「感ずる」(かんずる)が出てくる聖書の箇所

「感ずる」(かんずる)は口語訳の27か所(旧約5・新約22)に出てきます。「感じる」も含みます。日常訳第1版では23か所。

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出エジプト記(2か所)

出エジプト35:21 すべて心こころに感かんじた者もの、すべて心こころから喜よろこんでする者ものは、会見かいけんの幕屋まくやの作業さぎょうと、そのもろもろの奉仕ほうしと、聖せいなる服ふくとのために、主しゅにささげる物ものを携たずさえてきた。

出エジプト35:26 すべて知恵ちえがあって、心こころに感かんじた女おんなたちは、やぎの毛けを紡つむいだ。

サムエル記上(1か所)

サムエル第一24:5 しかし後あとになって、ダビデはサウルの上着うわぎのすそを切きったことに、心こころの責せめを感かんじた。

詩篇(1か所)

詩篇58:9 あなたがたの釜かまがまだいばらの熱ねつを感かんじない前まえに青あおいのも、燃もえているのも共ともにつむじ風かぜに吹ふき払はらわれるように彼かれらを吹ふき払はらってください。

ホセア書(1か所)

ホセア書9:7 刑罰けいばつの日ひは来きた。報むくいの日ひは来きた。イスラエルはこれを知しる。預言よげん者しゃは愚おろかな者もの、霊れいに感かんじた人ひとは狂くるった者ものだ。これはあなたがたの不義ふぎが多おおく、恨うらみが大おおきいためである。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ2:3 ヘロデ王おうはこのことを聞きいて不安ふあんを感かんじた。エルサレムの人々ひとびともみな、同様どうようであった。

マタイ22:43 イエスは言いわれた、「それではどうして、ダビデが御ご霊れいに感かんじてキリストを主しゅと呼よんでいるのか。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ5:29 すると、血ちの元もとがすぐにかわき、女おんなは病気びょうきがなおったことを、その身みに感かんじた。

マルコ12:36 ダビデ自身じしんが聖霊せいれいに感かんじて言いった、『主しゅはわが主しゅに仰おおせになった、あなたの敵てきをあなたの足あしもとに置おくときまでは、わたしの右みぎに座ざしていなさい』。

ルカによる福音書(2か所)

ルカ2:27 この人ひとが御ご霊れいに感かんじて宮みやにはいった。すると律法りっぽうに定さだめてあることを行おこなうため、両親りょうしんもその子こイエスを連つれてはいってきたので、

ルカ8:46 しかしイエスは言いわれた、「だれかがわたしにさわった。力ちからがわたしから出でて行いったのを感かんじたのだ」。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ16:21 女おんなが子こを産うむ場合ばあいには、その時ときがきたというので、不安ふあんを感かんじる。しかし、子こを産うんでしまえば、もはやその苦くるしみをおぼえてはいない。ひとりの人ひとがこの世よに生うまれた、という喜よろこびがあるためである。

使徒行伝(7か所)

使徒5:5 アナニヤはこの言葉ことばを聞きいているうちに、倒たおれて息いきが絶たえた。このことを伝つたえ聞きいた人々ひとびとは、みな非常ひじょうなおそれを感かんじた。

使徒5:11 教会きょうかい全体ぜんたいならびにこれを伝つたえ聞きいた人ひとたちは、みな非常ひじょうなおそれを感かんじた。

使徒17:8 これを聞きいて、群衆ぐんしゅうと市しの当局とうきょく者しゃは不安ふあんに感かんじた。

使徒17:16 さて、パウロはアテネで彼かれらを待まっている間あいだに、市し内ないに偶像ぐうぞうがおびただしくあるのを見みて、心こころに憤いきどおりを感かんじた。

使徒19:21 これらの事ことがあった後あと、パウロは御ご霊れいに感かんじて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行いく決心けっしんをした。そして言いった、「わたしは、そこに行いったのち、ぜひローマをも見みなければならない」。

使徒24:25 そこで、パウロが、正義まさよし、節制せっせい、未来みらいの審判しんぱんなどについて論ろんじていると、ペリクスは不安ふあんを感かんじてきて、言いった、「きょうはこれで帰かえるがよい。また、よい機会きかいを得えたら、呼よび出だすことにする」。

使徒27:27 わたしたちがアドリヤ海かいに漂ただよってから十じゅう四よん日か目めの夜よるになった時とき、真ま夜よる中なかごろ、水夫すいふらはどこかの陸地りくちに近ちかづいたように感かんじた。

コリント人への第一の手紙(1か所)

コリント第一13:11 わたしたちが幼おさな子ごであった時ときには、幼おさな子ごらしく語かたり、幼おさな子ごらしく感かんじ、また、幼おさな子ごらしく考かんがえていた。しかし、おとなとなった今いまは、幼おさな子ごらしいことを捨すててしまった。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一1:12 そして、それらについて調しらべたのは、自分じぶんたちのためではなくて、あなたがたのための奉仕ほうしであることを示しめされた。それらの事ことは、天てんからつかわされた聖霊せいれいに感かんじて福音ふくいんをあなたがたに宣のべ伝つたえた人々ひとびとによって、今いまや、あなたがたに告つげ知しらされたのであるが、これは、御ご使したちも、うかがい見みたいと願ねがっている事ことである。

ペテロの第二の手紙(1か所)

ペテロ第二1:21 なぜなら、預言よげんは決けっして人間にんげんの意志いしから出でたものではなく、人々ひとびとが聖霊せいれいに感かんじ、神かみによって語かたったものだからである。

ユダの手紙(1か所)

ユダ1:3 愛あいする者ものたちよ。わたしたちが共ともにあずかっている救すくいについて、あなたがたに書かきおくりたいと心こころから願ねがっていたので、聖徒せいとたちによって、ひとたび伝つたえられた信仰しんこうのために戦たたかうことを勧すすめるように、手紙てがみをおくる必要ひつようを感かんじるに至いたった。

ヨハネの黙示録(4か所)

黙示録1:10 ところが、わたしは、主しゅの日ひに御ご霊れいに感かんじた。そして、わたしのうしろの方ほうで、ラッパのような大おおきな声こえがするのを聞きいた。

黙示録4:2 すると、たちまち、わたしは御ご霊れいに感かんじた。見みよ、御座ぎょざが天てんに設もうけられており、その御座ぎょざにいますかたがあった。

黙示録17:3 御ご使しは、わたしを御ご霊れいに感かんじたまま、荒野こうやへ連つれて行いった。わたしは、そこでひとりの女おんなが赤あかい獣けものに乗のっているのを見みた。その獣けものは神かみを汚けがすかずかずの名なでおおわれ、また、それに七ななつの頭あたまと十じゅうの角かどとがあった。

黙示録21:10 この御ご使しは、わたしを御ご霊れいに感かんじたまま、大おおきな高たかい山やまに連つれて行いき、聖都せいとエルサレムが、神かみの栄光えいこうのうちに、神かみのみもとを出でて天てんから下くだって来くるのを見みせてくれた。

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