「囚人」(しゅうじん)が出てくる聖書の箇所

「囚人」(しゅうじん)は日常訳第1版の19か所(旧約3・新約16)に出てきます。口語訳では22か所。

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創世記(2か所)

創世記39:20 ヨセフの主人しゅじんはヨセフを捕つかまえ、王おうの囚人しゅうじんたちがつながれる牢屋ろうやに入いれた。こうしてヨセフは、その牢屋ろうやの中なかで過すごすことになった。

創世記39:22 獄ごく長ちょうは、牢屋ろうやにいる囚人しゅうじん全員ぜんいんをヨセフに任まかせた。牢ろうの中なかで行おこなわれることは、すべて彼かれが取とりしきった。

イザヤ書(1か所)

イザヤ書24:22 彼かれらは囚人しゅうじんのように穴あなに集あつめられ、牢ろうに閉とじ込こめられる。そして長ながい年月としつきののち、罰ばつを受うける。

マタイによる福音書(2か所)

マタイ27:15 祭まつりのたびに、総督そうとくは群衆ぐんしゅうが望のぞむ囚人しゅうじんを一人ひとり、釈放しゃくほうするのが習ならわしだった。

マタイ27:16 ときに、バラバと呼よばれる評判ひょうばんの囚人しゅうじんがいた。

マルコによる福音書(2か所)

マルコ15:6 ところで、祭まつりのたびにピラトは、人々ひとびとが願ねがい出でる囚人しゅうじんを一人ひとり、釈放しゃくほうするのが常つねだった。

マルコ15:8 群衆ぐんしゅうが集あつまってきて、いつものように囚人しゅうじんを釈放しゃくほうしてほしいと願ねがい始はじめた。

ルカによる福音書(1か所)

ルカ23:17 祭まつりのたびに、ピラトは囚人しゅうじんを一人ひとり、人々ひとびとのために釈放しゃくほうすることになっていた。

ヨハネによる福音書(1か所)

ヨハネ18:39 過越すぎこし祭まつりには、わたしが囚人しゅうじんを一人ひとりあなたたちのために釈放しゃくほうするのが決きまりになっている。どうだろう、この「ユダヤ人じんの王おう」を釈放しゃくほうしてほしいか。

使徒行伝(8か所)

使徒16:25 真夜まよ中なかごろ、パウロとシラスは祈いのりながら神かみをたたえる歌うたを歌うたっていた。ほかの囚人しゅうじんたちも、それに聞き入っききいっていた。

使徒16:27 看守かんしゅは目めを覚さまし、牢ろうの戸とが開ひらいているのを見みた。囚人しゅうじんたちが逃にげてしまったと思おもい込こみ、剣けんを抜ぬいて自害じがいしようとした。

使徒23:18 百ひゃく人にん隊長たいちょうはその若者わかものを連つれて千せん人にん隊長たいちょうのところへ行いき、こう言いった。「囚人しゅうじんのパウロがわたしを呼よんで、この若者わかものをあなたのところへ連つれて行いくように頼たのみました。あなたに話はなしたいことがあるそうです。」

使徒25:14 二人ふたりが幾いく日かもそこに滞在たいざいしていたので、フェストはパウロのことを王おうに持もち出だして言いった。「ここに、フェリクスが囚人しゅうじんとして残のこしていった男おとこが一人ひとりいます。

使徒25:27 囚人しゅうじんを送おくるのに、その罪状ざいじょうも示しめさないというのは、わたしには筋すじの通とおらないことに思おもえるからです。」

使徒27:1 わたしたちがイタリアへ船ふねで向むかうことが決きまると、パウロとほかの何なん人にんかの囚人しゅうじんは、ユリウスという名前なまえの百ひゃく人にん隊長たいちょうにゆだねられた。彼かれは皇帝こうてい直属ちょくぞくの部隊ぶたいの隊長たいちょうだった。

使徒27:42 兵士へいしたちは、囚人しゅうじんを殺ころそうと考かんがえた。だれかが泳およいで逃にげるといけないからだ。

使徒28:17 三みっ日か後ご、パウロはユダヤ人じんの指導しどう者しゃたちを呼よび集あつめた。みんなが集あつまると、彼かれはこう言いった。「兄弟きょうだいのみなさん、わたしは同胞どうほうに対たいしても、先祖せんぞから伝つたわる慣習かんしゅうに対たいしても、何なん一ひとつ背そむくことをしていません。それなのに、エルサレムで捕とらえられ、囚人しゅうじんとしてローマ人じんの手てに引ひき渡わたされたのです。

エペソ人への手紙(1か所)

エペソ3:1 だから、わたしパウロは、あなたがた——ユダヤ人じんではない人々ひとびと——のために、キリスト・イエスの囚人しゅうじんとなっている。

ピレモンへの手紙(1か所)

ピレモン1:1 キリスト・イエスの囚人しゅうじんとなっているパウロと、兄弟きょうだいテモテから、わたしたちの愛あいする友ともであり、共ともに働はたらく仲間なかまであるフィレモンへ。

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