「心配」(しんぱい)が出てくる聖書の箇所

「心配」(しんぱい)は日常訳第1版の41か所(旧約19・新約22)に出てきます。口語訳では19か所。

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創世記(2か所)

創世記21:11 この事ことで、アブラハムは息子むすこのことをとても心配しんぱいした。

創世記21:12 神かみはアブラハムに言いった。「その子ことはしためのことで、そんなに心配しんぱいしなくていい。サラの言いうことは、すべてそのとおりにしなさい。イサクから生うまれる者ものが、あなたの子孫しそんと呼よばれるのだから。

ヨシュア記(1か所)

ヨシュア記22:24 いや、むしろわたしたちがこうしたのは、ある心配しんぱいがあったからだ。いつの日ひか、あなたがたの子孫しそんがわたしたちの子孫しそんにこう言いうのではないか、と思おもったのだ。『あなたがたに、イスラエルの神かみ、主しゅと、いったい何なんの関かかわりがあるのか。

士師記(2か所)

士師記4:18 ヤエルは出でてきてシセラを迎むかえ、こう言いった。「どうぞこちらへ、ご主人しゅじんさま。こちらへおいでください。心配しんぱいはいりません。」シセラが彼女かのじょの天幕てんまくに入はいると、ヤエルは彼かれを毛布もうふで覆おおった。

士師記18:7 五ご人にんはライシュに着ついた。そこに住すむ人々ひとびとを見みると、シドン人にんのように安心あんしんして暮くらしていた。穏おだやかで、何なんの心配しんぱいもなく、その地ちには人々ひとびとを辱はずかしめる者ものも、支配しはいする権力けんりょく者しゃもいなかった。彼かれらはシドン人にんから遠とおく離はなれていて、ほかのだれとも関かかわりを持もっていなかった。

ルツ記(1か所)

ルツ記3:11 だから娘むすめよ、心配しんぱいしなくていい。あなたが言いうことは、何なんでもしてあげよう。この町まちの人ひとはみな、あなたが立派りっぱな女性じょせいだと知しっているのだから。

サムエル記上(3か所)

サムエル第一9:5 ツフの地ちまで来きたとき、サウルは連つれていた使用しよう人にんに言いった。「もう帰かえろう。このままだと、父ちちさんはロバのことより、わたしたちのことを心配しんぱいし始はじめてしまう。」

サムエル第一10:2 きょう、あなたがわたしのもとを離はなれて行いくと、ベニヤミンの領地りょうちのツェルツァ、ラケルの墓はかのそばで二人ふたりの人ひとに出会であう。その人ひとたちはあなたにこう言ゆうだろう。『あなたが探さがしに行いったろばは見みつかりました。あなたの父ちち上じょうはもうろばのことは気きにかけず、あなたたちのことを心配しんぱいして、「息子むすこのために何なんをしてやれるだろう」と言いっています。』

サムエル第一20:21 そして若者わかものを送おくって、『行いって矢やを探さがしてこい』と言ゆう。もしわたしがその若者わかものに、『矢やはおまえの手前てまえにある。それを拾ひろえ』とはっきり言いったら、出でてきなさい。主しゅが生いきておられるように、あなたは無事ぶじで、何なんの心配しんぱいもない。

ヨブ記(1か所)

ヨブ記21:23 ある者ものは力ちからに満みちあふれ、まったく安やすらかで、心配しんぱいひとつなく死しんでいく。

箴言(1か所)

箴言31:21 雪ゆきが降ふっても、家族かぞくのことを心配しんぱいしない。家いえの者ものはみな、上等じょうとうな赤あかい服ふくを着きているからだ。

イザヤ書(2か所)

イザヤ書32:9 何なんの心配しんぱいもなく暮くらす女おんなたちよ、立たち上あがって、わたしの声こえを聞きけ。安心あんしんしきっている娘むすめたちよ、わたしの言葉ことばに耳みみを傾かたむけよ。

イザヤ書32:11 何なんの心配しんぱいもない女おんなたちよ、おののけ。安心あんしんしきっている者ものたちよ、震ふるえよ。着きているものを脱ぬいで裸はだかになり、腰こしに粗布あらぬのをまとえ。

エレミヤ書(3か所)

エレミヤ書17:8 その人ひとは、水みずのほとりに植うえられた木きのようだ。流ながれに向むかって根ねを伸のばす。暑あつさが来きても恐おそれることなく、葉ははいつも青々あおあおとしている。日照ひでりの年としにも心配しんぱいせず、実みを結むすび続つづける。

エレミヤ書42:16 あなたがたが恐おそれているあの剣けんは、エジプトの地ちであなたがたに追おいつく。あなたがたが心配しんぱいしているあの飢うえは、エジプトまであなたがたを追おいかけてくる。そして、あなたがたはそこで死しぬ。

エレミヤ書49:31 立たち上あがれ、何なんの心配しんぱいもなく安心あんしんして暮くらすあの民たみに攻せめ上のぼれ、と主しゅは言いわれる。門もんもかんぬきもなく、ただひとりで暮くらしている民たみだ。

エゼキエル書(1か所)

エゼキエル書16:49 見みなさい。あなたの妹いもうとソドムの罪つみはこうだった。ソドムとその娘むすめたちは高慢こうまんで、たっぷり食たべ、何なんの心配しんぱいもなくのんびり暮くらしていた。それなのに、貧まずしい人ひとや困こまっている人ひとには手てを差さし伸のべなかった。

ダニエル書(1か所)

ダニエル書4:4 わたしネブカドネツァルは、自分じぶんの家いえで何なんの心配しんぱいもなく暮くらし、宮殿きゅうでんで栄さかえていた。

アモス書(1か所)

アモス書6:1 わざわいだ。シオンで何なんの心配しんぱいもなく暮くらす者ものたち、サマリアの山やまで安心あんしんしきっている者ものたちよ。国々くにぐにの頂点ちょうてんに立たつ国くにの名士めいしとされ、イスラエルの人々ひとびとが頼たよってくる者ものたちよ。

マタイによる福音書(5か所)

マタイ6:25 何なんを食たべようか、何なんを飲のもうかと自分じぶんの命いのちのことで、何なんを着きようかと自分じぶんの体からだのことで、あれこれ心配しんぱいするのはやめなさい。命いのちは食たべ物ものより大切たいせつで、体からだは着きる物ものより大切たいせつなのだから。

マタイ6:31 だから、「何なんを食たべよう」「何なんを飲のもう」「何なんを着きよう」と心配しんぱいするな。

マタイ6:34 だから、明日あすのことを心配しんぱいするのはやめなさい。明日あすのことは、明日あすが心配しんぱいしてくれる。その日ひの苦労くろうは、その日ひだけで十分じゅうぶんだ。

マタイ10:19 彼かれらがあなたたちを引ひき渡わたしたとき、どう話はなすか、何なんを話はなそうかと心配しんぱいしなくていい。話はなすべきことは、その時ときにあなたたちに与あたえられるからだ。

マタイ13:22 いばらの中なかにまかれた種たねとは、こういう人ひとのことだ。その人ひとはメッセージを聞きく。でも、この世よの心配しんぱいごとや、お金かねがもたらす誘惑ゆうわくがそのメッセージをふさいでしまう。だから実みを結むすばなくなる。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ4:19 でも、この世よの心配しんぱいごとや、富とみの誘惑ゆうわく、そのほかいろいろな欲望よくぼうが入はいり込こんできて、その言葉ことばをふさいでしまう。それで、実みのらなくなるんだ。

マルコ13:11 人々ひとびとがあなたがたを捕とらえて引ひいていくとき、何なんを話はなそうかと前まえもって心配しんぱいしてはいけない。そのとき与あたえられる言葉ことばを、そのまま話はなしなさい。話はなすのはあなたがたではなく、聖霊せいれいなのだから。

ルカによる福音書(5か所)

ルカ2:48 両親りょうしんはイエスを見みて、はっとした。母ははは言いった。「どうしてこんなことをしたの。お父ちちさんもわたしも、心配しんぱいしながらあなたを捜さがしていたのよ。」

ルカ8:14 いばらの中なかに落おちた種たねとは、こういう人ひとたちのことだ。彼かれらは言葉ことばを聞きく。でも歩あゆんでいくうちに、暮くらしの心配しんぱいやお金かねや快楽かいらくにふさがれてしまい、実みを結むすばない。

ルカ12:11 人々ひとびとがあなたたちを会堂かいどうや役人やくにんや権力けんりょく者しゃの前まえに引ひき出だしても、どう弁明べんめいしようか、何なんを言いおうかと心配しんぱいしてはいけない。

ルカ12:19 そして自分じぶんに言いうんだ。「もう心配しんぱいない。何なん年ねん分ぶんもの蓄たくわえがあるんだから。ゆっくり休やすんで、飲のんで食たべて、楽たのしもう。」』

ルカ21:34 気きをつけなさい。食たべすぎや飲のみすぎ、暮くらしの心配しんぱいで心こころが鈍にぶくなり、あの日ひが突然とつぜんあなたたちに襲おそいかかることのないように。

使徒行伝(1か所)

使徒20:10 パウロは下したに降おりて行いき、彼かれの上うえにかがみ込こんで抱だきかかえ、こう言いった。「心配しんぱいしなくていい。この子こはまだ生いきている。」

コリント人への第一の手紙(2か所)

コリント第一7:32 わたしは、あなたたちに余計よけいな心配しんぱいをせずにいてほしい。結婚けっこんしていない人ひとは、どうすれば主しゅに喜よろこばれるかと、主しゅのことに心こころを向むける。

コリント第一12:24 見栄みばえのする部分ぶぶんには、そんな心配しんぱいはいらない。神かみは体からだを組くみ合あわせ、劣おとって見みえる部分ぶぶんにこそ、より大おおきな心遣こころづかいを与あたえてくださった。

コリント人への第二の手紙(3か所)

コリント第二11:3 でも心配しんぱいなのだ。あの蛇へびが悪あく知恵ちえでエバをだましたように、あなたがたの心こころも、キリストへの真まっすぐで純粋じゅんすいな思おもいから引ひき離はなされ、だめにされてしまうのではないか、と。

コリント第二11:28 こうした外側そとがわのことは別べつとしても、わたしには日々ひび押おし寄よせてくる重荷おもにがある。すべての教会きょうかいのことを気きにかける心配しんぱいだ。

コリント第二12:20 というのも、わたしは心配しんぱいしているのだ。そちらに行いったとき、あなたたちが期待きたいどおりの姿すがたでなく、わたしのほうもあなたたちの望のぞまない者ものだと思おもわれるのではないか、と。そこには争あらそいやねたみ、怒いかりや自分じぶん勝手かってな対立たいりつ、悪口わるぐちやかげ口ぐち、思おもい上あがりや混乱こんらんがあるのではないか。

ガラテヤ人への手紙(1か所)

ガラテヤ4:11 あなたたちのことが心配しんぱいだ。あなたたちのために苦労くろうしてきたのが、むだになってしまうのではないか。

ピリピ人への手紙(1か所)

ピリピ4:6 何なんも心配しんぱいしなくていい。どんなことでも、感謝かんしゃしながら祈いのり、願ねがい求もとめて、あなたたちの願ねがいを神かみに伝つたえなさい。

テサロニケ人への第一の手紙(1か所)

テサロニケ第一3:5 だからわたしも、もうがまんできなくなって、あなたがたの信仰しんこうがどうなっているかを知しるために、テモテを送おくった。もしかしたら、あの誘惑ゆうわくする者ものがあなたがたを誘惑ゆうわくし、わたしたちの苦労くろうがむだになってしまったのではないかと心配しんぱいしたからだ。

ペテロの第一の手紙(1か所)

ペテロ第一5:7 あなたたちの心配しんぱいごとを、何なんもかも神かみにゆだねなさい。神かみがあなたたちのことを、気きにかけていてくださるからだ。

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