エジプト記(2か所)
出エジプト14:5 民が逃げ去ったと、エジプトの王に知らせが届いた。すると、ファラオとその家来たちの気持ちは民に対して一変した。彼らは言った。「なんということをしてしまったのか。イスラエルを行かせて、わたしたちのために働く者を失ってしまうとは。」
出エジプト23:9 よそから来て住んでいる人を、しいたげてはいけない。あなたたち自身、エジプトの地でよそ者だったのだから、よそ者の気持ちがよくわかるはずだ。
申命記(2か所)
申命記20:3 祭司はこう言う。「イスラエルよ、聞きなさい。あなたたちは今日、敵と戦うために進んで行く。気持ちがくじけてはいけない。恐れてはいけない。おびえてはいけない。彼らの前でふるえてはいけない。
申命記20:8 役人たちはさらに民にこう語りかける。「恐れて気持ちがくじけている人はいないか。その人は家に帰りなさい。仲間の心まで、その人と同じようにくじけてしまわないためだ。」
サムエル記上(3か所)
サムエル第一14:7 武器を持つ若者は答えた。「あなたの思うとおりにしてください。さあ、行きましょう。わたしはあなたと同じ気持ちで、ずっとそばにいます。」
サムエル第一20:12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、主が証人だ。明日か明後日の今ごろ、わたしは父の気持ちを探ってみる。もし父があなたに好意を持っているとわかれば、必ず人を送ってあなたに知らせる。
サムエル第一30:6 ダビデは非常に苦しい立場に追い込まれた。民が彼を石で打ち殺そうと言い出したからだ。みな、自分の息子や娘のことで気持ちがすさみきっていた。でもダビデは、自分の神である主によって、自分を奮い立たせた。
歴代志下(1か所)
歴代志下36:15 彼らの先祖の神である主は、たびたび使者を送って彼らに語りかけた。ご自分の民と、その住まいである神殿を惜しむ気持ちがあったからだ。
ヨブ記(1か所)
ヨブ記20:2 これによって、わたしは考えを言い返そうという気持ちになる。心の中がざわめいて、じっとしていられないからだ。
箴言(3か所)
箴言15:13 心が喜んでいると、顔は明るくなる。でも、心が痛んでいると、気持ちは沈んでいく。
箴言17:22 心が晴れやかだと、体まで元気になる。気持ちが沈むと、骨まで枯れていく。
箴言23:2 もし食欲を抑えられない人なら、自分ののどにナイフを当てるくらいの気持ちでいなさい。
マタイによる福音書(1か所)
マタイ8:2 「主よ、あなたにその気持ちがあるなら、わたしをきれいにできます。」ちょうどそのとき、重い皮膚病の人がイエスのところに来て、ひれ伏して言った。
ローマ人への手紙(1か所)
ローマ3:18 彼らの目には、神を恐れる気持ちがまったくない。
コリント人への第二の手紙(3か所)
コリント第二1:17 こう計画したからといって、わたしが軽い気持ちで動いたとでも言うのだろうか。それとも、この世の人のように、同じ口で「はい、はい」と言いながら「いいえ、いいえ」と言うような、いい加減な計画を立てたとでも言うのだろうか。
コリント第二8:11 だから今、それをやりとげてほしい。願う気持ちが強かったように、持っているものの中から、それを実現させてほしい。
コリント第二8:12 進んでする気持ちさえあれば、その人が持っているものに応じて受け入れられる。持っていないものが求められるわけではない。
ピリピ人への手紙(2か所)
ピリピ1:15 確かに、ねたみや争いの気持ちからキリストを宣べ伝える人もいます。でも、善意から伝える人もいます。
ピリピ1:17 もう一方の人たちは、純粋な気持ちからではなく、自分の利益を求めてキリストを伝えています。捕らえられているわたしを、もっと苦しめようと思っているのです。