「感ずる」(かんずる)が出てくる聖書の箇所

「感ずる」(かんずる)は日常訳第1版の23か所(旧約9・新約14)に出てきます。「感じる」も含みます。口語訳では27か所。

口語訳で読む · 語句検索で探す

申命記(1か所)

申命記8:9 そこでは、乏とぼしさを感かんじることなくパンを食たべられ、何なん一ひとつ足たりないものはない。その石いしは鉄てつで、山やまからは銅どうを掘ほり出だせる地ちだ。

ヨブ記(2か所)

ヨブ記4:2 もし誰だれかがあなたに話はなしかけたら、うるさく感かんじるだろうか。でも、黙だまっていられる人ひとなどいるだろうか。

ヨブ記14:22 ただ、その身みに痛いたみだけを感かんじ、その魂たましいは自分じぶんのために嘆なげくのだ。」

詩篇(3か所)

詩篇56:3 恐おそれを感かんじるとき、わたしはあなたに信頼しんらいする。

詩篇58:9 あなたがたの鍋なべがいばらの火ひの熱ねつを感かんじるより早はやく、青あおい枝えだも燃もえる枝えだもつむじ風かぜに吹ふき払はらわれるように、彼かれらを吹ふき払はらってください。

詩篇119:103 あなたの言葉ことばは、わたしの口くちにとても甘あまい。蜜みつよりも甘あまく感かんじる。

イザヤ書(2か所)

イザヤ書24:9 もう歌うたいながらぶどう酒しゅを飲のむことはない。強つよい酒さけも、飲のむ者ものには苦にがく感かんじられる。

イザヤ書57:10 長ながい道みちのりに、お前まえは疲つかれ果はてた。それでも「もう望のぞみはない」とは言いわなかった。自分じぶんの力ちからがよみがえるのを感かんじ、弱よわり果はてることはなかった。

エレミヤ書(1か所)

エレミヤ書5:3 主しゅよ、あなたの目めは真実しんじつを求もとめているのではないか。あなたは彼かれらを打うったのに、彼かれらは痛いたみも感かんじなかった。打うちのめしても、彼かれらは注意ちゅういを受うけ入いれようとしなかった。顔かおを岩いわよりも固かたくして、立たち返かえることを拒こばんだ。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ1:65 近所きんじょの人ひとたちはみんな恐おそれを感かんじた。そして、この出来事できごとはすべて、ユダヤの山やまあいの地方ちほうじゅうで語かたり伝つたえられた。

使徒行伝(2か所)

使徒2:43 人々ひとびとはみな、おそれを感かんじました。そして使徒しとたちを通とおして、多おおくの不思議ふしぎなわざとしるしが行おこなわれました。

使徒27:27 十じゅう四日よっか目めの夜よるになった。わたしたちの船ふねは、アドリア海かいであちこちに流ながされていた。真夜まよ中なかごろ、船乗ふなのりたちは、どこかの陸地りくちが近ちかづいてきたと感かんじた。

ローマ人への手紙(1か所)

ローマ7:22 神かみの律法りっぽうを心こころから喜よろこんでいる。わたしの内側うちがわにある本当ほんとうの自分じぶんは、そう感かんじている。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二1:9 わたしたちは心こころの中なかで、死しを宣告せんこくされたようなものだと感かんじていた。でもそれは、自分じぶん自身じしんではなく、死しんだ者ものを生いき返かえらせてくださる神かみに頼たよるためだった。

コリント第二7:13 だから、わたしたちは励はげまされた。それだけでなく、この励はげましに加くわえて、テトスの喜よろこびを見みて、わたしたちはいっそう大おおきな喜よろこびを感かんじた。テトスの心こころが、あなたがた全員ぜんいんによって元気げんきを取とりもどしたからだ。

コリント第二11:29 だれかが弱よわっているなら、わたしも弱よわさを感かんじずにいられない。だれかがつまずかされているなら、わたしの心こころも焼やけつくように痛いたむ。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ4:19 彼かれらは何なんも感かんじなくなり、自分じぶんを放縦ほうしょうにゆだね、あくなき欲望よくぼうのままに、ありとあらゆる汚よごれた行おこないにふけっている。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ4:10 わたしは主しゅにあって、とても大おおきな喜よろこびを感かんじた。ようやく今いま、あなたたちがわたしを気きにかける心こころを、もう一いち度ど花開はなひらかせてくれたからだ。あなたたちはずっと気きにかけてくれていたのに、それを表あらわす機会きかいがなかっただけなのだ。

テモテへの第一の手紙(1か所)

テモテ第一4:2 そういう教おしえは、嘘うそつきな者ものたちの見みせかけからやってくる。彼かれらの良心りょうしんは、焼やきごてを当あてられたように何なんも感かんじなくなっている。

ヘブル人への手紙(3か所)

ヘブル3:10 だからわたしは、あの世代せだいに怒いかりを感かんじてこう言いった。『彼かれらはいつも心こころが迷まよっている。わたしの道みちを知しろうとしなかった』と。

ヘブル10:2 もしできるのなら、ささげ物ものはもう終おわっていたはずだ。礼拝れいはいする人ひとたちが一いち度どきよめられて、もう罪つみの意識いしきを感かんじなくなっていたはずだからだ。

ヘブル12:11 どんな訓練くんれんも、その最中さいちゅうは喜よろこばしいものではなく、つらく感かんじられる。けれども後あとになると、それによって鍛きたえられた人ひとたちに、義ぎという平安へいあんに満みちた実みを結むすばせてくれる。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:3 愛あいする皆みなさん。わたしは、わたしたちが共ともにいただいた救すくいについて、ぜひ書かきたいと思おもっていた。でも今いまは、こう勧すすめるためにどうしても書かく必要ひつようを感かんじている。神かみのものとされた人々ひとびとに、ただ一いち度どだけ伝つたえられたあの信仰しんこうのために、力ちからを尽つくして戦たたかってほしい。

語句索引に戻る